自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
👣龍谷大平安の原田英彦監督が退任 部員に強めの指導で自宅待機中、処分出る前に責任取る形で決断
https://news.yahoo.co.jp/articles/4912ef40dd31f71d4b6479a28196e039c52aa95f
龍谷大平安(京都)を春夏通じて19度の甲子園出場に導き、14年センバツを制した原田英彦監督(64)が退任したことが4日、分かった。
現役部員に反省を促すために強めの指導をした影響で、学校に2月中旬から自宅待機を命じられていた。4日に開かれる日本学生野球協会の審査室会議で諮られる見通しだったが、学校が独自で設置した調査委員会でより詳細に調査を行うことになったため、処分申請は一時見送ることに。ただ、処分が出る前に責任を取る形で退任を決断した。
平安OBの原田監督は同校卒業後、社会人野球の日本新薬で強打の外野手、一塁手として都市対抗などで活躍。引退後、93年秋に33歳で母校の監督に就任した。低迷し、部員不足にも苦しんでいた母校の状況に61個の課題を見いだし、後輩にあたる部員たちに技術指導の他、礼儀作法、グラウンド整備、道具の扱いや丁寧なキャッチボールのやり方などを1つ1つ教え、課題をつぶしていった。
95年夏の京都大会ではエース斉藤和巳(元ソフトバンク)を擁する南京都(現京都広学館)に初戦で敗れ、落胆した一部の平安ファンらに1年生エースの川口知哉(元オリックス)らが球場外で囲まれる出来事もあった。だが2年後の夏、名実ともに大黒柱に成長した川口らと甲子園の決勝に41年ぶりに進出。智弁和歌山に敗れて準優勝に終わったが、名門復活を全国に印象づけた。
14年春は2年生エース高橋奎二(ヤクルト)を擁し、センバツを制覇。初めて紫紺の大旗を学校に持ち帰った。
舞台鑑賞や日本新薬時代に始めたフラワーアレンジメントなど、多彩な趣味を持つ指導者だった。ただ、何をしていても部員の上達を願い、より良い指導に生かせないかを模索していた。そういった情熱あふれる指導から、現在は母校でコーチを務める川口や広島赤松コーチ、西武炭谷、楽天酒居らがプロに進んだ。
野球を愛し、母校に深い思い入れを持つ選手をどうすれば育てられるのかを常に考えていた指導者が、行き過ぎた指導が原因で、愛してやまないHEIANのユニホームを志半ばで脱いだ。
👣龍谷大平安・原田監督が退職届提出で退任 部員2人に頭・喉付近をノートで叩くなど暴行 当面は川口知哉コーチが監督代行
https://news.yahoo.co.jp/articles/937acbfb05c1f825cbc66f9cad9c4dbe9ae1c8f3
龍谷大平安が5日、京都市内で硬式野球部・原田英彦監督(64)の体罰事件についての記者レクチャーを開催した。
事件の経緯について同校は2月14日に暴行を受けた生徒が欠席していたため副担任が電話したところ「咋夜、原田監督から暴力をうけたため登校できません」と発言したことで発覚した。被害生徒は2名。同13日の20時30分頃に事件が発生した。原田監督が課題ノートを提出していなかったことに対する指導の一環として2人の生徒を呼び出して口頭での注意とたたくなどの行為を繰り返した。1人の生徒に対しては手のひらで頭部を、紙製のノートで頭・喉付近を合計10回以上たたく行為を繰り返し、もう1人の生徒に対しては手のひらで頭部を合計5回程度たたいたという。いずれも連続ではなく口頭での指導の合間に断続的にたたく行為を繰り返していたため、正確な回数は特定できなかった。
1名の生徒は打撲傷で約30日の通院加療を要する診断結果で自宅療養中。1名は日常生活に戻っているという。
校長が事実確認を行い、同監督が認めたため自宅待機を命令。部員には野球部コーチから、野球部の保護者には校長から概要が説明された。学校法人龍谷大学の常任理事会で調査報告を行うとともに懲戒事由に該当すると判断されたことから懲戒手続きを開始。しかし、原田監督から退職届が提出され、2日付で退職が決まり、懲戒手続きが終了した。
学校長は「本校と致しましてまずは被害生徒のけがの回復を願うこと、合わせて部員の心のケアを第一に努めて参りたいと思います。二度と体罰が発生することがないように学校として暴言、暴力、体罰が絶対に発生しない、容認しないという強いスタンスで務めて参りたいと思います。このような事件が発生してしまいましたこと誠に申し訳ございませんでした。(原田監督は)体罰については認めていて『大変申し訳ないことをした』と言っていた」と謝罪した。その上で3月いっぱいまでは元オリックスの川口知哉コーチが監督代行を務め、4月以降の体制については現在検討中であることも明かした。
☝「感謝を忘れず戦う」 市和歌山にセンバツ旗授与
https://news.yahoo.co.jp/articles/cd6371585065be01f366c69ece06de72383a6a9d
第97回選抜高校野球大会に出場する市和歌山のセンバツ旗授与式と壮行会が4日、和歌山市六十谷の同校であった。川辺謙信主将(2年)は「野球ができる喜びや感謝の気持ちを忘れず戦う」と活躍を誓った。
ユニホーム姿の選手たちが同校体育館に入場すると、生徒ら約500人から大きな拍手が送られた。センバツ旗は、毎日新聞和歌山支局の鶴谷真支局長から竹内伸之校長に手渡され、竹内校長が川辺主将に託した。チームを代表し、半田真一監督が「持ち味の粘りの野球で勝ち上がり、勇気や感動を与えられるような戦いをする決意だ」と述べた。
その後、壮行会では竹内校長が「甲子園ではたくさんの経験が積める。精いっぱい頑張ってほしい」と激励。吹奏楽部の演奏やチアリーダーによる演舞もチームを後押しした。
大会は18日に開幕。組み合わせ抽選会は7日、大阪市北区の毎日新聞大阪本社で開かれる。
📝<春への軌跡>センバツ・米子松蔭/3 選手の考え 試合で採用
https://news.yahoo.co.jp/articles/2bb64a3292f50cc60de01106ecdf06415f20a0f7
昨秋の中国地区大会準決勝で矢上(島根)を封じた夜、塩塚尚人監督(33)は寮で食事を終えた惣郷峻吏主将(2年)と、この日も完封した新里希夢投手(1年)を市内の温泉に誘った。
疲れを取った帰りの乗用車内で、塩塚監督は翌日の決勝に臨む2人に話かけた。「明日、ピッチャーどうする?」。「自分がいきます」と新里は答えたが、塩塚監督には既に力を出し切って満身創痍なのは分かっていた。でも2人の意見に従おうと思った。「ダメだったらどうする?」。この問いに惣郷が「俺が行きます」と即答し新里も納得した。惣郷は練習試合で投げたことはあった。考えが一致し、塩塚監督は「これなら大丈夫」と思った。
決勝の新里は球に切れがなく、初回に広島商からいきなり2ランを浴びた。三回に惣郷の2点適時三塁打などで逆転したが五回にも痛打された。車内で話し合った場面がきた。塩塚監督は新里と惣郷のバッテリーをそのまま入れ替えた。観戦してい鳥取県高野連の田村嘉庸理事長は「県大会では見たことのない形だったので驚いた。傷口が広がるのではと不安になった」という。
公式戦初登板の惣郷は立ち上がりこそ暴投が出るなど不安定だったが、六回以降は無安打に。リードした広島商は犠打を多用すると、塩塚監督は踏んでいた。読みは的中し、フィールディングが抜群に良い惣郷が相手の試みを次々に阻んだ。田村理事長は塩塚監督の深い戦略を後で知り、「さすがだな」と思った。
昨夏の鳥取大会決勝での敗北から立ち直れずにいた佐谷知輝(2年)は、バッテリーが苦しむ姿を守備の一塁で見ていた。「腐っている場合ではない」。大会後、気持ちが切り替わった。投球フォームを一から見直し、苦しんだ制球は塩塚監督が「もはや不安はない」というほど改善した。武器の変化球にも磨きがかかっている。
選手の意見を尊重し、自主的なプレーを引き出す米子松蔭。独自の練習方法がその背景にあった。=つづく
☟今秋ドラフトの目玉「最速158キロ」高校生右腕にも忍び寄るメジャーの魔の手
https://news.yahoo.co.jp/articles/358d157f495bcae886ff46be9c4378d6694e292e
「我々にとっては本当の意味で脅威になった。気が気じゃないですよ」
とは、在京セ球団のスカウトだ。3月18日に開幕するセンバツ甲子園で連覇を狙う健大高崎(群馬)のエース・石垣元気(2年)について
「最速158キロを誇る今秋ドラフトの目玉候補。2日に今年初の練習試合に先発し、ネット裏には日本4球団、メジャー3球団の計9人のスカウトが視察に集まりました。有力選手の試合にメジャーのスカウトが訪れること自体は珍しいことではありませんが、桐朋の森井がアスレチックスに入団したことで、これまでとは大きく事態が変わってしまいましたから」と、言うのだ。
確かに、今年1月に桐朋(東京)の森井翔太郎(18)がメジャー複数球団の争奪戦の末、アスレチックスとマイナー契約を結んだことは、日本球界に衝撃を与えた。
過去にも日本の高校から直接、海を渡ったケースはあったものの、日本の球団からドラフト上位候補の評価を受けていた選手は皆無。渡米しても金銭的にも環境的にも厳しいマイナー契約の現実に直面し、志半ばで帰国する選手がほとんどだった。そこに風穴をあけようとした菊池雄星も大谷翔平も佐々木朗希も“直メジャー”は断念。プロ野球で経験と実績を積んでからメジャーに挑戦--というルートが現実的選択だった。
「中でも衝撃的だったのが、森井に提示されたメジャー球団の条件です。マイナー契約とはいえ、アスレチックスは契約金151万500ドルを用意した。日本円にして約2億3000万円です。日本のドラフト指名選手の契約金の上限は、1億円プラス出来高5000万円。アメリカはその1.5倍を高卒のマイナー契約ルーキーに出すんですから、プロ予備軍にとって金銭という日本のプロ野球の唯一の優位性がなくなった」(同)
今秋ドラフトの目玉候補である石垣も、将来の夢はメジャーだと口にしている。卒業後の進路は「プロ一本」と明言しているが、それが日本のプロ野球とは限らなくなった。石垣を含め、メジャーを夢見る有力高校生が海を渡る決断をした時、彼らの海外流出を止める術は、今の日本のプロ野球にはないだろう。
🎤東洋大姫路・岡田監督 履正社時代は選手の投票でメンバー選考、同じ実力なら下級生優先 阪神・坂本がお手本 教え子記者が直撃
https://news.yahoo.co.jp/articles/bd75de128978ece39b35711612058d395588c8af
履正社高を2019年夏の甲子園優勝に導き、22年から母校の指揮を執って今春選抜高校野球大会に出場する東洋大姫路・岡田龍生監督(63)を履正社時代の教え子であるデイリースポーツ・中谷大志記者(26)が直撃インタビューした後編は、メンバー選考の裏側について。教え子である阪神・坂本誠志郎捕手(31)の野球ノートエピソードにも迫った。
東洋大姫路・岡田監督(以下、岡田監督)「中谷らも投票していたでしょ。履正社の時はメンバーを投票で決めるんですよ。僕と部長とキャプテンと副キャプテンとかで開票する。生徒らはみんな知ってるよな。開票の仕方とか」
中谷記者(以下中谷)「そうですね」
岡田監督「不正は一切なしで。投票の後『どうやった?』ってキャプテン、副キャプテンに聞く選手もおったやろうけどな。中谷はどう受け取ってた?」
中谷「僕らの時はそういう話はしなかったですね。誰を投票したとか言った覚えがないですね」
-普段の取り組みを見て選手が票を入れるのか。
岡田監督「選手から見てこんな選手が絶対(メンバーに)入ったらあかんってやつを僕がレギュラーで使ってても、投票で入れんかったらいいやんって言ってたよな」
中谷「ミーティングで言ってましたよね」
岡田監督「言ってる言ってる。履正社は同じ実力やったら下級生優先っていう考えがある。最後に下級生と上級生が実力で競ってもキャプテンが下級生の選手をっていう意見を出していた。キャプテンはそんなのシビアやから。最後の夏でも上級生を上げることはしなかったな」
中谷「平等で公平ですよね」
岡田監督「でもここ(東洋大姫路)にきてそれをしてないねん。しないんですかっていう生徒もいたけど、ここは部員が110人いて練習試合は三つに分かれる。自分で見て客観的に判断できるなら投票できるけど、人の話が情報になってしまうからね」
-今は指導者が判断しているのか。
岡田監督「指導者陣で判断しますね。最終的にはキャプテン、副キャプテンに相談してね」
中谷「僕らの時から野球ノートをつけていた。岡田先生が最初に出すモデルは(現阪神)坂本さんのものだった。お手本ですよね」
岡田監督「今までの野球ノートできっちり書いていたのは2人やで。多田先生(現履正社監督)と坂本。まとめ書きして全然練習でやっている内容と違うこと書いてる選手もおるやんか。大体見ててね、毎日書いてるかどうか」
中谷「多田先生とか坂本さんは気づいたこととか感じたことを細かく書いていましたよね」
岡田監督「坂本は今もしてるんじゃないかな。坂本は人を見ていたりそういう感性はすごいと思うよ。これデイリーが書いてくれていたんやけど、(試合後に)ベンチでペットボトルを拾っている坂本の記事を載せてくれてて。ペットボトルがその辺に捨ててあったんかな?あとで掃除の人が来るんやろうけど、坂本は自分らで出したゴミは自分たちで捨てると。ちょうどこのタイミングで選手の部室も汚れていて。ちょうどその記事を生徒らに見せて。坂本にも電話をした」
-就任して3年で甲子園出場。実感は。
岡田監督「履正社の時にいた3人(岡田監督、前履正社部長で現履正社・多田監督、前履正社部長で現大阪体育大・松平監督)みんな監督なってるねん。履正社でやっていたことでこれが優勝できた要因の一つかな、と思っていることも同じで。多田監督はそのまま引き継いでやっているけど、松平先生と俺は(チームが変わって)同じような感じ。今までできていたことが今、全然できないなと同じことを思っているんじゃないかな。思いのほか2年と半年で勝てたのは大きいよな」
⚾岩手さんへ
原田監督はすでに、2月17日に退職届を出されていたようですね・・・・・。
平安は龍谷大学の付属高校なんで、大学経営者が懲戒処分を検討していたところ先手を打ったようで、やむを得ない処置だったかと察します。
3月末までは川口コーチが代行を務めるらしいですが、4月以降もそのままなんでしょうね。
森村部長の立場もあると思いますが、1度謹慎処分喰らっているし、OBやファンの圧力が厳しすぎる環境なんで今の立ち位置に満足されているのかな???
本来ならば、平安高ー龍谷大と生粋の平安OBである多賀監督が救世主となっても・・・と思いますが、近江の総監督という立場で春以降チームを支えるし、副校長でもあるので難しいんだろうなと思いますね。
それから須磨翔風の中尾監督は教員で元プロではないですよ。もともと神戸西で小南監督を部長の立場で支えつつ、須磨と統合されて須磨翔風となったので。
阪神・才木投手など神戸西時代から好投手をよく輩出してますね。神戸市地下鉄でHMF神戸に着く直前に車窓から校舎が見えます。
神戸学院大付は大学の付属高校だし、報徳OBで香川西で5回甲子園出場した岩上監督を招聘して複数の投手陣と思い切った打撃で活路を見出し短期間でメキメキ頭角を現しておりますね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4912ef40dd31f71d4b6479a28196e039c52aa95f
龍谷大平安(京都)を春夏通じて19度の甲子園出場に導き、14年センバツを制した原田英彦監督(64)が退任したことが4日、分かった。
現役部員に反省を促すために強めの指導をした影響で、学校に2月中旬から自宅待機を命じられていた。4日に開かれる日本学生野球協会の審査室会議で諮られる見通しだったが、学校が独自で設置した調査委員会でより詳細に調査を行うことになったため、処分申請は一時見送ることに。ただ、処分が出る前に責任を取る形で退任を決断した。
平安OBの原田監督は同校卒業後、社会人野球の日本新薬で強打の外野手、一塁手として都市対抗などで活躍。引退後、93年秋に33歳で母校の監督に就任した。低迷し、部員不足にも苦しんでいた母校の状況に61個の課題を見いだし、後輩にあたる部員たちに技術指導の他、礼儀作法、グラウンド整備、道具の扱いや丁寧なキャッチボールのやり方などを1つ1つ教え、課題をつぶしていった。
95年夏の京都大会ではエース斉藤和巳(元ソフトバンク)を擁する南京都(現京都広学館)に初戦で敗れ、落胆した一部の平安ファンらに1年生エースの川口知哉(元オリックス)らが球場外で囲まれる出来事もあった。だが2年後の夏、名実ともに大黒柱に成長した川口らと甲子園の決勝に41年ぶりに進出。智弁和歌山に敗れて準優勝に終わったが、名門復活を全国に印象づけた。
14年春は2年生エース高橋奎二(ヤクルト)を擁し、センバツを制覇。初めて紫紺の大旗を学校に持ち帰った。
舞台鑑賞や日本新薬時代に始めたフラワーアレンジメントなど、多彩な趣味を持つ指導者だった。ただ、何をしていても部員の上達を願い、より良い指導に生かせないかを模索していた。そういった情熱あふれる指導から、現在は母校でコーチを務める川口や広島赤松コーチ、西武炭谷、楽天酒居らがプロに進んだ。
野球を愛し、母校に深い思い入れを持つ選手をどうすれば育てられるのかを常に考えていた指導者が、行き過ぎた指導が原因で、愛してやまないHEIANのユニホームを志半ばで脱いだ。
👣龍谷大平安・原田監督が退職届提出で退任 部員2人に頭・喉付近をノートで叩くなど暴行 当面は川口知哉コーチが監督代行
https://news.yahoo.co.jp/articles/937acbfb05c1f825cbc66f9cad9c4dbe9ae1c8f3
龍谷大平安が5日、京都市内で硬式野球部・原田英彦監督(64)の体罰事件についての記者レクチャーを開催した。
事件の経緯について同校は2月14日に暴行を受けた生徒が欠席していたため副担任が電話したところ「咋夜、原田監督から暴力をうけたため登校できません」と発言したことで発覚した。被害生徒は2名。同13日の20時30分頃に事件が発生した。原田監督が課題ノートを提出していなかったことに対する指導の一環として2人の生徒を呼び出して口頭での注意とたたくなどの行為を繰り返した。1人の生徒に対しては手のひらで頭部を、紙製のノートで頭・喉付近を合計10回以上たたく行為を繰り返し、もう1人の生徒に対しては手のひらで頭部を合計5回程度たたいたという。いずれも連続ではなく口頭での指導の合間に断続的にたたく行為を繰り返していたため、正確な回数は特定できなかった。
1名の生徒は打撲傷で約30日の通院加療を要する診断結果で自宅療養中。1名は日常生活に戻っているという。
校長が事実確認を行い、同監督が認めたため自宅待機を命令。部員には野球部コーチから、野球部の保護者には校長から概要が説明された。学校法人龍谷大学の常任理事会で調査報告を行うとともに懲戒事由に該当すると判断されたことから懲戒手続きを開始。しかし、原田監督から退職届が提出され、2日付で退職が決まり、懲戒手続きが終了した。
学校長は「本校と致しましてまずは被害生徒のけがの回復を願うこと、合わせて部員の心のケアを第一に努めて参りたいと思います。二度と体罰が発生することがないように学校として暴言、暴力、体罰が絶対に発生しない、容認しないという強いスタンスで務めて参りたいと思います。このような事件が発生してしまいましたこと誠に申し訳ございませんでした。(原田監督は)体罰については認めていて『大変申し訳ないことをした』と言っていた」と謝罪した。その上で3月いっぱいまでは元オリックスの川口知哉コーチが監督代行を務め、4月以降の体制については現在検討中であることも明かした。
☝「感謝を忘れず戦う」 市和歌山にセンバツ旗授与
https://news.yahoo.co.jp/articles/cd6371585065be01f366c69ece06de72383a6a9d
第97回選抜高校野球大会に出場する市和歌山のセンバツ旗授与式と壮行会が4日、和歌山市六十谷の同校であった。川辺謙信主将(2年)は「野球ができる喜びや感謝の気持ちを忘れず戦う」と活躍を誓った。
ユニホーム姿の選手たちが同校体育館に入場すると、生徒ら約500人から大きな拍手が送られた。センバツ旗は、毎日新聞和歌山支局の鶴谷真支局長から竹内伸之校長に手渡され、竹内校長が川辺主将に託した。チームを代表し、半田真一監督が「持ち味の粘りの野球で勝ち上がり、勇気や感動を与えられるような戦いをする決意だ」と述べた。
その後、壮行会では竹内校長が「甲子園ではたくさんの経験が積める。精いっぱい頑張ってほしい」と激励。吹奏楽部の演奏やチアリーダーによる演舞もチームを後押しした。
大会は18日に開幕。組み合わせ抽選会は7日、大阪市北区の毎日新聞大阪本社で開かれる。
📝<春への軌跡>センバツ・米子松蔭/3 選手の考え 試合で採用
https://news.yahoo.co.jp/articles/2bb64a3292f50cc60de01106ecdf06415f20a0f7
昨秋の中国地区大会準決勝で矢上(島根)を封じた夜、塩塚尚人監督(33)は寮で食事を終えた惣郷峻吏主将(2年)と、この日も完封した新里希夢投手(1年)を市内の温泉に誘った。
疲れを取った帰りの乗用車内で、塩塚監督は翌日の決勝に臨む2人に話かけた。「明日、ピッチャーどうする?」。「自分がいきます」と新里は答えたが、塩塚監督には既に力を出し切って満身創痍なのは分かっていた。でも2人の意見に従おうと思った。「ダメだったらどうする?」。この問いに惣郷が「俺が行きます」と即答し新里も納得した。惣郷は練習試合で投げたことはあった。考えが一致し、塩塚監督は「これなら大丈夫」と思った。
決勝の新里は球に切れがなく、初回に広島商からいきなり2ランを浴びた。三回に惣郷の2点適時三塁打などで逆転したが五回にも痛打された。車内で話し合った場面がきた。塩塚監督は新里と惣郷のバッテリーをそのまま入れ替えた。観戦してい鳥取県高野連の田村嘉庸理事長は「県大会では見たことのない形だったので驚いた。傷口が広がるのではと不安になった」という。
公式戦初登板の惣郷は立ち上がりこそ暴投が出るなど不安定だったが、六回以降は無安打に。リードした広島商は犠打を多用すると、塩塚監督は踏んでいた。読みは的中し、フィールディングが抜群に良い惣郷が相手の試みを次々に阻んだ。田村理事長は塩塚監督の深い戦略を後で知り、「さすがだな」と思った。
昨夏の鳥取大会決勝での敗北から立ち直れずにいた佐谷知輝(2年)は、バッテリーが苦しむ姿を守備の一塁で見ていた。「腐っている場合ではない」。大会後、気持ちが切り替わった。投球フォームを一から見直し、苦しんだ制球は塩塚監督が「もはや不安はない」というほど改善した。武器の変化球にも磨きがかかっている。
選手の意見を尊重し、自主的なプレーを引き出す米子松蔭。独自の練習方法がその背景にあった。=つづく
☟今秋ドラフトの目玉「最速158キロ」高校生右腕にも忍び寄るメジャーの魔の手
https://news.yahoo.co.jp/articles/358d157f495bcae886ff46be9c4378d6694e292e
「我々にとっては本当の意味で脅威になった。気が気じゃないですよ」
とは、在京セ球団のスカウトだ。3月18日に開幕するセンバツ甲子園で連覇を狙う健大高崎(群馬)のエース・石垣元気(2年)について
「最速158キロを誇る今秋ドラフトの目玉候補。2日に今年初の練習試合に先発し、ネット裏には日本4球団、メジャー3球団の計9人のスカウトが視察に集まりました。有力選手の試合にメジャーのスカウトが訪れること自体は珍しいことではありませんが、桐朋の森井がアスレチックスに入団したことで、これまでとは大きく事態が変わってしまいましたから」と、言うのだ。
確かに、今年1月に桐朋(東京)の森井翔太郎(18)がメジャー複数球団の争奪戦の末、アスレチックスとマイナー契約を結んだことは、日本球界に衝撃を与えた。
過去にも日本の高校から直接、海を渡ったケースはあったものの、日本の球団からドラフト上位候補の評価を受けていた選手は皆無。渡米しても金銭的にも環境的にも厳しいマイナー契約の現実に直面し、志半ばで帰国する選手がほとんどだった。そこに風穴をあけようとした菊池雄星も大谷翔平も佐々木朗希も“直メジャー”は断念。プロ野球で経験と実績を積んでからメジャーに挑戦--というルートが現実的選択だった。
「中でも衝撃的だったのが、森井に提示されたメジャー球団の条件です。マイナー契約とはいえ、アスレチックスは契約金151万500ドルを用意した。日本円にして約2億3000万円です。日本のドラフト指名選手の契約金の上限は、1億円プラス出来高5000万円。アメリカはその1.5倍を高卒のマイナー契約ルーキーに出すんですから、プロ予備軍にとって金銭という日本のプロ野球の唯一の優位性がなくなった」(同)
今秋ドラフトの目玉候補である石垣も、将来の夢はメジャーだと口にしている。卒業後の進路は「プロ一本」と明言しているが、それが日本のプロ野球とは限らなくなった。石垣を含め、メジャーを夢見る有力高校生が海を渡る決断をした時、彼らの海外流出を止める術は、今の日本のプロ野球にはないだろう。
🎤東洋大姫路・岡田監督 履正社時代は選手の投票でメンバー選考、同じ実力なら下級生優先 阪神・坂本がお手本 教え子記者が直撃
https://news.yahoo.co.jp/articles/bd75de128978ece39b35711612058d395588c8af
履正社高を2019年夏の甲子園優勝に導き、22年から母校の指揮を執って今春選抜高校野球大会に出場する東洋大姫路・岡田龍生監督(63)を履正社時代の教え子であるデイリースポーツ・中谷大志記者(26)が直撃インタビューした後編は、メンバー選考の裏側について。教え子である阪神・坂本誠志郎捕手(31)の野球ノートエピソードにも迫った。
東洋大姫路・岡田監督(以下、岡田監督)「中谷らも投票していたでしょ。履正社の時はメンバーを投票で決めるんですよ。僕と部長とキャプテンと副キャプテンとかで開票する。生徒らはみんな知ってるよな。開票の仕方とか」
中谷記者(以下中谷)「そうですね」
岡田監督「不正は一切なしで。投票の後『どうやった?』ってキャプテン、副キャプテンに聞く選手もおったやろうけどな。中谷はどう受け取ってた?」
中谷「僕らの時はそういう話はしなかったですね。誰を投票したとか言った覚えがないですね」
-普段の取り組みを見て選手が票を入れるのか。
岡田監督「選手から見てこんな選手が絶対(メンバーに)入ったらあかんってやつを僕がレギュラーで使ってても、投票で入れんかったらいいやんって言ってたよな」
中谷「ミーティングで言ってましたよね」
岡田監督「言ってる言ってる。履正社は同じ実力やったら下級生優先っていう考えがある。最後に下級生と上級生が実力で競ってもキャプテンが下級生の選手をっていう意見を出していた。キャプテンはそんなのシビアやから。最後の夏でも上級生を上げることはしなかったな」
中谷「平等で公平ですよね」
岡田監督「でもここ(東洋大姫路)にきてそれをしてないねん。しないんですかっていう生徒もいたけど、ここは部員が110人いて練習試合は三つに分かれる。自分で見て客観的に判断できるなら投票できるけど、人の話が情報になってしまうからね」
-今は指導者が判断しているのか。
岡田監督「指導者陣で判断しますね。最終的にはキャプテン、副キャプテンに相談してね」
中谷「僕らの時から野球ノートをつけていた。岡田先生が最初に出すモデルは(現阪神)坂本さんのものだった。お手本ですよね」
岡田監督「今までの野球ノートできっちり書いていたのは2人やで。多田先生(現履正社監督)と坂本。まとめ書きして全然練習でやっている内容と違うこと書いてる選手もおるやんか。大体見ててね、毎日書いてるかどうか」
中谷「多田先生とか坂本さんは気づいたこととか感じたことを細かく書いていましたよね」
岡田監督「坂本は今もしてるんじゃないかな。坂本は人を見ていたりそういう感性はすごいと思うよ。これデイリーが書いてくれていたんやけど、(試合後に)ベンチでペットボトルを拾っている坂本の記事を載せてくれてて。ペットボトルがその辺に捨ててあったんかな?あとで掃除の人が来るんやろうけど、坂本は自分らで出したゴミは自分たちで捨てると。ちょうどこのタイミングで選手の部室も汚れていて。ちょうどその記事を生徒らに見せて。坂本にも電話をした」
-就任して3年で甲子園出場。実感は。
岡田監督「履正社の時にいた3人(岡田監督、前履正社部長で現履正社・多田監督、前履正社部長で現大阪体育大・松平監督)みんな監督なってるねん。履正社でやっていたことでこれが優勝できた要因の一つかな、と思っていることも同じで。多田監督はそのまま引き継いでやっているけど、松平先生と俺は(チームが変わって)同じような感じ。今までできていたことが今、全然できないなと同じことを思っているんじゃないかな。思いのほか2年と半年で勝てたのは大きいよな」
⚾岩手さんへ
原田監督はすでに、2月17日に退職届を出されていたようですね・・・・・。
平安は龍谷大学の付属高校なんで、大学経営者が懲戒処分を検討していたところ先手を打ったようで、やむを得ない処置だったかと察します。
3月末までは川口コーチが代行を務めるらしいですが、4月以降もそのままなんでしょうね。
森村部長の立場もあると思いますが、1度謹慎処分喰らっているし、OBやファンの圧力が厳しすぎる環境なんで今の立ち位置に満足されているのかな???
本来ならば、平安高ー龍谷大と生粋の平安OBである多賀監督が救世主となっても・・・と思いますが、近江の総監督という立場で春以降チームを支えるし、副校長でもあるので難しいんだろうなと思いますね。
それから須磨翔風の中尾監督は教員で元プロではないですよ。もともと神戸西で小南監督を部長の立場で支えつつ、須磨と統合されて須磨翔風となったので。
阪神・才木投手など神戸西時代から好投手をよく輩出してますね。神戸市地下鉄でHMF神戸に着く直前に車窓から校舎が見えます。
神戸学院大付は大学の付属高校だし、報徳OBで香川西で5回甲子園出場した岩上監督を招聘して複数の投手陣と思い切った打撃で活路を見出し短期間でメキメキ頭角を現しておりますね。