自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
🎤「30年目の甲子園」講演 宇治山田商高野球部監督の村田教諭
https://news.yahoo.co.jp/articles/25b0a6a994ea3ec67b745d8b4cc521f825c5f390
三重県中体連軟式野球専門部の指導者講習会が1日、伊勢市内で開かれ、昨年3月の選抜高校野球大会でベスト16入りした宇治山田商業高校硬式野球部監督の村田治樹教諭(54)が「30年目の甲子園」の演題で講演した。
同校野球部は昨年春、同校では16年ぶり、県勢として5年ぶりのセンバツ出場を果たした。同教諭は、地元の生徒の多い公立高校を率いて、教員生活30年目で甲子園に立ち、同校16年ぶりの1勝を挙げて注目された。
講演では「(指導者として)突っ走っていた」20代、「人生で一番悩んだ」30代を経て確立した現在の指導法について「選手の主体性、自主性を重視しながら、監督の自分が微調整する」スタイルと説明した。
指導の上で大事にしていることに「モチベーターになる」「チーム作りの全責任を負う」「生徒をよく見ていること」などを挙げ「教員は人を見るプロ。生徒をよく見る、そしてその性格を把握して指導すると話は早くなる」と助言して「みんなで頑張りましょう」と呼びかけて締めくくった。
年1回専門家を県内外から招き開催している。中体連専門部の倉田政樹教諭は「若い教員や野球が専門外の教員も多い。チーム作りに長けた村田先生の講演でヒントをつかんでもらえれば」と話した。
📝神風特攻隊として散った現役プロ野球選手「石丸進一」 特攻命令が出たその日「これで思い残すことはない」と投げた“最期の10球”
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f6c3afd9fb1a93ca32728e94e5768a2ae0a6a55
石丸進一は、現役プロ野球選手で唯一、神風特攻隊員として散った投手だ。
佐賀商でエースとして活躍したが2年続けて佐賀大会決勝で敗れ、甲子園に届かなかった。上背もない。プロから声はかからなかった。進一は、8歳上の兄・藤吉に手紙を書いた。藤吉は名古屋軍の内野手。送ったのは召集先の中国だ。
「名古屋軍に入りたい。口を利いてくれないか」
弟の頼みに、兄はすぐ応じなかった。プロは厳しい。弟の力量も分からない。普通の仕事に就くよう勧める返事を送った。しかし、血判まで押して名古屋軍への入団志願用紙を寄越す弟の覚悟に動かされ、赤嶺昌志代表に働きかけた。
進一がプロ野球入りを強く望んだのは、球界への憧れ以上に、貧しい暮らしの中で自分を佐賀商に行かせてくれた父に早く恩返ししたかったからだ。プロ野球で活躍すれば、一般の仕事より倍は稼げる。
進一は11人きょうだいの8番目。父は理髪業。子どもたちを学校に行かせたくて借金を重ねた。その借金を返すために勝負した株式投資で失敗し、さらに多額の借金を背負った。
手紙を受けた赤嶺は、本来は投手と知りながら進一を兄と同じ内野手で起用させた。時節柄、プロ野球は敵性スポーツゆえ当局から厳しい目を向けられていた。
「戦場の兄を支えるため、『兄さん、銃後は任せておけ』となれば軍部の印象も良くなる」という赤嶺の発案だった。
こうして、プロ野球初の兄弟選手が誕生した。1年目の1941年、73試合に出場し、46安打、打率.197にとどまった。2年目、過去2年で33勝を稼いだエース村松幸雄が召集され、大黒柱を失った事情もあり、進一は念願の投手となった。
42年、初先発で2安打完封勝利を飾ると、絶妙のコントロールで17勝19敗。続く43年には20勝12敗。防御率1.15の数字が進一の安定感を物語っている。
43年10月12日の大和戦、戦中最後となるノーヒットノーランを記録した。しかし、戦争の激化に伴う紙不足で新聞の紙数も減り、わずかにスコアと投手名が記載されただけで、進一の快記録は伝えられなかった。
「報道班員さようならッ」
召集された進一は、自ら特攻隊を志願した。出征直前、父の借金を完済してから入営している。
特攻命令が出た45年5月6日、鹿児島県知覧で、法政大の一塁手だった本田耕一と「10球だけ」と決めてボールを投げ合った。本田が進一の投球を捕るたび、その場に居合わせ、審判役を務めた報道班員が「よし一本!」と叫んだ。
きっちり10球を投げ終えると、進一は、「これで思い残すことはない。報道班員さようならッ」
そう言ってグローブを置き、飛行場に去った。その日は悪天候で出撃が延期となり、実際に進一が飛び立ったのは5日後の11日だった。この話が広く語り継がれているのは、作家・山岡荘八が62年、朝日新聞に「最後の従軍」という原稿を書いたためだ。山岡こそ、報道班員その人だった。
出征したプロ野球選手の消息は明らかなものが少ない。私は駆け出しのころ、景浦将(阪神)、吉原正喜(巨人)らの戦死の詳細を取材した経験があるが、親戚縁者でさえ、不確かな伝聞情報しかなかった。進一に関して詳しく記しているのは、山岡のほか、『消えた春 特攻に散った投手 石丸進一』を書いたノンフィクション作家・牛島秀彦が進一のいとこで、幼少時に交流があった偶然も影響している。
キャッチボールに使った新しいボールをどこで入手したのか。プロ野球創設に深く関わり、セ・リーグ会長を長く務めた鈴木龍二が回顧録に書いている。
〈新しいボールは、筑波隊から鹿屋への転属を命ぜられて、休暇を得た4月18日、東京・小石川の春日町近くにあった理研工業本社に、赤嶺昌志君を訪ねて、無心して手に入れたものであった。石丸君はこの日、東京駅から徒歩で、2時間もかかって理研工業を探しあて、赤嶺君を訪ねたのだという。(中略)「ボールがほしいというので、おい生きて帰れよ、また野球をやろう、待っているぞ、と言うと、赤嶺さんもお元気で、と挙手の礼をして帰って行った。あのとき石丸は、もう死を覚悟していたのですね」のちに赤嶺君から聞かされた話である〉
「俺は野球じゃ」
今夏(2025年)、終戦から80年を迎える。戦争によって奪われた幾多の青春を忘れるわけにいかない。
鹿屋への異動命令が下り、友人から最後の言葉を書き残すアルバムを渡されると、「葉隠武士 敢闘精神 日本野球は」と書いてペンを止めた。「この期に及んでまだ野球か」と言われ、「おう、俺は野球じゃ、俺には野球しかないんじゃ」と怒鳴る様に言い残し、進一は鹿屋に旅立ったという。
兄・藤吉も語っている。「あんな野球好きと会ったことがない」
誰よりも野球が好きだった進一が特攻を志願し、犠牲になった。そのような選択をせざるを得ない重苦しい時代を、繰り返していいはずがない。
📝横浜清陵、壱岐が選出の「21世紀枠」 春21世紀→翌夏勝利の石橋・入江祥太に「意義」を聞いてみた
https://news.yahoo.co.jp/articles/746ab2168e0276a5dffaa901a2bafc846f9be6cb
東京六大学野球リーグに所属する慶大が1日、神奈川県横浜市内のグラウンドで行われた練習を公開した。この日は今春に入学する新入生が合流。22年春の選抜では21世紀枠で甲子園初出場を果たし、昨夏には甲子園初勝利を挙げた石橋(栃木)の最速141キロ右腕・入江祥太(2年)はランニングやキャッチボールなどで汗を流した。
「ずっと憧れていた野球部ですので、そこで実際に野球ができて幸せだなと実感しました。(慶大は)野球で成績を残されていますし、やっぱり勉強の方でもトップレベルなので、どちらも最高の環境で取り組むことができると思います」
23年春の選抜で石橋は21世紀枠で選出され、甲子園初出場。2年生ながら投打の中心だった入江は初戦の能代松陽(秋田)戦に「4番・投手」で出場。7回3安打1失点の好投も、能代松陽のエース右腕・森岡大智が完封勝利を挙げ、0―3で1回戦敗退。ただ、翌24年夏には作新学院、文星芸大付、国学院栃木など強豪ひしめく栃木大会を制し、自力での甲子園出場を果たした。
学校創立100周年に起こした快進撃は甲子園でも止まらなかった。初戦で聖和学園(宮城)との初出場対決を5―0で制し、甲子園初勝利を挙げた。先発した入江は毎回の11奪三振で4安打完封勝利。「絶対に一人で投げきるつもりだった。自分たちの代で、歴史をつくれたことを非常に光栄に思う」と喜びをかみしめていた。次戦の青森山田戦は0―5で敗れたが、甲子園に石橋の名を刻んだ立役者は疑いなく入江だった。
今年も3月18日に選抜甲子園が開幕する。1月24日に行われた選抜選考委員会では21世紀枠で、九州北西の玄界灘に浮かぶ人口約2万4000人の離島にある壱岐(長崎)、神奈川県横浜市にある横浜清陵が選出された。壱岐は昨秋の九州大会で1勝を挙げ、横浜清陵は横浜、東海大相模など強豪ひしめく神奈川で秋季大会8強入りを果たすなど近年、安定した成績を残している。両校ともに選抜で勝ち星を挙げるポテンシャルを備えている。
経験者だからこそ、分かることがある。慶大での初練習を終えた入江に「21世紀枠で甲子園に出場できたからこそ、変化したことがあったら教えてほしい」と聞いてみた。
「そうですね…とにかく実際に甲子園に行って、行って負けたことで、“またどうしても行きたい”という気持ちが出てきた。やっぱり行ったことがない人よりも強く(気持ちが)沸くし、実感がある。イメージをしっかりすることができる。やっぱりそこが違うのかなと思いますね」
県内屈指の進学校として知られる石橋から「1日14時間」の猛勉強、AO入試の面接対策で慶大に現役合格した入江。21世紀枠で出場することの意義は「2度目への強い思い」と明かした。ともに県立校の壱岐、横浜清陵は夏に再び甲子園に戻る道は険しい。強豪私立を破り、県の頂点に立つ必要がある。だが、選抜では聖地で戦った経験値、そして入江が語る「新たな力」を持ち帰ることができそうだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/25b0a6a994ea3ec67b745d8b4cc521f825c5f390
三重県中体連軟式野球専門部の指導者講習会が1日、伊勢市内で開かれ、昨年3月の選抜高校野球大会でベスト16入りした宇治山田商業高校硬式野球部監督の村田治樹教諭(54)が「30年目の甲子園」の演題で講演した。
同校野球部は昨年春、同校では16年ぶり、県勢として5年ぶりのセンバツ出場を果たした。同教諭は、地元の生徒の多い公立高校を率いて、教員生活30年目で甲子園に立ち、同校16年ぶりの1勝を挙げて注目された。
講演では「(指導者として)突っ走っていた」20代、「人生で一番悩んだ」30代を経て確立した現在の指導法について「選手の主体性、自主性を重視しながら、監督の自分が微調整する」スタイルと説明した。
指導の上で大事にしていることに「モチベーターになる」「チーム作りの全責任を負う」「生徒をよく見ていること」などを挙げ「教員は人を見るプロ。生徒をよく見る、そしてその性格を把握して指導すると話は早くなる」と助言して「みんなで頑張りましょう」と呼びかけて締めくくった。
年1回専門家を県内外から招き開催している。中体連専門部の倉田政樹教諭は「若い教員や野球が専門外の教員も多い。チーム作りに長けた村田先生の講演でヒントをつかんでもらえれば」と話した。
📝神風特攻隊として散った現役プロ野球選手「石丸進一」 特攻命令が出たその日「これで思い残すことはない」と投げた“最期の10球”
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f6c3afd9fb1a93ca32728e94e5768a2ae0a6a55
石丸進一は、現役プロ野球選手で唯一、神風特攻隊員として散った投手だ。
佐賀商でエースとして活躍したが2年続けて佐賀大会決勝で敗れ、甲子園に届かなかった。上背もない。プロから声はかからなかった。進一は、8歳上の兄・藤吉に手紙を書いた。藤吉は名古屋軍の内野手。送ったのは召集先の中国だ。
「名古屋軍に入りたい。口を利いてくれないか」
弟の頼みに、兄はすぐ応じなかった。プロは厳しい。弟の力量も分からない。普通の仕事に就くよう勧める返事を送った。しかし、血判まで押して名古屋軍への入団志願用紙を寄越す弟の覚悟に動かされ、赤嶺昌志代表に働きかけた。
進一がプロ野球入りを強く望んだのは、球界への憧れ以上に、貧しい暮らしの中で自分を佐賀商に行かせてくれた父に早く恩返ししたかったからだ。プロ野球で活躍すれば、一般の仕事より倍は稼げる。
進一は11人きょうだいの8番目。父は理髪業。子どもたちを学校に行かせたくて借金を重ねた。その借金を返すために勝負した株式投資で失敗し、さらに多額の借金を背負った。
手紙を受けた赤嶺は、本来は投手と知りながら進一を兄と同じ内野手で起用させた。時節柄、プロ野球は敵性スポーツゆえ当局から厳しい目を向けられていた。
「戦場の兄を支えるため、『兄さん、銃後は任せておけ』となれば軍部の印象も良くなる」という赤嶺の発案だった。
こうして、プロ野球初の兄弟選手が誕生した。1年目の1941年、73試合に出場し、46安打、打率.197にとどまった。2年目、過去2年で33勝を稼いだエース村松幸雄が召集され、大黒柱を失った事情もあり、進一は念願の投手となった。
42年、初先発で2安打完封勝利を飾ると、絶妙のコントロールで17勝19敗。続く43年には20勝12敗。防御率1.15の数字が進一の安定感を物語っている。
43年10月12日の大和戦、戦中最後となるノーヒットノーランを記録した。しかし、戦争の激化に伴う紙不足で新聞の紙数も減り、わずかにスコアと投手名が記載されただけで、進一の快記録は伝えられなかった。
「報道班員さようならッ」
召集された進一は、自ら特攻隊を志願した。出征直前、父の借金を完済してから入営している。
特攻命令が出た45年5月6日、鹿児島県知覧で、法政大の一塁手だった本田耕一と「10球だけ」と決めてボールを投げ合った。本田が進一の投球を捕るたび、その場に居合わせ、審判役を務めた報道班員が「よし一本!」と叫んだ。
きっちり10球を投げ終えると、進一は、「これで思い残すことはない。報道班員さようならッ」
そう言ってグローブを置き、飛行場に去った。その日は悪天候で出撃が延期となり、実際に進一が飛び立ったのは5日後の11日だった。この話が広く語り継がれているのは、作家・山岡荘八が62年、朝日新聞に「最後の従軍」という原稿を書いたためだ。山岡こそ、報道班員その人だった。
出征したプロ野球選手の消息は明らかなものが少ない。私は駆け出しのころ、景浦将(阪神)、吉原正喜(巨人)らの戦死の詳細を取材した経験があるが、親戚縁者でさえ、不確かな伝聞情報しかなかった。進一に関して詳しく記しているのは、山岡のほか、『消えた春 特攻に散った投手 石丸進一』を書いたノンフィクション作家・牛島秀彦が進一のいとこで、幼少時に交流があった偶然も影響している。
キャッチボールに使った新しいボールをどこで入手したのか。プロ野球創設に深く関わり、セ・リーグ会長を長く務めた鈴木龍二が回顧録に書いている。
〈新しいボールは、筑波隊から鹿屋への転属を命ぜられて、休暇を得た4月18日、東京・小石川の春日町近くにあった理研工業本社に、赤嶺昌志君を訪ねて、無心して手に入れたものであった。石丸君はこの日、東京駅から徒歩で、2時間もかかって理研工業を探しあて、赤嶺君を訪ねたのだという。(中略)「ボールがほしいというので、おい生きて帰れよ、また野球をやろう、待っているぞ、と言うと、赤嶺さんもお元気で、と挙手の礼をして帰って行った。あのとき石丸は、もう死を覚悟していたのですね」のちに赤嶺君から聞かされた話である〉
「俺は野球じゃ」
今夏(2025年)、終戦から80年を迎える。戦争によって奪われた幾多の青春を忘れるわけにいかない。
鹿屋への異動命令が下り、友人から最後の言葉を書き残すアルバムを渡されると、「葉隠武士 敢闘精神 日本野球は」と書いてペンを止めた。「この期に及んでまだ野球か」と言われ、「おう、俺は野球じゃ、俺には野球しかないんじゃ」と怒鳴る様に言い残し、進一は鹿屋に旅立ったという。
兄・藤吉も語っている。「あんな野球好きと会ったことがない」
誰よりも野球が好きだった進一が特攻を志願し、犠牲になった。そのような選択をせざるを得ない重苦しい時代を、繰り返していいはずがない。
📝横浜清陵、壱岐が選出の「21世紀枠」 春21世紀→翌夏勝利の石橋・入江祥太に「意義」を聞いてみた
https://news.yahoo.co.jp/articles/746ab2168e0276a5dffaa901a2bafc846f9be6cb
東京六大学野球リーグに所属する慶大が1日、神奈川県横浜市内のグラウンドで行われた練習を公開した。この日は今春に入学する新入生が合流。22年春の選抜では21世紀枠で甲子園初出場を果たし、昨夏には甲子園初勝利を挙げた石橋(栃木)の最速141キロ右腕・入江祥太(2年)はランニングやキャッチボールなどで汗を流した。
「ずっと憧れていた野球部ですので、そこで実際に野球ができて幸せだなと実感しました。(慶大は)野球で成績を残されていますし、やっぱり勉強の方でもトップレベルなので、どちらも最高の環境で取り組むことができると思います」
23年春の選抜で石橋は21世紀枠で選出され、甲子園初出場。2年生ながら投打の中心だった入江は初戦の能代松陽(秋田)戦に「4番・投手」で出場。7回3安打1失点の好投も、能代松陽のエース右腕・森岡大智が完封勝利を挙げ、0―3で1回戦敗退。ただ、翌24年夏には作新学院、文星芸大付、国学院栃木など強豪ひしめく栃木大会を制し、自力での甲子園出場を果たした。
学校創立100周年に起こした快進撃は甲子園でも止まらなかった。初戦で聖和学園(宮城)との初出場対決を5―0で制し、甲子園初勝利を挙げた。先発した入江は毎回の11奪三振で4安打完封勝利。「絶対に一人で投げきるつもりだった。自分たちの代で、歴史をつくれたことを非常に光栄に思う」と喜びをかみしめていた。次戦の青森山田戦は0―5で敗れたが、甲子園に石橋の名を刻んだ立役者は疑いなく入江だった。
今年も3月18日に選抜甲子園が開幕する。1月24日に行われた選抜選考委員会では21世紀枠で、九州北西の玄界灘に浮かぶ人口約2万4000人の離島にある壱岐(長崎)、神奈川県横浜市にある横浜清陵が選出された。壱岐は昨秋の九州大会で1勝を挙げ、横浜清陵は横浜、東海大相模など強豪ひしめく神奈川で秋季大会8強入りを果たすなど近年、安定した成績を残している。両校ともに選抜で勝ち星を挙げるポテンシャルを備えている。
経験者だからこそ、分かることがある。慶大での初練習を終えた入江に「21世紀枠で甲子園に出場できたからこそ、変化したことがあったら教えてほしい」と聞いてみた。
「そうですね…とにかく実際に甲子園に行って、行って負けたことで、“またどうしても行きたい”という気持ちが出てきた。やっぱり行ったことがない人よりも強く(気持ちが)沸くし、実感がある。イメージをしっかりすることができる。やっぱりそこが違うのかなと思いますね」
県内屈指の進学校として知られる石橋から「1日14時間」の猛勉強、AO入試の面接対策で慶大に現役合格した入江。21世紀枠で出場することの意義は「2度目への強い思い」と明かした。ともに県立校の壱岐、横浜清陵は夏に再び甲子園に戻る道は険しい。強豪私立を破り、県の頂点に立つ必要がある。だが、選抜では聖地で戦った経験値、そして入江が語る「新たな力」を持ち帰ることができそうだ。