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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
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お知らせ

編集済
📝令和6年度秋季兵庫県大会組み合わせ
http://www.hyogo-koyaren.or.jp/homepagedata(R6)/24aki.pdf

💢【U-18】パキスタン代表が棄権 政治的理由で台湾入りできず 元巨人投手のヘッドコーチも当惑「びっくりですよ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f633b1c70fc1122173e23d55bdd36460bbe10474

第13回BFA U18アジア選手権が開幕したが、パキスタン代表は選手が6人しかそろわず、この日の1次リーグA組・タイ戦が没収試合になり、今大会を棄権することが決まった。

関係者によれば、パキスタンからは政治的な理由で、外交関係のない台湾への渡航を止められたという。日本、米国、カナダから来たメンバーのみが台湾入りできた。

開会式に出席した元巨人投手で、パキスタン代表の前田幸長ヘッドコーチ兼投手コーチ(54)は台北入りした昨夜知ったそうで「びっくりですよ。選手たちにはやらせてあげたかったですね」と当惑していた。

🎁甲子園歴史館来場者に「メダル型ピンバッチ」配布、開場100周年記念 今回が最後の記念品
https://news.yahoo.co.jp/articles/013652b0c0f8da9a15f9b04716ce8d646814b312

阪神電鉄は3日、今年8月1日の甲子園開場100周年を記念して、甲子園歴史館の来場者に「メダル型ピンバッチ」の配布を開始すると発表した。

プレゼントは今年1~12月にかけて実施し、7月15日から配布している第3弾「ボールチャーム付きユニフォームキーホルダー」が終了次第、先着6万人に配布開始。第4弾の今回が最後の記念品となり、併設のバーチャルバッティングセンターの体験者にも配布される。

☝PL学園野球部で1人活動 名門ユニホームつなぐ
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a1b88eae10bab9ae03430da428f0c634e4c92ac

高校野球の甲子園大会春夏連覇を誇る大阪府富田林市のPL学園高硬式野球部を1人の部員がつないでいる。暴力事件で2016年に休部となったが、昨年7年ぶりに2年生川村得さん(17)が活動を再開。公式戦には出場しないまま「いつかチームの復活を」と練習を積んできた。

1980年代に桑田真澄さん、清原和博さんを擁し黄金時代を築いた。甲子園では春夏7度優勝。一方、厳しい規律はあつれきを生んだ。2001、13年に下級生への暴力行為で対外試合禁止の処分を受け、17年に府高野連から脱退した。

川村さんは幼稚園から学園に入園。野球好きの父の影響もあり、野球部は「憧れだった」と振り返る。小学2年から軟式野球に打ち込んだ。昨年高校へ進学し硬式野球をしてみないかと教員に声をかけられ野球部を「復活」させた。

ただ学園母体である教団の問題から具体的な動きは見えず、川村さんの思いに変化も生まれつつある。野球部は硬式も軟式も同じユニホームで、軟式であれば連合チームで試合に出られる。学園は生徒数も減り、軟式も新入部員がおらず、この夏で活動を休止する。川村さんは軟式へ来春転部することも考えているという。

☟「高校野球」でビジネスモデルを作った朝日新聞と毎日新聞、隠せなくなってきた制度疲労
https://news.yahoo.co.jp/articles/5aab6461758677f07af9acde20a4d424eb81d4f5?page=1

全国高校野球選手権大会、つまり「夏の甲子園」と言えば「朝日」という名前が浮かんでくる。朝日新聞社が日本高野連と共に「主催者」になっている(毎日新聞社が後援)。なぜそうなのか、疑問に思う人も多いようだが、朝日新聞社はスポーツを「ビジネスモデル」にした最初の日本企業なのだ。

■ 夏目漱石に野球を教えた正岡子規

日本に野球がもたらされたのは公式には1872年のことだ。お雇い外国人として開成学校(のちの東京帝国大学)に赴任したホーレス・ウィルソンが学生たちに手ほどきしたのが最初だという。

野球は伝来当初から日本人の性分に合っていた。明治の文豪、夏目漱石邸の裏には、当時の野球強豪校、郁文館のグラウンドがあったが、漱石邸によくボールが飛び込んだという。これをモチーフにしたエピソードが「吾輩は猫である」に出ている。漱石に野球を教えたのは親友の正岡子規だと言われているが、子規は野球の短歌をいくつも作っている。

〈いまやかの 三つの塁に人満ちて そぞろに胸の うちさわぐなり〉
〈ベースボール うちはつす球キャッチャーの 手にありて ベースを人のゆきかてにする〉

■ 明治末期、ブーム過熱でついには「野球害毒論」も

開成学校の後身である「第一高等学校」では、野球熱が高まり、都下の学校との対戦で無敵を誇るようになった。また横浜に駐留する米国人や、米国艦艇の乗組員との試合でも好勝負を演じ、大いに国威を発揚した。いわゆる「一高時代」である。

一高時代は1906年頃まで続いたが、慶應義塾、早稲田大学が立て続けに一高を破り、時代は「早慶時代」へと移っていった。両校が対戦する「早慶戦」は、学校関係者のみならず「満都の注目の的」となった。両校の知名度は飛躍的に上がった。今に至るも早慶は「私学の雄」とされ、大学でも別格のステイタスとなっているが、その始まりは「早慶戦」だった。

しかし両校の対立があまりにも加熱したために、1906年、早慶戦は中止されるに至った。

明治末年、野球ブームのあまりの過熱ぶりに「野球は将来ある学生に対して、害毒である」という「野球害毒論」が起こる。東京朝日新聞がこのテーマで連載記事を掲載した。

「野球は巾着切り(スリ)のスポーツ(新渡戸稲造)」
「対外試合のごときは勝負に熱中したり、余り長い時間を費やすなど弊害を伴う(乃木希典)」

これに反対する論陣を張ったのが東京日日新聞、のちの毎日新聞だった。

■ 大阪朝日が部数拡大のために開催した野球大会

大正時代に入り1915年、全国中等学校優勝野球大会が豊中球場で始まった。中等学校は戦後の学制で言えば中学3年から高校2年に相当する。今の高校野球の前身だ。

主催は大阪朝日新聞。朝日新聞と言えば「野球害毒論」を展開したはずだが、それは「東京朝日」であって、大阪は野球擁護の立場だったのだ。

大阪では大阪毎日新聞が急伸しており、大阪朝日は危機感を抱いていた。部数獲得のためにも人気が高まりつつあった野球を利用しようという意向があったようだ。

第一回は10校が本大会に出場し、京都二中が優勝した。翌1916年は、慶應義塾普通部が優勝。昨夏の慶應義塾高の優勝は実にそれ以来107年ぶりだった。

朝日新聞は連日、大会の模様を紙面で伝え、大きな評判を呼んだ。会場の大阪、豊中球場には多くの観客が詰めかけたので、1917年には兵庫県鳴尾の競馬場内に新球場を建設した。しかしこの球場もすぐに満杯になったので、大阪朝日新聞社は阪神電鉄に新球場の建設を提案、運賃収入の増加が見込めるとして阪神電鉄はこの提案に応じ、1924年に阪神甲子園球場が開場した。

各地の中等学校に野球を広めたのは、第一高等学校や早慶、明治学院などで学び、野球を体験したエリート教育者だった。初期の優勝校がいわゆるエリート校だったのは、そうした教員の指導によるところが大きい。

しかし、中等学校野球ブームとともに、次第に商業学校、実業学校や私学などの「野球有名校」が頭角を現す。選手の引き抜きなども行われ、名門中等学校が全国大会に出場できなくなった。

この現状を憂いた中等学校関係者が、大阪毎日新聞に話を持ち掛けて、春休みに行う全国選抜中等学校野球大会が1924年に始まる。翌年からこの大会も甲子園を使用するようになる。「春の甲子園」の始まりだ。

こうした経緯もあり、「春の甲子園」は、「夏」とは違う「独自色」を打ち出そうとした。選考は「野球の強さ」だけでなく「勉学」や「生活態度」なども考慮した。選考委員は候補校に出向いたが「挨拶」や「脱いだ靴をきちんと揃えているか」までチェックしたという。今は前年の秋季地方大会の結果に基づいて候補校を決めるが、それでも選考委員は候補校の視察を実施している。

■ 学生野球の過熱ぶりを懸念、文部省は野球統制令を

明治期から、大学野球は東京と関西では人気スポーツだったが「春夏の甲子園」によって「野球人気」は全国的なものになった。

各地の中等学校など出場資格のある学校に次々と野球部が設立される。開始時の1915年に73校だった夏の甲子園の地方大会参加校は、1925年には302校、1934年には戦前最多の675校になる。

これに刺激を受けて各地の新聞社は、中等学校の下の高等小学校などを対象とした野球大会を開催するようになる。中には、全国大会まで行うものがあった。

朝日が始めた中等学校野球大会に倣って、こうした大会はすべて「トーナメント」だった。日本では、アメリカのようなリーグ戦は大学を除いてはほとんど行われなかった。

しかし学生野球の過熱に懸念を抱いた文部省は1932年「野球ノ統制並施行ニ関スル件(野球統制令)」を発令し、大学、中等学校以下の野球大会に制限をかけた。特に「商業利用」は厳しく規制された。

注目すべきは「野球統制令」を文部省が発令した時に、中等学校には発令を受けるべき野球連盟などの団体が存在しなかったことだ。このために文部省は、春夏の甲子園大会を主催する朝日新聞と毎日新聞に通達した。

つまり戦前の中等学校野球は、新聞社がすべてを取り仕切っていたわけだ。当時、中等学校野球の運営に携わっていた佐伯達夫(のち日本高野連三代目会長)は、自主独立の団体の必要性を痛感し、戦後、日本高等学校野球連盟の設立に奔走することになる。

太平洋戦争の戦局悪化に伴い、1943年には甲子園大会も大学野球もすべて中止になり、戦前の「野球」は中断した。

■ 「なぜ甲子園大会が2つある?  1つでよくないか?」

終戦後、進駐軍がやってきて日本社会はアメリカを中心とする連合国の支配下に入る。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)で民生を担当するウィリアム・マーカット経済科学局長は、セミプロ野球選手だった経歴もあり、野球の振興には積極的だった。

敗戦の翌年である1946年にはプロ野球に続いて中等学校野球の再開も認可したが「なぜ、甲子園大会が2つもあるんだ?  1つでいいじゃないか?」と疑問を呈した。「春の甲子園」の主催者である毎日新聞の本田親男大阪本社編集局長(のち社長)は「春の甲子園には、勝ち抜くことで出場できる夏の甲子園とは異なる意義がある」とマーカット局長を説き伏せて、春の大会の存続を認めさせた。

こうした経緯があるため「春の甲子園」は、今も夏とは違う「独自色」を打ち出す必要があるのだ。「21世紀枠」などはその流れだといえるが、その分、選考過程などに不明瞭な部分があり、毎年のように議論を呼んでいる。

前述のように戦前の反省もあり、佐伯達夫らが奔走して高校野球を統括する団体である全国中等学校野球連盟(のちの日本高等学校野球連盟)が設立された。しかしいきなり独立した組織になったのではなく、朝日新聞と毎日新聞を説得し、設立にこぎつけた。このため当初の事務局は朝日新聞大阪本社内に設けられた。初代日本高野連会長には上野精一朝日新聞社主が就任した。

日本高野連が大阪市西区に「中澤佐伯記念野球会館」を建設し、独立した本拠地を設けるのは1967年になってからだ。ちなみに「中澤佐伯記念野球会館」の名は、日本高野連の設立と基礎作りに多大な貢献があった二代目会長の中澤良夫と三代目会長の佐伯の名前を顕彰してつけられたものである。

■ 甲子園球場の使用料はタダ

現在「春の甲子園」選抜高等学校野球大会は、日本高野連と毎日新聞社が主催、朝日新聞社後援で行われている。「夏の甲子園」全国高等学校野球選手権大会は、日本高野連と朝日新聞社が主催、毎日新聞社後援だ。いずれも阪神甲子園球場が「特別協力」し主催者は無償で球場を使用している。

一方、甲子園の試合は、春はNHKと毎日放送、夏はNHKと朝日放送が中継しているが、主催者側は放映権料を受け取っていない。

いずれも戦前の「野球統制令」以来の「アマチュアリズム」を引きずっている印象がある。

主催者は、甲子園に出場する選手、指導者の交通費、滞在費を負担している。また、甲子園の開場での運営諸費用についても負担している。一部に「甲子園は大人たちの金儲け」の批判はあるが、財政的には厳しく、甲子園の入場料は2022年に大幅に値上げされた。

また、日本高野連はコロナ禍の2021年には朝日新聞社のクラファンサイト「A-port」でクラウドファンディングも実施している。

■ 新聞拡販の武器にはならなくなった高校野球

今も新聞社と高校野球の関係は深い。都道府県高野連の中には、広報窓口を新聞社の運動部記者が代行している地方がある。他のメディアが取材するときには、ライバル新聞社の記者に取材申請することになる。

また出場校がバスで甲子園に向かうときに新聞社の若手記者が同乗し、宿舎に同宿することも多い。密着取材はできるだろうが、例えば喫煙などの不祥事が生じたときに、これを報じることができるのだろうか? 

朝日、毎日両新聞社にとって中等学校野球、高校野球は「新聞拡販」の強力な武器になった。

これに倣って、日本では新聞社がスポーツイベントを主催、運営する例が多くみられる。海外でもなくはないが、このビジネスモデルは日本独特のものだといえる。

しかし100年が経過し、もはや高校野球は新聞の「拡販手段」にはなっていない。そもそも新聞というメディアそのものが限界を迎えている。

アメリカ人に「春夏の甲子園」を説明するときに、「(大学アメフトの頂点の大会である)ローズボウルのようなものだ」と言うと通りがよい。しかし、その人気、盛況ぶりでは共通するものの、ローズボウルでは巨額の放映権などビッグマネーが踊るのに対し、甲子園はあくまで「アマチュアリズム、ボランタリズムの祭典」だ。

「僕に任せてくれれば、高校野球をビッグビジネスにするよ。入場料、物販、ライセンス、放映権などを組み合わせて大きな収益を上げて、野球振興に寄与することができるんだけどなあ」

スポーツビジネスで手腕を振るった経営コンサルタントは筆者にこう言った。

1世紀を経て「高校野球」というビジネスモデルは、再考すべき時期にあるのは間違いないだろう。
2024/09/03(火) 21時28分18秒 No.1353 編集 削除