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💢大会日程変更のお知らせ
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令和6年8月31日(土)の県下高校野球新人戦の準々決勝戦は、台風接近による悪天候が見込まれるため、中止としましたのでお知らせします。なお、試合日を下記のとおり決定しましたので併せてお知らせします。
記
1.日 時 : 令和6年9月2日(月)
2.場 所 : 紀三井寺公園野球場(和歌山市毛見200)
第1試合 8:30 和歌 山東 対 海 南
第2試合 11:00 桐 蔭 対 紀 央 館
第3試合 13:30 初芝 橋本 対 星 林
第4試合 16:00 和歌 山工 対 智辯和歌山
3.その他 : 準々決勝戦以降は有料試合となります。
予備日は9月3日(火)紀三井寺公園野球場です。
📝令和6年度 秋季近畿地区高等学校野球滋賀県大会組み合わせ
http://www.biwa.ne.jp/~shigafed/pdf/R06_at_koushikiyama.pdf
📝「お前、125キロの直球でどう戦うんだよ…」じつは大社高・石飛監督も半信半疑だった「先発、馬庭じゃないよ!」甲子園がざわついた決断…監督が語るウラ側
https://news.yahoo.co.jp/articles/3e93810039814cb17543b546735c5f06cbd2cc73?page=1
今夏の甲子園を最も驚かせた島根県立大社高校。あの「大社旋風」が終わってから数日後、筆者は島根県出雲市の大社高校を訪れた。
島根県北東部、日本海側に鎮座する出雲大社から内陸方向へ車で5分ほど。出雲市大社町にある公立高校の入口付近、学校銘板の横で観光客と思しき家族が記念撮影をしていた。
大社高校が神村学園に敗れた準々決勝から3日が経った。8月22日は同校の始業式の日である。ジャージ姿の石飛文太は、グラスにアイスコーヒーを注ぎながら、感慨深げに言う。まるで、はるか昔に起きた奇跡を回想しているかのような口調だった。
「学校に寄付したいという方々が今も頻繁に来てくれているらしいんですよ。“追い寄付”です。なにせ甲子園で19泊20日しましたから、その分を補うためにって。本当にありがたいことです」
今夏の甲子園、初戦でセンバツ甲子園・準優勝の報徳学園を、2回戦でタイブレークの末に長崎の強豪・創成館を、3回戦で再びタイブレークの末に早稲田実を下した。想定していた期間も予算も超えた甲子園滞在――「大社旋風」を当事者が強く体感したのは、実はそんなところだった。
「僕の采配ミスで負けてきました」
延長11回のタイブレークをサヨナラで勝ち抜いた早稲田実戦後、石飛は相手の監督、和泉実に声をかけられた。ひと言、「強い!」と。本や新聞記事で幾度となく目にしていたあの名将から……そんな感慨はあったが、石飛の内心はこうだった。「うちは強く……ない」。その思いは最後まで変わらなかった。
「ひとつだけ明らかなことは、僕らみたいな格下が安牌で戦っていたら勝てるわけないじゃないですか。初戦の報徳との試合で、先頭バッターの藤原がライト前ヒットで二塁までいったでしょう。内心は『いくんかーい! そしてアウトになるんかーい! 』って思ってたけど、あの感じです。終始、攻めることはできていた。格下は攻めの姿勢がなければ、まず戦えません」
石飛の言葉に徐々に力がこもりはじめる。「うちには優れたアナライザーも、采配で勝たせられる名将もいない。もっと言うと、これまで僕の采配ミスで負けてきました。選手たちに聞いてみてください。謙遜でもなんでもなく事実です。だから彼らは、僕の采配を信頼していなかった。ひしひしと感じるんですよ。そこで打たすんかい、バントかい、走らすんかい、みたいな冷たーい視線を。それが嫌だから、基本的にサインを出す前にベンチの選手に聞くんです。『ここどうする? 』『バントにする? それとも打つ? 』って」
まるで草野球チームのようではないか。監督と選手が相談して采配を決める。それも42歳の監督が18歳の高校生に、である。本当だろうか。
「みんなごめーん! 俺が全部悪いけぇ」
1番センター・藤原佑に尋ねる。「本当ですよ」と、こともなげに言った。
「今の采配は違うんじゃないか……以前はそう思ったり、チームメイト同士で話したりしても、監督に直接言う選手はいませんでした。そしたら監督からある時『意見があるなら直接言ってきてほしい』と。それがチームの方針になりました。試合中でも監督にサインの意図を聞く。あるいは『バントがいいんじゃないですか』と言ったり。監督のサインが外れた時ですか? 『みんなごめーん! 俺が全部悪いけぇ』と選手に謝ってくれます。うちでは普通の光景です」
続けて聞いた2番ショート・藤江龍之介は石飛の人物像をこう評する。
「(大人なので)プライドもあると思います……それでも選手の声を受け入れてくれる人です」
早稲田実戦の前日、石飛はこう言っていた。「うちはいわゆる強豪校の監督と選手のような間柄ではない」「僕は選手から信頼されてない」。その発言の意味を少しだけ理解できた気がした。
「よっしゃぁ、俺は勝ったんだ」
だがこの夏、選手から監督へ、ひとつの裏切りがあった。2回戦、創成館戦でのことだ。スコアは2-3の1点ビハインド。8回表1死二、三塁のチャンス。打席に立つ8番・園山純正にどんなサインを出すべきか。迷う石飛に、それまで良き相談相手だったはずの藤江から、想定外の言葉が飛び出した。
「監督さんのチームなんで監督さんが決めてください!」
石飛は動揺した。が、それを隠して言い切った。「よっしゃ任せとけ!」。藤江の目には、石飛が覚悟を決めたように映った。石飛が内心を明かす。
「参りましたよ。おいいい、お前こんな場面で俺に任すなよ、って。でも、思い切ってスクイズを出して、見事に決まってくれた。采配が当たった瞬間? 安堵なんてもんじゃないです。よっしゃぁ、よっしゃぁ。俺は勝ったんだ。自分に勝ったぞーーーって。叫びそうでした」
甲子園の間、このスクイズがことごとく決まった。はじめて石飛が満足げな表情を浮かべる。
「この夏、選手たちは少しずつ僕の采配を信用してくれるようになったかもしれないです。ひとつ後悔があるとすれば早稲田実戦の9回裏。あの5人シフトのシーンですね。藤江に『気にせず打て』と声をかけたんだけど、気にせず打った結果、シフトに引っ掛かった。もっと気にすればよかったなと。あの場面こそスクイズだったのかもしれないですね」
「明日いけるか?」「いけます」「マジで?」
石飛にとって最大の賭けは、準々決勝の神村学園戦、その試合前にあった。「今日の先発、馬庭(優太)じゃないよ!」。知り合いの記者も興奮気味に話しかけてきた、あの決断である。それまで投げ続けてきたエースを先発させなかったのだ。
「それまでずっと、投手陣のキーマンは岸(恒介)。全幅の信頼を置いている、とメディアにも選手たちにも言い続けてました。そうは言っても、いざ投げさせるとなると緊張して。前日に『いけるか(抑えられるか)? 明日』と岸に聞いたら『はい、いけます』と。僕が聞いたくせに驚いちゃって。『いける? マジで? 125キロの直球でどう戦うんだよ……』と思っていたら、はっきり言われたんです。『低めにボールを集めればいけます』と。
それで実際、初回を三者凡退に抑えたでしょう。僕の投手交代のタイミング次第では試合も違った展開になったかもしれないんですけど。投手が敗因という雰囲気にはならなかった。そこが救いですね。にしても、神村学園相手にいきなり、あんなに堂々と投げられますか?」
「お、抑えた……」。1回表の終了直後、球場に広がった歓声は、そんな驚きと安堵が含まれていた。
「自分は球歴がしょぼいので…」
石飛は質問に応える際、こんな枕詞をよく使う。
「自分は球歴(野球のキャリア)がしょぼいので」「名将だったら勝たせられるんですけど」「格下なんで」。最初は内に秘めた自信を隠すための謙遜かと思っていた。が、今ならわかる。どれも本心だったのだ。戦略でも心理戦でもなく、どこまでも等身大の思考で、迷い続けていた。
「『こういうチームにする』みたいなことを、僕が考えるのはやめました。無理なので。選手たちが『なにがなんでも甲子園』って言うんだったら、僕がそのためにどうあるべきか考えるだけです」
しかし、石飛は名将路線を諦めているわけではないという。「いつかはなりたいけど……いや、密かに名将を目指しながら、采配が決まったときに『ほらな』って言ったりして」。こんな監督でいいのか。選手に采配を信用されていないような監督で。大いに迷いを滲ませながら、しかし、そんな自分を俯瞰して笑い飛ばす。
高校野球の強豪監督はよくこんなニュアンスの発言をする。「高校球児は甲子園で伸びる」。だがこの夏の大社を見て、こうも思う。大人だって甲子園で伸びる。
📝「あれは“誤報”だった」大社高スピードスター藤原佑“プロ志望届提出”のニュース…本人が記者に明かした「いや、出してないけぇ」大社旋風のその後
https://news.yahoo.co.jp/articles/0c73dadbf3ef5d2c9eb6e2d00e65b7e89907e4bf
「あ、甲子園エラーや!」
8月22日、大社高校。始業式を終えた選手たちがグラウンドに姿を現す。主に1、2年生である。引退直後の3年生たちはジャージ姿で遅れて登場する。「SNSで変な投稿を上げたりしないでな。頼むぞ!」。監督室の前で石飛文太が話しかける。
不思議だ。目前にいるジャージ姿の選手たちはどこにでもいる高校生といった雰囲気であるが、甲子園に立つ彼らは大人びて見えた。エラーが許されない、1点取らなければ負ける、そんな状況でも落ち着いた表情でプレーしていたせいだろうか。
「今日教室に入ったら『あ、甲子園エラーや! 』って女子からイジられました」
発言の主は1番センター、藤原佑である。早稲田実戦、7回にセンター前安打を後逸した。持ち前の俊足で追いかけるも、ボールはバックスクリーンまで転がり1点を失った。「負けてたらたぶん、野球やめてたと思います」。あの試合後、勝利に沸く大社メンバーの中で、藤原だけがしゃくりあげながら報道対応をしていた光景が思い出される。
甲子園を終えた今、藤原にこのシーンについて聞きたかったわけではない。ある真偽を確かめたかった。
「いや、出してないけぇ」
大社の藤原佑がプロ志望届を出す意向――そんなニュースが準々決勝直後に報じられた。プロ球団からドラフト指名されるために選手が提出するプロ志望届の期限は、昨年の場合、10月12日だった。ドラフト会議の2週間前である。それゆえ驚いた。こんなに早いタイミングで本当に、藤原本人が「プロ志望届を出す」と発言したのだろうか。
「いろんな人に言われました。本当に出したの? って。いや、出してないけぇ……と。自分の意図としてはこの先、社会人に行きたい。その上でもプロに行くチャンスがあれば、いつかたどり着きたい舞台という意味で答えたんですけど」
監督の石飛が苦笑しながら話す。「進路を尋ねられたら『監督と相談して決めます』。これが強豪校の決め台詞でしょう。それがわからんから。藤原は『プロを目指す』とは言ったけど、『志望届を出します』とは断言してないと思うんですよ。だって普通に考えて、なんでもないセンター前ヒットを後逸してるやつが『出します』なんて言うわけないでしょう。ただ(プロ志望届などの)仕組みがわからんけえね、正直」
藤原と石飛によれば、プロ志望届は8月現在「提出しない」方針だという。
「エレベーターにも慣れてない」
大社の選手たちはじつに自然体だった。言い換えれば“作り込まれていないチーム”だった。石飛によれば大社の良さは「弟がチームに来ること」にある。姉や兄が大社の野球部となれば、その弟がほぼ100%大社に来る。地元の選手たち中心のチーム、「先輩に『さん』付けてなかったら注意しますよ!」程度の緩やかな上下関係、島根県内の遠方に住む選手のために用意された寮……そんな環境が弟たちの目に好ましく映るのだろう。
甲子園期間中、大社らしいこんなエピソードがあった。同じホテルに神奈川の名門、東海大相模が宿泊していた。
「ホテルへの慣れ、みたいなところで随分と差がありましたよ。エレベーターを使うときも、相模の子は『お疲れ様です。どうぞ! 』と僕なんかに譲ってくれるわけです。ところがうちの選手ときたら、そんなこと気にせず乗り込む。お前らちょっと待て、と。まあ、うちの遠征といったらいつも『青少年自然の家』なので、エレベーターに乗ることも多くないから仕方ない面もあるんですけど」
大社が世間から支持を得た理由――それは“隠しきれない素朴さ”にあると筆者は思う。地方の公立校、強豪校と比べて身体も一回り小さい選手たち……今の時代、そんなチームが勝ち上がるなんてことが起きうるのか、と。
「田舎くさくて人間くさくて……それはいいんですよ。いいんですけど、発言が誤解を招いたり、わからんことが失礼にあたったりするから。選手たちに言わんといけんですね。子どもだからまだ……と思うところと、大人のところをわからせなきゃいけんなと思うところとね、バランスが難しいです」
監督「いま僕、町を歩けないんです」
勝ったことで環境が変わったのは選手たちだけではない。監督もそうだった。
「いま僕、町を歩けないんです。冗談だと思うでしょう? 先日も買い物に行ったら30人くらいに囲まれて。『写真撮ってください。生きる活力をいただいたので』って。一緒に写真を撮ったりすると、調子に乗ってると思われそうですよね。やけど、断ったら『その方の生きる活力はどうなるや!? 』って」
地元民の証言も“大社旋風”を裏付ける。出雲大社近くの神門通り。土産店を営む70代男性は言う。「お盆が終わってもこの夏はお客さんが減らない。大社がこんなに取り上げられる日がくるなんてね。ほんと夢みたいです。早稲田実戦の(11回裏)あのバント……ラジオで聞いてたんだけど、あとでビデオで見て驚いちゃって。あれは芸術ですよ。最後に馬庭(優太)くんまで打順が回って。それが全部現実なんだもん……わんわん泣いちゃった。甲子園出場だけでもうれしいのに、ベスト8なんて……。この看板の横に『感動をありがとう! 』って、付け足そうか迷っています」
「この商店街でパレードしてほしい」
この夏、大社は高校野球界で全国的な知名度を得た。これまで石飛が直電で申し込んでいたという練習試合も、断られることが減るだろう。あの大社と試合がしたい、と。しかし、「一歩間違えれば調子乗っちゃいますよ」石飛は苦笑いを浮かべる。
新チームへの影響は「まったくない」と言うが、どこか自分に言い聞かせているようにも見えた。その証拠にさっそく、新たに生まれた不安を吐露する。
「甲子園で勝ちましたよね。選手たちとサインを相談していたなんて裏事情を知らない1年生とかが、僕の采配を信じ切っちゃうチームになるかもしれなくて。それが怖い……。新チームでミーティングして驚いちゃって。選手みんな、めっちゃ僕の話を聞くんですもん。『えっ、そこまで真剣に聞く? 』みたいな。甲子園前はもっと適当に聞いてたやん!」
かたや、先述の男性は無邪気な喜びをあふれさせ、こんなリクエストまでしていた。「石飛監督に会ったら、伝えておいてください。この商店街でパレードしてほしい、って。いつでもいいからさ」。
盛夏の熱狂の余韻と、秋に向かう不安と。これが島根の小さな町で見た、ひと夏の情景であった。
👣「めっちゃ遠くに見える…」東海大相模の夏の終わり U18のエース、マネジャー…それぞれの夢へ―
https://news.yahoo.co.jp/articles/8eb570fa9281829f328391bbfcb763d58022bc00
◇侍ジャパンU18壮行試合 高校日本代表1―7大学日本代表(2024年8月28日 ほっともっと神戸)
9月2日から台湾で開催される「第13回BFA U18アジア選手権」に出場する高校日本代表は28日、大学日本代表との壮行試合(ほっと神戸)に臨み、1―7で敗れた。今夏の甲子園大会で8強入りした東海大相模(神奈川)のエース左腕で身長1メートル98の藤田琉生投手(3年)は6回途中から4番手で登板。1回1/3を3失点だったが、自己最速を1キロ更新する大台の150キロをマークした。
今春までは平均球速が140キロ前半だった藤田は急成長で今夏、東海大相模を5年ぶりの夏の甲子園出場に導いた。
マネジャー、記録員として支えてきた岡村日和さん(3年)はこの日、小学生の弟とともに三塁側内野席で観戦。三重に帰省中だったが、「藤田が投げるって聞いたので」と3時間30分もかけて駆けつけた。大学生相手に限界を超える150キロをマークしたエースに「あんなに近くにいた藤田がめっちゃ遠くにいる存在に見える。改めて凄いなって感じました」。トレードマークの笑顔を咲かせた。
高校最後の夏、忘れられない夏になった。岡村マネジャーは、当時中3だった21年の選抜大会で東海大相模が日本一に輝き、強い憧れを抱いた。三重から越境入学し「タテジマ」の一員に。原監督からチームへの貢献度を認められ今春から公式戦のベンチ入り。今夏の甲子園では東海大相模の女子部員では初となる記録員としてベンチ入りした。
準々決勝で関東第一に敗れるまでに戦った3試合。「終わってみたらあっという間で。でも誰よりも高校生活を楽しめた自信があります」と振り返る。裏方として貢献するマネジャーには選手のような「完封勝利」や「本塁打」のような努力が目に見えて報われる瞬間は少ない。それでも最後の夏に東海大相模の一員として甲子園でスコアを記した思い出は一生の宝物だ。
今後は東海大に進学予定で、将来の夢はウエディングプランナー。「自分で考えて、自分で動く」マネジャーとして過ごした2年半は今後の人生で大きな武器になる。台湾で「ジャパン」を背負う藤田には「緊張せずいつも通り投げれば絶対に大丈夫!」とエールを送った。
「藤田は顔が怖いんですけどアレが普通なので。いたずらっぽいところもあるんで、本当はかわいいヤツなんです」と岡村さん。青春を燃やした夏が終わり、少し大人になった横顔で言った。
📝決勝は中京―仙台商 全国高校軟式野球
https://news.yahoo.co.jp/articles/19cf10a98409a170f61db076eab5687913a5ad4e
第69回全国高校軟式野球選手権大会は29日、兵庫県の明石トーカロ球場で準決勝2試合が行われ、30日の決勝は3連覇を狙う中京(東海・岐阜)と仙台商(東東北・宮城)の顔合わせとなった。
中京は能代(西東北・秋田)に19―0で圧勝。仙台商は開新(南部九州・熊本)を3―1で破った。
https://www.whbf.jp/uploads/20240829114709_MLJ4.pdf
令和6年8月31日(土)の県下高校野球新人戦の準々決勝戦は、台風接近による悪天候が見込まれるため、中止としましたのでお知らせします。なお、試合日を下記のとおり決定しましたので併せてお知らせします。
記
1.日 時 : 令和6年9月2日(月)
2.場 所 : 紀三井寺公園野球場(和歌山市毛見200)
第1試合 8:30 和歌 山東 対 海 南
第2試合 11:00 桐 蔭 対 紀 央 館
第3試合 13:30 初芝 橋本 対 星 林
第4試合 16:00 和歌 山工 対 智辯和歌山
3.その他 : 準々決勝戦以降は有料試合となります。
予備日は9月3日(火)紀三井寺公園野球場です。
📝令和6年度 秋季近畿地区高等学校野球滋賀県大会組み合わせ
http://www.biwa.ne.jp/~shigafed/pdf/R06_at_koushikiyama.pdf
📝「お前、125キロの直球でどう戦うんだよ…」じつは大社高・石飛監督も半信半疑だった「先発、馬庭じゃないよ!」甲子園がざわついた決断…監督が語るウラ側
https://news.yahoo.co.jp/articles/3e93810039814cb17543b546735c5f06cbd2cc73?page=1
今夏の甲子園を最も驚かせた島根県立大社高校。あの「大社旋風」が終わってから数日後、筆者は島根県出雲市の大社高校を訪れた。
島根県北東部、日本海側に鎮座する出雲大社から内陸方向へ車で5分ほど。出雲市大社町にある公立高校の入口付近、学校銘板の横で観光客と思しき家族が記念撮影をしていた。
大社高校が神村学園に敗れた準々決勝から3日が経った。8月22日は同校の始業式の日である。ジャージ姿の石飛文太は、グラスにアイスコーヒーを注ぎながら、感慨深げに言う。まるで、はるか昔に起きた奇跡を回想しているかのような口調だった。
「学校に寄付したいという方々が今も頻繁に来てくれているらしいんですよ。“追い寄付”です。なにせ甲子園で19泊20日しましたから、その分を補うためにって。本当にありがたいことです」
今夏の甲子園、初戦でセンバツ甲子園・準優勝の報徳学園を、2回戦でタイブレークの末に長崎の強豪・創成館を、3回戦で再びタイブレークの末に早稲田実を下した。想定していた期間も予算も超えた甲子園滞在――「大社旋風」を当事者が強く体感したのは、実はそんなところだった。
「僕の采配ミスで負けてきました」
延長11回のタイブレークをサヨナラで勝ち抜いた早稲田実戦後、石飛は相手の監督、和泉実に声をかけられた。ひと言、「強い!」と。本や新聞記事で幾度となく目にしていたあの名将から……そんな感慨はあったが、石飛の内心はこうだった。「うちは強く……ない」。その思いは最後まで変わらなかった。
「ひとつだけ明らかなことは、僕らみたいな格下が安牌で戦っていたら勝てるわけないじゃないですか。初戦の報徳との試合で、先頭バッターの藤原がライト前ヒットで二塁までいったでしょう。内心は『いくんかーい! そしてアウトになるんかーい! 』って思ってたけど、あの感じです。終始、攻めることはできていた。格下は攻めの姿勢がなければ、まず戦えません」
石飛の言葉に徐々に力がこもりはじめる。「うちには優れたアナライザーも、采配で勝たせられる名将もいない。もっと言うと、これまで僕の采配ミスで負けてきました。選手たちに聞いてみてください。謙遜でもなんでもなく事実です。だから彼らは、僕の采配を信頼していなかった。ひしひしと感じるんですよ。そこで打たすんかい、バントかい、走らすんかい、みたいな冷たーい視線を。それが嫌だから、基本的にサインを出す前にベンチの選手に聞くんです。『ここどうする? 』『バントにする? それとも打つ? 』って」
まるで草野球チームのようではないか。監督と選手が相談して采配を決める。それも42歳の監督が18歳の高校生に、である。本当だろうか。
「みんなごめーん! 俺が全部悪いけぇ」
1番センター・藤原佑に尋ねる。「本当ですよ」と、こともなげに言った。
「今の采配は違うんじゃないか……以前はそう思ったり、チームメイト同士で話したりしても、監督に直接言う選手はいませんでした。そしたら監督からある時『意見があるなら直接言ってきてほしい』と。それがチームの方針になりました。試合中でも監督にサインの意図を聞く。あるいは『バントがいいんじゃないですか』と言ったり。監督のサインが外れた時ですか? 『みんなごめーん! 俺が全部悪いけぇ』と選手に謝ってくれます。うちでは普通の光景です」
続けて聞いた2番ショート・藤江龍之介は石飛の人物像をこう評する。
「(大人なので)プライドもあると思います……それでも選手の声を受け入れてくれる人です」
早稲田実戦の前日、石飛はこう言っていた。「うちはいわゆる強豪校の監督と選手のような間柄ではない」「僕は選手から信頼されてない」。その発言の意味を少しだけ理解できた気がした。
「よっしゃぁ、俺は勝ったんだ」
だがこの夏、選手から監督へ、ひとつの裏切りがあった。2回戦、創成館戦でのことだ。スコアは2-3の1点ビハインド。8回表1死二、三塁のチャンス。打席に立つ8番・園山純正にどんなサインを出すべきか。迷う石飛に、それまで良き相談相手だったはずの藤江から、想定外の言葉が飛び出した。
「監督さんのチームなんで監督さんが決めてください!」
石飛は動揺した。が、それを隠して言い切った。「よっしゃ任せとけ!」。藤江の目には、石飛が覚悟を決めたように映った。石飛が内心を明かす。
「参りましたよ。おいいい、お前こんな場面で俺に任すなよ、って。でも、思い切ってスクイズを出して、見事に決まってくれた。采配が当たった瞬間? 安堵なんてもんじゃないです。よっしゃぁ、よっしゃぁ。俺は勝ったんだ。自分に勝ったぞーーーって。叫びそうでした」
甲子園の間、このスクイズがことごとく決まった。はじめて石飛が満足げな表情を浮かべる。
「この夏、選手たちは少しずつ僕の采配を信用してくれるようになったかもしれないです。ひとつ後悔があるとすれば早稲田実戦の9回裏。あの5人シフトのシーンですね。藤江に『気にせず打て』と声をかけたんだけど、気にせず打った結果、シフトに引っ掛かった。もっと気にすればよかったなと。あの場面こそスクイズだったのかもしれないですね」
「明日いけるか?」「いけます」「マジで?」
石飛にとって最大の賭けは、準々決勝の神村学園戦、その試合前にあった。「今日の先発、馬庭(優太)じゃないよ!」。知り合いの記者も興奮気味に話しかけてきた、あの決断である。それまで投げ続けてきたエースを先発させなかったのだ。
「それまでずっと、投手陣のキーマンは岸(恒介)。全幅の信頼を置いている、とメディアにも選手たちにも言い続けてました。そうは言っても、いざ投げさせるとなると緊張して。前日に『いけるか(抑えられるか)? 明日』と岸に聞いたら『はい、いけます』と。僕が聞いたくせに驚いちゃって。『いける? マジで? 125キロの直球でどう戦うんだよ……』と思っていたら、はっきり言われたんです。『低めにボールを集めればいけます』と。
それで実際、初回を三者凡退に抑えたでしょう。僕の投手交代のタイミング次第では試合も違った展開になったかもしれないんですけど。投手が敗因という雰囲気にはならなかった。そこが救いですね。にしても、神村学園相手にいきなり、あんなに堂々と投げられますか?」
「お、抑えた……」。1回表の終了直後、球場に広がった歓声は、そんな驚きと安堵が含まれていた。
「自分は球歴がしょぼいので…」
石飛は質問に応える際、こんな枕詞をよく使う。
「自分は球歴(野球のキャリア)がしょぼいので」「名将だったら勝たせられるんですけど」「格下なんで」。最初は内に秘めた自信を隠すための謙遜かと思っていた。が、今ならわかる。どれも本心だったのだ。戦略でも心理戦でもなく、どこまでも等身大の思考で、迷い続けていた。
「『こういうチームにする』みたいなことを、僕が考えるのはやめました。無理なので。選手たちが『なにがなんでも甲子園』って言うんだったら、僕がそのためにどうあるべきか考えるだけです」
しかし、石飛は名将路線を諦めているわけではないという。「いつかはなりたいけど……いや、密かに名将を目指しながら、采配が決まったときに『ほらな』って言ったりして」。こんな監督でいいのか。選手に采配を信用されていないような監督で。大いに迷いを滲ませながら、しかし、そんな自分を俯瞰して笑い飛ばす。
高校野球の強豪監督はよくこんなニュアンスの発言をする。「高校球児は甲子園で伸びる」。だがこの夏の大社を見て、こうも思う。大人だって甲子園で伸びる。
📝「あれは“誤報”だった」大社高スピードスター藤原佑“プロ志望届提出”のニュース…本人が記者に明かした「いや、出してないけぇ」大社旋風のその後
https://news.yahoo.co.jp/articles/0c73dadbf3ef5d2c9eb6e2d00e65b7e89907e4bf
「あ、甲子園エラーや!」
8月22日、大社高校。始業式を終えた選手たちがグラウンドに姿を現す。主に1、2年生である。引退直後の3年生たちはジャージ姿で遅れて登場する。「SNSで変な投稿を上げたりしないでな。頼むぞ!」。監督室の前で石飛文太が話しかける。
不思議だ。目前にいるジャージ姿の選手たちはどこにでもいる高校生といった雰囲気であるが、甲子園に立つ彼らは大人びて見えた。エラーが許されない、1点取らなければ負ける、そんな状況でも落ち着いた表情でプレーしていたせいだろうか。
「今日教室に入ったら『あ、甲子園エラーや! 』って女子からイジられました」
発言の主は1番センター、藤原佑である。早稲田実戦、7回にセンター前安打を後逸した。持ち前の俊足で追いかけるも、ボールはバックスクリーンまで転がり1点を失った。「負けてたらたぶん、野球やめてたと思います」。あの試合後、勝利に沸く大社メンバーの中で、藤原だけがしゃくりあげながら報道対応をしていた光景が思い出される。
甲子園を終えた今、藤原にこのシーンについて聞きたかったわけではない。ある真偽を確かめたかった。
「いや、出してないけぇ」
大社の藤原佑がプロ志望届を出す意向――そんなニュースが準々決勝直後に報じられた。プロ球団からドラフト指名されるために選手が提出するプロ志望届の期限は、昨年の場合、10月12日だった。ドラフト会議の2週間前である。それゆえ驚いた。こんなに早いタイミングで本当に、藤原本人が「プロ志望届を出す」と発言したのだろうか。
「いろんな人に言われました。本当に出したの? って。いや、出してないけぇ……と。自分の意図としてはこの先、社会人に行きたい。その上でもプロに行くチャンスがあれば、いつかたどり着きたい舞台という意味で答えたんですけど」
監督の石飛が苦笑しながら話す。「進路を尋ねられたら『監督と相談して決めます』。これが強豪校の決め台詞でしょう。それがわからんから。藤原は『プロを目指す』とは言ったけど、『志望届を出します』とは断言してないと思うんですよ。だって普通に考えて、なんでもないセンター前ヒットを後逸してるやつが『出します』なんて言うわけないでしょう。ただ(プロ志望届などの)仕組みがわからんけえね、正直」
藤原と石飛によれば、プロ志望届は8月現在「提出しない」方針だという。
「エレベーターにも慣れてない」
大社の選手たちはじつに自然体だった。言い換えれば“作り込まれていないチーム”だった。石飛によれば大社の良さは「弟がチームに来ること」にある。姉や兄が大社の野球部となれば、その弟がほぼ100%大社に来る。地元の選手たち中心のチーム、「先輩に『さん』付けてなかったら注意しますよ!」程度の緩やかな上下関係、島根県内の遠方に住む選手のために用意された寮……そんな環境が弟たちの目に好ましく映るのだろう。
甲子園期間中、大社らしいこんなエピソードがあった。同じホテルに神奈川の名門、東海大相模が宿泊していた。
「ホテルへの慣れ、みたいなところで随分と差がありましたよ。エレベーターを使うときも、相模の子は『お疲れ様です。どうぞ! 』と僕なんかに譲ってくれるわけです。ところがうちの選手ときたら、そんなこと気にせず乗り込む。お前らちょっと待て、と。まあ、うちの遠征といったらいつも『青少年自然の家』なので、エレベーターに乗ることも多くないから仕方ない面もあるんですけど」
大社が世間から支持を得た理由――それは“隠しきれない素朴さ”にあると筆者は思う。地方の公立校、強豪校と比べて身体も一回り小さい選手たち……今の時代、そんなチームが勝ち上がるなんてことが起きうるのか、と。
「田舎くさくて人間くさくて……それはいいんですよ。いいんですけど、発言が誤解を招いたり、わからんことが失礼にあたったりするから。選手たちに言わんといけんですね。子どもだからまだ……と思うところと、大人のところをわからせなきゃいけんなと思うところとね、バランスが難しいです」
監督「いま僕、町を歩けないんです」
勝ったことで環境が変わったのは選手たちだけではない。監督もそうだった。
「いま僕、町を歩けないんです。冗談だと思うでしょう? 先日も買い物に行ったら30人くらいに囲まれて。『写真撮ってください。生きる活力をいただいたので』って。一緒に写真を撮ったりすると、調子に乗ってると思われそうですよね。やけど、断ったら『その方の生きる活力はどうなるや!? 』って」
地元民の証言も“大社旋風”を裏付ける。出雲大社近くの神門通り。土産店を営む70代男性は言う。「お盆が終わってもこの夏はお客さんが減らない。大社がこんなに取り上げられる日がくるなんてね。ほんと夢みたいです。早稲田実戦の(11回裏)あのバント……ラジオで聞いてたんだけど、あとでビデオで見て驚いちゃって。あれは芸術ですよ。最後に馬庭(優太)くんまで打順が回って。それが全部現実なんだもん……わんわん泣いちゃった。甲子園出場だけでもうれしいのに、ベスト8なんて……。この看板の横に『感動をありがとう! 』って、付け足そうか迷っています」
「この商店街でパレードしてほしい」
この夏、大社は高校野球界で全国的な知名度を得た。これまで石飛が直電で申し込んでいたという練習試合も、断られることが減るだろう。あの大社と試合がしたい、と。しかし、「一歩間違えれば調子乗っちゃいますよ」石飛は苦笑いを浮かべる。
新チームへの影響は「まったくない」と言うが、どこか自分に言い聞かせているようにも見えた。その証拠にさっそく、新たに生まれた不安を吐露する。
「甲子園で勝ちましたよね。選手たちとサインを相談していたなんて裏事情を知らない1年生とかが、僕の采配を信じ切っちゃうチームになるかもしれなくて。それが怖い……。新チームでミーティングして驚いちゃって。選手みんな、めっちゃ僕の話を聞くんですもん。『えっ、そこまで真剣に聞く? 』みたいな。甲子園前はもっと適当に聞いてたやん!」
かたや、先述の男性は無邪気な喜びをあふれさせ、こんなリクエストまでしていた。「石飛監督に会ったら、伝えておいてください。この商店街でパレードしてほしい、って。いつでもいいからさ」。
盛夏の熱狂の余韻と、秋に向かう不安と。これが島根の小さな町で見た、ひと夏の情景であった。
👣「めっちゃ遠くに見える…」東海大相模の夏の終わり U18のエース、マネジャー…それぞれの夢へ―
https://news.yahoo.co.jp/articles/8eb570fa9281829f328391bbfcb763d58022bc00
◇侍ジャパンU18壮行試合 高校日本代表1―7大学日本代表(2024年8月28日 ほっともっと神戸)
9月2日から台湾で開催される「第13回BFA U18アジア選手権」に出場する高校日本代表は28日、大学日本代表との壮行試合(ほっと神戸)に臨み、1―7で敗れた。今夏の甲子園大会で8強入りした東海大相模(神奈川)のエース左腕で身長1メートル98の藤田琉生投手(3年)は6回途中から4番手で登板。1回1/3を3失点だったが、自己最速を1キロ更新する大台の150キロをマークした。
今春までは平均球速が140キロ前半だった藤田は急成長で今夏、東海大相模を5年ぶりの夏の甲子園出場に導いた。
マネジャー、記録員として支えてきた岡村日和さん(3年)はこの日、小学生の弟とともに三塁側内野席で観戦。三重に帰省中だったが、「藤田が投げるって聞いたので」と3時間30分もかけて駆けつけた。大学生相手に限界を超える150キロをマークしたエースに「あんなに近くにいた藤田がめっちゃ遠くにいる存在に見える。改めて凄いなって感じました」。トレードマークの笑顔を咲かせた。
高校最後の夏、忘れられない夏になった。岡村マネジャーは、当時中3だった21年の選抜大会で東海大相模が日本一に輝き、強い憧れを抱いた。三重から越境入学し「タテジマ」の一員に。原監督からチームへの貢献度を認められ今春から公式戦のベンチ入り。今夏の甲子園では東海大相模の女子部員では初となる記録員としてベンチ入りした。
準々決勝で関東第一に敗れるまでに戦った3試合。「終わってみたらあっという間で。でも誰よりも高校生活を楽しめた自信があります」と振り返る。裏方として貢献するマネジャーには選手のような「完封勝利」や「本塁打」のような努力が目に見えて報われる瞬間は少ない。それでも最後の夏に東海大相模の一員として甲子園でスコアを記した思い出は一生の宝物だ。
今後は東海大に進学予定で、将来の夢はウエディングプランナー。「自分で考えて、自分で動く」マネジャーとして過ごした2年半は今後の人生で大きな武器になる。台湾で「ジャパン」を背負う藤田には「緊張せずいつも通り投げれば絶対に大丈夫!」とエールを送った。
「藤田は顔が怖いんですけどアレが普通なので。いたずらっぽいところもあるんで、本当はかわいいヤツなんです」と岡村さん。青春を燃やした夏が終わり、少し大人になった横顔で言った。
📝決勝は中京―仙台商 全国高校軟式野球
https://news.yahoo.co.jp/articles/19cf10a98409a170f61db076eab5687913a5ad4e
第69回全国高校軟式野球選手権大会は29日、兵庫県の明石トーカロ球場で準決勝2試合が行われ、30日の決勝は3連覇を狙う中京(東海・岐阜)と仙台商(東東北・宮城)の顔合わせとなった。
中京は能代(西東北・秋田)に19―0で圧勝。仙台商は開新(南部九州・熊本)を3―1で破った。