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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
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お知らせ

編集済
⚾今日の熱闘甲子園試合結果(準々決勝)
12日目第1試合 関東一(東東京)-東海大相模(神奈川) 8:01~9:55
          一二三四五六七八九十計HE
      関 東 一000000101 271
      東海相模000000001 140

12日目第2試合 滋賀学園(滋賀)-青森山田(青森) 10:30~12:18
          一二三四五六七八九十計HE
      滋賀学園000000000 090
      青森山田00000010X 141

12日目第3試合 京都国際(京都)-智弁学園(奈良) 12:55~14:56
          一二三四五六七八九十計HE
      智弁学園000000000 063
      京都国際00021010X 4111

12日目第4試合 大社(島根)-神村学園(鹿児島) 15:31~18:11 17:03点灯 6回表から
          一二三四五六七八九十計HE
      神村学園010110410 8121
      大  社100100000 292

📝令和6年度秋季近畿地区高等学校野球大会奈良県予選
組み合わせ
http://www1.kcn.ne.jp/~nhsbbf/public_html/2024aki-kumiawase2.pdf

📝大社の監督・石飛文太(42歳)とは何者か?「文ちゃんの高校時代なあ…プレーの印象ないな」“あの神バント”安松大希が地元記者に語った「ある言葉」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3c62e10f866ccfadd1e62a2754b6c0f56bcd0226

32年ぶりの甲子園出場、63年ぶりの夏勝利、107年ぶりの夏2勝、93年ぶりの夏8強……。勝ち進むごとに登場する数字が、島根代表の大社が古豪であると同時に、長らく全国舞台と縁がなかったことを感じさせる。

第1回の地方大会から皆勤出場を続け、毎年のように島根県内の公式戦で上位に進出しながらも、甲子園から遠ざかっていた。勝ちあぐねていた名門を復活出場、甲子園での躍進に導いたのが、監督の石飛文太(42歳)である。

「プレーの印象はないな…」石飛文太とは何者か?
「松坂世代」の1学年下になる、1981年生まれの42歳。前回、大社が甲子園に出場した1992年当時は、小学5年生だった。小学3年から所属した地元のスポーツ少年団の先輩がレギュラーとして甲子園の土を踏み、「出てるじゃん!」と沸いた。知っている顔が甲子園で安打を放てば、当然興奮する。「大社で甲子園に行く」。その時点で決意が固まった。

初志貫徹で大社に入学し、自身最後の夏は背番号4をつかんだが、選手としての実績が語られることは多くない。長年、大社野球部の戦いを見守ってきた、あるOBが言う。

「文ちゃんの高校時代なあ。元気とガッツはあったな。背番号4だったけど、試合は2けた背番号の後輩が出とったけん、正直プレーの印象はないな」

全国的にはあまりなじみがなく、「いしとぶ」と誤読されることも少なくない「石飛(いしとび)」姓だが、大社のある出雲市ではポピュラーな姓である。前監督も別の石飛だったり、大社OBには複数の石飛がいるため、先輩OBからは「文太」「文ちゃん」などと呼ばれるのが常だ。

在学中に憧れ続けた甲子園に手が届かず。1けた背番号を手にしながらも、選手としてやりきれなかった思いも残った。二つの悔しさから、指導者を志し、進学した姫路独協大で準硬式野球を続けながら、国語の教員免許を取得した。本人も認めるように、決して“エリート”然とした野球人生ではない。

卒業後は県内の私立高である出雲西のコーチとしてキャリアを積み、公立校の教員となった2011年から母校である大社のコーチを約5年間務めた。

その後、他校の卓球部顧問を務めた後、2020年の人事異動で再び大社へ。部長を経て、同年秋から監督に昇格している。監督就任5年目でつかんだ、32年ぶりの出場だった。この32年の時間について、石飛はこう語っていた。

「選手として3年。コーチとして5年。監督として今年が5年目なので、外から見ている時期がありながらも、32年の半分ぐらいは関わっていることになります。やっぱり、監督として中に入ることで感じた難しさやもどかしさがありました」

エース馬庭優太はなぜ大社に?
 
先述の通り、第1回の夏の地方大会から出場を続ける伝統校。勝ち上がるとともに「公立校が見せる快進撃」の見出しが躍るが、県内の公立校では唯一の体育科があり、例年入学する選手の質は県内でも上位だ。“公立志向”が根強い県民性も相まって、私立が熱心に声をかけた選手が、大社に進むケースも幾度となくあった。

現チームのエースである馬庭優太は、所属した中学の部員が少人数だったこともあり、公式戦の勝ち星には恵まれなかったが、ある県内私立高の監督が「高校野球の指導者で、この感じの左が嫌いな人いないでしょ」と評するほど、制球力などのゲームメイク能力が評判だった。複数校から声がかかった状況でも大社に進んだように、甲子園を逃しても、「選手に選ばれる学校」ではあったのだ。

他校に劣らない選手層を有するだけでなく、これまで春夏計10度の甲子園出場もあり、歴代のOBや保護者からは「なぜ勝てないのか」など、様々な声が挙がる。甲子園から遠ざかるほどに、その声は大きく、強いものになる。全国の古豪で多かれ少なかれ見られる事象だが、大社も例外ではなかった。

あの“11回神バント”…安松の話
 
がんじがらめに近い状況で石飛は「原点に返ることにした」という。その「原点」とは何を指すのか。

「やるのは選手。選手たちが目の前の1試合を戦うのは、どんなときも変わらない。その原点に立ち返ろうと」

選手たちがプレーしやすい環境の整備に注力し、対話を重ねた。練習メニューもトップダウンではなく、選手の意見をくみ取りながら練る。夏前のある日の練習では、主将の石原勇翔が「この前の練習試合のミスを確認したいんで、この後のメニューをゲームノックに変えてもいいですか?」と申し出て、石飛が快諾する場面があった。

選手と重ねた対話は、甲子園でも生きた。早稲田実との3回戦の延長11回に、代打で起用された2年生の安松大希が、三塁線に絶妙なバント(記録は内野安打)を決めた。見どころの多い激闘の中で大きなターニングポイントとなるプレーを見せた安松は、中学時代に目立っていた選手ではなかった。

兄の拓海(現・京都先端科学大)が昨年のチームで主戦を担っていた縁から、大社に憧れを抱いて入学を希望していたが、石飛は「中学時代に声はかけなかった」選手だった。

「お兄ちゃんの拓海の存在を見て、『大社に行きたい』と言ってくれていました。でも、ウチに来て試合に出れないで終わるよりは、出場のチャンスがある他校に行った方が幸せなんじゃないかと思って、そう伝えたんですけど、『それでも行きたい』と。本人の強い希望で入学した選手でした」

実力が抜き出ているわけではない。それでも「なにがなんでも大社でやりたい」と強い意志を持って入学した姿は、かつての自分とも重なる。その姿勢を買おうと、対話を重ねて生きる道を考えた。導き出したのが、「捕手転向」と「バントの技術向上」だった。

「死ぬほど練習してきたんで」
 
中学時代は捕手ではなかったが、チーム内で手薄だった捕手にコンバート。常に声を出すガッツを生かして周囲に認められると、投手陣を鼓舞するブルペン捕手の役割をつかんだ。攻撃では、168センチ、64キロの体でできることを思案し、ひたすらバントの技術を磨いた。

島根大会6試合は出場なし。甲子園、それもひりつくようなタイブレークで巡ってきたこの夏初打席。大半の選手が緊張感に押しつぶされてしかるべき場面である。だが、試合後の安松は「緊張はなかった」と言い切り、こう続けた。

「死ぬほど練習してきたんで」

安松はおとなしそうな、いかにも人のよさそうな顔立ちをしている。だが、このときの表情には、今までにないすごみがあり、圧倒されそうになった。

島根大会の優勝時も…涙、涙
 
今大会、石飛の勝利監督インタビューは、ちょっとした“名物”となっている。

奮闘した選手たち、OBや歴代の監督たち先人への感謝を述べ、時折、目に涙を浮かべる。「生徒の底力は無限大」というキラーフレーズはあるものの、作り込まれていない、生の言葉で紡がれるインタビューが聞く者の心をゆさぶる。

思えば、島根大会で32年ぶりに頂点に立った瞬間もそうだった。エースの馬庭優太が最後の打者を空振り三振に斬り、マウンドでうずくまると同時に、石飛もベンチ横で膝をつき、涙を流した。試合終了後も涙は止まらず、何度も顔を覆った。

「選手たちには、『純粋に野球をやろう』とは言うんですが、OBの方、地域の方、色々な人たちの思いがあっての甲子園なので、監督として、自分の中では思いを背負って戦いたいと思っています」

島根大会の決勝直後に述べた、32年ぶりの甲子園に向けた意気込みだ。

選手たちは純粋に目の前の試合を戦い、石飛はその戦いと結集された思いに心を躍らせる。この繰り返しでたどりついた93年ぶりの甲子園8強。107年ぶりの4強進出を叶えたとき、石飛の表情は、紡がれる言葉はどんなものなのか。

💢「島根の公立」大社が大躍進のお隣で…全国最長“夏の甲子園9連敗中”「鳥取の私学」が思うこと「やっぱり全国で勝たないと」
https://news.yahoo.co.jp/articles/547e3d353175ffc4e4d75800930a4f564528d22c?page=1

鳥取と島根。私立と公立。6年ぶりと32年ぶりの出場。
初戦敗退とベスト8。隣県であるがゆえに、コントラストがくっきりと浮かび上がってしまう。

この夏、鳥取城北が初戦で敗退した一方で大社が報徳学園、創成館、早稲田実と強豪を撃破し、93年ぶりの準々決勝進出と台風の目となっている。

さらに、21年ぶりに夏の甲子園3勝を挙げた島根県に対し、鳥取県は今年の敗戦で不名誉な記録を更新してしまった。

9年連続で初戦敗退。これは現在、全国で最長の記録であり、このなかには鳥取城北の3敗も含まれている。

「ここまで負けてしまうと、ほかからすれば『鳥取は……』と言われてしまいますよね」監督の大林仁が申し訳なさそうに言った。

鳥取県勢「最後のベスト8突破」は68年前
 
甲子園で勝てていない現状。日本高校野球連盟に加盟する高校が47都道府県でも最も少ない24校であることも影響してか、鳥取県内の中学生の県外流出が増えているという。

ちょうど100年前に鳥取一中(現:鳥取西)が準決勝に進出したように高校野球黎明期の鳥取県は強かったが、1956年に米子東がベスト4になって以降、ベスト8からも遠ざかる。

2021年夏に鳥取城北の監督となった大林は鳥取県出身。そして、自身も同校でエースを務めたOBでもある。それだけに、「弱小」のレッテルを貼られてしまっている鳥取を憂い、さらには公立よりも環境が整う私立だからこそ、「強くしたい」という使命を抱く。

「うちは県外からも選手が来ていますが、それでも『鳥取で野球をやりたい』と思ってもらえるような魅力あるチームを作っていきたいんです。鳥取を背負って戦っていく以上は、県外のチームには負けたくありませんから」

今年の3年生は、大林が声をかけて鳥取城北に招き入れた、いわば“1期生”だ。キャプテンでキャッチャーの石黒尚を中心に、県内出身の中学生たちは「鳥取を強くする」という監督の想いに賛同し、ここに来た。

昨年のセンバツに出場するなど、大林が監督になってから鳥取城北は少しずつ実績を重ねている。そんなチームに指揮官が目を細めているのは、選手たちの心の成長だ。

挨拶は「ちは!」といった簡略させたものではなく、「こんにちは!」としっかりと相手の目を見ながら頭を下げる。環境整備に対しても周辺のゴミを拾い、グラウンドの整理整頓も以前より目が行き届くようになった。

現代の高校野球でこれらは基本の「キ」だ。しかし、指導者から「やりなさい」と促されてやっているようでは心からの行動とは言えない。大林が彼らを称えるのは、それらを自分たちの意志でできるようになったことだ。練習試合などで強豪校と対戦するなかで、鳥取城北は「本当の強さは野球だけじゃない」ことを痛感したのである。

「心を成長させてくれることが大事」
 
大林がチームの歩みを称える。「キャプテンの石黒を中心に後輩たちの模範になるようなチームになってくれました。うちは私立ですし、野球をするためにここに来てくれたような生徒は、こちらが強く言わなくても野球はしっかりやるんです。そうじゃないところ、高校を卒業してからも自分の足で立って生きていけるような心を成長させてくれることが大事で、今年の3年生はそこにもしっかりと向き合ってくれました」

選手自ら心を研磨する。そこに、元から備わる鍛え抜かれた野球が融合する。

今春から低反発となった「飛ばないバット」に順応するべく、攻撃は送りバントや走塁といった小技の精度を高めて着実に得点する。そして守備では、2年生右腕の田中勇飛と鈴木欧音のリレーで守り抜く。夏の鳥取大会では4試合で16犠打、9盗塁、2エラー。鳥取城北の野球を打ち出しての優勝だった。

しかし、甲子園では勝てなかった。初戦の相手が強豪の明徳義塾と言っても、頻繁に練習試合を行う間柄である。手の内を把握し、勝機を見出していたなか敗れたのは、「決めるべきところで決められなかった」ことだと大林は厳しい目を向ける。

1点を先制された直後の2回表に、この回の先頭として打席に立った4番バッターの石黒がヒットで出塁しても、次のバッターが送りバントを失敗しチャンスを潰してしまった。その裏の守備では、明徳義塾にデッドボールで出塁したランナーをしっかりとバントで二塁に進められ、ヒットで追加点を奪われた。

「そういったところで差が出てしまいましたよね。1回と2回に失点してしまったことで浮足立ってしまったというか、甲子園はそういうミスを許してくれないので」

大林は「3年生は諦めずに最後まで戦ってくれました」とねぎらいつつ、0-7というスコアを重く受け止めていた。

「勝ちたかったですねぇ」漏らした言葉に悔しさが充満していた。

大林が敗れてなお本気で全国で勝とうとしていると感じたのは、鳥取県勢9連敗の“ちょっとした原因”について尋ねたときだった。

9連敗の足跡をたどると鳥取県はついていなかった。明徳義塾然り、これまで大阪桐蔭、龍谷大平安、智辯和歌山、仙台育英、履正社と、甲子園で優勝を経験する高校とことごとく初戦で対峙してしまうという不遇も見逃すことはできない。

「強いチームを倒さなければ、鳥取が魅力ある県にならない」
 
当事者である監督は、もちろんそのことを言い訳にできるわけもないのだが、大林も同調するでもなくあっさりとこう返したのだ。

「勝ち続けることを考えれば、いつか強豪とは当たりますんで」

鳥取県勢、夏の甲子園9連敗中。険しき道が続こうとも、鳥取城北の監督には「どうせ」という後ろ向きな姿勢はない。見据えるのは、明るい未来だ。

自分たちが牽引役となって鳥取を「弱小」から「強豪」に変えていく――大林の言葉からは、そんな頼もしさが放たれていた。

「強いチームを倒していかなければ、鳥取が魅力のある県にならないと思っているんで。やっぱり、全国で勝たないと地元の生徒は来てくれませんからね」

📝「教科書のような戦い方」大社高校の躍進、元監督が分析 夏の甲子園
https://news.yahoo.co.jp/articles/27684a136d0664284124361107f8d1461b233f47

夏の甲子園で快進撃を続けた大社(島根)。19日の準々決勝は神村学園(鹿児島)に敗れたが、大社が前回出場した1992年当時の監督だった新田(しんた)均さん(67)は「島根の高校が甲子園で勝つには大社のような野球をすべきだ」と称賛した。

新田さんは現在、島根中央の男子と女子の硬式野球部で統括顧問を務める。大社の試合は今夏の島根大会準々決勝以降全て見てきた。戦い方の特徴を「戦術をきっちりできる。戦術とはバント、盗塁、エンドラン」と説明する。関東や近畿など強豪私学が集まる地域に比べ、島根県は高校数も少なく、大社を含めて公立校が甲子園に出場することは珍しくない。

「島根の代表校が甲子園でガンガン打って7―5で勝つ、なんて難しい。3点以内の終盤勝負。お互いが3イニングで1点ずつを取り合って延長タイブレークで勝つといった展開をできるかどうか」。実際、大社は3回戦までの3試合とも九回まで両チーム3点以内で、2、3回戦は延長戦を制した。

新田さんは監督として甲子園に大社で1回、浜田(島根)で春夏合わせて8回出場。浜田を率いた98年夏は和田毅投手(ソフトバンク)を擁して8強入りした。

32年前に大社が出場した当時を「ポテンシャル(素質)の高い選手がおり、土壇場で力を発揮できるように精神力を鍛えた」と振り返り、「今大会のチームもポテンシャルの高い選手がおり、似ている」と話す。

今大会の快進撃について「島根県のどの高校も、こういう野球を目指せば全国で戦えると分かった。参考書、教科書のような戦い方」と、地元に好影響を与えたと評価。大社は107年ぶりの4強入りは逃したが、毎試合、地元から大応援団が駆けつけた。新田さんは「私が目指す野球を見せてくれた」とたたえた。

☝アルプス揺れた!大社の応援が「平日なのに凄い」と話題 「サウスポーやばい」「エグい」の声
https://news.yahoo.co.jp/articles/5cd3a29ccd7efc589ab8ac14099a4c220c6c1b99

107年ぶり4強を目指す大社を後押ししようと甲子園球場には大応援団が駆け付けた。一塁側アルプス席の応援の迫力が凄いと話題となり、Xでは「大社の応援」がトレンド入りした。

大正、昭和、平成、令和のすべての元号で大会出場を果たしている県立校。この日は平日だが、一塁アルプスは満員。チャンスの場面では「サウスポー」を大合唱し、選手を後押しした。

大社は初回、甲子園初登板の岸が3者凡退に抑えると、裏の攻撃では1死三塁で石原の遊ゴロの間に走者は生還して先制した。

SNSでは「大社の応援相変わらず凄すぎる」「大社の応援がエグいw真正面に構える左投手今村くんプレッシャー感じるだろうな」「平日なのに大社の応援すごいな。サウスポーやばい、中日のホーム戦かよ」「大社の応援が凄すぎて甲子園がゾワゾワしてる」などのコメントが見られた。

💢新基準バットの影響も? 智弁学園、打球イレギュラーで失点重ね4強ならず 「天下の阪神園芸さんが整備はしてるだろうけど…」同情の声
https://news.yahoo.co.jp/articles/f49ba1c1e3a3ba69d2e7ed50d453789c0fd6b1a4

◇19日 全国高校野球選手権準々決勝 京都国際4―0智弁学園(甲子園)

智弁学園(奈良)は内野守備で打球のイレギュラーが続き、不運な形で失点を重ねて3年ぶりの4強を逃した。

両校無得点の4回、京都国際は1死一塁から7番・服部の打球がイレギュラーして智弁学園の二塁手・今井の顔面を直撃。今井はすぐにボールを拾って一塁アウトとしたが、治療のためにベンチに戻り、そのまま交代となった。直後の2死二塁で奥井の適時二塁打で先制されると、さらに続く西村の打球も今井に代わって守備に就いた八尾の前でイレギュラーして右前へ。2点目を挙げた。さらに5回にも1死二塁で5番・長谷川の一塁線への打球がベース手前で大きく跳ねて、3点目が入った。

飛びにくいとされる新基準バット導入の影響で、これまで以上に低く、強い打球を各打者が意識することでゴロ打球が増えていると指摘する高校野球関係者もいる。NHKの試合中継で解説を務めた杉本真吾さんも「普段はこんなことはないのですが、跳ねる打球が多くなって、ことごとく京都国際の得点につながっていますね」と説明。内野が土の甲子園だけに仕方ない面もあるが、ネット上では「これは智弁学園きついよな…」「ぜんぶ得点入るイレギュラーは可哀想」「天下の阪神園芸さんが整備はしてるだろうけど、あまりにもイレギュラーだらけ」と同情する声が上がった。
2024/08/19(月) 22時23分44秒 No.1332 編集 削除