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💢甲子園 喜怒哀楽 高校3年夏の甲子園で65奪三振 辻内崇伸の「怒」
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📣「トラックと観客席近く、選手の息づかい感じて…」2028年・国民スポーツ大会に向けて長野県が松本市に整備、新「陸上競技場」公開…1万5000人余りの観客収容…空港と競技場両方を見渡せる大屋上
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b40469678bd95802cee01a138922d94abd38495

2028年の国民スポーツ大会に向けて県が松本市に整備した新しい陸上競技場が報道関係者に公開されました。新しい競技場は国内・国際大会の公認を得た9レーンの全天候トラックを備え、1万5000人余りの観客を収容できます。国民スポーツ大会に向けて松本平広域公園の競技場を建て替えたもので総工費は177億円。陸上競技専用で、トラックと観客席は3メートルほどの近さです。

(県建設部都市・まちづくり課・三宅隆徳さん)「一番の特徴は、トラックと観客席が近く、選手の息づかいを感じていただけること」

また、空港と競技場両方を見渡せる大屋上や、フィニッシュの瞬間を見届けるアルプススタンドなど開放的な造りとなっています。
さらに、冬の間もトレーニングができるようにと、全国でも珍しいという棒高跳びの屋内練習場や、130メートルの屋内トラックが設けられています。

陸上競技場は9月26日のオープニングイベントで一般公開されます。

📝「部員8人で甲子園? とバカにされて」山下智茂が名門・星稜を築きあげるまで「生徒にトイレへ呼び出されて、スパルタの仕返しかと覚悟したら…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3cb0cbaf528e8c18b8977118bb8525e27a436cb7

1979年夏、箕島と「高校野球史上最高の試合」を戦うことになる星稜。その舞台への道のりは楽なものではなかった。当時の監督、山下智茂に話を聞いた。

箕島高校(和歌山)野球部の栄光の歴史は尾藤公監督によって始まったと、1979(昭和54)年に春夏連覇を果たしたエース・石井毅は言った。同様に、星稜高校(石川)野球部の礎を築いたのが山下智茂だということに異論を唱える者はいない。

1945年2月、石川県生まれの山下は門前高校から駒澤大学に進んだものの、野球部のレギュラーは遠かった。大学卒業後、金沢市にある星稜の社会科教諭になり、野球部監督も任された。

部員8人で甲子園なんて…とバカにされて
 
しかし、野球部専用のグラウンドもなく、部員はわずか8人だけ。当時は公立高校の受験に失敗して星稜に入る生徒も多かった。

「星稜には、裕福な家で育った頭のいい子が多いんですけど、校門に入る時にうつむいている生徒が多かった。自信がなかったんでしょうね。だから、胸を張れるようにしないといかんと思いました。それで、『3年で甲子園に行く』と全校生徒の前で宣言しました」

ところが、生徒たちからは山下が期待したような反応はなかった。

「部員8人でそんなことができるわけない……とバカにされましたよ」

野球という競技は9人が揃わなければ試合ができない。生徒たちの冷淡な反応も仕方がないところだろう。夢を語るにしても荒唐無稽すぎると思われたのかもしれない。しかし、山下は有言実行の男だった。

監督に就任したのが1968年4月。2年後には北陸大会で準優勝するチームをつくりあげた。甲子園に初めて出場したのは1972年夏。宣言よりも1年遅かったが、見事、甲子園に星稜の名を刻んだ。

「まだ弱いチームだったので、僕は超スパルタでガンガンやったんです。一生懸命に練習に打ち込む姿をほかの生徒たちも見てくれていたんでしょうね。雪の季節に朝からグラウンドの雪かきをしていると、ヤンチャな生徒たちがスコップを持ってきて手伝ってくれました。女子生徒たちはトイレや教室の掃除を自主的にしてくれるようになりました。学校全体が明るくなりましたね」

実はその1年前の夏にも甲子園出場のチャンスがあった。石川大会の準々決勝で金沢錦丘、準決勝で金沢市工を下して福井代表との決定戦に臨んだ星稜は、準決勝で福井商業に大勝したものの、決勝で美方に1対3で敗れた。

生徒たちにスパルタの仕返しをされるかと思いきや

「あの当時は、石川県と福井県で戦って、1校しか甲子園には出られなかった。決勝で負けたあと、生徒たちが『トイレに来てください』と言うわけですよ。当時、僕はスパルタ指導をしとったもんですから、『これは仕返しをされるかな』と思って覚悟したんですけど、みんなに胴上げをされました」

甲子園には届かなかったが、星稜にとって大きな大きな一歩だった。

「あの時の感動は忘れられんですね。もっと頑張ろうと思いました」

山下は尾藤の2学年下だ。1968年に甲子園初出場を決めた尾藤より少し遅れて同じ全国のステージに立ったが、1970年春のセンバツを制し日本一監督となった尾藤の背中はまだ見えない。

「箕島野球の強さを支えていたのはやっぱり練習量じゃないですか。あの時代、甲子園に出てくるチームはどこもスパルタでしたけど、箕島の練習を見たら本当にすごかった。選手はみんなユニフォームを泥だらけにして監督に向かっていく。監督と勝負をしていたんでしょうね。そうして強い精神力ができあがっていったんだと思います」

1972年夏の甲子園で、星稜は1回戦で北見工業(北北海道)を下して全国初勝利をあげた。1976年夏に2度目の甲子園出場を果たし、2年生エースの小松辰雄の好投でベスト4まで勝ち上がる(準決勝で桜美林〈西東京〉に敗退)。しかし、そのあとは甲子園に出場しながらも3大会連続で初戦敗退が続いた。

「1979年も、春には川之江(愛媛)に負けました。夏の目標は日本一になった箕島を倒すことでした。だから、それまで以上のスパルタ練習をやりました。箕島に勝てないと思ったから」

センバツで1回戦負けしたチームが日本一になるためには練習しかない。

「谷村誠一郎(現星稜野球部部長)という生徒が当時マネージャーをやっていて、保護者会の会長はそのお父さんで、北陸電力に勤める人。『このままでは勝てんから、選手たちがボイコットするくらい厳しい練習をします』と事前に話をしました。『センバツに出たから夏はもういい』という気持ちでは困る。その荒療治がうまくいって、チームがいい方向に進んでいきましたね」

甲子園に行きたい、から甲子園で勝ちたい、に
 
サウスポーの堅田外司昭は1年生からマウンドに上がるエース。ほかにも実力を備えた選手が揃っていた。春になって、のちに中日ドラゴンズなどで活躍する音重鎮が新入生としてチームに加わった。

「将来的に伸びるだろうという力のある子は、1年生の時から試合で起用しました」

その頃には、山下が掲げる目標は大きくなっていた。

「甲子園に出る前は甲子園に行きたいという気持ちでしたけど、そのあとは甲子園で勝つチームをつくりたいと思うようになるんですよ。もっと上を目指したい、甲子園で優勝したいと」

箕島が春のセンバツで優勝する前から、山下は箕島をターゲットとして考えていた。

「石井(毅)くんが1年生の時に招待試合をしたことがあるんです。尾藤さんは『いいピッチャーを投げさせるから』と言っていました。まだ彼がアンダースローになる前。その試合はノックアウトしたんですけど、2年生になって本当にいいピッチャーになった。やっぱり、尾藤さんには選手を見る目、先見の明がありますね。だから、正月にうちの生徒に宣言したんですよ、『今年は打倒・箕島、打倒・石井で行くぞ』と」

夏の石川大会の準決勝で金沢商、決勝で輪島を下して甲子園出場権を得た。

キャプテンが「箕島とやりたい」と
 
組み合わせ抽選会の前、キャプテンとの会話を山下はよく覚えている。

「弱いところを引っ張ってこいと言ったんだけど、(キャプテンの)山下靖は箕島とやりたいと言う。僕は『それは決勝でいいから』と。どうせ抽選だから当たるはずないと思ったら、(1試合)勝ち上がったら箕島と対戦する組み合わせになりました」

初戦となる2回戦で宇治(京都)を下せば、札幌商業(南北海道)と箕島の勝者と戦うことになる。

「石川県だけじゃなくて、雪国の子って、性格がおとなしいんですよ。でも、甲子園に来て『箕島とやりたい』と言えるようになったかと思って、ものすごくうれしくなりました」

8月12日に行われた宇治との2回戦。堅田が宇治打線を抑えて完封勝利。13日に登場した箕島は札幌商業に7対3で勝利を挙げた。
星稜の選手たちが切望した箕島戦は8月16日、第4試合で行われることになった。

                 〈つづく〉

📝「野球観、人生観を変えてくれた」箕島との“延長18回”を星稜・山下智茂監督はどう戦ったか…サヨナラ危機で出た奇跡のプレーに「私もびっくり」
https://news.yahoo.co.jp/articles/449826be7052fd09b740607e831c984b7814c7e0

1979(昭和54)年8月、星稜の監督として指揮をとった山下智茂は34歳だった。

「僕の野球観、人生観を変えてくれたのがあの延長18回でした。いいゲーム、ライバルとの出会いによって、人間は大きく成長していきますからね」

星稜の先発はエースの堅田外司昭、箕島はもちろん石井毅だった。

アンダースローの石井の攻略法とは?
 
この年が明けた時点で「打倒・箕島」「打倒・石井」を掲げた山下は、石井攻略法を温めていた。

「アンダースローのボールをどうやって打つかということを研究しました。バッターボックスの前寄り、ベースに近づいて立って、デッドボール覚悟で打ちにいく。石井くんはアンダースローだけど、ボールに勢いがある。だから、流そうとしたらファウルになるんです」

当時の動画を確認すると、石井のストレートの球速表示は120キロ程度だが、実際は違ったという。

「いやいや、145キロくらいは出ていたんじゃないですか。だから、セカンドの頭を狙ったら振り遅れてファウルになる。キレがあって、バッターの近くでピュッと伸びてきました」

先手を取ったのは星稜だった。4回表に五番・堅田のレフト前ヒットで1点を先取。その裏、箕島は六番・森川康弘のライト前ヒットで同点に追いつき、1対1のままで9回が終わった。
延長戦に突入する時、甲子園球場の照明が点灯し、ナイトゲームになった。両校の選手たちはのちに「照明が点いてワクワクした」と口を揃えた。

「甲子園ではどんなことがあっても対応できるように、いろいろな準備をしました。たとえば雨が降っても試合が続くことがありますよね。当時、金沢に照明設備はあまりなかったんだけど、そういうところを借りて練習したこともあります。しっかりとした準備をして生徒を戦わせるというのは、指導者の役割だと思うんです。あの日、3万人以上のお客さんが入っていて、照明に照らされた甲子園球場はものすごくきれいで、最高の気持ちでした」

堅田は失点した4回以外、箕島打線にチャンスをつくらせない。しかし星稜打線も9回までに7安打を放ちながら9三振を奪われ、石井を打ち崩すことができなかった。

実力伯仲のまま試合は延長戦へ
 
本来、9回でゲームセットとなるはずなのに、終わりの気配は見えなかった。

「石井くんも堅田もコントロールがいいし、テンポよく投げ込んでいく。少しも長いと感じなかったですね」

延長に入ってからは先攻の星稜が攻めては、箕島が追いつく展開となった。

「箕島の守備がうまいんですよ。三遊間を抜けたと思ったらそこにショートがいる。データも分析され、かなり研究されていたと思います」

10回、11回と石井からヒットを打ちながら得点できなかった星稜にチャンスが巡ってきたのが12回だった。ワンアウトから六番・音重鎮がヒットで出塁、七番のキャプテン・山下靖がフォアボールを選んで一、二塁。八番の石黒豊の打球を箕島のセカンド・上野山善久がエラーして、待望の1点が入った。なおも、ランナーは一、三塁にいる。もう1点加えれば勝利が近づいてくる。
山下が選手に送ったサインはスクイズだった。しかし、九番の若狭徹がそれを見落とし、ランナーはタッチアウト。その後、若狭が三振に打ち取られて追加点は奪えなかった。

あとひとりで勝利の場面で、まさかの……
 
それでも膠着状態の試合で、相手のミスによる1点を加えた星稜は絶対的に有利だ。あと3つのアウトを取れば王者を倒すことができる。堅田は疲れも見せず、テンポのいいピッチングを続ける。12回裏、八番、九番を打ち取り「あとひとり」となった。そこで迎えたのが強打のキャッチャー、嶋田宗彦だった。試合を振り返る時、山下が最も印象に残る場面に挙げたのが嶋田のこの打席だ。

「1点を取って、ツーアウトになった時点で『もう勝ったな』と思いました。試合後のインタビューのコメントを考えていたくらいです。それがダメでしたね。のちのち(箕島監督の)尾藤(公)さんと話したら『俺もそうだった』と言っていました」

しかし、試合はまだ終わっていなかった。嶋田は打席に入る前に「ホームランを打ってきます」と尾藤に宣言し、言葉通りに同点ホームランをかっ飛ばしたのだ。
12回表のピンチの場面、スクイズを防ぎ、三振を奪ったあと、キャッチャーの嶋田はボールを地面に叩きつけるようにしてマウンドに投げ返したと石井が証言する。失点したことに対する悔しさや苛立ち、嶋田の負けん気の強さがその動きに表れていた。

「それは知りませんでした。でも、気持ちの強い選手でしたからね。そうじゃなかったら、追い込まれた場面で宣言通りにホームランを打つことなんかできないでしょう。本当にすごかったですね」

あれほどの逆境で実力を発揮することが今の高校生にできるかどうか。昭和の野球で培われた反発力、メンタルの強さが打たせたホームランだったように思える。

「センバツ優勝チームだし、『星稜に負けるものか』という気持ちがあったんでしょうね」

サヨナラ負けの大ピンチに出たミラクルプレー
 
14回裏、今度は星稜が追い込まれた。ライト前ヒットを放った箕島六番の森川が送りバントで二塁に進み、ディレードスチールで三塁を奪う。ずっと攻め込んでいた星稜にとって、サヨナラ負けの大ピンチ。ここで「まさか」のプレーを見せたのが、サードの若狭だった。ユニフォームを汚しながら立ち上がりベースを離れた森川に、ボールを隠し持っていた若狭がタッチ。“隠し玉”でピンチを免れたのだ。

「いつも“隠し玉”の練習はしていました。長打を打った選手が油断して、ボールから目を離すことがあるから。内野手が脇の下にボールを隠して『持ってないよ』という仕草をすれば相手を欺くことができる。そんなことを冗談めかして言ったこともありました」

あの緊迫した場面で飛び出した“隠し玉”に選手も監督も、球場の観客も驚かされた。

「スキがあれば狙えとは言っていたものの、あの場面でできる若狭がすごかった。塁審が『アウト! 』と言ってから、『あいつ、やりよったな』と思いました」

内心では山下も「本当にびっくり」
 
古い動画を確認すると、ベンチに座る山下は拍手をしながら「うん、うん」とうなずいているが、内心では驚いていたという。

「練習で成功しても、甲子園で、ましてやあの場面でうまくいくことはなかなかないですよね。本当にびっくりしました」

2年生の若狭はその日、その回まで5打席連続三振を喫していた。ここしかないという場面で飛び出したファインプレーだった。

                 〈つづく〉

⚾SHIONOMISAKIさんへ
先日は、北海道道南遠征お疲れさまでした。こっちは普通に半袖シャツで身動きが取れますが、あっちの方は上っ張りがもういるのかもしれないですね・・・・・。
そして、東京レジスターズは初耳です!一生見ることのないチームだと思いますが、思い切って首都圏に独立リーグ設立したんですね。。。
初代カンドクも最初は盛り上がりましたが、目の肥えた関西のファンがわざわざ地方球場に足を何度も運ぶことなく廃れてしましましたが、、、向こうは巨人・ヤクルトがいるし、社会人・大学・後攻なども強豪ぞろいでわざわざ独立リーグを観戦に行く東京モンがいるかどうか?????

山梨球団がどうなったのかは分かりませんが、またBCリーグは10球団を超える数になりそうですね。僕は来年、チャンスがあれば岐阜球団を観たいと思ってますが・・・・・。

さて、秋季三重大会ですがたぶんご承知の通り9/19までは ①9:00~ ②15:00~となっております。約4時間のインターバルで入れ替え制もあるらしく、第1試合終了後は一旦全員強制退場させられ再度14時開門の折に朝に購入したチケット提示して再入場できるとか・・・・・。夏の紀三井寺でははっきり確認していませんが、そのまま荷物置いてどこかに消えたり、そのまんまスタンドで待機していた客もいたはずだが・・・・・。

もう大丈夫と思いますが、僕が四日市に足を運んだ折は球場着いたら貼り紙あり「第2試合は16時開始に変更となりました。開門予定は15時です」とかまされ2つとも8回コールドながら18時52分終了だったかなあ・・・急いで近鉄四日市駐輪場までケッタ(三重弁で自転車のこと)漕いで帰りました・・・・・。日曜以外は20時返却ですが、鈍行で帰りたかったので。近鉄電車は運賃高いし!

とりあえず、津市営球場の周辺には津新町駅からの商店街を中心に飲食店が充実しており、松菱百貨店もあるし、津城跡公園・その隣の図書館・津観音・四天王寺・津なぎさまち港など観光や散歩コースもあるので適当に時間は潰せるかと。

21日・23日・26日は ①10:00~ ②14:00~となりますね。僕は準決勝観戦予定なんで、第1試合終了後に津は『ぎょうざ と うなぎ』が名物なんで久しぶりにうなぎ食べに、松菱の北側にある『つたや』で食べられたらと。まさかの第1試合3時間ゲームとかなったら、近所のファミリーマートで弁当に切り替えかも、、、、、

なんとか台風が関東方面に逸れそうなんでとりあえずホッと一息。あとは27日の雨予報が気がかりですが、春に続いて秋も奈良大会4試合観戦できたら。コールド多発地区なんでまた2試合あるいはそれ以上7回で終わるかもしれませんが、、、日没が早くなるのでナイター点灯に期待します!

⚾岩手さんへ
朝から晩まで快晴とは羨ましいですね・・・。今日もこっちは午前中晴れでしたが昼過ぎには曇り空に変わり、9月に入り1日中晴天の日はあったかどうか・・・・・。それでも、半袖で充分過ごせる蒸し暑さだし、晴れたら本当に熱いので街を歩いていると冷房の効いたコンビニに意味もなく立ち寄ってしまいますね(笑)

ずっと2週間天気予報やゴゴスマを中心に毎日天気予報は見ておりますが、9月に入りとにかく雨マークが多すぎるので・・・・・。なんとかギリギリ回避できたり、雨の中傘を差しながらスコア付けして凌いでいるといった感じですね。屋根のないG7スタジアムで20分ほどの通り雨は辛かった・・・・・。午前中は晴れて熱かったし、厳しい観戦環境ではありますね。

とりあえず、明後日の明石トーカロは問題なさそう。屋根がないので熱さに気を付けたいところですね。23日の津は雨が降りやすい地域なんで警戒はしております。先日、したためた観戦記では雨の3時間ゲームで第2試合は到着前に中止発表されてしまったし、、、、、、津は約1年4ヶ月ぶりの来場になりますね。そこまでブランクがあるような気がしないですが。

春は松阪 夏は二部制の四日市 そして秋は津に行けたら満足です。伊勢は明倫商店街が焼けてしまったし、昨秋愛知との交流試合で出かけたのでまた来年になるかな?屋根があるので二部制の夏も対応できそうですが帰りの足が一番のネックですね・・・・・。遅くなれば往復近鉄特急に乗らなアカンし、夜ご飯は夏と同様近鉄電車の車内でファミリーマートの冷やしうどんすすって時間短縮を図り最終電車とのシビアな戦いとなるので。。。。。

P・S 最近はYouTubeがあるので、生観戦できない人も少しは楽しめるかも?!と思いますが、僕は自分が観戦していない球場の兵庫大会の試合でも軽くしか見てないので・・・。ブラスバンドが来ているかどうかを確かめるくらいかな?
2026/09/17(木) 22時18分40秒 No.2625 編集 削除