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⚾今日の和歌山大会新人戦試合結果(9日目 準決勝 田辺SP球場)
市和歌山23ー1神  島(5回)・日  高10-9桐  蔭

⚾今日の和歌山大会新人戦試合結果(初日 1回戦)
上富田球場・・・・和 智 弁11-0和 高 専(5回)・串本古座4-3海  南・粉  河12xー2和歌山北(5回)
田辺SP球場・・・向  陽1-0県和歌山

⚾明日の和歌山大会新人戦組み合わせ(最終日 決勝戦 紀三井寺球場)
    10:00~ 市和 歌山- 日 高

⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(2日目 1回戦 紀三井寺球場)
    13:00~  箕 島 -和歌 山商

📝持丸修一 78歳名将の高校野球論
宮城県高野連「野球用語見直し」のバカバカしさを徹底的に語ります。何より引っかかることは…
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/392600

もう勘弁してほしい。バカバカしいと思いませんか?ニュースを見て、驚き呆れました。

宮城県高野連が、野球用語の「見直し」を提起した一件。資料には、「試合中に『刺せ~』『殺せ~』『盗め~』という言葉が出るのは、『犠牲バント』『併殺』『死球』『盗塁』などの用語があるからだと思われる」とあり、「現代では相応しくない用語も含まれる」として、「代わる言葉を考えてみよう」というわけです。

もちろん、「すぐに変えると決めたわけではない」「今は議論する段階だ」という説明は承知していますが、やはり腑に落ちない。「議論することすらバカらしい」という本心をひとまず“押し殺し”、話を進めます。

わざわざ「問題化」する必要性があったのでしょうか。言葉尻を捕まえて、悪い方へ、悪い方へと持っていかれている気がしてならないのです。そもそも、試合中にそんな物騒な言葉が飛び交っているなんて信じがたい。私が指導してきた茨城、千葉では、試合中に「殺せ」なんて一度も聞いたことがありません。関東大会や全国大会でもそうです。まさか、宮城県では日常的に使われているのでしょうか。「初めて野球を見た子どもに影響がある」との主張にすら、違和感を覚えます。

仮に、グラウンドに「殺せ」が響いているのであれば、まず行うべきは「声援や指示の出し方を見直そう」という呼びかけではないか。
次に、野球用語について。私たち日本人は、日常で「息を殺す」や「刺身」といった言葉を、場面や文脈に応じて使い分け、誰もが理解しています。「現代では相応しくない」と槍玉に挙げられた「刺殺」にしても、野球というスポーツにおいては意味が確立された専門用語です。日常生活の「人を刺し殺す」と混同する人はまずいません。

何より引っかかるのは、県の高校野球を束ねる県高野連がわざわざ問題提起したことです。どこかの著名人が言い出したのならともかく、県高野連は大会を運営し、加盟校に通知を出し、高校野球のあり方に一定の基準を示す組織です。その組織が全国で使われてきた用語を「教育的配慮が必要」「現代では相応しくない」と位置付ければ、単なる意見交換では済まなくなる。禁止や罰則がなくても、指導者は「この言葉を使ったら……」と萎縮してしまうでしょう。「考えてみませんか」という柔らかな呼びかけでも、発信者が県高野連である以上、現場に余計な緊張感を押し付けることになるのです。

教育や指導現場はただでさえ制約が増えているのに、宮城県の指導者が気の毒です。指導者の野球離れにもつながるのでは。他県ではありますが、心配です。

宮城県高野連はなぜこのような提起をするに至ったのでしょうか。野球用語をわざわざ変えることで、いったい何が良くなるのか。社会にどんな変化をもたらすのか。何の根拠も説明もないままに、いきなり「野球用語を見直そう」というのは、いかがなものかと思ってしまいます。「何かを変えなきゃいけない」という思想に駆られているのではと、勘繰りたくもなってしまいます。

批判はこのくらいにしておきましょう。さて、来春センバツにつながる秋季千葉県大会は9月19日に開幕します。我々専大松戸は、攻撃では積極的に犠牲バントや盗塁を仕掛け、守備では併殺の機会を逃さず、一死、二死と着実にアウトを積み重ね、死に物狂いで勝利を目指します。

📝「どうしたらええんや...」 甲子園初采配で追い詰められた大阪桐蔭・西谷浩一を救った"スーパー1年生"
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2026/08/22/post_81/?utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_campaign=%2Fclm%2Fbaseball%2Fhs_other%2F2026%2F08%2F22%2Fpost_80%2F&utm_medium=referral

名将たちの甲子園初出場物語 西谷浩一(後編)

2005年、大阪桐蔭の3年生にはその秋のドラフト1位でプロへ進むことになる辻内崇伸、平田良介がいた。そこに「無敵の1年生」中田翔が加わった。指揮官である西谷浩一が語る。

「どうしても甲子園に届かない、つかめないという流れが続いた時に、僕と違って"持ってる男"・中田が入ってきたんです。中田との出会いがなかったら、辻内、平田が3年でそろったあのタイミングでも、甲子園に行けてなかったんじゃないかと思います」

【"スーパー1年生"中田翔が開いた甲子園への扉】
 
"スーパー1年生"というフレーズが広く使われるようになったのは、この中田からだったように記憶している。それほど特有の華やかさ、オーラがあった。何より桁外れのパワーとエネルギーがチームを押し上げ、西谷の運命までも切り拓いていった。中田が桁違いの二刀流として颯爽と高校球界にデビューした2005年夏、大阪桐蔭は大阪大会を初戦から危なげなく勝ち上がった。
大阪市立に14対0、守口東に12対2、茨木に9対1、汎愛に10対0。そして迎えたPL学園戦。相手のマウンドには、2年生でエースとなった前田健太が上がっていた。

「万博でね。もちろん、ここが勝負と思って入っていったんですけど、マエケンに(死球を)当ててしまって......。『うわっ!』となったのはたしかでした。あれはね......」

1対0とPL学園リードで迎えた6回だった。前田は5回まで、強打の大阪桐蔭打線をわずか2安打に封じていた。ところが、辻内が投じた渾身のストレートが前田の右ヒジを直撃する。場内が騒然となるアクシデント。それでも前田は平然とその裏のマウンドへ上がった。だが、直後に平田が試合をひっくり返す2ラン。大阪桐蔭は7、8回にも追加点。前田も9回の最終打席で辻内から意地の一発を放ち、強烈なスピリットを見せつけたが、4対2で大阪桐蔭が勝利した。

「試合が終わって、藤原(弘介)監督のところへ謝りに行ったんです。『デッドボール、申し訳なかったです』と。さすがに無視はされなかったですけど、顔は真っ赤で、怒ってましたね。監督としたら、それはね......。あのPL戦が大きなポイントだったのはたしかで、よく覚えています」

その後、大阪桐蔭は準決勝で履正社を11対3、決勝では大商大堺を15対3と圧倒。ついに西谷は、監督として初めて甲子園への切符をつかんだ。
なかでも中田はおもに5番を打ち、大阪大会7試合で打率.458、2本塁打、チームトップの13打点。投げても14回2/3で17三振を奪うなど、投打でチームを牽引した。

【西谷を襲った甲子園初采配の重圧】
 
そして大きな注目を集めて迎えた甲子園初戦の春日部共栄との一戦。待っていたのは、思いもよらない展開だった。
先発・辻内の制球が定まらない。ストライクを取りにいったところを弾き返され、2回に3失点。3回にも1点、5回にも2点を追加され、降板した。試合後、辻内は「心臓がバクバクして......」「どう投げているのかもわからなかった」と振り返った。初回、スコアボードに「152キロ」と表示され、スタンドがどよめいた。その雰囲気にも「パニックになった」とも言った。

マウンド上では何度も頬を膨らませ、大きく息を吸っては吐いた。まさに青息吐息だった。エースの乱調に、攻撃もかみ合わない。5回表の春日部共栄の攻撃を終えたところで3対6。苦しい展開のなか、ベンチの西谷にも「甲子園初采配」の重圧がのしかかっていた。

「何をやってもうまくいかないなかで試合が進んで、気づいたら折り返しの5回。『どうしたらええんや。選手になんて声をかけたらええんや......』と。これだけみんなで頑張って、やっとつかんだ甲子園が初戦で終わるんか......。焦りしかなかったです」

そんなエースと指揮官の窮地を救ったのが、中田だった。5回表、3点差とされ、なおも満塁のピンチ。辻内を救援すると、1年生とは思えないボールと堂々たる投げっぷりで後続を断った。

「球場の雰囲気が変わった」西谷はそう振り返る。そして5回裏、甲子園に快音が響いた。

「先頭の謝敷(正吾)が右中間に強烈な当たりの二塁打を打ったんです。あれでハッと目が覚めたというか、『監督がこんな弱気じゃアカン』と気持ちが入り直したんです」

すると、大阪大会7試合で75得点、チーム打率.449を叩き出した打線も目を覚ます。一死後、平田が三塁打。中田が三塁強襲安打で続き、米川(千貴)が左翼へ二塁打。さらに辻内が四球を選び、川本(健人)がライトへ犠飛。一挙4点の猛攻で7対6。大阪桐蔭が試合をひっくり返した。

「どのタイミングだったかは、はっきり覚えてないですけど、ベンチで『この試合は絶対負けへんぞ!』みたいなことを言ったら、選手が『よっしゃー!』って応えて盛り上がったのは覚えています。ただ、戦術的なアドバイスは何もなくて、『頑張るぞ』『負けへんぞ!』としか言えなかった。
今の自分なら、もう少し何か言えると思うんですけど、当時は辻内が打たれて、5回になって、『アカン、アカン』『やばい、やばい』となっただけで......。まったく余裕がなかったですね」

【幻のウイニングボール】
 
7回に一度同点に追いつかれたが、その裏、中田が今度は自らのバットで左中間へ決勝本塁打を叩き込み、西谷に勝利をプレゼントした。
これが、今では意外に思えるほど遅かった、西谷浩一の甲子園初采配、初勝利だった。のちにその事実を伝えると、「そうだったんですか」と驚かれることも少なくないという。

「前に(春日部共栄の監督だった)本多(利治)さんと話をさせてもらった時に、『あれが甲子園初勝利だったの?』と意外そうに言われました。この間、東京ガスにいる中川卓也(2018年に春夏連覇を達成した時の主将)の結婚式に出た時も、『春日部共栄の時に大阪桐蔭戦で投げました』と難波(剛太)くんがあいさつに来てくれて、『覚えてもらっていますか?』と言うから、『よく覚えてるよ。あの試合に先発して、中田と同じ1年生で......』という話になったんです。それで『あの試合、俺の甲子園初戦やってん』と言うと、『本当ですか!?』と驚いてました」

じつは、この試合を前に選手たちは、ようやく甲子園初采配を迎える西谷のために「勝ってウイニングボールを渡そう」と話していた。ところが、苦しみながらその目標を達成した夜。西谷の部屋を訪ねてきた主将・小林晃徳の表情は沈んでいた。

「試合に負けたあとのような雰囲気で、『西谷先生に話があるんですけど......』と言うから、『どうした?』と聞いたんです。そしたら、『試合に勝ってウイニングボールを渡そうと、みんなで話して頑張ったんですけど、あんな試合になって、最後もバタバタで二死満塁。終わったあと、ボールがどこへ行ったかわからなくなって......』って。申し訳なさそうに言うから、『いやいや、ありがとう。次に勝ったら頼むわ』と言ったんです」

その5日後。別人のようになった辻内が、藤代(茨城)を相手に大会タイ記録となる19奪三振の快投を演じ、大阪桐蔭も勝利した。
試合後、西谷は満面の笑みを浮かべた小林から、ウイニングボールを受け取った。ところが帰りのバスに乗ると、西谷のうしろの席に辻内が座っていた。

「おまえ、タイ記録やったってなあ」
「はい」
「ウイニングボールをもらったけど、最後も三振で決めたし、おまえがもらったほうがいいんちゃうか」
「いいんですか?」

遠慮気味に答えた辻内に、西谷は記念球を渡した。

「それから、あとは誰もくれないんです(笑)」

【甲子園通算75勝の名将が語る原点】
 
今や通算75勝。堂々の甲子園歴代最多勝利監督である。しかも、最初の1勝からわずか21年で積み上げた75勝だ。あまりにもハイペースな勝利の積み重ねが、「西谷監督の初勝利はもっと前だろう」という錯覚を生むのかもしれない。こちらが持参した2005年夏の甲子園大会を特集した当時の雑誌を懐かしそうにめくりながら、西谷は小さく笑った。

「人のことなら『21年で75勝』と聞くと、すごいと思うんですけどね。自分のことだと思わないですねえ」

そして不思議なことに、甲子園初采配、初勝利の喜びや感慨を尋ねても、西谷の口から出てくるのは、自らの「未熟さ」だった。

「本当に『どうしよう、どうしよう』ばっかりで、何の策も打てない。言葉もかけてやれなかった。準決勝で負けた駒大苫小牧(南北海道)戦も、完全に監督の力の差で負けたと思っています。もちろん準備はしていたんですけど、試合が始まって動きだすと、駒大苫小牧戦も春日部共栄戦も何もできなかった。うまく選手たちを導いてやれなかった。初めての甲子園ということで思い出すのは、『何もできなかった』という、そのことばかりです」

話を聞いたのは、この夏の大阪大会前だった。その後、大阪桐蔭は4回戦で敗退。「波乱」と大きく報じられた一戦のあと、西谷はやはり「選手たちを導いてやれなかった」と、自らの力不足を繰り返し口にしていた。どれだけ勝っても、どれだけ結果を積み上げても、その思いは変わらない。いや、変わらないからこそ、勝ち続けてこられたのかもしれない。
大阪桐蔭を常勝軍団へと育てた名将の原点は、2005年夏、甲子園で何もできなかったと悔やんだ、あの日の姿にある。

☟18人中17人が甲子園経験者…U18侍ジャパンは「甲子園偏重」でいいのか? 現役監督からも漏れる“本音”
https://news.yahoo.co.jp/articles/c17a67468bbbe4bb36543cc72eed9e98241dc8f0?page=1

夏の甲子園は終わったが、選ばれた選手たちにはもう一つ大きな舞台が待っている。9月7日に台湾で開幕するU18アジア選手権だ。

高野連から話が来たら断ることは難しい
 
8月29日には壮行試合として大学日本代表との交流試合が行われ、会場となった明治神宮野球場には2万人を超える観客が詰めかけた。甲子園で活躍した高校生が、レベルの高い大学生に挑む。このイベントは2015年にスタートし、注目度も高まっている。これだけ注目されるイベントになった一方で、U18侍ジャパンのチーム運営には以前から気になる点がある。監督人事もその一つだ。

2015年以降の代表監督を見ると、いずれも甲子園で優勝、または準優勝を経験した指導者で、現役監督が起用されるケースも少なくない。2024年から2年間は日大三の監督を退いていた小倉全由氏が指揮を執った。2025年12月に就任した岡田龍生監督は東洋大姫路の現役監督である。コーチ陣にも高校の現役指導者が並び、今回の首脳陣で高校の現場を離れているのは、関大北陽の前監督、新納弘治ヘッドコーチ(日本高野連技術・振興委員)だけだ。

問題は代表活動の時期である。8月末から9月は各校の新チームが本格的に動き出し、全国各地で秋季大会が始まる。代表に参加する監督は、その間、自校の指導から離れざるを得ない。
2022年には花咲徳栄の岩井隆監督がU18侍ジャパンのヘッドコーチとして不在だった期間に、チームが秋季埼玉県大会の初戦となった2回戦で敗退。翌春の選抜出場を逃した。甲子園で十分な実績を持つ、ある監督に代表チームについて話を聞くと、率直な答えが返ってきた。

「正直、自分のチームのことを考えると、新チームがスタートする時期にチームを離れるのは避けたいですね。そう思う監督が大半ではないでしょうか」

さらにこう続けた。

「実際に高野連から話が来たら断ることは難しい。できればコーチも含めて、現役の監督以外で首脳陣を固められるのが理想だと思います」

本当にベストメンバーなのか
 
前任の小倉氏のように、直前まで高校野球の現場にいた指導者を毎回確保できるとは限らない。高校の現役監督に限定しなければ、人材の選択肢はもっと広がるだろう。U12やU15ではNPB経験者が代表監督を務めている。社会人野球にも監督経験者は数多く、NHKの高校野球中継で解説を担当するなど、高校野球への理解が深い人材もいる。代表チームの首脳陣を高校の現役監督を中心に編成する必要があるのかは、一度検討してもいいはずだ。監督人事だけではない。選手選考にも同じような問題を感じる。

今年のU18侍ジャパン18人のうち、今夏の甲子園に出場していないのは前田侑大(高岡第一・投手)と福島陽奈汰(東海大熊本星翔・内野手)の2人だけだ。福島は今夏こそ甲子園に出場していないが、2年夏に出場を経験している。つまり、甲子園未経験者は前田1人である。甲子園出場選手に実力者が多いのは当然だ。ただ、代表入りしても不思議ではない選手が他にいなかったわけではない。

代表選外となった選手を見ると、最速152キロ、高校通算39本塁打を誇る二刀流の菰田陽生(山梨学院・投手)、最速150キロ左腕の高部陸(聖隷クリストファー・投手)、夏の甲子園で151キロを計測した平田玲翔(大分商・投手)らがいる。菰田は春の選抜で左手首を骨折し、負傷の影響で4月の代表候補合宿メンバーから外れたが、夏には復帰していた。個々の能力だけで代表を編成できるわけではなく、ポジションやチーム全体のバランスも考える必要がある。それを踏まえても、18人中17人が甲子園経験者という顔ぶれを見ると、本当の意味で全国からベストメンバーを選べているのかという疑問は残る。

選考合宿が理想だが…
 
今年は末吉良丞(沖縄尚学)の選出についても、一部で疑問視する声が上がった。昨夏の甲子園で優勝投手となった左腕は、今年4月に左肘痛を発症して長く実戦登板から遠ざかった。夏の甲子園では横浜戦に先発したものの、3回3失点、最速143キロで降板している。

末吉は昨年、2年生で唯一U18侍ジャパンに選ばれた投手でもある。ただ、18人という限られた人数で戦う大会だけに、春から故障で登板機会が少なかった投手を招集することにリスクがないとは言えない。末吉の将来を考えても、選出について議論が起こるのは理解できる。

なぜ、甲子園出場選手に偏りやすいのか。過去に代表チームの選考に関わった関係者に話を聞くと、そもそも全国の候補選手を把握する難しさがあるという。

「代表チームを選考するといっても全国くまなく視察に行けるわけではありません。4月に行っている代表候補合宿についても各都道府県、各地区の高野連から推薦を募っていますが、正直、地区によって温度差があるのは確かです」

さらに難しいのが、夏の地方大会で敗退した選手のコンディション把握だ。

「国際大会は夏の甲子園が終わった9月に行われていますが、地方大会で敗れた選手は実戦からかなり遠ざかっており、どんな状態かが分かりづらい。そうなると、どうしても直前まで甲子園大会でプレーしていた選手が中心になります」

直前まで実戦を続けている選手は状態を把握しやすい。一方、甲子園を勝ち上がった選手ほど疲労が蓄積している恐れがある。

「甲子園での疲労が残っていて、パフォーマンスが落ちている選手もいます。本当は大会前に候補選手を多めに集めて、選考合宿をできると良いと思うのですが、スケジュール的にも難しいのが現状ですね」

より幅広く人材を集める仕組みを
 
甲子園に出場していない選手を増やせば解決するほど単純な話ではない。過去には夏の甲子園を逃した選手を選出したところ、調整不足が明らかで、本来の力を発揮できなかった例もあったという。
逆に、甲子園を勝ち上がった選手には疲労の問題がつきまとう。2018年のU18アジア選手権では、地方大会と甲子園で計11試合、1517球を投げた吉田輝星(金足農・現オリックス)が招集された。代表合宿では疲労を考慮して別メニューでの調整が続き、本大会では2試合に登板して2敗に終わっている。

日程上の制約が大きいのは確かだ。それでも、地方大会で敗れたチームの有力選手について、夏の大会終了後に候補者を集めて状態を確認する機会を設ける方法は考えられる。国際大会直前に人数を絞る選考合宿が実現すれば、甲子園での活躍だけに左右されないメンバー編成につながるだろう。

日本の高校野球で最大の舞台が甲子園であることに異論はない。国際大会はどうしても「甲子園後のおまけ」と見られがちである。しかし、同世代のトップ選手が集まり、一緒に練習し、海外の強豪と戦う経験は簡単に得られるものではない。実際、代表チームでレベルの高い選手と過ごした経験が、その後の成長につながったと話す選手を何人も取材してきた。

それだけ価値のある代表活動だからこそ、甲子園を中心に据えた現在の仕組みが最善なのかは考える必要がある。監督人事も選手選考も、甲子園という枠にとらわれず、より幅広く人材を集める仕組みを検討する時期に来ているのではないだろうか。

⚾岩手さんへ
本屋は僕の近所でも相次いで閉店しておりますね・・・。街(都会)に出ないと大型書店はあまりないかな?

和智弁は辯天宗ということもあってか?かなり球運に恵まれるタイプのチームですね。高嶋先生時代から窮地に追い込まれながらも、信じられない幸運がやってきて終盤猛打で大逆転勝ちを幾度も目にしました。猛打に霞んでしまいますが、打線爆発前にイレギュラーバウンドやベースに当たってただの内野ゴロがラッキーなヒットに変わることもしばしで。。。。。

あの決勝も僕は8回表の逆転2ランで負けを覚悟しましたね・・・。8回頭から抑えの久葉投手につないでも早すぎることはないと思ったが、2ラン浴びてさらにピンチを招いてから継投したので遅きに失したきらいはありましたが・・・・・。
8回裏スコア集計に手間取り初球のデッドボールを見逃してしまいましたが、球審によっては『避けていない』と判断され、ただのボール球と判定される可能性もあったし、5番打者が送りバント失敗し2ストライクと追い込まれ・・・バントはできそうにもなかったが、ああいうケースだったらしゃーなしに打たせて内野ゴロゲッツーという目も当てられない結果になりかねなかったが、運よく詰まった打球がセンター前に落ちたし、1死2・3塁で初球スクイズが相手捕手の急所直撃でツキがきましたね。

基本的に高嶋先生も相手が強ければ送りバント多用していたし、スクイズも結構やってきましたが外されるシーンもよくみてしまいました・・・。それ以上にスモールベースボールがナカタニ野球なんで。。。県大会でも格下相手に送りバントしてアウト1つ献上するシーンは何度も見ており、5-0や6-0でコールド一歩手前で手加減する?優しさは何度も見ましたね。

沖縄の子は以前から岡山県や滋賀学園に結構来ますね!
2026/09/06(日) 22時24分03秒 No.2604 編集 削除