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宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日のさわかみ関西府独立リーグ試合結果(紀三井寺球場)
和歌山ウエイブス-姫路イーグレッターズ 17:00~19:43 17:36点灯 3回裏から 48人
          一二三四五六七八九十11計HE
      姫 路 E00000000000052
      和歌山W00000000000051

深夜から明け方にかけて宝塚界隈は雷鳴と稲光そして豪雨で4時頃目が覚めずいぶん悩まされましたが、、、、、和歌山は前線の影響を受けることなく、15時過ぎに紀三井寺駅到着したら入道雲に青い空が見え、球場に着いたらちょうど散水が終わる頃合いでした。

結局、折り畳み傘の出番が今日もなく、オークワで仕入れたかき氷でクールダウンしたおかげで17時試合開始からは熱さも感じず快適だったかなと。
しかし両軍の投手が本当に良かった。姫路の前田投手は11回完封して最後まで147kmなど剛速球を披露。中継ぎ登板した和歌山の野口投手はなんと157km!!

僕の眼勘定では20人程度しかお客さんがいないように見えたが48人もいたとは、、、、、せやけど9回で終わっていたら2時間13分と味気なかったし、2代目カンドクは延長11回までやってくれるのでこれは嬉しかった!

もうタイブレークの無い延長生観戦なんて5年ぶりあるいはそれ以上ブランクあったかも!?今年最初で最後の紀三井寺ナイターも堪能できました。

⚾明日の和歌山大会新人戦組み合わせ(7日目 準々決勝 紀三井寺球場)
    09:00~ 近大 新宮- 神 島
    11:30~ 和歌 山工-市和 歌山

📝ベンチ見ずに「自らタイム」を取る3年生捕手 智弁和歌山が日本一になったわけ
https://news.yahoo.co.jp/articles/8b91b02f71367581741a504246158398182df4bf?page=1

8月5日に開幕した第108回全国高校野球選手権は智弁和歌山(和歌山)の5年ぶり4度目の優勝で幕を閉じた。和歌山大会では苦戦が多かったこともあって、前評判は決して高くなかったが、試合を重ねるごとに成長を見せていった印象だ。

では、智弁和歌山の優勝の要因はどこにあったのだろうか。チームを語るうえでよく使われるのが強力打線だが、今年は決して打ち勝ったわけではない。初戦の社戦では好投手の岩井秀耶(3年)に2点に抑え込まれ、続く敦賀気比戦もタイブレークとなった延長11回に一挙5点を奪っているが、9回までは2得点だった。この2試合を見ても、打線の力で押し切るだけのチームではないことがよく分かるだろう。

まず大きかったのが投手陣の成長だ。エースの和気匠太(3年)は和歌山大会では3試合、14回1/3を投げて被安打24、自責点6、防御率3.77と不安定な投球が目立ったが、甲子園初戦の社戦では6回を投げて無失点と先発の役割を果たし、その後も大きく崩れることはなかった。仮に和気が和歌山大会のような状態であれば、初戦で敗れていた可能性も高かったのではないだろうか。さらに、エースの和気以外にも力のある投手を揃えていたのも強みとなっていた。チームを指揮する中谷仁監督も、継投のパターンについては82通りくらいあると話していたように、今大会の5試合は全て違う投手起用で勝利している。

決勝の健大高崎(群馬)との試合では、それまで2試合にリリーフ登板していた長井心海(2年)を先発に起用したが、それまで一度も先発していない投手が決勝の先発マウンドに上がるのはこれまでになかったことだ。ちなみに長井は和歌山大会の決勝戦でも先発を任されており、大舞台でも力を発揮できるところを買ってこのような抜擢となったと考えられる。

長井はその期待に応えて、健大高崎打線を5回まで1点に抑えてみせた。他にも登板した3試合全てで抑えを任せられ、胴上げ投手となった久葉亮太(3年)も、合計8回2/3を投げて自責点0と緊迫した場面で力を発揮している。敦賀気比戦で先発として登板した左腕の米原佑真(2年)も、5回途中まで投げて2失点と試合を作った。

多くの投手を抱え、様々なパターンで継投することはなかなか付け焼き刃でできることではない。決勝戦でも好投していた長井からエースの和気につなぎ、さらに和気が失点すると久葉を投入するなど、投手交代に迷いがなかったのは、これまでの練習試合も含めてあらゆるパターンの継投で戦ってきた証拠と言えるだろう。

また近年は高校野球でも相手のデータを分析し、対策を練って戦うのが一般的になっているが、これだけ異なる投手を抱えているチームに対してはそれが難しくなることも確かだ。準決勝で智弁和歌山に敗れた横浜(神奈川)も多くの力のある投手を抱えていたが、織田翔希(3年)と小林鉄三郎(2年)の二人に対する依存度が高かったことも、勝ち上がれなかった要因と言えそうだ。そして最も大きかったのが、そのようなタイプの異なる多くの投手を巧みにリードした捕手の山田凜虎(3年)の存在だ。

山田は東海中央ボーイズ時代から評判のキャッチャーで、智弁和歌山でも1年秋から不動の正捕手として活躍している。2年春の選抜で初めて甲子園に出場し、決勝で横浜に敗れたものの準優勝に大きく貢献。この大会で中谷監督に山田について話を聞いたが、下級生でも大きな信頼を寄せていることが分かる話しぶりだった。

安定したキャッチング、スローイング、4番を打つ打撃などももちろん高レベルだが、それ以上に光っていたのがインサイドワークの部分だ。試合のポイントとなりそうな場面ではベンチの様子をうかがうことなく、自らタイムを取ってマウンドに向かうシーンが今大会では度々見られた。今大会の智弁和歌山が1イニングで最も多く失点したのは「2点」であり、そういった山田の試合を読む力が相手にビッグイニングを作らせなかった大きな要因と言えるだろう。

そんな智弁和歌山も昨年秋は県大会で敗れて近畿大会に進むことができず、選抜出場を逃している。また冒頭でも触れたように夏の和歌山大会の戦いぶりも決して盤石なものではなかった。ただ、それでも全国優勝を果たしているように、高校生は短期間で大きく成長を遂げるということを改めて証明したと言えるだろう。来年以降も今年の智弁和歌山のように急成長を遂げるチーム、選手が出てくることを期待したい。

☝“高校野球7回制”の導入にブレーキ!? 止まない反対意見 甲子園は2部制で熱中症大幅減、高校球児のほとんどが「NO」の現状
https://news.yahoo.co.jp/articles/59a874f7ac7932525aab782e1e4b1259aadc2b37

加速するはずだった「高校野球7回制」導入に、この夏の甲子園を経た今、「待った」がかかったとの話が、高校野球関係者の間で流れています。

これまで、「高校野球7回制」の導入は不可避とされてきました。昨年12月5日に行われた日本高野連の「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」では、猛暑対策や障害予防を理由に「2028年の第100回記念選抜高等学校野球大会ならびに各都道府県高等学校野球連盟の春季大会から採用することが望ましい」と最終報告書に記載したからです。
力強い言葉で、導入のメドが綴られた以上、「現行の9回制は風前の灯火か」と囁かれていたものですが、ここに来て「9回制でよいのでは」「他に変えるべき点があるのでは」といった球界有識者の意見が噴出。7回制導入に“ブレーキ”がかかったような状態になっているのです。甲子園取材歴の長いスポーツライターは言います。

「これはある意味、日本高野連や大会運営サイドによる酷暑対策が上手くいったからでもあるんです。今夏の甲子園大会は『2部制』が2回戦終了までの10日間、33試合に拡大されましたが、これが効果てきめんでした。ナイター開催によって涼しい中で球児たちがプレーすることができた。我々の取材環境も快適でした。新聞記者の方々は締め切りに追われて泣きそうでしたけど(笑)。最終報告では熱中症の件数が、昨年に比べて大幅に減ったとされていましたからね」

このように運営方法を変えれば、7回制にしなくても、やりようはいくらでもある。もっと知恵を出すべきではないかとの声が、インフルエンサーからも発信され、世論は「9回制維持」に傾いているというのが、偽らざる現状でしょう。

「桑田真澄さんやイチローさんといった、球界の未来を真剣に考える人々が7回制導入に疑問を唱えている現状は、決して無視できません。現場からも大阪桐蔭の西谷浩一監督が『断固反対』と口にして、大きな話題になりました。現役監督が日本高野連の意向に『NO』を訴えるのは、大変勇気のあること。今の枠組みを変えたくないという意見は、それほど切実であるということです」(前述のスポーツライター)

そして何よりも「主役」となるべき高校球児のほとんどが、「7回制反対」を求めている現状も、導入への大きなハードルになるでしょう。もちろん、日本高野連が7回制導入を健闘しているのは、猛暑から球児や関係者を守り、安心安全な大会運営を志しているからこそ、といった視座も必要です。この問題、解決にはまだまだ議論が必要なようです。

📝「とんでもないところに来てしまった」意外にも30年甲子園なし…元木大介・黒田博樹を輩出した大阪の雄・上宮高のいま「令和に変えるべきは変えて」
https://news.yahoo.co.jp/articles/870295d25a6ab52eca3f534e24b4609b9c937178

多くのプロ野球選手を輩出し、春夏通算9度の甲子園出場を誇る大阪の雄、上宮高校。しかし意外にもこの30年近く、聖地に登場していない。今、名門はどんな挑戦をしているのか、現地を訪ねた。

「上宮のユニフォームは、甲子園で本当によく映えますね」

今年5月、阪神甲子園球場で行われた審判講習会。モデル校として聖地に招かれた大阪の伝統校・上宮高野球部の選手たちを眺めながら、高野連の関係者がふと漏らした言葉だ。
胸に赤の縁取りで大きく刻まれた「上宮」の文字、そして伝統のアイボリーのユニフォーム。その洗練された佇まいは、令和の時代を迎えてもなお色あせることはない。

約30年遠ざかる聖地
 
元木大介(元巨人)、黒田博樹(元広島、ヤンキースなど)をはじめ、数多のプロ野球選手を輩出。春夏通算9度の甲子園出場を誇り、春のセンバツでは1989年準優勝、1993年優勝、1997年ベスト4と、甲子園の歴史にその名を刻んできた。しかし、その輝かしい実績の裏で、意外な事実が存在する。これほどの強豪でありながら、夏の甲子園出場は1989年の1度のみ。そして何より、1997年春を最後に、約30年もの間、甲子園の土を踏んでいないのだ。

大阪の高校野球勢力図がPL学園(2016年休部)から、大阪桐蔭、履正社の「2強」を中心に塗り替えられていく中で、かつての王者は長い沈黙を余儀なくされてきた。

上宮には専用の寮がなく、全員が大阪や奈良などの近郊から、かつて司馬遼太郎も学んだ大阪市天王寺区の校舎まで通う。放課後は電車と自転車を乗り継ぎ、約1時間をかけ、大阪南東部の上宮太子高内にある上宮学園グラウンドに移動。宮内庁が治定する天皇陵4基(30代敏達天皇陵、31代用明天皇陵、33代推古天皇陵、36代孝徳天皇陵)と聖徳太子廟を含む「磯長谷(しながだに)古墳群」に囲まれながら日々汗を流す。 その伝統校の再建という重責を担い、今年4月から再び指揮をとるのが村田侑右(ゆうすけ)監督だ。 村田監督自身、上宮の黄金期に魅せられた一人だ。1997年春、山田真介(元巨人など)、渡辺正人(元ロッテ)、OBで三木肇(元楽天監督)の弟である三木仁(元近鉄、オリックス)らを擁して甲子園4強入りした勇姿を、当時小学5年生になったばかりの村田少年はテレビ越しに食い入るように見つめた。

「やっぱり、あのアイボリーのユニフォームへの憧れですよね。僕らが子供の頃、甲子園で輝いていたのをずっと見ていましたから。最初は本当に憧れから入りました」

それから、上宮に入りたい一心で必死に腕を磨いた。しかし、上宮が監督交代のタイミングで、スポーツ推薦枠を一時的に設けていなかった時期と、中3の受験期が重なってしまう。強豪校からの誘いもあったが、上宮への進学にこだわり、グラブとバットをペンに持ち替えて猛勉強。難関の一般入試を突破した。

とんでもないところに来てしまった
 
意気揚々と伝統校の門を叩いたが、待っていたのは圧倒されるような現実だった。

「とんでもないところに来てしまったなというのが最初の本音でした。私は中学では軟式出身で、すごい先輩方がプレーしている中でやっていけるんだろうかと、不安でいっぱいでした。夜の9時、10時まで練習して家に帰るという文化も自分にはなかった。でも、必死になればなんとか食らいついていけるものなんだと知りました」

当時の大阪は依然PL学園が強かった。PLの敷地はグラウンドの最寄り駅である喜志駅を挟んだ向こう側にある。顔見知りの同級生も何人かおり、そのライバルたちに負けまいと過酷な練習を必死で耐え抜いた。そして最高学年となった村田さんは主将、そして「4番・一塁」の重責を担う選手へと成長する。

しかし、2004年、最後の夏は、思わぬ試練に見舞われた。不祥事によって1カ月間の練習自粛を余儀なくされ、万全とは言えない状況で挑んだ大阪大会3回戦で浪速高に4対11と大敗。「やり残した部分はありました」と、悔しさを胸に高校野球を引退した。
その後、関西学院大学で野球部に所属。そして同大学院での修士課程を修了し、教員となった村田さんが最初に赴任したのは、高校最後に敗れた浪速高だった。

「浪速で野球部の部長として過ごした2年間は僕の指導者人生においてすごく大きいです。高校野球における心遣いやグラウンドでのあり方、先輩後輩の上下関係といった人間的な部分を当時の監督さんから徹底的に教わりました」

浪速での日々は充実しており、選手たちとともに本気で甲子園を目指していた。しかし2012年夏、舞洲で観戦していた母校の上宮とPL学園の一戦を見て、心が震えた。

もう一度、母校で
 
あの、夢にまで見た上宮のユニフォームにもう一度袖を通したい——。そこから母校の教員試験にチャレンジし、2013年春から慣れ親しんだ学び舎へと戻った。

「グラウンドに初めて足を踏み入れた時に、並大抵の覚悟ではできないと胸が熱くなりました。現役時代の無念を晴らすために、何とかやっていきたいなという思いになりました」

そして2014年秋から監督に就任。大阪桐蔭や履正社をはじめとする強豪に挑み続けた。ただ、その壁は高く、大阪大会は2017年夏、2022年夏の4強が最高。2022年は同年センバツ覇者の大阪桐蔭に0対8と完敗し、その後、監督の座を退いた。ただ、ここからの空白期間が、指導者としての引き出しを大きく増やす転機となった。

「最初は『結果を出さなければ』という思いが強すぎて、視野がすごく狭くなっていたんです。勝利への執念から生徒を追い詰めるようなプレッシャーをかけてしまっていた部分もありました」

現場を離れたことで、客観的な視点からチームや指導法を見つめ直す余裕が生まれたという。

「今夏の大阪大会2回戦、岸和田産業さんとの試合でタイブレークになりましたが、あの空白期間がなければ、気持ちの余裕は持てなかったと思います。それまでは昭和の匂いがプンプンする雰囲気でさせてもらっていましたが、熱中症対策も含め、時代は平成、そして令和へと変わっています。古き良き熱い雰囲気を引き継ぎつつも、柔軟に変えていくべき部分は変えていく。その重要性に気づけた大きな時間でした」

伝統のユニフォームの意味を継承したい
 
今年4月から、再び監督としてベンチに立ち、指揮を執る。復帰初年度となった今夏は、個々の能力の高さに期待がかかるチームだった。しかし4回戦、東淀川高に1対2と逆転負けを喫してしまう。

「練習試合を重ねる中で、どうしてもここ一番での勝負弱さが課題として見えていました。プレッシャーがかかった場面を設定して臨んだ夏でしたが、最後もチャンスを作りながら打ち切れなかった。個々の能力が高かっただけに、課題が浮き彫りになった夏でした」

敗北の悔しさを噛み締めながらも、指揮官の視線はすでに未来を見据えている。

「歴史があるからこそ、今の自分たちがあると思っています。『温故知新』、故きを温(たず)ねて新しきを知る、という言葉通り、過去の先輩方が築き上げた栄光を子供たちにしっかりと伝え、この伝統のユニフォームを着て戦う意味を継承していきたいと思っています」 歴史を紐解けば、上宮の栄光の陰には、代々語り継がれる痛恨の1プレーが存在していた。昭和から平成へと時代が変わった1989年春の甲子園決勝。あの日の教訓こそが、「上宮野球」の原点だった。

📝「ボールが逃げていく!」球史に残る痛恨のワンプレーを今も胸に…30年遠ざかる甲子園をめざす上宮高の挑戦「大阪“2強”に団結力で挑む」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c666cc8d373592f9e4d66754df48d4d6bd7778c7

大阪の伝統校である上宮高は、大阪南東部にある上宮学園グラウンドを、兄弟校である上宮太子高と共有しながら日々練習を行っている。バックネット裏の観覧席を見上げると、青々としたツタが網目を覆うように力強く茂っている。これはかつて、甲子園に生い茂っていたツタの苗木が、年月をかけて育ったものだと伝わる。

「私が現役時代の2000年代前半にはありました。観覧席も古いのですが、簡単に改修できないんですよ」

上宮を率いる村田侑右(ゆうすけ)監督はそう言って笑う。何十年も前から変わらず、聖地の息吹を宿したツタの葉が、部員たちを静かに見守り続けているのだ。

「ボールが逃げていく!」
 
その上宮野球部には、時代を超えて語り継がれる「教訓」がある。平成最初の甲子園となった1989年春のセンバツ。東邦高(愛知)との決勝は、誰もが予期せぬ結末が待ち構えていた。1対1の同点で迎えた延長10回表に1点を勝ち越し、その裏も2死と、悲願の初優勝にあと1死まで迫った。ただ、ここから四球、内野安打で一、二塁とされると、次打者の安打で同点とされてしまう。ここからの数十秒が悲劇の始まりだった。

二、三塁間で挟まれた走者をアウトにしようと、捕手の塩路厚(関西大―河合楽器)から三塁手の種田仁(中日など)、二塁手の内藤秀之(明治大―日本生命)へと転送されるも、種田の送球がショートバウンドする。内藤はおろか、バックアップに入った右翼手の岩﨑勝己(東京農業大―三菱自動車岡崎)も、芝の切れ目でイレギュラーバウンドしたボールを後逸。無人の右翼最深部まで転々と転がっていった。

「ボールが、ボールが逃げていく!」

甲子園の歴史に残るシーンの教訓
 
実況の声がかき消されんばかりに、甲子園を歓喜と絶叫が渦巻いた。逆転サヨナラの生還を果たした高木幸雄(愛知学院大)を中心に、本塁付近で喜ぶ東邦ナインとは対照的に、2年生エースの宮田正直(元ダイエー)や元木大介(元巨人)ら上宮ナインがグラウンドに突っ伏して泣きじゃくるシーンは、今なお高校野球ファンの脳裏に深く刻まれている。

「あの決勝戦の映像は、テレビなどでもよく流れますが、我々の大きな教訓となっています」

村田監督は「凡事徹底」の大切さを説く。

「100回あって、バックアップが実際に生きる場面はおそらく1、2回しかないでしょう。3年間で何万回とバットを振っても、最後の大会で結果が出ないこともあります。でも、その1プレー、1打席に背景があるわけで、日々の準備がある。あの試合の結果があったからこそ、やらなければいけないんだよ、と選手に言い続けています」

一見地味に見えるプレーを徹底してやり続けることが、土壇場での勝敗を分ける。先輩たちの涙を単なる悲劇で終わらせず、勝負の真理としてナインに伝承している。

“兄弟校”との関係
 
上宮を語る上で欠かせないのが上宮太子との関係性だ。両校が月ごとに話し合い、共有する上宮学園グラウンドと隣接する室内練習場を使い分けている。同じ敷地内で汗を流す兄弟校だが、グラウンド上の関係について村田監督の態度はすこぶる明快だ。

「いくら兄弟校といえども、同じ大阪で戦うライバルですから、一緒に練習をしたり、練習試合をやることはありません。互いに手の内は見せないですし、バチバチとした緊張感があります。もちろん指導者同士の交流はありますが、グラウンドに立てば譲れないものがあります」

過去に、上宮で元木や薮田安彦(元ロッテ、ロイヤルズ)、黒田博樹(元広島、ヤンキースなど)らを指導した山上烈元監督が1998年、上宮太子の初代監督に就任。翌1999年夏の大阪大会準決勝で激突し、1、2年生のみの「弟分」に4対7で負けた苦い記憶がある。同じルーツを持ちながらも、グラウンドに一歩足を踏み入れれば互いに負けられないライバルとしてしのぎを削る。この独特の緊張感も、上宮の日常を支えるエネルギーとなっている。また、通学環境やマナーに対する指導も厳格だ。部員たちは授業後、大阪市天王寺区の学校から近鉄線を乗り継ぎ、喜志駅から自転車で15分ほどかけてグラウンドに通う際、近隣住民との関係性を何より大切にしている。

「かつては通学マナーについて厳しいご指摘をいただいた時期もありました。だからこそ今、地域の方々にご理解いただき、応援していただけるようなチームでありたい。挨拶やマナーを徹底し、愛される存在になることが第一です」

ただ、今夏の大阪大会は4回戦で敗退し、チームは新体制へと移行。村田監督が「すごく真面目で一生懸命できる子」と評する新主将の西川立真(たつま)内野手を中心に、秋へ向けて粘り強いチーム作りが進んでいる。「最初は不安もありましたが、毎日1000スイングをやり込んで新チーム初戦の練習試合に臨んだら、結果が出たんです。チームとしての共通認識は、チャンスでは右打ち意識で、フライを上げないこと。守備では2死から四球や死球を出さないということを徹底しています。打力やパワーは大阪桐蔭や履正社に及ばない部分はありますが、チームの団結力で勝負していきたいです」

「2強」の牙城を崩せるか
 
西川主将の言う通り、大阪の高校野球界は、大阪桐蔭、履正社の「2強」が君臨している。しかし、村田監督は決して諦めることはない。今春から元木氏がOB会長に就任。上宮の全盛期を知るレジェンドの協力も得て、一丸となって1997年春以来の甲子園出場を目指す。

「OBの方もたくさん指導にきてくださいますし、学校側もすごく協力体制に入ってくれています。選手には『伝統を継承していこう』と言っていますが、部室には『俺らで伝統を作っていこう』というキャッチフレーズも貼っています。上宮のユニフォームを着ている以上、負けていいゲームはありません。どんな相手にも立ち向かっていく気持ちは絶対に忘れず、甲子園に必ず出場するために、子供たちと頑張っていきたいと思います」

かつて甲子園を彩ったアイボリーのユニフォームが、再び聖地に映えるその日まで——。上宮の意地と誇りをかけた挑戦は、これからも続いていく。
2026/08/29(土) 0時06分35秒 No.2590 編集 削除