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宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(最終日 決勝戦)
  ☆ 10:00~ 智弁和歌山-健大 高崎

⚾明日の和歌山大会新人戦組み合わせ(3日目 2・3回戦)
マツゲン有田球場
    09:00~ 串本 古座-県和 歌山
    11:30~ 近大 新宮- 耐 久

サンナンタンランド球場
    10:00~  熊 野 - 南 部
  ☆ 12:30~ 市和 歌山-高 野 山

📝令和8年度秋季近畿地区高等学校野球大会奈良県予選 組み合わせ抽選表
http://www1.kcn.ne.jp/~nhsbbf/and/2026aki-kumiawse.pdf

9/27 さとやくスタジアムで8時30分から4試合組まれているのが嬉しいですね!

🔥明石へ続くゼロ行進 軟式高校野球の天理、無失点で4年連続全国出場
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a8d5c672d186b889065f1ffcd3ba475b0b63993

8月24日から兵庫県の明石トーカロ球場などで開かれる第71回全国高校軟式野球選手権に天理(奈良)が近畿地区代表として出場する。4年連続20回目の代表をつかんだ今夏は、奈良大会初戦から近畿大会決勝まで4試合37回連続無失点。中心となったエースの金子琉奏主将(3年)は、ゼロ行進を「全国の決勝まで続ける」と意気込む。

5日に京都府宇治市の太陽が丘球場であった近畿大会決勝。1―0で迎えた延長タイブレークの十回裏、2死二、三塁で金子は打者を一ゴロに打ち取った。全速で一塁カバーに走り、ベースを踏んで完封を決め、そのまま歓喜の輪へ走っていった。

校歌を歌おうと並んだ途端、ひざから地面に崩れ落ちた。「ほっとして気が抜けた」。142球、全力を使い切った。天理市出身。小学4年で野球を始めたときから内野手で、昨夏の全国大会も背番号「6」でベンチに入った。送球の安定感を買われ、新チームでは投手陣に加わった。打撃も力があり、打順は2番で指名打者(DH)。先発投手が降板後もDHで出場を続けられるいわゆる「大谷ルール」をフル活用した。

近畿大会では制球力をいかしてテンポ良く投げ込み、2試合13回で被安打は単打4本。四死球はひとつだけだった。
「守備からリズムを作って攻撃につなげる野球を全国でもやりぬきたい」と金子。目指すは10年ぶりの全国制覇だ。

📝横浜156キロ腕・織田翔希の異変「いける!」「バントのサインはなし」「お前はいい所で打てる」“元ドラ1監督”と智弁和歌山打線が語る攻略の真相
https://news.yahoo.co.jp/articles/5632065048da2515ceac0298697b6dc0cc72fa45?page=1

選手に道筋を示し、あとは信じてじっと待つ。その指揮官の思いに、選手たちは結果で応えた。智弁和歌山が下馬評を覆し、優勝候補の筆頭に挙げられていた横浜に7-1で完勝した。
智弁和歌山の勝因は、世代ナンバーワンとも評される横浜・織田翔希投手の攻略にある。

「いける!」試合直後から感じていた異変
 
今大会で最速となる156キロを何度もマークした右腕に対しても、臆することはなかった。1点を追う3回に3連打で同点に追いつくと、なおも無死二、三塁で5番・楠本龍生選手がライトへ勝ち越し3ランを放った。カウント2ボールからの3球目。152キロの速球を捉えると、打った瞬間に本塁打を確信してバットを静かに置き、ゆっくりと一塁へ走り出した。

「2ボールだったのでストレート一本に張っていました。覚悟ができた打席だったと思います」

続く打者は凡退したが、7番・川原一将選手がショート強襲の安打を放つ。智弁和歌山は織田に対して打者16人で8本の安打を浴びせ、2回1/3でノックアウトした。智弁和歌山は試合開始直後から、織田攻略の手応えを得ていた。同時に〈異変〉も感じていた。
初回は2死から、3番・井本陽太選手と4番・山田凜虎選手が連打。結果的に無得点に終わったが、ベンチからは「いける!」と声が上がっていた。

ストレートが一番難しいのに比率が
 
中谷仁監督の心の中も、選手たちと同じだった。

「織田投手を打ち崩せると信じて練習してきたので、周りの方々よりも僕らはいけると思っていました」

織田から得点を奪えるという自信には根拠があった。智弁和歌山は試合前日、打撃マシンの球速を170キロに設定して練習した。150キロを超える織田の速球を想定し、スピードに目を慣らした。そして、これまで磨いてきたスイングの速さと強さで、織田の速球を打ち返すイメージを膨らませた。初回に織田が投じた球数は25球で、変化球は半分以上の13球を占めた。12球の速球のうち、智弁和歌山の打者が空振りしたのは1球しかなかった。各打者はバットに当てにいくわけではなく、力強くスイングしながら、織田の速球に1巡目から反応できていた。

智弁和歌山OBでかつて阪神にドラフト1位指名され、巨人と楽天にも在籍した経歴を持つ中谷監督はこう語る。

「織田投手はストレートが一番打つのが難しい球なのに比率が低く、もしかしたらコンディションが良くないのかなと気になりました。チームとしてストレートへの準備をしてきましたが、変化球が多かったので、高めの変化球はどんどん狙っていくぞと選手たちに伝えました」

ほとんどバントをさせずに戦ってきた
 
智弁和歌山打線は早いカウントからスイングし、織田の投球にタイミングを合わせていく。その積極性は、横浜バッテリーにプレッシャーをかける効果もあった。

織田の速球は本来の伸びや球威に欠け、バッテリーは変化球主体で組み立ててくる。中谷監督は傾向と方向性をチーム全体で共有し、あとは選手たちに任せた。その信頼感が表れたのが、3回の攻撃だった。1点リードを許している無死一塁の場面で、3番・井本にバントのサインを出さなかった。さらに、井本の安打で一、二塁とチャンスを広げた状況でも、4番・山田のバットにすべてを託した。中谷監督は試合後、こう話した。

「打順など色んな兼ね合いで迷う場面ではありました。ただ、バントで送ってアウトを相手に与えるのではなく、とにかく攻めの気持ちで向かっていきました。この1年間、2、3、4番には、ほとんどバントをさせずに戦ってきました。いつも通りの攻め方で得点してくれると信じていました。追い込まれる前にどんどん勝負していくと、選手たちが腹を決めてやってくれた結果です」

お前はいいところで打てるから
 
この試合前まで3試合で計11打数2安打、0打点と当たりが出ていなかった山田に対しても、指揮官の信頼は揺らがなかった。その気持ちに、山田は同点に追いつく二塁打で応えた。

「監督から『お前はいい所で打てるから』とずっと声をかけてもらい、『思い切っていってこい』と送り出してもらいました。監督が信じてくれているので、自分が結果を出すだけだと思っていました」

3点を追加した7回の攻撃でも、中谷監督は無死一、二塁で山田にバントのサインは出さなかった。山田は三振に倒れたが、続く楠本がタイムリーを放ち、貴重な追加点を奪った。この日は、3ランを含む4打点の活躍。今大会はセカンドの守備で注目されている楠本だが、中谷監督は「守備を取り上げてもらっていますが、楠本はバットがいい選手。ここ一番で打ってくれると信じていました」と称えた。

サインを出すことだけが采配ではない
 
サインを出すことだけが采配ではない。時には動かず、選手に任せることも指揮官の役割と言える。それが結果的に、選手の力を最大限に引き出す方法にもなる。準備を整え、勝利の道筋を示した中谷監督。その期待に応えた智弁和歌山の選手たち。互いの信頼関係が、世代ナンバーワン投手の攻略につながった。

📝智弁和歌山高が5年ぶりの甲子園決勝進出を果たした理由
https://news.yahoo.co.jp/articles/7a059c3b384607541dbf5508d0f6c3fd0c0ee003?page=1

「本当の優しさとは、裏を返せば、厳しさ」

智弁和歌山高が5年ぶりの決勝進出を決めた。優勝候補・横浜高との準決勝を7対1で勝利。昨春のセンバツ決勝では4対11と敗退した相手に、雪辱を果たしたのだった。なぜ、智弁和歌山高は高い壁を乗り越えることができたのか。新チームとなった昨秋は和歌山県大会準々決勝(対近大新宮高)で敗退。長い冬を経て這い上がってきたが、夏へ向けたターニングポイントとなる日があった。

4月21日。1年生は智弁和歌山の生徒としての基礎を学ぶ1泊2日の錬成会(辯天宗の大阪本部がある大阪府茨木市内で実施)のため、不在だった。「指導」とは、タイミングがすべて。2018年秋から母校を指揮する中谷仁監督は「ここしかない」と判断した。

指揮官として8回目の夏を控え、2、3年生に向けてカツを入れたのである。当たり前のことが、当たり前にできていない。中谷監督が強く指摘したのは、人としての基本であるあいさつ。いつもお世話になっている寮の方への礼儀が欠けていたという。主将・松本虎太郎(3年)が代表して注意を受けた。一塁側ベンチで約30分の全体ミーティングを終えると、ウォーミングアップに入ったが、主将・松本はそのまま残った。中谷監督はさらに30分、チームリーダーとしてあるべき姿を諭した。しかし、問題はそこだけではなかった。

中谷監督は、主将・松本の行動に対して、周りの3年生が見過ごしているのが許せなかったのだ。原田夏希コーチが補足した。「本当の優しさとは、裏を返せば、厳しさ」。寝食をともにする仲。言いにくいことでも、指摘し合える関係性でなければ、それは上っ面の付き合いに過ぎない。チームとして「日本一」を目指すには、程遠い集団だった。中谷監督の指導に、松本は大粒の涙を流した。自身の不甲斐なさから出た、素直な感情であったのだ。

「自分が変わる。本当に変わらないといけないのを教えてくれた。夏までにもう、時間がないよ、と。真摯に受け止めてやるしかない」

部員40人が結束

チームメートも反応した。右腕エース・和気匠太(3年)は明かす。

「キャプテンの松本もいろいろ悩んでいる部分もある中で、それを自分たちが、ちょっと後ろから見ていたというところがあった。それではチームは強くならないので、彼には思うことがあればちゃんと言わなきゃいけないところはあるだろうし、彼のできないことは自分たちで補っていくっていうのがチームだと思う。監督は虎太郎に怒っていたんですけど、自分たちに向けて言っていたこと。そこが本質であったと思っています」
 
不動の正捕手・山田凜虎(3年)は言う。

「指導者からグラウンド以外のことを指摘されているうちは、野球のチームとしては良くない状態です。高校生として授業をしっかり受け、安定した寮生活を送れてこそ、それが野球につながっていく。あらためて気づかされる日でした」

主将・松本はこの日、すぐに動いた。練習後、智翔寮に戻り、就寝前の点呼で呼びかけた。学校法人智弁学園・藤田清司理事長が学校行事のあるたびに発信し、野球部としても大切にしている「チーム勝利の五カ条」を思い返した。全体練習前の合掌の際に、部員全員で唱和するという取り組みを始めた。また、野球部として大事にしている5つの方針も確認するようにした。翌日から早速、取り入れている。

「しゃべることによって、皆がその目標に対して一点集中できる」

・高い目標を持つ事
・コツコツ努力する
・団結力
・感謝の心を持つ事
・あきらめない

原点回帰。4月21日を経て、チームは明らかに変わった。翌22日の夕方には錬成会を終えた1年生がチームに戻ってきた。先輩が模範となり、後輩をけん引する。紆余曲折を経て、伝統はつながれた。部員40人が一つになり「日本一」という目標に向かってまい進してきた。

塩健一郎部長は言う。「3年生は毎年、人生をかけて最後の夏を戦うんです。中谷も言っていると思うんですけど、僕らも同じ熱量で向き合っていきたい」

中谷監督、塩部長、原田コーチが愛情を持って、生徒と接してきた。夏までの日々を大事に過ごし、5年ぶり4度目の全国制覇まであと1勝となった。チームが生まれ変わった4月22日からちょうど4カ月。進むべき方向性は明確である。智弁和歌山高は8月22日、健大高崎高との決勝で2026年夏の集大成を迎える。

📝甲子園決勝、智弁和歌山の困惑する事実が話題「はぁ!?ってなった」 直近2戦以外は「特に…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f7f7dc2f8c94de9886273ce6329d3d42a33d18d8

智弁和歌山の戦いぶりが話題

第108回全国高校野球選手権は22日、智弁和歌山(和歌山)と健大高崎(群馬)が決勝戦を行う。智弁和歌山は準々決勝で仙台育英(宮城)に11-3と大勝。準決勝では優勝候補筆頭だった横浜(神奈川)に7-1で完勝し突破してきたが、ここまでの道のりには思わぬ展開もあった。

2回戦から登場した智弁和歌山は、好投手・岩井秀耶(3年)を擁する社(兵庫)を接戦の末撃破すると、続く3回戦では敦賀気比(福井)とのタイブレークの熱戦を制した。準々決勝、準決勝はともに完勝で、勝ち進むにつれて調子が上がっている。

しかし、和歌山県大会では苦戦が続いていた。3回戦では田辺相手に1点リードを許し終盤へ。7回に追いつき、9回に山下晃平(3年)の一発で勝ち越した。準々決勝の市和歌山戦は7回まで0-0の投手戦。8回に勝ち越して逃げ切った。決勝の耐久戦も8回に同点に追いつかれながらも、その裏しぶとく勝ち越し、聖地への切符をつかんでいた。

準々決勝、準決勝以外の智弁和歌山の戦いぶりはX上の高校野球ファンの間で話題に。

「和歌山大会が魔境すぎる」
「和歌山県は50年前から野球王国だから」
「特に田辺戦はやばかった」
「ホントにこれ思う…」
「これを知っているから、仙台育英をボコしたって聞いて『はぁ!?』ってなった」

などと、困惑する声も多く上がっていた。決勝は22日午前10時にプレーボールとなる。

🎤高知・明徳義塾の老将「高校野球が面白くなくなってきておる」過熱するスカウティングと変わる視点
https://news.yahoo.co.jp/articles/1213718da42b483aa3dab55ebe6d2983ca28c148?page=1

過熱するスカウティングに警鐘

今夏の甲子園の開幕前、報道陣の取材に応じた馬淵監督。古希を迎えた老将は、舌鋒鋭く令和の高校野球を斬った

高知・明徳義塾の監督である馬淵史郎(70)が試合後に発する言葉はいつも、僧侶の説法のようだ。

とりわけ甲子園を去る時は「敗軍の将、兵を語らず」ではなくむしろ兵を語り尽くし、勝敗の分岐点を解説して厳しくも温かい視線を球児に送る。そして「帰って練習します」の言葉を残し、可能な限りその日のうちに高知に戻ってゆく。この夏、初戦の日南学園(宮崎)に9回サヨナラで敗れた老将はいつもよりさらに雄弁だった。

「悔しいけどね……このチームは(甲子園は)無理かなと思って、諦(あきら)めかけた時期もあったんですよ。150km/hを投げるピッチャーもいなければ、長打力もない。それでもバントを絡めて、″ザ・高校野球″をやれば甲子園までは来られるということを証明できたと思いますけどね」

明徳義塾はカツオ漁の盛んな須崎市の谷あいに位置し、選手は脱走もままならない土地で寄宿生活を送る。携帯電話は今もって禁止であり、「明徳野球道場」の看板が掲げられたグラウンドを訪れれば昭和にタイムスリップしたかのよう。馬淵自身、昭和62(’87)年より明徳でコーチを務め、平成に入ってすぐに監督に就任。’02年夏には全国制覇を達し、甲子園通算勝利数は歴代4位の55勝だ。

三つの元号を駆け抜けてきた名伯楽を筆者は一度、怒らせたことがある。’19年春のこと。当時、付属中の有望選手がそのまま高校に進学せず、他府県の強豪校に進学することが相次いだ。人里離れた地で、団体生活と野球漬けの日々を送ることを現代の球児は敬遠するのではないか——つまり、馬淵の野球は時代錯誤ではないかと問うたのだ。すると怒気混じりに「そうは思わん」と否定し、プロ野球選手の輩出実績を強調しながら、過熱する高校野球のスカウティング(選手勧誘)に警鐘を鳴らした。

「素材の良い選手を集めたところが甲子園で勝つ。高校野球が面白くなくなってきておる」

馬淵の言葉は、現在の高校野球を予見していたかのようだ。3年前の夏、筆者は中学硬式野球で日本一の呼び声が高かった東海中央ボーイズを訪ねた。主力の小野舜友と江坂佳史は横浜(神奈川)に進学して下級生ながら昨春のセンバツ日本一に貢献し、智辯和歌山に進んだ捕手の山田凜虎(りとら)もそのセンバツで決勝を争い、世代を代表する選手に成長している。つまり、有望中学生の進学先が数年後の勢力図を占い、スカウティングの勝者が甲子園を制するのが令和の高校野球だ。再び、日南学園戦後の馬淵の説法である。

「このままでは高校野球が衰退する。身体が小さくても、足が遅くても、キャッチボールから丁寧に教えて頭を使えば高校野球まではできるということを常に言っているんです。入学してくれた選手でなんとかするのが監督の役目。ただ、わしももう70や。(110回の記念大会である)2年後には引退します」

そんな捨て台詞を吐いた馬淵だが、15年程前には60歳、10年前には65歳での引退を公言していた。老将は死なず、今後も肌は真っ黒に日焼けしたままだろう。

4人部屋より2人部屋

昭和の時代には当たり前だった「練習中の水分摂取禁止」や「ウサギ跳び」も非常識となって久しく、投げ込みによる地肩作りや徹底した走り込みによる下半身強化に疑問を抱く野球人も多い。
だが、そうした根性論に拠った指導者はいまだ存在する。たとえば横浜の監督である村田浩明(40)は春季神奈川大会準決勝・桐光学園戦でエースの織田翔希を186球で完投するまで降板させなかった。8対6という僅差とはいえ、200球に迫る球数を投げさせるのは酷使ではないか。それでも横浜高校というブランドに惹かれる球児は跡を絶たず、全国の有望選手が同校の門を叩く。

令和の時代の中学生は、甲子園への行きやすさだけでなく、自分が一番成長できる環境であるかどうかで、進学先を選択する。グラウンドの広さや室内練習場の有無、トレーニング器具の充実度に加え、寮が何人部屋であるかも重要な要素だ。こうした施設面で中学生に人気なのが、群馬の健大高崎である。

今夏の甲子園、3回戦・佐野日大(栃木)戦に先発したのは1年生の大橋叡刀だった。軟式野球部に属した東京の駿台学園中学時代に30校以上から勧誘があったという、ミライモンスターである。

「ジャパンのメンバーも入学すると聞いていて、レベルの高いなかで成長したいと思っていました。トレーニング設備もそうですが、風呂が広かったことも、寮が2人部屋だったことも大きかった。迷っていた学校は綺麗な寮だけど、4人部屋だったんです……。個別練習が長いところも、自分のなかでは惹かれました」

たしかに健大のグラウンドに足を運ぶと、ブルペンやサブグラウンドを含め選手が敷地内の各所に散らばり、個人練習に励む印象は強い。整頓されたロッカールームに加え、サウナや酸素カプセル、水素カプセルなども完備されている。また、投手の大橋にとって、監督の青栁博文(54)や部長の生方啓介(45)ら指導者が投手陣の球数の管理を徹底している点も決め手となった。

「投げる日、投げない日を指示してくださりつつ、調整は自分たちに任せてもらっています。走り込みも長距離を延々と走るというよりかは、中距離を繰り返すようなランメニューがメインになります」

昨年のドラフトで同校からオリックスに3位入団した佐藤龍月(りゅうが)は、2年夏に左ヒジの故障によりトミー・ジョン手術に踏み切った。生方部長は言う。

「佐藤の経験から、故障予防には気を遣っています。毎週月曜日に週末の試合のローテーションを組み、投手陣はそれに向けて調整をしていく。試合では監督が表を作って球数を管理しています。肩肘の張りがあれば1週間ピッチングを止めたり、あえて投げ込む日や、フォーム固めを徹底する日を作ったりしています」

☟2026年夏の甲子園は「不作」を通り越して“凶作”…プロスカウトが指摘する異変の原因
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391863

「この夏は不作を通り越して『凶作』ですよ」こう言うのはパ・リーグのスカウト。

甲子園のネット裏にはプロ12球団に加えて米メジャー球団のスカウトたちもいる。18日に登場した織田(横浜)のような飛び抜けた実力をもった選手はともかく、今後も追い掛けたいと思う選手があまりにも少ないと、このスカウトはこう続ける。

「原因は低反発バットじゃないですか? 以前はドラフト候補ひとりの力で勝ち上がるチームも珍しくなかった。甲子園に来れば、自分の担当区域外からも面白い選手を発見できました。ところが、低反発バットになって、一発で試合をひっくり返しにくくなった。飛び抜けたスラッガーがひとりいるくらいでは、地区大会で勝ち上がり、甲子園に来るのが難しくなったのです。飛び抜けたエースがひとりいても、味方の援護点が入りにくいわけです。いま、甲子園まで出てくるのは、走塁や小技、守備など組織力があって総合力の高いチームです」

低反発バットが本格導入された2024年夏の甲子園は、本塁打がわずか7本。1974年の金属バット導入以降で最少だった。昨25年も10本と24年に次いで少なく、今年も18日終了時点で6本にとどまっている。高校球界に逸材がいないわけではない。が、聖地にたどり着く以前に力尽きているということだ。
2026/08/21(金) 22時22分37秒 No.2580 編集 削除