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⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(13日目 準々決勝)
☆☆☆ 08:00~ 天 理 - 三 重
☆☆ 10:30~ 仙台 育英-智弁和歌山
☆ 13:00~ 花 巻 東- 横 浜
15:30~ 有 明 -健大 高崎
📝断トツの優勝候補・横浜に潜む落とし穴 夏の甲子園で起きた「ポカ負け」の歴史
https://news.yahoo.co.jp/articles/77723bf69cf03ee96a4b0f89ad86f66087b90a39?page=1
8月5日に開幕した夏の甲子園。大阪桐蔭をはじめ、多くの有力校が地方大会で姿を消す波乱の夏となった。その中で、世代ナンバーワン右腕・織田翔希を擁する横浜が、4季連続で甲子園にやって来た。
柔よく剛を制す結果
今大会でも断トツの優勝候補に挙げられている横浜だが、一つ歯車が狂えば、今春のセンバツで初戦敗退したように、実力を出し切れないまま敗れる可能性もある。しかも、初戦の相手は昨夏の覇者・沖縄尚学。いきなり“事実上の決勝戦”ともいえるカードが組まれ、予断を許さない。そこで今回は、過去の夏の甲子園で横浜が喫した「まさかの敗戦」を振り返ってみたい。
まずは1994年である。横浜は斉藤宜之(元巨人など)、紀田彰一(元横浜など)、多村仁志(元DeNAなど)の超高校級クリーンアップと、プロ注目の本格派右腕・矢野英司(元横浜)らタレントを揃え、仙台育英、樟南、宇和島東とともに四強に挙げられていた。ところが、初戦の那覇商戦で、高校通算41本塁打の4番・紀田が第1打席から3打席連続四球と勝負を避けられた。1点を追う8回2死二、三塁の第4打席も、当然のように敬遠。直後、2死満塁から多村が力んで遊ゴロに打ち取られた。
上手投げと横手投げでフォームに変化をつけながら、変化球を有効に使う左腕・伊佐真琴の前に、横浜打線は「打たなければ」と気負い、あと一打が出なかった。
一方、那覇商は2死から放った2本のタイムリーに加え、スクイズと犠飛で少ない好機を確実に得点へ結びつけ、4対2で逃げ切った。優勝候補から甲子園初勝利を挙げる大金星だった。
試合後、横浜の渡辺元智監督は「敬遠という作戦はあるけど、攻めてほしかった」と遺憾の意を表した。これに対し、那覇商の神山昂監督は「敬遠は最後だけ。伊佐のボールが荒れていただけで、最初から狙っていたわけじゃない」と自然体を強調。まさに柔よく剛を制す結果となった。
無駄な点をやっては勝てない
松坂世代以来の春夏連覇を狙いながら、まさかの初戦敗退を喫したのが2006年である。夏の甲子園3連覇を狙う駒大苫小牧とともに優勝候補に挙げられていた横浜は、1回戦で大阪桐蔭と対戦した。大阪桐蔭は前年夏の4強だったが、下馬評では総合力で勝る横浜が有利とみられていた。
序盤は横浜ペースだった。初回に高濱卓也(元阪神など)の二塁打で先制。逆転を許した直後の5回には、松本幸一郎のタイムリーで2対2の同点に追いついた。だが、なおも1死満塁のチャンスを併殺で潰し、6回の1死満塁でもスクイズが一塁への小フライとなり、併殺で無得点に終わった。2イニング続けて絶好機を逃したことが、試合の流れを大きく変えた。
7回にエース・川角謙がつかまり、この回5長短打で4失点。さらに8回、3番手・落司雄紀が謝敷正吾に3ラン、中田翔(元日本ハムなど)にバックスクリーン左へのソロ本塁打を浴び、試合が決した。
横浜は9回に越前一樹の2ランなどで3点を返し、最後の意地を見せたが、焼け石に水。6対11で試合終了となった。渡辺監督も「いくら点を取っても、無駄な点をやっては勝てない」と無念さをかみしめた。
もし、この試合に勝っていれば、2回戦の相手は“ハンカチ王子”斎藤佑樹(元日本ハム)を擁する早稲田実だった。たらればの話になるが、横浜が初戦敗退に泣いていなければ、早実・和泉実監督の優勝時の名セリフ「88回待って勝てました」が聞けたのか。そういう意味でも興味が尽きない。
計8失点
県大会でセンバツ優勝校のライバル・東海大相模を下し、同県勢による春夏連覇を狙った2011年も、柳裕也(現・中日)、近藤健介(現・ソフトバンク)ら好選手を揃えながら、ベスト8入りを前に敗退した。初戦となった2回戦の健大高崎戦は、4回までに5点をリードしながら、6回に一挙5失点であっという間に同点。延長10回、高橋亮謙のサヨナラ打で6対5と勝利し、苦しみながらも総力戦で初戦突破を果たした。
続く3回戦の智弁学園戦では、柳が8回まで3安打1失点と好投し、4対1とリード。このまま逃げ切るかに見えた。だが、最終回の継投が裏目に出る。柳が先頭打者に安打を許すと、渡辺監督は「今まで継投で勝ってきたし、代えずに負けると悔いが残る」と、思い切りよく相馬和磨をリリーフに送った。
相馬は次打者・青山大紀(元オリックス)に安打を許したものの、後続2人を打ち取り、勝利まであと1人となった。ところが、ここから死球を挟んで2安打を許し、4対4の同点。さらに3、4番手も炎上し、計8失点と一気にひっくり返された。その裏、2死一、二塁と最後の反撃に出たが、3番・近藤が三振に倒れ、4対9でゲームセットとなった。
大会ワーストタイとなる9回の8失点に加え、春夏を通じて神奈川県勢に11連敗していた奈良県勢に、初勝利を許す結果となった。渡辺監督も「監督の責任。選手に申し訳ない」と語り、継投の難しさを痛感させられていた。最初の関門をどう乗り切るのか
2017年、県大会で4試合連続本塁打を記録し、計5本を放った増田珠(現・ヤクルト)をはじめ、万波中正(現・日本ハム)、福永奨(現・オリックス)ら強打者を揃えたチームも、大会前は春夏連覇を狙う大阪桐蔭とともに五強に挙げられていた。だが、いきなり五強の一角でセンバツ準優勝の秀岳館と当たるめぐり合わせの不運もあり、4対6で初戦敗退。初回にわずか9球で3点を先行されるなど、「普段は考えられないミスが出た」(平田徹監督)と、下級生が多いチームの経験不足を露呈し、早々と姿を消した。
どれだけ前評判の高いチームでも、一本勝負のトーナメントでは何が起こるか分からない。横浜は過去にも、打線の力み、好機での拙攻、継投の失敗、試合序盤のミスなどから、思わぬ敗戦を喫してきた。全国屈指の戦力を誇る今大会も、初戦で待つのは昨夏の覇者・沖縄尚学である。少しの綻びが、そのまま敗戦につながりかねない相手だ。
松坂世代以来28年ぶりの夏制覇へ、まず越えなければならないのが沖縄尚学という大きな壁である。横浜がこの最初の関門をどう乗り切るのか。その戦いぶりが、今大会の行方を大きく左右しそうだ。
📝PL学園野球部「最後の主将」の告白】10年前もしも「謎の廃部」がなければ…大阪桐蔭や履正社に進んだ選手たちの入部で「KK超えの最強世代」が生まれていたかもしれない それでも「後悔はない」と述懐
https://news.yahoo.co.jp/articles/29b1899f484e33a052915d8ff65c8948872bdfb6?page=1
多くのプロ野球選手を輩出し、高校球界で絶大な人気を誇ったPL学園の硬式野球部が「謎の廃部」となって10年が過ぎた。数々の輝かしい成績を残してきたPL野球部にあって、公式戦で1勝もできないまま引退したのが、活動休止前の「最後の世代」だった。その世代のキャプテン、つまりPL野球部「最後の主将」は、10年を経て当時をどう振り返るのか。『永遠のPL学園』(小学館文庫)の著書があるノンフィクションライター・柳川悠二氏が聞いた。
1956年創部のPL学園硬式野球部は、2016年7月15日に夏の大阪大会初戦で東大阪大柏原に敗れ、活動を休止した。多くのファンが存続を熱望しながら、母体であるパーフェクトリバティー教団(PL教団)の一方的な決定によって、春夏通算7度の甲子園制覇を誇る野球部は事実上の廃部となった。
あの日からこの夏でちょうど10年になる。これほどの時間が経過しながら、歴戦の勇姿が色あせないのは、春夏の甲子園大会が始まれば聖地のオーロラビジョンに往年のユニフォームが映され、KKコンビ(桑田真澄、清原和博)の活躍などが白球の記憶としてNHKの中継に流れるからだろう。そして、同校が輩出した82人ものプロ野球選手たちが、YouTubeやテレビなどで特殊な学園(寮)生活の思い出を語るからだろう。
「PL学園に入学したことを後悔したことはありません。最後はたったの12人しか(部員が)いませんでしたし、公式戦で勝利することはできませんでしたが、甲子園を本気で目指していました」
そう話すのは、伝統の野球部62代目主将であり、最後の主将でもある梅田翔大だ。奈良県に生まれ、中学時代は硬式野球の大和ボーイズに所属した彼は、指導者の計らいでPL学園に入学する。しかし、当時のPL学園は度重なる不祥事によって力を失い、梅田らが入学した2014年は、監督を野球経験のない校長が兼任するという異様な状況だった。
「一度はPLへの進学が決まっていたのに、進路変更する選手がたくさんいたと聞いています」
特待生はひとりもいない
PLが野球部に力を入れなくなった――そんな噂が全国に広まり、入学辞退者が相次いだのだ。もともとPL学園は一学年20人という少数精鋭の軍団だったが、混乱のなか、62期生はわずか13人しか入部しなかった。それも授業料などが免除となる特待生がひとりもいない、誤解を恐れずにいえば、どこにでもいるふつうの球児ばかりだった。入学後、13人のうちふたりが退部。61期生の土井塁人が急性リンパ性白血病による闘病生活によって留年を経験し、梅田らと合流したことで最終的に62期生は12人になった。
「自分は今、チビが生まれたんですけど、もしうちのチビが高校生になり、僕らのような扱いを受けたら、親としてムッとするとは正直、思います。でも、あの頃の僕らには何もできなかった。ただ、現実を受け入れることしかできなかった」
62期生のなかには、「間もなく新監督が決定する」という言葉を信頼し、安心して入学した生徒もいた。だが、野球経験のある監督が就任することはなく、2014年秋には新入部員の募集停止も突然、通達された。"話が違う"という不信感が募って当然だろう。当時、毎週のように大阪に足を運んで同校を取材していた筆者は、転校する生徒も出てくるのではないかと案じていた。梅田は言う。
「僕自身が転校を考えたことはなかったですし、仲間のなかにもいまさら転校したいと言い出すヤツはいなかった。やっぱり、PLのユニフォームには憧れがありましたし、メンバー争いをしなくても、あのユニフォームを着られるのなら、このままPLで野球をやり続けたいと思っていました」
幻の「最強世代」
もし学園が新入部員の募集を停止しなければ――PLで前田健太とバッテリーを組んでいた安田亮太の弟である安田尚憲(履正社からドラフト1位で千葉ロッテ入団)や、大阪桐蔭で鉄壁の守備を見せた二塁手の坂之下晴人(関西大〜三菱重工West)ら、PLへの進学を予定していた有望選手が入学していただろう。さらに62期生の2学年下となる2000年生まれ世代となると、62期生である藤原海成の弟で、2018年に大阪桐蔭が春夏連覇を達成した時の外野手である恭大(千葉ロッテ)も兄に続いて進学していたはずだ。すると恭大と中学硬式野球のオール枚方ボーイズで1、2番コンビを組んだ小園海斗(報徳学園からドラフト1位で広島入団)もPLに進学したかもしれない。
「僕が試合に出場できたかはわかりませんが(笑)、(他の強豪と)勝負できたと思います」(梅田)
桑田・清原のKKコンビが3年生となった1985年夏のPLと、立浪和義らが春夏連覇を達成した1987年のPL――屈指の人気を誇ったPL学園の最強世代論争は今も昔も高校野球ファンにとって話のタネだ。もし安田や藤原恭大らが入部していたら、その2世代に勝るとも劣らないPLが誕生したかもしれない。
PLの経験があるから、社会の理不尽も受け止められる
しかし、彼らは学園の母体であるPL教団の一方的な決定によって、進路変更を余儀なくされた。そして62期生は、公式戦未勝利のまま夏を迎え、東大阪大柏原に6対7で敗れ、60年以上におよぶ歴史に終止符を打った。
「PL学園に対して、恨みのような感情はありません。今、会社員となり、部下もできた。会社と部下の板挟みに遭うこともあるし、社会には理不尽なことはたくさんある。正直、PLでの経験があるから、理不尽なことも受け止められる。昔のPLとは違ったとは思いますが、それでもそれなりに"規律"はありましたから」
梅田は23歳の時に結婚し、今では二児のパパだ。PLの誇りを胸の奥にしまいながらも、子どもたちが「野球をやりたい」と言い出す日を密かに待っている。
⚾SHIONOMISAKIさんへ
お久しぶりです。今月も福岡や近江八幡など真夏の遠征を楽しまれたようでなによりです。幸い7月に比べたら熱さもいくぶん落ち着き体力的には楽な移動だったかもしれないですね。
こちらは予定通り(昨日の前説でも書きましたが)4日間甲子園に通い予定より1試合多い13試合を現地観戦できました!
悲しいかな近畿勢を1つも見ることなく終わってしまい11日を取りたかったが、争奪戦に負けて9日に妥協と。7日の方が良いかも?と最後まで悩みましたが、大会3日目は試合終了21時30分と最遅終了ながら立正大淞南がナイターで1-15で惨敗したので。。。。。
最後は運に見捨てられ15日だったら延長あり雨天中断もありで20時05分まで粘れましたが、昨日は関東対決が2つありなんと17時05分に終わってしまい呆然自失でしたね・・・・・↓↓
ただ、昼から曇天で15時14分に内野点灯し7回表から6基の照明に灯が入り、感覚的には19時頃まで甲子園にいた錯覚を起こしてましたが・・・・・。昨日は4時30分起床だったし。
大会序盤は陽射しがきつく6日の外野観戦は日没まで過酷でしたが、風がきつかったので凌げたと。13日の10時30分から4試合がいちばん熱く感じましたね!日陰にいたけど風がないし、湿度がかなり高かったので。
TVでは画面でしか観れないので細かいことは分かりませんが、現地だとイロイロなものが見えてきますね。監督がホーム寄り部長が外野寄りの両端に陣取り守備時は部長が細かく位置を変えまくる指示を1球ごとに出したり、攻守交代のたびにがなりたてる審判がいたりその他モロモロ・・・・・。
クーリングタイム8分間あるので、まずトイレに並んで用を足し余った時間でスタンド散歩しておりましたが、ABCテレビでは初戦は手紙を読むだけでしたが、2戦目以降はアルプスレポーターを配置しており、それを3塁アルプス寄りの最前列から双眼鏡で眺めておりました。
昨日の3塁側は 第1試合で群馬のご当地アイドル?! https://x.com/berurun2015/status/2088975641287029023/photo/4
第2試合はフラガールがスポットライトを浴びてましたね!! https://x.com/berurun2015/status/2088976073417740474/photo/3
第1試合の開始前は報道プラカードを首からかけた年配のおじさんがご当地アイドル捕まえてずいぶん話し込んでおりましたが・・・・・。
メーテレの伊藤数馬アナですか。ずいぶんイケメンな若手がキャプテン&サブリーダーと思われる2人を前列に引っ張り残りのメンバーは後方待機でなにごとか一発芸をかまして自軍にエールを送っていたようですが・・・・・。ほどなく取材が終わりTVだとここで切り替わりますが、僕はしばらく様子を見ていたら・・・・・。
取材対象者に軽くお礼をするのは通例でしょうが、その後になんと・・・・・伊藤数馬アナ即席の握手会をしてましたね!!自分から手を差し伸べて右側の女の子と右手で握手しただけでは飽きたらず?すかさず左手も添えて両手でガッチリと!!
その後すぐに左の女の子にも同じように両手でガッチリ握りしめて即席握手会は終了と。
メーテレは圏外なんでまず見ることもないでしょうが、伊藤数馬アナはイケメンなんで学生時代ずいぶんもてたんだろうから何も緊張することなく仕事を済ませてさりげなく『即席握手会』かまして、ニコニコしながら通路に消えて行き若い女性ファンの新規開拓に成功したんだろうなあと・・・・・。
賛否両論ありますが、、、某サイトのコメント欄を読んでいたら・・・
「どうも本来の高校野球の応援とは異質な感じがする。
これを歓迎する人もいるだろうが、個人的には違和感しかない。
応援というより、目立つことに軸足が移ったとしか思えない。」
とあったので、お説もっとも!と。僕なんて初見の折には本気でキレてましたから・・・・・。
ただ、直接話してみたら『関東人特有の素直でイイ人たちだった』というのが正直なところで。。。関西人だったら調子乗って悪ノリするでしょうが(笑)
2回戦では9人。3回戦で13~14人程度いたと目視しましたが、応援部の部員は26人まで膨れ上がっているらしいです、、、
https://news.yahoo.co.jp/articles/f544cdec5c72fc6888d9f833408adcfc747d4899
昨年まで部長を務め、メディア対応を含めて応援部のアピールを続けた浅野羽奏さんからは「自分たちらしく頑張ってほしい」とアドバイスをもらったという。
「先輩の背中を追ってきたので。憧れでもある先輩みたいに、応援を引っ張っていけたらという気持ちはいつも持っています」
と上の記事にありますね。しかし、キャプテンわかな嬢があんなにベッピンさんとは思わずに突撃取材させてもらいましたが、知っていたらよお話しかけられへんかったやろうなあボクは。恥ずかしいから。
https://pbs.twimg.com/media/GnI7UXhbgAM5ahZ?format=jpg&name=large
アンチ関東派の僕としては天理-智弁の決勝を熱望したいところですが、今大会に限ってはいかに横浜を避けて決勝進出するか?が最大の焦点なんで・・・・・。
もう準決勝で近畿直接対決して、審判団と相手アルプス以外の観衆を味方につけた有明高校が関東2校を撃破し、決勝進出で燃え尽きて漁夫の利を得て春夏連続近畿勢優勝するしか希望はなさそうですね・・・・・。
昨春よりも横浜はかなり強いし、近畿勢が明日全滅したらその時点で「もう横浜でエエわ」と気持ちが切れそうな気がしております。
☆☆☆ 08:00~ 天 理 - 三 重
☆☆ 10:30~ 仙台 育英-智弁和歌山
☆ 13:00~ 花 巻 東- 横 浜
15:30~ 有 明 -健大 高崎
📝断トツの優勝候補・横浜に潜む落とし穴 夏の甲子園で起きた「ポカ負け」の歴史
https://news.yahoo.co.jp/articles/77723bf69cf03ee96a4b0f89ad86f66087b90a39?page=1
8月5日に開幕した夏の甲子園。大阪桐蔭をはじめ、多くの有力校が地方大会で姿を消す波乱の夏となった。その中で、世代ナンバーワン右腕・織田翔希を擁する横浜が、4季連続で甲子園にやって来た。
柔よく剛を制す結果
今大会でも断トツの優勝候補に挙げられている横浜だが、一つ歯車が狂えば、今春のセンバツで初戦敗退したように、実力を出し切れないまま敗れる可能性もある。しかも、初戦の相手は昨夏の覇者・沖縄尚学。いきなり“事実上の決勝戦”ともいえるカードが組まれ、予断を許さない。そこで今回は、過去の夏の甲子園で横浜が喫した「まさかの敗戦」を振り返ってみたい。
まずは1994年である。横浜は斉藤宜之(元巨人など)、紀田彰一(元横浜など)、多村仁志(元DeNAなど)の超高校級クリーンアップと、プロ注目の本格派右腕・矢野英司(元横浜)らタレントを揃え、仙台育英、樟南、宇和島東とともに四強に挙げられていた。ところが、初戦の那覇商戦で、高校通算41本塁打の4番・紀田が第1打席から3打席連続四球と勝負を避けられた。1点を追う8回2死二、三塁の第4打席も、当然のように敬遠。直後、2死満塁から多村が力んで遊ゴロに打ち取られた。
上手投げと横手投げでフォームに変化をつけながら、変化球を有効に使う左腕・伊佐真琴の前に、横浜打線は「打たなければ」と気負い、あと一打が出なかった。
一方、那覇商は2死から放った2本のタイムリーに加え、スクイズと犠飛で少ない好機を確実に得点へ結びつけ、4対2で逃げ切った。優勝候補から甲子園初勝利を挙げる大金星だった。
試合後、横浜の渡辺元智監督は「敬遠という作戦はあるけど、攻めてほしかった」と遺憾の意を表した。これに対し、那覇商の神山昂監督は「敬遠は最後だけ。伊佐のボールが荒れていただけで、最初から狙っていたわけじゃない」と自然体を強調。まさに柔よく剛を制す結果となった。
無駄な点をやっては勝てない
松坂世代以来の春夏連覇を狙いながら、まさかの初戦敗退を喫したのが2006年である。夏の甲子園3連覇を狙う駒大苫小牧とともに優勝候補に挙げられていた横浜は、1回戦で大阪桐蔭と対戦した。大阪桐蔭は前年夏の4強だったが、下馬評では総合力で勝る横浜が有利とみられていた。
序盤は横浜ペースだった。初回に高濱卓也(元阪神など)の二塁打で先制。逆転を許した直後の5回には、松本幸一郎のタイムリーで2対2の同点に追いついた。だが、なおも1死満塁のチャンスを併殺で潰し、6回の1死満塁でもスクイズが一塁への小フライとなり、併殺で無得点に終わった。2イニング続けて絶好機を逃したことが、試合の流れを大きく変えた。
7回にエース・川角謙がつかまり、この回5長短打で4失点。さらに8回、3番手・落司雄紀が謝敷正吾に3ラン、中田翔(元日本ハムなど)にバックスクリーン左へのソロ本塁打を浴び、試合が決した。
横浜は9回に越前一樹の2ランなどで3点を返し、最後の意地を見せたが、焼け石に水。6対11で試合終了となった。渡辺監督も「いくら点を取っても、無駄な点をやっては勝てない」と無念さをかみしめた。
もし、この試合に勝っていれば、2回戦の相手は“ハンカチ王子”斎藤佑樹(元日本ハム)を擁する早稲田実だった。たらればの話になるが、横浜が初戦敗退に泣いていなければ、早実・和泉実監督の優勝時の名セリフ「88回待って勝てました」が聞けたのか。そういう意味でも興味が尽きない。
計8失点
県大会でセンバツ優勝校のライバル・東海大相模を下し、同県勢による春夏連覇を狙った2011年も、柳裕也(現・中日)、近藤健介(現・ソフトバンク)ら好選手を揃えながら、ベスト8入りを前に敗退した。初戦となった2回戦の健大高崎戦は、4回までに5点をリードしながら、6回に一挙5失点であっという間に同点。延長10回、高橋亮謙のサヨナラ打で6対5と勝利し、苦しみながらも総力戦で初戦突破を果たした。
続く3回戦の智弁学園戦では、柳が8回まで3安打1失点と好投し、4対1とリード。このまま逃げ切るかに見えた。だが、最終回の継投が裏目に出る。柳が先頭打者に安打を許すと、渡辺監督は「今まで継投で勝ってきたし、代えずに負けると悔いが残る」と、思い切りよく相馬和磨をリリーフに送った。
相馬は次打者・青山大紀(元オリックス)に安打を許したものの、後続2人を打ち取り、勝利まであと1人となった。ところが、ここから死球を挟んで2安打を許し、4対4の同点。さらに3、4番手も炎上し、計8失点と一気にひっくり返された。その裏、2死一、二塁と最後の反撃に出たが、3番・近藤が三振に倒れ、4対9でゲームセットとなった。
大会ワーストタイとなる9回の8失点に加え、春夏を通じて神奈川県勢に11連敗していた奈良県勢に、初勝利を許す結果となった。渡辺監督も「監督の責任。選手に申し訳ない」と語り、継投の難しさを痛感させられていた。最初の関門をどう乗り切るのか
2017年、県大会で4試合連続本塁打を記録し、計5本を放った増田珠(現・ヤクルト)をはじめ、万波中正(現・日本ハム)、福永奨(現・オリックス)ら強打者を揃えたチームも、大会前は春夏連覇を狙う大阪桐蔭とともに五強に挙げられていた。だが、いきなり五強の一角でセンバツ準優勝の秀岳館と当たるめぐり合わせの不運もあり、4対6で初戦敗退。初回にわずか9球で3点を先行されるなど、「普段は考えられないミスが出た」(平田徹監督)と、下級生が多いチームの経験不足を露呈し、早々と姿を消した。
どれだけ前評判の高いチームでも、一本勝負のトーナメントでは何が起こるか分からない。横浜は過去にも、打線の力み、好機での拙攻、継投の失敗、試合序盤のミスなどから、思わぬ敗戦を喫してきた。全国屈指の戦力を誇る今大会も、初戦で待つのは昨夏の覇者・沖縄尚学である。少しの綻びが、そのまま敗戦につながりかねない相手だ。
松坂世代以来28年ぶりの夏制覇へ、まず越えなければならないのが沖縄尚学という大きな壁である。横浜がこの最初の関門をどう乗り切るのか。その戦いぶりが、今大会の行方を大きく左右しそうだ。
📝PL学園野球部「最後の主将」の告白】10年前もしも「謎の廃部」がなければ…大阪桐蔭や履正社に進んだ選手たちの入部で「KK超えの最強世代」が生まれていたかもしれない それでも「後悔はない」と述懐
https://news.yahoo.co.jp/articles/29b1899f484e33a052915d8ff65c8948872bdfb6?page=1
多くのプロ野球選手を輩出し、高校球界で絶大な人気を誇ったPL学園の硬式野球部が「謎の廃部」となって10年が過ぎた。数々の輝かしい成績を残してきたPL野球部にあって、公式戦で1勝もできないまま引退したのが、活動休止前の「最後の世代」だった。その世代のキャプテン、つまりPL野球部「最後の主将」は、10年を経て当時をどう振り返るのか。『永遠のPL学園』(小学館文庫)の著書があるノンフィクションライター・柳川悠二氏が聞いた。
1956年創部のPL学園硬式野球部は、2016年7月15日に夏の大阪大会初戦で東大阪大柏原に敗れ、活動を休止した。多くのファンが存続を熱望しながら、母体であるパーフェクトリバティー教団(PL教団)の一方的な決定によって、春夏通算7度の甲子園制覇を誇る野球部は事実上の廃部となった。
あの日からこの夏でちょうど10年になる。これほどの時間が経過しながら、歴戦の勇姿が色あせないのは、春夏の甲子園大会が始まれば聖地のオーロラビジョンに往年のユニフォームが映され、KKコンビ(桑田真澄、清原和博)の活躍などが白球の記憶としてNHKの中継に流れるからだろう。そして、同校が輩出した82人ものプロ野球選手たちが、YouTubeやテレビなどで特殊な学園(寮)生活の思い出を語るからだろう。
「PL学園に入学したことを後悔したことはありません。最後はたったの12人しか(部員が)いませんでしたし、公式戦で勝利することはできませんでしたが、甲子園を本気で目指していました」
そう話すのは、伝統の野球部62代目主将であり、最後の主将でもある梅田翔大だ。奈良県に生まれ、中学時代は硬式野球の大和ボーイズに所属した彼は、指導者の計らいでPL学園に入学する。しかし、当時のPL学園は度重なる不祥事によって力を失い、梅田らが入学した2014年は、監督を野球経験のない校長が兼任するという異様な状況だった。
「一度はPLへの進学が決まっていたのに、進路変更する選手がたくさんいたと聞いています」
特待生はひとりもいない
PLが野球部に力を入れなくなった――そんな噂が全国に広まり、入学辞退者が相次いだのだ。もともとPL学園は一学年20人という少数精鋭の軍団だったが、混乱のなか、62期生はわずか13人しか入部しなかった。それも授業料などが免除となる特待生がひとりもいない、誤解を恐れずにいえば、どこにでもいるふつうの球児ばかりだった。入学後、13人のうちふたりが退部。61期生の土井塁人が急性リンパ性白血病による闘病生活によって留年を経験し、梅田らと合流したことで最終的に62期生は12人になった。
「自分は今、チビが生まれたんですけど、もしうちのチビが高校生になり、僕らのような扱いを受けたら、親としてムッとするとは正直、思います。でも、あの頃の僕らには何もできなかった。ただ、現実を受け入れることしかできなかった」
62期生のなかには、「間もなく新監督が決定する」という言葉を信頼し、安心して入学した生徒もいた。だが、野球経験のある監督が就任することはなく、2014年秋には新入部員の募集停止も突然、通達された。"話が違う"という不信感が募って当然だろう。当時、毎週のように大阪に足を運んで同校を取材していた筆者は、転校する生徒も出てくるのではないかと案じていた。梅田は言う。
「僕自身が転校を考えたことはなかったですし、仲間のなかにもいまさら転校したいと言い出すヤツはいなかった。やっぱり、PLのユニフォームには憧れがありましたし、メンバー争いをしなくても、あのユニフォームを着られるのなら、このままPLで野球をやり続けたいと思っていました」
幻の「最強世代」
もし学園が新入部員の募集を停止しなければ――PLで前田健太とバッテリーを組んでいた安田亮太の弟である安田尚憲(履正社からドラフト1位で千葉ロッテ入団)や、大阪桐蔭で鉄壁の守備を見せた二塁手の坂之下晴人(関西大〜三菱重工West)ら、PLへの進学を予定していた有望選手が入学していただろう。さらに62期生の2学年下となる2000年生まれ世代となると、62期生である藤原海成の弟で、2018年に大阪桐蔭が春夏連覇を達成した時の外野手である恭大(千葉ロッテ)も兄に続いて進学していたはずだ。すると恭大と中学硬式野球のオール枚方ボーイズで1、2番コンビを組んだ小園海斗(報徳学園からドラフト1位で広島入団)もPLに進学したかもしれない。
「僕が試合に出場できたかはわかりませんが(笑)、(他の強豪と)勝負できたと思います」(梅田)
桑田・清原のKKコンビが3年生となった1985年夏のPLと、立浪和義らが春夏連覇を達成した1987年のPL――屈指の人気を誇ったPL学園の最強世代論争は今も昔も高校野球ファンにとって話のタネだ。もし安田や藤原恭大らが入部していたら、その2世代に勝るとも劣らないPLが誕生したかもしれない。
PLの経験があるから、社会の理不尽も受け止められる
しかし、彼らは学園の母体であるPL教団の一方的な決定によって、進路変更を余儀なくされた。そして62期生は、公式戦未勝利のまま夏を迎え、東大阪大柏原に6対7で敗れ、60年以上におよぶ歴史に終止符を打った。
「PL学園に対して、恨みのような感情はありません。今、会社員となり、部下もできた。会社と部下の板挟みに遭うこともあるし、社会には理不尽なことはたくさんある。正直、PLでの経験があるから、理不尽なことも受け止められる。昔のPLとは違ったとは思いますが、それでもそれなりに"規律"はありましたから」
梅田は23歳の時に結婚し、今では二児のパパだ。PLの誇りを胸の奥にしまいながらも、子どもたちが「野球をやりたい」と言い出す日を密かに待っている。
⚾SHIONOMISAKIさんへ
お久しぶりです。今月も福岡や近江八幡など真夏の遠征を楽しまれたようでなによりです。幸い7月に比べたら熱さもいくぶん落ち着き体力的には楽な移動だったかもしれないですね。
こちらは予定通り(昨日の前説でも書きましたが)4日間甲子園に通い予定より1試合多い13試合を現地観戦できました!
悲しいかな近畿勢を1つも見ることなく終わってしまい11日を取りたかったが、争奪戦に負けて9日に妥協と。7日の方が良いかも?と最後まで悩みましたが、大会3日目は試合終了21時30分と最遅終了ながら立正大淞南がナイターで1-15で惨敗したので。。。。。
最後は運に見捨てられ15日だったら延長あり雨天中断もありで20時05分まで粘れましたが、昨日は関東対決が2つありなんと17時05分に終わってしまい呆然自失でしたね・・・・・↓↓
ただ、昼から曇天で15時14分に内野点灯し7回表から6基の照明に灯が入り、感覚的には19時頃まで甲子園にいた錯覚を起こしてましたが・・・・・。昨日は4時30分起床だったし。
大会序盤は陽射しがきつく6日の外野観戦は日没まで過酷でしたが、風がきつかったので凌げたと。13日の10時30分から4試合がいちばん熱く感じましたね!日陰にいたけど風がないし、湿度がかなり高かったので。
TVでは画面でしか観れないので細かいことは分かりませんが、現地だとイロイロなものが見えてきますね。監督がホーム寄り部長が外野寄りの両端に陣取り守備時は部長が細かく位置を変えまくる指示を1球ごとに出したり、攻守交代のたびにがなりたてる審判がいたりその他モロモロ・・・・・。
クーリングタイム8分間あるので、まずトイレに並んで用を足し余った時間でスタンド散歩しておりましたが、ABCテレビでは初戦は手紙を読むだけでしたが、2戦目以降はアルプスレポーターを配置しており、それを3塁アルプス寄りの最前列から双眼鏡で眺めておりました。
昨日の3塁側は 第1試合で群馬のご当地アイドル?! https://x.com/berurun2015/status/2088975641287029023/photo/4
第2試合はフラガールがスポットライトを浴びてましたね!! https://x.com/berurun2015/status/2088976073417740474/photo/3
第1試合の開始前は報道プラカードを首からかけた年配のおじさんがご当地アイドル捕まえてずいぶん話し込んでおりましたが・・・・・。
メーテレの伊藤数馬アナですか。ずいぶんイケメンな若手がキャプテン&サブリーダーと思われる2人を前列に引っ張り残りのメンバーは後方待機でなにごとか一発芸をかまして自軍にエールを送っていたようですが・・・・・。ほどなく取材が終わりTVだとここで切り替わりますが、僕はしばらく様子を見ていたら・・・・・。
取材対象者に軽くお礼をするのは通例でしょうが、その後になんと・・・・・伊藤数馬アナ即席の握手会をしてましたね!!自分から手を差し伸べて右側の女の子と右手で握手しただけでは飽きたらず?すかさず左手も添えて両手でガッチリと!!
その後すぐに左の女の子にも同じように両手でガッチリ握りしめて即席握手会は終了と。
メーテレは圏外なんでまず見ることもないでしょうが、伊藤数馬アナはイケメンなんで学生時代ずいぶんもてたんだろうから何も緊張することなく仕事を済ませてさりげなく『即席握手会』かまして、ニコニコしながら通路に消えて行き若い女性ファンの新規開拓に成功したんだろうなあと・・・・・。
賛否両論ありますが、、、某サイトのコメント欄を読んでいたら・・・
「どうも本来の高校野球の応援とは異質な感じがする。
これを歓迎する人もいるだろうが、個人的には違和感しかない。
応援というより、目立つことに軸足が移ったとしか思えない。」
とあったので、お説もっとも!と。僕なんて初見の折には本気でキレてましたから・・・・・。
ただ、直接話してみたら『関東人特有の素直でイイ人たちだった』というのが正直なところで。。。関西人だったら調子乗って悪ノリするでしょうが(笑)
2回戦では9人。3回戦で13~14人程度いたと目視しましたが、応援部の部員は26人まで膨れ上がっているらしいです、、、
https://news.yahoo.co.jp/articles/f544cdec5c72fc6888d9f833408adcfc747d4899
昨年まで部長を務め、メディア対応を含めて応援部のアピールを続けた浅野羽奏さんからは「自分たちらしく頑張ってほしい」とアドバイスをもらったという。
「先輩の背中を追ってきたので。憧れでもある先輩みたいに、応援を引っ張っていけたらという気持ちはいつも持っています」
と上の記事にありますね。しかし、キャプテンわかな嬢があんなにベッピンさんとは思わずに突撃取材させてもらいましたが、知っていたらよお話しかけられへんかったやろうなあボクは。恥ずかしいから。
https://pbs.twimg.com/media/GnI7UXhbgAM5ahZ?format=jpg&name=large
アンチ関東派の僕としては天理-智弁の決勝を熱望したいところですが、今大会に限ってはいかに横浜を避けて決勝進出するか?が最大の焦点なんで・・・・・。
もう準決勝で近畿直接対決して、審判団と相手アルプス以外の観衆を味方につけた有明高校が関東2校を撃破し、決勝進出で燃え尽きて漁夫の利を得て春夏連続近畿勢優勝するしか希望はなさそうですね・・・・・。
昨春よりも横浜はかなり強いし、近畿勢が明日全滅したらその時点で「もう横浜でエエわ」と気持ちが切れそうな気がしております。