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⚾今日の熱闘甲子園試合結果(1回戦)
5日目第1試合 新田(愛媛)-花巻東(岩手) 8:03~10:27
一二三四五六七八九十計HE
花 巻 東010101010 480
新 田000011000 260
5日目第2試合 鳥取城北(鳥取)-岡山学芸館(岡山) 13:31~15:52
一二三四五六七八九十計HE
学 芸 館002003101 790
鳥取城北003000000 362
5日目第3試合 鳴門渦潮(徳島)-八王子実践(西東京) 16:20~18:18 18:03点灯 10回表から
一二三四五六七八九十計HE
八王子実0000000010150
鳴門渦潮0100000001x260
5日目第4試合 中京(岐阜)-霞ヶ浦(茨城) 18:48~21:05
一二三四五六七八九十計HE
霞 ヶ 浦001022100 672
中 京100000200 381
⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(6日目 1・2回戦)
☆☆ 08:00~ 明徳 義塾-日南 学園
☆☆☆ 13:30~ 横 浜 -沖縄 尚学
16:00~ 高 岡 商-高川 学園
☆ 18:30~ 天 理 - 福 山
📝僕のタイブレーク球場観戦歴
① 15年 4月25日 佐藤薬品S 畝 傍 9-3奈良 大付(13回) 先攻勝利
② 15年 5月31日 倉敷 MS 創志 学園4-2松 江 商(13回) 先攻勝利
③ 18年 8月 6日 甲 子 園 佐久 長聖5-4旭 川 大(14回) 先攻勝利
④ 18年 8月12日 甲 子 園 済 美 13‐11 星 稜 (13回) 後攻勝利
⑤ 18年10月 3日 福井 県営 近 江 13‐12日 大 三(10回) 後攻勝利 (国体)
⑥ 18年10月13日 明石 トーカロ 報徳 学園3-2 社 (13回) 先攻勝利
⑦ 19年 5月 6日 皇 子 山 彦 根 東8-7 綾 羽 (13回) 後攻勝利
⑧ 19年10月26日 コカコーラ 矢 上 6-3 盈 進 (13回) 先攻勝利
⑨ 21年 7月23日 紀三 井寺 智弁和歌山3-2初芝 橋本(13回) 後攻勝利
⑩ 22年 3月20日 甲 子 園 近 江 6-2長崎 日大(13回) 先攻勝利
⑪ 22年 3月25日 甲 子 園 金光 大阪4-3木更津総合(13回) 後攻勝利
⑫ 22年 4月 9日 シティ 信金S 奈良学園大4-2神 戸 大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑬ 22年10月 2日 ウイ ンク 社 4-2 育 英 (13回) 先攻勝利
⑭ 22年10月15日 倉敷 MS 周南公立大3-1環太平洋大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑮ 22年10月15日 倉敷 MS 東 亜 大2-1吉備国際大(10回) 後攻勝利 (大学)
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⑯ 23年 3月28日 甲 子 園 報徳 学園5-4 東 邦 (10回) 後攻勝利
⑰ 23年 3月29日 甲 子 園 報徳 学園5-4仙台 育英(10回) 後攻勝利
⑱ 23年 4月16日 ダイムS伊勢 皇 學 館4ー3昴 学 園(10回) 後攻勝利
⑲ 23年 5月 1日 HMF神戸 関西国際大5-2天 理 大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑳ 23年 5月13日 わかさ京都 京都 国際2-1龍谷大平安(10回) 後攻勝利
㉑ 23年 7月17日 浜 山 出 雲 工9-8 安 来 (10回) 後攻勝利
㉒ 23年 7月28日 紀三 井寺 市和 歌山5-4和歌 山北(11回) 後攻勝利
㉓ 23年 8月 6日 甲 子 園 土浦 日大8-3上 田 西(10回) 先攻勝利
㉔ 23年 8月13日 甲 子 園 山 陽 4-3大垣 日大(10回) 後攻勝利
㉕ 23年 8月16日 甲 子 園 慶 応 6-3 広 陵 (10回) 先攻勝利
㉖ 23年 8月26日 紀三 井寺 那 賀 6-2 桐 蔭 (10回) 先攻勝利
㉗ 23年 9月10日 G7スタジアム 彩星 工科4-3篠山 鳳鳴(10回) 後攻勝利
㉘ 23年10月15日 福井フェニックス 敦賀 気比11-5帝京 長岡(10回) 先攻勝利
㉙ 23年10月22日 シティ信金 京都 国際3-2 田 辺 (10回) 後攻勝利
㉚ 23年10月22日 シティ信金 京都外大西7-5彦根 総合(10回) 先攻勝利
㉛ 24年 3月18日 甲 子 園 八学 光星5-3関 東 一(11回) 先攻勝利
㉜ 24年 3月18日 甲 子 園 熊本 国府2-1 近 江 (10回) 後攻勝利
㉝ 24年 3月22日 甲 子 園 報徳 学園3-2愛工大名電(10回) 後攻勝利
㉞ 24年 3月27日 甲 子 園 青森 山田6-5 広 陵 (10回 後攻勝利
㉟ 24年 4月27日 紀三 井寺 市和 歌山6-3 田 辺 (10回) 先攻勝利
㊱ 24年 4月29日 ウイ ンク 須磨 翔風5-3神戸学院付(11回) 先攻勝利
㊲ 24年 5月 3日 HMF神戸 大阪体育大6-5甲 南 大(10回) 先攻勝利(大学)
㊳ 24年 5月 6日 マイネット皇子山 八 幡 商3-2比 叡 山(10回) 先攻勝利
㊴ 24年 5月19日 長 良 川 菰 野 6-5県岐 阜商(10回) 先攻勝利
㊵ 24年 7月22日 紀三 井寺 田 辺 9-8新宮/新翔(10回) 後攻勝利
㊶ 24年 8月 7日 甲 子 園 智弁 学園9-6岐阜 城北(11回) 先攻勝利
㊷ 24年 8月17日 甲 子 園 大 社 3-2早稲 田実(11回) 後攻勝利
㊸ 24年 9月 8日 高 砂 神 戸 一6-5 滝 川 (11回) 先攻勝利
㊹ 24年 9月28日 明石 トーカロ 東洋大姫路10-4神戸国際付(10回) 先攻勝利
㊺ 24年10月27日 浜 山 米子 松蔭4-3 盈 進 (11回) 後攻勝利
㊻ 24年11月 9日 甲賀 市民 河 南 3ー2 天 理 (11回) 後攻勝利(軟式)
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㊼ 25年 3月18日 甲 子 園 健大 高崎3-1明徳 義塾(10回) 先攻勝利
㊽ 25年 3月26日 甲 子 園 浦 和 実12-4聖光 学院(10回) 先攻勝利
㊾ 25年 4月26日 岡山 県営 福 山 大7-4川崎医療大(10回) 後攻勝利(大学)
㊿ 25年 4月27日 ウイ ンク 明 石 商5-4神戸学院付(10回) 先攻勝利
51 25年 5月11日 GOSANDO 履 正 社4-2関大 北陽(11回) 先攻勝利
52 25年 6月 1日 倉敷 MS 創志 学園2-1岡山 東商(10回) 先攻勝利
53 25年 7月 6日 わかさ京都 京都 文教9-8京都すばる(10回) 後攻勝利
54 25年 8月 6日 甲 子 園 開 星 6-5宮 崎 商(10回) 後攻勝利
55 25年 8月 7日 甲 子 園 津田 学園5-4 叡 明 (12回) 後攻勝利
56 25年 8月 9日 甲 子 園 佐 賀 北5-4青藍 泰斗(10回) 後攻勝利
57 25年 8月24日 紀三 井寺 向 陽 8-7 海 南 (10回) 後攻勝利
58 25年10月 6日 わかさ京都 龍谷大平安2-1 乙 訓 (11回) 後攻勝利
59 25年11月15日 ウイ ンク 天 理 2-1あべの翔学(10回) 先攻勝利(軟式)
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60 26年 3月19日 甲 子 園 八学 光星15-6 崇 徳 (10回) 先攻勝利
61 26年 3月25日 甲 子 園 智弁 学園2-1神村 学園(10回) 先攻勝利
62 26年 4月11日 ならっきー 奈 良 北3-2 奈 良 (10回) 先攻勝利
63 26年 5月31日 浜 山 創志 学園4-3 開 星 (10回) 後攻勝利
64 26年 7月25日 倉敷 MS 岡山学芸館3-2 山 陽 (10回) 後攻勝利
65 26年 8月09日 甲 子 園 鳴門 渦潮2-1八王子実践(10回) 後攻勝利
👣甲子園のグラウンドに立つ小島弘務さんを見たかった 浜松修学舎高監督に就任する直前「3年後、4年後に必ず良いチームを」その3年目に…早すぎる【悼む】
https://news.yahoo.co.jp/articles/02d7c24df9ae0b38d08c870e6e84390a5c7fd8ba
プロ野球・中日の元投手で、引退後はアマチュア球界で指導者として活躍した小島弘務さんが6日、肺がんのため死去した。58歳だった。
5日から始まったばかりの甲子園のグラウンドに立つ姿を見たかった。見られるはずだった。あまりにも突然な訃報に思い浮かんだのは、こんな思いだ。その才能も、力量も、指導者としての包容力もあっただけに、本当に残念でならない。
「前田さん、見ていてくださいよ。すぐ結果を出せと言われても無理かもしれない。でも3年後、4年後になれば、良い選手をスカウトして、鍛えて、必ず良いチームを作ってみせますからね」。自信たっぷりに話してくれたのは、浜松修学舎高の監督に就任する直前、2023年冬のこと。「今度、監督に就任することになりましたから、中日スポーツで大きく書いてくださいよ」と頼まれ、私の故郷でもある浜松の学校に取材に行った時だった。
それ以前に、追手門学院大で監督を務め、チームを2部から1部に昇格させていた。浜松開誠館高のコーチに就任してからは、やはり元中日の佐野心監督(当時)をコーチとして支え、退任後ではあるが同校初の甲子園出場の一因となっていた。そんな実績の積み重ねから、確かな手ごたえがあったのだと思う。「大学で監督というものを学ばせてもらったし、開誠館では、甲子園への行き方を学ばせてもらった。だから、今度はその経験を生かして、甲子園で勝てるチームを作りたいんです」と目を輝かせて話す言葉を聞き、私はその実現を信じて疑っていなかった。そして今年がその3年目だった。自らスカウト、鍛え上げた選手でいざ勝負いう時に病に倒れ、最後まで生徒たちと勝負できなかった無念は察して余りある。後任者が指揮をとったこの夏は、静岡大会は古巣の浜松開誠館に3回戦で敗れたが、小島監督が指揮をとっていれば、絶対に結果は違ったものになったと思う。
振り返ってみれば、中日での現役時代からだから、もう30年以上の付き合いだった。現役時代は少しとぼけたところのある選手という印象だったが、プロ入りの際に人にない経験をしていた。引退後に焼き肉店経営、大学野球そして高校野球指導者とキャリアを積み重ね、人格的な魅力が増していった。プロ野球ひと筋の人間とはひと味違う、世界観を持っていたから、ずっと交流が続いたことは疑いない。焼き肉店経営の時は「100円稼ぐのが、これほど大変と思わなかった」、大学監督を退任した時は「4年生が送別会を開いてくれた。自分の指導が間違っていなかったんだと確信できた。あんなにうれしいことはなかった」など、苦労してきた人間にしか言えないことだろう。
そんな幾多の苦労が間もなく報われるはずだったのに。58歳の死は早すぎる。繰り返しになるが本当に残念でならない。 (92、93、99~01年中日担当・前田道彦)
小島さんは平安高(現・龍谷大平安)、住友金属を経て、1990年のドラフト会議で中日から1位指名された。91~97年まで中日でプレーし、98年にトレードでロッテに移籍。99年オフに戦力外通告を受け、2000年の1年間は台湾でプレーして現役を引退。NPBでは通算167試合に登板し、19勝15敗、8セーブ、防御率3・60。
2015年からは阪神大学野球連盟2部の追手門学院大の監督を務め、22年からは静岡・浜松開誠館高でコーチ。24年1月に静岡・浜松修学舎高の監督に就任、体調不良のため25年11月から休養し、今年3月限りで退任して治療に専念していた。
📝ビデオ検証で判定が変わったとき、審判のあるべき心境は 夏の甲子園
https://news.yahoo.co.jp/articles/b251ed06cedb41c62a908d8e77ab067b61e22c41
この夏の甲子園で、高校野球の公式戦で初めてビデオ検証が導入された。
大会第3日(7日)の有明―立命館宇治、立正大淞南―長崎日大で用いられたが、2度とも判定は変わらなかった。初めて判定が変わったのは3度目となる第4日(8日)の白樺学園―東日大昌平だった。
1―1の九回2死一、二塁。二塁への牽制(けんせい)がタッチアウトと判定されたが、二塁走者だった東日大昌平の小内壱晟(3年)がベンチにアピールした。
「セーフっぽいなとは思ったけど、アウトと言われても仕方ないと思った上で、ここで使うしかない、と。頼むからセーフになってくれと思って監督にお願いしました」と振り返る。
判定はセーフに変わった。小内は、打者の左前安打で本塁にかえって勝ち越した。ただ実際、判定が変わらなかった場合でも監督や選手には納得感が漂っていた。
検証を要求したが、タッチプレーがセーフとの判定が変わらなかった立正大淞南の太田充監督は「そもそも一番近くで見てジャッジしてくれていますから。あいまいな部分がなくなってよかった」とうなずいた。検証を監督に求めた遊撃手の佐多遼珂(3年)も「映像を見て、確かにセーフだなって。すっきりできた」と話した。
審判委員は仕事をしながら時間を作って、鍛錬を続けている。毎試合後に反省会を開き、互いに指摘し、技術の向上に余念がない。どれほど経験を積んでも、判定が変わるときはある。審判委員はどのような心境でいればいいのか。尾崎泰輔・審判副委員長はこう語っていた。
「正しい判定を選手に返すことができて良かったな、と思ってほしい。他に職業を持ちながらグラウンドに立たしてもらっていて、選手たちに喜んでもらうのが一番なので。審判はみんな、そうだと思います」
もやもやを残さず、次のプレーへと切り替える。選手や監督、そして審判委員が前を向いているように、見ている側もそうでありたい。
📝田中 仰『監督、神になる 池田高校記憶の衝突』インタビュー「高校野球を書くのは市井を書くことと一緒。嘘のない現象に会いたくて僕は取材をする」
https://news.yahoo.co.jp/articles/348cbeb22a91d61832b46ec7f0e65496bb6a7d7a?page=1
「蔦文也という神話を守ることと、定説を覆してでも真実を知ろうとすることの、どちらにリスペクトはあるのか――。取材中もずっとそんな敬意の在り処のことを考えていた気がします」
この夏、自身初の著作となる『監督、神になる』を上梓した田中仰氏は平成生まれの34歳。1974年に部員わずか11名で選抜準優勝に輝いた〈さわやかイレブン〉の快挙や、1982~1983年の夏春連覇といった徳島県立池田高校の黄金期も、〈攻めダルマ〉と恐れられた阿波弁の名将のことも、当然リアルタイムには知る由もない。
きっかけは私的な旅行でJR土讃線に乗車中、ふとその小さな駅を見かけたことだった。〈阿波池田という駅名を見た。その瞬間に、金属バットの甲高い打球音と、「やまびこ打線」という言葉が頭に浮かんだ〉〈こんな田舎にある公立校が甲子園で三度も優勝するという奇跡が、本当に起きたのか〉そして3年後、田中氏は改めてその駅に降り立ち、遺族や元コーチや教え子の証言を集め歩くことになるのだが、あくまでそれらは彼らが見た蔦文也像であり、真実は訊けば訊くほど輪郭を失うようでもあった。
「高校野球は小学生の頃から大好きで、憧れの対象でした。僕らの頃は甲子園といえば智辯和歌山や横浜や大阪桐蔭で、池田の名前は『白球の記憶』で見た程度。その自分が亡くなってから25年が経つ蔦さんの本をなぜ書いたのかと言えば、やはりあの山間に佇む駅を見た時の感動と、自分は〈致命的な事実を見落としたまま記事を出してしまったのではないか〉という、〈居心地の悪さ〉からでした」
そう。本書の起点はもうひとつ、2025年に初めて阿波池田駅に降り立った著者がウェブ上で公開した、作中でいう〈夏の記事〉にある。
〈美談は言わない〉という条件で取材に応じてくれたその元コーチは、〈蔦さんは純粋な人〉〈でも、連覇した八三年春の後からやね、少しずつ蔦文也はおかしくなっていったんよ〉と言った。講演会の増加とそれに伴う不在が選手達に与えた不安について証言。さらに当時の部員が書いたという〈告発状〉を著者に託し、講演を控えるよう進言した際に監督がこぼしたという〈金は、やめられん〉という言葉と併せて報じたのが、先述の「夏の記事」だった。
当然、〈英雄が汚された〉と反発する関係者は多く、同年11月に著者が池田高校を再び訪れ、取材を再開する場面は、読んでいるこちらまでドキドキするほど。
「実際、ある元部員の方に言われました。〈えっ、あれを書いた人!?〉〈よく、来れましたね?〉って(笑)。蔦さんに関しては、今でも訊く人によっていい話も悪い話も両方出てくる。その落差と、例の告発状の彼がどうしているかがどうしても気になって、取材を続けることにしたんです」
本書では、そうこうして集めた膨大な証言と、蔦と池田高校のまさに奇跡的としか言いようのない軌跡を、幾つかの謎に沿って再構成。例えば蔦采配は「打ち勝つ野球」へと高校野球を変えた嚆矢とされるが、金属バットと筋トレ導入の関係など、従来の定説を再検証すると偶然に負うところも多く、強さに原因を求めるあまり伝説が独り歩きする過程が透けて見えるよう。
小さな町だから寄付金が集まる
また、「第四章 甲子園と金」では、後年の蔦が現場を疎かにしてまで講演活動を続けた理由を探るべく、強くなるためには金が要り、出たら出たでまた金が要る、甲子園の皮肉な実態を検証。さらに〈特攻くずれ〉にして〈プロ野球くずれ〉でもある戦中派の屈託や生への渇望を想う時、ただでさえ食い違う証言を前に揺れる著者の心は、一層揺れ動くのだ。
「謎を提示した以上、自分なりに答えに辿りつこうと、全力は尽くしたつもりです。元部員の方も蔦さんとは3年しか接してないわけで、深い話をできた人となるとほぼ皆無に近い。かと思うと外では数々の名言を口にした彼自身、たぶん矛盾を気にかけない人で、そこに僕は戦前戦後と言葉に翻弄され続けた蔦さんの、〈言葉を信用していないがゆえの妙技〉さえ感じます」
技術的な指導は特にせず、サインミスも度々だったという名将を、ある元主将は〈普通のおじいちゃんなんです。野球が大好きな〉と評し、〈一枚の「絵」〉の話をしてくれた。それは雨上がりの校庭でひとり、黙々とグラウンド整備をする蔦の記憶で、同じような絵を心に刻む者は何人かいた。
「最初にお会いした3人が会うなり口にしたその記憶の話も、件の告発者の彼の証言も、事実として偏りなく集めたいと思いました。今回つくづく思ったのは、高校野球を書くのは市井を書くことと一緒なんですよ。監督も町の人も相手は全員一般人で、言っちゃまずいことも平気で言っちゃう。寄付金集めに苦労している公立は今も多く、そんな構造が40年変わらないこと自体、確かに機能不全だとは思う。でもあんな小さな町がなぜ寄付金を集められたのかと思ったら逆で、小さいから集まる。そういう嘘やまとまりのない現象に会いたくて、僕は取材をしているのかもしれません」
小が大を食う番狂わせや甲子園特有の青春の匂いに心躍らせる反面、それらを消費する罪にも今後は自覚的でありたいという著者。
「30年、40年経っても笑い話にできないほど傷が癒えない人もいる以上、少なくとも『どこにでもありそうな話』とか『全員が全員、うまくいくわけがない』で片しちゃいけないなって」
そんな誠実さゆえに悩み抜く姿が新鮮な、令和の今らしいノンフィクションだ。
5日目第1試合 新田(愛媛)-花巻東(岩手) 8:03~10:27
一二三四五六七八九十計HE
花 巻 東010101010 480
新 田000011000 260
5日目第2試合 鳥取城北(鳥取)-岡山学芸館(岡山) 13:31~15:52
一二三四五六七八九十計HE
学 芸 館002003101 790
鳥取城北003000000 362
5日目第3試合 鳴門渦潮(徳島)-八王子実践(西東京) 16:20~18:18 18:03点灯 10回表から
一二三四五六七八九十計HE
八王子実0000000010150
鳴門渦潮0100000001x260
5日目第4試合 中京(岐阜)-霞ヶ浦(茨城) 18:48~21:05
一二三四五六七八九十計HE
霞 ヶ 浦001022100 672
中 京100000200 381
⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(6日目 1・2回戦)
☆☆ 08:00~ 明徳 義塾-日南 学園
☆☆☆ 13:30~ 横 浜 -沖縄 尚学
16:00~ 高 岡 商-高川 学園
☆ 18:30~ 天 理 - 福 山
📝僕のタイブレーク球場観戦歴
① 15年 4月25日 佐藤薬品S 畝 傍 9-3奈良 大付(13回) 先攻勝利
② 15年 5月31日 倉敷 MS 創志 学園4-2松 江 商(13回) 先攻勝利
③ 18年 8月 6日 甲 子 園 佐久 長聖5-4旭 川 大(14回) 先攻勝利
④ 18年 8月12日 甲 子 園 済 美 13‐11 星 稜 (13回) 後攻勝利
⑤ 18年10月 3日 福井 県営 近 江 13‐12日 大 三(10回) 後攻勝利 (国体)
⑥ 18年10月13日 明石 トーカロ 報徳 学園3-2 社 (13回) 先攻勝利
⑦ 19年 5月 6日 皇 子 山 彦 根 東8-7 綾 羽 (13回) 後攻勝利
⑧ 19年10月26日 コカコーラ 矢 上 6-3 盈 進 (13回) 先攻勝利
⑨ 21年 7月23日 紀三 井寺 智弁和歌山3-2初芝 橋本(13回) 後攻勝利
⑩ 22年 3月20日 甲 子 園 近 江 6-2長崎 日大(13回) 先攻勝利
⑪ 22年 3月25日 甲 子 園 金光 大阪4-3木更津総合(13回) 後攻勝利
⑫ 22年 4月 9日 シティ 信金S 奈良学園大4-2神 戸 大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑬ 22年10月 2日 ウイ ンク 社 4-2 育 英 (13回) 先攻勝利
⑭ 22年10月15日 倉敷 MS 周南公立大3-1環太平洋大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑮ 22年10月15日 倉敷 MS 東 亜 大2-1吉備国際大(10回) 後攻勝利 (大学)
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⑯ 23年 3月28日 甲 子 園 報徳 学園5-4 東 邦 (10回) 後攻勝利
⑰ 23年 3月29日 甲 子 園 報徳 学園5-4仙台 育英(10回) 後攻勝利
⑱ 23年 4月16日 ダイムS伊勢 皇 學 館4ー3昴 学 園(10回) 後攻勝利
⑲ 23年 5月 1日 HMF神戸 関西国際大5-2天 理 大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑳ 23年 5月13日 わかさ京都 京都 国際2-1龍谷大平安(10回) 後攻勝利
㉑ 23年 7月17日 浜 山 出 雲 工9-8 安 来 (10回) 後攻勝利
㉒ 23年 7月28日 紀三 井寺 市和 歌山5-4和歌 山北(11回) 後攻勝利
㉓ 23年 8月 6日 甲 子 園 土浦 日大8-3上 田 西(10回) 先攻勝利
㉔ 23年 8月13日 甲 子 園 山 陽 4-3大垣 日大(10回) 後攻勝利
㉕ 23年 8月16日 甲 子 園 慶 応 6-3 広 陵 (10回) 先攻勝利
㉖ 23年 8月26日 紀三 井寺 那 賀 6-2 桐 蔭 (10回) 先攻勝利
㉗ 23年 9月10日 G7スタジアム 彩星 工科4-3篠山 鳳鳴(10回) 後攻勝利
㉘ 23年10月15日 福井フェニックス 敦賀 気比11-5帝京 長岡(10回) 先攻勝利
㉙ 23年10月22日 シティ信金 京都 国際3-2 田 辺 (10回) 後攻勝利
㉚ 23年10月22日 シティ信金 京都外大西7-5彦根 総合(10回) 先攻勝利
㉛ 24年 3月18日 甲 子 園 八学 光星5-3関 東 一(11回) 先攻勝利
㉜ 24年 3月18日 甲 子 園 熊本 国府2-1 近 江 (10回) 後攻勝利
㉝ 24年 3月22日 甲 子 園 報徳 学園3-2愛工大名電(10回) 後攻勝利
㉞ 24年 3月27日 甲 子 園 青森 山田6-5 広 陵 (10回 後攻勝利
㉟ 24年 4月27日 紀三 井寺 市和 歌山6-3 田 辺 (10回) 先攻勝利
㊱ 24年 4月29日 ウイ ンク 須磨 翔風5-3神戸学院付(11回) 先攻勝利
㊲ 24年 5月 3日 HMF神戸 大阪体育大6-5甲 南 大(10回) 先攻勝利(大学)
㊳ 24年 5月 6日 マイネット皇子山 八 幡 商3-2比 叡 山(10回) 先攻勝利
㊴ 24年 5月19日 長 良 川 菰 野 6-5県岐 阜商(10回) 先攻勝利
㊵ 24年 7月22日 紀三 井寺 田 辺 9-8新宮/新翔(10回) 後攻勝利
㊶ 24年 8月 7日 甲 子 園 智弁 学園9-6岐阜 城北(11回) 先攻勝利
㊷ 24年 8月17日 甲 子 園 大 社 3-2早稲 田実(11回) 後攻勝利
㊸ 24年 9月 8日 高 砂 神 戸 一6-5 滝 川 (11回) 先攻勝利
㊹ 24年 9月28日 明石 トーカロ 東洋大姫路10-4神戸国際付(10回) 先攻勝利
㊺ 24年10月27日 浜 山 米子 松蔭4-3 盈 進 (11回) 後攻勝利
㊻ 24年11月 9日 甲賀 市民 河 南 3ー2 天 理 (11回) 後攻勝利(軟式)
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㊼ 25年 3月18日 甲 子 園 健大 高崎3-1明徳 義塾(10回) 先攻勝利
㊽ 25年 3月26日 甲 子 園 浦 和 実12-4聖光 学院(10回) 先攻勝利
㊾ 25年 4月26日 岡山 県営 福 山 大7-4川崎医療大(10回) 後攻勝利(大学)
㊿ 25年 4月27日 ウイ ンク 明 石 商5-4神戸学院付(10回) 先攻勝利
51 25年 5月11日 GOSANDO 履 正 社4-2関大 北陽(11回) 先攻勝利
52 25年 6月 1日 倉敷 MS 創志 学園2-1岡山 東商(10回) 先攻勝利
53 25年 7月 6日 わかさ京都 京都 文教9-8京都すばる(10回) 後攻勝利
54 25年 8月 6日 甲 子 園 開 星 6-5宮 崎 商(10回) 後攻勝利
55 25年 8月 7日 甲 子 園 津田 学園5-4 叡 明 (12回) 後攻勝利
56 25年 8月 9日 甲 子 園 佐 賀 北5-4青藍 泰斗(10回) 後攻勝利
57 25年 8月24日 紀三 井寺 向 陽 8-7 海 南 (10回) 後攻勝利
58 25年10月 6日 わかさ京都 龍谷大平安2-1 乙 訓 (11回) 後攻勝利
59 25年11月15日 ウイ ンク 天 理 2-1あべの翔学(10回) 先攻勝利(軟式)
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60 26年 3月19日 甲 子 園 八学 光星15-6 崇 徳 (10回) 先攻勝利
61 26年 3月25日 甲 子 園 智弁 学園2-1神村 学園(10回) 先攻勝利
62 26年 4月11日 ならっきー 奈 良 北3-2 奈 良 (10回) 先攻勝利
63 26年 5月31日 浜 山 創志 学園4-3 開 星 (10回) 後攻勝利
64 26年 7月25日 倉敷 MS 岡山学芸館3-2 山 陽 (10回) 後攻勝利
65 26年 8月09日 甲 子 園 鳴門 渦潮2-1八王子実践(10回) 後攻勝利
👣甲子園のグラウンドに立つ小島弘務さんを見たかった 浜松修学舎高監督に就任する直前「3年後、4年後に必ず良いチームを」その3年目に…早すぎる【悼む】
https://news.yahoo.co.jp/articles/02d7c24df9ae0b38d08c870e6e84390a5c7fd8ba
プロ野球・中日の元投手で、引退後はアマチュア球界で指導者として活躍した小島弘務さんが6日、肺がんのため死去した。58歳だった。
5日から始まったばかりの甲子園のグラウンドに立つ姿を見たかった。見られるはずだった。あまりにも突然な訃報に思い浮かんだのは、こんな思いだ。その才能も、力量も、指導者としての包容力もあっただけに、本当に残念でならない。
「前田さん、見ていてくださいよ。すぐ結果を出せと言われても無理かもしれない。でも3年後、4年後になれば、良い選手をスカウトして、鍛えて、必ず良いチームを作ってみせますからね」。自信たっぷりに話してくれたのは、浜松修学舎高の監督に就任する直前、2023年冬のこと。「今度、監督に就任することになりましたから、中日スポーツで大きく書いてくださいよ」と頼まれ、私の故郷でもある浜松の学校に取材に行った時だった。
それ以前に、追手門学院大で監督を務め、チームを2部から1部に昇格させていた。浜松開誠館高のコーチに就任してからは、やはり元中日の佐野心監督(当時)をコーチとして支え、退任後ではあるが同校初の甲子園出場の一因となっていた。そんな実績の積み重ねから、確かな手ごたえがあったのだと思う。「大学で監督というものを学ばせてもらったし、開誠館では、甲子園への行き方を学ばせてもらった。だから、今度はその経験を生かして、甲子園で勝てるチームを作りたいんです」と目を輝かせて話す言葉を聞き、私はその実現を信じて疑っていなかった。そして今年がその3年目だった。自らスカウト、鍛え上げた選手でいざ勝負いう時に病に倒れ、最後まで生徒たちと勝負できなかった無念は察して余りある。後任者が指揮をとったこの夏は、静岡大会は古巣の浜松開誠館に3回戦で敗れたが、小島監督が指揮をとっていれば、絶対に結果は違ったものになったと思う。
振り返ってみれば、中日での現役時代からだから、もう30年以上の付き合いだった。現役時代は少しとぼけたところのある選手という印象だったが、プロ入りの際に人にない経験をしていた。引退後に焼き肉店経営、大学野球そして高校野球指導者とキャリアを積み重ね、人格的な魅力が増していった。プロ野球ひと筋の人間とはひと味違う、世界観を持っていたから、ずっと交流が続いたことは疑いない。焼き肉店経営の時は「100円稼ぐのが、これほど大変と思わなかった」、大学監督を退任した時は「4年生が送別会を開いてくれた。自分の指導が間違っていなかったんだと確信できた。あんなにうれしいことはなかった」など、苦労してきた人間にしか言えないことだろう。
そんな幾多の苦労が間もなく報われるはずだったのに。58歳の死は早すぎる。繰り返しになるが本当に残念でならない。 (92、93、99~01年中日担当・前田道彦)
小島さんは平安高(現・龍谷大平安)、住友金属を経て、1990年のドラフト会議で中日から1位指名された。91~97年まで中日でプレーし、98年にトレードでロッテに移籍。99年オフに戦力外通告を受け、2000年の1年間は台湾でプレーして現役を引退。NPBでは通算167試合に登板し、19勝15敗、8セーブ、防御率3・60。
2015年からは阪神大学野球連盟2部の追手門学院大の監督を務め、22年からは静岡・浜松開誠館高でコーチ。24年1月に静岡・浜松修学舎高の監督に就任、体調不良のため25年11月から休養し、今年3月限りで退任して治療に専念していた。
📝ビデオ検証で判定が変わったとき、審判のあるべき心境は 夏の甲子園
https://news.yahoo.co.jp/articles/b251ed06cedb41c62a908d8e77ab067b61e22c41
この夏の甲子園で、高校野球の公式戦で初めてビデオ検証が導入された。
大会第3日(7日)の有明―立命館宇治、立正大淞南―長崎日大で用いられたが、2度とも判定は変わらなかった。初めて判定が変わったのは3度目となる第4日(8日)の白樺学園―東日大昌平だった。
1―1の九回2死一、二塁。二塁への牽制(けんせい)がタッチアウトと判定されたが、二塁走者だった東日大昌平の小内壱晟(3年)がベンチにアピールした。
「セーフっぽいなとは思ったけど、アウトと言われても仕方ないと思った上で、ここで使うしかない、と。頼むからセーフになってくれと思って監督にお願いしました」と振り返る。
判定はセーフに変わった。小内は、打者の左前安打で本塁にかえって勝ち越した。ただ実際、判定が変わらなかった場合でも監督や選手には納得感が漂っていた。
検証を要求したが、タッチプレーがセーフとの判定が変わらなかった立正大淞南の太田充監督は「そもそも一番近くで見てジャッジしてくれていますから。あいまいな部分がなくなってよかった」とうなずいた。検証を監督に求めた遊撃手の佐多遼珂(3年)も「映像を見て、確かにセーフだなって。すっきりできた」と話した。
審判委員は仕事をしながら時間を作って、鍛錬を続けている。毎試合後に反省会を開き、互いに指摘し、技術の向上に余念がない。どれほど経験を積んでも、判定が変わるときはある。審判委員はどのような心境でいればいいのか。尾崎泰輔・審判副委員長はこう語っていた。
「正しい判定を選手に返すことができて良かったな、と思ってほしい。他に職業を持ちながらグラウンドに立たしてもらっていて、選手たちに喜んでもらうのが一番なので。審判はみんな、そうだと思います」
もやもやを残さず、次のプレーへと切り替える。選手や監督、そして審判委員が前を向いているように、見ている側もそうでありたい。
📝田中 仰『監督、神になる 池田高校記憶の衝突』インタビュー「高校野球を書くのは市井を書くことと一緒。嘘のない現象に会いたくて僕は取材をする」
https://news.yahoo.co.jp/articles/348cbeb22a91d61832b46ec7f0e65496bb6a7d7a?page=1
「蔦文也という神話を守ることと、定説を覆してでも真実を知ろうとすることの、どちらにリスペクトはあるのか――。取材中もずっとそんな敬意の在り処のことを考えていた気がします」
この夏、自身初の著作となる『監督、神になる』を上梓した田中仰氏は平成生まれの34歳。1974年に部員わずか11名で選抜準優勝に輝いた〈さわやかイレブン〉の快挙や、1982~1983年の夏春連覇といった徳島県立池田高校の黄金期も、〈攻めダルマ〉と恐れられた阿波弁の名将のことも、当然リアルタイムには知る由もない。
きっかけは私的な旅行でJR土讃線に乗車中、ふとその小さな駅を見かけたことだった。〈阿波池田という駅名を見た。その瞬間に、金属バットの甲高い打球音と、「やまびこ打線」という言葉が頭に浮かんだ〉〈こんな田舎にある公立校が甲子園で三度も優勝するという奇跡が、本当に起きたのか〉そして3年後、田中氏は改めてその駅に降り立ち、遺族や元コーチや教え子の証言を集め歩くことになるのだが、あくまでそれらは彼らが見た蔦文也像であり、真実は訊けば訊くほど輪郭を失うようでもあった。
「高校野球は小学生の頃から大好きで、憧れの対象でした。僕らの頃は甲子園といえば智辯和歌山や横浜や大阪桐蔭で、池田の名前は『白球の記憶』で見た程度。その自分が亡くなってから25年が経つ蔦さんの本をなぜ書いたのかと言えば、やはりあの山間に佇む駅を見た時の感動と、自分は〈致命的な事実を見落としたまま記事を出してしまったのではないか〉という、〈居心地の悪さ〉からでした」
そう。本書の起点はもうひとつ、2025年に初めて阿波池田駅に降り立った著者がウェブ上で公開した、作中でいう〈夏の記事〉にある。
〈美談は言わない〉という条件で取材に応じてくれたその元コーチは、〈蔦さんは純粋な人〉〈でも、連覇した八三年春の後からやね、少しずつ蔦文也はおかしくなっていったんよ〉と言った。講演会の増加とそれに伴う不在が選手達に与えた不安について証言。さらに当時の部員が書いたという〈告発状〉を著者に託し、講演を控えるよう進言した際に監督がこぼしたという〈金は、やめられん〉という言葉と併せて報じたのが、先述の「夏の記事」だった。
当然、〈英雄が汚された〉と反発する関係者は多く、同年11月に著者が池田高校を再び訪れ、取材を再開する場面は、読んでいるこちらまでドキドキするほど。
「実際、ある元部員の方に言われました。〈えっ、あれを書いた人!?〉〈よく、来れましたね?〉って(笑)。蔦さんに関しては、今でも訊く人によっていい話も悪い話も両方出てくる。その落差と、例の告発状の彼がどうしているかがどうしても気になって、取材を続けることにしたんです」
本書では、そうこうして集めた膨大な証言と、蔦と池田高校のまさに奇跡的としか言いようのない軌跡を、幾つかの謎に沿って再構成。例えば蔦采配は「打ち勝つ野球」へと高校野球を変えた嚆矢とされるが、金属バットと筋トレ導入の関係など、従来の定説を再検証すると偶然に負うところも多く、強さに原因を求めるあまり伝説が独り歩きする過程が透けて見えるよう。
小さな町だから寄付金が集まる
また、「第四章 甲子園と金」では、後年の蔦が現場を疎かにしてまで講演活動を続けた理由を探るべく、強くなるためには金が要り、出たら出たでまた金が要る、甲子園の皮肉な実態を検証。さらに〈特攻くずれ〉にして〈プロ野球くずれ〉でもある戦中派の屈託や生への渇望を想う時、ただでさえ食い違う証言を前に揺れる著者の心は、一層揺れ動くのだ。
「謎を提示した以上、自分なりに答えに辿りつこうと、全力は尽くしたつもりです。元部員の方も蔦さんとは3年しか接してないわけで、深い話をできた人となるとほぼ皆無に近い。かと思うと外では数々の名言を口にした彼自身、たぶん矛盾を気にかけない人で、そこに僕は戦前戦後と言葉に翻弄され続けた蔦さんの、〈言葉を信用していないがゆえの妙技〉さえ感じます」
技術的な指導は特にせず、サインミスも度々だったという名将を、ある元主将は〈普通のおじいちゃんなんです。野球が大好きな〉と評し、〈一枚の「絵」〉の話をしてくれた。それは雨上がりの校庭でひとり、黙々とグラウンド整備をする蔦の記憶で、同じような絵を心に刻む者は何人かいた。
「最初にお会いした3人が会うなり口にしたその記憶の話も、件の告発者の彼の証言も、事実として偏りなく集めたいと思いました。今回つくづく思ったのは、高校野球を書くのは市井を書くことと一緒なんですよ。監督も町の人も相手は全員一般人で、言っちゃまずいことも平気で言っちゃう。寄付金集めに苦労している公立は今も多く、そんな構造が40年変わらないこと自体、確かに機能不全だとは思う。でもあんな小さな町がなぜ寄付金を集められたのかと思ったら逆で、小さいから集まる。そういう嘘やまとまりのない現象に会いたくて、僕は取材をしているのかもしれません」
小が大を食う番狂わせや甲子園特有の青春の匂いに心躍らせる反面、それらを消費する罪にも今後は自覚的でありたいという著者。
「30年、40年経っても笑い話にできないほど傷が癒えない人もいる以上、少なくとも『どこにでもありそうな話』とか『全員が全員、うまくいくわけがない』で片しちゃいけないなって」
そんな誠実さゆえに悩み抜く姿が新鮮な、令和の今らしいノンフィクションだ。