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💢甲子園に“名物おじさん”復活 2023年夏を最後に一度は足が遠のくも…「急にみたくなった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a3febcf83a8fa7a1fb88e494ccf6c931ada2b6c
かつて甲子園大会全戦をラガーシャツ、黄色いキャップ姿で観戦し有名に
第98回選抜高校野球大会は3月31日に決勝が行われ、大阪桐蔭が7-3で智弁学園(奈良)に勝利。春夏通算10度目(春5度・夏5度)の全国優勝を果たした。実は今大会では、かつて甲子園名物として知る人ぞ知る存在だった“ラガーさん”が秘かに復活し、全31試合観戦を達成していた。
かつて春夏を通じ、高校野球の甲子園大会全試合で、鮮やかな柄のラガーシャツと黄色いキャップ姿の男性がネット裏最前列で観戦し続けていることに、テレビの実況中継の視聴者が気付きはじめ、いつしか“ラガーさん”の通称で有名になっていた。
本名・善養寺隆一さん。甲子園で高校野球を初めて観戦したのは、剛腕・渡辺智男投手を擁する伊野商(高知)が準決勝でKKコンビ(清原和博内野手と桑田真澄投手)のPL学園(大阪)を破り、決勝でも帝京(東京)を下して優勝した1985年春の選抜だった。高校野球に魅せられたラガーさんは、甲子園大会を毎年、開幕から閉幕まで、夜は球場8号門前に寝袋にくるまって徹夜で並び、全試合を当時自由席でだったネット裏最前列で観戦するようになった。都内の自宅と甲子園の往復は、専ら深夜バス。大会期間中は、知人宅を間借りして荷物置き場と休憩用に当て、風呂は銭湯を利用してきたという。
そんなラガーさんに大きな変化が訪れたのは、2016年の春の選抜だった。ネット裏席前方に「ドリームシート」が設けられ、小・中学生を公募の上で無料招待するようになり、ラガーさんは定位置を追われる格好になった。2021年の選抜からは全席指定となり、「俺は昭和生まれのアナログな人間なので、インターネットをうまく扱えず、思うようにチケットを取れない」というラガーさんは、慶応(神奈川)が107年ぶりの優勝を飾った2023年夏を最後に、甲子園から足が遠のいていた。
今大会の観客動員は全席指定席化以降最多の39万5800人に上った
ところが今大会、「正月から中学野球をずっと見ていた流れがあって、開幕前に急に見たくなった」。難問のチケット取得は「何人かの友だちがネットで取ってくれた。みんなに感謝です」と頭を下げる。そのお陰で連日、ネット裏の前方から中段付近の席で観戦することができた。
テレビ中継に映ることはなくなったが、「球場のトイレに行く時などに、昔ほどじゃないけれど、多くの方々に声をかけてもらったり、写真を頼まれたりする。うれしいね」と頬を緩める。
決勝については「やっぱり大阪桐蔭は強かった。バスターやエンドランを絡めて、試合巧者ぶりを発揮したよね。智弁の杉本(真滉)投手(3年)はこれまでずっといいピッチングをしてきたけれど、少し疲れていたのと、大阪桐蔭の打線に研究されていたために、打たれてしまったね。ストレートを狙われていたものね」と玄人はだしの評論を披露した。
そんなラガーさんは現在59歳で、8月には還暦を迎える。親の代からの印刷業を数年前にやめ、貸店舗と家賃収入で生計を立てているという。
「甲子園に来ると、体力もお金も使う。ただ、お金はあの世までは持って行けないからね。生きているうちに楽しまないと。体力が続く限り、また来たいかな。俺のライフワークだから!」と力を込めたラガーさん。
主催者発表によると、今大会の観客動員は計39万5800人に上り、全席指定となった2021年以降では最多だった。甲子園のスタンドに帰ってきたラガーさんの念力が、人知れず大会を後押ししていたのかな……。
✌<センバツプレーバック・和歌山>耐久(2024年) 「新時代」を創った躍進
https://news.yahoo.co.jp/articles/33e09e8011b33c87fa6f255a7d55be79ebbbdd57
新型コロナ感染拡大で見送られていたセンバツでの甲子園練習が5年ぶりに再開され、新たな時代の始まりを感じさせた。存在感を見せたのが、創部119年で甲子園初出場を果たした耐久だった。
学校創立は江戸時代の1852(嘉永5)年でペリー来航より早い。野球部創部も1905年と伝統があり、プロ野球選手も輩出してきた。だが、これまでは聖地に届かなかった。
しかも前年夏の和歌山大会では初戦敗退。そこから悔しさを胸にした新チームが秋の県大会で初優勝し、40年ぶりに出場した秋季近畿大会でも4強に進出する躍進を見せた。
原動力となったのは秋の公式戦全9試合で完投した冷水孝輔投手だった。1回戦の中央学院(千葉)戦でも一回に先制を許したが、力強い直球と多彩な変化球で五回まで追加点を許さなかった。だが、大会前に体調を崩したことが影響したのか、六回に4長短打を許して3失点。七回の打席で利き腕の右ひじに死球を受け、八回には無念の交代となった。
耐久は4点を追う七回、白井颯悟選手、中啓隆選手の安打と死球で2死満塁とし、岩崎悠太選手が四球を選び、押し出しで1点を返した。九回に代打攻勢で勝利への執念を見せたが、1―7で初戦敗退に終わった。一方、中央学院は勝ち進み、春夏通じて初の4強入りを果たした。
チームカラーのえんじと白に染まった応援席は人文字の「T」を形成して後押し。「応援団賞」の最優秀賞に選ばれた。現在も監督として指揮を執る井原正善さん(42)は「選手は心強かったのではないか」と振り返る。現在のチームでも2年前の甲子園出場が励みになっているという。
☝「辞めたいと毎日思う」重圧を上回る「一人でも多く、この舞台に立たせたい」情熱…高校生の成長を見守るほほえみ
https://news.yahoo.co.jp/articles/7af0d3f7b3c8b6465aa2b6209e4893661331d2e8
選抜高校野球Vの大阪桐蔭部長 有友 茂史さん 61
一時3点差を追いつかれた白熱の決勝を、「きょうは誰がヒーローになるんやろな」と見つめていた。選手たちが春夏通算10度目の甲子園大会優勝を決めると、「高校生は思いもしないプレーや成長を見せてくれる」とほほえんだ。
奈良・天理高で甲子園を目指したが、3年夏は県大会初戦で敗退。天理大を経て大阪桐蔭野球部のコーチになった。甲子園への思いには区切りをつけ、「ただ教師になりたかっただけ」だったという。しかし、1990年、母校が出場した甲子園の応援席で情熱が再燃した。「自分も生徒をここに連れてきたい」
98年、ともにコーチをしていた西谷浩一さん(56)が監督に、自身は部長になった。チームが勝てば勝つほど、部の予算管理などの事務が増えた。グラウンドに立つ時間は短くなったが、落ち込む選手を見つけてはフォロー。今大会中も無安打でうつむく選手に気づき、「落ち込んだままなら、俺が代わりに試合出るぞ」と笑わせた。
全国から集まる選手を育て、勝利を期待される重圧は大きい。「辞めたいと毎日思う」と笑うが、それを上回る情熱は変わらない。「一人でも多く、この舞台に立たせたい。まだまだやるで」
👣智弁学園・井元康勝部長が退任メッセージ「もう、100点。ここまで監督が連れてきてくれて感謝」岡本和真にはおわびも
https://news.yahoo.co.jp/articles/a484d9c15f86c0bf09c84964b4ce08bd32dce935
第98回センバツ高校野球大会で準優勝した智弁学園(奈良)の井元康勝部長(75)が、31日の決勝を最後に退任し、同校の教諭を退職した。小坂将商監督(48)とは33年間の付き合い。高校3年間は担任教師を務め、指揮官が就任3年目の2008年から部長として支えてきた。教え子のブルージェイズ・岡本和真内野手(29)との思い出も語りながら、戦い抜いたナインに拍手を送った。
43年の教員生活の最後の日を甲子園で過ごした。しかも決勝。井元部長は「まさか、こんなことに。ホンマに劇的なこと」と、聖地の景色を目に焼き付けた。惜しくも敗れたが、笑顔で「夏、優勝せえよ」と、選手の肩をたたいた。
「もう、100点。粘りも諦めない気持ちも強かった。ここまで監督が連れてきてくれて、感謝だけ」
83年に赴任。93年に入学した小坂監督の在学3年間は、野球部員がそろうクラスの担任だった。指揮官の就任3年目からは18年間の二人三脚。自身に野球経験はないものの、75歳まで勤めた理由は明確だ。
「小坂が立派な社会人になって戻ってきたから。教え子やけど、もう盟友よ」
95年夏に甲子園4強。思い出の学年の小坂主将は、印象的な生徒だった。
「担任として、厳しい野球部の監督との間に入る役目。フォローして、悩みを聞いて。小坂を叱ったこともあるけど、しっかりした子。誰かが悪さをすると『僕も同罪です』と一緒に怒られた。個性豊かな代を、うまくまとめていたなあ」
今では部の伝統の野球ノートは元々、小坂監督の1年時に「教室」で始めた。当時は、担任と生徒の交換日記。毎日メッセージを添えて返した。
「いつもノートを見れば、変化が分かる。びっしり書く子が急に1行になったら、何かあったんやなと」
過度な上下関係の撤廃を始めたのも、この世代。今年1月、その29期生による慰労会が開かれた。指揮官から「先生との出会いで、ここまで来られました」と感謝の言葉。井元部長の座右の銘「人生、意気に感ず」と記されたTシャツも贈られた。今大会もおそろいのTシャツで応援した29期生。試合後も激励に宿舎を訪れ、食事をともにした。
何人もプロを輩出し、「岡本も村上(阪神)も、やっぱり並外れた努力家。岡本はポワーンとしているように見えて、本当によく練習した」と回想。昨年秋に「お体を大事にしてください。メジャーで頑張ってきます」という連絡があったが、“おわび”もある。
「入って来た時に声が小さくて、何度もあいさつのやり直しをさせた。今思えば、えらい失礼やな、メジャーリーガーに(笑)」
今後は非常勤の職員。「パートのおじいちゃん」として顧問を続けるが、本来は65歳で退くつもりだった。指揮官の慰留が続き、プラス10年。「一番幸せ。一番思い出に残る試合」と、感無量のフィナーレだ。
◆井元 康勝(いもと・やすまさ)1950年5月30日、和歌山・橋本市生まれ。75歳。橋本高、大阪府立大を卒業。自動車部品工場での技術職などを経て、83年に理科の教諭として智弁学園に赴任。03年4月から1年間、野球部長を務め、08年4月に復帰。春夏16度甲子園に出場し、16年春に優勝、21年夏に準優勝。
👣阪神才木の恩師、須磨翔風・中尾監督が神港橘に転任 兵庫高校野球の指導者ら新天地へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/e46b5e99d2ae8770130d92ef1bf55ffa6f9680cd
高校野球で須磨翔風を17年間率いた中尾修監督(60)が、1日付で神港橘に転任する。阪神の才木浩人投手や中日の福敬登投手、楽天の安田悠馬捕手をプロ野球界に送った育成力に定評があり、新天地でも生徒と白球を追う。
中尾監督は神戸工(現・神戸科技)、日体大卒。34歳で神戸西に着任し、野球部長となった。市須磨との統合によって須磨翔風が新設された2009年に監督に就任した。
春秋の兵庫県大会で準優勝した経験を持ち、近畿大会では秋8強、春4強の実績がある。準優勝した19年の春季県大会が印象深いといい、「3回戦で28連勝中だった明石商に競り勝つことができた」と振り返る。
昨秋の県大会では16強にとどまるも、地区大会では後に近畿王者となる神戸国際大付に善戦。「チームを夏まで見届けたかった気持ちはあるが、ゼロから野球部を築き上げられたのは幸運だった。神港橘でも野球の喜びを選手に伝えたい」と語る。
また、長田の監督として16年春の選抜大会に出場した永井伸哉顧問(54)は、夢野台から神戸に異動する。夢野台では顧問の一人として、昨夏の兵庫大会16強入りに貢献。「現場に出る機会は少なかったが、若い指導者を見守る気持ちだった」といい、データ分析でチームを支えた。
新天地では部長として、長田でともに甲子園の土を踏んだ西岡大輔監督と組む。監督と部長の立場を入れ替えた再タッグに、「筑波大の後輩でもある西岡さんと、もう一度甲子園を目指したい」と尽きない情熱を明かした。
☟山梨学院・菰田 手術受けていた 1回戦で左手首を骨折、早期回復へ決断
https://news.yahoo.co.jp/articles/cc17279cbf79a88e185770fa1adf826d3abe855d
第98回選抜高校野球大会で8強入りした山梨学院の菰田陽生主将(3年)が、30日までに大阪市内で左手首の手術を受けていたことが31日、分かった。チームは現在休養中で4月2日から夏に向けて練習を再開し、菰田も早ければそこから参加する予定だ。夏までには間に合う見通しで、医師の指示通り慎重にリハビリを進めていく。
今秋ドラフト上位候補の二刀流にアクシデントが起こったのは3月22日の長崎日大との初戦だった。初回の第1打席に自身甲子園1号をマークしたが、五回、一塁の守備で捕球の際に打者走者と交錯して左手首を負傷。「左橈骨(遠位端骨折」と診断を受け、早期回復のために手術を決断した。吉田洸二監督(56)は「リハビリを焦らずにしっかり取り組まないと、後に残ったらいけない。ゆっくりやりなさいと伝えたい」と着実に段階を進める方針を明かした。
📝大阪桐蔭「平等な競争」から生まれる強さ 西谷浩一監督“叱るのではなく気づかせる”指導法 あえて何も言わず選手同士で口論させることも 「褒めて伸ばす」ことはせず
https://news.yahoo.co.jp/articles/887acb2d1285843f200e8ae50eecbad5faabc521
「今の子らは仲が良いけれど」
大阪桐蔭OBである海老根優大(現・SUBARU)は、自身の代である2022年に達成した「最後の日本一」の背景に、西谷のチーム作りを挙げる。
中学3年時、NOMOジャパンとU-15侍ジャパンに選出されたスーパー中学生だった海老根は、1年秋よりメンバー入りし、2021年のセンバツでもベンチ入りしたが、2年の夏にメンバーを外れた。
「同級生の松尾(汐恩、現・横浜DeNA)は入ったんですが、『松尾が夏に集中している分、お前は秋以降の新チームに集中して、仲間を引っ張ってくれ』と。もちろん、悔しかったですけど、西谷先生の言葉というのはノートに書いてくださった文字でも重みが違うし、自分も新チームに集中するべきだと腹をくくることができました」
大阪桐蔭の強さを、海老根は「平等な競争」と端的に表現した。
「入学した直後から、シートバッティングで先輩のボールを打たせてもらえますし、ベンチ入りできなかった選手もB戦(※メンバー外の選手や下級生を中心に起用し、実戦の機会を与える練習試合。同校の慣例となっている)などで打席数が確保され、チャンスを与えられる。結果が出れば翌日の打席数が増えることもありますし、反対に結果が出なければ翌日は守備だけということもある。引退するまで競争が続くからこそ、選手たちが腐らないんだと思います」
高校野球は夏が終わると新チームがスタートし、センバツ切符の懸かった秋季大会が行なわれる。11月には明治神宮大会があり、同月30日まで対外試合を可能とする日本高野連の規定がある。大阪桐蔭ではこの晩秋の時期の対外試合で徹底的な競争を選手に課す。チーム作りにおいて大事な時間だ。再び西谷が語る。
「秋季大会のメンバー発表の時に、ベンチを外れた選手に対して『11月には必ずチャンスを与える』と約束します。11月30日までしか対外試合ができないので、11月の平日にナイターで試合を組んだり、近大附属さんや京都国際さんと近くの球場を借りて試合をしたりします。プロ野球におけるフェニックスリーグのような位置づけです」
既に3年生は引退しているため、部員は約40人。そのうち、秋季大会でベンチ入りしながら出場機会の少なかった10人と、ベンチ入りできなかった20人の計30人が主な出場メンバーだという。
「とにかく公式戦の経験が少ない30人に実戦経験を積ませることを目的とします。反対に秋の主力はうちのグラウンドでじっくり練習をして、全体の底上げをしていく。フェニックスリーグで指揮するのはコーチ陣で、僕は本体の練習を中心に見ながら、試合の様子を途中から覗きに行ったりします」
この時期、西谷は特殊な言い方で高校生の競争心を刺激する。
「今の子らは僕らの時代と違って、本当に仲が良い。全体練習後の自主練習も同じポジションの同級生とやったりする。『むしろ仲が悪くなるぐらいやれ』とか、『お互いに上手くなったら、どちらかが試合に出られないんだぞ』と言います。僕の考えが小さいのかもしれませんが、あくまで個人を鍛える時期なので仲良くする必要はないし、『チームの和なんてこの時期は考えなくていい』と伝えています」
選手同士で口論させる
メディアの前では温厚な印象を受ける西谷だが、教え子たちに対しても声を荒らげ、厳しい言葉を投げかけることはめったにないという。再び、海老根の証言だ。
「昔は違ったのかもしれませんが、僕らの世代の先生はいつも優しかった。問題が起きた時に、先生が怒って解決するのは簡単なんですけど、それでは生徒の成長はない。だから先生はあえて何も言わずに、選手同士で口論させることもありました。器が大きく、すごい指導者だなと思います」
だからといって、「褒めて伸ばす」ようなこともしない。オリックスの森友哉は、高校時代に「西谷先生に褒められたことは一度もありません」と話していた。西谷はこう回想する。
「森に対しては5の4(5打数4安打)でも怒っていた。5の5を打てる可能性のある子だったからです。もちろん、誰にでも5の5を求めるわけではありません」
2018年に大阪桐蔭を卒業した後、早稲田大を経て2021年にドラフト2位で横浜DeNAに入団した徳山壮磨は、「西谷先生ほど観察力が鋭く、教え子の心にスッと入ってくる言葉で表現する指導者はいない」と話す。
「一度、なぜ甲子園を目指すのかという話になったことがあった。西谷先生は甲子園を『野球が一番上手くなれる場所』と説明し、『日々の練習が足し算で上手くなるとするならば、甲子園での経験はかけ算で野球が上達するんだ』と話してくれた。実際に2017年のセンバツでは、宇部鴻城(山口)、静岡、東海大福岡と試合を経るごとに自分が上達するのを実感し、自信を得ていきました」
今回のセンバツでも、昨春王者の横浜(神奈川)と共に、大阪桐蔭は優勝候補の一角ではあるだろう。MAX153キロの吉岡貫介に身長194センチという大型左腕の川本晴大、埼玉西武のおかわり君こと中村剛也の長男である勇斗もメンバー入りし、スタメンでの出場もあるかもしれない。しかし、組み合わせ抽選会の日に例年ほど前評判が高くないことを指摘されると、西谷はこう返した。
「ええ、うちは所詮、B評価ですから(笑)」
最多勝監督もスポーツ紙記者の評価を意外にも気にしている様子だった。西谷の通算勝利数がこの春、75に達した時、大阪桐蔭の10回目の日本一は達成される。全国より有望選手を集め、日本一の競争を課す西谷に対し、勝利至上主義の権化のような印象を抱いている人もいるかもしれない。しかし、私の考えでは、それは大きな誤解だ。
野球ノートを活用しながら、野球よりも大事な社会に出たあとの道を説き、叱るのではなく、気づかせるのが西谷の指導の基本だ。誰よりも聖地で勝利をあげながらつくづく西谷は技術屋ではなく、教育者なのだと思う。
📝今春は沖縄尚学、横浜も初戦敗退…なぜ「センバツで波乱が多発」? ベテラン指導者が明かす“意外なワケ”「選手たちがホッとしてしまうんです」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8bf13559e54c022f3a5ee51e34292db0db7b0f5f
今年も春のセンバツ甲子園で熱戦が続いている。そんな中で、意外にもセンバツでは優勝候補といわれる強豪チームが序盤で姿を消すケースも多い。今大会も前評判の高かった沖縄尚学や横浜といったチームが初戦で敗れる波乱もあったが、実はそこには外からはなかなか見えない要素も影響するのだという。あるベテラン指導者に聞いた、その「意外な理由」とは。
センバツ高校野球が行われている甲子園球場には、野球界のさまざまな方たちがやって来る。久しぶりの思わぬ再会があって、「ご無沙汰しております」「いやいや、こちらこそ」と、そんな光景がネット裏のスタンドのあちこちで、そして、スタンド下の取材エリアで、この目にとまる。
高校野球の甲子園という場は、人と人の危うくなりかけたご縁が、もう一度結び直される場所なのだ。そういう意味合いもあって、「聖地」という称号が名付けられたのではないか。
甲子園で再会…あるベテラン指導者の「言葉」
そんな中、私にも、「ご縁の結び直し」の機会が巡ってきて、ある高校野球指導者の方と、10年以上の隔たりを経て再会することができた。今も指導者として高校野球に携わりながら、時折、春、夏の「甲子園」に乗り込んでくることもある「現役」である。その方との語らいの中に、このようなくだりがあった。
「センバツを見てると、勝ち上がっていけそうなチームが、意外とあっさり姿を消してしまうこと、あるじゃないですか」
なぜセンバツには「波乱」が多いのか?
昔……そう「20世紀」の頃のセンバツは、確かに出場チームにも強弱があった記憶がある。だが、ここ20年ほどは、いうなれば強豪同士の試合がほとんどを占めるようになった。
なので、勝者も敗者もどちらも「強豪」なのだが、試合内容として「あれっ、もっと粘れたんじゃないかな」というまさかの“あっさり敗退感”が残るゲームは正直、時々はあるように感じる。
「私も『えっ、もう負けちゃうの! 』って思うことが時々あるんですけど、これ、どうしてだと思います?」
そんな疑問に答えあぐねていると、ここから――まったく想定外の話が始まった。
<次回へつづく>
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a3febcf83a8fa7a1fb88e494ccf6c931ada2b6c
かつて甲子園大会全戦をラガーシャツ、黄色いキャップ姿で観戦し有名に
第98回選抜高校野球大会は3月31日に決勝が行われ、大阪桐蔭が7-3で智弁学園(奈良)に勝利。春夏通算10度目(春5度・夏5度)の全国優勝を果たした。実は今大会では、かつて甲子園名物として知る人ぞ知る存在だった“ラガーさん”が秘かに復活し、全31試合観戦を達成していた。
かつて春夏を通じ、高校野球の甲子園大会全試合で、鮮やかな柄のラガーシャツと黄色いキャップ姿の男性がネット裏最前列で観戦し続けていることに、テレビの実況中継の視聴者が気付きはじめ、いつしか“ラガーさん”の通称で有名になっていた。
本名・善養寺隆一さん。甲子園で高校野球を初めて観戦したのは、剛腕・渡辺智男投手を擁する伊野商(高知)が準決勝でKKコンビ(清原和博内野手と桑田真澄投手)のPL学園(大阪)を破り、決勝でも帝京(東京)を下して優勝した1985年春の選抜だった。高校野球に魅せられたラガーさんは、甲子園大会を毎年、開幕から閉幕まで、夜は球場8号門前に寝袋にくるまって徹夜で並び、全試合を当時自由席でだったネット裏最前列で観戦するようになった。都内の自宅と甲子園の往復は、専ら深夜バス。大会期間中は、知人宅を間借りして荷物置き場と休憩用に当て、風呂は銭湯を利用してきたという。
そんなラガーさんに大きな変化が訪れたのは、2016年の春の選抜だった。ネット裏席前方に「ドリームシート」が設けられ、小・中学生を公募の上で無料招待するようになり、ラガーさんは定位置を追われる格好になった。2021年の選抜からは全席指定となり、「俺は昭和生まれのアナログな人間なので、インターネットをうまく扱えず、思うようにチケットを取れない」というラガーさんは、慶応(神奈川)が107年ぶりの優勝を飾った2023年夏を最後に、甲子園から足が遠のいていた。
今大会の観客動員は全席指定席化以降最多の39万5800人に上った
ところが今大会、「正月から中学野球をずっと見ていた流れがあって、開幕前に急に見たくなった」。難問のチケット取得は「何人かの友だちがネットで取ってくれた。みんなに感謝です」と頭を下げる。そのお陰で連日、ネット裏の前方から中段付近の席で観戦することができた。
テレビ中継に映ることはなくなったが、「球場のトイレに行く時などに、昔ほどじゃないけれど、多くの方々に声をかけてもらったり、写真を頼まれたりする。うれしいね」と頬を緩める。
決勝については「やっぱり大阪桐蔭は強かった。バスターやエンドランを絡めて、試合巧者ぶりを発揮したよね。智弁の杉本(真滉)投手(3年)はこれまでずっといいピッチングをしてきたけれど、少し疲れていたのと、大阪桐蔭の打線に研究されていたために、打たれてしまったね。ストレートを狙われていたものね」と玄人はだしの評論を披露した。
そんなラガーさんは現在59歳で、8月には還暦を迎える。親の代からの印刷業を数年前にやめ、貸店舗と家賃収入で生計を立てているという。
「甲子園に来ると、体力もお金も使う。ただ、お金はあの世までは持って行けないからね。生きているうちに楽しまないと。体力が続く限り、また来たいかな。俺のライフワークだから!」と力を込めたラガーさん。
主催者発表によると、今大会の観客動員は計39万5800人に上り、全席指定となった2021年以降では最多だった。甲子園のスタンドに帰ってきたラガーさんの念力が、人知れず大会を後押ししていたのかな……。
✌<センバツプレーバック・和歌山>耐久(2024年) 「新時代」を創った躍進
https://news.yahoo.co.jp/articles/33e09e8011b33c87fa6f255a7d55be79ebbbdd57
新型コロナ感染拡大で見送られていたセンバツでの甲子園練習が5年ぶりに再開され、新たな時代の始まりを感じさせた。存在感を見せたのが、創部119年で甲子園初出場を果たした耐久だった。
学校創立は江戸時代の1852(嘉永5)年でペリー来航より早い。野球部創部も1905年と伝統があり、プロ野球選手も輩出してきた。だが、これまでは聖地に届かなかった。
しかも前年夏の和歌山大会では初戦敗退。そこから悔しさを胸にした新チームが秋の県大会で初優勝し、40年ぶりに出場した秋季近畿大会でも4強に進出する躍進を見せた。
原動力となったのは秋の公式戦全9試合で完投した冷水孝輔投手だった。1回戦の中央学院(千葉)戦でも一回に先制を許したが、力強い直球と多彩な変化球で五回まで追加点を許さなかった。だが、大会前に体調を崩したことが影響したのか、六回に4長短打を許して3失点。七回の打席で利き腕の右ひじに死球を受け、八回には無念の交代となった。
耐久は4点を追う七回、白井颯悟選手、中啓隆選手の安打と死球で2死満塁とし、岩崎悠太選手が四球を選び、押し出しで1点を返した。九回に代打攻勢で勝利への執念を見せたが、1―7で初戦敗退に終わった。一方、中央学院は勝ち進み、春夏通じて初の4強入りを果たした。
チームカラーのえんじと白に染まった応援席は人文字の「T」を形成して後押し。「応援団賞」の最優秀賞に選ばれた。現在も監督として指揮を執る井原正善さん(42)は「選手は心強かったのではないか」と振り返る。現在のチームでも2年前の甲子園出場が励みになっているという。
☝「辞めたいと毎日思う」重圧を上回る「一人でも多く、この舞台に立たせたい」情熱…高校生の成長を見守るほほえみ
https://news.yahoo.co.jp/articles/7af0d3f7b3c8b6465aa2b6209e4893661331d2e8
選抜高校野球Vの大阪桐蔭部長 有友 茂史さん 61
一時3点差を追いつかれた白熱の決勝を、「きょうは誰がヒーローになるんやろな」と見つめていた。選手たちが春夏通算10度目の甲子園大会優勝を決めると、「高校生は思いもしないプレーや成長を見せてくれる」とほほえんだ。
奈良・天理高で甲子園を目指したが、3年夏は県大会初戦で敗退。天理大を経て大阪桐蔭野球部のコーチになった。甲子園への思いには区切りをつけ、「ただ教師になりたかっただけ」だったという。しかし、1990年、母校が出場した甲子園の応援席で情熱が再燃した。「自分も生徒をここに連れてきたい」
98年、ともにコーチをしていた西谷浩一さん(56)が監督に、自身は部長になった。チームが勝てば勝つほど、部の予算管理などの事務が増えた。グラウンドに立つ時間は短くなったが、落ち込む選手を見つけてはフォロー。今大会中も無安打でうつむく選手に気づき、「落ち込んだままなら、俺が代わりに試合出るぞ」と笑わせた。
全国から集まる選手を育て、勝利を期待される重圧は大きい。「辞めたいと毎日思う」と笑うが、それを上回る情熱は変わらない。「一人でも多く、この舞台に立たせたい。まだまだやるで」
👣智弁学園・井元康勝部長が退任メッセージ「もう、100点。ここまで監督が連れてきてくれて感謝」岡本和真にはおわびも
https://news.yahoo.co.jp/articles/a484d9c15f86c0bf09c84964b4ce08bd32dce935
第98回センバツ高校野球大会で準優勝した智弁学園(奈良)の井元康勝部長(75)が、31日の決勝を最後に退任し、同校の教諭を退職した。小坂将商監督(48)とは33年間の付き合い。高校3年間は担任教師を務め、指揮官が就任3年目の2008年から部長として支えてきた。教え子のブルージェイズ・岡本和真内野手(29)との思い出も語りながら、戦い抜いたナインに拍手を送った。
43年の教員生活の最後の日を甲子園で過ごした。しかも決勝。井元部長は「まさか、こんなことに。ホンマに劇的なこと」と、聖地の景色を目に焼き付けた。惜しくも敗れたが、笑顔で「夏、優勝せえよ」と、選手の肩をたたいた。
「もう、100点。粘りも諦めない気持ちも強かった。ここまで監督が連れてきてくれて、感謝だけ」
83年に赴任。93年に入学した小坂監督の在学3年間は、野球部員がそろうクラスの担任だった。指揮官の就任3年目からは18年間の二人三脚。自身に野球経験はないものの、75歳まで勤めた理由は明確だ。
「小坂が立派な社会人になって戻ってきたから。教え子やけど、もう盟友よ」
95年夏に甲子園4強。思い出の学年の小坂主将は、印象的な生徒だった。
「担任として、厳しい野球部の監督との間に入る役目。フォローして、悩みを聞いて。小坂を叱ったこともあるけど、しっかりした子。誰かが悪さをすると『僕も同罪です』と一緒に怒られた。個性豊かな代を、うまくまとめていたなあ」
今では部の伝統の野球ノートは元々、小坂監督の1年時に「教室」で始めた。当時は、担任と生徒の交換日記。毎日メッセージを添えて返した。
「いつもノートを見れば、変化が分かる。びっしり書く子が急に1行になったら、何かあったんやなと」
過度な上下関係の撤廃を始めたのも、この世代。今年1月、その29期生による慰労会が開かれた。指揮官から「先生との出会いで、ここまで来られました」と感謝の言葉。井元部長の座右の銘「人生、意気に感ず」と記されたTシャツも贈られた。今大会もおそろいのTシャツで応援した29期生。試合後も激励に宿舎を訪れ、食事をともにした。
何人もプロを輩出し、「岡本も村上(阪神)も、やっぱり並外れた努力家。岡本はポワーンとしているように見えて、本当によく練習した」と回想。昨年秋に「お体を大事にしてください。メジャーで頑張ってきます」という連絡があったが、“おわび”もある。
「入って来た時に声が小さくて、何度もあいさつのやり直しをさせた。今思えば、えらい失礼やな、メジャーリーガーに(笑)」
今後は非常勤の職員。「パートのおじいちゃん」として顧問を続けるが、本来は65歳で退くつもりだった。指揮官の慰留が続き、プラス10年。「一番幸せ。一番思い出に残る試合」と、感無量のフィナーレだ。
◆井元 康勝(いもと・やすまさ)1950年5月30日、和歌山・橋本市生まれ。75歳。橋本高、大阪府立大を卒業。自動車部品工場での技術職などを経て、83年に理科の教諭として智弁学園に赴任。03年4月から1年間、野球部長を務め、08年4月に復帰。春夏16度甲子園に出場し、16年春に優勝、21年夏に準優勝。
👣阪神才木の恩師、須磨翔風・中尾監督が神港橘に転任 兵庫高校野球の指導者ら新天地へ
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高校野球で須磨翔風を17年間率いた中尾修監督(60)が、1日付で神港橘に転任する。阪神の才木浩人投手や中日の福敬登投手、楽天の安田悠馬捕手をプロ野球界に送った育成力に定評があり、新天地でも生徒と白球を追う。
中尾監督は神戸工(現・神戸科技)、日体大卒。34歳で神戸西に着任し、野球部長となった。市須磨との統合によって須磨翔風が新設された2009年に監督に就任した。
春秋の兵庫県大会で準優勝した経験を持ち、近畿大会では秋8強、春4強の実績がある。準優勝した19年の春季県大会が印象深いといい、「3回戦で28連勝中だった明石商に競り勝つことができた」と振り返る。
昨秋の県大会では16強にとどまるも、地区大会では後に近畿王者となる神戸国際大付に善戦。「チームを夏まで見届けたかった気持ちはあるが、ゼロから野球部を築き上げられたのは幸運だった。神港橘でも野球の喜びを選手に伝えたい」と語る。
また、長田の監督として16年春の選抜大会に出場した永井伸哉顧問(54)は、夢野台から神戸に異動する。夢野台では顧問の一人として、昨夏の兵庫大会16強入りに貢献。「現場に出る機会は少なかったが、若い指導者を見守る気持ちだった」といい、データ分析でチームを支えた。
新天地では部長として、長田でともに甲子園の土を踏んだ西岡大輔監督と組む。監督と部長の立場を入れ替えた再タッグに、「筑波大の後輩でもある西岡さんと、もう一度甲子園を目指したい」と尽きない情熱を明かした。
☟山梨学院・菰田 手術受けていた 1回戦で左手首を骨折、早期回復へ決断
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第98回選抜高校野球大会で8強入りした山梨学院の菰田陽生主将(3年)が、30日までに大阪市内で左手首の手術を受けていたことが31日、分かった。チームは現在休養中で4月2日から夏に向けて練習を再開し、菰田も早ければそこから参加する予定だ。夏までには間に合う見通しで、医師の指示通り慎重にリハビリを進めていく。
今秋ドラフト上位候補の二刀流にアクシデントが起こったのは3月22日の長崎日大との初戦だった。初回の第1打席に自身甲子園1号をマークしたが、五回、一塁の守備で捕球の際に打者走者と交錯して左手首を負傷。「左橈骨(遠位端骨折」と診断を受け、早期回復のために手術を決断した。吉田洸二監督(56)は「リハビリを焦らずにしっかり取り組まないと、後に残ったらいけない。ゆっくりやりなさいと伝えたい」と着実に段階を進める方針を明かした。
📝大阪桐蔭「平等な競争」から生まれる強さ 西谷浩一監督“叱るのではなく気づかせる”指導法 あえて何も言わず選手同士で口論させることも 「褒めて伸ばす」ことはせず
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「今の子らは仲が良いけれど」
大阪桐蔭OBである海老根優大(現・SUBARU)は、自身の代である2022年に達成した「最後の日本一」の背景に、西谷のチーム作りを挙げる。
中学3年時、NOMOジャパンとU-15侍ジャパンに選出されたスーパー中学生だった海老根は、1年秋よりメンバー入りし、2021年のセンバツでもベンチ入りしたが、2年の夏にメンバーを外れた。
「同級生の松尾(汐恩、現・横浜DeNA)は入ったんですが、『松尾が夏に集中している分、お前は秋以降の新チームに集中して、仲間を引っ張ってくれ』と。もちろん、悔しかったですけど、西谷先生の言葉というのはノートに書いてくださった文字でも重みが違うし、自分も新チームに集中するべきだと腹をくくることができました」
大阪桐蔭の強さを、海老根は「平等な競争」と端的に表現した。
「入学した直後から、シートバッティングで先輩のボールを打たせてもらえますし、ベンチ入りできなかった選手もB戦(※メンバー外の選手や下級生を中心に起用し、実戦の機会を与える練習試合。同校の慣例となっている)などで打席数が確保され、チャンスを与えられる。結果が出れば翌日の打席数が増えることもありますし、反対に結果が出なければ翌日は守備だけということもある。引退するまで競争が続くからこそ、選手たちが腐らないんだと思います」
高校野球は夏が終わると新チームがスタートし、センバツ切符の懸かった秋季大会が行なわれる。11月には明治神宮大会があり、同月30日まで対外試合を可能とする日本高野連の規定がある。大阪桐蔭ではこの晩秋の時期の対外試合で徹底的な競争を選手に課す。チーム作りにおいて大事な時間だ。再び西谷が語る。
「秋季大会のメンバー発表の時に、ベンチを外れた選手に対して『11月には必ずチャンスを与える』と約束します。11月30日までしか対外試合ができないので、11月の平日にナイターで試合を組んだり、近大附属さんや京都国際さんと近くの球場を借りて試合をしたりします。プロ野球におけるフェニックスリーグのような位置づけです」
既に3年生は引退しているため、部員は約40人。そのうち、秋季大会でベンチ入りしながら出場機会の少なかった10人と、ベンチ入りできなかった20人の計30人が主な出場メンバーだという。
「とにかく公式戦の経験が少ない30人に実戦経験を積ませることを目的とします。反対に秋の主力はうちのグラウンドでじっくり練習をして、全体の底上げをしていく。フェニックスリーグで指揮するのはコーチ陣で、僕は本体の練習を中心に見ながら、試合の様子を途中から覗きに行ったりします」
この時期、西谷は特殊な言い方で高校生の競争心を刺激する。
「今の子らは僕らの時代と違って、本当に仲が良い。全体練習後の自主練習も同じポジションの同級生とやったりする。『むしろ仲が悪くなるぐらいやれ』とか、『お互いに上手くなったら、どちらかが試合に出られないんだぞ』と言います。僕の考えが小さいのかもしれませんが、あくまで個人を鍛える時期なので仲良くする必要はないし、『チームの和なんてこの時期は考えなくていい』と伝えています」
選手同士で口論させる
メディアの前では温厚な印象を受ける西谷だが、教え子たちに対しても声を荒らげ、厳しい言葉を投げかけることはめったにないという。再び、海老根の証言だ。
「昔は違ったのかもしれませんが、僕らの世代の先生はいつも優しかった。問題が起きた時に、先生が怒って解決するのは簡単なんですけど、それでは生徒の成長はない。だから先生はあえて何も言わずに、選手同士で口論させることもありました。器が大きく、すごい指導者だなと思います」
だからといって、「褒めて伸ばす」ようなこともしない。オリックスの森友哉は、高校時代に「西谷先生に褒められたことは一度もありません」と話していた。西谷はこう回想する。
「森に対しては5の4(5打数4安打)でも怒っていた。5の5を打てる可能性のある子だったからです。もちろん、誰にでも5の5を求めるわけではありません」
2018年に大阪桐蔭を卒業した後、早稲田大を経て2021年にドラフト2位で横浜DeNAに入団した徳山壮磨は、「西谷先生ほど観察力が鋭く、教え子の心にスッと入ってくる言葉で表現する指導者はいない」と話す。
「一度、なぜ甲子園を目指すのかという話になったことがあった。西谷先生は甲子園を『野球が一番上手くなれる場所』と説明し、『日々の練習が足し算で上手くなるとするならば、甲子園での経験はかけ算で野球が上達するんだ』と話してくれた。実際に2017年のセンバツでは、宇部鴻城(山口)、静岡、東海大福岡と試合を経るごとに自分が上達するのを実感し、自信を得ていきました」
今回のセンバツでも、昨春王者の横浜(神奈川)と共に、大阪桐蔭は優勝候補の一角ではあるだろう。MAX153キロの吉岡貫介に身長194センチという大型左腕の川本晴大、埼玉西武のおかわり君こと中村剛也の長男である勇斗もメンバー入りし、スタメンでの出場もあるかもしれない。しかし、組み合わせ抽選会の日に例年ほど前評判が高くないことを指摘されると、西谷はこう返した。
「ええ、うちは所詮、B評価ですから(笑)」
最多勝監督もスポーツ紙記者の評価を意外にも気にしている様子だった。西谷の通算勝利数がこの春、75に達した時、大阪桐蔭の10回目の日本一は達成される。全国より有望選手を集め、日本一の競争を課す西谷に対し、勝利至上主義の権化のような印象を抱いている人もいるかもしれない。しかし、私の考えでは、それは大きな誤解だ。
野球ノートを活用しながら、野球よりも大事な社会に出たあとの道を説き、叱るのではなく、気づかせるのが西谷の指導の基本だ。誰よりも聖地で勝利をあげながらつくづく西谷は技術屋ではなく、教育者なのだと思う。
📝今春は沖縄尚学、横浜も初戦敗退…なぜ「センバツで波乱が多発」? ベテラン指導者が明かす“意外なワケ”「選手たちがホッとしてしまうんです」
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今年も春のセンバツ甲子園で熱戦が続いている。そんな中で、意外にもセンバツでは優勝候補といわれる強豪チームが序盤で姿を消すケースも多い。今大会も前評判の高かった沖縄尚学や横浜といったチームが初戦で敗れる波乱もあったが、実はそこには外からはなかなか見えない要素も影響するのだという。あるベテラン指導者に聞いた、その「意外な理由」とは。
センバツ高校野球が行われている甲子園球場には、野球界のさまざまな方たちがやって来る。久しぶりの思わぬ再会があって、「ご無沙汰しております」「いやいや、こちらこそ」と、そんな光景がネット裏のスタンドのあちこちで、そして、スタンド下の取材エリアで、この目にとまる。
高校野球の甲子園という場は、人と人の危うくなりかけたご縁が、もう一度結び直される場所なのだ。そういう意味合いもあって、「聖地」という称号が名付けられたのではないか。
甲子園で再会…あるベテラン指導者の「言葉」
そんな中、私にも、「ご縁の結び直し」の機会が巡ってきて、ある高校野球指導者の方と、10年以上の隔たりを経て再会することができた。今も指導者として高校野球に携わりながら、時折、春、夏の「甲子園」に乗り込んでくることもある「現役」である。その方との語らいの中に、このようなくだりがあった。
「センバツを見てると、勝ち上がっていけそうなチームが、意外とあっさり姿を消してしまうこと、あるじゃないですか」
なぜセンバツには「波乱」が多いのか?
昔……そう「20世紀」の頃のセンバツは、確かに出場チームにも強弱があった記憶がある。だが、ここ20年ほどは、いうなれば強豪同士の試合がほとんどを占めるようになった。
なので、勝者も敗者もどちらも「強豪」なのだが、試合内容として「あれっ、もっと粘れたんじゃないかな」というまさかの“あっさり敗退感”が残るゲームは正直、時々はあるように感じる。
「私も『えっ、もう負けちゃうの! 』って思うことが時々あるんですけど、これ、どうしてだと思います?」
そんな疑問に答えあぐねていると、ここから――まったく想定外の話が始まった。
<次回へつづく>