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⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(準々決勝)
9日目第1試合 中京大中京(愛知)-八戸学院光星(青森) 8:31~10:13
一二三四五六七八九十計HE
中 京100010000 250
八学光星100000000 131
9日目第2試合 智弁学園(奈良)-花咲徳栄(埼玉) 10:47~13:22
一二三四五六七八九十計HE
花咲徳栄620000000 8111
智弁学園01323300X 12151
9日目第3試合 山梨学院(山梨)-専大松戸(千葉) 13:54~15:47
一二三四五六七八九十計HE
山梨学院010000000 170
専大松戸10000001X 272
9日目第4試合 大阪桐蔭(大阪)-英明(香川) 16:18~18:12 17:48点灯 7回裏から
一二三四五六七八九十計HE
英 明200000100 392
大阪桐蔭10100101X 454
☝<センバツプレーバック・和歌山>和歌山東(2022年) 延長十一回の波状攻撃
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8226928fb32f238b37ddead3c799f391b39fcff
春夏通じて甲子園初出場の和歌山東は初戦に延長十一回の接戦を制した。1回戦の相手は倉敷工(岡山)。三回に1点を先制された後、六回には併殺の間に山田健吾選手が本塁を踏んでチーム初得点を挙げ、同点とした。エースの麻田一誠投手は制球力抜群。打たせて取る投球がさえて投手戦が続いた。だが、八回にピンチを迎えると、今度は小刻みに投手をスイッチする「猫の目」作戦で相手の攻撃をかわし続けた。
辛抱が実ったのは延長十一回。先頭の瀬村奏威選手が中前打を放つと打線がつながり、森岡颯太選手の右前適時打で勝ち越した。そこから此上平羅主将、橋本晃成選手らが次々と快音を響かせ、この回だけで一気に7点を奪った。結果的に8―2の会心の勝利となり、米原寿秀監督は「野球部の新しい1ページを刻んだことは褒めたい。応援してくれた人たちに校歌を聴かせられて良かった」と話した。
勝負どころでの波状攻撃にアルプスはグラウンドと一体となり、歓喜に沸いた。その中には友情応援に駆けつけた和歌山商の吹奏楽部員らがいた。チームカラーが「青」だったことから、奈良大付が使用しているオリジナルの応援曲「青のプライド」の使用許可を事前に得て、延長十一回で披露。好機をもり立てる「魔曲」となった。
2回戦では浦和学院(埼玉)に0―7で敗れたものの、初の大舞台で初勝利の成果は大きかった。
🎤2026年春のセンバツ 監督突撃インタビュー
「最初は怖かったですよ(苦笑)」 大垣日大・高橋監督が先代の名将・阪口慶三氏との苦楽を語る
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/385659
高橋正明監督(大垣日大/岐阜/43歳)
明日26日の2回戦で山梨学院(山梨)と対戦するのが大垣日大(岐阜)だ。指揮を執る高橋監督は24年1月、阪口慶三前監督(81)の後を託された。甲子園出場35回、センバツで優勝するなど通算40勝34敗の名将の後を継いだプレッシャーはないか。指揮官を直撃した。
──監督は熊本出身。有明高(熊本)を経て、岐阜聖徳大に進学し、大垣日大で監督になった経緯は?
「当時、有明高の比屋根吉信監督の教え子の方が、岐阜聖徳大で監督をされていたので、その縁ですね。もともとは岐阜教育大という名称でしたが、名前を変えるに当たって野球部を強化しよう、という流れがありました」
──大学時代は学生コーチもしていた。
「3年生くらいからですかね? まあ、ノックを打ったり、投手の練習メニューを組んだり、マネジャーに近いこともしていました。夏休みは大学の練習も休みになるので、その時期は母校の有明高に戻って練習を手伝っていましたよ」
──夏休みに遊ぶ暇もなかったと。
「あの時は母校もコーチがおらず、監督から『手伝ってくれ』と言われて……。でも、将来は高校野球の指導者になりたいと思っていたので、まったく苦ではありませんでした」
──大学卒業後は大垣日大でコーチ。きっかけは?
「ちょうど、阪口先生が東邦を辞められて、大垣日大に来た時ですね。教員で、バスの運転や寮監をできる人材を探していた。そこで『こういう子がいますよ』と、僕が紹介されました。最初はコーチで、副部長も19年やりました」
「子どもたちと一緒に叱られていました(苦笑)」
──阪口監督は東邦監督時代は「鬼の阪口」と呼ばれていました。萎縮などはしませんでしたか?
「最初は怖かったですよ(笑)。僕も大垣日大に来たばかりの頃は、子どもたちと一緒に叱られていましたから(苦笑)。最初の頃は東邦時代とあまり変わらなかったと思います。勝負にはとにかく厳しいけど、寛大でもあった。情が深く、性格もユニーク。僕はよく『阪口先生はチャーミング』と表現しています(笑)」
──阪口監督の指導で印象に残っていることはありますか?
「高校生はまだ未完成だから失敗もある、とはよくおっしゃられていました。だから、失敗しても許す、責めない、と。『野球はあくまで教育』という考えで、生徒たちのことを絶対に『選手』とは呼ばない。ただ、本当に勝負事が好きでしたね。阪口先生とはよく将棋で対戦しました。強かったですけど、通算では僕がちょっと勝ち越したくらいかな(笑)。でも、麻雀は先生の方が強かった(笑)。そういう意味では、僕も野球以外でも勝負勘を学んだのかもしれません」
──阪口監督の下、様々な強豪校と対戦。印象に残っている学校、指導者はいますか?
「僕が最も参考にさせていただいているのが、亡くなられましたが常葉菊川の森下監督です。細かい技術はもちろんですが、思い切りのいい打撃や積極的な走塁など、失敗を恐れない野球が特徴。大垣日大の進化に必要なのはこれだ、と感銘を受けました。今治西から松山商業に移った大野監督には、子どもたちの教育について多くを学ばせていただきました。神村学園の小田監督は僕と同じ年齢ですが、野球がきちっとしているので学ぶものが多いですね」
──阪口監督と比較されて、プレッシャーを感じることはありますか?
「それはありますよ。監督就任当初は学校関係者も不安に思っていたはずです。だから僕も子どもたちと一緒に成長していこうと思っています。威厳からして違うので、阪口先生と同じことはできませんから。阪口先生の野球を継承しつつ、子どもたちの自主性、主体性を生かしたいと考えています。その意味では2年連続センバツ出場は安堵の気持ちもあります。間が空くと『低迷している』と思われてしまいますから。突出した子はいませんが、チーム力で戦っています」
🎤【馬淵史郎 我が道25】高嶋さんに学んだ勝負への執念…今も続く智弁和歌山との定期戦
https://news.yahoo.co.jp/articles/fffd484dcdb7be3a751d087fae4d4eb2e1f1666c
智弁和歌山の高嶋仁さん(現智弁学園、智弁和歌山名誉監督)も勝負に対する執念が凄い人だった。そのスタイルは剣に例えたら、薩摩の示現流。相手が刀で止めようとしても、刀ごと頭から斬ってしまうような迫力があった。加えて、ノックもうまい。智弁和歌山のシートノックは、いつも欠かさずに見ていた。
星稜(石川)戦での「松井5敬遠」の後、なかなか高知で勝ち上がることができなかった時期に、練習試合をさせていただいたのが交流の始まりだった。確か94年(平6)。高知の土佐と試合をするとうのを聞いて「明徳義塾ともお願いします」と申し込んだ。以来、定期戦を毎年させていただいている。時期は夏の地方大会が始まる前の6月。高嶋さんも俺も夏に向けて、チームを徹底的に追い込む。その成果を試すのが智弁和歌山戦だった。結果で夏のメンバーが決まるから、選手も必死で臨む試合。中谷仁監督になっても、定期戦は続いている。
甲子園では高嶋さんと2度対戦した。明徳義塾が初優勝した02年(平14)の決勝戦が最初の試合だった。森岡良介主将(元中日、ヤクルト、現楽天コーチ)を中心に強いチームに育ったという手応えがあったから、あとはそれを信じて戦うだけと思っていた。高嶋さんが4回1死二、三塁から仕掛けた3バントスクイズにもバッテリーがしっかり反応して、外した。「ここまで来たら、あとは選手に任せるだけだった」と話したことを聞いた高嶋さんは「馬淵監督もようやく気づいたみたいやな」と自分のことのように喜んでいただいた。
2回目は14年(平26)の選抜1回戦。1―1のまま延長に突入。智弁和歌山は12回にソロ本塁打が飛び出したが、その裏に1番の尾崎湧斗が1死一、三塁でカウント2―1からの同点スクイズに成功した。高嶋さんの顔を見たら、同点は仕方ないというように見えたので、取れる点は取ろうとサインを出した。引き分け再試合目前の15回1死満塁からの暴投でサヨナラ勝ち。じゃんけんに勝って後攻を取ったことが実った試合だ。
02年の決勝戦の後に、選抜チームで一緒に米国遠征をしてから、本当に親しくなったな。よく飲んだし、よく食べた。ロスでは朝の散歩にもお供した。高嶋さんは行き交う人に「グッドモーニング」と言い続けて歩いていた。「敵じゃないということを示すためや」と笑ったのも高嶋さんらしかった。
08年(平20)に謹慎処分を受けたときには四国八十八カ所を高嶋さんはお遍路さんとして徒歩で巡っていた。相当な苦行だ。それを知って高知で接待させていただいた思い出がある。高嶋さんの行程にあたる地域の監督にも、みんな連絡して出迎えてもらったな。昨年12月の「古希を祝う会」にも来ていただいた。甲子園で解説される高嶋さんをうならせる試合を、これからもしてみたいね。
☟「チェックすべき選手がいない」センバツ甲子園からプロ球団スカウトが軒並み撤収のウラ側
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/385729
「昨日、スカウト部長から急きょ、担当地区の春季大会をカバーするように言われたので帰りますよ。チェックすべきタマがいないから、いても仕方ないだろうって」
25日、セ・リーグのあるスカウトはこう言って、センバツが行われている甲子園球場を後にした。各球団は大会前に担当地区のスカウトの推薦をもとに、センバツで見るべき選手をリストアップ。そこに載った選手を中心に、編成担当者や複数のスカウトがクロスチェックをする。例えば、この球団のリストをこっそりのぞかせてもらったところ、
【投手】中谷嘉希(北照)、菰田陽生(山梨学院)、吉岡貫介(大阪桐蔭)、杉本真滉(智弁学園)、徳丸凜空(崇徳)、木下瑛二(高川学園)、末吉良丞(沖縄尚学)
【捕手】吉岡伸太朗(専大松戸)
【内野手】池田聖摩(横浜)、古城大翔(花巻東)
【外野手】赤間史弥(花巻東)、川中鉄平(神戸国際大付)
以上、12人の名前があったものの、前出のスカウトはこう言うのだ。
「今年のセンバツはただでさえ不作の上、リストアップされていたほとんどの選手が初戦敗退で姿を消した。残っているのは菰田、吉岡貫介、杉本、吉岡伸太朗の4人だけです。このうち菰田は22日の長崎日大戦で左手首を骨折、2回戦以降は欠場の見込み。ただでさえ1回戦終了と同時に多くのスカウトが引き揚げるのに、2回戦以降も甲子園に残ってチェックすべき選手が3人しかいないんじゃ、スカウトがいなくなるわけです」
それでも甲子園の収穫はあったのか。
「初戦で本塁打を放った二刀流の菰田、昨夏の優勝投手の末吉、ドジャースも注目する織田の3人は評判通りの好素材、今年のドラフトで1位指名されるでしょう。あとはきょうの帰り際に見た智弁学園の杉本は、初戦で144キロだった最速が2キロほどアップ。馬力があり、スタミナも豊富。カーブ、スライダー、チェンジアップと変化球も豊富だけに、上位で指名される可能性もある」とは前出のスカウトだ。
📝迫る“甲子園の定年”…53歳審判員が諦めぬ夢 夜勤明けに現場直行、「命」と向き合う日々
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b41c6d7bb18c0206f3e3dbeac0899091877468a
休日は審判員、普段は救急救命士として人命救助にあたる松原光春さん
高野連のマークが刺繍されたウエアに身を包み、「僕たちだって試合が終われば、ただのおじさんですよ」と笑みを浮かべたのは、香川県で高校野球の審判を務めている松原光春さん。20日から行われている香川県春季大会、3日目の第1試合で選手と交錯する場面があったが、起き上がり、最後まで球審の役目を全うした。
松原さんは25年前、高松東から甲子園を目指したが、夢を叶えることができなかった。卒業後は消防士になり、朝8時30分から翌日8時30分までの24時間勤務をこなしながら、休みの日には草野球に興じた。消防士として働き始めてから8年後、松原さんに転機が訪れた。「その頃、ちょうど高校時代の恩師が、香川県・高野連の理事長をされていました。消防士は、勤務日が1日おきで、休日が一般企業と異なるんです。平日に動けるので夏の大会に行きやすいし、そこまで野球が好きならちょっと審判をやってみないかと声をかけてもらったんです」。
今度は審判として、恩師と甲子園に立とう。迷いはなかった。26歳のときに総額10万円の防具を自費でそろえた。3月から11月まで、休日になると練習試合で球審を務めた。ストライクとボールの判定、他の審判員とのフォーメーション、しっかり静止して判定しているかなども確認した。「昔は審判の数も多かったし、地方大会の球審をするなら5、6年は下積みですね」。スコアボードに球審として名前が刻まれたときは30歳を超えていた。
仕事と両立して続けてきた審判員、まだ諦めていない夢「春は55歳なんですよ」
本業では国家資格に合格し、現在は救急救命士として救急車の中や救急現場で、傷病者に救命処置を行っている。朝8時半に勤務を終え、消防署から球場やグラウンドへ直行。9時の時点で練習試合の審判を務めていることも珍しくない。
「公式戦ではちょっと配慮してもらっていて、夜勤明けは昼からの試合となる2試合目や3試合目に入れてもらっているんです」と松原さん。過去には火災が発生し、他の審判員に代わってもらったこともある。決して容易ではない“両立”を続けてきた。
それだけ苦労しても、甲子園にはなかなか手が届かない。息子が中学野球を始めた2013年から、高校を卒業するまでの6年間は審判員を控えた。規定にはないが「自分の子どもが野球をしよったら、審判はちょっと……」と言葉を濁した。“暗黙の了解”があるのだろう。この空白の6年がきっかけで審判員を辞める人も多いという。
「僕もね正直、その時にもうやめようかなと思ったんです。甲子園に行けないし、40歳を過ぎて体力的に審判もつらいし、仕事(救急救命士)もハードになってきてついていけないし。やめようかなと思ったんやけど、審判を6年間できてないぶん、審判部のみんなに迷惑をかけているから。動体視力の衰えを感じる日まで頑張ろうと思ったんです」
53歳になった今も、走行中の車のナンバープレートを読むなど、影の努力を重ねながら審判を続けている。審判員の定年は60歳。松原さんは「甲子園は、夏が50歳までしか出られないんですよ。だからもう無理なんです。でも春は55歳なんですよ」と穏やかな表情で語った。
夢を叶えるより先に動体視力が落ちれば、潔く身を引く覚悟だ。それまでに母校の悲願でもある聖地に、立つことを願っている。
👣 花咲徳栄が8点リードから無念の逆転負け エース・黒川の投入時期に岩井隆監督「春を取る気持ちだった」1週間500球以内の球数制限意識
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebe6b9119dab65a16312519362c829694e38041c
◆センバツ第9日▽準々決勝 智弁学園12―8花咲徳栄(27日・甲子園)
花咲徳栄(埼玉)は、2回表までに8―0と大きくリードしながら智弁学園(奈良)に逆転負け。過去のセンバツでの最大点差逆転負けの記録(7点)を上回る“大どんでん返し”を喫し、初めての4強入りを逃した。
1回に打者11人の猛攻で一挙6得点。2回にも2点を加え8点差とした。1、2回戦で計16イニング、220球を投じたエース・黒川凌大(3年)をベンチからスタートさせた試合ではあったが、十分なリードにも見えた。岩井隆監督(56)のゲームプランは「5回くらいまで黒川以外の投手でいきたい」。先発の古賀夏音樹から長谷川陽汰、石田凜作と2年生投手を次々に送り込んだが、智弁学園の力強い攻撃の前に4回終了時で8―6と2点差まで迫られた。
迎えた5回。1点差に追いつかれ、なお2死一、三塁の場面で、ついに黒川を投入。しかし、智弁学園の2番・志村叶大(3年)に右中間への2点二塁打を浴びて8―9と逆転された。黒川は6回にも3失点し、8―12で敗れた。
「甲子園は甘くない。勉強させていただきました」と岩井監督。黒川の投入時期に関しては「6回からと決めていた。『もう少し早くてもいいかな』とも思ったが、他のピッチャーも悪くはなかったので…」。この考えの裏には、1週間で500球以内という球数制限への意識もあったという。「『この春(の優勝)を取る』という気持ちだったので、5回から行くと球数が最後にもたなくなる。球数制限のアヤもありました。負けてしまったら意味はないのですが」と複雑な表情で話した。
🎤【専大松戸・持丸修一監督と一問一答】大会最年長77歳の指揮官が初のベスト4進出「一生懸命の結果」
https://news.yahoo.co.jp/articles/88e6ba94530d91d7c87e2f41768861c7d9c2cedc
◇第98回選抜高校野球大会 専大松戸2―1山梨学院(2026年3月27日 甲子園)
専大松戸の持丸修一監督(77)は甲子園春夏11勝目を飾った。自身にとってもチームにとっても初の甲子園ベスト4進出となった。77歳は今大会の最年長。以下は指揮官との主な一問一答。
持丸監督「本当にありがたいですけど、別にベスト4がどうのこうのというわけではなくて、一生懸命やった結果がこれだったというだけのことです」
――秋の関東大会では決勝で5―14で大敗した山梨学院にリベンジ成功した。
「そこはうれしいですね!やっぱり3連敗くらいしていましたから。何とか勝ちたいなと思ってたんですけど、向こうも洗練されたチームですから、そう簡単には勝たせてくれません」
――先発の門倉が成長した。
「やっぱりコントロールも良くなったし、スピードもついた。やっぱりやることをやってる選手は成長しますね。筋トレなんかも、すごく進んでやる子でした。10本走れって言ったら、11本走れとか。これが限界だって言うのはそこからを言うんであって、9本は限界じゃないよ、という話はしました。
――決勝打は期待していた瀬谷が放った。
「あれはああいう性格をしてるんですよ。面白い性格をしています。僕はああいう、ちょっとヤンチャっぽいのが好きなんで。ああいうのが2、3人いると面白いですね」
――8回、勝ち越し前の二盗には?
「普通にやっていたんじゃ点数にならないと思ったんです。だから走らせて、打たせたら三振で(笑い)。あそこは転がすくらいしてほしかったんですけど。何かしないと点にならないと思って。エンドランではなくランエンドヒットでしたね」
――スクイズを外したり、ロースコアの技術戦になった。
「向こうも洗練されてますよね。スタートがちょっと遅くなっただけでアウトになっちゃう。ピッチャーがミスなく取ってアウトにした。やっぱり素晴らしいですよ。そういうチームに勝てるようになったというのは、成長ですね」
――このチームの強さはどこに?
「やっぱり守りとピッチャーの成長ですよね。こんなに良くなるとは自分でも思っていなかった。“先輩のベスト8を超えたい”なんて言ってましたけど、“うそだろ?”と思ってましたよ(笑い)。何言うんだ、って」
💢4強入りの大阪桐蔭 勝負決めた4番谷渕のバスターエンドラン 前打席本塁打も西谷監督から指摘「ガッツポーズするところじゃない」気持ち引き締め勝負手決める
https://news.yahoo.co.jp/articles/98a6bbbf4896f8fa3602228c100f4c84a8d58137
「選抜高校野球・準々決勝、大阪桐蔭4-3英明」(27日、甲子園球場)
大阪桐蔭が激闘を制し、23年以来3年ぶりの4強入りを果たした。西谷監督は歴代単独トップをさらに更新する甲子園74勝目となった。
西谷監督は「本当に苦しい試合ばかりで体がもたないが、みんな一生懸命やっている結果。守りのミスがたくさん出てしまって、どれだけ修正して粘っていくか」と振り返った。
3-3の同点で迎えた八回に、3番内海が四球を選ぶと、続く4番谷渕がバントの構えを見せながら、バスターエンドランで二塁打を放ち、無死二、三塁の好機をつくり、5番藤田がセンターへの犠飛で勝ち越した。六回には一時勝ち越しとなる本塁打を放っていた谷渕。ただ、一塁を回った後と、三塁の手前で2度ガッツポーズする場面があり、西谷監督は「ガッツポーズするところじゃないと言った。勝ってないんで。嬉しそうに2回もガッツポーズしていたので」と指摘されていた。
気持ちを引き締めて臨んだ次打席でもしっかり結果を残し、指揮官は「バントのサインだったんですけど、内野の動きみて、打たした方が展開があるかなと」と語り、3安打1本塁打2打点という4番の働きを「いいところで打ってくれた」と称賛した。
谷渕も「最初バントのサインが出てたんですけど、1球ストライク取って、ボール取って、そこからバスターになって、ここで決めたらゲームの大きく動くところなので、しっかり4番としても場面によってのバッティングというのを意識してできました。ずっと練習でもバスターエンドランというのはやっていたので、よっしゃこいみたいな感じでした」と、充実した表情で振り返った。
9日目第1試合 中京大中京(愛知)-八戸学院光星(青森) 8:31~10:13
一二三四五六七八九十計HE
中 京100010000 250
八学光星100000000 131
9日目第2試合 智弁学園(奈良)-花咲徳栄(埼玉) 10:47~13:22
一二三四五六七八九十計HE
花咲徳栄620000000 8111
智弁学園01323300X 12151
9日目第3試合 山梨学院(山梨)-専大松戸(千葉) 13:54~15:47
一二三四五六七八九十計HE
山梨学院010000000 170
専大松戸10000001X 272
9日目第4試合 大阪桐蔭(大阪)-英明(香川) 16:18~18:12 17:48点灯 7回裏から
一二三四五六七八九十計HE
英 明200000100 392
大阪桐蔭10100101X 454
☝<センバツプレーバック・和歌山>和歌山東(2022年) 延長十一回の波状攻撃
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8226928fb32f238b37ddead3c799f391b39fcff
春夏通じて甲子園初出場の和歌山東は初戦に延長十一回の接戦を制した。1回戦の相手は倉敷工(岡山)。三回に1点を先制された後、六回には併殺の間に山田健吾選手が本塁を踏んでチーム初得点を挙げ、同点とした。エースの麻田一誠投手は制球力抜群。打たせて取る投球がさえて投手戦が続いた。だが、八回にピンチを迎えると、今度は小刻みに投手をスイッチする「猫の目」作戦で相手の攻撃をかわし続けた。
辛抱が実ったのは延長十一回。先頭の瀬村奏威選手が中前打を放つと打線がつながり、森岡颯太選手の右前適時打で勝ち越した。そこから此上平羅主将、橋本晃成選手らが次々と快音を響かせ、この回だけで一気に7点を奪った。結果的に8―2の会心の勝利となり、米原寿秀監督は「野球部の新しい1ページを刻んだことは褒めたい。応援してくれた人たちに校歌を聴かせられて良かった」と話した。
勝負どころでの波状攻撃にアルプスはグラウンドと一体となり、歓喜に沸いた。その中には友情応援に駆けつけた和歌山商の吹奏楽部員らがいた。チームカラーが「青」だったことから、奈良大付が使用しているオリジナルの応援曲「青のプライド」の使用許可を事前に得て、延長十一回で披露。好機をもり立てる「魔曲」となった。
2回戦では浦和学院(埼玉)に0―7で敗れたものの、初の大舞台で初勝利の成果は大きかった。
🎤2026年春のセンバツ 監督突撃インタビュー
「最初は怖かったですよ(苦笑)」 大垣日大・高橋監督が先代の名将・阪口慶三氏との苦楽を語る
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/385659
高橋正明監督(大垣日大/岐阜/43歳)
明日26日の2回戦で山梨学院(山梨)と対戦するのが大垣日大(岐阜)だ。指揮を執る高橋監督は24年1月、阪口慶三前監督(81)の後を託された。甲子園出場35回、センバツで優勝するなど通算40勝34敗の名将の後を継いだプレッシャーはないか。指揮官を直撃した。
──監督は熊本出身。有明高(熊本)を経て、岐阜聖徳大に進学し、大垣日大で監督になった経緯は?
「当時、有明高の比屋根吉信監督の教え子の方が、岐阜聖徳大で監督をされていたので、その縁ですね。もともとは岐阜教育大という名称でしたが、名前を変えるに当たって野球部を強化しよう、という流れがありました」
──大学時代は学生コーチもしていた。
「3年生くらいからですかね? まあ、ノックを打ったり、投手の練習メニューを組んだり、マネジャーに近いこともしていました。夏休みは大学の練習も休みになるので、その時期は母校の有明高に戻って練習を手伝っていましたよ」
──夏休みに遊ぶ暇もなかったと。
「あの時は母校もコーチがおらず、監督から『手伝ってくれ』と言われて……。でも、将来は高校野球の指導者になりたいと思っていたので、まったく苦ではありませんでした」
──大学卒業後は大垣日大でコーチ。きっかけは?
「ちょうど、阪口先生が東邦を辞められて、大垣日大に来た時ですね。教員で、バスの運転や寮監をできる人材を探していた。そこで『こういう子がいますよ』と、僕が紹介されました。最初はコーチで、副部長も19年やりました」
「子どもたちと一緒に叱られていました(苦笑)」
──阪口監督は東邦監督時代は「鬼の阪口」と呼ばれていました。萎縮などはしませんでしたか?
「最初は怖かったですよ(笑)。僕も大垣日大に来たばかりの頃は、子どもたちと一緒に叱られていましたから(苦笑)。最初の頃は東邦時代とあまり変わらなかったと思います。勝負にはとにかく厳しいけど、寛大でもあった。情が深く、性格もユニーク。僕はよく『阪口先生はチャーミング』と表現しています(笑)」
──阪口監督の指導で印象に残っていることはありますか?
「高校生はまだ未完成だから失敗もある、とはよくおっしゃられていました。だから、失敗しても許す、責めない、と。『野球はあくまで教育』という考えで、生徒たちのことを絶対に『選手』とは呼ばない。ただ、本当に勝負事が好きでしたね。阪口先生とはよく将棋で対戦しました。強かったですけど、通算では僕がちょっと勝ち越したくらいかな(笑)。でも、麻雀は先生の方が強かった(笑)。そういう意味では、僕も野球以外でも勝負勘を学んだのかもしれません」
──阪口監督の下、様々な強豪校と対戦。印象に残っている学校、指導者はいますか?
「僕が最も参考にさせていただいているのが、亡くなられましたが常葉菊川の森下監督です。細かい技術はもちろんですが、思い切りのいい打撃や積極的な走塁など、失敗を恐れない野球が特徴。大垣日大の進化に必要なのはこれだ、と感銘を受けました。今治西から松山商業に移った大野監督には、子どもたちの教育について多くを学ばせていただきました。神村学園の小田監督は僕と同じ年齢ですが、野球がきちっとしているので学ぶものが多いですね」
──阪口監督と比較されて、プレッシャーを感じることはありますか?
「それはありますよ。監督就任当初は学校関係者も不安に思っていたはずです。だから僕も子どもたちと一緒に成長していこうと思っています。威厳からして違うので、阪口先生と同じことはできませんから。阪口先生の野球を継承しつつ、子どもたちの自主性、主体性を生かしたいと考えています。その意味では2年連続センバツ出場は安堵の気持ちもあります。間が空くと『低迷している』と思われてしまいますから。突出した子はいませんが、チーム力で戦っています」
🎤【馬淵史郎 我が道25】高嶋さんに学んだ勝負への執念…今も続く智弁和歌山との定期戦
https://news.yahoo.co.jp/articles/fffd484dcdb7be3a751d087fae4d4eb2e1f1666c
智弁和歌山の高嶋仁さん(現智弁学園、智弁和歌山名誉監督)も勝負に対する執念が凄い人だった。そのスタイルは剣に例えたら、薩摩の示現流。相手が刀で止めようとしても、刀ごと頭から斬ってしまうような迫力があった。加えて、ノックもうまい。智弁和歌山のシートノックは、いつも欠かさずに見ていた。
星稜(石川)戦での「松井5敬遠」の後、なかなか高知で勝ち上がることができなかった時期に、練習試合をさせていただいたのが交流の始まりだった。確か94年(平6)。高知の土佐と試合をするとうのを聞いて「明徳義塾ともお願いします」と申し込んだ。以来、定期戦を毎年させていただいている。時期は夏の地方大会が始まる前の6月。高嶋さんも俺も夏に向けて、チームを徹底的に追い込む。その成果を試すのが智弁和歌山戦だった。結果で夏のメンバーが決まるから、選手も必死で臨む試合。中谷仁監督になっても、定期戦は続いている。
甲子園では高嶋さんと2度対戦した。明徳義塾が初優勝した02年(平14)の決勝戦が最初の試合だった。森岡良介主将(元中日、ヤクルト、現楽天コーチ)を中心に強いチームに育ったという手応えがあったから、あとはそれを信じて戦うだけと思っていた。高嶋さんが4回1死二、三塁から仕掛けた3バントスクイズにもバッテリーがしっかり反応して、外した。「ここまで来たら、あとは選手に任せるだけだった」と話したことを聞いた高嶋さんは「馬淵監督もようやく気づいたみたいやな」と自分のことのように喜んでいただいた。
2回目は14年(平26)の選抜1回戦。1―1のまま延長に突入。智弁和歌山は12回にソロ本塁打が飛び出したが、その裏に1番の尾崎湧斗が1死一、三塁でカウント2―1からの同点スクイズに成功した。高嶋さんの顔を見たら、同点は仕方ないというように見えたので、取れる点は取ろうとサインを出した。引き分け再試合目前の15回1死満塁からの暴投でサヨナラ勝ち。じゃんけんに勝って後攻を取ったことが実った試合だ。
02年の決勝戦の後に、選抜チームで一緒に米国遠征をしてから、本当に親しくなったな。よく飲んだし、よく食べた。ロスでは朝の散歩にもお供した。高嶋さんは行き交う人に「グッドモーニング」と言い続けて歩いていた。「敵じゃないということを示すためや」と笑ったのも高嶋さんらしかった。
08年(平20)に謹慎処分を受けたときには四国八十八カ所を高嶋さんはお遍路さんとして徒歩で巡っていた。相当な苦行だ。それを知って高知で接待させていただいた思い出がある。高嶋さんの行程にあたる地域の監督にも、みんな連絡して出迎えてもらったな。昨年12月の「古希を祝う会」にも来ていただいた。甲子園で解説される高嶋さんをうならせる試合を、これからもしてみたいね。
☟「チェックすべき選手がいない」センバツ甲子園からプロ球団スカウトが軒並み撤収のウラ側
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/385729
「昨日、スカウト部長から急きょ、担当地区の春季大会をカバーするように言われたので帰りますよ。チェックすべきタマがいないから、いても仕方ないだろうって」
25日、セ・リーグのあるスカウトはこう言って、センバツが行われている甲子園球場を後にした。各球団は大会前に担当地区のスカウトの推薦をもとに、センバツで見るべき選手をリストアップ。そこに載った選手を中心に、編成担当者や複数のスカウトがクロスチェックをする。例えば、この球団のリストをこっそりのぞかせてもらったところ、
【投手】中谷嘉希(北照)、菰田陽生(山梨学院)、吉岡貫介(大阪桐蔭)、杉本真滉(智弁学園)、徳丸凜空(崇徳)、木下瑛二(高川学園)、末吉良丞(沖縄尚学)
【捕手】吉岡伸太朗(専大松戸)
【内野手】池田聖摩(横浜)、古城大翔(花巻東)
【外野手】赤間史弥(花巻東)、川中鉄平(神戸国際大付)
以上、12人の名前があったものの、前出のスカウトはこう言うのだ。
「今年のセンバツはただでさえ不作の上、リストアップされていたほとんどの選手が初戦敗退で姿を消した。残っているのは菰田、吉岡貫介、杉本、吉岡伸太朗の4人だけです。このうち菰田は22日の長崎日大戦で左手首を骨折、2回戦以降は欠場の見込み。ただでさえ1回戦終了と同時に多くのスカウトが引き揚げるのに、2回戦以降も甲子園に残ってチェックすべき選手が3人しかいないんじゃ、スカウトがいなくなるわけです」
それでも甲子園の収穫はあったのか。
「初戦で本塁打を放った二刀流の菰田、昨夏の優勝投手の末吉、ドジャースも注目する織田の3人は評判通りの好素材、今年のドラフトで1位指名されるでしょう。あとはきょうの帰り際に見た智弁学園の杉本は、初戦で144キロだった最速が2キロほどアップ。馬力があり、スタミナも豊富。カーブ、スライダー、チェンジアップと変化球も豊富だけに、上位で指名される可能性もある」とは前出のスカウトだ。
📝迫る“甲子園の定年”…53歳審判員が諦めぬ夢 夜勤明けに現場直行、「命」と向き合う日々
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b41c6d7bb18c0206f3e3dbeac0899091877468a
休日は審判員、普段は救急救命士として人命救助にあたる松原光春さん
高野連のマークが刺繍されたウエアに身を包み、「僕たちだって試合が終われば、ただのおじさんですよ」と笑みを浮かべたのは、香川県で高校野球の審判を務めている松原光春さん。20日から行われている香川県春季大会、3日目の第1試合で選手と交錯する場面があったが、起き上がり、最後まで球審の役目を全うした。
松原さんは25年前、高松東から甲子園を目指したが、夢を叶えることができなかった。卒業後は消防士になり、朝8時30分から翌日8時30分までの24時間勤務をこなしながら、休みの日には草野球に興じた。消防士として働き始めてから8年後、松原さんに転機が訪れた。「その頃、ちょうど高校時代の恩師が、香川県・高野連の理事長をされていました。消防士は、勤務日が1日おきで、休日が一般企業と異なるんです。平日に動けるので夏の大会に行きやすいし、そこまで野球が好きならちょっと審判をやってみないかと声をかけてもらったんです」。
今度は審判として、恩師と甲子園に立とう。迷いはなかった。26歳のときに総額10万円の防具を自費でそろえた。3月から11月まで、休日になると練習試合で球審を務めた。ストライクとボールの判定、他の審判員とのフォーメーション、しっかり静止して判定しているかなども確認した。「昔は審判の数も多かったし、地方大会の球審をするなら5、6年は下積みですね」。スコアボードに球審として名前が刻まれたときは30歳を超えていた。
仕事と両立して続けてきた審判員、まだ諦めていない夢「春は55歳なんですよ」
本業では国家資格に合格し、現在は救急救命士として救急車の中や救急現場で、傷病者に救命処置を行っている。朝8時半に勤務を終え、消防署から球場やグラウンドへ直行。9時の時点で練習試合の審判を務めていることも珍しくない。
「公式戦ではちょっと配慮してもらっていて、夜勤明けは昼からの試合となる2試合目や3試合目に入れてもらっているんです」と松原さん。過去には火災が発生し、他の審判員に代わってもらったこともある。決して容易ではない“両立”を続けてきた。
それだけ苦労しても、甲子園にはなかなか手が届かない。息子が中学野球を始めた2013年から、高校を卒業するまでの6年間は審判員を控えた。規定にはないが「自分の子どもが野球をしよったら、審判はちょっと……」と言葉を濁した。“暗黙の了解”があるのだろう。この空白の6年がきっかけで審判員を辞める人も多いという。
「僕もね正直、その時にもうやめようかなと思ったんです。甲子園に行けないし、40歳を過ぎて体力的に審判もつらいし、仕事(救急救命士)もハードになってきてついていけないし。やめようかなと思ったんやけど、審判を6年間できてないぶん、審判部のみんなに迷惑をかけているから。動体視力の衰えを感じる日まで頑張ろうと思ったんです」
53歳になった今も、走行中の車のナンバープレートを読むなど、影の努力を重ねながら審判を続けている。審判員の定年は60歳。松原さんは「甲子園は、夏が50歳までしか出られないんですよ。だからもう無理なんです。でも春は55歳なんですよ」と穏やかな表情で語った。
夢を叶えるより先に動体視力が落ちれば、潔く身を引く覚悟だ。それまでに母校の悲願でもある聖地に、立つことを願っている。
👣 花咲徳栄が8点リードから無念の逆転負け エース・黒川の投入時期に岩井隆監督「春を取る気持ちだった」1週間500球以内の球数制限意識
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebe6b9119dab65a16312519362c829694e38041c
◆センバツ第9日▽準々決勝 智弁学園12―8花咲徳栄(27日・甲子園)
花咲徳栄(埼玉)は、2回表までに8―0と大きくリードしながら智弁学園(奈良)に逆転負け。過去のセンバツでの最大点差逆転負けの記録(7点)を上回る“大どんでん返し”を喫し、初めての4強入りを逃した。
1回に打者11人の猛攻で一挙6得点。2回にも2点を加え8点差とした。1、2回戦で計16イニング、220球を投じたエース・黒川凌大(3年)をベンチからスタートさせた試合ではあったが、十分なリードにも見えた。岩井隆監督(56)のゲームプランは「5回くらいまで黒川以外の投手でいきたい」。先発の古賀夏音樹から長谷川陽汰、石田凜作と2年生投手を次々に送り込んだが、智弁学園の力強い攻撃の前に4回終了時で8―6と2点差まで迫られた。
迎えた5回。1点差に追いつかれ、なお2死一、三塁の場面で、ついに黒川を投入。しかし、智弁学園の2番・志村叶大(3年)に右中間への2点二塁打を浴びて8―9と逆転された。黒川は6回にも3失点し、8―12で敗れた。
「甲子園は甘くない。勉強させていただきました」と岩井監督。黒川の投入時期に関しては「6回からと決めていた。『もう少し早くてもいいかな』とも思ったが、他のピッチャーも悪くはなかったので…」。この考えの裏には、1週間で500球以内という球数制限への意識もあったという。「『この春(の優勝)を取る』という気持ちだったので、5回から行くと球数が最後にもたなくなる。球数制限のアヤもありました。負けてしまったら意味はないのですが」と複雑な表情で話した。
🎤【専大松戸・持丸修一監督と一問一答】大会最年長77歳の指揮官が初のベスト4進出「一生懸命の結果」
https://news.yahoo.co.jp/articles/88e6ba94530d91d7c87e2f41768861c7d9c2cedc
◇第98回選抜高校野球大会 専大松戸2―1山梨学院(2026年3月27日 甲子園)
専大松戸の持丸修一監督(77)は甲子園春夏11勝目を飾った。自身にとってもチームにとっても初の甲子園ベスト4進出となった。77歳は今大会の最年長。以下は指揮官との主な一問一答。
持丸監督「本当にありがたいですけど、別にベスト4がどうのこうのというわけではなくて、一生懸命やった結果がこれだったというだけのことです」
――秋の関東大会では決勝で5―14で大敗した山梨学院にリベンジ成功した。
「そこはうれしいですね!やっぱり3連敗くらいしていましたから。何とか勝ちたいなと思ってたんですけど、向こうも洗練されたチームですから、そう簡単には勝たせてくれません」
――先発の門倉が成長した。
「やっぱりコントロールも良くなったし、スピードもついた。やっぱりやることをやってる選手は成長しますね。筋トレなんかも、すごく進んでやる子でした。10本走れって言ったら、11本走れとか。これが限界だって言うのはそこからを言うんであって、9本は限界じゃないよ、という話はしました。
――決勝打は期待していた瀬谷が放った。
「あれはああいう性格をしてるんですよ。面白い性格をしています。僕はああいう、ちょっとヤンチャっぽいのが好きなんで。ああいうのが2、3人いると面白いですね」
――8回、勝ち越し前の二盗には?
「普通にやっていたんじゃ点数にならないと思ったんです。だから走らせて、打たせたら三振で(笑い)。あそこは転がすくらいしてほしかったんですけど。何かしないと点にならないと思って。エンドランではなくランエンドヒットでしたね」
――スクイズを外したり、ロースコアの技術戦になった。
「向こうも洗練されてますよね。スタートがちょっと遅くなっただけでアウトになっちゃう。ピッチャーがミスなく取ってアウトにした。やっぱり素晴らしいですよ。そういうチームに勝てるようになったというのは、成長ですね」
――このチームの強さはどこに?
「やっぱり守りとピッチャーの成長ですよね。こんなに良くなるとは自分でも思っていなかった。“先輩のベスト8を超えたい”なんて言ってましたけど、“うそだろ?”と思ってましたよ(笑い)。何言うんだ、って」
💢4強入りの大阪桐蔭 勝負決めた4番谷渕のバスターエンドラン 前打席本塁打も西谷監督から指摘「ガッツポーズするところじゃない」気持ち引き締め勝負手決める
https://news.yahoo.co.jp/articles/98a6bbbf4896f8fa3602228c100f4c84a8d58137
「選抜高校野球・準々決勝、大阪桐蔭4-3英明」(27日、甲子園球場)
大阪桐蔭が激闘を制し、23年以来3年ぶりの4強入りを果たした。西谷監督は歴代単独トップをさらに更新する甲子園74勝目となった。
西谷監督は「本当に苦しい試合ばかりで体がもたないが、みんな一生懸命やっている結果。守りのミスがたくさん出てしまって、どれだけ修正して粘っていくか」と振り返った。
3-3の同点で迎えた八回に、3番内海が四球を選ぶと、続く4番谷渕がバントの構えを見せながら、バスターエンドランで二塁打を放ち、無死二、三塁の好機をつくり、5番藤田がセンターへの犠飛で勝ち越した。六回には一時勝ち越しとなる本塁打を放っていた谷渕。ただ、一塁を回った後と、三塁の手前で2度ガッツポーズする場面があり、西谷監督は「ガッツポーズするところじゃないと言った。勝ってないんで。嬉しそうに2回もガッツポーズしていたので」と指摘されていた。
気持ちを引き締めて臨んだ次打席でもしっかり結果を残し、指揮官は「バントのサインだったんですけど、内野の動きみて、打たした方が展開があるかなと」と語り、3安打1本塁打2打点という4番の働きを「いいところで打ってくれた」と称賛した。
谷渕も「最初バントのサインが出てたんですけど、1球ストライク取って、ボール取って、そこからバスターになって、ここで決めたらゲームの大きく動くところなので、しっかり4番としても場面によってのバッティングというのを意識してできました。ずっと練習でもバスターエンドランというのはやっていたので、よっしゃこいみたいな感じでした」と、充実した表情で振り返った。