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宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(1・2回戦)
6日目第1試合 熊本工(熊本)-大阪桐蔭(大阪) 9:01~11:19
          一二三四五六七八九十計HE
      大阪桐蔭100000021 471
      熊 本 工000000000 031

6日目第2試合 帝京(東京)-中京大中京(愛知) 11:52~14:16
          一二三四五六七八九十計HE
      中  京00112000059161
      帝  京0000400000471

6日目第3試合 滋賀学園(滋賀)-八戸学院光星(青森) 14:49~16:47
          一二三四五六七八九十計HE
      滋賀学園001102000 481
      八学光星01110101X 581

⚾明日のセンバツ甲子園組み合わせ(7日目 2回戦)
☆☆☆ 09:00~ 神村 学園(鹿児島)-智弁 学園(奈 良)
    11:30~ 花咲 徳栄(埼 玉)-日本 文理(新 潟)
 ☆☆ 14:00~ 専大 松戸(千 葉)-九州国際付(福 岡)

📝甲子園優勝からガラリ低迷…崇徳は“なぜ強くなった”のか? 広島の私立、専用球場、寮の完成…崇徳OB・山崎隆造が証言する、他界した“ある熱血監督”の話
https://news.yahoo.co.jp/articles/b77fc774878b28b4dda986bed17f8a4991f10b96?page=1

崇徳の監督に就任した経緯について應武(おうたけ)篤良は生前、「OB会長が監督に……っておかしいでしょ!」と私に漏らしていた。しかし、それは本音ではなかったかもしれない。 現監督の藤本誠の証言だ。

「早稲田(の監督)を終わられてからかな。『崇徳に戻る準備をするから』と、ずっと言われてました」

應武と同学年で、広島カープで活躍した山崎隆造もその意思を感じ取っていた。

「本人から直接聞いていたわけではないですけど、OB会長になった時点で、監督になるんだろうなと思っていましたよ。母校を再び甲子園にという思いが強かったので」

應武は早稲田大監督としてのラストシーズンとなった2010年秋、斎藤佑樹(元・日本ハム)らを擁して明治神宮大会優勝という最高のフィナーレを飾った。勇退直後に、複数の高校、大学から監督就任の話があった。それらのオファーをすべて断りながら、最終的に母校の監督に就いた。

空気変えた熱血監督、64歳で他界
 
應武は乗り気ではなかったのか。それとも、心のどこかで望んでいたのか。その真偽を確認する術は、今や存在しない。ただ、断言できるのは、「監督・應武篤良」が、崇徳野球部再興の足掛かりとして最善手であったことだ。人や組織を動かすものは何か。利害関係もあるだろうが、最後は“熱意”だろう。

應武が監督に就任して、「それまでは集まることも少なかった」という山崎らセンバツVメンバーが昂った。それに後輩たちも続き、OB会全体で現役を支援する機運が高まった。
環境面も大きく改善した。2021年、地元銀行の福利厚生施設だった運動場を学校が買い上げ、野球部専用グラウンドとして整備した。学校から自転車で20分程度の距離にあり、平日も使用できる。山崎が感慨を込める。

「理事長が、ものすごく野球部に対して理解を示してくださった。間違いなく應武が持ってきてくれた流れですよ」

グラウンドの完成から1年が経った、2022年の9月7日。應武は、64歳の若さでこの世を去った。甲子園出場は叶わなかった。志半ばで亡くなった盟友を山崎が偲ぶ。

「絶対にグラウンドに戻る、と」

「体が悪くなっても、最後の最後まで前向きでした。『絶対にグラウンドに戻る』と言い続けていました」

部長だった藤本誠は、應武の後任として再び監督に就任した。

「應武監督と一緒にやらせていただいて、価値観が変わりました。野球観、人生観。本当にあらゆる面で。だから、自分が目指すのは『應武野球』で勝つことなんです」

闘将の遺志を継ぐ。そのまたとない機会が訪れた。学校が創立150周年のメモリアルイヤーを迎えた、昨夏である。主将の石丸琉心(大阪ガス)ら、好選手が集った“勝負の世代”だった。

専用球場につづき寮も完成…
 
2024年には同じ敷地内にあった研修施設を改装した専用寮が完成。以前は自宅から通っていた選手も入寮し、全体練習後も寮で食事を摂った後にグラウンドに戻って自主練習ができる環境が整った。
さらに指導者陣の充実も図った。広島カープでプレーした岩見優輝が、2024年から投手コーチに就任した。熊本工のエースとして3年春夏の甲子園に出場し、藤本と同じ亜細亜大出身の岩見は、“外様”として忌憚のない視点から、崇徳の改善点を探した。

「最後の夏の甲子園から50年近く経って、春も30年以上遠ざかっている。この状況から甲子園に行くのは、初出場より難しいと思いました。何かを大きく変えないといけないので」

岩見の見出した「変えるべき何か」は、選手たちの練習に取り組む姿勢だったという。

「僕が来てすぐのときは、選手同士で雑談しながらアップをやっていたんです。そういうのは一切許さないようにして。寮監督もしているので、グラウンドと寮生活での態度を一から見直していきました」

指導体制や練習環境が変わる以前、広島県内のある指導者は「崇徳は選手を大人として扱うからね」と評した。

高校生を分別のある大人として扱い、自主性を尊重する。その風土から自分で考える姿勢が養われた結果、自主性が求められる大学以降で力を伸ばす。山崎らセンバツVメンバー以降にも、井上晴哉(元・ロッテ)ら7人のOBが大学や社会人経由でプロ入りできたのは、この恩恵もあるだろう。一方で、自主性は扱いを間違えれば隙を生む。甲子園を知る岩見は、そこに勝ち切れない要因があると捉えた。

勝負の代だった…昨夏の結果
 
監督の藤本は手応えを感じていた。昨夏の広島大会、準決勝まで危なげなく勝ち上がり、19年ぶりに決勝へ進出。3連覇を狙う広陵との頂上決戦に臨んだ。

2年生エース左腕の徳丸凜空と、相手の主戦格だった本格派右腕の堀田昂佑が、互いに譲らない投げ合いを見せ、崇徳の1点リードのまま9回に突入した。あと1イニングしのげば、49年ぶりの夏の甲子園出場。関係者の誰もが祈るように見つめたが、結末は残酷だった。
2死二塁から、相手エースの堀田が左翼手の頭上を越える同点二塁打を放ち、延長10回タイブレークの末に1-2で競り負けた。堀田に同点打を浴びたのは、内角に投じた初球の直球。敗戦から半年が経とうとする今も、この場面について、藤本の自問自答が続く。

「それまでの3打席、インコースで抑えられていたので、自分がキャッチャーでもそこを攻めていたと思います。でも、初球でなく、変化球で入ってから、勝負球として使うべきだったのか。それ以前に、あそこで堀田君と勝負すべきだったのか。何が正解だったのか、ずっと考えています」

失意の崇徳にあって、好材料があったとすれば、広陵に手痛い一打を浴びたバッテリーが2年生だったことだ。

甲子園出場を決めた日
 
エースの徳丸は、夏の1球を心に刻み、秋は「最後のアウトを取るまで、気を緩めないように」と、左腕を振った。秋の広島大会決勝では、再び広陵に苦杯をなめたが、中国大会では4試合を一人で投げ抜き、33回をわずか1失点にまとめた。高川学園との決勝でも、主将で捕手の新村瑠聖のミットに鬼気迫る表情で投げ続け、チームを33年ぶりの頂点に導いた。左投手として師弟関係にある岩見も、徳丸の力投を称える。

「ボール自体は夏の方がよかったとは思うんです。秋は夏の疲れもある中で、いい意味での抜き方、メリハリを覚えてくれたかなと。強くなりましたね。夏の経験が生きていると思います」

チームをひも解くと、徳丸らの学年の入学と同時に専用寮が完成。入学直後から心技体を鍛え抜かれた選手たちが、とうとう殻を破ったと言える。ここに至るまでの道のりを知る同校OB山崎隆造の喜びもひとしおだ。

「昔は同級生と、『オレらが生きている内に甲子園はないかもしれない』とまで言っていましたからね。うれしいですよ。この前、高校の同期と集まったんです。10人来たかな。應武が戻ってくるまで疎遠になっていたので、縁をよみがえらせてくれたという意味でも、應武と後輩たちに感謝ですよ」

センバツ初優勝から50年…変化
 
1976年センバツ初出場初優勝の代は、應武だけでなく、エースだった黒田真二も2020年に鬼籍に入った。12人が存命の優勝時の3年生メンバーは、個性派集団らしく「センバツの応援に行く、行かない」で二転三転している者もいるという。

彼らの優勝は奇跡性があった。山崎ら好選手たちが偶発的に崇徳に集い、恵まれているとは言えない環境にもかかわらず能力を高め、謎多き指揮官である久保和彦の“豪運”までも味方につけ、頂点を極めた。そこから50年後にセンバツに出場するチームには再現性がある。奇跡を起こしたOBたちの情熱的なサポートによって生まれた環境がある。その中心に應武がいた。
母校に携わるようになり、いつのころからか、應武の口癖となった言葉があった。現野球部の横断幕にも掲げられる「ALL崇徳」である。選手、指導者、学校、OB。すべてが一枚岩となることで、強い組織が完成する。

應武の後を継いだ藤本は、監督室にある在りし日の笑顔を収めた遺影を見やったとき、「應武監督が生きておられたら、何を言われるだろうか」と思いを巡らせる。藤本の胸の奥に應武は生きている。

「まだまだ、と言われるでしょうね」 
 
33年ぶりのセンバツ出場については、應武から労いがあるのではないか。私がそう投げかけると、藤本は首を横に振った。「『まだまだじゃな』と言われると思います」この話を山崎に伝えると、「ははっ!」と笑った後、盟友として補足した。

「想像つきますね(笑)。素直に喜ぶと思うんですけど、それだけじゃなく素直にけなしもするというかね。『まだまだ』と言うでしょうね。今回の出場は大きなことだけど、これがゴールではない。あのときに作り切れなかった黄金時代であり、常勝軍団を作るためのスタートに立ったところだよ、と」

2018年夏、生前の應武が、複数の部でごった返した崇徳の校庭の片隅で、熱っぽく語っていた言葉を思い出す。

「校歌が歌えない指導者でいいのかって。本当の情熱がないのに指導ができるのか。自問自答したら、やっぱり母校じゃないとダメだなって」

この春、天国で勝利の校歌を口ずさむ應武の姿が目に浮かんだ。

🎤【馬淵史郎 我が道22】打者ビッグ3外しに賛否両論噴出 10日間で最大9試合というハードな日程
https://news.yahoo.co.jp/articles/d33389181bb11d2c674df92c8fc6053b2feb274f

目標は世界一。23年(令5)のU―18W杯は8月31日から台湾で開幕。前回3位に終わった反省と経験をどう生かすか。明徳義塾と同じく守りを中心にした野球を基本にして、7回制、DH制に対応できるチームの編成に取り組んだ。

 W杯はかつての親善試合とは意味が全く違う。参加国は勝つために、時間も資金も投入して、チームをつくってくる。夏の甲子園で上位に入った学校を中心にしたオールスター的な編成では、真剣勝負の場では通用しない。チームとして適材適所の選手をピックアップすることに主眼を置いた。各地を担当する選考委員にも、自分の考え方をしっかり伝えた。こうしてできたのが23年のチームだ。

監 督 馬淵 史郎(明徳義塾監督)

ヘッド 岩井  隆(花咲徳栄監督)

コーチ 小坂 将商(智弁学園監督)
    比嘉 公也(沖縄尚学監督)

投 手 武田 陸玖(山形中央)
    高橋 煌稀(仙台育英)
    木村 優人(霞ケ浦)
    安田虎汰郎(日大三)
    矢野 海翔(大垣日大)
    中山 優月(智弁学園)
    前田 悠伍(大阪桐蔭)
    森  煌誠(徳島商)
    東恩納 蒼(沖縄尚学)

捕 手 尾形 樹人(仙台育英)
    新妻 恭介(浜松開誠館)
    寺地 隆成(明徳義塾)

内野手 山田 脩也(仙台育英)
    高中 一樹(聖光学院)
    緒方  漣(横浜)
    森田 大翔(履正社)
    小林 隼翔(広陵)

外野手 橋本 航河(仙台育英)
    丸田 湊斗(慶応)
    知花慎之助(沖縄尚学)

前回の経験から、日本が勝機を見いだすためには、投手を中心とした守り、そして走力を最大限生かした緻密な野球の実践にあると判断した。だが、発表すると、賛否両論が噴出した。特にこの年の打者ビッグ3として注目された佐々木麟太郎(花巻東)、真鍋慧(広陵)、佐倉(人ベンに峡の旧字体のツクリ)史朗(九州国際大付)を外したことに関しては、打力不足ではという声も届いた。20人という選手枠で、10日間で最大9試合というハードな日程を乗り切るためには、まず投手が必要。球数制限もあるからなおさらだ。連戦も考えて、投手9人、捕手3人を選ぶと、これで12人。残り8人で内野と外野、そしてDHをまかなう必要がある。

だからこそ、捕手を含めて、野手は複数ポジションを守る能力が必要。そして監督として重視した動ける選手、走力がある選手を優先した。賛否の否の声に対しては、結果で応えるしかない。「全国の野球部員を代表して戦うという誇りをもって臨む」という決意とともに台湾入りした。社会人の阿部企業監督時代から縁のある場所だった。

🎤【馬淵史郎 我が道23】勝つために1%でも確率の高い作戦に徹する 馬淵流を貫き日本初の世界一
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5e02eb978a3b9ecdc6b6af7083e6de90ef0fa13

台湾でのU―18W杯に出場するメンバーを前に「全員にバントを指示する可能性がある。そのつもりで準備しろ」と20選手に訓示した。真剣勝負の世界大会はホームベースの踏み合い。パワーで対抗しようとしても、うまくはいかない。そう考えて編成した。監督を受けた以上、自分の考えは貫かせてもらう。大型選手を入れるべきだと考えるなら、そういうのが得意な監督にすればいいと割り切った。

自主性を尊重するタイプの慶応や仙台育英の選手もいたが、勝つために1%でも確率の高い作戦に徹するという、こちらの考えを全員がしっかり理解してくれた。起床、点呼といった団体行動も国内合宿、台湾でも誰ひとり遅れない。甲子園で注目されても、チヤホヤされるのが当然というのもいなかった。世界一という目標をみんなが共有してくれた。「最後は人間やな」と開幕前から手応えがあるチームになった。

23年(令5)のW杯。オープニングラウンドは4勝1敗で突破した。前回優勝した米国戦では前田悠伍(大阪桐蔭、現ソフトバンク)が5回2/3を4安打無失点無四球と最高の投球を展開。4―3で勝利できた。前田は夏の甲子園に出られなかった悔しさをバネに、W杯に準備をしてきたものを出してくれた。

決勝進出をかけたスーパーラウンドでも韓国に7―1、プエルトリコに10―0で連勝し、決勝進出を決めた。決勝の前哨戦となる台湾戦は2―5で負け、2位での決勝進出となったが、完全アウェーの雰囲気はしっかりつかんだ。あくまで目標は翌日の決勝で勝つこと。前哨戦ではバントも封印した。

決勝は9月10日に台北・天母野球場で行われた。先発は前田。初回に1点の先制を許したが、日本は4回に小技や機動力を発揮した。先頭の緒方漣(横浜)が四球で出塁し、武田陸玖(山形中央)の犠打で1死二塁から、丸田湊斗(慶応)が自分の判断で、一塁側へセーフティーバント。アウトの判定も、ビデオ判定でセーフに覆った。1死一、三塁から髙中一樹(聖光学院)が同点のスクイズに成功。さらに三塁手の悪送球の間に一塁走者の丸田は、一気に本塁を陥れて逆転に成功した。少ないチャンスを得点につなげる。目指した日本の野球の姿だった。

このリードを前田が7回4安打1失点完投で死守。全員が与えられた役目を果たし、日本の高校野球の代表として世界一を果たしてくれた。U―18W杯では日本史上初の優勝。スタッフと選手が目標をひとつにして、目指した野球を貫いた結果だと感激した。

MVPには打率・571で首位打者となった緒方が輝き、前田とともに先発の柱になった東恩納蒼(沖縄尚学)がベスト9に選ばれた。チーム打率・303、長打率・408は参加12チームでトップ。スモールベースボールだけではない、強いチームだった。

🎤2026年春のセンバツ 監督突撃インタビュー
帝京・金田優哉監督にズバリ聞いた「あの前田三夫前監督の後任という重圧はありますか?」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/385559

金田優哉監督(帝京/40歳)

24日は帝京(東京)が中京大中京(愛知)と対戦する。初戦で昨夏の優勝校でメジャーも注目する左腕・末吉良丞(3年)を擁する沖縄尚学(沖縄)を撃破。長年チームを率いてきた前田三夫前監督(76)が2021年に退任。後を託され、16年ぶりのセンバツ出場を果たした青年監督を直撃した。

──末吉を擁する沖縄尚学に勝利。

「開幕戦という組み合わせに加えて、16年ぶりの出場で誰も甲子園を経験していない難しさはありました」

──沖縄尚学は昨夏の王者です。

「抽選会で当たったときから、『夏の優勝校と試合ができるぞ』と選手には言っていました。末吉くんはかなりの好投手。チャンスはつくれても、ギアが上がったときのボールがなかなかちょっと打てなかった。ボールの質は凄かったですね」

──前田前監督の後任というプレッシャーはありますか?

「それは常にありますよ。でも、それ(監督が重圧を感じていること)を選手たちに感じさせてはいけない。そんな中でも甲子園にまた来られたというのは自信になります」

──前田前監督からアドバイスなどは?

「特にありません。『思い切ってやれ』とは言われました」

「監督の難しさはコーチと全然違う」

──監督就任の経緯を教えてください。それまでは帝京でコーチを務めていましたが、なぜ金田監督が後任に選ばれたのですか?

「そのあたりの事情は私にもわかりません。前田さんもいろいろ考えがあったのでしょう。ただ、打診の際はすでに退任を決めていた前田さんに、『俺は辞めるから後を頼むぞ』と言われたんです。これがもし、『辞めようと思うんだけど、後のことを……』と言われたら、いやいやもう少しお願いしますよ、と言っていたと思います(笑)」

──金田監督は筑波大を卒業後、一般企業に就職してから再び高校野球界に復帰した。

「大学卒業後も選手としてプレーしたかったんですが、それができず……。例にならって就職活動し、2年間、野球とは無縁のサラリーマンをしていました。でも、やっぱり野球、高校野球で勝負したいという思いが強くなってきた。母校に戻ってこれたことは本当に幸せですね」

──監督業の難しさは。

「コーチとは全然違いますね。常に全責任を負って、勝ちに導かなければいけない難しさがある。幸い、ウチはコーチたちがかなり考えて私を支えてくれています」

──19年に学生寮が完成。有望選手は増えましたか?

「遠方の子を勧誘しやすくなったのは利点ですね。私の頃は全員が通い。私も家から学校まで2時間弱かけて通っていましたよ」

──監督が地方に勧誘に行くことはありますか?

「場合によっては行きますよ。ウチにはスカウトなどのスタッフがいないので……。ただ、寮ができて全国から選手が集まってきたからといって、すぐに甲子園に出場できたわけではありません。その意味では甲子園出場の壁を破ってくれた子たちに感謝ですね」
 ──これまでの苦戦の理由は?

「ひと言では言えませんが、周囲の学校、高校野球全体のレベルが上がっている。東京都もベスト8、いや、ベスト16あたりはどの学校も実力差はほとんどない、紙一重だと思っています」

☝滋賀学園の奥間賢が好投 背番号「15」がエース争いに名乗り
https://news.yahoo.co.jp/articles/29e35ca842c1662c9116941dc2ebd65910c62dc7

(24日、第98回選抜高校野球大会2回戦 八戸学院光星5―4滋賀学園)

強打の八戸学院光星(青森)を相手に、試合をつくったのは、先発のマウンドに立った背番号15だった。
滋賀学園の奥間賢投手(3年)。身長183センチの左腕だが、制球力に課題がある。昨秋の近畿大会では、智弁学園(奈良)との準決勝で先発。無失点だったが四球を五つ与え、二回で降板した。

先発を山口達也監督から言い渡されたのは前日。エースらが本調子ではなく、出番が回ってきた。奥間投手はこう言ったという。「人に見られるとテンションが上がる」
マウンドに立つと、言葉どおり気分が高揚した。緊張はなかった。心配された立ち上がりも、2者連続三振で最高のスタートを切った。
変化球を低めに集めるだけでなく、高めの直球を効果的に使った。昨秋の近畿大会での教訓を糧に、島尻琳正捕手(2年)と話し合って投球を組み立てた。

当初は三回までの予定だったが、公式戦では初めて1人で投げきった。「期待以上です」と山口監督。6四球は今後の課題だが、夏に向けては「1番でいきたい」。甲子園のマウンドで自信をつけた背番号15は、エース争いに名乗りをあげた。
2026/03/24(火) 22時07分03秒 No.2345 編集 削除