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宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
💢市船橋高の野球部員が他部員蹴ったか 傷害容疑で書類送検 25年4月
https://news.yahoo.co.jp/articles/ce4fe192e21e7d9cc359958fa39b93fc00d90023

千葉県船橋市の市立船橋高校は、2025年4月に当時野球部員だった3年の男子生徒(18)が練習中に他の部員を蹴ってけがをさせたと明らかにした。県警は12日、男子生徒を傷害容疑で千葉地検に書類送検した。

市船によると、男子生徒は昨年4月6日、野球部の練習中に同級生の部員(18)の脚を蹴った。同級生は太ももを打撲するけがをしたという。春季県高校野球大会の予選期間中で、市船は県高校野球連盟に報告。男子生徒は1カ月の公式試合出場停止の措置を受けた。

野球部は昨夏の高校野球県大会で優勝して甲子園に出場した。市船の担当者は「おわびを申し上げる。監督には指導を徹底するよう指示した」とコメントした。

📝野球のU18コーチ陣が決まる 関大北陽元監督、北海と明豊の現監督
https://news.yahoo.co.jp/articles/3dd20a7ac10897ea888ca42e92fb678149ee2434

日本高校野球連盟は13日、U18の日本代表ヘッドコーチに、関大北陽(大阪)で監督を務めた新納弘治氏(64)、コーチに北海(北海道)の平川敦監督(54)と明豊(大分)の川崎絢平監督(44)が就任すると発表した。

代表監督は、東洋大姫路(兵庫)の岡田龍生監督(64)で、今夏に台湾で開催されるアジア選手権、来夏のワールドカップに臨む。4月には関西地区で代表候補選手の強化合宿を開く。

🎤【馬淵史郎 我が道13】高知商・藤川球児との名勝負 97年夏の決勝が忘れられない
https://news.yahoo.co.jp/articles/88f5eeebadf47c348a5dfaee913c2b503c907115

3年間のブランクを経て、守りではどこにも負けないという明徳義塾のスタイルが出来上がった。守りで崩れなかったら、どんなに相手が強くても勝負はできる。それが自信にもつながる。1996年(平8)に春夏とも甲子園出場を決めると、翌年も春選抜に出た。そのころに高知商のエースとなったのが藤川球児(現阪神監督)だった。
明徳義塾にとって高知商は甲子園に行くための最大のライバル。高知商に勝たない限り、全国には行けない。コーチ時代にはなかなか勝てなかった。特に甲子園が懸かると、高知商の粘り強さに屈した。どうすれば、この関門を突破できるか。練習もいろいろ考えて取り組んだ。ライバルがいたからこそ、明徳義塾もレベルアップができたと思う。

97年夏の高知大会決勝は、中でも忘れられない名勝負だったな。明徳義塾の先発は2年生左腕の寺本四郎(元ロッテ)。高知商も3回から2年生だった藤川を登板させ、ともにスコアボードに0が並んだ。息詰まるという表現が当てはまる投手戦だった。
藤川の球はスピードもあったが、球が打者の手元で伸びる。ホップする球筋が強く印象に残った。試合序盤は明徳義塾がチャンスをつくったが、藤川が出てきてからは完璧に抑え込まれた。寺本も一歩も引かない投球だった。7回まで1安打で、三塁も踏ませなかった。

だが、勝負は終盤に動いた。兄弟バッテリーを組んでいた兄の藤川順一が8回に寺本の直球を左翼スタンドに叩き込んだ。一球の怖さ、本塁打の威力を感じさせる展開だった。均衡が破れて、9回の攻撃で寺本に打席が回ってきた。「インコースには来ん。踏み込んで打ってこい」とハッパをかけた。指示通りに踏み込んで狙って打った打球は右翼ポール際に飛んだ。「やりよった。同点や」と思った瞬間、相手の右翼がフェンス際でジャンピングキャッチ。寺本が17三振、藤川が16三振を奪った試合は0―1で負けた。

真っ先に考えたのは翌年のことだった。藤川はまだ2年。来年も高知商にいる。ホップする直球を打てんかったら、甲子園には行けない。新チームでは藤川球攻略のための150キロ打ちに明け暮れた。この藤川対策が翌98年の打倒・松坂大輔にもつながっていく。

話はちょっと脱線するけど、死闘を演じたからこそ、通じ合うものがある。藤川とは明徳義塾と高知商というライバル関係を超えた付き合いが今も続いている。高知に戻ってきたときに会ったり、こっちが甲子園に出場したときには、陣中見舞いの差し入れを届けてくれる。会ったときには高知の野球、日本の野球の将来とかを話し合う。阪神監督就任1年目でのリーグ優勝はうれしかった。運を持っている男だし、今年どんな野球をするかも楽しみにしている。

📣帝京16年ぶりセンバツ出場の要因 意識を変え保護者も感謝した“ノックバット事件”と“おにぎり事件”金田監督語る
https://news.yahoo.co.jp/articles/daae66c5a90b8794f7841974a7d8d6844ee21a45

第98回選抜高校野球大会の出場校が発表され、秋の都大会で優勝した帝京が2010年以来、16年ぶりに選出。6日の抽選会では昨夏王者・沖縄尚学との開幕試合が決定した。21年秋からチームを率いる金田優哉監督(40)が語る、センバツ出場につながった要因とは。名門校の意識を変えた都大会での二つの“事件”に迫る。

名門校がようやく甲子園に帰ってくる。近年センバツへの出場こそなかったが、都大会では4強、8強入りと上位の常連だった。金田監督は優勝まであと一歩が届かなかった要因を「当たり前の事を当たり前にやること」と話す。「当たり前のレベルを上げること。それを特に2年生が理解してくれた」。昨秋の都大会が始まってから起こった“事件”が部員の意識をガラリと変えた。

10月12日に大田スタジアムで行われた専大付との初戦。試合前練習で部員がノック用のバットを学校に忘れた。金田監督は「ノックなしにするか、手投げでやるか」と悩んだ結果、他校に事情を話してバットを借りた。試合後以降に部員を叱る選択肢もあったが、チームの雰囲気を締めるため試合前に叱責。「どういうことや。負けろ、おまえら」。大切な練習道具を忘れてしまったことの重大さを伝え、あえて強い口調で大会への緊張感を促した中、試合は6-2で勝利。2回戦も圧勝し順調に勝ち進んだ。

そんな中、3回戦に再び事件は起こった。城東との試合の予定日が雨で延期。普段は練習後の試合前に補食としておにぎりを食べるが、試合がなくなり食べずに帰った部員がいた。指揮官が部室に入ると13個のおにぎりが机の上に“置き去り”に。「普段なら見逃して、次の日に話すと思う。でもその日のうちに」と大会への意識を強く持たせるために帰宅した生徒を呼び戻し、約2時間後に全員集合。1日の少しの怠慢が日々の怠慢につながる-。徹底して「当たり前」の大切さを伝え、これ以降は問題が起こることなく日々の姿勢も改善されていった。

「チームが死んだら終わり。いくら野球を頑張ってもダメ。それにようやく気づいてくれた」。“ノックバット事件”と“おにぎり事件”での、金田監督の言動行動を受け保護者からも感謝の言葉をもらったと言う。チームは野球や日々の取り組みに全力で向き合い都大会で優勝。きっかけとなった二つのできごとが“伝説の事件”となった。

帝京はセンバツに16年ぶり15度目の出場となり、指揮官は監督として初出場。6日の抽選会で、沖縄尚学との開幕試合が決定した。自身が帝京時代に出場した第84回の夏の甲子園では、沖縄県の中部商との開幕戦だったこともあり「ご縁を感じると」しみじみ。その上で「待っておられた方もいると思うので、さらに進化した帝京の野球を見てもらえたら」と話した。古豪復活を願うファンやOBに、一山越えた“帝京魂”を聖地で見せつける。

📝「甲子園ベスト4主将」から「24歳の指揮官」へ 別府大学野球部の新監督に表悠斗氏が就任
https://nehttps://news.yahoo.co.jp/articles/24131787dbec79390a8061d4349fed415c004aa2

全国大会から20年近く遠のいている別府大学野球部に24歳の新監督が就任しました。高校時代甲子園ベスト4をつかんだキャプテンが、当時の監督の教えを胸に抱き、新たな挑戦です。
現在部員62人の別府大学野球部。2007年の全日本選手権に出場して以降、全国の舞台から遠のいています。この野球部に2月から監督として就任したのが、表悠斗さん24歳です。

表監督:「右も左も分からない状態でちょうど1か月ぐらい立って、どういうチームかわかってきて、ちょっとずつ慣れてきているのかなとは思います」

中津市出身の表監督は、明豊高校で2019年にキャプテンを務め、春のセンバツ甲子園でホームランを放つなど攻守に活躍し、ベスト4に進出。大学は明豊・川崎監督の母校、立命館に進むと4年生でリーグベストナインに輝きました。その後、社会人野球の誘いを断り、一般企業に就職していましたが、川崎監督からの誘いを受け、2か月悩んだ末、脱サラして再び野球界に身を投じることを決意しました。

表監督:「高校生の頃から野球の指導者になってみたいという気持ちがあり、いきなり監督として学生に迷惑かけないかという不安な気持ちも少しはありました」

最上級生とはわずか3歳差。打撃投手を積極的にかって出るなどグラウンドで一緒に汗を流して教えるのは、川崎監督の背中から学びました。

(野球部員)「あまり選手とはしゃべらないんですけど、ひとりひとりしっかり見ている人なんだなと思うところが多くあって、自分たちも楽しいです」「年が近いと自分たちもコミュニケーション取りやすいし、自分からいろいろ相談しやすいので、このままいけば良い結果が出るんじゃないかなと思います」

明豊高校の川崎監督はこの春、別府大学野球部のアドバイザーに就任。新監督候補に真っ先に表氏が浮かんだといいます。

川崎監督:「理論的に物事を考えられる力があるというのが一番。人間的にも信頼していますし、技術ももちろん素晴らしいものを持っていたので、学生から信頼されて周りの関わる人から応援してもらえるような監督になってもらいたいなと思っています」

別府大学の開幕戦は4月11日、別大興産スタジアムで久留米工業大学と対戦。初陣に向けて内なる闘志を燃やしています。

表監督:「2月から監督させてもらって、みんなすごく頑張ってくれていますし、最後は自分自身を信じてやってきたことを信じて開幕戦挑んでいきたいなと思います」

📝香川にいた“天才中学生ピッチャー”進路のナゾ「父親が“育成計画書”の提出を求めて…だから強豪校は手を引いた」説は本当か? 記者が現地で聞いた真相
https://news.yahoo.co.jp/articles/2f59baff8a9cd24b394c76799fdb883eb494d1c3?page=1

2年前、香川にいた“全国優勝投手”はなぜ山口の私立高に進学したのか?  大阪桐蔭をはじめとする強豪校が関心を示した木下瑛二の進路決定ウラ側。【全3回の1回目】

今年の春のセンバツ「第98回選抜高校野球大会」に32校が出場する。そのうち昨夏から“夏春連続出場”を果たしたチームが7校ある。7傑の一角が、山口の高川学園だ。一般枠出場校では最長ブランクとなる42年ぶりの出場。前回出場は旧校名の「多々良学園」時代であり、現校名では初のセンバツとなる。

「大阪桐蔭を断った逸材」がいた…
 
昨秋は優勝候補に挙げられた山口大会で不覚を取り、中国大会には県4位校として出場した。地元開催でなければ出場を逃した土俵際から、広陵、鳥取城北、県内のライバルである下関国際という県1位出場校を3連破。決勝では崇徳(広島)に敗れたものの、県4位出場から、鮮やかな“下剋上”を演じた。その中心にいたのが、エースの木下瑛二である。

入学直後から公式戦登板を重ねた最速146キロ右腕は、2年生だった昨夏の甲子園2試合でも先発を経験。秋は前述した中国大会全4試合を含む8試合に先発し、左打者の内角にも臆せず投じる鋭いスライダーを武器に、投球回を上回る奪三振を積み上げた。近年のドラフト戦線では、高校生の有望選手がプロ入りに慎重な姿勢を見せる傾向にあるが、木下は「高卒プロ志望」を明言。中国地方の有望株として、センバツでも注目投手に挙がる。そんなドラフト候補右腕を紹介する際、頻出するフレーズがある。

プロに行くために大阪桐蔭を断った逸材――。

高校進学直前に、有名野球ユーチューバーと対戦した動画では、ナレーションで「大阪桐蔭など多数の名門高校から誘いを受け」と紹介され、チーム関係者は「先輩2人が履正社に行っているんですけど」と述べた。本人が望めば、甲子園優勝経験のある、大阪の二大巨頭に進めたことを示している。

20校以上が勧誘、なぜ高川学園に?
 
木下の経歴は煌びやかだ。小学生時代は、有望選手の登竜門とされる「NPBジュニアトーナメント」のタイガースジュニアに選出された。中学1年生になると、下級生で争われるヤングリーグの全国大会決勝でノーヒットノーランを達成し、大会MVPを受賞。2年時は、1学年上の先輩たちとともにヤングリーグの春夏秋の全国大会すべてに出場し、夏は日本一の栄冠を手にしている。これだけ活躍すれば評判になるのも当然で、先の2校を含む、数多くの強豪校が熱視線を注いだ。本人によると「20校以上から話があった」そうだ。

そんな四国のポールポジションと言うべき好素材が、進学先を高川学園に定めると周囲は驚いた。当時から現在に至るまで、木下は理由を問われる度に、「自分が高卒でプロに行くために、一番適した環境だと思ったから」と述べている。たしかに、高川学園の練習環境は抜群だ。専用グラウンドは2020年に全面人工芝となり、練習が天候に左右されづらい。グラウンド、室内練習場、最新の器具が設置されたストレッチルーム、野球部員が暮らす寮のすべてが学校敷地内に集約され、自主練習にも目いっぱい打ち込める。

甲子園出場も木下の入学時点で春夏3度あり、ヤクルトでプレーする山野太一ら、現役プロ選手もOBに名を連ねる。有力校なのは疑いようがないが、獲得に乗り出した面々が面々であること、地元のチームでもなかったことから、様々な憶測を生んだ。

「父親が育成計画書を…」噂は本当か?
 
香川出身の逸材が瀬戸内海を渡って山口に来ると決まってからは、県内や中国地方内の指導者との会話で、複数人から「ああ、“育成計画書”でしょ」というフレーズが飛び出した。個々のディテールは微妙に異なったが、共通していたのは、こんな内容である。

「勧誘に来た各校に対して、父親が“育成計画書”の提出を求めたらしい」

高校野球の選手勧誘において、強豪校ほど「親を見る」と言われる。いくら好選手といっても、入学後の指導方針や起用法にまで口を出されたらたまらない。

つまり、「超強豪が手を引いたので、高川学園に御鉢が回ってきた」。そんな含みのあるウワサだった。昨今ではめずらしい強烈なプロ志向も相まって、妙なリアリティを感じさせた。
センバツ出場校発表を控えた年始に、高川学園の部長を務める西岡大輔に話を聞く機会があった。西岡はスカウティングを主導する立場でもある。

木下の秋の活躍ぶりについて話を聞いた流れで、「中学時代、あれだけ有名だったら、勧誘が大変だったんじゃないですか?」と水を向けた。西岡が深く頷き、「そうですねえ。難しかったですね」と発した瞬間、私は意を決した。

真相を記者が直撃

「彼が進路を決めたとき、ご家族からの要望で“育成計画書”を出されたと、ウワサで聞きまして……」

過去にも何度か聞かれたことがあるのだろうか。西岡はフフッと軽く笑った後に続けた。

「育成計画書って言っても、こんな感じの紙に書いたものですよ」

手に取ったのは、スタッフルームの隅に置かれた、カレンダーの使い終わったペ「父親が育成計画書を…」噂は本当か?
 
香川出身の逸材が瀬戸内海を渡って山口に来ると決まってからは、県内や中国地方内の指導者との会話で、複数人から「ああ、“育成計画書”でしょ」というフレーズが飛び出した。個々のディテールは微妙に異なったが、共通していたのは、こんな内容である。

「勧誘に来た各校に対して、父親が“育成計画書”の提出を求めたらしい」

高校野球の選手勧誘において、強豪校ほど「親を見る」と言われる。いくら好選手といっても、入学後の指導方針や起用法にまで口を出されたらたまらない。つまり、「超強豪が手を引いたので、高川学園に御鉢が回ってきた」。そんな含みのあるウワサだった。昨今ではめずらしい強烈なプロ志向も相まって、妙なリアリティを感じさせた。

センバツ出場校発表を控えた年始に、高川学園の部長を務める西岡大輔に話を聞く機会があった。西岡はスカウティングを主導する立場でもある。木下の秋の活躍ぶりについて話を聞いた流れで、「中学時代、あれだけ有名だったら、勧誘が大変だったんじゃないですか?」と水を向けた。西岡が深く頷き、「そうですねえ。難しかったですね」と発した瞬間、私は意を決した。

真相を記者が直撃

「彼が進路を決めたとき、ご家族からの要望で“育成計画書”を出されたと、ウワサで聞きまして……」

過去にも何度か聞かれたことがあるのだろうか。西岡はフフッと軽く笑った後に続けた。

「育成計画書って言っても、こんな感じの紙に書いたものですよ」

手に取ったのは、スタッフルームの隅に置かれた、カレンダーの使い終わったページを切り分けた、手製のメモ用紙だった。なんでも、面談の際に持参したノートの1ページに、「こう育てていきたい」というロードマップを手書きしたものだという。

少し拍子抜けしてしまった。育成計画書と聞き、高校時代の大谷翔平をドラフト会議で強行指名し、強固だったメジャー志向を翻意させた、日本ハムのプレゼン資料「大谷翔平君 夢への道しるべ」のような綿密で膨大な計画書を想像していたからだ。ただ、真相を聞き、私が聞いたウワサは、尾ひれはひれがついたものだと確信した。

西岡は大阪体育大を卒業して間もない2017年から母校である高川学園に赴任。選手勧誘で見せる行動力、フットワークの軽さは31歳の若さ通りな一方で、取材日程の調整など事務仕事も手早く対応する様には、若年に見合わないきめ細やかさを感じさせる。“できるビジネスマン”といった雰囲気と例えるべきか。その西岡のことだ。育成計画書が先方から求められたものだとすれば、その場で記入するとは考えられない。本人が述べる通り、会話の流れの中で、メモとして書いたものなのだと。木下の父である耕三さんの名誉のため、西岡と木下が補足する。

「木下のお父さんから、指導に関して何か言われたことはありません。こちらが驚くぐらい、何も。信頼して任せてくださっています」(西岡)

「父から、進路に関して『こうしろ』と言われたことは、一度もなかったです」(木下)

流布された風説と異なり、強豪は手を引いていなかったこともわかった。木下が見極めて、高川学園を選んだのだ。木下を巡る争奪戦は、西岡が「難しかった」と漏らした通り苛烈なものだった。

                 〈つづく〉
2026/03/13(金) 22時35分14秒 No.2333 編集 削除