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📝さわかみ関西独立リーグ 2026 試合日程
https://kandok.jp/wp/wp-content/uploads/2026/03/2026%E3%80%90%E3%81%95%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%81%BF%E9%96%A2%E8%A5%BF%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%80%91%E8%A9%A6%E5%90%88%E6%97%A5%E7%A8%8B-1.pdf
紀三井寺でもずいぶん試合が組まれてますが・・・・・3/17オープン戦に顔を出すので、公式戦行くとしたら6/26 17時開始の薄暮ナイターでしょうか?
あとは春季兵庫大会で行けなかった場合の保険で、高砂での6/6 13時からの試合を保険で考えたいですね。
📝第29回 社会人•大学対抗野球大会(岡山県・島根県)
http://www.cubf5589.com/
日程:3月14日(土)・15日(日)・16日(月)
会場:マスカットスタジアム
3月14日(土)
第一試合 9:00 シティライト岡山 ー 吉備国際大学
第二試合 11:30 備創ベースボールクラブ ー 倉敷芸術科学大学
第三試合 14:00 MJG島根 ー 岡山大学
3月15日(日)
第一試合 9:00 倉敷ピーチジャックス ー 川崎医療福祉大学
第二試合 11:30 三菱自動車倉敷オーシャンズ ー 環太平洋大学
第三試合 14:00 三協クリエイト ー 岡山商科大学
3月16日(月)
第一試合 10:00 ショウワコーポレーション ー 岡山理科大学
☆コールドゲーム、延長戦無し
☟「2部制」で暑さ対策 夏の高校野球三重大会 春に続きDH制導入
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad0ccc37273fd4337af65a6df07fdba8667c4ef9
日程は7月3〜27日
夏の甲子園につながる第108回全国高校野球選手権三重大会の日程がこのほど、7月3〜27日と決まった。順調に進めば25日に準決勝、27日に決勝が、いずれも四日市市の霞ケ浦球場で行われる。
昨年、暑さ対策の一環で初めて行われた、試合時間を朝と夕に分ける「2部制」は、選手、観客の救護室利用や、試合の中断が大幅に減るなど一定の効果が認められたとして、今大会も引き続き採用する。ただし、昨年はナイターでの試合もあったことから、第2試合の開始時間は前回大会の午後3時半から変更する可能性もある。また、春に続いて夏も指名打者(DH)制を導入する。
開会式は3日午後2時から四日市市の四日市ドームで行われ、翌4日から霞ケ浦球場、津球場、ドリームオーシャンスタジアム(県営松阪野球場)、ダイムスタジアム伊勢(市営倉田山公園野球場)の4球場で行われる。組み合わせ抽選は6月16日午後2時から、津市の県総合文化センターで行われる。
県高野連の栗谷佳宏理事長は「DH制をいかにうまく使うか。また、昨年以上の暑さになるとの話もあるので、やはり暑さとの戦いにもなる。そこの対応をしっかりすることも大事になってくる」と話している。
🎤【馬淵史郎 我が道9】なかなかの会社だった阿部企業 工事現場で夜勤しながらの監督生活
https://news.yahoo.co.jp/articles/6080db4a62c996a66c40bebc66f5e12953e13abb
拓大を卒業して、松山で建設資材を扱う愛媛物産に就職した。社会人で野球をする手もあったが、満員電車が苦手でね。都会ではなく、やっぱり田舎に帰ろうと思った。拓大の先輩もいたし、軟式野球のクラブチームに入って、三瓶高で指導を続ける田内逸明さんの手伝いをしようと決めた。
ところが秋の大会で母校を応援しようと思ったら、社員旅行と重なり「全員参加だ」と主張する上司と折り合いが悪くなり退社。その後はニッタンガスというプロパンガスの会社で働き、配達もしていた。そんなときに田内さんから呼ばれた。「神戸の阿部企業で監督をすることになった。選手兼コーチでお前も手伝え」。滝川高の吉本宗泰監督の仲介だったと聞いた。仕事にも慣れた時期で周囲は反対したが、恩師の頼みは断れない。26歳で社会人野球の世界に入った。
チームはほぼ休部状態だったから、一からの選手集めに奔走した。実績ある選手には見向きもされない。大学で補欠だったり、故障でプレーできないレベルに声をかけた。スポニチの記者さんにも選手集めの情報で協力してもらったな。ところが、何とかチームの格好がついた83年(昭58)1月に田内さんがくも膜下出血で急死された。
松山にこれで戻ろうかと思ったら、会社は「後任として監督をやれ」と言ってきた。話が違うと思ったが、自分が声をかけた選手を見捨てるわけにもいかない。次の人が決まるまで、のつもりで同年に監督を受けた。
阿部企業というのはなかなかの会社だった。神戸市垂水区に本社があって、仕事は土木業に警備業。ガスや道路工事の交通整理、病院やビルの警備が野球部関係者の仕事やった。仕事はきつかった。俺も深夜に道路工事の現場に立った。冬は本当に寒かった。「こんなとこで工事すな!」という文句もしょっちゅう言われた。
夕方5時から夜勤の14時間勤務をしてからが練習の時間だった。午前9時から昼まで練習し、仮眠してから、また夜勤の繰り返しだった。しかも専用球場はない。50メートル四方の空き地が主な練習場。それでも神戸製鋼や三菱重工神戸、新日鉄広畑といった社会人の強豪に「勝ってみい」と会社は要求してきた。
初めての監督と過酷な環境。慢性の睡眠不足で「もう辞めたい」が口グセになっていた選手たちに、少しでも体力をつけてやりたい、と自分でおにぎりや味噌汁を作って、食べさせた。雨の日の練習では会社の空いた会議室にネットを張って、ソフトボールを打ち込ませたこともあったな。
浮き沈みの激しい人生を何とか頑張ってこられたのは、この阿部企業の時代があったからだと思っている。「どんな状況でも人間はできないことはない」が信条になった。貴重な経験だった。
📝高校球児に「大人が変に気を使っている」 延長18回の伝説を経て…代弁した選手の思い
https://news.yahoo.co.jp/articles/1adefceaa3e7e50796a6db94b4deb9a29d05bd8c?page=1
3球団でプレーした太田氏が振り返る甲子園の日々…明かした思い
元近鉄、巨人、阪神でプレーした太田幸司氏は、野球評論家の傍ら、宝塚リトルシニアの総合技術アドバイザーとして野球に携わっている。あの1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長18回0-0引き分け再試合の大熱投から半世紀以上が経過。1984年に阪神で現役生活を終えてからも41年を越えた。13年所属した愛着ある近鉄も“消滅”して、21年の月日が流れたが、かつての“国民的スター右腕”は、高校野球にもプロ野球にも、熱い思いを抱いている。
「土日で解説などの仕事がないときには(宝塚シニアの)グラウンドに行っています。60歳くらいまでは、シニアでもちょっと前からバッティングピッチャーとかで投げていたけど、もうそれは無理、無理。届かない。肩が回らない。情けない話ですけどね」と太田氏は言いながら「いい選手もいます。これから楽しみですよ」と目を細めた。野球を通じて成長していく子どもたちの姿を見るのが楽しみでしかたないようだ。
太田氏は現役引退後に結婚し、2男1女の父でもある。長男も次男も宝塚シニアを経て高校野球で活躍。「長男は福知山成美で甲子園にも出させてもらってね。長女は宝塚(歌劇団)で今も足を上げています」と優しい父の顔で話す。ちなみに高校時代から女性ファンに騒がれたが、当時、付き合っていた彼女はいなかったそうだ。「あの頃は街で女の子と歩いていたり、喫茶店とかに入ったりしたら不良とか言われていた時代。だから、逆によかったんじゃないかな」と笑った。
あの「コーちゃんフィーバー」の夏から半世紀以上が経過。「宝塚シニアの子どもたちは、夏の甲子園の中継などで、昔の映像が流れたのを見て『太田さん、出ていましたよ』とか言ったり、もうそんな程度ですよ。お父さん、お母さんもみんな若いし、まだ生まれていなかった世代だからね。よっぽど野球好きじゃないとね」と、外出も簡単ではなかった当時からすれば、考えられないほどの穏やかな日々を過ごしている。
「一時は、あの甲子園のことを言われるのが嫌な時期もあったんですよ。僕らの仲間でもそう。でも年をとってくると、それも変わってくるというかね。もし今、ああいう試合をやったとしても、あの頃みたいに日本中が盛り上がるかというとそれは分からない。あの時代だからこそ、ああいうことになったというか……。でも、ひとつだけ高校球史に残るのは決勝で18回。これはもう二度とないですからね」
願う高校野球の発展「選手の思いは昔も今も変わっていない」
OBとしてプロ野球界がさらに盛り上がってほしいと切に願う。「どんどんメジャーに行くようになったから、このペースで行ったらどうなるのって思いますけどね。それこそ日本の野球もメジャーと合併したらいいんじゃないかって思ったりもしますよ。10時間くらいの飛行機移動は、向こうの選手は屁とも思わないだろうしね。その前に手始めとして韓国、台湾と、アジアでリーグ戦をやるとか、とにかく何か新しいことをやらないといけないんじゃないかなぁ」。
その上で「ピッチクロックとかさ、どうなんだろうね。そりゃあ、ずーっとダラダラ長いのはいけないけど、ピンチになったら、いろんなことを……。日本って囲碁将棋があるでしょ。この一手を打ったら、次に何をどうこうって考える間があってね。野球もそこからバッテリーが勝負して、それを見ている側も何が来るとか、読むとか、そういう面白さもあると思うんですけどね。そんなに急いでどこ行くのよ、ですよ、本当に。(ミスタープロ野球の)長嶋(茂雄)さんも怒るよ。野球は感性ですよ」とも口にした。
高校野球についても熱い思いを抱いている。「僕は、やっている選手の思いって昔も今も変わっていないと思う。大人の方が変に気を使っているんじゃないかな。健康が一番だ、といってね。だって甲子園で試合をやっている方が楽なんだから。普段、暑いなかでどれだけ練習しているの。それをみんな言わないでしょ。なんか涼しいところでやっていたのが急に暑いところで野球をやるみたいな、で、夏の甲子園は体に悪いって。選手を大事にすることに反対するつもりはないけど、どうなんだろうなって……」などと、語り出したら止まらなかった。
古巣の近鉄は2004年限りでオリックスに吸収合併されて消滅した。「バファローズの名前は残っているけど全然違う。OB会だってもうないからね。今のオリックスは関西の球団として見ていますよ」と話す。1年ずつ在籍した巨人、阪神のOBでもあるが、根底にあるのは、やはり13年間にわたって培われた“近鉄魂”のようだ。
他の人たちとは違う特殊な野球人生となった太田氏だが、それは形を変えて今も継続中だ。「宝塚シニアの野球もそうだし、なんかちょっとでも死ぬまで野球に関わっていたいなと思っています」。74歳になった甲子園の“元祖アイドル右腕”は、“生涯野球人”を誓っている。
🔥東洋大姫路、渡辺裕太内野手と伏見翔一外野手「気負いがあった」昨秋の不振脱却へともに打撃改良
https://news.yahoo.co.jp/articles/5aaadf55ccaa021ccced82b3912eb3db3e356ad1
昨春から3季連続出場となる東洋大姫路(兵庫)の渡辺裕太内野手と伏見翔一外野手(ともに3年)。前回のセンバツにも出場しており、岡田龍生監督(64)がキーマンに挙げる存在だ。昨秋は不振にあえいだ2人が、聖地で復調をアピールする。
東洋大姫路としては初の3季連続出場を決めても、昨秋の公式戦打率が1割4分3厘の渡辺と、同2割の伏見には達成感がなかった。岡田監督は「秋はワースト1、2位くらいの打率。経験値があるので、2人がやってくれないと…」と期待する。
2人は同じ言葉を絞り出した。「気負いがありました」。昨春はともにレギュラーを務めただけに、チームを引っ張りたいという思いが強い分、空回りした。中軸を打つ渡辺は「練習不足でした。結果を求めて自分のスイングができなかった」と回顧。打撃フォームを見直し、肘が前に出る癖を修正した。
リードオフマンの伏見は、異なるアプローチで打撃を改良した。「バットを寝かしていたけど、立てるようにしたら、打球の質が変わった」。小、中学時の自身の映像を見て、変化に挑戦した。渡辺らと昨年末に参加した県選抜の台湾遠征では、他校生の盗塁技術を観察。50メートル走6秒2と、チーム屈指の俊足が走塁への意識を持ち始めた。
履正社(大阪)時代に、ヤクルト・山田哲人を育てた岡田監督は、2年秋にプロ入りを目標に据えてからの“変身”ぶりを見ている。「ひと冬を越えて、『これだけ人は変われるんだ』と」。それだけに、2人の姿勢には「まだまだ。人から言われずに、自分で考えないと」と注文を付けた。
1回戦は、第3日第1試合で花咲徳栄(埼玉)と対戦する。伏見は「勝つことだけを目標にして一致団結する」と言葉に力を込めた。甲子園優勝経験が8校中4校の激戦ブロックを勝ち抜く。
📝ノーサイン野球で養うチャレンジ力 卒業後も見据えたチームの作り方
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0099dd74f33b2685902936ff6313ec8a3e7263a
監督は攻撃のサインを出さず、選手同士が自由に作戦を決め、盗塁や送りバント、エンドランなどを仕掛ける。
昨年の第97回センバツで、甲子園初勝利を挙げたエナジックスポーツ(沖縄)が取り組んで話題を呼んだ「ノーサイン野球」。激戦区・大阪にある強豪、大阪学院大高もノーサイン野球を実践する。
大阪学院大高は2024年の春季近畿地区大会大阪府予選で、高校球界をリードする大阪桐蔭と履正社を破って優勝。辻盛英一監督(49)のユニークな経歴と合わせ注目を集めた。夏に新チームが動き出したころ、練習試合や打撃練習では普通にサインが出る。
◇選択ミスしても怒らない
公式戦が近づくにつれその場面が減り、そのうちにサインが出なくなる。選手は公式戦までにチームの戦略や攻撃バリエーションを理解し、自分やチームメートの特性を把握する。これが、チームが形になるまでのイメージ。実戦ではイニング間にしっかり打ち合わせをした上で、どの作戦を選ぶかを選手が決めている。選手が自分の意図と異なる選択をした場合、どう考えるのか。
辻盛監督は「仮にバントの方が良かったと思う場合でも『ここはバントやろ』とは絶対に言わない。選択ミスをしたら怒られる。こう考えるようになると、選手は安全な作戦しか取らなくなる」と言う。
辻盛監督は大阪市立大(現大阪公立大)卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)で全国トップの営業成績を上げ、外資系大手のアリコジャパン(現メットライフ生命保険)に転職した。ここでも13年連続でトップの成績を収め、18年に法人を専門とする生命保険代理店を起業。ビジネス書を出版したりセミナーを主催したりと精力的に活動する。
◇最初は選手も「びっくり」
「注意されたり怒られたりすると『怒られないためにはどうしよう』と考えるようになる。生産的なことは何も起こりませんよね」
野球部と保険代理店。分野は違ってもマネジメントに携わる姿勢は全く同じだという。
「どんどん失敗したらいい。失敗を責めるのではなく『次に成功させるには』と問えば、もう一回プランニングするようになる。チャレンジすることに一切文句は言いません」「怒らない指導」には選手の成長を促す一面もある。
「最初はフルスイングしての三振ならOKという感じでした。三振しても怒られないため気が楽で、自分が得意な『飛ばすこと』を意識することができました」と話すのは主将の樋爪信捕手(2年)。
当初は「サインがないことにびっくりした」と戸惑っていた樋爪主将も、1年生で4番を任される存在になった。辻盛監督には思い描くチームがある。「知的な野球小僧の集まりですね。エリートではなく野球小僧。『ここでこんな事をやってみよう』と、いたずらができるチームって強いと思うんです」
自分たちで考え、自分たちで野球を楽しむ。理想のチームはノーサイン野球の延長線上にある。
◇社会に出ても役立つ力
昨夏の甲子園に出場した弘前学院聖愛(青森)も18年からノーサイン野球に取り組む。イニングやボールカウント、走者の有無など野球には無数の局面がある。そこで重視するのが日々のミーティング。練習メニューは選手らで考え、プレーひとつひとつに根拠を求め合う。
原田一範監督(48)が発する言葉も指示ではなく質問がほとんど。練習試合後は「なぜあの状況でバントしたのか」「なぜこの場面で盗塁しなかったのか」など一球一球に「答え合わせ」を繰り返す。原田監督が見据えるのは選手たちの卒業後だ。
「選手自らが考えてアウトプットすることで鍛えられる能力は社会に出ても役に立つ。ノーサイン野球には人を成長させる仕組みがある」
https://kandok.jp/wp/wp-content/uploads/2026/03/2026%E3%80%90%E3%81%95%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%81%BF%E9%96%A2%E8%A5%BF%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%80%91%E8%A9%A6%E5%90%88%E6%97%A5%E7%A8%8B-1.pdf
紀三井寺でもずいぶん試合が組まれてますが・・・・・3/17オープン戦に顔を出すので、公式戦行くとしたら6/26 17時開始の薄暮ナイターでしょうか?
あとは春季兵庫大会で行けなかった場合の保険で、高砂での6/6 13時からの試合を保険で考えたいですね。
📝第29回 社会人•大学対抗野球大会(岡山県・島根県)
http://www.cubf5589.com/
日程:3月14日(土)・15日(日)・16日(月)
会場:マスカットスタジアム
3月14日(土)
第一試合 9:00 シティライト岡山 ー 吉備国際大学
第二試合 11:30 備創ベースボールクラブ ー 倉敷芸術科学大学
第三試合 14:00 MJG島根 ー 岡山大学
3月15日(日)
第一試合 9:00 倉敷ピーチジャックス ー 川崎医療福祉大学
第二試合 11:30 三菱自動車倉敷オーシャンズ ー 環太平洋大学
第三試合 14:00 三協クリエイト ー 岡山商科大学
3月16日(月)
第一試合 10:00 ショウワコーポレーション ー 岡山理科大学
☆コールドゲーム、延長戦無し
☟「2部制」で暑さ対策 夏の高校野球三重大会 春に続きDH制導入
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad0ccc37273fd4337af65a6df07fdba8667c4ef9
日程は7月3〜27日
夏の甲子園につながる第108回全国高校野球選手権三重大会の日程がこのほど、7月3〜27日と決まった。順調に進めば25日に準決勝、27日に決勝が、いずれも四日市市の霞ケ浦球場で行われる。
昨年、暑さ対策の一環で初めて行われた、試合時間を朝と夕に分ける「2部制」は、選手、観客の救護室利用や、試合の中断が大幅に減るなど一定の効果が認められたとして、今大会も引き続き採用する。ただし、昨年はナイターでの試合もあったことから、第2試合の開始時間は前回大会の午後3時半から変更する可能性もある。また、春に続いて夏も指名打者(DH)制を導入する。
開会式は3日午後2時から四日市市の四日市ドームで行われ、翌4日から霞ケ浦球場、津球場、ドリームオーシャンスタジアム(県営松阪野球場)、ダイムスタジアム伊勢(市営倉田山公園野球場)の4球場で行われる。組み合わせ抽選は6月16日午後2時から、津市の県総合文化センターで行われる。
県高野連の栗谷佳宏理事長は「DH制をいかにうまく使うか。また、昨年以上の暑さになるとの話もあるので、やはり暑さとの戦いにもなる。そこの対応をしっかりすることも大事になってくる」と話している。
🎤【馬淵史郎 我が道9】なかなかの会社だった阿部企業 工事現場で夜勤しながらの監督生活
https://news.yahoo.co.jp/articles/6080db4a62c996a66c40bebc66f5e12953e13abb
拓大を卒業して、松山で建設資材を扱う愛媛物産に就職した。社会人で野球をする手もあったが、満員電車が苦手でね。都会ではなく、やっぱり田舎に帰ろうと思った。拓大の先輩もいたし、軟式野球のクラブチームに入って、三瓶高で指導を続ける田内逸明さんの手伝いをしようと決めた。
ところが秋の大会で母校を応援しようと思ったら、社員旅行と重なり「全員参加だ」と主張する上司と折り合いが悪くなり退社。その後はニッタンガスというプロパンガスの会社で働き、配達もしていた。そんなときに田内さんから呼ばれた。「神戸の阿部企業で監督をすることになった。選手兼コーチでお前も手伝え」。滝川高の吉本宗泰監督の仲介だったと聞いた。仕事にも慣れた時期で周囲は反対したが、恩師の頼みは断れない。26歳で社会人野球の世界に入った。
チームはほぼ休部状態だったから、一からの選手集めに奔走した。実績ある選手には見向きもされない。大学で補欠だったり、故障でプレーできないレベルに声をかけた。スポニチの記者さんにも選手集めの情報で協力してもらったな。ところが、何とかチームの格好がついた83年(昭58)1月に田内さんがくも膜下出血で急死された。
松山にこれで戻ろうかと思ったら、会社は「後任として監督をやれ」と言ってきた。話が違うと思ったが、自分が声をかけた選手を見捨てるわけにもいかない。次の人が決まるまで、のつもりで同年に監督を受けた。
阿部企業というのはなかなかの会社だった。神戸市垂水区に本社があって、仕事は土木業に警備業。ガスや道路工事の交通整理、病院やビルの警備が野球部関係者の仕事やった。仕事はきつかった。俺も深夜に道路工事の現場に立った。冬は本当に寒かった。「こんなとこで工事すな!」という文句もしょっちゅう言われた。
夕方5時から夜勤の14時間勤務をしてからが練習の時間だった。午前9時から昼まで練習し、仮眠してから、また夜勤の繰り返しだった。しかも専用球場はない。50メートル四方の空き地が主な練習場。それでも神戸製鋼や三菱重工神戸、新日鉄広畑といった社会人の強豪に「勝ってみい」と会社は要求してきた。
初めての監督と過酷な環境。慢性の睡眠不足で「もう辞めたい」が口グセになっていた選手たちに、少しでも体力をつけてやりたい、と自分でおにぎりや味噌汁を作って、食べさせた。雨の日の練習では会社の空いた会議室にネットを張って、ソフトボールを打ち込ませたこともあったな。
浮き沈みの激しい人生を何とか頑張ってこられたのは、この阿部企業の時代があったからだと思っている。「どんな状況でも人間はできないことはない」が信条になった。貴重な経験だった。
📝高校球児に「大人が変に気を使っている」 延長18回の伝説を経て…代弁した選手の思い
https://news.yahoo.co.jp/articles/1adefceaa3e7e50796a6db94b4deb9a29d05bd8c?page=1
3球団でプレーした太田氏が振り返る甲子園の日々…明かした思い
元近鉄、巨人、阪神でプレーした太田幸司氏は、野球評論家の傍ら、宝塚リトルシニアの総合技術アドバイザーとして野球に携わっている。あの1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長18回0-0引き分け再試合の大熱投から半世紀以上が経過。1984年に阪神で現役生活を終えてからも41年を越えた。13年所属した愛着ある近鉄も“消滅”して、21年の月日が流れたが、かつての“国民的スター右腕”は、高校野球にもプロ野球にも、熱い思いを抱いている。
「土日で解説などの仕事がないときには(宝塚シニアの)グラウンドに行っています。60歳くらいまでは、シニアでもちょっと前からバッティングピッチャーとかで投げていたけど、もうそれは無理、無理。届かない。肩が回らない。情けない話ですけどね」と太田氏は言いながら「いい選手もいます。これから楽しみですよ」と目を細めた。野球を通じて成長していく子どもたちの姿を見るのが楽しみでしかたないようだ。
太田氏は現役引退後に結婚し、2男1女の父でもある。長男も次男も宝塚シニアを経て高校野球で活躍。「長男は福知山成美で甲子園にも出させてもらってね。長女は宝塚(歌劇団)で今も足を上げています」と優しい父の顔で話す。ちなみに高校時代から女性ファンに騒がれたが、当時、付き合っていた彼女はいなかったそうだ。「あの頃は街で女の子と歩いていたり、喫茶店とかに入ったりしたら不良とか言われていた時代。だから、逆によかったんじゃないかな」と笑った。
あの「コーちゃんフィーバー」の夏から半世紀以上が経過。「宝塚シニアの子どもたちは、夏の甲子園の中継などで、昔の映像が流れたのを見て『太田さん、出ていましたよ』とか言ったり、もうそんな程度ですよ。お父さん、お母さんもみんな若いし、まだ生まれていなかった世代だからね。よっぽど野球好きじゃないとね」と、外出も簡単ではなかった当時からすれば、考えられないほどの穏やかな日々を過ごしている。
「一時は、あの甲子園のことを言われるのが嫌な時期もあったんですよ。僕らの仲間でもそう。でも年をとってくると、それも変わってくるというかね。もし今、ああいう試合をやったとしても、あの頃みたいに日本中が盛り上がるかというとそれは分からない。あの時代だからこそ、ああいうことになったというか……。でも、ひとつだけ高校球史に残るのは決勝で18回。これはもう二度とないですからね」
願う高校野球の発展「選手の思いは昔も今も変わっていない」
OBとしてプロ野球界がさらに盛り上がってほしいと切に願う。「どんどんメジャーに行くようになったから、このペースで行ったらどうなるのって思いますけどね。それこそ日本の野球もメジャーと合併したらいいんじゃないかって思ったりもしますよ。10時間くらいの飛行機移動は、向こうの選手は屁とも思わないだろうしね。その前に手始めとして韓国、台湾と、アジアでリーグ戦をやるとか、とにかく何か新しいことをやらないといけないんじゃないかなぁ」。
その上で「ピッチクロックとかさ、どうなんだろうね。そりゃあ、ずーっとダラダラ長いのはいけないけど、ピンチになったら、いろんなことを……。日本って囲碁将棋があるでしょ。この一手を打ったら、次に何をどうこうって考える間があってね。野球もそこからバッテリーが勝負して、それを見ている側も何が来るとか、読むとか、そういう面白さもあると思うんですけどね。そんなに急いでどこ行くのよ、ですよ、本当に。(ミスタープロ野球の)長嶋(茂雄)さんも怒るよ。野球は感性ですよ」とも口にした。
高校野球についても熱い思いを抱いている。「僕は、やっている選手の思いって昔も今も変わっていないと思う。大人の方が変に気を使っているんじゃないかな。健康が一番だ、といってね。だって甲子園で試合をやっている方が楽なんだから。普段、暑いなかでどれだけ練習しているの。それをみんな言わないでしょ。なんか涼しいところでやっていたのが急に暑いところで野球をやるみたいな、で、夏の甲子園は体に悪いって。選手を大事にすることに反対するつもりはないけど、どうなんだろうなって……」などと、語り出したら止まらなかった。
古巣の近鉄は2004年限りでオリックスに吸収合併されて消滅した。「バファローズの名前は残っているけど全然違う。OB会だってもうないからね。今のオリックスは関西の球団として見ていますよ」と話す。1年ずつ在籍した巨人、阪神のOBでもあるが、根底にあるのは、やはり13年間にわたって培われた“近鉄魂”のようだ。
他の人たちとは違う特殊な野球人生となった太田氏だが、それは形を変えて今も継続中だ。「宝塚シニアの野球もそうだし、なんかちょっとでも死ぬまで野球に関わっていたいなと思っています」。74歳になった甲子園の“元祖アイドル右腕”は、“生涯野球人”を誓っている。
🔥東洋大姫路、渡辺裕太内野手と伏見翔一外野手「気負いがあった」昨秋の不振脱却へともに打撃改良
https://news.yahoo.co.jp/articles/5aaadf55ccaa021ccced82b3912eb3db3e356ad1
昨春から3季連続出場となる東洋大姫路(兵庫)の渡辺裕太内野手と伏見翔一外野手(ともに3年)。前回のセンバツにも出場しており、岡田龍生監督(64)がキーマンに挙げる存在だ。昨秋は不振にあえいだ2人が、聖地で復調をアピールする。
東洋大姫路としては初の3季連続出場を決めても、昨秋の公式戦打率が1割4分3厘の渡辺と、同2割の伏見には達成感がなかった。岡田監督は「秋はワースト1、2位くらいの打率。経験値があるので、2人がやってくれないと…」と期待する。
2人は同じ言葉を絞り出した。「気負いがありました」。昨春はともにレギュラーを務めただけに、チームを引っ張りたいという思いが強い分、空回りした。中軸を打つ渡辺は「練習不足でした。結果を求めて自分のスイングができなかった」と回顧。打撃フォームを見直し、肘が前に出る癖を修正した。
リードオフマンの伏見は、異なるアプローチで打撃を改良した。「バットを寝かしていたけど、立てるようにしたら、打球の質が変わった」。小、中学時の自身の映像を見て、変化に挑戦した。渡辺らと昨年末に参加した県選抜の台湾遠征では、他校生の盗塁技術を観察。50メートル走6秒2と、チーム屈指の俊足が走塁への意識を持ち始めた。
履正社(大阪)時代に、ヤクルト・山田哲人を育てた岡田監督は、2年秋にプロ入りを目標に据えてからの“変身”ぶりを見ている。「ひと冬を越えて、『これだけ人は変われるんだ』と」。それだけに、2人の姿勢には「まだまだ。人から言われずに、自分で考えないと」と注文を付けた。
1回戦は、第3日第1試合で花咲徳栄(埼玉)と対戦する。伏見は「勝つことだけを目標にして一致団結する」と言葉に力を込めた。甲子園優勝経験が8校中4校の激戦ブロックを勝ち抜く。
📝ノーサイン野球で養うチャレンジ力 卒業後も見据えたチームの作り方
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0099dd74f33b2685902936ff6313ec8a3e7263a
監督は攻撃のサインを出さず、選手同士が自由に作戦を決め、盗塁や送りバント、エンドランなどを仕掛ける。
昨年の第97回センバツで、甲子園初勝利を挙げたエナジックスポーツ(沖縄)が取り組んで話題を呼んだ「ノーサイン野球」。激戦区・大阪にある強豪、大阪学院大高もノーサイン野球を実践する。
大阪学院大高は2024年の春季近畿地区大会大阪府予選で、高校球界をリードする大阪桐蔭と履正社を破って優勝。辻盛英一監督(49)のユニークな経歴と合わせ注目を集めた。夏に新チームが動き出したころ、練習試合や打撃練習では普通にサインが出る。
◇選択ミスしても怒らない
公式戦が近づくにつれその場面が減り、そのうちにサインが出なくなる。選手は公式戦までにチームの戦略や攻撃バリエーションを理解し、自分やチームメートの特性を把握する。これが、チームが形になるまでのイメージ。実戦ではイニング間にしっかり打ち合わせをした上で、どの作戦を選ぶかを選手が決めている。選手が自分の意図と異なる選択をした場合、どう考えるのか。
辻盛監督は「仮にバントの方が良かったと思う場合でも『ここはバントやろ』とは絶対に言わない。選択ミスをしたら怒られる。こう考えるようになると、選手は安全な作戦しか取らなくなる」と言う。
辻盛監督は大阪市立大(現大阪公立大)卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)で全国トップの営業成績を上げ、外資系大手のアリコジャパン(現メットライフ生命保険)に転職した。ここでも13年連続でトップの成績を収め、18年に法人を専門とする生命保険代理店を起業。ビジネス書を出版したりセミナーを主催したりと精力的に活動する。
◇最初は選手も「びっくり」
「注意されたり怒られたりすると『怒られないためにはどうしよう』と考えるようになる。生産的なことは何も起こりませんよね」
野球部と保険代理店。分野は違ってもマネジメントに携わる姿勢は全く同じだという。
「どんどん失敗したらいい。失敗を責めるのではなく『次に成功させるには』と問えば、もう一回プランニングするようになる。チャレンジすることに一切文句は言いません」「怒らない指導」には選手の成長を促す一面もある。
「最初はフルスイングしての三振ならOKという感じでした。三振しても怒られないため気が楽で、自分が得意な『飛ばすこと』を意識することができました」と話すのは主将の樋爪信捕手(2年)。
当初は「サインがないことにびっくりした」と戸惑っていた樋爪主将も、1年生で4番を任される存在になった。辻盛監督には思い描くチームがある。「知的な野球小僧の集まりですね。エリートではなく野球小僧。『ここでこんな事をやってみよう』と、いたずらができるチームって強いと思うんです」
自分たちで考え、自分たちで野球を楽しむ。理想のチームはノーサイン野球の延長線上にある。
◇社会に出ても役立つ力
昨夏の甲子園に出場した弘前学院聖愛(青森)も18年からノーサイン野球に取り組む。イニングやボールカウント、走者の有無など野球には無数の局面がある。そこで重視するのが日々のミーティング。練習メニューは選手らで考え、プレーひとつひとつに根拠を求め合う。
原田一範監督(48)が発する言葉も指示ではなく質問がほとんど。練習試合後は「なぜあの状況でバントしたのか」「なぜこの場面で盗塁しなかったのか」など一球一球に「答え合わせ」を繰り返す。原田監督が見据えるのは選手たちの卒業後だ。
「選手自らが考えてアウトプットすることで鍛えられる能力は社会に出ても役に立つ。ノーサイン野球には人を成長させる仕組みがある」