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☟広陵野球部 部内暴力問題で3年生部員2人の審判開始せず 十分な反省が見られたことが理由か
https://news.yahoo.co.jp/articles/30227e385ca5d524b8d328f0d8f4937693f3778b

広陵高の硬式野球部で起きた部内暴力問題で、暴行容疑で書類送検された3年生部員2人の処分について、広島家裁が審判不開始と決めたことが16日、分かった。関係者によると、十分な反省が見られたことが理由とみられる。

昨年1月、2人は野球部寮内で禁止されているカップラーメンを食べた下級生部員を注意する目的で暴行した疑いが持たれていた。この件がSNS上での告発により拡散され、同校は昨夏の甲子園大会の出場を辞退した。学校側が設置した第三者委員会は現在も調査を続けている。また、加害者とされた3年生部員1人は、SNS上の投稿で名誉を傷つけられたとして、昨年9月に名誉毀損(きそん)罪で複数の人物を刑事告訴している。

また、2023年に部内暴力を受けたと訴えた別の元野球部員の事案について、学校側は、第三者委員会が「事実と認めることは困難」と結論づけた調査報告書を公表した。

同委員会は、当該部員が申告した88件の被害について聞き取りなどで調査し、いずれも「裏付ける証拠や証言は得られなかった」と判断した。報告書では、硬式野球部が「閉鎖的」になっていたとして、相談しやすい環境を整えるようにする提言も付け加えられた。

📣甲子園歴史館でセンバツ企画展 「二枚看板」のチーム特集 東北や作新学院、地元報徳も 4月5日まで
https://news.yahoo.co.jp/articles/6fb285fda86d3eddd4f5a06c489aa10b473b5613

来月19日に開幕する第98回選抜高校野球大会を前に、恒例の「センバツ企画展」が、兵庫県西宮市甲子園町の甲子園歴史館で開かれている。昨年優勝した横浜の織田翔希投手や、報徳学園で活躍した阪神タイガースの今朝丸裕喜投手が使ったグラブやスパイクなどが並ぶ。4月5日まで。

今回のテーマは「二枚看板」。近年、エース級の投手を2人そろえ、勝ち進むチームが増えていることから企画した。

選抜大会や夏の大会で活躍した東北(仙台市)のダルビッシュ有投手(現パドレス)と真壁賢守投手をパネルで紹介。2人ともプロに進んだ作新学院(宇都宮市)の今井達也投手(現アストロズ)と入江大生投手(現DeNA)、2023年の選抜で準優勝した報徳学園の今朝丸投手と間木歩投手らも展示している。
優勝、準優勝旗のレプリカも飾られ、開会式直後から決勝戦前日までは実物になる。壁一面には、今大会出場の全32校のユニホームもずらりと並んでいる。

広島県呉市から訪れた男性会社員(60)は元高校球児といい、「懐かしい気持ちになった。地元の出場校に頑張ってもらいたい」と話した。

午前10時~午後5時(3月から午後6時まで。大会期間中は午前9時に開館)。月曜休館(試合開催日と祝日は開館)。一般900円、高校生700円、中学生以下500円(3歳以下は無料)。同館TEL0798・49・4509

🔥<いざ!夢舞台へ’26センバツ>東洋大姫路/上 「実力ない」から発奮 瀬戸際で見せた執念
https://news.yahoo.co.jp/articles/784753deeff8fcc86b5ac8b488c8eb45b8dae575

キラキラと輝くモールに飾られたくす玉が割れると、10回目のセンバツ出場を表す「10」と「3季連続」と書かれた垂れ幕が飛び出した。1月30日、東洋大姫路に2025年の春夏連続の甲子園出場に続く吉報が届くと、松本太翔主将(2年)は「(強者を打ち負かす)下克上という気持ちを持ちたい」と力を込めた。

25年夏の甲子園で8強に輝いた3年生から引き継いだ新チームで、甲子園を経験して今春センバツに出る選手はわずか。前チームのメンバーを総入れ替えしたのに近かった。
松本主将は「実力だけでは先輩たちに勝てないけれど、その強さは刺激になっていた。自分たちもこうならなきゃと責任感も感じている」と力を込める。

初めての公式戦となった同年9月の県大会。初戦の関西学院戦は試合前のノックから選手たちの動きが硬かった。試合は延長にもつれこみ、十回裏に藤本亜怜選手(同)の逆転サヨナラ本塁打で勝利した。その後も緊張した試合展開が続いた。3回戦の東播磨戦でも3点差から八回で同点に追いつかれた後、丸山滉惺選手(同)の中犠飛などで勝ち越した。

そして、準決勝。市尼崎を相手に一回表に先制したが、その裏で3安打を浴び、すぐに逆転を許した。右腕投手にうまく対応できず、バントも決まらない。守備も乱れ、追加点を挙げられないまま4点差で敗北した。24年秋から始まった県内の公式戦の連勝記録が途絶えた瞬間だった。三上颯真投手(同)は「高めに浮いた球が多くなってしまった。序盤から試合を崩してしまった」と悔やんだ。
だが、チームには、センバツ出場校選考の参考資料となる近畿地区大会の最後の出場校を決める3位決定戦が残っていた。選手たちは敗北を自身を見つめ直すきっかけに変えた。

伏見翔一選手(同)はこう振り返る。「連勝が途切れて開き直れた部分もあった。先輩よりも劣っている部分しかないけど、全て見直して真剣に取り組もうとなった。あの負けがあったから変われた」

3位決定戦までの1週間、選手たちは自主練習に来た3年生に教えを乞い、バントや守備などの基本動作を体に染み込ませた。練習中は「甲子園につなげるぞ」という声が選手の間で飛び交った。藤本選手は「後が無くなった。勝たないと」と強いプレッシャーを感じつつ、それゆえにチームが「今のままじゃいけない」と一つになっていくのを感じていた。

25年10月5日にあった彩星工科との3位決定戦。チームは二回1死一、三塁の好機でスクイズを決めて先制した。六回に1点差まで迫られたが、1死二、三塁から登板した大野泰聖投手(同)が後続を抑えた。その勢いに打線も続き、相手投手の崩れにも助けられ九回に一挙6得点。13―1で大勝した。

センバツ出場への道に瀬戸際で踏みとどまったチームは、近畿地区大会に向けて新たな成長の一歩を踏み出した。

📝夏の高校野球青森大会は7月7日に開幕 はるか夢、ダイシンなど会場
https://news.yahoo.co.jp/articles/206a941ed06d3c7f1cf7842caa0db62871c59307

青森県高校野球連盟は16日、今夏の第108回全国高校野球選手権青森大会の日程を発表した。7月7日に開会式のみを行い、試合は8~21日に行われる。組み合わせ抽選会は6月24日にある。

球場は、弘前市のはるか夢球場を主会場に、青森市のダイシンベースボールスタジアム、八戸市の八戸東球場、六戸町のメイプルスタジアムを使用する。昨夏の会場だった県営野球場と八戸市長根公園野球場は使用しない。

7月7日の開会式はダイシンで開かれる予定。昨夏同様、開会式の日に試合は行わない。昨年は一つの球場で1日3試合を行うこともあったが、暑さ対策のため試合中に休憩時間を設けたことで、3試合目の開始時間が遅くなることもあった。このため、今年は全ての球場で1日2試合までとする。

準々決勝以降の試合は、はるか夢が舞台になる。16、17日に準々決勝、19日に準決勝、21日に決勝が行われる予定になっている。

📝甲子園で痛恨牽制死「野球辞める」 逃したサヨナラ…「大変だった」“事後処理”
https://news.yahoo.co.jp/articles/bb940419c717587bc2dfea1cbdcc9967a3331e4d?page=1

三沢高を牽引した太田幸司氏が振り返る甲子園

青森県立三沢高のエースだった太田幸司氏(元近鉄、巨人、阪神、野球評論家)は1969年夏の甲子園準優勝右腕だ。延長18回0-0再試合となった松山商との決勝戦は伝説だが、その夏に向かうまでには試練もあった。春の東北大会でまさかの1回戦負けを喫して「あれで引き締まりました」。当時日大4年だった佐藤道郎投手(元南海、大洋)の指導も受け、気合を入れ直したという。

1969年春の選抜に出場した三沢高は2回戦で敗退した。浪商と延長15回の激闘を繰り広げたが、2-4で涙をのんだ。太田氏は「サヨナラでウチが勝てるチャンスはあったんですよ。満塁かなんかで小比類巻(英秋捕手)がセカンドランナー。1点取ればいいので、セカンドランナーは関係ない。サードランナーさえ還れば勝ちってところで、ちょろちょろちょろって、小比類巻が牽制でタッチアウトを食らって、結局その回ゼロで終わって……」と振り返る。

「大阪代表の浪商と互角に渡り合えたんで、自信というか、手応えをつかみました。でも小比類巻は負けたことに責任を感じて、試合が終わった後、『野球を辞める』って言い出してね、大変でした。何とかなだめましたけどね」。春の選抜でマスクを被った主将の河村真捕手が椎間板ヘルニアで離脱、以降、太田氏はこの小比類巻捕手とバッテリーを組んで伝説の夏を戦ったが、それは、そんな“騒動”を経てのことでもあったわけだ。

さらにチームにとってショックだったのが、春の東北大会1回戦で仙台工に0-2で敗れたことだった。「下馬評も“三沢高校のための東北大会、もう負ける相手はいない”と言われていたし、僕らも当然、負ける気はなかった、それが1回戦ですよ。今の楽天本拠地の宮城球場で……。仙台での開催だったので、宮城県からは3チームが出ていて、仙台工は宮城の優勝チームでもなかった。だから、もう左うちわで勝てるだろうと思っていたら、あれあれって感じで……」。

前年(1968年)秋以降で、東北地区の学校に初めて負けた試合だった。油断があったし、調子に乗っていた。「ちょっと気が緩んでいました。負けた時は悔しかったけど、あれでまたチームがまとまったというか、ふんどしを締め直して夏に行こうぜって、また違うテンションになって……。振り返ってみれば、いい薬でした。ある意味、負けてよかったのかもしれない。高校野球って何があるかわからない。そういうことも経験できたのでね」。

それまで、ほぼストレート1本で勝負していた太田氏は最後の夏に向けてカーブの練習も本格的に取り組んだという。「青森大会は真っ直ぐだけで行けても、やっぱり甲子園はそうはいかないと思ったのでね」。加えて、三沢ナインは日大の河内忠吾監督や佐藤投手にも指導を受けたという。「当時、三沢は日大とつながりがあって、以前から時々、教えてもらっていたんですけど、最後の夏の時も来ていただいたんですよ」。

後のドラ1右腕から激アツ言葉のオンパレード
 
太田氏は1969年のドラフト会議で近鉄に1位指名されて入団するが、日大・佐藤投手も同じ年の南海ドラフト1位で、1970年のプロ1年目からリリーフとして大活躍してパ・リーグ新人王に輝く。そんな4歳年上の大学生右腕から太田氏は何度も気合を注入されたという。「『高校野球は何があるかわからんからな。どんな相手でも絶対手を抜くな! そういう手を抜いた試合をやると次に影響が出るから、とにかく目一杯行け!』とか言われました」。

激アツな言葉のオンパレードだった。「佐藤さんはよく言っていました。『俺は真っ直ぐでグイグイ押すタイプじゃないけど、ピッチャーは気持ちだぞ! 球に自分の気持ちは絶対乗り移るから、弱気になったら駄目だ! 迷ったら強気で攻めろ!』ってね。そういう精神面のことも、いろいろ話をしてもらいました。最後の夏には、それも大きかったですよ」。太田氏が常に前を向き、ひたすら腕を振り続けたのも、そんな教えを受けたからでもあった。

「佐藤さんに『俺はもう間違いなくドラフトにかかる。多分、お前もかかるだろうから、今度はプロで顔を合わせて頑張ろうぜ』みたいなことを言われたのも覚えています。佐藤さんは体がでっかくてね。で、練習用の上下真っ白のユニホームを『これやるわ』って渡されたんです。『僕にはブカブカですよ』と言ったら『いいじゃないか。これが着れるくらい、デカくなれ』って。今でも、そのユニホーム、大切に持っていますよ」

選抜後の東北大会1回戦負けのショックから、太田氏も、三沢ナインも気合で立ち直った。誰もが技量もアップさせた。「日大の河内監督からは守備のフォーメーションとか、作戦とか、頭を使う部分も教わりました。それまでは、そんなもの何にも習っていませんでしたからね」。そして1969年高校3年の夏、最後の夏、集大成の夏がやってきた。
2026/02/17(火) 22時18分11秒 No.2302 編集 削除