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宏鈴法師(管理人) MAIL URL

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編集済
📝夏の甲子園懸けた島根大会 7月11日開幕、決勝は? 島根県高野連、主な大会日程も発表
https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/948309?gsign=yes

島根県高校野球連盟は12日、2026年度の行事日程を決めた。夏の甲子園出場を懸けた第108回全国選手権島根大会は7月11日に開幕し、決勝は26日を予定している。3月末に改修工事を終える予定の県立浜山公園野球場と松江市営野球場が会場となる。

島根大会の組み合わせ抽選会は6月12日に大田市民会館であり、開会式と開幕試合は7月11日に松江市営野球場で実施する。試合日程は今後協議する。
ほかの県内の主な大会日程は次の通り。

県春季大会(4月17日~5月2日・江津市民球場など5会場)
春季中国地区大会(5月30日~6月2日・県立浜山公園野球場)
県秋季大会(9月11日~27日・県立浜山公園野球場など4会場)

💢〈日大三高・野球部活動休止〉「絶対消すから」と少女に送信させたわいせつ動画は部員数十人に拡散「児童ポルノは覚醒剤と同じで所持だけで犯罪」と専門家、もし我が子が手にしたら
https://news.yahoo.co.jp/articles/331e2eab42602c85585e467723d2cc44e951a03c

女子生徒にわいせつな画像・動画を送らせて拡散したとして2月12日、警視庁少年育成課は、昨夏の甲子園で準優勝を遂げた日大三高硬式野球部の17歳と16歳の男子生徒2人を児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で書類送検した。報道が過熱した同日、同校野球部は活動を休止、期間は未定だという。

学習用に配布していたタブレット端末で部内数十人に拡散

わいせつな動画は部員数十人に拡散されていた。社会部記者が事件の経緯を解説する。

「昨年3〜6月ごろ、17歳の男子部員Aが『絶対に消すから』といって知人の女子生徒に、わいせつな画像や動画を3回にわたりSNSで送らせ、そのうちの動画1点を16歳の部員Bに提供した疑いがある。その後、Bが同5〜10月ごろ、ほかの複数の部員に動画を送信し、部内数十人に拡散された。部員たちは学校側が学習用に配布していたタブレット端末を使ったとみられている。昨年10月、警視庁に女子生徒の家族から『娘のわいせつな動画が拡散されているようで心配だ』と相談があり事件が発覚した」

昨年夏の甲子園で準優勝し、高校野球の強豪校として知られる日大三高。これまで同校を応援してきた地元住民たちはまさかの不祥事にショックを受けていた。

「なんというか残念としか言いようがありませんよね。昔から強い部なので地元でも応援している人は多かったですし、私も応援しています。去年の甲子園は準優勝してましたし、期待していたのですが…」(近隣住民・女性)

日大といえばこれまで多くの不祥事を起こしてきたが、三高は「昔から真面目なイメージだった」と別の地元住人(男性)は話す。

「俺が知ってる限りは何か不祥事とか事件があったって話は聞いたことないよ。野球部についても昔からひたむきに部活に取り組んでるイメージしかない。昔から野球部は強かったんだけど10年以上前に地元のやんちゃな高校生らが日大三高の野球部が練習しているグラウンドに石を投げて『おいっコラっ』とかヤジを飛ばしにくるなんてことがあった。その時もいくらヤジられようが見向きもせずに練習していた。今の野球部の子達にしたって真面目。その辺で喫煙してる子とか、服装が派手な子なんて見たことない。『お疲れ様』って声をかけると『お疲れっす』って気持ちよく返事する子たちばかりだよ。学校の近くから3〜4人で歩いてるのをよく見かけたから『野球部か? そっち行っても何もないだろ』って声をかけた時もあるよ。その時は『多摩センターの方まで行くんです』って言ってて、歩いたら1時間近くはかかるだろうからすごい遠くまで行くんだなって。その時の子たちも好青年で、近所で素行が悪いとそんな話は聞いたことないし、やっぱり野球部が強くて有名だから地元の人達は応援していたんだ」

警視庁の任意の事情聴取に男子部員AとBは容疑を認め、「やってはいけないことをやってしまった、謝罪したい」「軽率な行動で学校や家族に迷惑をかけてしまった。もっと強い気持ちをもっていればこんなことにならなかった」と猛省しているという。

専門家は「覚醒剤と同じ…」持っていたという事実が招くリスク

少年たちの軽率な行動によって野球の名門校が活動休止となってしまった今回の事件。性的画像・動画の拡散は、女子生徒の人権を踏みにじる絶対に許されない行為だ。
学校内のいじめ問題等に精通するレイ法律事務所の高橋知典弁護士は、児童ポルノに該当する画像・動画の所持によるトラブルの相談は「非常に多いです」と話し、法的な観点からも警鐘を鳴らす。

「女子生徒に関して言えば、自分の性的なものを外部には見せていけませんが、直接受け取った男子生徒が、それを誰かに送ることは絶対に許されない。さらに受け取った人は罪悪感が薄く多くの人に共有してしまう。ここが非常に問題です。関わったすべての人が犯罪者にあたる可能性があります。児童ポルノは所持しているだけで犯罪になるため、法禁物(法律上正当に所持することが認められないもの)といえます。持つだけ、渡すだけで、自分も周りの人間も次々と犯罪者にしてしまう非常に危険なもの。また、直接関わっていなくとも、過去に所持していた事実が数年後に自分へ飛び火するリスクもあり、数ヶ月、1年後にそのような問題が明らかになった場合、例えば今回のように甲子園に出場した、受験や面接を控えている、結婚する――そういったタイミングで、動画を自分も持っていた、または渡したことがあるというのが後で発覚したとき、社会的なダメージは加害者にとっても大きい。児童ポルノは覚醒剤と同じように、持つのも犯罪という理解が必要です」

被害の大きさを考えれば、このような強い社会的制裁があるのも当然だろう。では、仮に我が子が動画を受け取ってしまったら、どうするべきなのだろうか。

「学校内であれば、まず親御さんに相談し、学校の先生にも相談した方がよい。万が一受け取ってしまった場合には、削除すべきです。直ちにそのような動画や画像が出回っていることを相談・報告した上で、削除。絶対に被害を広げてはいけません。そして適切な行動を取ることが『潔白の証明』に繋がる。 拡散された動画の持ち主が学校内で収まっている人間関係であれば、全ての生徒にあたってもらい消してもらうことが大切です。拡散の度合いによるが、性的動画の拡散が問題になった民事訴訟で、高額なものでは過去に200万円程の慰謝料が認められた事例もあります。この点において、加害者が成人しているかどうかは関係ありません」(同前)

学校や部活動などの閉鎖的な環境下においては、当事者は「バレないだろう」「このくらいなら」という考えが働き、次第にエスカレートする傾向もある。この点について高橋弁護士は「日頃から緊密な友人関係が出来上がっていて、この中で拡散しても大丈夫だろうという、よくわからない安心感がある。この安心感が拡散をすごく広げてしまう」と警鐘を鳴らした。

性的画像・映像の拡散は、被害者の名誉や尊厳を深く傷つける行為で、絶対に許されるものではない。被害者が感じた心痛や恐怖は計り知れない。にもかかわらず、自覚なく深刻な加害をしてしまうことが拡散の恐ろしさだ。同様の事件が二度と起こらないことを切に願う。 

🔥<一球一瞬・センバツ近江>第1部 強さに迫る/下 逆境で闘志 「鬼門」突破
https://news.yahoo.co.jp/articles/a7e49d768946684079b27c4524823055b137e122

昨秋の県大会初戦の2回戦を快勝で突破した近江は3回戦で膳所をコールドで退けた。準々決勝で能登川に思わぬ苦戦を強いられたが競り勝った。試合での粘りも出てきたことでチームの一体感の手応えも増していた。そして、準決勝の滋賀学園戦を小森博之監督(42)と選手たちは並々ならぬ思いで迎えた。ここのところの近江にとって準決勝は「鬼門」だったからだ。

秋季県大会の選手たちの目標は「県大会優勝」だった。全国レベルの近江にとっては控えめと言えるかもしれない。だが、足元を見れば、今の2年生は入部後、春、夏、秋の公式戦で一度も県制覇を経験していない。甲子園につながる夏、秋では2024年夏は綾羽に、同年秋は滋賀学園に、25年夏は再び綾羽に、いずれも準決勝で敗れた。「先を見据えるよりも、県の頂点に返り咲く」。選手たちはミーティングでそう繰り返した。

雨で一日順延した準決勝は25年10月6日午後5時前に始まり、照明に照らされる中で進んだ。先発の上田健介(2年)は走者を出すが要所を締めるエースらしい投球だった。
5―1で九回の守りを迎え、近江のスタンド席は勝利は近いと思っていただろう。だが、1死から上田が足をつり、四球を出したところで投手が交代。その後、1点を返され、なお2死二、三塁のピンチの場面だった。

力のない飛球が二塁ベース後方に上がった。遊撃の吉田大翼(同)が追い、後ろ向きのままキャッチ、したかと思った瞬間に中堅の馬場雄聖(1年)と衝突。ボールは芝生の上に転がり、2人の走者が生還した。さらに、勢いづいた相手打線に同点に持ち込まれた。記録は安打だったが、吉田は落球した場面をミスだと感じていた。
だが、そこでチームは沈まなかった。選手たちは互いに鼓舞し合い、十回タイブレークの攻撃に臨む。1死二、三塁で打席に吉田。自分として許せなかったミスが逆に集中力を高めた。変化球をフルスイングで捉えると快音を残した打球は中堅手の頭上を越えて2点を奪った。さらに馬場が適時打で続きリードを広げた。

今度は守り切り、鬼門を突破した。決勝は彦根東を10点差で降し、滋賀王者を奪還した。近畿大会では1回戦で市尼崎(兵庫)にコールド勝ちし、準々決勝は滋賀学園に敗れたが、県大会優勝と近畿大会8強などが評価され、2年振りのセンバツ切符を手にした。一体感を手にしたチームは聖地へ向け、一瞬と一球への集中力をますます高めている。

📝甲子園で「膝がガクガク」 酷暑なのにクーラー禁止…夜中に新エースを襲った“洗礼”
https://news.yahoo.co.jp/articles/2a177e38cc35773387af14181d77518958b1bdf1?page=1

初の甲子園も宿舎ではクーラー禁止 

1968年夏、2年生エース・太田幸司投手(元近鉄、巨人、阪神)を擁する青森県立三沢高は甲子園大会に初出場した。1回戦(8月10日)は鎮西(熊本)を7-0で下し、初勝利。2回戦(8月16日)は海星(長崎)に1-3で敗れたが、貴重な体験だったという。思い知ったのは青森とは違いすぎる暑さ。「10球くらい全力投球したら、ハァハァハァって」。体を冷やしたらいけないということで宿舎ではクーラー禁止。「なかなか寝られなかった」と苦笑しながら話した。

1968年の全国高等学校野球選手権大会は第50回記念大会。当時は北奥羽、西奥羽、東関東、北関東、西関東……など複数の県で代表を争っての出場30校制だったが、この年は記念大会ということで1府県1代表(北海道は2校、東京は1校)の出場48校制となり、三沢高は青森大会を優勝して甲子園初出場を果たした。

「夜行で上野まで行って、で、東京から新幹線。『うわっ、新幹線だ』ってなって『富士山が見えたぁ』とか、最初はそんなんでしたね。新幹線の中は当然、クーラーが効いていたんだけど、新大阪に着いて、ドアがバーッと開いて、1歩出たら、モワーってなってねぇ。宿舎は(兵庫県)宝塚で、その近くのグラウンドで練習したんですけど、10球ぐらい全力投球したら、もうハァハァ言って、こんなんで試合で投げられるのかなぁと思うくらい暑かったですね」

まずは暑さとの戦いで、それは宿舎でも続いたという。「あの頃は体を冷やしたらいけないからってことでね、部屋にクーラーがついているのに、使えなかった。夜も暑くて、なかなか寝られなくてねぇ。夜中にこっそり風呂場に行って、水をかぶったりとかもしていましたよ」。それでも初の聖地に気持ちは高ぶった。2年生だった太田氏は、青森大会まで背番号11をつけていたが、甲子園大会から背番号1になった。

「宿舎で背番号を渡されて『今日から太田が1番をつけろ』って言われて。(それまで1番だった)先輩は投げていなかったけど、申し訳ないなって思ったのと、(大ファンだった阪神投手の)村山(実)さんと同じ11番の方が、俺もいいのに、とか思いながら……。嬉しいやら、複雑な気持ちでしたね。まぁ、それも思い出ですけどね」。

マウンド上で膝はガクガク、口は乾くし…
 
夢の甲子園では舞い上がったという。「初めて甲子園のツタを見た時は『おおお!』ってなりましたしね。で、足を踏み入れたらね、青森大会では石ジャリジャリのグラウンドだったのが、サクサク、芝生はシュルシュル。『うわーっ、これが甲子園かぁ』って、もう見るもの、聞くもの何でも『うわ、やっぱり!』でしたよ」。その状況で1回戦の鎮西戦にも挑んだそうだ。

「それまで青森県以外のチームとは練習試合もしたことがなかったですからね。全国レベルというのは、どんなものなのか。ピッチャーとしての自分の力も全国レベルではどのくらいなのか、何もわかっていなかったですから。今でも思い出しますよ。甲子園のマウンドで膝がガクガク、ガクガク。もう緊張しちゃって、口は乾くし……。ホントにもう、とても試合をするような感じじゃなかったんですよ」

にもかかわらず、結果は1安打完封の7-0だった。「ムチャクチャ緊張していたんですけど、ボールを投げたらグワーンって、いい球がいったんですよ。だから2パターンあるんじゃないかと思います。もう舞い上がって全然駄目なタイプと、火事場の馬鹿力じゃないけど、力以上のものが出るタイプがね。僕はあの時、運良く、力が出る方へ行ったんでしょうね。”あれ? これ、いけるな”って感じでね。味方も地方大会でも7点なんて取ったことなかったのに、どうなっているの、みたいな、そんな試合でしたね」。

途中からナイター照明もついた第4試合だったのもよかった。「もうギンギンの太陽はないし、ちょっとは涼しいというか、まだマシだったんでね。1安打完封でしたけど、その1安打もどん詰まりのセカンドゴロで、イレギュラーかなんかしたのか知らないけど、先輩(二塁手)の宮崎さんがトンネル。普通トンネルだったらエラーですけどね(笑)。後に冗談で『宮崎さん、あれエラーでしょ、エラーだったら俺、ノーヒットノーランだったよ』なんて言ったりもしましたよ」。

この快投で太田氏はさらに注目されるようになった。「取材とかも何か増えてきた感じで……」。まだ、この時は女性ファン大熱狂の「コーちゃんフィーバー」こそ起きていなかったものの、甘いマスクの快速球右腕として高校野球ファンには認知されはじめた。だが2回戦は海星に1-3で敗退。「あれは第3試合かな、あの時は暑くてもう投げる前からフーフー言っていたら初回にホームランを打たれた。でも(6安打完投で)ガンガンに打たれたわけではなかったですけどね」。

初の聖地は2回戦敗退で終わったが、収穫も多かったという。「まぁまぁ全国レベルに投げられるな、というある程度の自信を得て“よし、これで3年生になったら……みたいな“お土産”を持って地元に帰りました。でもそれも、初戦で舞い上がったままバラバラになっていたら次もなかったかもしれない。だから振り返ったらポイント、ポイントでいい方へ、いい方へ、何か流れていったなって感じでしたね」。この夏が序章。太田氏の「甲子園ドラマ」はこうして幕を開けた。
2026/02/15(日) 22時32分26秒 No.2299 編集 削除