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宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
📝高校野球鳥取大会は7月11日開幕 熱中症対策で、1日2試合に
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a1cd8077fc44829d8c4822cb639772247f5f6be

鳥取県高校野球連盟は13日、鳥取市内で総会を開き、2026年度の大会日程などを決めた。夏の甲子園出場をかけた第108回全国高校野球選手権鳥取大会は7月11日に開幕し、決勝は26日の予定。猛暑による熱中症対策のため、原則として1日2試合とする。

選手権鳥取大会の会場は、鳥取市のヤマタスポーツパーク野球場。組み合わせ抽選会は6月19日に予定している。

大会初日と決勝を除き、1日2試合とする。県高野連によると、昨夏の選手権鳥取大会では、第3試合で熱中症を訴えるケースが目立ったといい、この点を考慮した。第3試合は第2試合終了までの待ち時間が長くなりがちなこと、午後になっても気温があまり下がらない日が多かったことなどが原因として考えられるという。

■鳥取城北の元主将を表彰

総会に先立ち、今年度の日本学生野球協会優秀選手表彰・鳥取県代表に選ばれた鳥取城北の元主将、平山暖也さん(3年)の表彰式があった。

鳥取城北は昨夏の甲子園で、1回戦で仙台育英(宮城)に敗れたが、平山さんは主将、捕手としてチームを引っ張った。表彰後、「負けてしまったが、みんなで甲子園に行けたのが良かった」と話した。卒業後は佛教大学(京都府)に進み、野球を続けるという。

総会終了後、長年にわたって高校野球に功績があった3氏に対する功労者表彰式もあった。表彰されたのは、岩美高校教諭の三田寛さん、倉吉農業高校講師の涌嶋大希さん、県高野連審判委員の平田琢さん。

2026年度の主な大会日程(カッコ内は開催地)

【硬式】

春季県大会 4月18~20、25、26、29日(米子市・倉吉市)
春季中国地区大会 5月30日~6月2日(島根県出雲市)
山陰大会 6月6、7日(鳥取市)
全国選手権鳥取大会 7月11~26日(鳥取市)
秋季県大会 9月19~21、23、26、27日(米子市・倉吉市)
秋季中国地区大会 10月23~25、31日、11月1日(米子市・鳥取市)

【軟式】

春季県大会 4月18、19、25日(鳥取市)
春季中国地区大会 5月23~26日(広島県)
全国選手権鳥取大会 7月11、12、18、19日(米子市)
全国選手権東中国大会 8月1、2日(島根県浜田市)
秋季県大会 10月10、11、17、18日(鳥取市)
秋季中国大会 10月31日~11月3日(山口県柳井市)

🔥<一球一瞬・センバツ近江>第1部 強さに迫る/中 教え、実戦通じて浸透
https://news.yahoo.co.jp/articles/3941c0b9734144e325b4afa8112d14a1f1fe5ac9

昨夏の県大会準決勝で敗れた近江の小森博之監督(42)は「自分のやってきたことは間違っていた」と自覚した。一方、選手たちも昨春から指揮を執り始めた小森監督の指導に戸惑うこともあった。

監督交代後の新体制初日から小森監督の厳しい叱咤の声が響いた。ノックでミスを繰り返すと練習から外された。選手たちは試されているような感覚になったという。「コーチの時とは全く別人になっている」と感じる選手もいた。就任前は、指導は熱心だったが寄り添ってくれる優しいコーチだったからだ。

ミーティングの回数も増えたが、小森監督の伝えたいことが浸透する雰囲気とはほど遠かった。「監督についていけないかもしれない」と漏らす選手もいた。
監督と選手の関係がぎこちないまま新チームが発足した。そんな状況を変えたのは「実戦」だった。昨年7月26日の始動から9月13日の秋季県大会初戦まで練習試合が24試合組まれた。

試合とミーティングを繰り返していくうちに選手たちは小森監督の教えを次第に理解していった。特に選手たちが大切にしていると口をそろえるのが、小森監督のこの言葉だ。「監督だけが活を入れているチームは弱い。選手間で活を入れられるチームが本当に強くて勝てるチームだ」。選手たちは互いに言葉を掛け合い、徐々にまとまり始めた。

それでも秋季県大会の初戦を迎えた時、主将の杉本将吾(2年)は「このチームで勝つことができるのか」とまだ不安だった。相手は24年11月に行われた1年生大会の決勝で4―5で負けた彦根総合だった。心配は無用だった。4―0の快勝。主導権を譲らなかった試合はスローガンにもある「一球一瞬」の精神で、一球ごとに集中できた証しだった。

吉田大翼(同)は思った。「今までやってきたことは間違いじゃなかった。監督について行ったら、甲子園でも勝てるチームになる」。チームは一体となっていた。

💢日大三野球部が活動休止「期限は定めていない」春季大会は4月…学校は「さまざまな案件を考えている」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f34b580eb2b631a288becf0430b261d90b43a88

日大三は(東京)は13日、野球部の活動を無期限の活動休止とした。
女子生徒にわいせつ動画を送らせ拡散したなどとして、12日に児童買春・ポルノ禁止法違反(製造や提供)の疑いで、17歳と16歳の男子部員2人が書類送検されていた。
野球部は12日に練習を見合わせていた。学校は協議の末、活動休止を決定。「期限は定めていない」と回答した。

学校は一連の事案について、昨年11月7日に東京都高野連に報告した。同連盟に対して報告書は提出されておらず、同校は「なるべく早く提出したいと思っています」。直近の公式戦は4月に春季大会が控えており、学校は今後の動きについて「さまざまな案件を考えています」とした。

捜査関係者によると、17歳の部員の書類送検容疑は昨年3~6月ごろ、知人の当時15歳の女子生徒に、わいせつな画像や動画を3回にわたり交流サイト(SNS)で送らせ児童ポルノを製造し、動画1点を16歳の部員に提供した疑い。受け取った16歳の部員は同5~10月ごろ、他の複数の部員に動画を送信して提供した疑い。2人は「やってはいけないことをやってしまった」、「軽率な行動だったと深く反省している」などと容疑を認めている。

日大三は春夏で計3度の甲子園優勝を誇る西東京屈指の名門。昨夏の甲子園では準優勝したが、都大会前から部内で動画が拡散されていたことになる。秋季東京都大会では準々決勝で帝京に0―3で敗れ、今春の選抜出場を逃していた。

☟名門・日大三の“わいせつ動画”問題 他校の監督も衝撃…「スマホを使った不祥事は増えていく」「警察の動きがかなり早い」
https://news.yahoo.co.jp/articles/794a9e966260a2b0bb15049816543e99acd34e47?page=1

高校野球界に衝撃が走った。警視庁は2月12日、日大三の野球部員2人が女子生徒にわいせつな動画を送らせ、それを拡散したとして児童買春・児童ポルノ禁止法違反の疑いで書類送検したことが明らかとなったのだ。日大三は春1回、夏2回の甲子園優勝を誇る全国屈指の強豪校。前任の小倉全由監督は、昨年までU18侍ジャパンの監督を務めた名将として知られる。2023年3月に小倉監督が退任した後も昨年夏の甲子園で準優勝を果たすなど、その強さを示していただけに、今回のニュースに驚いた関係者が多かった。

同様の不祥事が増える可能性も
 
日大三と対戦経験のある高校の監督は、こう話している。「日大三は小倉監督時代から生活面までしっかり指導しているチームだと認識していましたが……。引き継いだ三木有造監督は、長年小倉監督の下でコーチや部長を務めていた。その方針は変わらず、結果も出ていただけに驚きました」(関東地区の高校野球部の監督)

過去、日大三の野球部の不祥事は見当たらない。また、日大三はスポーツクラスであっても学業成績が優秀でないと入学できないと言われている。進学実績を見ても、野球部から東京六大学をはじめ有名大学に進む生徒が多く、「名門中の名門」で起こった不祥事ということもあって、世間に与えた衝撃は大きい。前出の監督は、同様の不祥事が増えていくのではないかと見ている。

「以前は携帯電話やスマートフォンの使用を禁止しているチームが多かったですが、最近はそれらが生活必需品となっていますので、『全く使うな』と禁止するのは無理があります。生徒同士でどんなやり取りが行われているか、全て把握するのは不可能です。一歩間違えば、昨年プロ野球界で問題になったオンラインカジノみたいなことも起こりますよね。今回の日大三の件は、報道されていることが本当ならば許されることではありません。今後は、このように目に見えないところで起こるスマートフォンを使った不祥事が増える可能性も高いです。ネットのリテラシーなどをしっかり教育していく必要があるのではないでしょうか」

2019年9月、複数の部員が問題行動を起こしたため、早稲田実業は秋の東京大会を辞退した。問題行動の詳細は、関係者への配慮や人権を考慮して公表されなかったものの、今回の日大三と同様にわいせつな動画が拡散されたとの報道があった。早稲田実業も日大三と並ぶ名門校。そんなチームで相次いで不祥事が起こっていることも、時代を象徴していると言えるだろう。

警察の動きが早かった理由
 
一方、日大三の不祥事については、別の側面でも高校野球の関係者に衝撃を与えたという。それは学校や高野連の処分ではなく、警視庁による書類送検が先に報じられた点だ。これまでの報道によると、昨年10月に被害女子生徒の家族から警察に相談があったが、日大三から東京都高野連に連絡があったのは翌月だという。被害者側の相談が早かったとはいえ、高野連の発表前に警察が動く事例は非常に珍しい。過去にチーム内での不祥事を経験したある高校の指導者は、以下のように話す。

「昨年夏、広陵の部内暴力が世間を騒がせたことも大きいのではないでしょうか。あれだけの騒動になると、なかなか事態が収拾せず、学校と警察の対応が後手に回ったと非難を浴びることになります。日大三の問題は、(被害者が女子生徒で)野球部内にとどまらないこともありますが、警察が校内での不祥事に対応する際も、かなり動きが早い。最近は高校生や中学生のいじめ、暴力の動画がSNSで拡散されて、それがきっかけで問題が発覚することが増えています。このため、警察の対応が早くなっているのかもしれません。本来、不祥事があった場合、高野連が全て対応して処分を決めるのはおかしなことで、警察が先に動くことが本来あるべき対応になってきたと思います。抑止力も働くのではないでしょうか」

昨夏の甲子園大会中に広陵の暴力問題で日本高野連が会見を開いた際には、年間で報告のある不祥事の件数は1000件以上とのコメントもあった。今回のように表に出にくい不祥事が明るみになっていくと対応はさらに困難になる。また、警察が介入するような事態が増えることは、教育の場として望ましくないのは確かだろう。

昨年の広陵、そして今回の日大三の問題をきっかけに、高野連と加盟校が連携して不祥事を未然に防ぐような体制を構築していくことができるだろうか。

📝ナインも両親も「ボロボロ泣いた」 ベンチで“絶望”…列島感動の伝説試合よりも残る思い
https://news.yahoo.co.jp/articles/bdc2e314412900fe47cd2710359e3dc443c7b52a?page=1

元近鉄・太田氏が語る「高校野球人生の最高の思い出」

青森・三沢高時代に「コーちゃんフィーバー」を巻き起こした元近鉄右腕の太田幸司氏(野球評論家)と言えば、1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長18回0-0引き分け再試合の熱投が有名だ。翌日の試合に敗れて惜しくも準優勝に終わったが、当時は日本中から注目された。ただ、太田氏にとって「高校野球人生の最高の思い出」はその試合ではなかった。それより1年前、初めて甲子園切符をつかんだ1968年夏の青森大会決勝・八戸工戦だという。

学校名が大三沢から三沢に改称された1968年、2年生になった太田氏は明らかに進化していた。背番号11のエースは春の青森大会、準々決勝・大湊戦、準決勝・弘前実戦をいずれも2-0で零封勝利。打者の手元でホップするストレート一本槍の投球で打者を牛耳った。決勝は八戸工と延長12回の激闘の末、1-3で敗れたものの、実力を存分に見せつけて、県内屈指の右腕と評されるようになった。

「春の決勝は雨の中ですわ。最後(延長12回表)はファーストの菊池がポロッと落として点を取られて、みんなが『メガネにワイパー付けろよ』とか言ったり、そんなノリでしたね。負けましたけど、僕ら2年生中心のチームで決勝まで行って、それでもう満足するぐらいだったんです。でも、その後の(田辺)監督のひと言で人生が変わるんですよ。『お前ら、甲子園にまた一歩近づいたな』と言われてね」

最初、その言葉を聞いた時は「“監督は何を言っているんだ”と思った」という。「そしたら『今年の夏は50回の記念大会だ。(今回は)決勝で負けたやろ。あとひとつ勝ったら甲子園に行けるぞ』って。その時は青森と岩手での北奥羽大会で甲子園を争っていたんだけど、記念大会は1県1校。今までいくら頑張っても夢のまた夢だった甲子園が、本当に現実として手が届く。『あとひと踏ん張りだ』ってね」。

太田氏をはじめ、三沢ナインの目の色がそこから変わったそうだ。「もしかしたら、その春から夏にかけてが、高校生活の中で一番夢を持って、希望を持って練習した時期かもしれない。それまで口では甲子園を目指すとか言っていたけど、実際に行けるとは思っていなかったし、あれはテレビで見るところだ、くらいに考えていた。それがひょっとしたらって。そう考えられただけで違ったんですよ」。

チームとして自信を付け始めた時に50回記念大会が開催されるというタイミングもよかった。「そうなんですよね。それもまた巡り合わせというかねぇ」と太田氏は感慨深げに話す。実際、三沢の躍進は続いた。夏の青森大会、初戦となった2回戦の相手は、前年(1967年)秋の青森大会準決勝で敗れた鯵ヶ沢だったが、3-1でリベンジ勝利。勢いも加速して、3回戦・黒石を6-1、準々決勝は弘前実を6-0で撃破した。

決勝戦でリード奪われ「ホントに終わったな」
 
準決勝の五所川原農林は1-0。三沢は初回に1点を先制。それを太田氏が守り切った。被安打2、奪三振14での完封劇だった。そして迎えた決勝戦。相手は春の青森大会決勝と同じ八戸工だった。「両方がシードで、大会前から決勝は春の再現もあるんじゃないかって言われていて、その通りになったんですけどね」。試合は苦しい展開となった。0-0の7回裏、八戸工にエラー絡みで2点を先行された。

「あの時のことは今でも思い出しますよ。2点取られてウワーってなって。“ああ、甲子園が終わった”と思って、うなだれてねぇ。ベンチに戻る時も遠く感じて……。もうホントに終わったなって感じだったんです」。それが終わらなかった。三沢は直後の8回表に2点を奪い返した。「今度は向こうのエラー。一、二塁でライト前ヒット、前に守っていたライトがライトゴロを狙ってファーストへ大暴投し、ボールがバックネットまで転がる間に2人が還ってきたんです」。

これには太田氏も小躍りした。「(8回裏の)マウンドに行く時はスキップ踏んで『よっしゃあ!』とか言って、気合がブワーと入った」という。「それで延長10回表に1点とった。これは今でも覚えていますわ。(10回裏)最後の打球はショートゴロ。ポン、ポン、ポンと高いバウンドで、ちょっとイレギュラーしたのを(ショートの)八重沢が捕って投げて……。みんなで『甲子園だあ!』って」。

まさに感動の瞬間だった。「野球はその後も長いことさせてもらいました。悔しいこと、嬉しいこと、たくさんありましたけど、野球をやっていて泣いたのは、その時が最初で最後。ベンチの上では両親も含めて、みんなボロボロ泣いていてねぇ……。今、あの時の話をしていても、なんかウルウルしてきますもんね」と太田氏は話し、さらにこう続けた。

「僕に関しては、どうしても(1969年夏、延長18回0-0引き分け再試合の)あの甲子園決勝が話題になるけど、高校での野球人生の中では(1968年、2年生時の青森大会夏の決勝戦の)あの時がもう最高。それほど、甲子園って行けるところじゃないって思っていたんでねぇ」

1968年夏に初出場を果たした三沢は、そこから3期連続で甲子園に出場する。「2年生7人のあのチームで、夏の暑い甲子園も経験できたし、いろんなこともね。それが、最後の(1969年)夏につながっているというか……。もし2年の夏に出られなくて、3年の最後の夏がいきなり甲子園初出場だったら、(松山商との決勝での)あんなことも起きていなかったと思います」。そう言って太田氏はうなずいた。
2026/02/14(土) 22時16分04秒 No.2298 編集 削除