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宏鈴法師(管理人) MAIL URL

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✌センバツ2026 今年も金さんのくす玉 東洋大姫路、手作りで出場祝う
https://news.yahoo.co.jp/articles/7e7d1599f0b7108a1bdcc332de2fd78bab47acee

第98回選抜高校野球大会の出場が決まった1月30日、東洋大姫路のグラウンドでは今年も巨大なくす玉が割られ、お祝いムードを盛り上げた。野球部の「ファン代表」としてチームを鼓舞する建設業、金徳諸(キムドクジェ)さん(75)=同市=が手作りした。

金さんがセンバツ決定時にくす玉割りを始めたのは2000年の第72回大会から。当初のくす玉はレンタル品だったが、「もっと立派なものにしよう」と22年の第94回大会出場時に、直径約1メートルの玉は骨組みに鉄筋や金網を使って自作した。くす玉を披露するのは今回で2年連続3回目になる。垂れ幕にはセンバツ出場回数「10」や春・夏・春の「3季連続」の文字をあしらった。

金さんと東洋大姫路野球部との出会いは50年以上前だ。近くに住む選手がいたことから阪神甲子園球場まで応援に行って以来、堅い守りと果敢な走塁で競り勝つ「東洋の野球」にほれ込んだ。練習を見に学校のグラウンドに頻繁に通い、試合の応援にも足を運んできた。1977年夏に全国制覇を果たした梅谷馨監督(故人)らチーム関係者やグラウンドに集まるファンたちと親交を深め、自然と「ファンクラブ」のとりまとめ役になった。

現チームについて、金さんは「チームワークの良さが受け継がれている。練習中からもっと声を出して、元気いっぱいに甲子園球場を走り回ってほしい」と期待を寄せる。

📝どこよりも早い26年センバツ予想! 日刊ゲンダイと専門家が占う優勝候補、対抗、大穴
https://www.nikkan-gendai.com/?p=news_detail&id=383585&page=1

第98回センバツ高校野球の選考委員会が30日、大阪市内で行われ、出場32校が決定した。

昨秋の明治神宮大会を制した九州国際大付(福岡)、準優勝の神戸国際大付(兵庫)は順当に選ばれた。注目された関東・東京地区の6枠目に滑り込んだのは、前回大会覇者の横浜(神奈川)。今秋ドラフト1位候補の154キロ右腕・織田翔希(2年)を擁する高い投手力が評価された。

今大会から新たにDH制が採用される。選手の出場機会の増加などメリットが大きいといわれるが、新ルールへの対応を含め、高校野球に詳しい専門家2氏と日刊ゲンダイが優勝校を予想した。

高校野球雑誌「ホームラン」の元編集長・戸田道男氏は「関東大会優勝校の山梨学院(山梨)が頭ひとつ抜けています」とこう続ける。

「最速152キロ右腕で、高校通算33本塁打の『二刀流』菰田陽生(2年)を軸としたスケールの大きなチーム。甲子園で準決勝まで勝ち上がった昨夏から新チームへの流れが最もスムーズでした。今大会からDH制が導入されるが、ドジャースの大谷翔平のように、菰田が先発して降板後もDHとして試合に残ることができるのは大きなメリットです」

アマチュア野球に詳しいスポーツライターの美山和也氏も「本命は山梨学院」とこう言った。

「投手陣を支えているのは左腕・檜垣瑠輝斗(2年)。昨夏の甲子園でも4試合に登板していて、変化球の低めへの精度が抜群。菰田は打者としても昨秋の関東大会では12打数7安打7打点、打率.583と打ちまくった。投打の層が厚く、5年連続センバツ出場の安定感はダテではありません」

本紙は智弁学園(奈良)を推す。関西の球界関係者がこう明かす。

「昨年秋の近畿大会で準優勝。最速149キロのエース杉本真滉(2年)はプロ注目左腕。スライダーのキレが抜群で、1年夏の甲子園準々決勝の京都国際(京都)戦に先発して3回途中無失点に封じた。他にも145キロ右腕の水口亮明(2年)も控えていて投手力が高い」

戸田氏は対抗として大阪桐蔭(大阪)を挙げた。

「MAX153キロ右腕のエース吉岡貫介(2年)が万全なら強い。川本晴大(1年)は192センチの大型左腕。打線も強力で、大阪桐蔭らしい分厚い戦力を誇ります」

美山氏は「明治神宮大会枠」に滑り込んだ昨夏甲子園優勝の沖縄尚学(沖縄)を挙げた。

「昨夏Vの原動力となった左腕エースの末吉良丞(2年)と右腕の新垣有絃(2年)の二枚看板が残っているのは大きい」

花巻東(岩手)も侮れないという。「4季連続甲子園出場となる古城大翔主将(2年)を筆頭に、昨夏の甲子園を経験しているエース萬谷堅心、赤間史弥(ともに2年)の3人衆を中心に、今チームは総合力が高い」(戸田氏)

大穴はどこか。「プロ注目右腕の木下瑛二(2年)擁する高川学園(山口)は自力がある。木下は打者としても昨秋公式戦の打率.414。各校がDH制をどう使うか頭を悩ませているところ、松 本祐一郎監督は『DHを使わないことも作戦になる』と言った。高川学園に勢いを感じます」とは美山氏だ。

📝甲子園Vから底へ…ドラ1候補の苦悩「落ちるところまで…」狂った制球 再生に導いた「原点」――沖縄尚学・末吉良丞
https://news.yahoo.co.jp/articles/2437f6282d369ebb87af953a6d07f308a4ad6ef2?page=1

センバツ“復活当選”した沖縄尚学 末吉は制球に乱れ、県大会決勝で登板せず

甲子園を制した剛腕が、聖地に戻ってくる――。第98回選抜高校野球大会に出場する32校を決める選考委員会が1月30日に開かれ、昨夏の第107回全国高校野球選手権で初優勝を飾った沖縄尚学が九州地区から2年連続で選出された。夏の頂点をけん引したエースの末吉良丞は、まだ2年生。夏春連覇への挑戦権を手にし、再び甲子園のマウンドに立つ。ただ、その歩みは決して平坦ではなかった。全国制覇後の秋から冬にかけて調子を崩し、本人は「自分のフォームを見失っていた」と率直に振り返る。それでも年明けから復調の兆しを見せているという。苦悩の正体と再生のきっかけは何だったのか。

「…4校目に熊本県立熊本工業高校、5校目に沖縄尚学高校」

沖縄尚学の5階講堂。九州地区の最終枠で校名が読み上げられると、発表を見守っていた学校関係者や保護者から歓声と拍手が沸いた。対照的に、整然と並べられたパイプ椅子に座った選手、コーチたちは固い表情のまま。「やっぱり(九州大会で)負けてしまったので、半分半分くらいの気持ちで選考会を見ていました。選ばれてうれしかったんですけど、そこまで期待していなかった部分もあったので、衝撃は少なかったと思います」。発表後、報道陣の囲み取材を受けた末吉は淡々と振り返った。

末吉の言葉にあったように、沖縄尚学は昨秋の九州地区大会でベスト8止まり。一度はセンバツへの道が閉ざされたかに見えたが、九州王者の九州国際大付(福岡)が明治神宮大会で優勝したことで、九州地区のセンバツ出場枠が4から5に増加。昨夏の甲子園で躍動した末吉と新垣有絋(2年)のダブルエースを中心とした投手力が高く評価され、5枠目に滑り込んだ。

他力を必要とした選出が、チームの控えめなリアクションにつながった部分はあるだろう。一躍優勝候補に挙げられるほどの力を持ちながら、九州地区大会を勝ち上がれなかった要因のひとつは、末吉の不調だった。
昨年8月、末吉は甲子園の中心にいた。決勝までの6試合で34イニングを投げ、39奪三振で防御率は1.06。最速150キロの直球と切れ味鋭いスライダーを武器に、全国の強打者を次々と打ち取っていった。翌月に地元・沖縄で開催されたU-18W杯では2年生でただひとり選出され、決勝の米国戦では先発を任された。

ただ、順風満帆だった状況は一転する。自身が「U-18W杯が終わってからフォームを見失ってしまい、調子が落ちていく期間がありました」と振り返る通り、秋に大きな壁にぶつかった。制球が狂い、スピードも思うように上がらない。優勝した県秋季大会は準決勝のエナジックスポーツ戦で7回2失点と粘投したものの、6四死球を記録。翌日にあったウェルネス沖縄との決勝は登板せず、その後の九州地区大会も2試合で4イニングのみの投球にとどまった。

疲労と周囲の期待で「空回り」…等身大を受け入れる

比嘉公也監督が「疲れがかなり残っているという印象は、U-18W杯の後から強く感じていました」と言う通り、不調に陥った最大の要因は疲労だった。

約1か月半という短期間で、甲子園とU-18W杯という大舞台で9試合に登板。U-18W杯は9月14日に閉幕し、秋季県大会は9月20日に開幕した。わずかな休息を挟んだが、ここまでタイトな日程では身体のダメージを抜くことは難しい。無意識のうちに肘が下がり、フォームが崩れていった。
メンタル面でも苦しんだ。2年生ながら次回のドラフト1位候補とされ、自然と周囲の期待は膨らむ。県大会や九州大会にも多くの観衆が詰め掛け、自身もそれに応えようとする。年明けに取材をした際、末吉は当時の心境をこう振り返っていた。

「疲労が溜まった中で自分にできることは限られていたと思いますが、それでも『ベストパフォーマンスを出そう、出そう』としていました。まわりからの期待もある中、自分にできる以上のことをやろうとして、空回りしていた感じです。気負い過ぎて、心と頭の整理がついていなかったと思います」

1999年のセンバツでエースとして沖縄尚学を初優勝に導いた比嘉監督は、トップ選手だからこその苦悩が手に取るように分かるのだろう。「常に見られている環境では、疲労は抜けにくいですよね。かわいそうだなとも思いますが、慣れていくしかない。応援され、見られる中でそれを力に変えていく考え方が必要です」と、温かくも厳しい眼差しで見守る。

冬はまず疲労回復を優先し、ボールを投げるよりもウエイトトレーニング中心の練習メニューを課したという。時間の経過と共に、徐々に自身と冷静に向き合えるようになっていった末吉。「冬に落ちるところまで落ちたので、できる範囲をより理解することができました。割り切ったことで、少しずつ状態が上がっていきました」。無理に背伸びはしない。底を知り、等身大の自分を受け入れたことで、前向きさを少しずつ取り戻していった。

心が回復し始めた頃、今度は一度崩れたフォームを立て直す転機が訪れる。昨年末のことだ。チームの練習納めは12月27日。その翌日には、弟が所属する少年野球チームが年内最後の練習を行った。自身もかつて在籍したチームだ。親に「手伝いに来て」と言われて久しぶりに顔を出すと、お世話になった監督がいた。やり取りの中で、「その監督にずっと言われていたテイクバックの使い方をふと思い出したんです」と振り返る。

「グラブからボールが離れた後、体のラインに沿って腕をたたみ、上に引く」。それが、少年時代に繰り返し指導されたフォームだった。

原点に立ち返って実践すると、ボールが指にかかる感覚が復活し、スピードも戻ってきた。「本当にたまたま」つかんだという再生への糸口を体に刻み、年明けから調子を取り戻していった。捕手の山川大雅主将(2年)も「年が明けてから、ボールの勢いがさらに強くなったように感じています」と好感触を語る。

苦しい時期でも、再浮上を信じてコツコツと積み重ねた体づくりも実を結びつつある。パンパンに張った太ももが象徴するように、土台はがっしりとしている中、上半身と下半身を7:3の割合で鍛えてバランス良く強化。昨夏時点で95キロが最高だったベンチプレスは105キロまで上がるように。今夏には平均球速を140キロ台後半から150キロまで上げることを目標にする。心身のコンディションが上向いてきた影響だろう。センバツ出場が決まった直後の言葉には、力があった。

「夏春連覇をできるのは自分たちだけなので、出るからには優勝を目標に全員でやっていきたいです。夏に優勝して追われる立場だとは思いますが、今は新しいチームになっています。そこはあまり意識せず、もう一度挑戦者という気持ちで1試合1試合に臨みたいです」

一度立ち止まったからこそ、見つめ直すことができた自身の原点。世代トップ級の選手とはいえ、まだ成熟の途上にある17歳にとっては次のステージに進むために必要な時間だったに違いない。自身3度目の甲子園となるセンバツでの投球で、それを証明してくれるはずだ。

📝“高市早苗首相の母校”が挑む「甲子園で1勝」への道…偏差値68の進学校が智弁学園をコールド撃破? フツーの公立校でも勝てる「番狂わせの方程式」
https://news.yahoo.co.jp/articles/eb4e6297e951f26d1ce21ecd74e68854d183df1c?page=1

高市早苗首相の母校としても知られる奈良県立畝傍高校。例年、京大・神大をはじめとした難関国立大に合格者を出す名門校だが、昨季は県大会で春に王者・智弁学園を倒すジャイアントキリングを見せると、夏にはベスト8まで食い込む活躍を見せた。普通の公立校の躍進のウラにはどんな理由があったのだろうか。

そのことを聞かれると、つい困惑してしまう。嬉々として話すのはおかしいし、だからといってつっけんどんに返すと相手に申し訳ないとも思う。笑みを湛えながら「そうですねぇ」と、お茶を濁すしかないのが実情と言えるだろう。校外の人間から興味を向けられることへのリアクションについては、畝傍高校で野球部の監督を務める雀部尚也も同じだ。

「練習試合をすると相手の監督さんによく聞かれるようになりましたね。それまでは一切、話題に上がりませんでしたから。うちの卒業生に日本を動かすような仕事をしている方がいる、ということについては『よかったな』と」

昨年の10月に女性初の総理大臣となった高市早苗は、畝傍の卒業生である。学校創立は1896年。今年でちょうど130周年を迎える伝統校は、奈良高校、郡山高校と並ぶ進学校として県内で名高い。
高市の出身である神戸大学をはじめ京都大学、大阪大学といった難関国公立や、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学の、いわゆる「関関同立」をはじめとする有力私立への進学実績が明るい。野球部にしても選手のほとんどが国公立大を目指しており、平日は多くの部員が放課後の補習を受けてから練習を行い、下校してからも塾に通う。それが彼らの日常なのだ。

硬式経験者は「例年2、3人」…でも県下の強豪に
 
高校野球における公立校は、現代の少子化も相まって部員数の減少に直面する。そんななか、畝傍は毎年15人前後の生徒が野球部に入部するという。雀部は「中学生が減っているなかで、勉強と野球の両立を選んで来てくれるのはありがたい」と頭を下げる。

中学で硬式チームでのプレー経験のある選手は例年2、3人だと言い、ほとんどが学校の野球部出身者。そのなかでも、地域の選抜チームに選ばれたような実力者が畝傍に入るそうだ。彼らは雀部の言う文武両道を志し、野球部での研鑽も求める。主将の日比克もそのひとりだ。3歳上の姉が畝傍の吹奏楽部にいたこともあり、中学時代に何度か高校の試合を観戦したことがあった。それがきっかけで興味が湧き始めていたところ、選抜チームでともにプレーしていた高岸彰良から誘われたことで心が固まったという。

「奈良で強豪って、智弁(学園)と天理って言われてるじゃないですか。小学校の時は公立校ってどんなところがあるのかわからなかったんですけど、お姉ちゃんがいたことで試合を観に行ったら『実力があるんだな』って思って。ライバルだった高岸君にも誘ってもらえたんで『私立に勝って甲子園に行きたい』って想いが生まれました」

日比が志を抱いた通り、畝傍は進学校ながら定期的に県で上位に進出する。甲子園出場こそないものの、2007年にセンバツ21世紀枠の近畿推薦校となり、20年にも奈良県の推薦を受けたように県内では実力校のひとつだ。今年3年生となる代は、26人いる部員のうち約半数が硬式出身者。多くが下級生から公式戦に出場しており経験値が高い。彼らは、雀部が野球部の監督となった24年に入学した、いわば1期生ということになる。そのチームが昨年に強烈なインパクトを放つわけだが、実現には前段があった。

チームの転機となった「予想外の敗戦」
 
雀部が監督となった24年は、春は奈良大附属、夏は天理と初戦で強豪私学に敗戦した。新チームが始動した夏休みの後半に打線が湿りがちとなり、不安を残したまま迎えた秋の大会だったが、生駒高校との初戦では2回までに4点を取る好スタートを切った。これがよくなかったと、雀部が振り返る。

「序盤に点が入ったことで、チームが『いける! 』と盛り上がったまではよかったんですけど、そこから攻撃が単調になってしまい、終盤にひっくり返されて負けてしまいました。僕としても監督となって初めての年でしたし、同じ公立校と戦う以上は勝ちたかったこともありましたけど、『試合では一定の気持ちで戦わなアカンな』と痛感させられました」

勝てると思っていた試合で負ける。チームはそこで慢心があったと気付く。気落ちする選手たちを真正面に捉えながら、雀部は監督である自分も戒めるように「今までのことを見直してやっていこう」と告げた。シーズンオフはウエートトレーニングで一から体を鍛えていく。基礎もさることながら、明らかに向上していったのは選手の自覚だった。それぞれが一つひとつのプレーを見直し、先輩、後輩関係なく選手間で意見を交わす。過程を信じ、もう秋のような失敗は繰り返さないのだと、自分たちに言い聞かす。雀部が目を細める。

「上級生を中心に、秋の敗戦はメンタル的にもしんどかったなかで『もう1回やっていこう』と、結果が出るかわからないなかで自分たちを信じて練習してくれました」

そうして報われたのが、昨年の春である。3回戦で強豪の智弁学園を相手に、2回に一挙6点を奪うと4回にも2点を追加した。結果は8-1の7回コールド。ジャイアントキリングを果たしたのである。大金星を通じて雀部が実感したこと。それこそが、秋に猛省した気の持ち方だった。

「序盤に大量点は入りましたけど『向こうは絶対にこのまま終わるわけないんやから、9回までしっかり戦って勝ち切るんや』とベンチで言い続けながら、コールドになる7回も『9回までやるからな』と言いましたし、あの子たちもしっかり戦ってくれました」

気持ちという精神論。野球は最後の1アウトを取られるまでわからない――今では使い古された格言においても、畝傍は柔軟に受け止める。だからこそ、夏も智弁学園戦での勝利がフロックではないと証明できた。

夏の奈良大会は「10年ぶりベスト8」の躍進
 
高田高校との3回戦は、3回までに0-5と劣勢を強いられていた。だが、前年秋に教訓を得たチームは「1点ずつ返していこう」と情勢を冷静に見つめる。4回に2点を返すと、6回には1点、7回には一挙5点を奪って逆転に成功し、10-6で相手を退けたのである。夏は10年ぶりのベスト8。監督就任2年目での躍進に雀部も自信を覗かせる。

「この年はひと冬を越えて迎えた3月以降は、負けていても『ひっくり返せるんじゃないか』という気持ちで試合を見ていられました。それは、データとか分析といった予備知識を持って臨んでいることもそうでしょうけど、あの子たちが自信を持ってプレーできるようになったのが強みになったと思っています」

試合での堂々とした佇まいは、ライバル校にも強く印象付ける。畝傍と並ぶ進学校であり、12回の甲子園出場経験のある郡山を率いる岡野雄基が感嘆の声を漏らす。

「試合での選手たちを見ていると、『やればできる』といった感覚を持ちながらプレーしているんじゃないかと思います。一つひとつの挙動からも選手たちから自信というか、そういった雰囲気を感じます」

チームの目標は…「甲子園で1勝」
 
雀部が監督になってからの畝傍は「甲子園で1勝」の目標を掲げている。

智弁学園と天理。奈良には絶対的な強豪が君臨しており、甲子園への道のりが困難であることは百も承知である。しかし畝傍には、文武両道の強みがある。「夏に奈良で優勝して甲子園」というシナリオはベストだが、「21世紀枠での出場を得るために勝つ」という選択肢もある。

「どうしても夏にフォーカスを当てがちですけど、『そういう出方もあるんだよ』と意識しているところもあります。目標を達成するために戦える力はありますから、甲子園に繋がる大会では『勝つために今からどうしていかなければいかんのか? 』ということは、チームに問いかけていきます」

大願を成就させるためにすべきこと。雀部が困惑するだろうとわかりながらも、あえてぶつけてみる。

――働いて働いて働いて働いて働くつもりで、母校を甲子園へ導く気持ちでしょうか? 

昨年の新語・流行語大賞の年間大賞となった総理大臣の決意表明を引用すると、雀部はやはり「まぁ……まぁね」と苦笑いを見せながら、冷静に切り返す。

「目標をしっかりと見据えたアプローチはあると思うんで。すべてを効率化はできないでしょうけど、甲子園に一歩ずつ近づいていると実感しながらやれたらとは思います」

聞き手に流されない、監督の意思表明。そこには、迷いなき畝傍の甲子園への気持ちがあった。一方で、畝傍は公立校ということもあり、当然グラウンドなどは他の部活と共有だ。強豪私学のように常に思うような練習ができるわけではない。予算の関係で設備面の不備ももちろんある。では、どんな工夫でそんな「逆境」を跳ね返しているのだろうか? 

               <次回へつづく>
2026/02/03(火) 22時24分25秒 No.2284 編集 削除