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宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
📝「豊中ローズ球場」の外野フェンスに広告掲出へ 市、歳入確保へ公共施設活用狙う
https://news.yahoo.co.jp/articles/40b666f75b56b4b96de7aa9c240780f38a35ff0b

大阪府豊中市曽根南町の「豊中ローズ球場」(豊島公園野球場)で、管理運営する市が、外野フェンスやスタンド通路壁面に有料広告を掲出する事業をスタートさせる。公共施設を活用して新たな歳入を確保するのが目的で、同市の体育施設では初めてという。

同球場は昭和43年開設。平成6~8年の改修でスタンドやナイター照明などを備え、この際に公募で「豊中ローズ球場」の愛称がつけられた。令和5年からはグラウンドの芝生の張り替え、ナイター設備やスコアボードのLED化などが行われ、6年12月にリニューアルオープン。「高校野球発祥の地・豊中ミュージアム」も設けられた。全国高校野球選手権大阪大会やプロ野球ウエスタン・リーグの公式戦などに使われている。約1200人収容。

市は安定的な財源確保のため公共施設を有効活用しようと、市の施設の愛称命名権を付与する「ネーミングライツ」事業などを展開しており、今回の広告掲出事業もその流れで行う。
掲出される広告は、外野フェンスのものが縦1メートル、横7メートルでライト側、レフト側にそれぞれ3区画、スタンド通路壁面のものがB0サイズ(縦約1・5メートル、横約1メートル)で8区画設ける。

市は全14区画分の最低基準額を70万2千円(年額、税抜き)に設定。広告掲出事業者(広告代理店)を今月募集し、最高額を提示した応募者を事業者に決定する。
事業者が市の基準に基づいて広告主を募集し、広告物を製作。市の審査などを経て掲出する。掲出期間は今年6月から11年3月までの2年10カ月。

☟高校野球で起こる誹謗中傷…選抜前に異例の表明 高野連&主催者「看過できない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/5f104a5ded722af558f3dd2ab78b61c56281f4a3

「確認された場合には法的措置を含めた毅然とした対応」

公益財団法人日本高等学校野球連盟と株式会社毎日新聞社は31日、第98回選抜高等学校野球大会の開幕を前に、選手や審判、スタッフら大会関係者に対する誹謗中傷や差別的な言動への考え方と対応方針を公式に表明した。3月19日の開幕を控え、前日に出場32校が決定したことを受け、主催者としての姿勢を明確にした。

近年、スポーツ競技大会を巡っては、大会関係者に向けた誹謗中傷や差別的言動が、特にSNS上で拡散される事案が確認されているという。主催者は、こうした行為が名誉や尊厳、人権を傷つけ、心身に深刻な影響を及ぼすもので「決して看過できない」と強調した。

本大会は、日本学生野球憲章に基づき開催される。基本原理として「教育の一環であり、平和で民主的な人類社会の形成者として必要な資質を備えた人間の育成を目的とする」「友情、連帯そしてフェアプレーの精神を理念とする」と定められており、全国の高校球児が日々の鍛錬の成果を発揮し、スポーツマンシップに則って真剣勝負を繰り広げる舞台だと位置付けた。

主催者は、誹謗中傷や差別的な言動を厳に慎むよう求め、確認された場合には法的措置を含めた毅然とした対応を取る方針を示した。すべての人が安心して大会を楽しみ、互いに敬意を持って応援できる環境づくりへの理解と協力を呼びかけている。

☝“金農”の次は高知農業 部員3人…危機乗り越え 農高の躍進続く
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e5616bfa974b011ae280f63a11b779ccc5d88ff

農業実習と練習を両立

「部員ゼロ」を乗り越えつかんだ悲願――。高知県南国市の高知農業高校が30日、第98回選抜高校野球大会(3月19日開幕、甲子園球場)の21世紀枠の出場校に選ばれた。春夏通じて甲子園初出場の同校は、5年前に部員は3人まで減少し、危機的状態だった。農業実習などで部員がそろわない中、練習を工夫し、甲子園常連校と互角に戦うまでに躍進した。選抜出場が決まった瞬間、同校関係者は、歓喜の渦に包まれた。

同校は、常に部員不足という悩みと闘ってきた。創部は1947年だが、4年で活動を休止。再開したのは、52年後の1999年だ。2021年には新入部員数がゼロとなったが、農業高校の魅力発信や、地元球児らを招いた野球教室などで部員増に努めた。連合チームをへて、23年に単独チームとなった。現在部員は21人(マネジャー3人含む)在籍する。

チームの転機は、昨年の秋季県大会の8強入りだ。圧巻だったのは準々決勝、強豪の明徳義塾高校戦。実家がナス農家の栗山典天選手(2年)が適時三塁打で得点すると、エースの山下蒼生投手(同)が1人で投げ切った。延長10回タイブレークの末、2-3と惜敗したが、強豪相手に勝利まであと一歩のところまで追いつめた。

エースの担当は畜産動物
 
エース山下投手は、畜産総合科に在籍する。学校では畜産動物の飼育管理を担当。週3時間、ユニホームから作業着に着替え、畜舎の掃除や餌やりをする。また、プレスハムやベーコンなどの加工食品の製造にも携わる。

チームを指揮するのは食品ビジネス科で教える下坂充洋監督(33)。東京農業大学硬式野球部出身で4年間控え捕手だったが、激戦の東都大学野球リーグで、「野球の奥深さ」「勝負の厳しさ」「一球の怖さ」を学んだ。部員には日々“戦国東都魂”を注入する。

同校は農業実習を重視。練習に部員がそろわないのが日常だ。部員不足をカバーするため、選手たちは複数のポジションを守り、指導者も練習に加わるなどして工夫を凝らす。

「目指していた場所」 へ

初の甲子園出場の切符を手にし、下坂監督は「選んでもらってうれしいという気持ちでいっぱい。生徒がすごくうれしそうなので、私たちもうれしい。勝てるよう、点が取れるよう練習したい」と意気込んだ。
修学旅行先の羽田空港で吉報を知った山下投手は「(甲子園は)目指していた場所。自分の力を発揮できるよう練習する。コーナーをつくピッチングをしたい」と力を込めた。
塩田雅彦校長は「朝早くからや放課後などの実習がある中で、部活動に精いっぱい取り組みながら、夢である甲子園に出場できたことを、全国の農高生に伝えたい」と話した。

👣神戸弘陵・岡本博公監督が退任 オリックス・東晃平らを育成 後任は女子硬式野球部部長の村井雅之氏
https://news.yahoo.co.jp/articles/8cadfc7e1291ebbeed36d123fe25bbfd65e7a2cb

春夏通算5度の甲子園大会出場を誇る神戸弘陵(兵庫)の岡本博公監督(44)が退任することが31日、分かった。同校女子硬式野球部部長の村井雅之氏(35)が後任を務める。きょう1日から新体制がスタートする。

岡本氏は同校から大阪体育大学を経て、13年に母校の監督に就任した。定評ある指導力でこれまでオリックス・東晃平投手(26)や24年ドラフト1位でソフトバンクに入団した村上泰斗投手(18)らを育てた。

昨年の秋季兵庫大会は1回戦で敗退。99年の選抜大会を最後に甲子園から遠ざかっている。今回の交代は、激戦区の兵庫で苦戦が続く現状を打破するための組織改革の一環で、指導体制を刷新して復活を期す狙いがある。岡本氏は今後、総監督として引き続き野球部に携わる。今夏は高校、大学の後輩でもある村井氏とタッグを組む新体制で、悲願の「聖地」帰還を目指す。

☝センバツ高校野球 三重・決定一夜明け 髪刈り、気持ち新た 士気高め練習に汗
https://news.yahoo.co.jp/articles/4c9f5c1048861210e8bc304612891754d274539f

第98回選抜高校野球大会に出場する三重は決定から一夜明けた1月31日、松阪市内のグラウンドで練習に臨んだ。春は8年ぶりの甲子園に向けて、選手たちは気持ちも新たに躍動していた。

ランニングの後、キャッチボールやトス打撃、守備位置に選手が就くシート打撃などを行い、合間には大西新史主将(2年)が「2年生から積極的に動いていこう」と声を掛けるなど、チームの士気を高めていた。大西主将は「いろいろな人からおめでとうと声があり、反響がすごい。守備も打撃もまだまだなので、細かいところの技術をチームとして上げていきたい」と話した。

練習を見ていたコーチ陣からは「みんなの表情が変わって、明るくなった」と指摘があった。秋季東海大会で準優勝し、選抜大会への出場が期待される中、実際に選ばれて意気上がる選手たちの様子を感じ取っていた。
また、出場が決まった1月30日には2年生15人が各自、自分の髪を短く刈ったという。自らも短くした大西主将は「髪の毛を気にせず、練習がしやすい。甲子園に全員で統一感を持っていくことが夢」と笑顔で語った。

📝センバツに出場する名門・崇徳はなぜ甦ったのか グラウンドも、寮も、意識も変えた再建の日々
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa6ea07019f4e0a75bd2fa38d36e99aad970a562?page=1

3年ぶり選抜出場・崇徳高校復活物語(前編)

1976年春。紫紺の優勝旗を手に凱旋し、広島の街を熱狂の渦に巻き込んだ「崇徳」の名が、ついに甲子園の舞台に帰ってくる。
1993年以来、じつに33年ぶりとなる選抜出場。古豪と呼ばれて久しい「眠れる獅子」は、いかにして長き眠りから目覚めたのか。そこには師弟の絆、そして学校とOBが一体となった「ALL(オール)崇徳」の執念があった。

【伝説のOBを監督として招聘】

チームを指揮する藤本誠監督は「OBの悲願でした」と感慨もひとしおだ。

「私の高校時代は1995年の1年夏、1997年の3年夏の広島大会で決勝敗退。2003年から監督をやらせていただき、2006年夏も決勝で負け、秋の中国大会ではことごとくベスト8で敗れました。昨夏の広島大会で19年ぶりに決勝に進みましたが、広陵さんに逆転負けと、あと一歩の状況がずっと続いてきました」

2018年。その「あと一歩」を払拭するために、「伝説のOB」を招聘した。1976年の選抜初出場・初優勝メンバーである應武篤良さんが監督に就任。藤本さんは部長としてチームを支えることになった。
捕手として活躍した應武さんは崇徳から早稲田大へ進み、新日鉄広畑(現・日本製鉄瀬戸内)時代には日本代表の一員として1988年ソウル五輪に出場。現役引退後の1994年から新日鉄君津(現・日本製鉄かずさマジック)を率い、チームを都市対抗の常連チームへと育て上げると、2005年から早大の監督に就任。在任中は斎藤佑樹(元日本ハム)らを擁し、2010年までの12シーズンで6度のリーグ制覇と2度の日本一に導くなど、黄金時代を築いたあと、甲子園から遠ざかる母校再建のため、故郷の広島へと戻った。藤本監督は、應武さんと過ごした濃密な日々を振り返る。

「早稲田大で監督をされていた頃からいろいろとご教授いただいていたのですが、『何で勝てないのか』『おまえがやっていることは"マネージャー"であって、監督の仕事ではない』とボロクソに怒られましたね。本当に勝つことに関しては徹底されていた方でした。実際に一緒にやらせていただくことになり、いろいろと勉強させてもらいました」

【「ALL崇徳」に込められた師の遺志】

藤本監督も捕手出身。亜細亜大時代は背番号2をつけて2年春のリーグ戦からベンチ入りしたが、公式戦に出場することはなかった。

「私はずっと神宮でブルペンキャッチャーでした。4年間、一度も試合に出ることなく、ひたすら投手の球を受け、彼らをどう導くかだけを考えていました」

裏方としてチームを支えたことが、監督業に役立ったことは言うまでもない。そして、部長という一歩引いた立場から應武さんの指導や采配を目の当たりにできたことが、かけがえのない財産となった。

「試合をやっていても『そういう感じで采配するのか』と思うことはよくありました。應武さんは選手の調子の良し悪しをよく見ているんです。ただやみくもに相手のビデオを見て研究するのではなく、まずは自分たちの選手をどう導いていくか。そのうえで、こういうタイプのチームであれば、こういうタイプの投手を先発させるというのが自分のなかにあったんだと思います。『常に一手先を読みながら、その空気感を感じろ』とよく言われていました」

しかし監督就任からほどなくして、應武さんの体を病魔が蝕んでいく。入退院を繰り返しながら、最後の采配となった2021年秋の広島大会は車椅子に座り、酸素吸入をしながらベンチ入りした。

「執念を感じましたね。そこまでして母校を甲子園に連れて行きたいんだという思いを感じました」

秋の大会を終えると、授業後に應武さんを自宅まで迎えに行き、グラウンドまで送り届けた。体調が悪くて外出できない日は、練習後に電話をして選手たちの様子を伝えるなど、絶えず連絡を取り合った。

「練習試合を見ることができない日は、スコアの写真を送って今日はああだった、こうだった、こういう時はどうすべきか、應武さんならどうされますか、といった会話をほぼ毎日していました。最後まで監督としてのイロハを教えてくださいました」

應武さんは翌2022年7月から総監督に退き、藤本監督が後任として復帰。ただ、夏の広島大会は準々決勝で敗れ、病床の師に吉報を届けることはできなかった。

「最後まで監督を辞めるとは言わなかったですね。復帰するというのが自分のモチベーションで、病と闘っていたのではないでしょうか」

そして同年9月。應武さんは64歳の若さでこの世を去った。生前に掲げた「ALL崇徳」の言葉は、チームスローガンとしてナインに根付いている。

【専用球場完成と寮生活始動】

應武さんの功績は指導だけにとどまらない。監督就任後から練習環境に大きな変化があった。かつては学校の校庭を他部と共有。夜21時には完全撤収という制約があったが、学校側の協力もあり、2021年に専用球場が完成。2024年から寮が始動し、好きなだけ練習に打ち込めるようになった。さらには元広島の岩見優輝さんを投手コーチに招聘。最速140キロのエース・徳丸凜空(2年)は、プロも注目する左腕へと成長を遂げた。今春の選抜出場は「ALL崇徳」の結集力にほかならない。

「自宅では好きなものしか食べないし、わがままなところがどうしても出るので、これまでは思うように体ができませんでした。寮で生活をすることで体つきも変わってきましたし、ウエイトトレーニングも寮の中でできるようにしていただいたので、故障が減ってきたというのも本当に大きいですね」

かつて應武さんら先輩が躍動した甲子園の土を踏む瞬間は刻一刻と迫っている。大恩人は、天国から何と言葉をかけてくれるだろうか。

「褒めてはくれないでしょうね(笑)。でも、私にとっては大事な恩師のひとりであることに変わりはありません。應武さんはよく『甲子園に行ったら人生が変わる』とおっしゃっていました。私自身も初めての甲子園なので、生徒たちと一緒のいい経験、いい勉強をさせてもらえたらという気持ちでいるのですが、OBにとっては33年ぶりの悲願でもあります。そういう方々の思いと一緒に『ALL崇徳』で戦っていきたいと思っています」

名将が遺した教えは、たしかに引き継がれた。中国覇者として、應武さんの思いも背負い、聖地へと乗り込む。

               つづく>>

📝崇徳が「あと1勝の壁」を越えてつかんだ33年ぶり甲子園 スコアボードに刻んだ悔しさと拾い続けた運
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2026/02/01/33/

33年ぶり選抜出場・崇徳高校復活物語(後編)

1対2。今春の選抜に33年ぶり出場を果たす崇徳(広島)の専用グラウンド中堅後方には、昨夏広島大会決勝のスコアボードが掲げられている。広陵を相手に8回まで1対0とリードしながらも、9回表二死二塁から同点とされると、延長10回タイブレークで勝ち越され、まさかの逆転負け。49年ぶりの夏甲子園出場は露と消えた。

「あの敗戦の悔しさを忘れないよう、いつでも見ることができるように掲げています」

崇徳OBでもある藤本誠監督は口惜しそうにスコアを見つめる。自身も現役時代は1995年の1年夏、1997年の3年夏ともに広島大会決勝で敗退。これまで幾度も「あと1勝」の壁に跳ね返されてきた。

【エースが3試合連続完封の離れ業】
 
ただ、これまで先輩たちが流してきた悔し涙が、ようやく報われる瞬間がやってきた。昨秋の広島大会決勝でも広陵に4対5で9回サヨナラ負けを喫し、リベンジこそならなかったが、これまで力の差が歴然だった王者と2試合連続で接戦を繰り広げたことは、間違いなく自信へとつながった。藤本監督も手応えを語る。

「戦力的には広陵さんの方が当然上ですけど、グラウンドに立てば互角だといつも選手たちには話しています。あともうちょっとのところまでは迫ってきているのではないかと思っています」

オレたちはやれる──その自信は、広島2位通過で出場した中国大会で顕著に表われた。なかでも真価を発揮したのは、エース左腕の徳丸凜空(2年)だ。
広島大会では失点を重ねる試合が目立ったが、中国大会では最速140キロの直球とキレのあるスライダーを両コーナーにキッチリと投げ分け、準々決勝から3試合連続完封の離れ業を演じるなど、全4試合、33回を投げきりわずか1失点の快投。中国を制して選抜出場を勝ちとった。

「昨年夏の決勝で広陵さんに9回二死からすごく悔しい思いをしたので、新チームが始まった当初から絶対に『てっぺん』を獲って神宮大会にいくことをチームとしても自分自身としても目標として臨みました。広島大会では調子が上がりませんでしたが、中国大会ではいい結果に転んでくれてよかったです」

ただ実力だけでは、中国王者になるのは難しい。人事を尽くした結果が、悲願を引き寄せた。あと1勝で選抜出場当確ランプが灯る中国大会準決勝の倉敷商(岡山)戦の前、試合会場のユーピーアールスタジアム(山口)周辺のゴミを黙々と拾い続ける選手たちの姿があった。藤本監督が意図を説明する。

「ゴミを拾うことで、考え方が変わってくると思うんです。段々と大人になるというか、こういうことも大事なんだなということがわかってくれば、普段の生活が変わってきます。普段適当にやっている子は、ここ一番で力を発揮できません」

前チームから続く、「人の落とした運を拾う」という取り組みを野球の神様はしっかりと見ていた。岡山大会4試合で33得点をマークした強力打線のお株を奪う猛攻を見せ、終わってみれば10対0の8回コールド。徳丸も3安打でシャットアウトと、完璧に近い内容で「あと1勝」の壁を超えて見せた。

「私自身も含め、中国大会の準決勝が、一番プレッシャーがあったと思います。勝った時は久しぶりに感動しましたね。準々決勝の関西(岡山)戦からの1週間が本当に長く感じました。崇徳にとって、本当に大きな1勝でした」

【神宮大会で全国のレベルの高さを痛感】
 
中国覇者として51年ぶりに出場した神宮大会では全国のレベルの高さを肌で感じることもできた。初戦となる準々決勝の花巻東(岩手)戦。先発の徳丸は0対0の6回二死から4番の古城大翔に木製バットで左越えに先制本塁打を被弾。最終的に1対3で競り負けたが、絶対エースは前を向く。

「全国クラスの打者たちを相手に楽しみながら投げることができたので、自分のなかでは経験値はすごく上がりました。花巻東さんも選抜に出るので、今度は自分たちが勝つというのはもちろんですし、甲子園で古城選手にやり返したいなという思いです」

ただ、藤本監督は敗因を冷静に分析していた。全国常連の花巻東との決定的な差は、「大舞台の雰囲気に飲まれてしまった」という点だ。

「選手たちにとっては初めての全国大会ということで、中国大会の準決勝、決勝とはベンチの雰囲気が明らかに違いましたので、やはり飲まれていたのかなと。そろそろ慣れてきたかなという頃にはもう試合は大詰めでした。あの雰囲気のなか、いかに平常心で試合ができるか、自分たちがやってきたことがブレずにできるかが必要だと思っています」

今春は対外試合解禁日が3月7日。選抜開幕は同19日と、他校と実戦を行なう期間が極めて短い。そのため、1月の寒風吹きすさぶなか、紅白戦を行なうナインの姿があった。ミスや消極的なプレーをした選手には、藤本監督ら首脳陣から厳しい声が飛び、容赦なく交代を告げられる。「ALL(オール)崇徳」のチームスローガンが示すとおり、全員で本番さながらの緊迫感をつくり出していた。

「まずはこの春に向けて全力でチームを仕上げていきたいと思います」

藤本監督は短い言葉に力を込めた。1976年の選抜初出場・初優勝から半世紀。真の「古豪復活」に向けた熱い戦いが、もう間もなく幕を開ける。
2026/02/01(日) 22時07分58秒 No.2281 編集 削除