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📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
不屈の男ロッテ美馬学を語る…「引退するのになぜ手術?」その答えがどこまでも彼らしかった
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/379419

秋季千葉県大会で慌ただしくしているさなか、ついにその時が来てしまいました。

「もう肘が限界です」教え子のロッテ美馬学から、今季限りで引退するとの報告です。

藤代(茨城)1年時から頭角を現し、2年春にセンバツ出場。中大、東京ガスを経て2010年ドラフト2位指名で楽天へ。2年目から先発を務め、19年オフに国内FAでロッテに移籍し、懸命に腕を振ってきました。170センチに満たない身長で、それも右腕です。体格がモノをいうプロの世界でここまでやってこられたのは、その小さな体に詰まった情熱と負けん気が人一倍だったからでしょう。少しでもうまくなるためにと、あれほど真剣に野球と向き合っていた選手をほかに知りません。
投手の肘は消耗品という認識がすっかり浸透した現代では考えられないかもしれませんが、高校時代はブルペンにこもりきり。自分が納得するまでやめないものだから、毎日のように数百球を投げ込んでいました。

「そんな球じゃプロに行けないぞ」なんてハッパをかけると、「なにくそ!」と食らいついてきた。こんなやりとりを幾度となく重ねたことを、つい最近のことのように思い出せます。

常軌を逸するストイックさゆえに、何度もケガに泣かされてきた。しかし、投げられない期間でも練習を休んだ記憶がありません。走り込みやランニングなど、私が指示するまでもなく、できることを一生懸命にやっていました。中大時代を含め、右肘の手術回数は実に6度。心がくじけてもおかしくありませんが、そのたびに、歯を食いしばって第一線に戻ってきた。弱音なんて聞いたことがありません。そんな不屈の男が「限界」と言うのだから、これ以上ないほどギリギリの、いっぱいいっぱいだったのでしょう。9月30日に行われた楽天との引退試合では、ゾゾマリンスタジアムの応援席から最後の姿を目に焼き付けました。

対戦相手の浅村栄斗選手には感謝を伝えたい。美馬は途中から制球が定まらなくなり、カウント2-2から2球連続で浅村選手の背中側にすっぽ抜けてしまった。それでもあえて空振り三振をして、教え子の花道を飾ってくれたのです。心から、ありがとうございました。
美馬は「3球目で肘の感覚がなくなっていた」とのことで、翌日の検査で右肘屈筋共同腱断裂が判明しました。

「文字通り、本当に最後の最後までやり切って、投げられなくなるまで投げたと思います。あらためて15年間ありがとうございました」とは、球団が発表した本人のコメントです。そして、7度目の手術に踏み切りました。

「引退するんだから必要ないんじゃねえか」なんて電話したら、「いえいえ。やっぱり子供たちとキャッチボールしたいので」

この一言が、どこまでも美馬らしい。

👣滋賀の公立3校で甲子園に9回出場、林勝さんが教え子らに残した言葉
https://news.yahoo.co.jp/articles/e12874427078b05cb5108df4264c5f3e673b42aa

八幡商業高などの野球部監督として、春夏計9回、チームを甲子園に導いた林勝さんが9月、84歳で亡くなった。滋賀の高校野球の一時代を牽引(けんいん)した名将だった。生徒に向き合う姿勢や贈った言葉は、教え子や指導者たちの心に生きている。

林さんは、旧木之本町(現長浜市)出身。伊香高、日本大卒業を経て能登川高に赴任した。1966年に野球部の監督に就き、高校野球の指導者としてのスタートを切った。
甲子園は、能登川高で75年春に、長浜高で84年夏に、八幡商業高で春夏計7回出場した。八幡商業高時代の88~91年には滋賀大会初の4連覇、93年には選抜大会で8強入りした。八幡商業高で定年を迎えたあと、母校の伊香高で指揮を執った。

教え子たちが「恩師」と慕う林さんは、どんな指導者だったのか。取材から浮かび上がってくるのは、人生を歩む人間を育成するという視点に立ち、生徒ひとりひとりに真摯に向き合う姿だ。

■「野球を通じて人間性の向上を図る」

「野球を通じて人間性の向上を図る」林さんが八幡商業高の監督時代、そう言っていたと振り返るのは、同校教頭の池川準人さん(53)。八幡商業高が滋賀大会を3連覇したときの主将だ。そして、林さんが定年退職するまでの3年間、部長として林さんのもとで学んで後を継ぎ、八幡商業高を春夏計4回、甲子園に導いた。
林さんの大きな功績は、能登川、長浜、八幡商業の公立3校で甲子園に出場したことだ。池川さんによると、林さんは普段は穏やかだったが、試合になると厳しい勝負師に変わった。県外の甲子園経験校の監督らとの人脈も豊富だった。林さんの教えは脈々と受け継がれているといい、「林門下生や林先生に教わった指導者が、どういう野球をするのか、林先生は見守っている」と話す。

■「うまくいかへんときは、自分が成長できている」

「うまくいかへんときは、自分が成長できていると思ってやらなアカン。辛抱せえ」
その言葉が印象に残っているというのは、2021年から八幡商業高の監督を務める小川健太さん(44)。同校の監督が林さん、部長が池川さんだったときに主将を務めた。
小川さんは、高校時代に林さんに提出していた野球ノートを今も持っている。そこには、感謝の気持ちを持つことの大切さなど、林さんからのメッセージが書き込まれている。

「野球もそうですけど、人生の生き方を教えてもらった」と小川さんは言い、「どうやって子どもを育てたらいいか、すごく神経をつかっていた。高校生ながらに感じるところがあった」と振り返る。

■「人間性を磨け」

「人間性を磨け」よくそう言われたというのは、近江兄弟社高で監督・部長を計36年務めた、同校非常勤講師の伊藤之久さん(64)。林さんの率いる能登川高が1975年に選抜大会に出場したのを見て同校に進み、1年生のときは林さんが担任だった。

林さんは優しく愛のある先生だったといい、「全員を我が子のように扱ってくれた。みんなゾッコンやった」と懐かしむ。伊藤さんが近江兄弟社高の指導者になってからは、林さんを目標にし、よく教えを請いに行った。そのたびに林さんからは「子どもに愛を持って接しているか」などと言われたという。近江兄弟社高の監督だった93年夏、滋賀大会初戦で林さんが率いる八幡商業高を破り、その勢いで優勝。初めて甲子園に出場した。振り返ると不思議な縁で、伊藤さんは「元気なときの林先生のイメージを持ち続けたい」と話す。

■「子どもがどんなことを思っているか、考えたことあるか」

「多賀やん、子どもがどんなことを思っているか、考えたことあるか」

近江高を春夏計23回、甲子園に導いた多賀章仁さん(66)も影響を受けたひとりだ。89年に近江高の監督に就く前から交流があったといい、「人間的な部分でも影響を受けた。林先生との出会いが、監督としての出発点の礎になった」と話す。

多賀さんも、生徒たちの心に寄り添って指導することの大切さや、それがチームの成長につながることを林さんから学んだ。「(分け隔てなく公平に生徒を評価するために)自分の中で物差しを持たなアカン」とよく言われたという。八幡商業高のベンチを見ていて、林さんが生徒から信頼されているのがよくわかったという。生徒に対する指導のところどころで林さんの言葉を思い出していたといい、「林先生がいたからこそ、私の高校野球の監督としての人生があったというぐらい、お世話になった。『ありがとうございました』の言葉しかない」と感謝する。

■「人生に夢を」

「人生に夢を」林さんの長浜市の自宅には、林さんが揮毫した色紙が置かれている。

妻の孝子さん(74)によると、林さんは9月14日に自宅で亡くなった。老衰だった。ここ2、3年は体が弱り、孝子さんが自宅で介護をしていた。林さんの手を握り「ありがとう」と声をかけていたという。

林さんは、県高校野球連盟が1994年に発行した連盟史「球跡」に寄せたメッセージのなかで「『湖国』に大旗を持ち帰りたいと願いながら、残り少ない人生を高校野球に、捧げたいと思っています」と記している。

孝子さんは、野球一筋だった夫の人生を振り返り、思いをはせる。「野球があったからこそ元気でこられて、いい思いもさせてもらった。天国で思い出に浸って、にっこりしてるんちゃうかな」

🔥見せた5点差追いつく底力 三重・大西主将「選抜4強以上めざす」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2d791d60c898ff09838b45ad8ec097f336003411

(27日、第78回秋季東海地区高校野球大会決勝 中京大中京8―7三重=延長10回タイブレーク)

三重は秋季東海大会で12年ぶり5回目の優勝を目指したが、あと一歩届かなかった。九回に3点差を追いつき、十回表にはタイブレークで2点を勝ち越したが、その裏に逆転サヨナラ負け。「チームの総合力の差が出た。冬の間に鍛え直したい」と大西新史主将(2年)は振り返った。

大西主将は五回と七回、先頭打者として安打で出塁し、いずれも適時打で生還した。「5点を先行されたが、とにかく塁に出て反撃ムードをつくりたかった」
3点差の九回、三重は三塁打2本を含む4長短打で同点に追いついた。なお2死三塁で大西主将に打席が回ってきたが、変化球に手が出て右翼へのフライに倒れた。「打線がつながっていた。あそこで決めたかった」と悔やんだ。新チームで正捕手となり、主将に立候補した。この試合では5人の投手の球を受けたが、計11四死球を与えた。「課題は制球力。安打数では上回っていたのに、守り勝つ野球を目指さないと」

4強に進んだ2018年以来、8年ぶり14回目の選抜大会出場はほぼ確実になった。「投手力を高め、中京大中京のような緻密な野球をめざして、4強を上回る成績を残したい」と大西主将。
選手18人が出場した総力戦に、沖田展男監督は「敗因は自分の采配ミス。だが、劣勢だったのを追いつき、多くの選手がいい経験を積んだ試合だった」と話した。

📝近畿センバツ出場の残り2枠は近江と東洋大姫路か 橿原学院と天理はアピール不足
https://news.yahoo.co.jp/articles/03d65eefa24f34fdcdd25dec15227a4a59b9fec9

近畿の一般選考枠は6。4強入りした智弁学園、滋賀学園、大阪桐蔭、神戸国際大付は当確。準々決勝で敗れた4校で残り2枠を争い、試合内容で近江と東洋大姫路が優位に立つ。

近江は滋賀学園にサヨナラ負けしたものの、県大会準決勝では勝っており、滋賀1位であることもプラス。同じくサヨナラ負けの東洋大姫路は、兵庫3位ながら奈良1位の智弁学園に一時4点差をひっくり返したことが評価される。

一方、橿原学院は神戸国際大付に無安打無得点試合を喫し、天理は大阪桐蔭に6回コールド負け。アピールに乏しい結果となった。

8強は全て私立。21世紀枠での選出がなければ、史上初めて近畿の公立は出場なしとなる。

📝ドラフト指名漏れ“3日後”「大阪桐蔭の中野は制服姿で…」中野大虎が記者に心境ポツリ…西谷浩一監督も驚いた「指名漏れ翌日、中野は後輩を手伝った」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f88f91a1cb0d42d7e1336b27e553e11fb479a169

センバツ切符の懸かった2023年秋の近畿大会で、当時1年生だった森陽樹は兵庫・報徳学園戦で好リリーフをみせてブレイクを果たした。その頃、西谷浩一監督は190cmを超えるこの大器に対して、「大きく大きく育てたい」と話していた。

「大きく育てたい」はのちにプロに行くような選手に対して西谷監督がよく使う言葉だが、森に関しては無意識のうちに「大きく」を二度繰り返すほど期待を寄せる西谷監督がいた。あれから2年という月日が流れ、森はオリックスから2位指名を受けた。

森の育成に「焦った時期も」…西谷監督の吐露

「1学年20人の選手を毎年お預かりするんですけども、預かった時点でプロ野球選手まで導かないといけない子だなとずっと思って来ました。田舎から出て来たばかりの頃は、幼いところも、甘いところもありました。ただ、優れた能力を持っていましたので、早くそれに気付いて、もっともっと成長速度を上げたいと思って私のなかで焦っていた時期もあります。思い通りにいかないときもあったし、反対にこんなこともできるようになったかと驚くこともありました。叱ってばかりでしたが、こちらとしては(森に)寄り添いながら、しっかり鍛えてきたつもりです」

指名された直後の会見で西谷監督は「森の持つ力のうち半分も出させてやれなかった」とも発言した。

「身体の力がついていない段階で、あれだけのボールが投げられるのだから、もっともっと身体を鍛えて、制球力なども磨いていければ、可能性が広がっていくと思います。私ができなかったこともいっぱいありますので、そこはプロのコーチに引き継いでいただきたい」

衝撃のデビューを飾った2年前、2年後のドラフト1位が確実視された森も、2024年春のセンバツでは神村学園(鹿児島)戦で4回1失点、夏の甲子園では2回戦の小松大谷(石川)戦に先発して7回2失点。残った数字だけを今見ればそれなりのピッチングを想起するものの、報徳学園戦を目撃した者からすればどうしても物足りない、インパクトに欠く内容に見えた。

「高校時代の思い出といえば二度の甲子園。悔しい思いしか残っていないですけど、学ぶことも多かった舞台でした」(森)

森の両親「大学など他の選択肢も考えろと…」
 
昨秋の近畿大会は気負ったことでコントロールを乱してセンバツ切符を逃した。試行錯誤し、投球フォームの微調整を繰り返しながらも、雌伏の時を過ごしてきた。
森の父・俊一朗さんと母・マリさんは、宮崎県延岡市から公式戦や遠征の度に駆けつけて息子の成長と登板を見守ってきた。俊一朗さんは言う。

「私たちにプロに行かせたいという気持ちはサラサラなかったんです。大阪桐蔭に進学を決めるときも、全国から能力の高い選手が集まる強豪校で埋もれるならば、『地元の九州の学校でいいじゃないか? 』と話していたぐらいなんです。ただ本人が気持ちを曲げなかったですね」

創部されたばかりの聖心ウルスラ学園聡明中に入学した段階で、学校関係者はこの逸材が戸郷翔征(巨人)を送り出した聖心ウルスラ学園高校にそのまま進んで欲しいと願ったことだろう。だが、森は卒業間近のタイミングで公立の中学校にわざわざ転校してまで、大阪桐蔭に進学することにこだわった。そして大阪桐蔭入学後、高校1年時の活躍でその名は全国区となり、2025年のドラフト上位候補として名を連ねることになっても、俊一朗さんらは「大学進学」を勧めていた。

「プロ野球選手という夢を見ず、現実を見て大学など他の選択肢も考えろとは言っていました。子どもに学歴を持たせたいというのは当たり前の親心ではないでしょうか。ただ、息子は自分の意思を貫きましたね」

山本由伸を育てた…オリックスから指名
 
今春の高校日本代表候補の合宿で、森はプロ志望届の提出を公言した。そんな森を、延岡学園の藤川敦也に続くドラフト2位で指名したのがオリックスだった。
2016年にドラフト4位で入団し、日本を代表する投手に成長し、今やドジャースのエースとなった山本由伸以降、大型の高校生投手をドラフトで上位指名し、育成して成功を収めてきたのがオリックスであり、球団のフィロソフィーにマッチする逸材こそ森だ。

「順位に関しては期待しないようにしていた。ここまで評価していただいて、素直に光栄です」

球速は現段階でMAX153キロだが、投手が投じるボールの回転数などを計測する「ラプソード」で1分間の回転数はメジャーの一線級の投手のように「2700」を表示する。森は言う。

「球速の面では、中学、高1、高2、高3とレベルアップしてきた。自分は身長もあるし、西谷先生が言うように内に秘めているものの半分以上も出ていないと思うので、もっともっと成長できると思っている。将来的には160キロを投げたいけど、これからはストレートの質にもこだわっていきたい」

森の父親である俊一朗さんによると、オリックスは「本人が行きたがっていた球団のひとつ」だという。キャンプ地が宮崎県宮崎市清武町で両親が住む延岡市からはおよそ1時間の距離であることに加え、森が憧れる山下舜平大が在籍する球団であることも大きい。

オリックス1位も“宮崎の高校生右腕”
 
指名直後の会見で、森は山下についてこう話した。「(福岡大大濠)高校時代から(山下を)注目していて、プロに入ってからもずっと見て目標にしてきた。球種は少なくても、その全球種が武器になるからむしろスケールの大きさが伝わってくる。そういうピッチャーに自分もなりたい」

オリックスは2球団の競合となった健大高崎・石垣元気の抽選を外したうえで、外れ1位の藤川から3位まで高校生投手を指名した。つまり、森は世代No.1の評価ではなかった。

「見返したいという気持ちはある。1位で指名された藤川投手よりも自分がプロの舞台では『良いな』と思われるように、プロの舞台で最終的には世代で1番だったと思わせられるようなプロ野球選手になりたいし、ピッチャーにとって一番の栄誉である沢村賞を目指したい」

2年半の日々をすぐ側で一緒に過ごし、切磋琢磨してきた中野大虎は指名に漏れた。

「(中野は)何をするにしても熱い男で、何事にもガツガツいくタイプ。自分は正反対で、おっとりしたタイプ。これからも切磋琢磨していきたい」

ドラフト3日後、中野の姿が…
 
ドラフト会議の3日後――。中野大虎の姿は奈良県橿原市のさとやくスタジアムにあった。センバツ切符を目指し、秋季近畿大会準々決勝・天理(奈良)戦に臨んだ後輩の応援に来ていたのだ。制服姿の中野は晴れやかな表情に見えた。西谷監督によると、中野はドラフト会議の翌10月24日には大阪桐蔭のグラウンドに顔を出し、大一番を控えた後輩のために打撃投手を買って出たという。

「指名漏れしたとなれば、普通の子ならば次の日もがっかりしていますけど、そんなところは1ミリも見せず、やってくれていました。凄い子だなと思いました」(西谷監督)

筆者もそんな中野に労いの言葉をかけようと、少し離れたところから彼の様子を見守っていた。そして筆者と目が合うと、ニコッと笑みを浮かべながら会釈をしてくれた。タイミングを見計らって近づき、一つだけ質問した。

――もう気持ちは切り替えられた? 

「余裕でもう吹っ切れて次を向いています。これからも良い記事書いてくださいね(笑)」

社会人に進むことが有力な中野はそう言って筆者の尻を叩いた。その提案に頷いたからには、中野が森と再会を果たす日まで彼を追わねばならないだろう。

⚾岩手さんへ
大リーグは基本、延長無制限なんでそういう劇的な試合もマレにありますよね。僕は全然興味ないので6時間30分超の試合ハイライトを含めて1秒も見ていないですが・・・・・。

球場生観戦している折にはコールドゲームは数え切れないほどありますが、延長戦はほんの一握りで年間3%あるかどうかといった確率じゃないかな?と思います。ましてや近年は延長即タイブレークなんで味気ないですね・・・・・。

記録を見ていると2006年・2007年と2年連続甲子園で延長15回引き分け再試合を生観戦されていたんですね!!
もう今の規定だと15回なんて見れないだろうし、この夏津田学園ー叡明が12回タイブレークやってましたが、それもかなりのレアケースになりますよね。

延長が長引けば長引くほど必然的に試合が長くなり球場に滞在できる時間がより多くなりますが、、、、、今日、ふと中国大学野球の試合結果を見ていたら・・・。
10月19日(日)に岡山県営球場でずいぶん粘ったらしいです。あの日は橿原にいましたが、8時30分頃に霧雨に遭いつつも中断もなかったし、普通に試合消化してましたがなぜかしら9時から3試合の予定が3時間32分遅れで3試合強行したようで・・・・・。

過去2度中国大学野球2部の試合観戦しましたが、力の差がありすぎてほぼほぼコールドゲームで無料試合とは言え味気なさ過ぎましたが・・・・・。
第1試合は7回コールドながら2時間34分。第2試合は9回までやりつつも2時間11分で第3試合開始18時08分と日没時間考えたら第2試合中盤からナイターですね!
第3試合が2時間35分で試合終了20時43分ですか・・・・・。そういう時に観戦したかったですが、3時間32分遅れのプレーボールだったら相当雨降ったのか???グラウンドコンディションは最悪だろうし屋根のない球場なんでスタンドはずぶ濡れ・・・。中止のリスクを考えたら二の足を踏みますが、こういうのが観たいですね。ただ、県営球場から1km強走って岡山駅に行き新幹線乗らないと最終電車に間に合うかどうか???

大リーグの試合はナイターだろうから日付変わって試合終了だろうしスタンドのお客さんは野宿でしょうか???ワンパクなアメリカ人ゆえに球場外周で缶ビール片手に祝杯挙げていたかも分かりませんが。
2025/10/28(火) 22時17分33秒 No.2095 編集 削除