REPLY FORM
⚾今日の和歌山大会試合結果(3日目 2回戦 紀三井寺球場)
和歌山商12-11県和歌山(13回タイブレーク)・星 林4-0・海 南4-0紀 央 館(8回裏1死満塁降雨継続試合)・神 島-熊 野(雨天中止)
⚾明日の和歌山大会組み合わせ(4日目 2回戦)
紀三井寺球場
☆ 13:00~ 神 島 - 熊 野
☆☆☆ 15:30~ 紀 央 館- 海 南(8回裏1死満塁から継続試合)
📝春季近畿地区高等学校野球大会県予選の日程変更のお知らせ
https://www.whbf.jp/uploads/20250414175937_A1EP.pdf
令和7年4月14日(月)に紀三井寺公園野球場でおこなわれていた紀央館高校対海南高校の試合は悪天候のため継続試合とし、第4試合神島高校対熊野高校は雨天順延とします。 なお、試合会場および試合開始時間は下記の通りとします。
記
令和7年4月15日(火) 紀三井寺公園野球場
第1試合 13:00 神 島 対 熊 野
第2試合 15:30 紀 央 館 対 海 南
※紀央館高校の攻撃8回裏1死満塁から試合を再開します
以 上
☝「下克上」元主将が三重大会初勝利 相可の辻監督 苦しい展開でも笑顔で
https://news.yahoo.co.jp/articles/bec4a0165dc1f60c42d2db95bbf80a5dd83d9f97
12日開幕の、第72回春季東海地区高校野球県大会1回戦で、相可は土壇場で逆転し、3―1で中地区第3シードの津に競り勝った。2018年に「下克上」で夏の甲子園に初出場した白山で主将を務め、この春から指揮を執る辻監督が県大会の初戦を勝利で飾った。
津の先発朝井投手を前に七回まで1人の走者も出せない苦しい展開に「もやもやする部分もあったが、ベンチで笑顔でいるようにしていた」と振り返る。
1点差の九回表2死満塁で、チーム初安打を放っていた4番中川に打席が回ると「思い切ってやってこいよ」と声をかけて送り出した。走者一掃の適時二塁打で期待に応えた中川を「頼もしい」とねぎらう。
「しっかりした守備が後半の逆転につながった。県大会で勝ったことが自信になる」とした上で、次戦に向けて「一戦必勝。バッティングを改善して臨みたい」と意気込んだ。
👣夏は勝つ投球を、初戦敗退の鈴鹿・高山航太朗 三重
https://news.yahoo.co.jp/articles/cfae1f638b5a1e3c83e7b9cb30d79257d02247c7
昨年夏の全国高校選手権三重大会で20年ぶりに決勝進出し、準優勝した鈴鹿。ベスト8入りで、今年夏の県大会のシード権が獲得できる第72回春季東海地区高校野球県大会1回戦で、松阪商に4―5で敗れて、初戦で姿を消した。
タイブレークに突入した延長十回裏。守備の乱れをつかれて、サヨナラ負けを喫した。背番号「9」で先発のマウンドに登った後、いったん右翼の守備に回り、八回から再びマウンドに立っていた3年生右腕高山航太朗は、「後半ちょっと打たれてしまい、そこからうまく行かなかった」と自らを責めた。
1学年上の今村颯と継投で勝ち上がった昨年夏はリリーフでの起用が多かった。同学年左腕の高山倖慎と継投で地区予選を勝ち抜いてきたこの春は、自らが先発し、外野の守備を経て再びマウンドに登る練習を繰り返してきた。
松阪商戦も三回1/3までは4安打1失点4奪三振、とまずまずの投球内容。しかし、外野の守備を経て、1点リードの八回から高山倖とマウンドを交代した後は2回0/3、6安打4失点で「制球が余り良くなかった」。
先輩たちが掲げた目標「甲子園で勝つ」を引き継いでいる。秋以降体重を8キロ増量するなど主戦の自覚を見せる右腕は「次は一発勝負。チームを勝たせる投球をしたい」と夏を見据えた。
📝大阪桐蔭野球部の新入生が一番驚くことは? 「最強世代」で最初にブレークした“スーパー1年生”が振り返る16歳の衝撃「1日を乗り越えるのに必死で…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e145bcecd2b9cc3c2687c290851eeca8dd5505b3?page=1
横浜高の優勝で幕を閉じたセンバツ高校野球。98年ぶりに大阪勢の出場がなかったことも話題になった。8年前の春、『大阪頂上決戦』を制し黄金期の幕を開けたのが大阪桐蔭高2年生の「最強世代」だった。精鋭揃いの顔ぶれは当時、どのような日々を過ごしていたのか。1年生で4番を任され「最強世代」で最初にブレークした山田健太内野手(現・日本生命)に聞いた。
大阪桐蔭の門をくぐったのは9年前、2016年の春のことだ。新入生として初めて練習に参加した時の衝撃を山田は今も覚えている。
「入る前からレベルが高いというのは知っていましたし、想像もしていました。でも実際にはそれ以上でしたね。みんな言うと思いますが、衝撃的だったのはやはりノックです。新入部員が先輩たちのノックを見る時間があったのですが、そのスピード感には圧倒されました」
「最強世代」16歳の春
後に「最強世代」と称されることになる同学年の部員は21人。根尾昂(現・中日)、藤原恭大(現・ロッテ)ら錚々たるメンバーが揃っていた。
「有名な人ばっかり。でも、中学時代のボーイズやジャパンの繋がりでお互い知っていたので、緊張する、という感じではなかった。同級生で1番になりたいという気持ちはもちろんありましたけど、そんなことより1日1日を乗り越えるのに必死で(笑)」
山田とて中学時代から全国にその名を知られた精鋭である。愛知県出身で、千代田中時代に所属した東海ボーイズでは中3の夏に日本代表に選ばれ、世界大会で優勝している。強豪・大阪桐蔭への進学を選んだのは、3年後の高校3年で迎えることになる夏の甲子園の第100回記念大会を見据えてのことだった。
「高校を選ぶにあたってまず、100回大会の甲子園で優勝したいという気持ちがありました。桐蔭には全国から凄いメンバーが集まってくるという情報も入ってきていましたし、どこなら一番優勝できる確率が高いのかと考えた時に、やっぱり大阪桐蔭だ、と……」
1年生で「4番」に大抜擢
強豪チームをあえて選んだ他の仲間たちもやはり、同じ思いを持っていた。必死に練習に食らいついていった1年生の頃から、どの選手も野球に対する意識はとにかく高かったという。
「周りに影響される人はあまりいなくて、それぞれ自分にとって必要な課題にしっかり向き合うような選手が多かった。一緒にやりながらも、そういうところは凄いなと思って見ていました」
高いレベルで切磋琢磨するミレニアム世代の仲間たちの中で、一番に飛び出したのが山田だ。夏の府大会で敗れ、始動した新チームで1年生ながら「4番・サード」に抜擢されたのだ。
「夏に負けた後、毎日オープン戦みたいな感じで実戦があったんですが、そこである程度結果が出て……。とはいえ信頼されて4番を任されたということではなく、1つ上の代に不動の4番というような存在がいない状況だったので、『それなら山田いくか』みたいな感じでしたから」
「スーパー1年生」注目の中で
本人はそう謙遜するが、ただの「4番」ではなく「大阪桐蔭の4番」である。ミレニアム世代の「スーパー1年生」として周囲からの注目は高まった。しかし、秋の大阪府大会準決勝・履正社戦は1安打しか打てず敗れ、近畿大会1回戦では無安打。準々決勝からは根尾に4番の座を明け渡した。
「プレッシャーがというよりは、完全に技術不足だったと思います。試合で結果を残せるだけの技術がなかったということ。ただ、その時の悔しさや冬の間の練習が、自分の中ですごく大きなターニングポイントになったな、というところがあって……」
近畿大会は準決勝で敗れたが、春のセンバツ大会出場の可能性は残して迎えた冬。山田は、悔しさをバネに徹底的にバットを振り込んだ。追求したのは、強い球に負けないバッティングだ。
「橋本(翔太郎)コーチがつきっきりでティーバッティングや素振りを見てくださったんです。バットのヘッドをどうやって使うかとか、技術的な部分の細かいところから色々と教わって、毎日バットを振って確認していく中で少しずついい感覚が身についていった。がむしゃらに頑張った感じですけど、今振り返ると、あの冬がなければその後はなかったと思いますね」
野球ノートに書かれた言葉
この時期にかけられた西谷浩一監督の言葉も強く記憶に残っているという。
「結果が出ない時に野球ノートのコメントでよく『もっと山田らしさを出せ』というような言葉を書いてくださったんです。最初はあまりピンと来なかったのですが、“らしさ”って何だろう、と考えていく中で自分を見つめ直すきっかけになりました。失敗を怖がって消極的にプレーするのではなく、もっと明るく堂々と振る舞うことが大事だなと思って。そこから目先の結果ではなく、積極的に失敗を恐れずやっていこうと考えられるようになりました」
振り返れば、西谷監督はよく“余白のある言葉”を投げかけてくれたと山田は言う。正解を突きつけるのではなく、選手が自分と向き合うことで成長することを期待していたのだろう。
「結局は考えることが一番大事で、色々なことを試したり、何かを信じて継続していく中で変わっていくものがあるのだと思う。これをやれ、というような言葉ではなく、自分で考えるためのヒントをいただいたな、と思っています」
「これが甲子園なんだ!」
迎えた2017年、2年春のセンバツ大会で山田は鮮やかな甲子園デビューを飾る。1回戦の宇部鴻城戦で、レフトスタンドに2ランホームランを放ったのだ。同学年の2年生5人が先発メンバーに名を連ねた試合で、公式戦初本塁打が飛び出した。
「これが甲子園なんだ! って。お客さんも沢山入っていて、その中で自分もホームランを打てたことは今でも心に残っています。緊張感もありましたけど、何よりものすごく楽しかったです」
履正社との「大阪頂上決戦」となった決勝を制し、センバツ優勝を果たす。山田は5試合全てでスタメンに名を連ね、21打数12安打8打点の大活躍。その甘いマスクで女性ファンからの注目も集めた。大阪桐蔭「最強世代」の快進撃がここから始まっていく――。
📝「練習試合にも観客が殺到」「根尾と藤原の影響は大きくて…」山田健太が語る大阪桐蔭「最強世代」のリアル「今思えば“非日常”を味わっていたような…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9748a32108371fc17e4f6982aecad735bd8e5697?page=1
2年生春のセンバツで優勝、3年時には春夏連覇という偉業を成し遂げた大阪桐蔭の『最強世代』。まさに敵なしの圧倒的強さで全国から注目を集めたが、渦中にいた山田はそのフィーバーをどう見ていたのだろうか。
「当時はその凄さっていうのはあまり感じなかったんです。でも今振り返ってみると、甲子園に4回出て3回優勝って結構凄いことをしたんだなと思います。非日常を味わっていたような気がします」
練習試合にも観客が殺到
当時、その注目度を最も実感した場面は、遠征試合だったという。甲子園常連校と言われる学校でも遠征では相手校のグラウンドや学校の球場で試合をすることが多いが、大阪桐蔭はほとんどの遠征試合が観客の入るスタジアムで行われていた。
「色んなところに試合に行ったりしましたが、その時のお客さんの数 っていうのが、学年が上がるごとにどんどん増えていったんですよ。満員のお客さんを見たり、その歓声を聞くと、自分たちのことなのに、おお、すげえ! って思っていました」
2年春のセンバツ優勝メンバーが7人も残り、結果的に根尾、藤原、横川凱(現・巨人)、柿木蓮(元・日本ハム)と、のちに4人が高卒でプロ入りすることになる「最強世代」。高校生ながら全国区の知名度を誇ったが、大舞台で抜群の勝負強さを発揮した“イケメン”山田の人気も凄まじかった。
「最強世代」屈指のイケメン人気
「いやあ、全然ですよ。(一番人気があったのは)藤原じゃないですかね。やはり根尾とか藤原の影響力って凄く大きかったんです。沢山の人に見られている中で、彼らは常に結果を出していたのでチームメートながら凄いと思っていました。同時に、これだけの大観衆の中で注目を浴びてプレーできるというのは僕らも楽しかったですし、そういう経験自体がチームを強くしてくれたと思います」
チームに与える影響も大きかったという根尾と藤原は高校時代、どんな存在だったのだろう。愛知県出身の山田と岐阜県出身の根尾とは、中学時代からよく知る仲だ。ボーイズリーグの世界大会で日本代表に選ばれた時には同部屋だったこともあるという。
「中学生の頃から練習が終わって部屋に戻っても、ずっとYouTubeでバッティングの研究をしていたり、めちゃくちゃ意識が高かったです。高校に入った後もずっと練習していましたし、寮に帰ったらみっちり勉強していた。なんかすげえな、って。でも優等生っていうイメージが作られていましたけど、実際には明るいし本当に面白いんですよ」
藤原は「なんでも一番に…」
一方で、藤原については「とにかく負けず嫌い」と話す。
「なんでも一番になりたいタイプ。それがあそこまで技術を高めるところにつながっている。あいつにだけは負けたくない、とかそういうのではなく、とにかく自分が一番になるまでやる。そのためにとことん突き詰める。それが藤原の凄いところだな、と3年間見ていて感じました」
高い意識を持った仲間たち。「大阪桐蔭」という常勝の看板を背負った日々の中で、選手たちはプレッシャーをどのように跳ね除けていたのか。
「確かに注目もすごかったですし、 勝って当たり前という空気はありました。ただ練習は本当に雰囲気良く、明るくやっていました。練習の時からひたすら日本一を意識して、本気で日本一を取りに行くんだ、という気持ちをみんなが持っていたので、嫌々やらされているような選手はいなかったと思います。重圧と戦うのではなく、それを圧倒するための練習だったのかなと思います」
「最強」への大きな挫折
その言葉通り、2年春のセンバツ大会で優勝、3年は春夏連覇と無敵を誇った「最強世代」。しかし、その陰にターニングポイントとなった屈辱があった。新チームになった2年生の秋の神宮大会。順調に勝ち上がったが、準決勝で創成館(長崎)に足を掬われ4-7で敗れたのだ。
「あまりにもあっさり負けてしまって、このままじゃダメだ、となりました。キャプテンの中川(卓也内野手)と根尾が中心となって西谷監督にも相談しながらミーティングを何度も何度もやって……。このチームに何が足りないのか、どういうことに取り組むべきなのか、みんなで話し合いました。それまでは個が突出しているチームだったんですけど、そこからチームワークが良くなった。自分らの代にとってあの負けは本当に大きなターニングポイントになったと思います」
同学年21人の中でも、横道に逸れたり練習をサボったりするような選手はいなかったという。
「本当にやる選手が空気をしっかり締めていたので、もし横道に逸れるような選手がいても多分、いい方向に巻き込めていただろうなと思います」
卒業後に実感した大阪桐蔭の“凄み”
在学中、甲子園に4回出場し、3度日本一。華々しい経歴を引っ提げて、山田は立教大学へと進み、現在は社会人野球の名門・日本生命でプレーしている。高校卒業から6年経ったいま、あらためて感じる「最強世代」の凄さとはなんだろうか。
「同じように日本一という目標を掲げていても、単なる目標なのかと、それを本当に信じているのかとでは違うと思うんです。高校時代は、今振り返ってもみんなが本当に日本一を取れると信じて練習から取り組んでいた。甲子園に出ることが目標ではなく、甲子園で優勝することが目標でした。勝って当たり前、という集団にいることによる意識の差というのは、他のチームとは違ったものがあったと思います」
根尾、藤原ら4人が高卒でプロ入りを果たした「最強世代」。その中で山田は、2度のドラフト指名漏れを経験している。当時の思い、そして今も胸に抱く夢とはーー。
⚾岩手さんへ
ずいぶん情報が早いですね!!紀三井寺ではなんと第1試合から延長13回の死闘をしていたようで・・・・・。
9回表終了8-1から県和歌山が怒涛の猛追で土壇場に7点取って追いつき、タイブレークが4イニング続いたとは!!
和歌山商は田中監督がノック中に部員の頭をバットのヘッドで小突いた傷害事件での解任以降弱体化が目立ちますね。
なんとか今日は勝ったようですが、3時間30分近い死闘だったようで、、、、、そういうのを僕は観たいのですが!!
幸い宝塚は大した雨でもなく、18時からの接骨院には自転車で往復できたし、16時過ぎまでは太陽の位置が分かるような好天でした。
こういう時の雨は辛いですよね・・・。第4試合最後までやったら21時近くになっていたかも!?
いつだったか夏の大会で20時30分を過ぎる死闘もあったはずですが、今日のカードを見る限りにおいては大会初日のような混雑もなかっただろうから、お客さん全員屋根下で雨を凌げたと思いますが、帰りの足が難儀しただろうなあ・・・・・。
三重は雨が多い地域なんで、あらかじめ前日中止で予防線はったようですね。
20日の日曜日も雨予報なんで、、、あわよくばそこが中止となると21日に松阪で3試合観戦が見込めるので電車・バス共に平日ダイヤなら日帰りで充分行けるから期待しております。
しかし、東北地方の交通事情はかなり厳しそうですね・・・。隣県に行くのも一苦労のようですし。
一応、関東大会が茨城県で開催されるようでセンバツ4強に3校食い込んだので神奈川や山梨よりも近いと思いますが、、、、、行くのは厳しそうですね。
⚾shionomisakiさんへ
去年は佐賀で九州大会4試合組まれていたんですね!!
しかしながら、途中雨で打ち切りというのは痛恨の極みですよね・・・・・。今日の紀三井寺も同じ感じでせっかく球場に来たからには朝日からナイターまで球場で過ごしたいところですが。
相当前に姫路方面からよく投稿されていた方が、高松での四国大会で同じような憂き目に遭って嘆いておられましたが、ホンマに辛いですよね。
僕も2年前の秋に倉敷市営で11時から2試合晴れて開始式を行いましたが、急に空が真っ暗になり雷鳴轟き13時過ぎにナイター点灯で2時間30分ほど中断ののちに再開されましたが、第2試合は中止となってしまい唖然呆然・・・。
翌日に10時から3試合となり、初日の入場券を提示すれば翌日は無料で入れるということで気を取り直し、10時から19時過ぎまで無料観戦ナイター付きでヤレヤレと。
倉敷市営球場3回来場してオールナイター観戦というのも凄いですが、そのうち2度は雨にたたられているし、新倉敷で湯治の予定が時間の都合上諦めざるを得ず、昨年夏にようやく新倉敷駅に辿り着き、岡山珈琲館で一服でき、今春こそスーパー銭湯に行きたいと。
開会式終わって即移動で別の球場で試合というのはかつて春の北信越や秋の中国でよくやってましたね。
福井県だったら福井県営で開会式行い、敦賀に移動して即試合というのもありました。直近ではフェニックスで開会式して県営で試合だったので移動は楽だったと思いますが。
そういえば、軟式の選手権も明石で開会式してウインク姫路で試合がありますよね。
しかし、近年はナイター回避の為に4試合を組まないケースが増えてますね↓↓
兵庫はナイター設備のない球場が多いのでやむを得ないですが、昔はマスカットで春秋ともにガンガン4試合やってましたが、、、、、
しかし、今春は紀三井寺で4/12そして幻になったが本日。1大会2度4試合日の設定がブチこまれたので良かったかなと。
それから5/3佐藤薬品スタジアムで4試合予定されており、もちろん僕は参戦予定ですが、雨降らないことを祈ります!!適当に曇って17時30分点灯は大歓迎ですが。
日没が相当遅くなるだろうから、コールド多発地域なんでナイターかどうかは分かりませんが、2時間あれば帰宅できるから!
しかし、九州はやたらに春季大会開幕が早いので夏までに地元のテレビ局主催の公式戦や招待試合などでつないでいるようですね。
P・S 和歌山ツアーいいですね。先日の紀三井寺には兵庫からわざわざ遠路はるばる紀三井寺まで足を運ばれた高校野球ファンがチラホラいたようで、嬉しい限りでした!
他府県でめぼしいカードもなかったし、タダで4試合観戦させてもらえるので、都合さえつけばこっちになだれ込むことは安易に想像できましたが!!
一応、センバツ準優勝した和智弁の試合も組まれていたので朝は閑古鳥鳴いていたスタンドもナイターになるとソコソコ埋まってましたね!!
20時30分頃和歌山ラーメン食べていた折に、WBS和歌山放送で紀三井寺公園の管理者をゲストにトークに花を咲かされており楽しく聴けました。
次に紀三井寺行くのは5/15 17時からの独立リーグ観戦ですが、、、オークワで夜ご飯仕入れて試合中食べて、終わったら速攻帰路につかなければ・・・平日ダイヤなんでまだゆとりはあると思いますが、やはり深夜0時前後の帰宅でしょうね!
和歌山商12-11県和歌山(13回タイブレーク)・星 林4-0・海 南4-0紀 央 館(8回裏1死満塁降雨継続試合)・神 島-熊 野(雨天中止)
⚾明日の和歌山大会組み合わせ(4日目 2回戦)
紀三井寺球場
☆ 13:00~ 神 島 - 熊 野
☆☆☆ 15:30~ 紀 央 館- 海 南(8回裏1死満塁から継続試合)
📝春季近畿地区高等学校野球大会県予選の日程変更のお知らせ
https://www.whbf.jp/uploads/20250414175937_A1EP.pdf
令和7年4月14日(月)に紀三井寺公園野球場でおこなわれていた紀央館高校対海南高校の試合は悪天候のため継続試合とし、第4試合神島高校対熊野高校は雨天順延とします。 なお、試合会場および試合開始時間は下記の通りとします。
記
令和7年4月15日(火) 紀三井寺公園野球場
第1試合 13:00 神 島 対 熊 野
第2試合 15:30 紀 央 館 対 海 南
※紀央館高校の攻撃8回裏1死満塁から試合を再開します
以 上
☝「下克上」元主将が三重大会初勝利 相可の辻監督 苦しい展開でも笑顔で
https://news.yahoo.co.jp/articles/bec4a0165dc1f60c42d2db95bbf80a5dd83d9f97
12日開幕の、第72回春季東海地区高校野球県大会1回戦で、相可は土壇場で逆転し、3―1で中地区第3シードの津に競り勝った。2018年に「下克上」で夏の甲子園に初出場した白山で主将を務め、この春から指揮を執る辻監督が県大会の初戦を勝利で飾った。
津の先発朝井投手を前に七回まで1人の走者も出せない苦しい展開に「もやもやする部分もあったが、ベンチで笑顔でいるようにしていた」と振り返る。
1点差の九回表2死満塁で、チーム初安打を放っていた4番中川に打席が回ると「思い切ってやってこいよ」と声をかけて送り出した。走者一掃の適時二塁打で期待に応えた中川を「頼もしい」とねぎらう。
「しっかりした守備が後半の逆転につながった。県大会で勝ったことが自信になる」とした上で、次戦に向けて「一戦必勝。バッティングを改善して臨みたい」と意気込んだ。
👣夏は勝つ投球を、初戦敗退の鈴鹿・高山航太朗 三重
https://news.yahoo.co.jp/articles/cfae1f638b5a1e3c83e7b9cb30d79257d02247c7
昨年夏の全国高校選手権三重大会で20年ぶりに決勝進出し、準優勝した鈴鹿。ベスト8入りで、今年夏の県大会のシード権が獲得できる第72回春季東海地区高校野球県大会1回戦で、松阪商に4―5で敗れて、初戦で姿を消した。
タイブレークに突入した延長十回裏。守備の乱れをつかれて、サヨナラ負けを喫した。背番号「9」で先発のマウンドに登った後、いったん右翼の守備に回り、八回から再びマウンドに立っていた3年生右腕高山航太朗は、「後半ちょっと打たれてしまい、そこからうまく行かなかった」と自らを責めた。
1学年上の今村颯と継投で勝ち上がった昨年夏はリリーフでの起用が多かった。同学年左腕の高山倖慎と継投で地区予選を勝ち抜いてきたこの春は、自らが先発し、外野の守備を経て再びマウンドに登る練習を繰り返してきた。
松阪商戦も三回1/3までは4安打1失点4奪三振、とまずまずの投球内容。しかし、外野の守備を経て、1点リードの八回から高山倖とマウンドを交代した後は2回0/3、6安打4失点で「制球が余り良くなかった」。
先輩たちが掲げた目標「甲子園で勝つ」を引き継いでいる。秋以降体重を8キロ増量するなど主戦の自覚を見せる右腕は「次は一発勝負。チームを勝たせる投球をしたい」と夏を見据えた。
📝大阪桐蔭野球部の新入生が一番驚くことは? 「最強世代」で最初にブレークした“スーパー1年生”が振り返る16歳の衝撃「1日を乗り越えるのに必死で…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e145bcecd2b9cc3c2687c290851eeca8dd5505b3?page=1
横浜高の優勝で幕を閉じたセンバツ高校野球。98年ぶりに大阪勢の出場がなかったことも話題になった。8年前の春、『大阪頂上決戦』を制し黄金期の幕を開けたのが大阪桐蔭高2年生の「最強世代」だった。精鋭揃いの顔ぶれは当時、どのような日々を過ごしていたのか。1年生で4番を任され「最強世代」で最初にブレークした山田健太内野手(現・日本生命)に聞いた。
大阪桐蔭の門をくぐったのは9年前、2016年の春のことだ。新入生として初めて練習に参加した時の衝撃を山田は今も覚えている。
「入る前からレベルが高いというのは知っていましたし、想像もしていました。でも実際にはそれ以上でしたね。みんな言うと思いますが、衝撃的だったのはやはりノックです。新入部員が先輩たちのノックを見る時間があったのですが、そのスピード感には圧倒されました」
「最強世代」16歳の春
後に「最強世代」と称されることになる同学年の部員は21人。根尾昂(現・中日)、藤原恭大(現・ロッテ)ら錚々たるメンバーが揃っていた。
「有名な人ばっかり。でも、中学時代のボーイズやジャパンの繋がりでお互い知っていたので、緊張する、という感じではなかった。同級生で1番になりたいという気持ちはもちろんありましたけど、そんなことより1日1日を乗り越えるのに必死で(笑)」
山田とて中学時代から全国にその名を知られた精鋭である。愛知県出身で、千代田中時代に所属した東海ボーイズでは中3の夏に日本代表に選ばれ、世界大会で優勝している。強豪・大阪桐蔭への進学を選んだのは、3年後の高校3年で迎えることになる夏の甲子園の第100回記念大会を見据えてのことだった。
「高校を選ぶにあたってまず、100回大会の甲子園で優勝したいという気持ちがありました。桐蔭には全国から凄いメンバーが集まってくるという情報も入ってきていましたし、どこなら一番優勝できる確率が高いのかと考えた時に、やっぱり大阪桐蔭だ、と……」
1年生で「4番」に大抜擢
強豪チームをあえて選んだ他の仲間たちもやはり、同じ思いを持っていた。必死に練習に食らいついていった1年生の頃から、どの選手も野球に対する意識はとにかく高かったという。
「周りに影響される人はあまりいなくて、それぞれ自分にとって必要な課題にしっかり向き合うような選手が多かった。一緒にやりながらも、そういうところは凄いなと思って見ていました」
高いレベルで切磋琢磨するミレニアム世代の仲間たちの中で、一番に飛び出したのが山田だ。夏の府大会で敗れ、始動した新チームで1年生ながら「4番・サード」に抜擢されたのだ。
「夏に負けた後、毎日オープン戦みたいな感じで実戦があったんですが、そこである程度結果が出て……。とはいえ信頼されて4番を任されたということではなく、1つ上の代に不動の4番というような存在がいない状況だったので、『それなら山田いくか』みたいな感じでしたから」
「スーパー1年生」注目の中で
本人はそう謙遜するが、ただの「4番」ではなく「大阪桐蔭の4番」である。ミレニアム世代の「スーパー1年生」として周囲からの注目は高まった。しかし、秋の大阪府大会準決勝・履正社戦は1安打しか打てず敗れ、近畿大会1回戦では無安打。準々決勝からは根尾に4番の座を明け渡した。
「プレッシャーがというよりは、完全に技術不足だったと思います。試合で結果を残せるだけの技術がなかったということ。ただ、その時の悔しさや冬の間の練習が、自分の中ですごく大きなターニングポイントになったな、というところがあって……」
近畿大会は準決勝で敗れたが、春のセンバツ大会出場の可能性は残して迎えた冬。山田は、悔しさをバネに徹底的にバットを振り込んだ。追求したのは、強い球に負けないバッティングだ。
「橋本(翔太郎)コーチがつきっきりでティーバッティングや素振りを見てくださったんです。バットのヘッドをどうやって使うかとか、技術的な部分の細かいところから色々と教わって、毎日バットを振って確認していく中で少しずついい感覚が身についていった。がむしゃらに頑張った感じですけど、今振り返ると、あの冬がなければその後はなかったと思いますね」
野球ノートに書かれた言葉
この時期にかけられた西谷浩一監督の言葉も強く記憶に残っているという。
「結果が出ない時に野球ノートのコメントでよく『もっと山田らしさを出せ』というような言葉を書いてくださったんです。最初はあまりピンと来なかったのですが、“らしさ”って何だろう、と考えていく中で自分を見つめ直すきっかけになりました。失敗を怖がって消極的にプレーするのではなく、もっと明るく堂々と振る舞うことが大事だなと思って。そこから目先の結果ではなく、積極的に失敗を恐れずやっていこうと考えられるようになりました」
振り返れば、西谷監督はよく“余白のある言葉”を投げかけてくれたと山田は言う。正解を突きつけるのではなく、選手が自分と向き合うことで成長することを期待していたのだろう。
「結局は考えることが一番大事で、色々なことを試したり、何かを信じて継続していく中で変わっていくものがあるのだと思う。これをやれ、というような言葉ではなく、自分で考えるためのヒントをいただいたな、と思っています」
「これが甲子園なんだ!」
迎えた2017年、2年春のセンバツ大会で山田は鮮やかな甲子園デビューを飾る。1回戦の宇部鴻城戦で、レフトスタンドに2ランホームランを放ったのだ。同学年の2年生5人が先発メンバーに名を連ねた試合で、公式戦初本塁打が飛び出した。
「これが甲子園なんだ! って。お客さんも沢山入っていて、その中で自分もホームランを打てたことは今でも心に残っています。緊張感もありましたけど、何よりものすごく楽しかったです」
履正社との「大阪頂上決戦」となった決勝を制し、センバツ優勝を果たす。山田は5試合全てでスタメンに名を連ね、21打数12安打8打点の大活躍。その甘いマスクで女性ファンからの注目も集めた。大阪桐蔭「最強世代」の快進撃がここから始まっていく――。
📝「練習試合にも観客が殺到」「根尾と藤原の影響は大きくて…」山田健太が語る大阪桐蔭「最強世代」のリアル「今思えば“非日常”を味わっていたような…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9748a32108371fc17e4f6982aecad735bd8e5697?page=1
2年生春のセンバツで優勝、3年時には春夏連覇という偉業を成し遂げた大阪桐蔭の『最強世代』。まさに敵なしの圧倒的強さで全国から注目を集めたが、渦中にいた山田はそのフィーバーをどう見ていたのだろうか。
「当時はその凄さっていうのはあまり感じなかったんです。でも今振り返ってみると、甲子園に4回出て3回優勝って結構凄いことをしたんだなと思います。非日常を味わっていたような気がします」
練習試合にも観客が殺到
当時、その注目度を最も実感した場面は、遠征試合だったという。甲子園常連校と言われる学校でも遠征では相手校のグラウンドや学校の球場で試合をすることが多いが、大阪桐蔭はほとんどの遠征試合が観客の入るスタジアムで行われていた。
「色んなところに試合に行ったりしましたが、その時のお客さんの数 っていうのが、学年が上がるごとにどんどん増えていったんですよ。満員のお客さんを見たり、その歓声を聞くと、自分たちのことなのに、おお、すげえ! って思っていました」
2年春のセンバツ優勝メンバーが7人も残り、結果的に根尾、藤原、横川凱(現・巨人)、柿木蓮(元・日本ハム)と、のちに4人が高卒でプロ入りすることになる「最強世代」。高校生ながら全国区の知名度を誇ったが、大舞台で抜群の勝負強さを発揮した“イケメン”山田の人気も凄まじかった。
「最強世代」屈指のイケメン人気
「いやあ、全然ですよ。(一番人気があったのは)藤原じゃないですかね。やはり根尾とか藤原の影響力って凄く大きかったんです。沢山の人に見られている中で、彼らは常に結果を出していたのでチームメートながら凄いと思っていました。同時に、これだけの大観衆の中で注目を浴びてプレーできるというのは僕らも楽しかったですし、そういう経験自体がチームを強くしてくれたと思います」
チームに与える影響も大きかったという根尾と藤原は高校時代、どんな存在だったのだろう。愛知県出身の山田と岐阜県出身の根尾とは、中学時代からよく知る仲だ。ボーイズリーグの世界大会で日本代表に選ばれた時には同部屋だったこともあるという。
「中学生の頃から練習が終わって部屋に戻っても、ずっとYouTubeでバッティングの研究をしていたり、めちゃくちゃ意識が高かったです。高校に入った後もずっと練習していましたし、寮に帰ったらみっちり勉強していた。なんかすげえな、って。でも優等生っていうイメージが作られていましたけど、実際には明るいし本当に面白いんですよ」
藤原は「なんでも一番に…」
一方で、藤原については「とにかく負けず嫌い」と話す。
「なんでも一番になりたいタイプ。それがあそこまで技術を高めるところにつながっている。あいつにだけは負けたくない、とかそういうのではなく、とにかく自分が一番になるまでやる。そのためにとことん突き詰める。それが藤原の凄いところだな、と3年間見ていて感じました」
高い意識を持った仲間たち。「大阪桐蔭」という常勝の看板を背負った日々の中で、選手たちはプレッシャーをどのように跳ね除けていたのか。
「確かに注目もすごかったですし、 勝って当たり前という空気はありました。ただ練習は本当に雰囲気良く、明るくやっていました。練習の時からひたすら日本一を意識して、本気で日本一を取りに行くんだ、という気持ちをみんなが持っていたので、嫌々やらされているような選手はいなかったと思います。重圧と戦うのではなく、それを圧倒するための練習だったのかなと思います」
「最強」への大きな挫折
その言葉通り、2年春のセンバツ大会で優勝、3年は春夏連覇と無敵を誇った「最強世代」。しかし、その陰にターニングポイントとなった屈辱があった。新チームになった2年生の秋の神宮大会。順調に勝ち上がったが、準決勝で創成館(長崎)に足を掬われ4-7で敗れたのだ。
「あまりにもあっさり負けてしまって、このままじゃダメだ、となりました。キャプテンの中川(卓也内野手)と根尾が中心となって西谷監督にも相談しながらミーティングを何度も何度もやって……。このチームに何が足りないのか、どういうことに取り組むべきなのか、みんなで話し合いました。それまでは個が突出しているチームだったんですけど、そこからチームワークが良くなった。自分らの代にとってあの負けは本当に大きなターニングポイントになったと思います」
同学年21人の中でも、横道に逸れたり練習をサボったりするような選手はいなかったという。
「本当にやる選手が空気をしっかり締めていたので、もし横道に逸れるような選手がいても多分、いい方向に巻き込めていただろうなと思います」
卒業後に実感した大阪桐蔭の“凄み”
在学中、甲子園に4回出場し、3度日本一。華々しい経歴を引っ提げて、山田は立教大学へと進み、現在は社会人野球の名門・日本生命でプレーしている。高校卒業から6年経ったいま、あらためて感じる「最強世代」の凄さとはなんだろうか。
「同じように日本一という目標を掲げていても、単なる目標なのかと、それを本当に信じているのかとでは違うと思うんです。高校時代は、今振り返ってもみんなが本当に日本一を取れると信じて練習から取り組んでいた。甲子園に出ることが目標ではなく、甲子園で優勝することが目標でした。勝って当たり前、という集団にいることによる意識の差というのは、他のチームとは違ったものがあったと思います」
根尾、藤原ら4人が高卒でプロ入りを果たした「最強世代」。その中で山田は、2度のドラフト指名漏れを経験している。当時の思い、そして今も胸に抱く夢とはーー。
⚾岩手さんへ
ずいぶん情報が早いですね!!紀三井寺ではなんと第1試合から延長13回の死闘をしていたようで・・・・・。
9回表終了8-1から県和歌山が怒涛の猛追で土壇場に7点取って追いつき、タイブレークが4イニング続いたとは!!
和歌山商は田中監督がノック中に部員の頭をバットのヘッドで小突いた傷害事件での解任以降弱体化が目立ちますね。
なんとか今日は勝ったようですが、3時間30分近い死闘だったようで、、、、、そういうのを僕は観たいのですが!!
幸い宝塚は大した雨でもなく、18時からの接骨院には自転車で往復できたし、16時過ぎまでは太陽の位置が分かるような好天でした。
こういう時の雨は辛いですよね・・・。第4試合最後までやったら21時近くになっていたかも!?
いつだったか夏の大会で20時30分を過ぎる死闘もあったはずですが、今日のカードを見る限りにおいては大会初日のような混雑もなかっただろうから、お客さん全員屋根下で雨を凌げたと思いますが、帰りの足が難儀しただろうなあ・・・・・。
三重は雨が多い地域なんで、あらかじめ前日中止で予防線はったようですね。
20日の日曜日も雨予報なんで、、、あわよくばそこが中止となると21日に松阪で3試合観戦が見込めるので電車・バス共に平日ダイヤなら日帰りで充分行けるから期待しております。
しかし、東北地方の交通事情はかなり厳しそうですね・・・。隣県に行くのも一苦労のようですし。
一応、関東大会が茨城県で開催されるようでセンバツ4強に3校食い込んだので神奈川や山梨よりも近いと思いますが、、、、、行くのは厳しそうですね。
⚾shionomisakiさんへ
去年は佐賀で九州大会4試合組まれていたんですね!!
しかしながら、途中雨で打ち切りというのは痛恨の極みですよね・・・・・。今日の紀三井寺も同じ感じでせっかく球場に来たからには朝日からナイターまで球場で過ごしたいところですが。
相当前に姫路方面からよく投稿されていた方が、高松での四国大会で同じような憂き目に遭って嘆いておられましたが、ホンマに辛いですよね。
僕も2年前の秋に倉敷市営で11時から2試合晴れて開始式を行いましたが、急に空が真っ暗になり雷鳴轟き13時過ぎにナイター点灯で2時間30分ほど中断ののちに再開されましたが、第2試合は中止となってしまい唖然呆然・・・。
翌日に10時から3試合となり、初日の入場券を提示すれば翌日は無料で入れるということで気を取り直し、10時から19時過ぎまで無料観戦ナイター付きでヤレヤレと。
倉敷市営球場3回来場してオールナイター観戦というのも凄いですが、そのうち2度は雨にたたられているし、新倉敷で湯治の予定が時間の都合上諦めざるを得ず、昨年夏にようやく新倉敷駅に辿り着き、岡山珈琲館で一服でき、今春こそスーパー銭湯に行きたいと。
開会式終わって即移動で別の球場で試合というのはかつて春の北信越や秋の中国でよくやってましたね。
福井県だったら福井県営で開会式行い、敦賀に移動して即試合というのもありました。直近ではフェニックスで開会式して県営で試合だったので移動は楽だったと思いますが。
そういえば、軟式の選手権も明石で開会式してウインク姫路で試合がありますよね。
しかし、近年はナイター回避の為に4試合を組まないケースが増えてますね↓↓
兵庫はナイター設備のない球場が多いのでやむを得ないですが、昔はマスカットで春秋ともにガンガン4試合やってましたが、、、、、
しかし、今春は紀三井寺で4/12そして幻になったが本日。1大会2度4試合日の設定がブチこまれたので良かったかなと。
それから5/3佐藤薬品スタジアムで4試合予定されており、もちろん僕は参戦予定ですが、雨降らないことを祈ります!!適当に曇って17時30分点灯は大歓迎ですが。
日没が相当遅くなるだろうから、コールド多発地域なんでナイターかどうかは分かりませんが、2時間あれば帰宅できるから!
しかし、九州はやたらに春季大会開幕が早いので夏までに地元のテレビ局主催の公式戦や招待試合などでつないでいるようですね。
P・S 和歌山ツアーいいですね。先日の紀三井寺には兵庫からわざわざ遠路はるばる紀三井寺まで足を運ばれた高校野球ファンがチラホラいたようで、嬉しい限りでした!
他府県でめぼしいカードもなかったし、タダで4試合観戦させてもらえるので、都合さえつけばこっちになだれ込むことは安易に想像できましたが!!
一応、センバツ準優勝した和智弁の試合も組まれていたので朝は閑古鳥鳴いていたスタンドもナイターになるとソコソコ埋まってましたね!!
20時30分頃和歌山ラーメン食べていた折に、WBS和歌山放送で紀三井寺公園の管理者をゲストにトークに花を咲かされており楽しく聴けました。
次に紀三井寺行くのは5/15 17時からの独立リーグ観戦ですが、、、オークワで夜ご飯仕入れて試合中食べて、終わったら速攻帰路につかなければ・・・平日ダイヤなんでまだゆとりはあると思いますが、やはり深夜0時前後の帰宅でしょうね!