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☝阪神タイガース2軍拠点、3月開業 尼崎駅前中央公園、同時期リニューアル まちの魅力向上へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/1cc938027c2d4085b66eca6d87dc86a23c12f2cc
今年3月、阪神電鉄大物駅南側に、プロ野球阪神タイガース2軍球場を中心とした「ゼロカーボンベースボールパーク」が開業する。尼崎駅北側では同月末に中央公園のリニューアル工事も完了し、カフェや芝生広場が誕生。両駅間には尼崎城などもあり、隣の杭瀬、出屋敷駅に目を向ければ個性的な商店街が広がる。直線距離で約3キロ内に点在するスポットをどうつなぎ、エリアとしての魅力を高めるか。「工都」の新たな挑戦が始まる。
■尼崎市が周辺連携模索
ゼロカーボンベースボールパークは環境省の脱炭素先行地域の指定を受けて小田南公園を再整備する。新球場や室内練習場など2軍施設のほか市民球場、広場などがあり、年間の来場者は30万人、経済効果は15億円を見込む。
市はオープンに合わせ、駅から続く緑地にタイルを敷き、ベンチなども配置。キッチンカーも入れるようにする。今春からは大物公園リニューアルも本格化し、尼崎城や前ユニチカ記念館への動線になる大物川緑地の活用法は地元住民や小中高生も交えてワークショップを重ねる。
「地域の高齢化は深刻。緑地の遊具や舗装は老朽化し、人けがなかった」と議論に関わる尼崎小田高校の難波滋教諭(58)。だが、2軍球場移転が決まってから新築一戸建てや子育て世代が少しずつ増えているといい、「外から来た人も住んでいる人も、多世代が楽しめる遊歩道になれば」と期待を込める。
一方の中央公園は1998年以来、約30年ぶりのリニューアル。市の調査では、これまで利用者の公園滞在時間は15分未満が大半で、待ち合わせや電車待ち、ゆっくりとくつろげる「滞在型」の公園を目指す。尼崎城は2025年度、展示を再編し、人気の火縄銃や剣術、なりきりなど「体験コンテンツ」を強化する方針。尼崎中央、三和本通商店街や杭瀬商店街でも安くておいしい「食」や「昭和な雰囲気」「アート」など尼崎にしかない「コト・トキ」の価値を創造し、周遊につなげようと官民挙げた取り組みが続く。
「旧かんなみ新地の解体や暴力団事務所ゼロで、阪神沿線の尼崎のまちのイメージは劇的に変わった」と市の担当者。駅近ながらコインパーキングなど低未利用地の多さが課題だったが、不動産業者の関心も高まっているといい、「新球場と中央公園が完成すれば、もっと変わっていく。イベントはもちろん、イベントがなくても、楽しく心地よく過ごせる場所にすることで、まち全体の魅力をかさ上げしていきたい」と話している。
📝強打の「やまびこ打線」 蔦文也さん、教え子たちに今も響く名言
https://news.yahoo.co.jp/articles/ef376d0c24f3b5074a84c795942c8cdfc045bcc8
「山あいの子どもたちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」。強打の「やまびこ打線」などと称され、昭和40~50年代の甲子園を沸かせた徳島県立池田高校野球部を40年間率いた元監督の蔦文也さん(2001年死去、享年77)が、1971年夏の甲子園に初出場した際の言葉だ。同校玄関前の碑にも刻まれている。春夏の甲子園で3度の優勝、2度の準優勝に導いた名将が残した数々の名言は、今も教え子たちの心に響いている。
主将として79年春夏の甲子園に連続出場した岡田康志さん(63)によると、蔦さんは普段、選手の練習に向かう気持ちや姿勢を見ていたという。守備でエラーをしたり打撃でミスをしたりしても何も言わないが、気が抜けたプレーをすると怒られた。練習は常にピリピリした雰囲気の中で行われていたという。
しかし、甲子園では違った。必要最低限の声かけだけで、選手たちに伸び伸びプレーさせることに徹していた。チームは県大会や四国大会で苦戦したが、甲子園では全員が実力以上の力を発揮して勝ち上がった。岡田さんは「不思議な力を感じた」と当時を振り返る。蔦さんは「厳しい練習を耐え抜いてきたから勝てるんだ」という自信を持たせ、選手たちを乗せるのがうまかったと評する。
79年夏の甲子園決勝で箕島(和歌山)に敗れた日、宿舎で蔦さんからこんな言葉をかけられた。「今日で高校野球は終わりだが、気持ちを切り替えて、今後の人生でもしっかりとした生活を送っていくように」。蔦さんの名言の一つ「不名誉は負けることではなく、負けて人間が駄目になること」につながる言葉で、最も印象に残っているという。
戦前生まれの蔦さんは、選手として甲子園に3度出場し、大学生で学徒出陣した。終戦後、社会人野球とプロ野球を経て52年に池田高校野球部監督に就任。甲子園に初出場したのは、就任から20年目のことだった。岡田さんは「普通の人ならここで燃え尽きるはず」と話す。その3年後の74年春には部員11人で準優勝し、「さわやかイレブン」と話題になった。
さらに82年夏、83年春に連覇を成し遂げる。しかし、3連覇がかかった同年夏の準決勝では完封負けを喫した。その際、蔦さんは選手たちに「これで良かったんじゃ」と声をかけたことを、当時大学生だった岡田さんは報道で知った。これからの長い人生、負けて学び、そこから立ち上がってほしい。「人生は敗者復活戦」と語っていた蔦さんの、選手たちへの期待の言葉だと捉えた。
蔦さんは人間味あふれる人柄も魅力だ。2016年に劇場公開されたドキュメンタリー映画「蔦監督―高校野球を変えた男の真実―」を製作した孫の映画監督、哲一朗さん(40)は、知人や教え子ら約40人に取材した。「みんなじいちゃんのことが好きで、いろんな人に支えられながらつかんだ栄光だったんだなと思った」と語る。若い頃は一晩にビールなどを計50本も飲み干したという逸話や、練習で酒の臭いをプンプンさせながらノックをしたという伝説があるほど酒豪だった。
大学卒業後に教員として池田高校に戻った岡田さんは、コーチ、監督代理を経て92年4月、68歳だった蔦さんからチームを引き継いだ。「練習では選手よりも早くグラウンドに出て、最後まで選手と一緒にいるように」と教えられた。蔦さん自身、そんな「姿勢」を見せて選手たちを引っ張っていた。
甲子園での通算成績37勝11敗、勝率7割超を誇る蔦さんは、定年後も非常勤で社会科教諭として教壇に立った。野球だけでなく、選手の普段の姿も把握したかったのだろうと岡田さんは言う。「どうすれば勝てるのか、四六時中野球のことばかり考えていて、とにかく情熱がすごかった。選手たちへの思いも強かった」。だからこそ、蔦さんの言葉は多くの人の心を打つのだろう。
⚾岩手さんへ
新年あけましておめでとうございます。
TV大阪の旅の日スペシャル第2弾を数日前にビデオ録画して拝見しましたが、東北地方は雪が積もるし、相当な寒さと思われます。。。。。
こっちはまだ、そこまで寒さが身に染みる日もなく、安穏と過ごしており、あるいはもしかしたら暖冬なのかも?!と思いつつ、後輩が3日の3回戦頑張ってくれたら、久しぶりに三木へ行けるのでいつもは阪急電車から乗り入れている神戸電鉄で緑が丘駅まで行き、そこから無料シャトルバスで送迎してもらえますが、https://www.jfa.jp/match/highschool_womens_2024/bus.pdf
今回は行きだけ三宮駅からバスで緑が丘へ行こうと考えております。
ノドは1度痛めるとなかなか治らないのが辛いです。声が出ないし、いつ治るか分からないし・・・。11月下旬あたりにちと体調崩しましたが、塩を3日間舐めてなんとか元に戻して寒い津に交流試合観戦できました。振り返ればこの冬は11月23日の津市営球場がいちばん寒かったかも!!
年賀状は近年、郵便局員を休ませるためか?2日の配達を辞めたし、土日も基本的に配達しないので・・・。
元日に届かない年賀状は3日あるいは週明けの6日以降になるんでしょうね・・・・・。
僕は、はがき代が20円近く値上げされたので若干書く枚数を減らして、喪中の方もいたので負担が減りました。
P・S 30日早朝6時放送の「甲子園が好きだから」はあるいは全国放送だったんですね!僕はビデオ撮ってその日のうちに見ました。大社の試合は何回見ても泣けてきますね!!
熱闘甲子園のテーマソングが歴代でもっとも残念な曲でしたが、、、毎年BEGIN(誓い)か浜田麻里(Precious Summer)あるいは皆谷尚美(セピアの日)・コブクロ(ダイヤモンド)の曲で回して欲しかったですね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1cc938027c2d4085b66eca6d87dc86a23c12f2cc
今年3月、阪神電鉄大物駅南側に、プロ野球阪神タイガース2軍球場を中心とした「ゼロカーボンベースボールパーク」が開業する。尼崎駅北側では同月末に中央公園のリニューアル工事も完了し、カフェや芝生広場が誕生。両駅間には尼崎城などもあり、隣の杭瀬、出屋敷駅に目を向ければ個性的な商店街が広がる。直線距離で約3キロ内に点在するスポットをどうつなぎ、エリアとしての魅力を高めるか。「工都」の新たな挑戦が始まる。
■尼崎市が周辺連携模索
ゼロカーボンベースボールパークは環境省の脱炭素先行地域の指定を受けて小田南公園を再整備する。新球場や室内練習場など2軍施設のほか市民球場、広場などがあり、年間の来場者は30万人、経済効果は15億円を見込む。
市はオープンに合わせ、駅から続く緑地にタイルを敷き、ベンチなども配置。キッチンカーも入れるようにする。今春からは大物公園リニューアルも本格化し、尼崎城や前ユニチカ記念館への動線になる大物川緑地の活用法は地元住民や小中高生も交えてワークショップを重ねる。
「地域の高齢化は深刻。緑地の遊具や舗装は老朽化し、人けがなかった」と議論に関わる尼崎小田高校の難波滋教諭(58)。だが、2軍球場移転が決まってから新築一戸建てや子育て世代が少しずつ増えているといい、「外から来た人も住んでいる人も、多世代が楽しめる遊歩道になれば」と期待を込める。
一方の中央公園は1998年以来、約30年ぶりのリニューアル。市の調査では、これまで利用者の公園滞在時間は15分未満が大半で、待ち合わせや電車待ち、ゆっくりとくつろげる「滞在型」の公園を目指す。尼崎城は2025年度、展示を再編し、人気の火縄銃や剣術、なりきりなど「体験コンテンツ」を強化する方針。尼崎中央、三和本通商店街や杭瀬商店街でも安くておいしい「食」や「昭和な雰囲気」「アート」など尼崎にしかない「コト・トキ」の価値を創造し、周遊につなげようと官民挙げた取り組みが続く。
「旧かんなみ新地の解体や暴力団事務所ゼロで、阪神沿線の尼崎のまちのイメージは劇的に変わった」と市の担当者。駅近ながらコインパーキングなど低未利用地の多さが課題だったが、不動産業者の関心も高まっているといい、「新球場と中央公園が完成すれば、もっと変わっていく。イベントはもちろん、イベントがなくても、楽しく心地よく過ごせる場所にすることで、まち全体の魅力をかさ上げしていきたい」と話している。
📝強打の「やまびこ打線」 蔦文也さん、教え子たちに今も響く名言
https://news.yahoo.co.jp/articles/ef376d0c24f3b5074a84c795942c8cdfc045bcc8
「山あいの子どもたちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」。強打の「やまびこ打線」などと称され、昭和40~50年代の甲子園を沸かせた徳島県立池田高校野球部を40年間率いた元監督の蔦文也さん(2001年死去、享年77)が、1971年夏の甲子園に初出場した際の言葉だ。同校玄関前の碑にも刻まれている。春夏の甲子園で3度の優勝、2度の準優勝に導いた名将が残した数々の名言は、今も教え子たちの心に響いている。
主将として79年春夏の甲子園に連続出場した岡田康志さん(63)によると、蔦さんは普段、選手の練習に向かう気持ちや姿勢を見ていたという。守備でエラーをしたり打撃でミスをしたりしても何も言わないが、気が抜けたプレーをすると怒られた。練習は常にピリピリした雰囲気の中で行われていたという。
しかし、甲子園では違った。必要最低限の声かけだけで、選手たちに伸び伸びプレーさせることに徹していた。チームは県大会や四国大会で苦戦したが、甲子園では全員が実力以上の力を発揮して勝ち上がった。岡田さんは「不思議な力を感じた」と当時を振り返る。蔦さんは「厳しい練習を耐え抜いてきたから勝てるんだ」という自信を持たせ、選手たちを乗せるのがうまかったと評する。
79年夏の甲子園決勝で箕島(和歌山)に敗れた日、宿舎で蔦さんからこんな言葉をかけられた。「今日で高校野球は終わりだが、気持ちを切り替えて、今後の人生でもしっかりとした生活を送っていくように」。蔦さんの名言の一つ「不名誉は負けることではなく、負けて人間が駄目になること」につながる言葉で、最も印象に残っているという。
戦前生まれの蔦さんは、選手として甲子園に3度出場し、大学生で学徒出陣した。終戦後、社会人野球とプロ野球を経て52年に池田高校野球部監督に就任。甲子園に初出場したのは、就任から20年目のことだった。岡田さんは「普通の人ならここで燃え尽きるはず」と話す。その3年後の74年春には部員11人で準優勝し、「さわやかイレブン」と話題になった。
さらに82年夏、83年春に連覇を成し遂げる。しかし、3連覇がかかった同年夏の準決勝では完封負けを喫した。その際、蔦さんは選手たちに「これで良かったんじゃ」と声をかけたことを、当時大学生だった岡田さんは報道で知った。これからの長い人生、負けて学び、そこから立ち上がってほしい。「人生は敗者復活戦」と語っていた蔦さんの、選手たちへの期待の言葉だと捉えた。
蔦さんは人間味あふれる人柄も魅力だ。2016年に劇場公開されたドキュメンタリー映画「蔦監督―高校野球を変えた男の真実―」を製作した孫の映画監督、哲一朗さん(40)は、知人や教え子ら約40人に取材した。「みんなじいちゃんのことが好きで、いろんな人に支えられながらつかんだ栄光だったんだなと思った」と語る。若い頃は一晩にビールなどを計50本も飲み干したという逸話や、練習で酒の臭いをプンプンさせながらノックをしたという伝説があるほど酒豪だった。
大学卒業後に教員として池田高校に戻った岡田さんは、コーチ、監督代理を経て92年4月、68歳だった蔦さんからチームを引き継いだ。「練習では選手よりも早くグラウンドに出て、最後まで選手と一緒にいるように」と教えられた。蔦さん自身、そんな「姿勢」を見せて選手たちを引っ張っていた。
甲子園での通算成績37勝11敗、勝率7割超を誇る蔦さんは、定年後も非常勤で社会科教諭として教壇に立った。野球だけでなく、選手の普段の姿も把握したかったのだろうと岡田さんは言う。「どうすれば勝てるのか、四六時中野球のことばかり考えていて、とにかく情熱がすごかった。選手たちへの思いも強かった」。だからこそ、蔦さんの言葉は多くの人の心を打つのだろう。
⚾岩手さんへ
新年あけましておめでとうございます。
TV大阪の旅の日スペシャル第2弾を数日前にビデオ録画して拝見しましたが、東北地方は雪が積もるし、相当な寒さと思われます。。。。。
こっちはまだ、そこまで寒さが身に染みる日もなく、安穏と過ごしており、あるいはもしかしたら暖冬なのかも?!と思いつつ、後輩が3日の3回戦頑張ってくれたら、久しぶりに三木へ行けるのでいつもは阪急電車から乗り入れている神戸電鉄で緑が丘駅まで行き、そこから無料シャトルバスで送迎してもらえますが、https://www.jfa.jp/match/highschool_womens_2024/bus.pdf
今回は行きだけ三宮駅からバスで緑が丘へ行こうと考えております。
ノドは1度痛めるとなかなか治らないのが辛いです。声が出ないし、いつ治るか分からないし・・・。11月下旬あたりにちと体調崩しましたが、塩を3日間舐めてなんとか元に戻して寒い津に交流試合観戦できました。振り返ればこの冬は11月23日の津市営球場がいちばん寒かったかも!!
年賀状は近年、郵便局員を休ませるためか?2日の配達を辞めたし、土日も基本的に配達しないので・・・。
元日に届かない年賀状は3日あるいは週明けの6日以降になるんでしょうね・・・・・。
僕は、はがき代が20円近く値上げされたので若干書く枚数を減らして、喪中の方もいたので負担が減りました。
P・S 30日早朝6時放送の「甲子園が好きだから」はあるいは全国放送だったんですね!僕はビデオ撮ってその日のうちに見ました。大社の試合は何回見ても泣けてきますね!!
熱闘甲子園のテーマソングが歴代でもっとも残念な曲でしたが、、、毎年BEGIN(誓い)か浜田麻里(Precious Summer)あるいは皆谷尚美(セピアの日)・コブクロ(ダイヤモンド)の曲で回して欲しかったですね。