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☝センバツ21世紀枠 大田に表彰盾 中国地区候補校 /島根
https://news.yahoo.co.jp/articles/4ad02cfd6bb8c56c1b8ca6300dc4c36481a8b0f0
来春の第97回選抜高校野球大会の「21世紀枠」の中国地区候補校に選ばれた島根県立大田高校に18日、大会を主催する毎日新聞社と日本高野連から表彰盾が贈呈された。
大田は選手11人ながら、堅い守りを武器に秋季県大会で4強、中国地区大会では38年ぶりに勝利し8強入りした。県高野連の水津則義会長から盾を受け取った安井熙一主将は「人数が少ないからこそ練習の量をこなせるし、監督や部長のアドバイスをしっかり聞ける。モチベーションを持って精進したい」と気を引き締めた。水津会長は「地区の代表になることは大変な栄誉。一喜一憂することなく、甲子園に出るイメージを持ちながら厳しい練習に臨んでほしい」とエールを送った。
21世紀枠は2025年1月24日の選考委員会で、全国9校の候補校から2校が選ばれる。
💢倉吉北高校の野球部監督が生徒に体罰 10月29日から4か月間の謹慎処分 生徒にけがはなし 学校は監督に指導を行い再発防止策の策定を進める
https://news.yahoo.co.jp/articles/cb6334f47bcdc16d7a0e4e6321f95fa097019a55
鳥取県倉吉市の私立高校・倉吉北高校の野球部で監督が体罰を行っていたことが分かりました。体罰を受けた生徒にけがはなく、学校は監督に指導を行うとともに再発防止策の策定を進めています。
12月17日、東京で開かれた日本学生野球協会の審査室会議で倉吉北高校の野球部の監督が、今年10月下旬に体罰を行っていたことが明らかになりました。この監督は、日本学生野球協会から体罰と報告義務違反で、10月29日から4か月間の謹慎処分を受けています。
倉吉北高校は体罰の発覚後、監督に指導を行うとともに、11月上旬に野球部の保護者に状況を説明。さらに、野球部の部員にもアンケートを行い、再発防止策の策定を進めています。
体罰を受けた生徒にけがはなく、野球部の代理の監督の下で、現在も活動を続けているということです。
倉吉北高校は「関係者の皆さまにご迷惑、ご心配をおかけし申し訳ない」とコメントし、再発防止に努める考えを示しました。
📝元巨人・柴田章吾氏がアジア初の「甲子園大会」を開催 前例がない大会への意気込み
https://news.yahoo.co.jp/articles/b78d2e226a2b4ab81cda9963b67e7d56495707c6?page=1
気が付けば12月中旬にさしかかり、2024年も残りわずか。25年春のセンバツ大会でどこの高校が出るのか、すでに予想を楽しんでいる人もいるだろう。そんな人々を魅了する甲子園を日本から約5700キロ離れたインドネシアの首都・ジャカルタで再現しようと12月17~21日の5日間で大会を開催している元甲子園球児がいる。ジャカルタの気温は30度と日本の夏と変わらぬ暑さの中、それ以上に大会を熱いものにしようと奮闘している。大会1カ月前に始めたクラウドファンディング(実施期間は12月26日まで)にかける思いと共に大会への意気込みを主催者の柴田章吾氏に話を聞いた。
やってみて分かる甲子園の偉大さ
――12月10日(取材日)ということで大会1週間前になりました。今の気持ちを教えてください。
柴田 想像以上に“甲子園のような大会を開催する”ことは大変なのだと痛感すると同時に、大会1週間前とは思えないほどバタバタしております。
――ちょうど先日、Instagramのストーリーで「人生、ほんとうにうまくいかない」と載せているのを見ました。画面越しでしたが、苦労が伝わりました。
柴田 初めてのことばかりで、毎日心労が絶えません……。
――想像よりもうまくいったこと、うまくいかなかったことがあると思います。まず、うまくいったことを教えてください。
柴田 思った以上に注目をいただけたことかなと思います。最初のころは“野球関係者”しか記事を見ていないことが多かったと思いますが、大会が近づくにつれて、普段野球と接点のない方からも「アジアで甲子園大会を開催しようとしているんだね」と言われることが増えました。
――“野球関係者”以外に広がったなというのは、日常ではどんなときに感じますか?
柴田 今年からシンガポールに移住していることもあり、新しい出会いが増えています。その際に「こういう活動をしていることを周りの人から聞いたよ」と言われたり、「知り合いが大会のスポンサーをしている会社に勤めているよ」といった声をいただきます。また、地元三重県の小学校、中学校から「プロ野球選手を引退後、海外起業しているOBがいることを知ってほしい」という講演依頼をいただけたりもしています。
――地元まで活動が届いているのはすごいですね! では、逆に想像よりうまくいかなかったことは何でしょうか?
柴田 野球大会を開催するだけでしたら、現地の人の協力があればそこまで難しくはないかもしれません。ただ、日本の甲子園を再現しようとインドネシア人と企画を進めているので……。例えば、開会式の入場行進を真似したり、負けたチームは砂を集めたり、大会のルール、ガイドラインをどうするか。甲子園特有の動きって、日本人はなんとなく流れを把握していますよね。ただ、現地の人たちは、「アジア甲子園はいつもの野球大会と何が違うの?」というところから始まり、子どもたちだけでなく、現地の運営の人たちにも伝えないといけない。また僕ら運営も日本の甲子園を主催したことがないので、細かい動きは内部で話し合いながら見よう見まねで準備をしているような状況です。
――たしかに甲子園を見ていたら、だいたいの動きは分かりますよね。見ていない人に伝えるのは難しそうです。ほかに大変なことはありますか?
柴田 準備と資金の工面です。当初試算はインドネシア渡航前のものでして、例えばAという項目は100万円ぐらいでできるだろうと思っていたのが、200万円になったり、規模が変わると1000万円まで膨らんだり、直面しないと分からないことがいくつもありました。また、ありがたいことに国内外、協力いただく方々が増えたことで人件費や経費をどう配分するか、という部分も難しかったです。
――関係者が増えるたびに決めるのは難しくなりますよね。比べるものではないと思いますが、甲子園に出ることとつくること、甲子園に対する熱量は変わらないでしょうか?
柴田 変わります。出るには選ばれないといけないですが、細かい準備は大人がやってくれました。つくる人は責任がありますし、「こうすればいい」という前例がないことが難しいですね。
――前例がないとは具体的にはどんなことがありますか?
柴田 甲子園出場が決まったら、バスの手配をしてくれて、ホテルも予約してくれるので、選手は試合に出るだけですけど、つくる側はそういった裏方的な仕事も含めて全部把握しないといけない。運営側ってこんなにも大変なんだなと思います。我々がやっていることは、朝日新聞さん、阪神電鉄さん、高野連さん、また各出場校が準備していることを全部しているようなイメージです。甲子園という文化を知らない人たちに教えることもしないといけないですし……。ある程度大枠は決まっているのですが、細かいところは現場に入って一緒に決めないといけません。みんなも初めてのことですので、不安なことはまだいっぱいあるかなという感じです。
――不安が多いと思いますが、甲子園を再現するために、大会期間中はどんなことをしますか?
柴田 甲子園の雰囲気をつくるために、毎日審判や共催団体と僕ら運営はミーティングをします。どこが甲子園らしくて、どこを意識してほしいいかみたいな話をしながらブラッシュアップをしていく。最終日にある程度の動きが分かってくれるかなという感じですね。
多くの人に知ってもらいたい
――なぜアジア甲子園1カ月前にクラウドファンディングを始めたのでしょうか? 始める前の軍資金集めとしてやっている団体が多いイメージですが……。
柴田 これまで地道な広報活動をしてきましたが、より認知を広めたいという想いが一番です。私のことを知らない人たちに向けて、様々な方に応援コメントをいただくことで知ってほしいと思いました。特に、プロ野球選手を通じたアプローチはこのような機会がないとなかなかチャンスはありません。母校の大先輩である工藤公康(元西武ほか)さん、坂本勇人(巨人)選手、山川穂高(ソフトバンク)選手、藤浪晋太郎(メッツFA)選手、森友哉(オリックス)選手、山岡泰輔(オリックス)選手、明治大学時代の同級生3人である野村祐輔選手(元広島)、島内宏明選手(楽天)、阿部寿樹選手(楽天)などなど、アジアで開催される甲子園を自分事のように考えてくださるうれしいコメントを多数いただきました。そのような賛同者がいることを世間の方々に知ってもらう機会は、クラウドファンディングと相性がいいと思い決意しました。
――たしかにそうですよね。柴田さんのSNSを普段から見ている私からしても、携わっている人たち全員を知りませんでした。
柴田 ですよね。クラウドファンディングのサイトをつくったことで、これだけ多くの人たちがいることがすぐに分かるので。
――前回もクラウドファンディングをやっていましたが、その違いはなんですか?
柴田 前回は会社を辞めた直後でしたので、活動費という意味合いも大きかったですが、今回はどれだけの人に知ってもらえるかを重要視して、その結果、多くの支援者を募りたい、というクラウドファンディングになっています。
――ありがとうございます。最後にクラウドファンディングを通じて、大会をどうしていきたいか教えてください。
柴田 今年だけでなく、継続的なプロジェクトにするために沢山の方々に知っていただき、ご支援いただける大会を作っていきたいので、ぜひ皆さんも一緒になって盛り上げていただけるとうれしいです。
📝花巻の高校野球史・昭和のレジェンド 花巻北の甲子園
https://article.yahoo.co.jp/detail/08a18c500ca5ca4d0e2462b06d79fa1c0023161c
令和6年は花巻東高野球部が夏の甲子園に出場し、東高出身の大谷翔平選手がメジャーリーグで3度目の最優秀選手賞を授賞し、菊池雄星選手は花巻に複合野球施設を設立するなど、花巻の野球の話題が注目されています。この15年間で花巻東高校野球部は春夏合わせて甲子園に12回出場する強豪校に躍進しました。花巻の高校野球史をたどると半世紀前の昭和40年前後に、花巻北高校が岩手県の高校野球を牽引し、甲子園に3回出場した黄金期がありました。先日、当時の花巻北高の主将や選手の方々が集結、座談会を開催。懐かしいお話を伺いました。
花巻の高校野球のあゆみ
花巻勢の甲子園での成績(春・夏合わせて)
花巻東(花巻商) :通算19勝16敗(勝率54%)
花巻北 :通算 3敗(勝率 0%)
花北青雲(花北商):通算 1敗(勝率 0%)
1960〜70年代は盛岡一高、一関一、福岡、遠野、黒沢尻北などの古豪が県大会の上位にいた頃、花巻勢も躍進しました。花巻北高が3回、花北商(現・花北青雲)が1回甲子園出場をしています。昭和38年は花巻北、39年は花巻商業(現・花巻東)と花巻勢は2年連続甲子園出場をしています。
昭和30年〜40年代の強豪校 花巻北高校 座談会 花巻北の甲子園球児が当時を語る
全部員数が17人〜19人、ピッチャーが一人しかいないなど、練習が不自由な面がありました。上級生のスパルタ式の指導のため、入学時に15人前後入部しても卒業時には5、6名しか残らなかったです。当時は、練習中の水分補給禁止、うさぎ飛び、ノックバットでのお仕置き指導など、今の時代には見られない練習風景がありました。
練習時間は午後4時から7時、遅くなると8時に。石鳥谷や東和の自宅から国鉄で通う日々。夏の大会が近づくと監督宅に下宿する選手もいました。
(1)昭和38(1963)年夏出場(初)
創部30年目で悲願の甲子園初出場を果たします。甲子園の初戦は強豪広陵高(広島)に善戦するも3対1で敗れました。
●小原千秋さん(79歳)昭和38年夏の甲子園初出場、主将で4番打者、捕手
「岩手県勢の中で唯一、開会式で選手宣誓をしています。宣誓をする学校は運営側があらかじめ東日本と西日本から一校ずつ選び(東は花巻北、西は宮崎商業)2校の主将が くじ引きをして決まりました。宣誓文は既に用意されていました。前日の予行練習では大会役員から何度も指導を受けましたが、当日の本番では緊張の中、平常心で 臨むことができました。」
(2)昭和41(1966)年夏出場(2回目)
3年生が3人だけの2年生が主力の守り主体のチームで岩手大会、北奥羽大会(岩手代表と青森代表による2次予選)を勝ち抜いて2度目の夏の甲子園出場を決めました。全国大会は、1回戦で古豪平安高校に0対9で敗れました。
●姉帯昇次さん(76歳)昭和41年の甲子園に出場、主将で5番打者、二塁手
姉帯さんは高校卒業後、花丘圭二という芸名で歌手デビューしています。花巻出身の日本初のフリーアナウンサーの高橋圭三さんから芸名に圭をもらいました。「1年生のときは部員が8人しかいなくて、同級生を必死に勧誘して新人戦に出場。2年生のときは、夏の岩手県大会の一回戦で敗退し、”水一滴も飲むな”の猛練習の結果、3年生のときは2年生中心のチームで夏の県大会と北奥羽大会を勝ち抜きました。」
(3)昭和46(1971)年夏出場(3回目)
岩手として3年ぶり、花巻北としては5年ぶり出場。
甲子園の1回戦は敗退し、三たび初戦の壁を破ることができませんでした。
●立川目和義さん (70歳)昭和46年夏の甲子園に出場、主将で2番打者、内野手
「県大会での盛岡一高戦。お互いの応援団のエキサイトや野次の応酬に、主審がベンチに来て「あの応援をやめさせないと没収試合にする」と注意されました。大会抽選会の日は、送迎車が道を間違えて時間に遅れてしまい皆さんを待たせてしまい大会会長から前代未聞と言われたそうです。」
●三井 信義 さん(71歳)昭和46年出場、5番打者、投手・一塁手・外野手
現在、光林寺理事長。るんびにい美術館建設など障がい者に尽力し今年度、市勢功労者表彰されました。
「岩手県大会の3回戦、古豪同士の盛岡一高戦。延長10回でサヨナラタイムリーを打って勝利したことが最大の思い出。練習のとき、水分補給ができないことや冬期間にボールを握れなかったことがつらかったです。」
●伊藤新也さん(71歳)3回目の甲子園出場、4番打者、捕手
「県大会3回戦の対盛岡一高と、北奥羽大会決勝の弘前高校に延長10回のサヨナラ勝ちが思い出に残る試合です。〝高校野球は人間教育の一環〝であり、“甲子園は人との出会いの場〝でした。」
桜雲野球の精神
部員数が少なく練習環境も不自由な中、野球に没頭して忍耐力や自信、集中力や団結力が養われました。 最後の甲子園出場から半世紀以上も経たが、後輩には4度目の出場と初の1勝をあきらめず期待しているレジェンド達でした。
昭和50年に設立し50周年を迎えました。花巻の郷土史の研究と普及を通じて、地域文化の保存と向上を目指しています。花巻のまちづくりを考える上でも、郷土の歴史や風土を学び知ることが大事です。中世や近代の学術的な歴史探求に加えて「花巻の高校野球史」のような昭和・平成の現代史の掘り起こしや、郷土の歴史を知る方の記憶や証言を記録に残すことにも活動を広げたいと思います。年配の方、若い世代の方の参加、入会を募っています。
花巻・岩手の高校野球史第2段や詳細詳は花巻史談会会報・史談会ホームページに掲載していきます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4ad02cfd6bb8c56c1b8ca6300dc4c36481a8b0f0
来春の第97回選抜高校野球大会の「21世紀枠」の中国地区候補校に選ばれた島根県立大田高校に18日、大会を主催する毎日新聞社と日本高野連から表彰盾が贈呈された。
大田は選手11人ながら、堅い守りを武器に秋季県大会で4強、中国地区大会では38年ぶりに勝利し8強入りした。県高野連の水津則義会長から盾を受け取った安井熙一主将は「人数が少ないからこそ練習の量をこなせるし、監督や部長のアドバイスをしっかり聞ける。モチベーションを持って精進したい」と気を引き締めた。水津会長は「地区の代表になることは大変な栄誉。一喜一憂することなく、甲子園に出るイメージを持ちながら厳しい練習に臨んでほしい」とエールを送った。
21世紀枠は2025年1月24日の選考委員会で、全国9校の候補校から2校が選ばれる。
💢倉吉北高校の野球部監督が生徒に体罰 10月29日から4か月間の謹慎処分 生徒にけがはなし 学校は監督に指導を行い再発防止策の策定を進める
https://news.yahoo.co.jp/articles/cb6334f47bcdc16d7a0e4e6321f95fa097019a55
鳥取県倉吉市の私立高校・倉吉北高校の野球部で監督が体罰を行っていたことが分かりました。体罰を受けた生徒にけがはなく、学校は監督に指導を行うとともに再発防止策の策定を進めています。
12月17日、東京で開かれた日本学生野球協会の審査室会議で倉吉北高校の野球部の監督が、今年10月下旬に体罰を行っていたことが明らかになりました。この監督は、日本学生野球協会から体罰と報告義務違反で、10月29日から4か月間の謹慎処分を受けています。
倉吉北高校は体罰の発覚後、監督に指導を行うとともに、11月上旬に野球部の保護者に状況を説明。さらに、野球部の部員にもアンケートを行い、再発防止策の策定を進めています。
体罰を受けた生徒にけがはなく、野球部の代理の監督の下で、現在も活動を続けているということです。
倉吉北高校は「関係者の皆さまにご迷惑、ご心配をおかけし申し訳ない」とコメントし、再発防止に努める考えを示しました。
📝元巨人・柴田章吾氏がアジア初の「甲子園大会」を開催 前例がない大会への意気込み
https://news.yahoo.co.jp/articles/b78d2e226a2b4ab81cda9963b67e7d56495707c6?page=1
気が付けば12月中旬にさしかかり、2024年も残りわずか。25年春のセンバツ大会でどこの高校が出るのか、すでに予想を楽しんでいる人もいるだろう。そんな人々を魅了する甲子園を日本から約5700キロ離れたインドネシアの首都・ジャカルタで再現しようと12月17~21日の5日間で大会を開催している元甲子園球児がいる。ジャカルタの気温は30度と日本の夏と変わらぬ暑さの中、それ以上に大会を熱いものにしようと奮闘している。大会1カ月前に始めたクラウドファンディング(実施期間は12月26日まで)にかける思いと共に大会への意気込みを主催者の柴田章吾氏に話を聞いた。
やってみて分かる甲子園の偉大さ
――12月10日(取材日)ということで大会1週間前になりました。今の気持ちを教えてください。
柴田 想像以上に“甲子園のような大会を開催する”ことは大変なのだと痛感すると同時に、大会1週間前とは思えないほどバタバタしております。
――ちょうど先日、Instagramのストーリーで「人生、ほんとうにうまくいかない」と載せているのを見ました。画面越しでしたが、苦労が伝わりました。
柴田 初めてのことばかりで、毎日心労が絶えません……。
――想像よりもうまくいったこと、うまくいかなかったことがあると思います。まず、うまくいったことを教えてください。
柴田 思った以上に注目をいただけたことかなと思います。最初のころは“野球関係者”しか記事を見ていないことが多かったと思いますが、大会が近づくにつれて、普段野球と接点のない方からも「アジアで甲子園大会を開催しようとしているんだね」と言われることが増えました。
――“野球関係者”以外に広がったなというのは、日常ではどんなときに感じますか?
柴田 今年からシンガポールに移住していることもあり、新しい出会いが増えています。その際に「こういう活動をしていることを周りの人から聞いたよ」と言われたり、「知り合いが大会のスポンサーをしている会社に勤めているよ」といった声をいただきます。また、地元三重県の小学校、中学校から「プロ野球選手を引退後、海外起業しているOBがいることを知ってほしい」という講演依頼をいただけたりもしています。
――地元まで活動が届いているのはすごいですね! では、逆に想像よりうまくいかなかったことは何でしょうか?
柴田 野球大会を開催するだけでしたら、現地の人の協力があればそこまで難しくはないかもしれません。ただ、日本の甲子園を再現しようとインドネシア人と企画を進めているので……。例えば、開会式の入場行進を真似したり、負けたチームは砂を集めたり、大会のルール、ガイドラインをどうするか。甲子園特有の動きって、日本人はなんとなく流れを把握していますよね。ただ、現地の人たちは、「アジア甲子園はいつもの野球大会と何が違うの?」というところから始まり、子どもたちだけでなく、現地の運営の人たちにも伝えないといけない。また僕ら運営も日本の甲子園を主催したことがないので、細かい動きは内部で話し合いながら見よう見まねで準備をしているような状況です。
――たしかに甲子園を見ていたら、だいたいの動きは分かりますよね。見ていない人に伝えるのは難しそうです。ほかに大変なことはありますか?
柴田 準備と資金の工面です。当初試算はインドネシア渡航前のものでして、例えばAという項目は100万円ぐらいでできるだろうと思っていたのが、200万円になったり、規模が変わると1000万円まで膨らんだり、直面しないと分からないことがいくつもありました。また、ありがたいことに国内外、協力いただく方々が増えたことで人件費や経費をどう配分するか、という部分も難しかったです。
――関係者が増えるたびに決めるのは難しくなりますよね。比べるものではないと思いますが、甲子園に出ることとつくること、甲子園に対する熱量は変わらないでしょうか?
柴田 変わります。出るには選ばれないといけないですが、細かい準備は大人がやってくれました。つくる人は責任がありますし、「こうすればいい」という前例がないことが難しいですね。
――前例がないとは具体的にはどんなことがありますか?
柴田 甲子園出場が決まったら、バスの手配をしてくれて、ホテルも予約してくれるので、選手は試合に出るだけですけど、つくる側はそういった裏方的な仕事も含めて全部把握しないといけない。運営側ってこんなにも大変なんだなと思います。我々がやっていることは、朝日新聞さん、阪神電鉄さん、高野連さん、また各出場校が準備していることを全部しているようなイメージです。甲子園という文化を知らない人たちに教えることもしないといけないですし……。ある程度大枠は決まっているのですが、細かいところは現場に入って一緒に決めないといけません。みんなも初めてのことですので、不安なことはまだいっぱいあるかなという感じです。
――不安が多いと思いますが、甲子園を再現するために、大会期間中はどんなことをしますか?
柴田 甲子園の雰囲気をつくるために、毎日審判や共催団体と僕ら運営はミーティングをします。どこが甲子園らしくて、どこを意識してほしいいかみたいな話をしながらブラッシュアップをしていく。最終日にある程度の動きが分かってくれるかなという感じですね。
多くの人に知ってもらいたい
――なぜアジア甲子園1カ月前にクラウドファンディングを始めたのでしょうか? 始める前の軍資金集めとしてやっている団体が多いイメージですが……。
柴田 これまで地道な広報活動をしてきましたが、より認知を広めたいという想いが一番です。私のことを知らない人たちに向けて、様々な方に応援コメントをいただくことで知ってほしいと思いました。特に、プロ野球選手を通じたアプローチはこのような機会がないとなかなかチャンスはありません。母校の大先輩である工藤公康(元西武ほか)さん、坂本勇人(巨人)選手、山川穂高(ソフトバンク)選手、藤浪晋太郎(メッツFA)選手、森友哉(オリックス)選手、山岡泰輔(オリックス)選手、明治大学時代の同級生3人である野村祐輔選手(元広島)、島内宏明選手(楽天)、阿部寿樹選手(楽天)などなど、アジアで開催される甲子園を自分事のように考えてくださるうれしいコメントを多数いただきました。そのような賛同者がいることを世間の方々に知ってもらう機会は、クラウドファンディングと相性がいいと思い決意しました。
――たしかにそうですよね。柴田さんのSNSを普段から見ている私からしても、携わっている人たち全員を知りませんでした。
柴田 ですよね。クラウドファンディングのサイトをつくったことで、これだけ多くの人たちがいることがすぐに分かるので。
――前回もクラウドファンディングをやっていましたが、その違いはなんですか?
柴田 前回は会社を辞めた直後でしたので、活動費という意味合いも大きかったですが、今回はどれだけの人に知ってもらえるかを重要視して、その結果、多くの支援者を募りたい、というクラウドファンディングになっています。
――ありがとうございます。最後にクラウドファンディングを通じて、大会をどうしていきたいか教えてください。
柴田 今年だけでなく、継続的なプロジェクトにするために沢山の方々に知っていただき、ご支援いただける大会を作っていきたいので、ぜひ皆さんも一緒になって盛り上げていただけるとうれしいです。
📝花巻の高校野球史・昭和のレジェンド 花巻北の甲子園
https://article.yahoo.co.jp/detail/08a18c500ca5ca4d0e2462b06d79fa1c0023161c
令和6年は花巻東高野球部が夏の甲子園に出場し、東高出身の大谷翔平選手がメジャーリーグで3度目の最優秀選手賞を授賞し、菊池雄星選手は花巻に複合野球施設を設立するなど、花巻の野球の話題が注目されています。この15年間で花巻東高校野球部は春夏合わせて甲子園に12回出場する強豪校に躍進しました。花巻の高校野球史をたどると半世紀前の昭和40年前後に、花巻北高校が岩手県の高校野球を牽引し、甲子園に3回出場した黄金期がありました。先日、当時の花巻北高の主将や選手の方々が集結、座談会を開催。懐かしいお話を伺いました。
花巻の高校野球のあゆみ
花巻勢の甲子園での成績(春・夏合わせて)
花巻東(花巻商) :通算19勝16敗(勝率54%)
花巻北 :通算 3敗(勝率 0%)
花北青雲(花北商):通算 1敗(勝率 0%)
1960〜70年代は盛岡一高、一関一、福岡、遠野、黒沢尻北などの古豪が県大会の上位にいた頃、花巻勢も躍進しました。花巻北高が3回、花北商(現・花北青雲)が1回甲子園出場をしています。昭和38年は花巻北、39年は花巻商業(現・花巻東)と花巻勢は2年連続甲子園出場をしています。
昭和30年〜40年代の強豪校 花巻北高校 座談会 花巻北の甲子園球児が当時を語る
全部員数が17人〜19人、ピッチャーが一人しかいないなど、練習が不自由な面がありました。上級生のスパルタ式の指導のため、入学時に15人前後入部しても卒業時には5、6名しか残らなかったです。当時は、練習中の水分補給禁止、うさぎ飛び、ノックバットでのお仕置き指導など、今の時代には見られない練習風景がありました。
練習時間は午後4時から7時、遅くなると8時に。石鳥谷や東和の自宅から国鉄で通う日々。夏の大会が近づくと監督宅に下宿する選手もいました。
(1)昭和38(1963)年夏出場(初)
創部30年目で悲願の甲子園初出場を果たします。甲子園の初戦は強豪広陵高(広島)に善戦するも3対1で敗れました。
●小原千秋さん(79歳)昭和38年夏の甲子園初出場、主将で4番打者、捕手
「岩手県勢の中で唯一、開会式で選手宣誓をしています。宣誓をする学校は運営側があらかじめ東日本と西日本から一校ずつ選び(東は花巻北、西は宮崎商業)2校の主将が くじ引きをして決まりました。宣誓文は既に用意されていました。前日の予行練習では大会役員から何度も指導を受けましたが、当日の本番では緊張の中、平常心で 臨むことができました。」
(2)昭和41(1966)年夏出場(2回目)
3年生が3人だけの2年生が主力の守り主体のチームで岩手大会、北奥羽大会(岩手代表と青森代表による2次予選)を勝ち抜いて2度目の夏の甲子園出場を決めました。全国大会は、1回戦で古豪平安高校に0対9で敗れました。
●姉帯昇次さん(76歳)昭和41年の甲子園に出場、主将で5番打者、二塁手
姉帯さんは高校卒業後、花丘圭二という芸名で歌手デビューしています。花巻出身の日本初のフリーアナウンサーの高橋圭三さんから芸名に圭をもらいました。「1年生のときは部員が8人しかいなくて、同級生を必死に勧誘して新人戦に出場。2年生のときは、夏の岩手県大会の一回戦で敗退し、”水一滴も飲むな”の猛練習の結果、3年生のときは2年生中心のチームで夏の県大会と北奥羽大会を勝ち抜きました。」
(3)昭和46(1971)年夏出場(3回目)
岩手として3年ぶり、花巻北としては5年ぶり出場。
甲子園の1回戦は敗退し、三たび初戦の壁を破ることができませんでした。
●立川目和義さん (70歳)昭和46年夏の甲子園に出場、主将で2番打者、内野手
「県大会での盛岡一高戦。お互いの応援団のエキサイトや野次の応酬に、主審がベンチに来て「あの応援をやめさせないと没収試合にする」と注意されました。大会抽選会の日は、送迎車が道を間違えて時間に遅れてしまい皆さんを待たせてしまい大会会長から前代未聞と言われたそうです。」
●三井 信義 さん(71歳)昭和46年出場、5番打者、投手・一塁手・外野手
現在、光林寺理事長。るんびにい美術館建設など障がい者に尽力し今年度、市勢功労者表彰されました。
「岩手県大会の3回戦、古豪同士の盛岡一高戦。延長10回でサヨナラタイムリーを打って勝利したことが最大の思い出。練習のとき、水分補給ができないことや冬期間にボールを握れなかったことがつらかったです。」
●伊藤新也さん(71歳)3回目の甲子園出場、4番打者、捕手
「県大会3回戦の対盛岡一高と、北奥羽大会決勝の弘前高校に延長10回のサヨナラ勝ちが思い出に残る試合です。〝高校野球は人間教育の一環〝であり、“甲子園は人との出会いの場〝でした。」
桜雲野球の精神
部員数が少なく練習環境も不自由な中、野球に没頭して忍耐力や自信、集中力や団結力が養われました。 最後の甲子園出場から半世紀以上も経たが、後輩には4度目の出場と初の1勝をあきらめず期待しているレジェンド達でした。
昭和50年に設立し50周年を迎えました。花巻の郷土史の研究と普及を通じて、地域文化の保存と向上を目指しています。花巻のまちづくりを考える上でも、郷土の歴史や風土を学び知ることが大事です。中世や近代の学術的な歴史探求に加えて「花巻の高校野球史」のような昭和・平成の現代史の掘り起こしや、郷土の歴史を知る方の記憶や証言を記録に残すことにも活動を広げたいと思います。年配の方、若い世代の方の参加、入会を募っています。
花巻・岩手の高校野球史第2段や詳細詳は花巻史談会会報・史談会ホームページに掲載していきます。