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📝『チーム宏鈴』結成21年1ヶ月
10月の1ヶ月間・・・のべ383人の方々から閲覧履歴があり809アクセスしていただき感謝申し上げます。
わたくしごとで恐縮ですが、、、10月8日に水面下で構想していた2年ぶり4度目の郵便局年賀はがき仕分けバイト応募して11月4大阪・十三駅付近の淀川郵便局に面接・・・・・。悲しいかな、雨の影響で近畿大会最終日にかち合い十三から返す刀で猛ダッシュしてHMF神戸に直行!
ちなみに昨年は阿波座の近所で少しだけお世話になることが叶いませんでした。
まだ結果通知は郵送されてませんが極力、観戦記が遅れないように公開したいですが、、、気長にお待ちください。
さて、今年の野球観戦はコロナ5類以降影響で中止~無観客試合~マスク着用の条件付き有観客試合という悪い流れを断ち切り、2年連続に思いっきり野球観戦できました。
カンドクの紀三井寺球場観戦2度(デーゲーム&ナイター)に大学野球3度観戦。さらにウインク球場ナイター設置リニューアルイベントそして高砂での兵庫県知事杯を含む3/18~11/12まで計64日球場で野球観戦を堪能できました!!あとは 第2回三重県・愛知県交流試合 を11/23三重の津球場にて見学予定です。
宿泊観戦は3回敢行。2年前のリベンジを果たすべく久しぶりに岐阜に乗り込みまだ5月中旬だったが30度突破し、6年ぶりの可児はやはり熱かった!!そして翌日の長良川では試合中はなんとか曇天で持ちこたえたが、夕方には雨が降り出し岐阜には熱さと雨の思い出が今回も鮮明に残った!
晴天に恵まれ初めて海南にヤドを取った、僕だけの聖地・紀三井寺での2日間。アルプススタンドでポカリスエットなどのペットボトルを2日間で10本ほどお布施してもらっただろうか???おかげで熱中症回避に成功しました。
秋は6年連続山陰行き。今回はなぜかしら鳥取の順番を飛ばして島根となってしまったので、米子を通り越して松江ー松江ー浜山と。
昨夏、参拝したばかりの出雲大社や何気なく 学校の隣を通り過ぎていた大社高校をマジマジとみてあの夏の『大社旋風』が蘇りました!
11月4日に2024年僕の高校野球シーズンが終了し、住吉の「うはらの湯」で湯治して1年間の疲れをいやして、長い冬の入り口。オフの間に年間スケジュールなどとニラメッコしながらじっくり予定を立てて行きたいと思います。
そんなこんなでシーズンオフだし皆さんのよもやま話も募集しております!!
最後に、、、かなり遅れてしまったけど恒例の近畿大会観戦記のタイトル紹介を。過去の観戦記タイトルをまとめると・・・
① 03秋 熱闘皇子山
② 04春 熱闘ひめじじょう ~播州・手柄の野球祭り~
③ 04秋 熱闘甲子園 2004最後の聖戦 ヤフーBBとともに・・・
④ 05春 熱闘舞洲BS 幻のオリンピックスタジアムで球児たちの大阪春の陣
⑤ 05秋 熱闘舞洲BS 大阪秋の陣 センバツ出場の夢 大阪湾に浮かべて
⑥ 06春 熱闘紀三井寺 ☆僕だけの聖地☆ 大地の恵み 新緑と潮風のコラボレーション
⑦ 06秋 熱闘紀三井寺 ★僕だけの聖地★ 自然の幸 名草山と和歌浦のハーモニー
⑧ 07春 熱闘橿原公苑 神宮の杜に響く球音 大和三山のささやき
⑨ 07秋 熱闘橿原公苑 神武天皇陵にこだまする歓声 埴輪と土偶のつぶやき
⑩ 08春 熱闘西京極 叩けボール 響けバット 京の都のカルナバル♪
⑪ 08秋 熱闘西京極 京都へおこしやす! ビバ・ベースボールカーニバル 熱い熱い熱い熱いエスペランサ
⑫ 09春 熱闘ひこねじょう 湖北の風 ひこにゃんからのプレゼント
⑬ 09秋 熱闘皇子山 大津京に眠る財宝
⑭ 10春 熱闘紀三井寺 おいやんのつぶやき 「つれもて行こら野球王国 岡山じゃないゼ和歌山」
⑮ 10秋 熱闘紀三井寺 おばやんのささやき 「がんばろう。来年、笑っていたいから」
⑯ 11春 熱闘舞洲BS2 夢の架け橋 海上の玉手箱
⑰ 11秋 熱闘舞洲BS2 ブルーモンスターの目覚め
⑱ 12春 熱闘トーカロ 風雲明石城 スコアボードに刻む玉子焼
⑲ 12秋 熱闘グリーンスタジアム 君よ晩秋に『ほっともっと』熱くなれ
⑳ 13春 熱闘佐藤薬品S ひさかたの 天の香具山 このゆふべ 霞たなびく 春立つらしも
㉑ 13秋 熱闘佐藤薬品S 玉桙の 道は遠けど はしきやし 妹を相見に 出でてぞ 我が来し
㉒ 14春 熱闘わかさS ブルーベリーアイの教え
㉓ 14秋 熱闘わかさS京都 ブルブルくんとアイアイちゃんの集い
㉔ 15春 熱闘ひこねじょう 41才の春だから 6年前の忘れ物をとりに 新型インフルの覚え
㉕ 15秋 熱闘皇子山 西大津・比叡おろしに吹かれて
㉖ 16春 熱闘紀三井寺 君を待ってます おいでよはるかな国へ
㉗ 16秋 熱闘紀三井寺 君を照らします ようこそはるかな国へ
㉘ 17春 熱闘舞洲BS3 水都のほほえみ 咲き誇るゆりのごとく
㉙ 17秋 熱闘信用金庫 大阪シティより 対岸にある夢を求めて
㉚ 18春 熱闘トーカロⅡ 延長50回伝説の明石で 七色の味わい
㉛ 18秋 熱闘HMF 平成最後の死闘『スカイマーク』で優雅なひととき
㉜ 19春 熱闘佐藤薬品S 新時代到来 令和最初の王者は? さくらライナーに思いを馳せて
㉝ 19秋 熱闘佐藤薬品S “英弘”の道のり 君が踏み出せたなら どこまでも行けるはず
㉞ 20春 熱闘わかさS 久化の乱 コロナに泣いた球春
㉟ 20秋 熱闘わかさS 広至の変 静寂に包まれた西京極
㊱ 21春 熱闘皇子山Ⅲ コロナに泣いた球春から1年 万和のときめき
㊲ 21秋 熱闘皇子山Ⅲ わたSHIGA輝く 万保の煌めき
㊳ 22春 熱闘紀三井寺4 お届しますまごころを オーシャンアローとサザンの魅力
㊴ 22秋 熱闘紀三井寺4 紀の国和歌山国体から7年・・・・・・・しあわせですか きいちゃんの調べ
㊵ 23春 熱闘大阪シティ ネモフィラに囲まれて 声出し応援の歓び
㊶ 23秋 熱闘大阪シティ 関西万博の対岸で 来春の夢を叫ぶ
㊷ 24春 熱闘トーカロ🔥🔥🔥 終わらない内野外壁工事 鉄骨とブルーシートとバリケードの洗礼
というコピーをつけてきましたが今回の熱闘シリーズ43弾は
熱闘ほっともっと 地下鉄の長いトンネルを抜けた先に希望の灯り
としました。今日もこれからもずっと・・・💙しつこく💚しぶとく💜泥臭く💛「誰からも愛される」というよりも「誰かに慕われる」掲示板目指してアットホームな雰囲気でやっていきたいのでお願いします!!
📝高校野球 県内選抜3チームで初の交流試合 岡山
https://news.yahoo.co.jp/articles/a98998efed27bfb1956a64bd2d2c152ed4f622e8
岡山県の高校野球のレベルアップを目指し、16日、各地区の選抜チームによる交流試合が初めて開かれました。
倉敷マスカットスタジアムで開かれた交流試合には県内約50校のキャプテンを中心に選手が参加しました。そして岡山県東部・西部・北部の3つのチームに分かれて試合を行いました。
この交流試合は県内の野球部の監督が集まる「監督会」の提案で実現しました。高校同士でのコミュニケーション強化や、選手のレベルアップなどが狙いです。
選手たちはチームごとにおそろいの帽子を被り、時折笑顔も見せながら試合に臨んでいました。
東部選抜チームを指揮した岡山学芸館・佐藤貴博監督は「コミュニケーションをとることによっていい刺激になり、学校に持ち帰ってもらったらと思います」と話していました。
📝無名のエースが夏に覚醒し甲子園、そして中日から6位指名 指揮官が振り返る聖カタリナ・有馬恵叶の奇跡
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2024/11/15/post_129/
2024年のドラフト会議で、支配下で指名された選手は69名(育成指名は54名)。そのうち高校生は22名だった。そんななか、身長190センチ、体重79キロという恵まれた体格を持つ聖カタリナ高のエース・有馬恵叶は、中日ドラゴンズから6位指名を受けた。
高校3年の夏までは全国的にまったくの無名で、昨年秋の愛媛大会では記録員としてベンチに座っていた。そんな選手が、なぜドラフトで指名されるほど成長したのか。
【夏の愛媛大会でエースが覚醒】
聖カタリナの浮田宏行監督は、「最後の夏、7月まではまったく信用のないピッチャーでした」と笑う。
「前年、オリックスにドラフト2位で指名された河内康介は、私が監督に就任した時点で光るものがありました。でも有馬は、身長こそ190センチあったものの、ピッチャーとしては課題ばかり。チームメイトからもエースだと認められる存在ではありませんでした」
ただ、冬の練習でのトレーニング量には目を見張るものがあった。有馬は猛練習を積み重ねることで、力を蓄えていった。
「コントロールが悪いのでフォアボールで崩れ、野手のエラーで失点することが多かった。7月まではそんな状態が続きました。だけど、チームにいるピッチャーのなかで誰よりも努力した選手です。だから実績ではなく、その姿勢を認めて背番号1を与えました」
聖カタリナは昨年につづいてまたしても春季大会で松山学院に敗れ、夏の愛媛大会はノーシードで挑むことになった。
そんななか、有馬が浮田監督やチームメイトを驚かせるピッチングをしたのが、第2シードの今治西と戦った2回戦(7月20日)だった。
「1回戦はほかのピッチャーが登板し、有馬を今治西にぶつけました。実力では相手のほうが上。思い切って、彼に任せました。トップバッターをフォークで三振させたことで波に乗っていき、終わってみれば9回1失点のピッチング。強豪校にサヨナラ勝ちしたことでチームに勢いがつきました」
その後も順調に勝ち上がり、初めて夏の甲子園出場を手繰り寄せた。
「2回戦以降は、投げれば投げるほどよくなっていきました。決勝の西条戦で最後のバッターを打ちとった瞬間に、エースと野手、エースと監督とが完璧な信頼関係で結ばれましたね。エースとして信用のなかった有馬が変わった瞬間でした。それまで積み上げてきたことが最後の1カ月で形になったんだと思います。彼の成長がチームを甲子園に導いてくれました」
【不満があったら言うてくれ】
もちろん、エースの力だけでは甲子園の出場権はつかめない。監督と野手との間にはハードなコミュニケーションがあった。
「春季大会で初戦負けを喫したあと、チーム内にたまったものがあると感じたので、『何を言ってもいいから話し合おうや』と言いました。『監督の采配、選手の起用法に不満があったら言うてくれ』と。とにかく、選手たちの言いたいことを聞く会議をしました。いろいろな意見が出て、ノートが真っ黒になりました(笑)。翌日にも会議をやり、春の大会で学んだこと、これからやるべきことについてみんなで話し合いました」
監督と選手の間には、野球に対する考え方の違いがあった。
「選手たちは『3点取られたら、5点取り返せ』という野球を教わってきたと。以前であればそれでもOKなんですが、低反発の新基準バットが採用されたことで、その考え方は通用しなくなる。『打て! 打て!』だけでは勝てない。『それならどうしようか?』と、みんなで考えました」
勝利のために、甲子園に行くためにチームがひとつになりつつあった。
「先輩たちの姿を見ていた今の3年生たちは、最後の夏に向けてどうにかしてまとまろうと考えてくれました。キャプテンの河野嵐を中心にチームのことを第一に考え、次のバッターにつなげる進塁打やバントなどを自分で考えるようになって、チームが変わっていきました。私自身は彼らのレベル、意見に寄り添う形で進めていきました」
新基準のバットになったことで、得点力は下がった。少ないチャンスをモノにする方法について、チーム全員で考え抜いた。
「たとえばランナー三塁の場面で、それまではスクイズやセーフティースクイズをしていたんですが、バッタースイングする瞬間にランナーがホームに突っ込む"スイングゴー"も試していきました。空振りでランナーがアウトになったこともありましたが、失敗をしながら新しいやり方を身につけていきました。
また強い打球を打つ意識が芽生えたことで、野手の間を抜けるヒットが増えました。その打ち方が、新基準のバットに最も適していると思っています。ボールを引きつけ、スピンをかけた打球を打たないと遠くまで飛んでいきませんから」
【甲子園では投手戦の末に惜敗】
8月10日、夏の甲子園初戦で岡山学芸館と対戦した。
「私が松山商業2年の時にチームは甲子園に出ましたが、アルプススタンドにいました。初めて指揮を執るにあたって、恩師である澤田勝彦さん(1996年夏の甲子園優勝監督)に連絡して、ベンチのどこに立つべきかを聞きました。すると『真ん中や!』と言われて、そこから見た甲子園の景色は本当にすばらしくて、聖地と言われる理由がわかりました。また来たくなる場所ですね。試合の日は満員のお客さんが入っていて、選手たちには『こんなところで野球ができることは本当に幸せやから、楽しんでやろう』と言いました」
岡山学芸館戦は息詰まる投手戦となったが、接戦の末に敗れた。
「有馬は7月から8月の間の1カ月でほんとに成長し、完全に信用されるエースになっていました。打線が相手投手を打ち崩せずに0対1で敗れましたが、ほんとにすばらしいピッチングを見せてくれました」
有馬は7回2/3を投げて被安打4、失点1(自責点0)の好投を披露し、「将来が楽しみな投手」「伸びしろはかなりありそう」とプロ野球のスカウトから高い評価を受けた。
甲子園初勝利はつかめなかったが、たしかな収穫を手にすることができた。
「愛媛大会では送りバントやセーフティースクイズを駆使して勝ってきたんです。ほぼ成功していたのに、甲子園ではことごとく失敗してしまいました。甲子園に出てくるピッチャーはストライクゾーンの際どいところに投げ込んでくるので、簡単にバントをさせてもらえない。迷ったまま打席に立つと、うまくいきませんね。『これが全国の戦いなんだ』と。普段の練習から不安のある選手は、失敗する可能性が高いと痛感しました。練習でその不安をなくしていかないといけません」
甲子園出場は果たしたものの、チームには課題が山積している。不祥事の余波もあり、現在、2年生はひとりだけ。1年生も15人しかいない。紅白戦などの実戦練習もままならない状態だ。
「3年生がいた時は、選手に寄り添う形でチームづくりをしていましたが、今は部員が少ない。4月になれば新入生が入ってきますが、本当にイチからのスタートになります。これまでとは違う厳しさを持って、選手を鍛えていくつもりです」
そのために必要なことは、細やかなコミュニケーションだ。
「昔のように、選手を立場で服従させることはできません。大事なものは、やっぱり言葉だと思います。相手の意見を聞いて、感情的になったら負け。自分の考えや思いを言葉にして、しっかり伝えることが必要ですよね。普段からそう心がけています。
「もちろん野球の技術を身につけ、うまくなるために練習するわけですが、甲子園はそのご褒美だと思います。まずは人間力をしっかり鍛えることが大事だと思っています。甲子園に出ても不祥事を起こしたら、まったく意味がありませんから」
53歳の新米監督は、甲子園よりも先を見ていた。
👣滝川西の小野寺大樹監督が退任「7季連続で全道を逃した責任も」…新監督に林部長が就任
https://news.yahoo.co.jp/articles/2de11b7f4b9595f700fe3b79ddbcc6c2dbb0bd29
2017年夏の甲子園に出場した滝川西の小野寺大樹監督(48)が、秋季空知地区予選後に退任したことが15日までに分かった。15年に就任後、北北海道大会で決勝に2度、4強に2度進出。プロ野球選手も輩出し、道内を代表する公立校として実績を積み上げてきたが、直近では22年夏を最後に道大会出場から遠ざかっていたこともあり、退任を決めた。同じく同校OBの林亨部長(45)が新監督に就任した。
母校を率いて9年。後輩にバトンを託すことを決断した。滝川西・小野寺氏は「7季連続で全道を逃した責任もありますし、僕の心の野球にも限界を感じていた。(林新監督は)僕なんかよりもずっと賢くて的確な指示が出せるので、新しい風を吹かせてほしい」と話した。
15年秋季全道大会終了後の11月に母校の監督に就任。北海道を代表する名将である故・佐藤茂富氏の下で指導に携わった鵡川での経験を生かし、今では伝統となった全力疾走を定着させた。就任後初めての夏に北北海道大会準優勝を果たすと、翌年は2年連続決勝進出で優勝。大学、社会人を経てオリックスに入団した高島泰都投手を擁して甲子園出場を果たした。
その後も北大会で19年に8強、21、22年は2年連続で4強入りと安定して上位に進出していたが、直近は地区で強豪・クラークだけでなく滝川、岩見沢西などの公立校にも敗戦。秋季大会開幕前から周囲には退任の意志を伝えていた。
今後は副部長として、林新監督、OBで教え子の藤岡康弘部長を支えていく。小野寺氏は「感性を大事にしてほしいので、やりたいような野球をやってほしい。滝川西のために、選手、後輩のために全力でサポートしたい」。立場が変わっても今まで以上の情熱で“滝西”復活に力を注いでいく。
⚾岩手さんへ
マスターズ甲子園は2019年に初めて来場しました!
入場無料だし、年配のおじさんたちが中心にプレーしてましたが、普段の高校野球と違ってのんびり楽しく過ごせるのでオフの恒例行事にしようかと思ってました。
コロナ騒動で中止や無観客を経て、また一般客の来場も認められ1日5試合に増えたので終盤は銀屋根の内野照明のみカクテル光線に照らされます。
PL学園は5年前もブラスバンド来ていたので、また生演奏を聴けると思ってましたが、OBやOGもたくさん詰めかけ人文字も展開してましたね!!
ただ、野球部復活も相当難しそうだし、学校自体がどうなってしまうのか分からないので・・・・・。
和歌山南陵と同じような末路を辿らなければよいのですが・・・・・。
1年生大会は近畿だと滋賀が毎年しているようです。
岡山は優秀校2校決定で終わるのであえて決勝戦はしないようですね。あとは福井も毎年やってます。
P・S 三重県高野連のHP読んでいると、、、23日の交流試合前売り券の扱いについて・・・
・前売り券を購入したが、23日が荒天で開場前に順延となり、24日は見に行けない場合
前売り券は捨てずにお持ちください!
第 72 回春季東海地区高等学校野球三重県大会及び第 72 回春季東海地区高等学校野球大会にご使用いただけます。
※上記以外の大会にはご利用いただけませんご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
https://mie-kouyaren.com/wp-content/uploads/2024/11/c43ddfbb787cc6de925354f969f23e0b.pdf
などなどありました。なぜかしら今秋は順番を変えて静岡で東海大会開催していたので、あるいは来春も・・・。
と不安を抱えてましたが、どうやら2025年春の東海大会は三重県開催で間違いないようです。
四日市が少なくとも来年夏まで使用不可らしいから、伊勢・津あたりの使用でしょうか???松阪はナイターがないので。
10月の1ヶ月間・・・のべ383人の方々から閲覧履歴があり809アクセスしていただき感謝申し上げます。
わたくしごとで恐縮ですが、、、10月8日に水面下で構想していた2年ぶり4度目の郵便局年賀はがき仕分けバイト応募して11月4大阪・十三駅付近の淀川郵便局に面接・・・・・。悲しいかな、雨の影響で近畿大会最終日にかち合い十三から返す刀で猛ダッシュしてHMF神戸に直行!
ちなみに昨年は阿波座の近所で少しだけお世話になることが叶いませんでした。
まだ結果通知は郵送されてませんが極力、観戦記が遅れないように公開したいですが、、、気長にお待ちください。
さて、今年の野球観戦はコロナ5類以降影響で中止~無観客試合~マスク着用の条件付き有観客試合という悪い流れを断ち切り、2年連続に思いっきり野球観戦できました。
カンドクの紀三井寺球場観戦2度(デーゲーム&ナイター)に大学野球3度観戦。さらにウインク球場ナイター設置リニューアルイベントそして高砂での兵庫県知事杯を含む3/18~11/12まで計64日球場で野球観戦を堪能できました!!あとは 第2回三重県・愛知県交流試合 を11/23三重の津球場にて見学予定です。
宿泊観戦は3回敢行。2年前のリベンジを果たすべく久しぶりに岐阜に乗り込みまだ5月中旬だったが30度突破し、6年ぶりの可児はやはり熱かった!!そして翌日の長良川では試合中はなんとか曇天で持ちこたえたが、夕方には雨が降り出し岐阜には熱さと雨の思い出が今回も鮮明に残った!
晴天に恵まれ初めて海南にヤドを取った、僕だけの聖地・紀三井寺での2日間。アルプススタンドでポカリスエットなどのペットボトルを2日間で10本ほどお布施してもらっただろうか???おかげで熱中症回避に成功しました。
秋は6年連続山陰行き。今回はなぜかしら鳥取の順番を飛ばして島根となってしまったので、米子を通り越して松江ー松江ー浜山と。
昨夏、参拝したばかりの出雲大社や何気なく 学校の隣を通り過ぎていた大社高校をマジマジとみてあの夏の『大社旋風』が蘇りました!
11月4日に2024年僕の高校野球シーズンが終了し、住吉の「うはらの湯」で湯治して1年間の疲れをいやして、長い冬の入り口。オフの間に年間スケジュールなどとニラメッコしながらじっくり予定を立てて行きたいと思います。
そんなこんなでシーズンオフだし皆さんのよもやま話も募集しております!!
最後に、、、かなり遅れてしまったけど恒例の近畿大会観戦記のタイトル紹介を。過去の観戦記タイトルをまとめると・・・
① 03秋 熱闘皇子山
② 04春 熱闘ひめじじょう ~播州・手柄の野球祭り~
③ 04秋 熱闘甲子園 2004最後の聖戦 ヤフーBBとともに・・・
④ 05春 熱闘舞洲BS 幻のオリンピックスタジアムで球児たちの大阪春の陣
⑤ 05秋 熱闘舞洲BS 大阪秋の陣 センバツ出場の夢 大阪湾に浮かべて
⑥ 06春 熱闘紀三井寺 ☆僕だけの聖地☆ 大地の恵み 新緑と潮風のコラボレーション
⑦ 06秋 熱闘紀三井寺 ★僕だけの聖地★ 自然の幸 名草山と和歌浦のハーモニー
⑧ 07春 熱闘橿原公苑 神宮の杜に響く球音 大和三山のささやき
⑨ 07秋 熱闘橿原公苑 神武天皇陵にこだまする歓声 埴輪と土偶のつぶやき
⑩ 08春 熱闘西京極 叩けボール 響けバット 京の都のカルナバル♪
⑪ 08秋 熱闘西京極 京都へおこしやす! ビバ・ベースボールカーニバル 熱い熱い熱い熱いエスペランサ
⑫ 09春 熱闘ひこねじょう 湖北の風 ひこにゃんからのプレゼント
⑬ 09秋 熱闘皇子山 大津京に眠る財宝
⑭ 10春 熱闘紀三井寺 おいやんのつぶやき 「つれもて行こら野球王国 岡山じゃないゼ和歌山」
⑮ 10秋 熱闘紀三井寺 おばやんのささやき 「がんばろう。来年、笑っていたいから」
⑯ 11春 熱闘舞洲BS2 夢の架け橋 海上の玉手箱
⑰ 11秋 熱闘舞洲BS2 ブルーモンスターの目覚め
⑱ 12春 熱闘トーカロ 風雲明石城 スコアボードに刻む玉子焼
⑲ 12秋 熱闘グリーンスタジアム 君よ晩秋に『ほっともっと』熱くなれ
⑳ 13春 熱闘佐藤薬品S ひさかたの 天の香具山 このゆふべ 霞たなびく 春立つらしも
㉑ 13秋 熱闘佐藤薬品S 玉桙の 道は遠けど はしきやし 妹を相見に 出でてぞ 我が来し
㉒ 14春 熱闘わかさS ブルーベリーアイの教え
㉓ 14秋 熱闘わかさS京都 ブルブルくんとアイアイちゃんの集い
㉔ 15春 熱闘ひこねじょう 41才の春だから 6年前の忘れ物をとりに 新型インフルの覚え
㉕ 15秋 熱闘皇子山 西大津・比叡おろしに吹かれて
㉖ 16春 熱闘紀三井寺 君を待ってます おいでよはるかな国へ
㉗ 16秋 熱闘紀三井寺 君を照らします ようこそはるかな国へ
㉘ 17春 熱闘舞洲BS3 水都のほほえみ 咲き誇るゆりのごとく
㉙ 17秋 熱闘信用金庫 大阪シティより 対岸にある夢を求めて
㉚ 18春 熱闘トーカロⅡ 延長50回伝説の明石で 七色の味わい
㉛ 18秋 熱闘HMF 平成最後の死闘『スカイマーク』で優雅なひととき
㉜ 19春 熱闘佐藤薬品S 新時代到来 令和最初の王者は? さくらライナーに思いを馳せて
㉝ 19秋 熱闘佐藤薬品S “英弘”の道のり 君が踏み出せたなら どこまでも行けるはず
㉞ 20春 熱闘わかさS 久化の乱 コロナに泣いた球春
㉟ 20秋 熱闘わかさS 広至の変 静寂に包まれた西京極
㊱ 21春 熱闘皇子山Ⅲ コロナに泣いた球春から1年 万和のときめき
㊲ 21秋 熱闘皇子山Ⅲ わたSHIGA輝く 万保の煌めき
㊳ 22春 熱闘紀三井寺4 お届しますまごころを オーシャンアローとサザンの魅力
㊴ 22秋 熱闘紀三井寺4 紀の国和歌山国体から7年・・・・・・・しあわせですか きいちゃんの調べ
㊵ 23春 熱闘大阪シティ ネモフィラに囲まれて 声出し応援の歓び
㊶ 23秋 熱闘大阪シティ 関西万博の対岸で 来春の夢を叫ぶ
㊷ 24春 熱闘トーカロ🔥🔥🔥 終わらない内野外壁工事 鉄骨とブルーシートとバリケードの洗礼
というコピーをつけてきましたが今回の熱闘シリーズ43弾は
熱闘ほっともっと 地下鉄の長いトンネルを抜けた先に希望の灯り
としました。今日もこれからもずっと・・・💙しつこく💚しぶとく💜泥臭く💛「誰からも愛される」というよりも「誰かに慕われる」掲示板目指してアットホームな雰囲気でやっていきたいのでお願いします!!
📝高校野球 県内選抜3チームで初の交流試合 岡山
https://news.yahoo.co.jp/articles/a98998efed27bfb1956a64bd2d2c152ed4f622e8
岡山県の高校野球のレベルアップを目指し、16日、各地区の選抜チームによる交流試合が初めて開かれました。
倉敷マスカットスタジアムで開かれた交流試合には県内約50校のキャプテンを中心に選手が参加しました。そして岡山県東部・西部・北部の3つのチームに分かれて試合を行いました。
この交流試合は県内の野球部の監督が集まる「監督会」の提案で実現しました。高校同士でのコミュニケーション強化や、選手のレベルアップなどが狙いです。
選手たちはチームごとにおそろいの帽子を被り、時折笑顔も見せながら試合に臨んでいました。
東部選抜チームを指揮した岡山学芸館・佐藤貴博監督は「コミュニケーションをとることによっていい刺激になり、学校に持ち帰ってもらったらと思います」と話していました。
📝無名のエースが夏に覚醒し甲子園、そして中日から6位指名 指揮官が振り返る聖カタリナ・有馬恵叶の奇跡
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2024/11/15/post_129/
2024年のドラフト会議で、支配下で指名された選手は69名(育成指名は54名)。そのうち高校生は22名だった。そんななか、身長190センチ、体重79キロという恵まれた体格を持つ聖カタリナ高のエース・有馬恵叶は、中日ドラゴンズから6位指名を受けた。
高校3年の夏までは全国的にまったくの無名で、昨年秋の愛媛大会では記録員としてベンチに座っていた。そんな選手が、なぜドラフトで指名されるほど成長したのか。
【夏の愛媛大会でエースが覚醒】
聖カタリナの浮田宏行監督は、「最後の夏、7月まではまったく信用のないピッチャーでした」と笑う。
「前年、オリックスにドラフト2位で指名された河内康介は、私が監督に就任した時点で光るものがありました。でも有馬は、身長こそ190センチあったものの、ピッチャーとしては課題ばかり。チームメイトからもエースだと認められる存在ではありませんでした」
ただ、冬の練習でのトレーニング量には目を見張るものがあった。有馬は猛練習を積み重ねることで、力を蓄えていった。
「コントロールが悪いのでフォアボールで崩れ、野手のエラーで失点することが多かった。7月まではそんな状態が続きました。だけど、チームにいるピッチャーのなかで誰よりも努力した選手です。だから実績ではなく、その姿勢を認めて背番号1を与えました」
聖カタリナは昨年につづいてまたしても春季大会で松山学院に敗れ、夏の愛媛大会はノーシードで挑むことになった。
そんななか、有馬が浮田監督やチームメイトを驚かせるピッチングをしたのが、第2シードの今治西と戦った2回戦(7月20日)だった。
「1回戦はほかのピッチャーが登板し、有馬を今治西にぶつけました。実力では相手のほうが上。思い切って、彼に任せました。トップバッターをフォークで三振させたことで波に乗っていき、終わってみれば9回1失点のピッチング。強豪校にサヨナラ勝ちしたことでチームに勢いがつきました」
その後も順調に勝ち上がり、初めて夏の甲子園出場を手繰り寄せた。
「2回戦以降は、投げれば投げるほどよくなっていきました。決勝の西条戦で最後のバッターを打ちとった瞬間に、エースと野手、エースと監督とが完璧な信頼関係で結ばれましたね。エースとして信用のなかった有馬が変わった瞬間でした。それまで積み上げてきたことが最後の1カ月で形になったんだと思います。彼の成長がチームを甲子園に導いてくれました」
【不満があったら言うてくれ】
もちろん、エースの力だけでは甲子園の出場権はつかめない。監督と野手との間にはハードなコミュニケーションがあった。
「春季大会で初戦負けを喫したあと、チーム内にたまったものがあると感じたので、『何を言ってもいいから話し合おうや』と言いました。『監督の采配、選手の起用法に不満があったら言うてくれ』と。とにかく、選手たちの言いたいことを聞く会議をしました。いろいろな意見が出て、ノートが真っ黒になりました(笑)。翌日にも会議をやり、春の大会で学んだこと、これからやるべきことについてみんなで話し合いました」
監督と選手の間には、野球に対する考え方の違いがあった。
「選手たちは『3点取られたら、5点取り返せ』という野球を教わってきたと。以前であればそれでもOKなんですが、低反発の新基準バットが採用されたことで、その考え方は通用しなくなる。『打て! 打て!』だけでは勝てない。『それならどうしようか?』と、みんなで考えました」
勝利のために、甲子園に行くためにチームがひとつになりつつあった。
「先輩たちの姿を見ていた今の3年生たちは、最後の夏に向けてどうにかしてまとまろうと考えてくれました。キャプテンの河野嵐を中心にチームのことを第一に考え、次のバッターにつなげる進塁打やバントなどを自分で考えるようになって、チームが変わっていきました。私自身は彼らのレベル、意見に寄り添う形で進めていきました」
新基準のバットになったことで、得点力は下がった。少ないチャンスをモノにする方法について、チーム全員で考え抜いた。
「たとえばランナー三塁の場面で、それまではスクイズやセーフティースクイズをしていたんですが、バッタースイングする瞬間にランナーがホームに突っ込む"スイングゴー"も試していきました。空振りでランナーがアウトになったこともありましたが、失敗をしながら新しいやり方を身につけていきました。
また強い打球を打つ意識が芽生えたことで、野手の間を抜けるヒットが増えました。その打ち方が、新基準のバットに最も適していると思っています。ボールを引きつけ、スピンをかけた打球を打たないと遠くまで飛んでいきませんから」
【甲子園では投手戦の末に惜敗】
8月10日、夏の甲子園初戦で岡山学芸館と対戦した。
「私が松山商業2年の時にチームは甲子園に出ましたが、アルプススタンドにいました。初めて指揮を執るにあたって、恩師である澤田勝彦さん(1996年夏の甲子園優勝監督)に連絡して、ベンチのどこに立つべきかを聞きました。すると『真ん中や!』と言われて、そこから見た甲子園の景色は本当にすばらしくて、聖地と言われる理由がわかりました。また来たくなる場所ですね。試合の日は満員のお客さんが入っていて、選手たちには『こんなところで野球ができることは本当に幸せやから、楽しんでやろう』と言いました」
岡山学芸館戦は息詰まる投手戦となったが、接戦の末に敗れた。
「有馬は7月から8月の間の1カ月でほんとに成長し、完全に信用されるエースになっていました。打線が相手投手を打ち崩せずに0対1で敗れましたが、ほんとにすばらしいピッチングを見せてくれました」
有馬は7回2/3を投げて被安打4、失点1(自責点0)の好投を披露し、「将来が楽しみな投手」「伸びしろはかなりありそう」とプロ野球のスカウトから高い評価を受けた。
甲子園初勝利はつかめなかったが、たしかな収穫を手にすることができた。
「愛媛大会では送りバントやセーフティースクイズを駆使して勝ってきたんです。ほぼ成功していたのに、甲子園ではことごとく失敗してしまいました。甲子園に出てくるピッチャーはストライクゾーンの際どいところに投げ込んでくるので、簡単にバントをさせてもらえない。迷ったまま打席に立つと、うまくいきませんね。『これが全国の戦いなんだ』と。普段の練習から不安のある選手は、失敗する可能性が高いと痛感しました。練習でその不安をなくしていかないといけません」
甲子園出場は果たしたものの、チームには課題が山積している。不祥事の余波もあり、現在、2年生はひとりだけ。1年生も15人しかいない。紅白戦などの実戦練習もままならない状態だ。
「3年生がいた時は、選手に寄り添う形でチームづくりをしていましたが、今は部員が少ない。4月になれば新入生が入ってきますが、本当にイチからのスタートになります。これまでとは違う厳しさを持って、選手を鍛えていくつもりです」
そのために必要なことは、細やかなコミュニケーションだ。
「昔のように、選手を立場で服従させることはできません。大事なものは、やっぱり言葉だと思います。相手の意見を聞いて、感情的になったら負け。自分の考えや思いを言葉にして、しっかり伝えることが必要ですよね。普段からそう心がけています。
「もちろん野球の技術を身につけ、うまくなるために練習するわけですが、甲子園はそのご褒美だと思います。まずは人間力をしっかり鍛えることが大事だと思っています。甲子園に出ても不祥事を起こしたら、まったく意味がありませんから」
53歳の新米監督は、甲子園よりも先を見ていた。
👣滝川西の小野寺大樹監督が退任「7季連続で全道を逃した責任も」…新監督に林部長が就任
https://news.yahoo.co.jp/articles/2de11b7f4b9595f700fe3b79ddbcc6c2dbb0bd29
2017年夏の甲子園に出場した滝川西の小野寺大樹監督(48)が、秋季空知地区予選後に退任したことが15日までに分かった。15年に就任後、北北海道大会で決勝に2度、4強に2度進出。プロ野球選手も輩出し、道内を代表する公立校として実績を積み上げてきたが、直近では22年夏を最後に道大会出場から遠ざかっていたこともあり、退任を決めた。同じく同校OBの林亨部長(45)が新監督に就任した。
母校を率いて9年。後輩にバトンを託すことを決断した。滝川西・小野寺氏は「7季連続で全道を逃した責任もありますし、僕の心の野球にも限界を感じていた。(林新監督は)僕なんかよりもずっと賢くて的確な指示が出せるので、新しい風を吹かせてほしい」と話した。
15年秋季全道大会終了後の11月に母校の監督に就任。北海道を代表する名将である故・佐藤茂富氏の下で指導に携わった鵡川での経験を生かし、今では伝統となった全力疾走を定着させた。就任後初めての夏に北北海道大会準優勝を果たすと、翌年は2年連続決勝進出で優勝。大学、社会人を経てオリックスに入団した高島泰都投手を擁して甲子園出場を果たした。
その後も北大会で19年に8強、21、22年は2年連続で4強入りと安定して上位に進出していたが、直近は地区で強豪・クラークだけでなく滝川、岩見沢西などの公立校にも敗戦。秋季大会開幕前から周囲には退任の意志を伝えていた。
今後は副部長として、林新監督、OBで教え子の藤岡康弘部長を支えていく。小野寺氏は「感性を大事にしてほしいので、やりたいような野球をやってほしい。滝川西のために、選手、後輩のために全力でサポートしたい」。立場が変わっても今まで以上の情熱で“滝西”復活に力を注いでいく。
⚾岩手さんへ
マスターズ甲子園は2019年に初めて来場しました!
入場無料だし、年配のおじさんたちが中心にプレーしてましたが、普段の高校野球と違ってのんびり楽しく過ごせるのでオフの恒例行事にしようかと思ってました。
コロナ騒動で中止や無観客を経て、また一般客の来場も認められ1日5試合に増えたので終盤は銀屋根の内野照明のみカクテル光線に照らされます。
PL学園は5年前もブラスバンド来ていたので、また生演奏を聴けると思ってましたが、OBやOGもたくさん詰めかけ人文字も展開してましたね!!
ただ、野球部復活も相当難しそうだし、学校自体がどうなってしまうのか分からないので・・・・・。
和歌山南陵と同じような末路を辿らなければよいのですが・・・・・。
1年生大会は近畿だと滋賀が毎年しているようです。
岡山は優秀校2校決定で終わるのであえて決勝戦はしないようですね。あとは福井も毎年やってます。
P・S 三重県高野連のHP読んでいると、、、23日の交流試合前売り券の扱いについて・・・
・前売り券を購入したが、23日が荒天で開場前に順延となり、24日は見に行けない場合
前売り券は捨てずにお持ちください!
第 72 回春季東海地区高等学校野球三重県大会及び第 72 回春季東海地区高等学校野球大会にご使用いただけます。
※上記以外の大会にはご利用いただけませんご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
https://mie-kouyaren.com/wp-content/uploads/2024/11/c43ddfbb787cc6de925354f969f23e0b.pdf
などなどありました。なぜかしら今秋は順番を変えて静岡で東海大会開催していたので、あるいは来春も・・・。
と不安を抱えてましたが、どうやら2025年春の東海大会は三重県開催で間違いないようです。
四日市が少なくとも来年夏まで使用不可らしいから、伊勢・津あたりの使用でしょうか???松阪はナイターがないので。