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お知らせ

編集済
☝令和6年度鳥取県高等学校野球連盟強化試合について
https://tottori-hbf.jp/data/data-r6/2024-10-15-kyouka.html

秋季県大会上位4校が智辯和歌山高校と強化試合をヤマタスポーツパーク野球場にて開催しました。

両日ともに好天に恵まれ、多くの高校野球ファンに来場いただきました。全国レベルの相手校に本県代表の4校も好ゲームを展開してくれました。

また、10月13日(日)午前中には、「鳥取県版 やきゅうやろうぜ!」を開催し、小さなお子様から小学生(低学年)の参加者総勢約40名の参加を得まして体験型イベントを開催しました。

強化試合の結果は、

令和6年10月13日(日)

県立境高校(優勝校)6-5 智辯和歌山高校
県立米子東高校(3位校)0-9 智辯和歌山高校

令和6年10月14日(月・祝)

県立八頭高校(4位校)1-4 智辯和歌山高校
米子松蔭高校(2位校)3-8 智辯和歌山高校

でした。

📝大社旋風の主役 エース馬庭がプロ志望届を出さなかった理由
https://news.yahoo.co.jp/articles/0df2cd147c8dfa2e782f59926d03a8dec1749d1c

今夏の全国高校野球選手権大会で島根県代表の大社が93年ぶりに8強入りを果たして聖地に旋風を巻き起こした。エースの馬庭優太投手(3年)は一躍全国区に名をとどろかせたがプロ志望届は提出せず。その理由に迫った。

           ◇  ◇

最後の夏を終え、大社・馬庭は地元のヒーローになっていた。甲子園から故郷の島根に帰ると街行く人に声をかけられ、感謝の言葉を伝えられた。周囲の自分の見る目が明らかに変わっていた。

「自分の人生が全部変わった。周りから話しかけてもらってすごいうれしかったです」。初戦でセンバツ準Vの報徳学園を撃破。大会ナンバーワン右腕と称された今朝丸に投げ勝った。3回戦では延長11回タイブレークを一人で投げ抜き、自身でサヨナラ打も放って早実に勝利。地元集団で起こした快進撃の中心に立ち、輝きを放った。

2018年に金足農旋風で脚光を浴びて日本ハムにドラフト1位で入団した吉田輝星(現オリックス)の当時の姿とも重なった馬庭の活躍。見える世界も一変し、プロ入りに挑戦してもおかしくない境遇であったはずだが志望届を提出せずに大学進学を選択した。迷いはなかった。

「自分を上に見るのは嫌なので。プロに入ったとしても自分のレベルじゃ通用しない。自分を磨くために大学を選びました」。聖地で強豪校の打者を抑えて自信はついた。自分の想像をはるかに超えた成長の実感も確かにあった。それでも、「周りに支えてもらってああいうピッチングをできるのが自分。実力ではない。足元を見て選んだ結果が大学でした」。周囲の反響に思い上がることはなかった。

150キロを超える直球も伝家の宝刀と呼べるような変化球があるわけでもない。長所を挙げるならば制球力。「スピードよりもチームが勝てば自分は良いと思っているので。そういう意味で制球力で勝負できるピッチャーになりたいなと思いました」。チームの命運を背負って腕を振り、見いだした武器だった。

目指すは同じ左腕のソフトバンク・和田のようなスピードがなくても打たれない直球。球速への憧れはとっくに捨てた。技巧派左腕として球道を歩む。「絶対最後はプロでプレーしたい。もういちど甲子園でプレーしたいなという気持ちもあります」。これからの伸び代は馬庭自身が一番感じているはず。4年後に胸を張ってプロ志望届を出すために、次のステージで研さんを積む。

📝どれだけ活躍しても「調子に乗らない男」――東海最注目のドラフト候補、モイセエフ・ニキータの高校3年間とこれから
https://news.yahoo.co.jp/articles/d29130e6d20f728e4cb46ba6b9d93a80c335108f

■「尋常じゃない」練習熱心さ

意欲的に練習に励み、充実した高校3年間を過ごした。強打者への階段をのぼった豊川のモイセエフ・ニキータは、東海地方最注目の高校生としてドラフト会議を迎える。プロ12球団から調査書が届いている。

「ものすごく成長できた3年間でした。野球にかける思いや考え方も変わりました。中学生の頃までは、あまり自主練習などもやってこなかったので。豊川高校に入って良かったです」

充実した練習環境のもと、寮生活で野球に打ち込んだ。平日の全体練習が夜8時頃に終わり、食堂で夕食をとると、室内練習場に戻ってさらに1時間半近く汗を流す日々。朝練も含め、豊富な練習量をこなした。

豊川の長谷川裕記監督もモイセエフの取り組みを認める。「ニキータの手を見ると、いつもガッチガチなんです。自分の時間(オフタイム)でも尋常じゃないぐらいスイングしているはず。やりきれる力が彼にはあります」

高校1年冬から2年春にかけてグンと伸びた。その時期、長谷川監督から受けたある“指令”をモイセエフはクリアした。

「春は4番で使うから、それにふさわしい身体をつくるように。そう命じました。既にレギュラーとして打率を残していましたが、本人がプロ入りを望む以上、満足していてはいけないし、長打を打てないと評価されませんから」(長谷川監督)

すると、春の時点で当時の目標体重(80キロ)に到達。頑張って身体を大きくした。モイセエフは「1日5食とか、とにかくたくさんご飯を食べないといけないし、結構つらい時期もありました。ウエイト・トレーニングでも自分を追い込みました」と振り返る。

ボリュームアップの効果はてきめん。高校2年の春、初めて本塁打をかっ飛ばし、スラッガーとしての道を歩み始める。

■どれだけ活躍しても調子に乗らない

誰もが認めるチームの中心選手。さらに、どれだけ活躍しようとも、テングにはならなかった。長谷川監督はそう証言する。

昨年秋の東海大会では、9回裏二死での同点タイムリーなど、モイセエフの猛打で翌春のセンバツ出場を当確とした。試合後の囲み取材で長谷川監督は「とにかくニキータに打席が回ってくれと願っていました。愛知県では『私学4強』(愛工大名電、享栄、中京大中京、東邦)がすごいと言われる中、ウチも『ニキータ』で胸を張れます」と、モイセエフの存在を前面に打ち出していた。

「本当はみんなで勝つのが一番いいんでしょうけど、どう考えてもニキータの力が大きかったので。チームの精神的な支えでもあるし、他の選手は『俺たちのせいで負けられない』と奮起します」

モイセエフがいたからこそ、チームの形が出来上がった。そして、スター扱いされる状況でも、モイセエフが高慢になることはなかったと若き指揮官は言う。

「あれだけ結果を残して注目されると、高校生なら調子こいてしまうのが普通なのに、そういう様子が一切ない。全力疾走も欠かしません。『調子乗るなよ』みたいに叱ることは、まったくありませんでした」

■才能と努力で規格外の選手に

モイセエフの打撃は、理論以上に本能が勝るタイプに見える。コンタクト能力は天性のもので、打率6割超を記録した大会も複数ある。

長谷川監督が「中学3年夏に初めて見たとき、スイングの形がすごく整っていました。癖がなくきれいに回転できていました」と言えば、モイセエフは「小学生の頃から打撃フォームはほぼ変わっていません。調子のいいときほど、何も考えず打席に入れています」と話す。

後天的に身につけたパワーは圧倒的で、高校通算本塁打は18本。今春センバツでは、以前より飛距離が出にくいとされる新基準バットで甲子園第1号アーチをかけた。前年秋の神宮大会での本塁打や、先述の東海大会準決勝での同点打など、大舞台やここ一番に強い。「柳田選手(ソフトバンク)のように、打率を残し、ホームランも打てて、盗塁もできる選手を目指していきたいです」とモイセエフ。“本能”とプロの理論が合わさり、プロの環境で練習を積み重ねていったとき、どんな選手になっているか。ロシアにルーツをもつ逸材の将来は、想像を超えるものになりそうだ。
2024/10/16(水) 22時35分57秒 No.1398 編集 削除