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編集済
📝第77回徳島県高等学校野球秋季大会組合せ
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鳴門オロナミンC球場が長期間の改装工事中のために、メインが「むつみスタジアム」に。アグリあなんは1度来場したので、この秋ぜひ蔵本に日帰りで行きたいと。

10月6日は和歌山二次予選最終日とかち合いますが、、、10時・13時30分とインターバルが長いし、予定のない9月29日にするか・・・。

天気予報や組み合わせなどじっくり吟味して高速バス予約します。

💢《甲子園優勝》京都国際・小牧憲継監督が語った本音「韓国語の校歌なんてどうでもいい。選手らのプレーを取り上げたって欲しい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/bd8d2865f5e75f25be04d1f6cef8a7675ae1a554

今夏の甲子園では、例年とは一風異なる現象が見られた。初優勝を果たした京都国際について、選手の活躍以上に「校歌」が注目されてしまったことだ。京都国際の小牧憲継監督(41)の複雑な胸中に、ノンフィクションライターの柳川悠二氏が迫った

関東第一(東東京)をタイブレークの末に破り、京都勢にとって68年ぶりとなる夏の日本一を達成した決勝からわずか3日――。名刹・東福寺にほど近い京都国際のグラウンドでは、新チームの練習が早くもスタートしていた。監督の小牧憲継は、怒気を含めながら、栄光の瞬間からの時間をこう振り返った。

「野球が下手くそだったあいつらが頑張って、せっかく日本一になったというのに、試合後は韓国語の校歌がどうのとか、韓国大統領がどうのとか、僕らからしたらどうでもいい報道ばかり。もっとこいつらのプレーを取り上げたって欲しいと思います。正直、むっちゃムカついていました」

エース・中崎琉生に2年生の西村一毅というふたりの好左腕を擁し、堅実な守備で全国制覇に向けて勝ち上がっていくなか、話題は韓国系民族学校にルーツを持つ同校の韓国語の校歌に集中した。試合の内容や球児のプレーとは何も関係のないことばかりが取り沙汰される異常な状況には、私も強い抵抗を覚えた。

小牧は同校の全校生徒約140人のうち、男子生徒の約9割を占める61人の野球部員を指導している。そんな優勝校の監督ともなれば、本心は違っても学校側のサポートに対する感謝の言葉を口にするものだ。ところが、小牧の口から漏れるのは、学校に対する諦めに近い負の感情ばかりだった。

「良くも悪くも、学校は野球部に対して無神経で、無頓着。日本語の校歌にして欲しいとスタッフが願っても実現しないですし、グラウンドだって広くして欲しいと頼んだところで学校は協力してくれない。はっきりいって、僕は学校が嫌いです」

報道陣に対しては会話のあとに必ず「オチ」をつけて笑いを誘ったかと思えば、学園との軋轢を生むような発言も辞さず、甲子園後の報道に率直な思いを語る。

4年前から「PLの校歌に変えたい」
 
小牧は数々の名将から可愛がられる指揮官でもある。たとえば、かつて熊本・秀岳館を率いて甲子園で3季連続でベスト4に進出し、今夏で県立岐阜商監督の勇退を決断した鍛治舎巧(73)や、歴代最多となる70勝を聖地であげている大阪桐蔭の西谷浩一(54)だ。小牧はそうした名将らとの交流の中で、甲子園で勝つ野球を学び、名門校と頻繁に練習試合を行うことで京都国際は力をつけてきた。

鍛治舎が退任の記者会見をした8月28日、県岐商の監督室で、優勝監督となった小牧の人柄について鍛治舎に訊ねた。

「とにかく一生懸命で、横浜(DeNA)に入団した森下(瑠大)くんをはじめ、左の好投手をチームとして育成することに長けている。あそこは練習試合ができないグラウンドなので、練習試合に誘うと、いつも岐阜まで飛んできてくれる。ああいう意欲のある若い監督が日本一になるのは嬉しいですね。これからの高校野球を牽引する存在になって欲しい」

小牧と初めて対面したのは2020年の秋季近畿大会だった。初の甲子園となる翌年のセンバツ出場を当確させた小牧に名刺を差し出すと、PLファンだという彼は私の著書『永遠のPL学園』(小学館刊)を読んでくれていた。

「PL学園の野球部はもう二度と再開しないんですか? 僕はあの校歌が大好きなんです。うちの校歌をPLの校歌に変えたいぐらい……」

京都国際の校歌が韓国語の歌詞であることは府内の高校野球関係者なら周知だった。順当にセンバツ出場が決まり、甲子園に校歌が流れればいろいろとハレーションが起きることは火を見るよりも明らかだった。

「しかも始まりがいきなり『東海(トンヘ、韓国基準で日本海を指す言葉)』ですからね。ネットが荒れること、間違いなしです」

まるで4年後の騒動を予見したような言葉である。以来、私は府内のいち強豪から甲子園常連校へと成り上がっていった京都国際と小牧の動向を追うようになっていた。

小牧が京都国際の監督に就任したのは2008年。それ以前から外部コーチとして指導に携わった小牧に当時を振り返ってもらうと、韓国系民族学校であるがゆえに心ない言動を受けた過去があったという。

💢京都国際・小牧憲継監督が明かした「名刺を捨てられたことも」「過去の謹慎処分」 前任の在日3世監督も語った「あの学校、環境でよくぞ……」
https://www.news-postseven.com/archives/20240905_1988616.html?DETAIL&_from=widget_related_pc

京都国際は2021年の春にセンバツで甲子園に初出場して以降、5度にわたって甲子園に出場し、今夏は初の日本一になった。監督の小牧憲継は言う。

「短期間でいきなり強くなったと思われるかもしれませんが、17年前に京都国際に来て、ずっと積み重ねてきたものがようやく結果に結びつくようになっただけやと思っています」

小牧と京都国際の縁は、25年前の高校時代まで遡る。1999年、京都国際の前身である韓国系民族学校の京都韓国学園に、野球部が創部された。京都成章の1年生野球部員だった小牧は同年夏、京都韓国学園戦に出場し、34対0で勝利した経験を持つ。

小牧が京都国際で指導を始めたのは、京都成章の同級生に京都韓国学園の中等部出身の選手がいたことがきっかけだった。その縁から、小牧は高校野球を引退した2001年夏以降、関西大に進学してからも時折、京都韓国学園で球児たちに野球を教えていたという。

京都韓国学園が経営難に陥ると、2004年に日本の一条校となって校名を変更した。小牧が京都国際の社会科教諭として採用されたのは2007年だ。

当時の野球部はPL学園のOBで、在日3世となる李崇史(リ・スンサ、現・長崎県の私立島原中央高校監督)が率いていた。小牧より2歳上の李が、関西大時代の小牧について振り返る。

「京都国際となり、日本の高校生が入学してくるようになったとはいえ、私が監督をしていた頃の京都国際は在日の子が多く、毎年、韓国からの留学生もいました」

その頃、京都国際の試合となると、観客席や相手ベンチから「助っ人外国人に頼りやがって!」というような心ない野次も飛んだという。

「留学生といっても、高校野球部の少ない韓国国内の競争に敗れた子ばかりで、身体能力は高いけれども、野球が下手な選手が多かった。そういう選手に対して大学生だった小牧は投げ出すことなく丁寧に技術指導し、高3の夏には立派な野球選手に育てていた。小牧の情熱と指導はチームの力になる。そこで彼が銀行に就職してからも、教師になれと誘ったんです」

「コンビニで夜間バイトしながらコーチ」
 
ところが、2008年に李による指導中の暴力が発覚し、日本学生野球協会から3か月の謹慎処分が下った。学校とも対立を深めた李は学校を離れた。

「学校からもより重い処分を言い渡されて、私は“やってられへん”と投げ出してしまった。銀行員を辞めてまで京都国際に来てくれた小牧を裏切る形となり、恨まれていても仕方ないんですが、私を頼って入学してくれた子たちを監督となった小牧が責任持って卒業まで指導してくれた。感謝しかありません」

京都国際のグラウンドはレフトが70m、センターとライトが60mという狭くて歪な形状をしていて、練習試合どころか、外野ノックもままならない。このハンデのある練習環境で、小牧は16年間の監督生活で11人のプロ野球選手を輩出した。李が言う。

「あの学校で、あの環境で、よくぞこの成績を残せた。『すごいな』の一言しか浮かびません」

小牧が脱サラして高校野球の指導者となった当時を振り返る。「僕は野球以外、なんの取り柄もない人間で、ATMの使い方を知らないのに銀行員になったぐらいなんです。1年目(2006年)の11月に退行し、翌年4月までは実家が経営するコンビニで夜間バイトをしながら、京都国際でコーチをしていました」

甲子園を目標に掲げるのではなく、大学や社会人まで長く野球を続けられる野球選手を育てることに重きを置く指導者としての姿勢は、李に教わったものだという。

「それはPLの教えでもあると思いますが、試合はいわば舞台発表の場という位置づけなんです。京都国際はグラウンドが狭いし、満足なチーム練習はできない。徹底的に個の技術を磨き、身体能力を高め、個の力を結集して試合で発表する。その舞台が甲子園であれば最高という考え方でした」

名刺を捨てられた
 
2008年の監督就任当初は選手勧誘も小牧が担当し、中学野球の現場にも足を運んだ。しかし、韓国の学校という先入観が先行し、勧誘しても相手にされないことが続いた。

「目の前で名刺を捨てられたこともありますし、高校野球関係者を集めた会合に僕だけ呼ばれないこともあった。チーム関係者や親御さんからしたら、こんな得体の知れない学校ですから(笑)、それも仕方なかったと思うんです。それでもひたすら通って誠意を見せ続けていたら、協力してくれる人が出てきた。中学野球関係者の方に言われた一言は今も心に残っています。『京都国際に(教え子を)預けるんちゃうぞ。信頼するお前に預けるんや』って」

京都国際の監督を辞めたくなることは幾度もあった。その度に、協力者のその言葉が浮かぶ。

「声を掛けて来てもらった以上、その生徒への指導を投げ出して、僕だけ他の条件の良い学校に移ることなんて絶対にできない。覚悟を持って来てもらう以上、こちらも覚悟を持って接しているつもりです」

報道陣の前では常にニコニコしている小牧も、曽根海成(現・広島)が主将を務めた2012年頃、練習試合中に曽根に暴力を振るい、3か月の謹慎処分を受けた過去がある。小牧にしてみれば、蒸し返されたくない話題だろう。だが、この件にも逃げずに向き合う。

「まだまだ選手のレベルが低く、曽根の実力だけが突出していたチームだったんです。試合中、仲間のミスに曽根がイライラして、自分の思い通りにいかないことにふて腐れた態度をとっていた。『お前がキャプテンとして下手なヤツらをカバーして、引っ張っていかんとあかんやろ』と、つい手が出てしまいました」

昭和の高校野球ならよく見かける光景かもしれないが、現代では許されない指導法だ。本人も「もちろん、今では生徒に手を上げることは絶対にない」と言う。

日本一を可能にした「指導者4人体制」
 
現在の京都国際は、2013年頃にコーチに就任した岩淵雄太(33)が、小牧に代わって選手勧誘を担当。そして小牧が野手、小牧の京都成章の同級生である部長の宮村貴大(41)が投手の育成を担当する。さらに昨春からは小牧よりも年配の男性コーチを寮監として招き、選手たちの父親代わりとして寮での生活基盤を支えている。

「4人の指導者が担当を完全に分担して指導にあたっています。日本一を達成できたひとつの要因ではあると思います」

この夏の京都国際はエース左腕の中崎琉生が初戦の北海道・札幌日大戦(7対3)と3回戦の福岡・西日本短大付戦(4対0)で完投し、やはり2年生左腕の西村一毅が2回戦の新潟産大付戦(4対0)と準々決勝の奈良・智弁学園戦(4対0)と2戦連続で完封した。ふたりの左腕が交互に先発・完投することでチームは勢いづいてきた。

そして準決勝・青森山田戦では西村が中崎を好リリーフして勝利を呼び込み、決勝・関東第一(東東京)戦では攻守に渡って大車輪の活躍を見せた。西村の覚醒――それは小牧をはじめ誰もが予想していなかったことだった。

📝京都国際の胴上げ投手・西村一毅 小牧監督の「プロ行きたいんか?」の問いに「公務員になりたい」 “米イップス”で実家に帰った過去と「優勝後の変化」
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この夏、甲子園が生んだ最大のヒーローにして、日本一の立役者となったのが、2年生の左腕・西村一毅だった。2回戦の新潟産大付戦(4対0)と準々決勝の奈良・智弁学園戦(4対0)で完封し、決勝ではタイブレークに突入した10回表に代打で出場。先制のチャンスを広げる一打を放ち、その裏の守りで胴上げ投手になった。采配をズバリ的中させた監督の小牧憲継(41)は言う。

「西村はセンバツではベンチ外で、球速は130キロにも満たなかった。それが甲子園に来て140キロを出し、どこにそんな力を隠していたんやと思うぐらいに成長した。西村ってほんまに変なヤツなんです。今年の春から低反発バットが導入されるということで、去年の夏頃から、パワーをつけるため選手が寮で食べるご飯の量を1食800グラムに決めていた。練習量が多いので、食べないと摂取カロリーが消費カロリーに追いつかず、痩せ細っていくだけですから。ところが……」

ある時、小牧は細身の西村の異変に気付いた。「箸の先に米粒ふたつだけを乗っけて、それを見つめたまま2時間ほど動かないんです。食べたくても口にできない“米イップス”になってもうたんですよ(笑)。無理して食べるのがよほどつらかったんだと思います。すると『一度リラックスしたいので実家に帰らせてください』と。そんなヤツが1年後、胴上げ投手ですからね。

これまで本人に『プロに行きたいんか? それとも大学に行きたいんか?』と問うたりもしてきたんですけど、本人は『高校終わったら楽しく野球をやりたい』とか『公務員になりたい』とか言っていて……。ただ、決勝のあと、『もっとたくさん食べて体を作らないといけない』と言いだしたそうです。優勝投手になった経験が彼自身の意識を変えたのかもしれません」

「変わった子ばかり」だから勝てた
 
西村とは対照的に、将来プロに入るための道筋をしっかり考えているのが高校日本代表にも選出されたエース左腕の中崎琉生だ。プロ志望届は提出せず、國學院大學に進学して4年後のプロ入りを目指す。

「中崎には法政からも声がかかっていたんです。しかし、國學院の方がキャンパスとグラウンドの距離が近いらしく、移動時間が少ない分野球に集中できるという理由で國學院を選んだ。こういう考え方ができる選手も、うちでは珍しいですね」

京都国際に在籍する一学年約20人の球児たちは、個の能力を伸ばし、長く野球界で活躍する選手を育成しようという小牧らの志に共感し、彼らの指導を受けるために京都国際の門を叩いたのだ。

「将来、プロを約束されたような飛び抜けた選手はひとりもいないし、中学時代の実績も何もない子ばかり。西村のように変わった子ばかりなんです。だからこそ、彼らも入学にあたって元は韓国の学校だったとか、校歌が韓国語だとかは気にしないんでしょうね。甲子園に出場したいという意欲のある子、プロへの思いの強い子が入ってくれるようになったから、結果が伴い始めた。それやのに、学校の話題ばかりが先行するのはやっぱり納得できないですし、彼らの成し遂げたことを讃えて欲しい」

新チームの練習中、左翼70m、右翼60mという同校のグラウンドに、小牧の怒号が響いていた。

「常に甲子園で対戦するようなチームを想定して練習せな、日本一になんてなれへんねん」

低反発バットが導入され、今夏の甲子園でもロースコアの展開が圧倒的に増え、守備力と走力のあるチームこそ試合を優位に運べていた。そんな高校野球新時代の覇者になったとはいえ、余韻に浸る間もなく、新チームの選手たちと再び天下取りを目指す日常を小牧は取り戻していた。

📝高校野球に“新時代”、低反発バットで「強さ発揮しそうな3校」 公立高で期待持てるのは
https://news.yahoo.co.jp/articles/aa60a62eb8d8c2e23ec8d410b6c3a618a5c5e416?page=1

今年の高校野球最大のトピックと言えば新基準の金属バットの導入だろう。選手の安全面を考慮し、従来のバットよりも反発力が低く、芯も小さくなったと言われており、その影響もあって長打が激減。甲子園大会のホームラン数は春は3本(うちランニングホームラン1本)、夏は7本と金属バットが採用されてから最少の数字となった。

長打、ホームランが減るとより重要になってくるのは守備力と投手力だ。また攻撃面では機動力が使えることもポイントとなる。夏の甲子園優勝の京都国際(京都)、準優勝の関東第一(東東京)はまさにそれを体現したチームの代表例だったと言えそうだ。ではこの2チーム以外に新基準の金属バットで秋以降に強さを発揮するチームはあるのだろうか。これまでの戦いぶり、チームカラーなどから探ってみたいと思う。

まず真っ先に名前が挙がるのが明徳義塾(高知)だ。毎年守備については徹底的に鍛えられている印象が強く、今年もショートの山畑真南斗(3年)がその守備力の高さを買われてU18侍ジャパンに選出されている。夏の高知大会でも4試合で失策は3記録しているが、そのうち2つは捕手によるもので、内野と外野の失策はわずかに1だった。

攻撃面でも小技と機動力を駆使した野球が特徴で、夏の甲子園では初戦の鳥取城北(鳥取)戦で10安打、3犠打で7点を奪って快勝。続く3回戦では関東第一を相手にチャンスを生かしきれずに敗れたが、2対3と接戦を演じている。新チームも制球力の高い左腕の池崎安侍朗(2年)と、入学直後から正捕手に定着した里山楓馬(1年)のバッテリーが残っているのは大きなアドバンテージである。馬淵史郎監督も2002年夏以来となる甲子園制覇に意欲を見せており、その手堅い野球でまた頂点を奪う可能性はありそうだ。

続いて強さを発揮しそうなチームとなると創志学園(岡山)の名前が挙がる。東海大相模で春3回、夏1回の優勝を成し遂げた門馬敬治監督が2022年8月に就任。昨年秋の中国大会では準優勝を果たし、今年春のセンバツでも1勝をあげた。門馬監督の野球の特徴は負けに繋がる確率をいかに減らすかという点で、守備ではカバーリングやバックアップ、攻撃では走塁への意識の高さが徹底されている印象が強い。

春のセンバツ初戦の別海(北北海道)との試合でも4盗塁を決めて7点を奪い、守ってもノーエラーという見事な戦いぶりだった。今年のチームのレギュラーは3年生が中心だったが、ベンチ入りメンバーは2年生も多く、入学した時から門馬監督の指導を受けているという点でも、そのイズムが浸透してくる可能性は高い。近年の中国地区は広陵(広島)が完全な王者となっている印象が強いが、肩を並べる存在となることも十分に期待できるだろう。

夏の甲子園では県立校の大社(島根)がベスト8に進出して大きな話題となったが、同じ県立校で強さを発揮しそうなのが菰野(三重)だ。甲子園出場は春1回、夏3回とそこまで多くはないが、今年夏は初勝利もあげた。その強みは何と言っても投手育成にある。これまでも西勇輝(阪神)、田中法彦(元広島・現セガサミー)など毎年のように好投手を輩出しており、岡林勇希(中日)も高校時代は最速150キロを超える本格派として話題となっていた。

1人の投手に負担をかけず、複数の投手を上手く起用しながら戦う運用が確立されており、そのやり方を知って進学する投手も多いという。夏の甲子園でも栄田人逢(2年)が南陽工(山口)を相手に見事なピッチングを見せてチームを勝利に導いた。また今年のチームはレギュラー全員が2年生であり、甲子園を経験したことは大きなプラスである。秋以降、東海地区を牽引していく可能性はありそうだ。

他では菰野と同じく投手育成に定評のある報徳学園(兵庫)、霞ヶ浦(茨城)、さらにセンバツ優勝の健大高崎(群馬)などももちろん有力なチームとなるだろう。ただ長打が出ないからといって、極端なスモールベースボールになってしまうと、その先のカテゴリーで苦労する選手が増え、日本の野球界全体のレベルが下がることに繋がる危険性もある。そういう意味でも、新基準の金属バットでも打撃を売りにするチームが出てくることも期待したい。
2024/09/05(木) 22時26分28秒 No.1355 編集 削除