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⚾今日の和歌山大会試合結果(2回戦)
5日目第1試合 耐久-有田中央・貴志川・串本古座連合 9:01~10:53
一二三四五六七八九十計HE
有 貴 串1000000 124
耐 久3101201x 883
5日目第2試合 向陽-新宮・新翔連合 11:35~14:28
一二三四五六七八九十計HE
新宮新翔201241000 10152
向 陽010011110 5121
5日目第3試合 田辺-市和歌山 15:10~17:33
一二三四五六七八九十計HE
市和歌山000000000 062
田 辺01100301X 6110
⚾明日の和歌山大会組み合わせ(6日目 2回戦)
☆ 09:00~ 紀北 農芸-和歌山南陵
11:30~ 智弁和歌山- 笠 田
14:00~ 和歌 山工- 桐 蔭
⚾明日の注目カード
大阪大会2回戦 住之江球場 12:00~ 大商 学園-早稲田摂陵
☝田辺が因縁の相手・市和歌山に快勝 春夏出場へ好発進
https://news.yahoo.co.jp/articles/1f19ee380d21a05bac1068f71994a6477b2d5665
◇全国高校野球選手権和歌山大会2回戦 田辺6―0市和歌山(2024年7月15日 紀三井寺球場)
春夏連続出場を目指す田辺が昨夏代表の市和歌山を一蹴した。投げてはエース・寺西邦右投手が6安打されながらも市和歌山打線を完封。打線は11安打で効果的に加点して6―0の快勝だった。
田辺は市和歌山と新チームになって3度目の対戦。秋は準々決勝で9―2とコールド勝ちして選抜出場への勢いに変えた。春も準々決勝で当たってタイブレーク10回に4点を奪われて3―6と力尽きた因縁の相手。寺西は「夏に借りを返そうと思っていた」と胸を張った。
田中格監督は「寺西がいつものように粘りのピッチングで。ピンチになるとギアを上げて抑えてくれた。元々メンタルは強いが、体も強くなっている」とその成長ぶりに目を細める。「(6―0は)全く予想していなかった。選手には暑いから2時間辛抱しろよと声をかけたくらい」と話した。4番・山本陣世遊撃手(3年)は2本の二塁打で2打点の活躍だったが「(市和歌山に)こんなにきれいに勝てるとは…」と少し驚いたように笑っていた。
主将の山本結翔三塁手(3年)は「市和歌山とは決着をつけたいと思っていたし、勝って良かった。センバツで星稜に負けてから常に甲子園を意識している。あの舞台でやりたい」ときっぱり。春は“最強の21世紀枠”として出場した。夏切符は戦国・和歌山を勝ちきって奪う。
👣昨夏王者の市和歌山が初戦敗退 左手薬指骨折から復帰した麹家桜介は涙「僕の力不足」
https://news.yahoo.co.jp/articles/bd87ef5205a1c4b4452e20cf5ad37b80d001403a
昨夏王者の市和歌山が、田辺に完敗して初戦で散った。
1年生右腕の丹羽涼介投手を先発に抜てきし、4回2失点と粘投も、リリーフ陣が田辺打線につかまった。打線も幾度と訪れたチャンスで得点につなげることができなかった。
昨夏の甲子園にも出場した麹家桜介捕手(3年)は、6回の守備から途中出場。今春の和歌山大会期間中に打撃妨害をした際に左手の薬指を骨折し、そこから約2カ月ぶりの実戦復帰だった。
試合後は目に涙を浮かべて言葉を詰まらせながら「今日、最後試合に出してもらって、今まで高1の秋から背番号2をもらって、4番も打たせてもらって、やっぱり最後の最後で逆転したかったんですけど、僕の力不足。もっとチームとして頑張っていきたかった気持ちはあります」。高校生活最後の打席となった8回1死一塁からは左前打をマーク。「打席でも後悔なくフルスイングすることを決めていたので、最後に後悔はないです」と胸を張った。
✌新宮・新翔の記念すべき1勝に幸運を運ぶ「ヤモリ」記録員あり! 引地主将と臨む最後の夏
https://news.yahoo.co.jp/articles/9353c8783af8a8a930a67bff7789fa712d9641b5
◆第106回全国高校野球選手権和歌山大会▽2回戦 新宮・新翔10―5向陽(15日・紀三井寺)
今年から連合チームを組む新宮・新翔が、記念すべき夏1勝を記録した。新宮の「矢守」咲月マネジャー(3年)は記録員としてベンチ入りし、戦況を見守った。
「みんな自分の力を出してくれたかな」と笑顔で勝利を振り返った矢守さんは自身も小4から小6まで、3年間の野球経験を持つ。那智勝浦少年野球クラブでプレーし、主将の引地とはチームメートだった。小学校卒業と共に野球からは離れ、「高校でもはじめは野球部にはいるつもりもなかった」という矢守さんに高校入学時、声をかけたのが引地だった。「一緒に勝とう」。入部してから、打撃マシンのボール入れ、ランニングのタイムキーパー、補食には、おにぎりとゆで卵を1人2つずつ用意するなど、他のマネジャーたちと献身的に選手をサポートし続けてきた。
そんな矢守さんに主将も「練習から視野が広くて、選手にもズバッと言えるメンタルを持っている。矢守の存在は僕にとってめちゃくちゃ大きいです」と全幅の信頼を置く。
「やもり」と聞くと、どうしても爬虫類の「家守」を思い浮かべる。“家を守る”と書き、見かけると幸福を運ぶと言われている縁起のいい生き物だ。次戦の相手は今春21世紀枠でセンバツに出場した田辺。「甲子園、甲子園って言いながら毎日一緒に練習してたんで、他のチームに負けんぐらいみんな一致団結しています」と引地は自信を口にし、矢守さんは「みんなが最後まで全力でやってくれたら自分はそれでうれしいです」と優しいまなざしでナインの活躍を願った。引地の誘いで始まった、幼なじみ2人の高校野球最終章。連合の「やもり」と主将の活躍で、次もチームに幸福をもたらす。
☝選抜出場の耐久がコールド発進 冷水孝輔が7回1失点「夏は自分が引っ張っていく」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9a146ecfdc9fcae658c9d948c1e2c18bd99f5a1b
第106回全国高校野球選手権大会和歌山大会(15日、耐久8×-1有田中央、貴志川、串本古座連合チーム=七回コールド、紀三井寺)
選抜大会に出場した耐久が2回戦(初戦)を突破。序盤から効率よく得点を重ねて8安打8得点で七回コールド勝利を収め、春夏連続の甲子園出場に向けて第一関門をクリアした。
昨秋の近畿大会4強に導いた右腕・冷水孝輔投手(3年)が先発して1人で投げ、最速141キロを計測して7回2安打1失点。自己最速の142キロには届かなかったが、夏の初戦から力強い球を投げ込んだ。
「130キロ台後半を七回までずっと出せたのは体力がついてきたからと思う。これから試合を重ねるにつれてどんどん成長していけば自己最速はいける」
一回、味方の失策2つからノーヒットで1点先制を許したが、二回以降はカットボール、縦のスライダーが冴えて7三振を奪った。無四球だったが「逆球が多かった。高さが浮いていたので、そういうところは今後命取りになってくる。もっと制球力を上げたい」とさらなる精度向上を自身に課した。
創部119年で甲子園初出場となった選抜大会では1回戦の中央学院(千葉)戦で7回を投げて13安打を浴びて7失点し、悔しい初戦敗退となった。「ふがいない投球でチームが負けてしまった。夏は自分がチームを引っ張って堂々とした投球をできれば」ともう一度甲子園を目指す。
中部学院大の投手としてプレーする兄・秀輔投手(3年)はリリーフ投手としてチームに貢献。昨秋の神宮大会に続き、今春も東海地区を勝ち抜いて全日本大学選手権に出場した。「投球動画もいろいろ見ながら自分も盗めるところは盗んでいきたい」と尊敬する兄の投球も〝教材〟にしている。
兄・秀輔も耐久でエースを担い、3年時の2021年夏は小園(現DeNA)、松川(現ロッテ)のバッテリーを擁した市和歌山に準々決勝で敗れた。弟として「兄に負けたくない気持ちはあるが、自分は自分の投球をできるように。あと4試合、一つひとつ自分のできる投球をしたい」と全力で腕を振るつもりだ。
📝「君たちが会社の採用担当だったら……」天理高校から転じた中村良二監督、大阪学院大学で進める〝改革〟
https://news.yahoo.co.jp/articles/481e27297e5854b462f3a7d5e35e34a475b196e4?page=1
今回の連載「監督として生きる」は今季から大阪学院大学で指揮を執っている中村良二監督(56)です。天理高校出身で、プロの世界でも11年間プレー。母校の監督を務めた後、今年2月10日から大阪学院大の監督に就任しました。2回連載の前編は、これまでの指導者キャリアとの違いや手の届くところから進める〝改革〟についてです。
「これだけ短期間でチームは変わるのか」と驚き
今春の関西六大学リーグ戦最終節を終え、ベンチを引き揚げた中村監督にリーグ5位となった初めてのシーズンについて尋ねると、丁寧な語り口でこう振り返った。
「一言で言えば学生たちはよくやったと思います。結果は2勝9敗でしたけれど、2勝以上の試合内容もあったし、9敗しましたけれど、9敗の中でも良い経験ができた9敗だったと思うので、僕の思う以上にしっかりした11試合をやってくれたと思います。『これだけ短期間でチームは変わるのか』とびっくりしています。選手らは『勝ちたい、うまくなりたい』と。そういう気持ちを持っているんだと感じさせられました」
天理高校時代は主将として1986年夏の甲子園で優勝。近鉄と阪神で計11年間プレーするなど、関西の野球ファンの記憶に刻まれてきた選手でもある。現役引退後は少年野球チームを指導し、2008年8月から天理大学の監督となった。その後、14年2月に天理高校のコーチとなり、15年8月に監督就任。17年夏、21年春と甲子園でベスト4に進出するなど、計4回、母校を聖地に導いた。
コーチ時代も含めると、10年近くになる母校での指導を離れて今年2月、大学野球界へ10年ぶりに復帰する運びとなった。
気持ちと行動一つで環境は変えられる
大阪学院大が加盟している関西六大学リーグは近年、大阪商業大学が圧倒的な強さを誇っている。そこへ好投手をそろえる大阪経済大学や京都産業大学などが追随している。この構図は、中村監督がかつて天理大で指導していた頃の阪神大学リーグによく似ているという。
「大商大さんや大経大さんが、僕がいた時の阪神大学リーグで言えば、投手力の高い関西国際大さんや大阪体育大さん。龍谷大さんや京産大さんが、大産大さんみたいな……。あれから10年以上経って、投手のレベルは今の方がかなり上がっていますけれど、それでも当時の関西国際大さんや大阪体育大さんの投手力はかなり高かったですよ」
中村監督が天理大の監督に就任した当時は2部に所属していた。翌春のリーグ戦で1部昇格を果たすと、13年春には1部優勝を果たし、全日本大学野球選手権で1勝を挙げた。
大阪学院大は近年のリーグ戦で4位が2度、5位が今春を含めて4度、6位は2度と低迷が続いているが、天理大の監督就任当時も2部だったため、当時のことがよく頭の中をよぎるという。
「天理高校のコーチに就任した頃も2年連続で甲子園に出場できなかったですし、僕はそういう巡り合わせに遭う運命なのかなと(苦笑)。ただ、大阪学院大の現状のレベルから、周りの大学をどう追い越していけるかを考えていくと、天理大時代のことは役立っているんです」
その一つが、気持ちと行動一つで環境を変えられるという考え方だ。「試合は相手がいることなので、いつ勝てるのか分からないですが、勝てるチームになるには、環境がまとまらないとなれないと思っているんです。うちは練習時間が短いので、その中で効率良く練習していく。全体練習でもミスを許さない雰囲気の中で、ミスが出てもそれを補えるチーム力をつけていく。そういう環境に学生たちが浸透していけば、おのずと強いチームになっていけると思います」
全国大会に出て「恥ずかしくないチーム」をめざし
春のリーグ戦後、11試合分のスコアをすべて分析し、敗因を探った。失点したのは27イニング。そのうち19イニングで四球とエラーが絡んでいた。
「エラーと四球を減らすだけで失点は減らせる。じゃあ、減らすにはどうすればいいのか。練習の環境を変えていけば、そこはクリアできる。そういう部分に目を向けて練習をしていこうと言いました」
中村がまず着目したのが〝まとまり〟だった。監督就任以降もそれまで通りに統制を重んじる中、どうしても気になることがあった。
「練習で着用するチームのTシャツが、うちは水色、白、紺と3色あるんですけれど、練習のたびに各学年が着ていた色がバラバラだったんです。まるで合同チームみたいで……。大阪学院大はチームカラーが紺。それをベースにウェアを着た方がいいと思っています。僕は統一感を気にするんですよ。色がバラバラだとちょっと手を抜いているような雰囲気にも見えてしまって……」
選手たちには「君たちが会社の採用担当だったら、こんな統一感のない、やる気も見えない練習をしている学生を採用したいと思う? 今、それに近いよ」と伝えた。すると翌日からは、同じ色のTシャツを着て練習するようになった。「アップの雰囲気も良くなったんです」と早速手応えを感じた。
手が届くところから改革を進め、ミーティングを重ねることで、それまでやる気を表に出さなかった選手たちも、少しずつ同じ方向を向くようになった。
「以前は練習を無断で休んだり、遅刻したりする選手が多かったんです。でも、社会に出れば、それはあるまじき行為。今は、ちゃんとやろうとする学生が普通になって、やらない学生が浮いて見えるくらいになりました。そういう子たちを切り離すのは簡単だけれど、『みんなでしっかり良い形を作れるようにしよう』という話もしました」
根底には、大阪学院大が全国大会に進んだときに「恥ずかしくない野球部にしたい」という思いがある。「礼儀、行動から、プレー、実力も含めて。『個々の責任のもとで、大学生らしくもっともっと考えて行動しないといけないね』と。そういう話をすればするほど、チーム内の雰囲気が変わっていくのを感じました」
平日の全体練習が朝7時からになる理由
天理大学と天理高校では、部員全員が寮生活を送っていた。全員が生活をともにしていれば、たとえば練習の開始時間を決めただけで、練習前のグラウンド整備の開始時間も足並みをそろえやすい。ただ、大阪学院大は野球部の寮がなく、通学生がほとんどで、一般の寮や下宿生活をしているのは3、4割。授業との兼ね合いや付属の大阪学院大高校が練習でグラウンドを使う影響もあり、平日の全体練習は朝7時から行っている。そもそも全員一斉に早朝からグラウンド整備をするのが難しい。
「朝7時から練習するとなると、グラウンドには6時45分ごろには到着しなくてはなりません。遠方から来る学生もいますから、全員で一緒に、とはいかないんです。その後9時には授業が始まるので、抜けてしまう学生が出てきます」
授業の空きコマ時間に、自主練習をする学生もいて「どうしてもバラバラになりやすいんです」。天理時代とは異なり、ここでは様々な制限の中で野球を続けることが求められる。「目標を達成しようと思うのなら、それぞれの意識が高くないと難しいんですよね」。中村監督は、選手の意識向上が何より大事だと感じている。
⚾岩手さんへ
荒川商・羽田工は全く知りませんが。。。。。伊都はやはり、伊都高校~近畿大学で投手として活躍されその後、農業しながら監督一筋43年センバツ3度出場し、3人の娘さん全員同校野球部マネージャーだった窪田 博監督が思い出されます!!
なぜかしら試合中いつもバッティンググローブとリストバンドを外さず、観戦するたびにカラーが違ってました。
たまにベンチ奥から怒号を浴びせるとすかさずネット裏最後列に控えている常連のおいやんから「お~~~い弟子が吠えたぞ―――!!」と。
鉄仮面のようにいつも仏頂面で白い歯を見たことがないですが、1度だけ・・・94年秋奈良・鴻ノ池球場の近畿大会で敷地が狭すぎるので、ベンチ裏を出て観客の前でインタビューや写真撮影してましたが、写真撮影の折に誰かが「おーい。オッサンちょっとは笑えや!!」と言われて苦笑されたときくらいかな?
WBS和歌山放送の高校野球解説でおなじみの福田浩二さんも同じ学歴のようです。
近江はセンバツのエース・西山がヒジ痛でベンチ外だし、多賀監督が熱中症の疑い???で苦しいですね。
⚾SHIONOMISAKIさんへ
茨城~福島遠征お疲れさまでした。
茨城はともかく、福島は関西と比べてかなり涼しく避暑ができたのでは?と察します。
僕は本日4時起床4時50分出発で僕だけの聖地・紀三井寺球場へこの夏初参戦。心配された雨も11:45~12:15頃にパラついた程度で傘の出番はなしと。
しかし、早朝4時の時点で新聞取りに家から出るとスチームサウナに入ったような蒸し暑さで、、、紀三井寺駅から球場まで約3km歩いて前列2列目の真ん中座席確保してホッとしたのか?意識を失いかけましたね・・・・・。
幸いアルプススタンド通路下・トイレ横に昨年までなかったスポットクーラーで涼んで息を吹き返し3校連合・2校連合のアルプスでアクエリアスのペットボトル計2本いただきなんとか第3試合だけスコア付けできました。
雨予報で11時から断続的に降るはずが。。。奈良・滋賀は影響あったらしいですが、傘の出番なしと。
審判も人の子なんでさすがに連合チームや少人数チームには優しいですね。自分らも1イニングごとに給水しているし。
春の近畿大会で球審が天理の捕手に「おい、聞いとるんか~~~」とシコる場面も耳にしましたが、手元のスコアブック見ていたので何に対してブチキレていたのかは不明です。
給水タイムは兵庫で数年前から3・7回終了後に2分程度とってますね。もうちょっと時間欲しいところですが!
クーリングタイム10分間はなぜかしらやたらに長く感じます。。。
伊勢に行った折には2回経験して、昼ご飯のことを考えたら第2試合で5回終了8-0で踏みとどまり「10分間のクーリングタイムを行います」とうぐいす嬢がアナウンスしたのを心の中で「もういいよ!!」と毒づいてしまいました(笑)
紀三井寺でも今年は曇天でも律儀にやってますね。トレイへの往復は3~4分あればできるので、そこから先がヒマですね。。。スコア付けていない時は意味もなく外野芝生席をブラブラしてました。
兵庫高野連も最終試合の5回終了後には無料開放してますね。たしか大阪も同じだったはず。
「3回裏、〇〇高校の得点は3点です。」というのは鳥取か島根でも得点時のみアナウンスあったかなと記憶してます。
5日目第1試合 耐久-有田中央・貴志川・串本古座連合 9:01~10:53
一二三四五六七八九十計HE
有 貴 串1000000 124
耐 久3101201x 883
5日目第2試合 向陽-新宮・新翔連合 11:35~14:28
一二三四五六七八九十計HE
新宮新翔201241000 10152
向 陽010011110 5121
5日目第3試合 田辺-市和歌山 15:10~17:33
一二三四五六七八九十計HE
市和歌山000000000 062
田 辺01100301X 6110
⚾明日の和歌山大会組み合わせ(6日目 2回戦)
☆ 09:00~ 紀北 農芸-和歌山南陵
11:30~ 智弁和歌山- 笠 田
14:00~ 和歌 山工- 桐 蔭
⚾明日の注目カード
大阪大会2回戦 住之江球場 12:00~ 大商 学園-早稲田摂陵
☝田辺が因縁の相手・市和歌山に快勝 春夏出場へ好発進
https://news.yahoo.co.jp/articles/1f19ee380d21a05bac1068f71994a6477b2d5665
◇全国高校野球選手権和歌山大会2回戦 田辺6―0市和歌山(2024年7月15日 紀三井寺球場)
春夏連続出場を目指す田辺が昨夏代表の市和歌山を一蹴した。投げてはエース・寺西邦右投手が6安打されながらも市和歌山打線を完封。打線は11安打で効果的に加点して6―0の快勝だった。
田辺は市和歌山と新チームになって3度目の対戦。秋は準々決勝で9―2とコールド勝ちして選抜出場への勢いに変えた。春も準々決勝で当たってタイブレーク10回に4点を奪われて3―6と力尽きた因縁の相手。寺西は「夏に借りを返そうと思っていた」と胸を張った。
田中格監督は「寺西がいつものように粘りのピッチングで。ピンチになるとギアを上げて抑えてくれた。元々メンタルは強いが、体も強くなっている」とその成長ぶりに目を細める。「(6―0は)全く予想していなかった。選手には暑いから2時間辛抱しろよと声をかけたくらい」と話した。4番・山本陣世遊撃手(3年)は2本の二塁打で2打点の活躍だったが「(市和歌山に)こんなにきれいに勝てるとは…」と少し驚いたように笑っていた。
主将の山本結翔三塁手(3年)は「市和歌山とは決着をつけたいと思っていたし、勝って良かった。センバツで星稜に負けてから常に甲子園を意識している。あの舞台でやりたい」ときっぱり。春は“最強の21世紀枠”として出場した。夏切符は戦国・和歌山を勝ちきって奪う。
👣昨夏王者の市和歌山が初戦敗退 左手薬指骨折から復帰した麹家桜介は涙「僕の力不足」
https://news.yahoo.co.jp/articles/bd87ef5205a1c4b4452e20cf5ad37b80d001403a
昨夏王者の市和歌山が、田辺に完敗して初戦で散った。
1年生右腕の丹羽涼介投手を先発に抜てきし、4回2失点と粘投も、リリーフ陣が田辺打線につかまった。打線も幾度と訪れたチャンスで得点につなげることができなかった。
昨夏の甲子園にも出場した麹家桜介捕手(3年)は、6回の守備から途中出場。今春の和歌山大会期間中に打撃妨害をした際に左手の薬指を骨折し、そこから約2カ月ぶりの実戦復帰だった。
試合後は目に涙を浮かべて言葉を詰まらせながら「今日、最後試合に出してもらって、今まで高1の秋から背番号2をもらって、4番も打たせてもらって、やっぱり最後の最後で逆転したかったんですけど、僕の力不足。もっとチームとして頑張っていきたかった気持ちはあります」。高校生活最後の打席となった8回1死一塁からは左前打をマーク。「打席でも後悔なくフルスイングすることを決めていたので、最後に後悔はないです」と胸を張った。
✌新宮・新翔の記念すべき1勝に幸運を運ぶ「ヤモリ」記録員あり! 引地主将と臨む最後の夏
https://news.yahoo.co.jp/articles/9353c8783af8a8a930a67bff7789fa712d9641b5
◆第106回全国高校野球選手権和歌山大会▽2回戦 新宮・新翔10―5向陽(15日・紀三井寺)
今年から連合チームを組む新宮・新翔が、記念すべき夏1勝を記録した。新宮の「矢守」咲月マネジャー(3年)は記録員としてベンチ入りし、戦況を見守った。
「みんな自分の力を出してくれたかな」と笑顔で勝利を振り返った矢守さんは自身も小4から小6まで、3年間の野球経験を持つ。那智勝浦少年野球クラブでプレーし、主将の引地とはチームメートだった。小学校卒業と共に野球からは離れ、「高校でもはじめは野球部にはいるつもりもなかった」という矢守さんに高校入学時、声をかけたのが引地だった。「一緒に勝とう」。入部してから、打撃マシンのボール入れ、ランニングのタイムキーパー、補食には、おにぎりとゆで卵を1人2つずつ用意するなど、他のマネジャーたちと献身的に選手をサポートし続けてきた。
そんな矢守さんに主将も「練習から視野が広くて、選手にもズバッと言えるメンタルを持っている。矢守の存在は僕にとってめちゃくちゃ大きいです」と全幅の信頼を置く。
「やもり」と聞くと、どうしても爬虫類の「家守」を思い浮かべる。“家を守る”と書き、見かけると幸福を運ぶと言われている縁起のいい生き物だ。次戦の相手は今春21世紀枠でセンバツに出場した田辺。「甲子園、甲子園って言いながら毎日一緒に練習してたんで、他のチームに負けんぐらいみんな一致団結しています」と引地は自信を口にし、矢守さんは「みんなが最後まで全力でやってくれたら自分はそれでうれしいです」と優しいまなざしでナインの活躍を願った。引地の誘いで始まった、幼なじみ2人の高校野球最終章。連合の「やもり」と主将の活躍で、次もチームに幸福をもたらす。
☝選抜出場の耐久がコールド発進 冷水孝輔が7回1失点「夏は自分が引っ張っていく」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9a146ecfdc9fcae658c9d948c1e2c18bd99f5a1b
第106回全国高校野球選手権大会和歌山大会(15日、耐久8×-1有田中央、貴志川、串本古座連合チーム=七回コールド、紀三井寺)
選抜大会に出場した耐久が2回戦(初戦)を突破。序盤から効率よく得点を重ねて8安打8得点で七回コールド勝利を収め、春夏連続の甲子園出場に向けて第一関門をクリアした。
昨秋の近畿大会4強に導いた右腕・冷水孝輔投手(3年)が先発して1人で投げ、最速141キロを計測して7回2安打1失点。自己最速の142キロには届かなかったが、夏の初戦から力強い球を投げ込んだ。
「130キロ台後半を七回までずっと出せたのは体力がついてきたからと思う。これから試合を重ねるにつれてどんどん成長していけば自己最速はいける」
一回、味方の失策2つからノーヒットで1点先制を許したが、二回以降はカットボール、縦のスライダーが冴えて7三振を奪った。無四球だったが「逆球が多かった。高さが浮いていたので、そういうところは今後命取りになってくる。もっと制球力を上げたい」とさらなる精度向上を自身に課した。
創部119年で甲子園初出場となった選抜大会では1回戦の中央学院(千葉)戦で7回を投げて13安打を浴びて7失点し、悔しい初戦敗退となった。「ふがいない投球でチームが負けてしまった。夏は自分がチームを引っ張って堂々とした投球をできれば」ともう一度甲子園を目指す。
中部学院大の投手としてプレーする兄・秀輔投手(3年)はリリーフ投手としてチームに貢献。昨秋の神宮大会に続き、今春も東海地区を勝ち抜いて全日本大学選手権に出場した。「投球動画もいろいろ見ながら自分も盗めるところは盗んでいきたい」と尊敬する兄の投球も〝教材〟にしている。
兄・秀輔も耐久でエースを担い、3年時の2021年夏は小園(現DeNA)、松川(現ロッテ)のバッテリーを擁した市和歌山に準々決勝で敗れた。弟として「兄に負けたくない気持ちはあるが、自分は自分の投球をできるように。あと4試合、一つひとつ自分のできる投球をしたい」と全力で腕を振るつもりだ。
📝「君たちが会社の採用担当だったら……」天理高校から転じた中村良二監督、大阪学院大学で進める〝改革〟
https://news.yahoo.co.jp/articles/481e27297e5854b462f3a7d5e35e34a475b196e4?page=1
今回の連載「監督として生きる」は今季から大阪学院大学で指揮を執っている中村良二監督(56)です。天理高校出身で、プロの世界でも11年間プレー。母校の監督を務めた後、今年2月10日から大阪学院大の監督に就任しました。2回連載の前編は、これまでの指導者キャリアとの違いや手の届くところから進める〝改革〟についてです。
「これだけ短期間でチームは変わるのか」と驚き
今春の関西六大学リーグ戦最終節を終え、ベンチを引き揚げた中村監督にリーグ5位となった初めてのシーズンについて尋ねると、丁寧な語り口でこう振り返った。
「一言で言えば学生たちはよくやったと思います。結果は2勝9敗でしたけれど、2勝以上の試合内容もあったし、9敗しましたけれど、9敗の中でも良い経験ができた9敗だったと思うので、僕の思う以上にしっかりした11試合をやってくれたと思います。『これだけ短期間でチームは変わるのか』とびっくりしています。選手らは『勝ちたい、うまくなりたい』と。そういう気持ちを持っているんだと感じさせられました」
天理高校時代は主将として1986年夏の甲子園で優勝。近鉄と阪神で計11年間プレーするなど、関西の野球ファンの記憶に刻まれてきた選手でもある。現役引退後は少年野球チームを指導し、2008年8月から天理大学の監督となった。その後、14年2月に天理高校のコーチとなり、15年8月に監督就任。17年夏、21年春と甲子園でベスト4に進出するなど、計4回、母校を聖地に導いた。
コーチ時代も含めると、10年近くになる母校での指導を離れて今年2月、大学野球界へ10年ぶりに復帰する運びとなった。
気持ちと行動一つで環境は変えられる
大阪学院大が加盟している関西六大学リーグは近年、大阪商業大学が圧倒的な強さを誇っている。そこへ好投手をそろえる大阪経済大学や京都産業大学などが追随している。この構図は、中村監督がかつて天理大で指導していた頃の阪神大学リーグによく似ているという。
「大商大さんや大経大さんが、僕がいた時の阪神大学リーグで言えば、投手力の高い関西国際大さんや大阪体育大さん。龍谷大さんや京産大さんが、大産大さんみたいな……。あれから10年以上経って、投手のレベルは今の方がかなり上がっていますけれど、それでも当時の関西国際大さんや大阪体育大さんの投手力はかなり高かったですよ」
中村監督が天理大の監督に就任した当時は2部に所属していた。翌春のリーグ戦で1部昇格を果たすと、13年春には1部優勝を果たし、全日本大学野球選手権で1勝を挙げた。
大阪学院大は近年のリーグ戦で4位が2度、5位が今春を含めて4度、6位は2度と低迷が続いているが、天理大の監督就任当時も2部だったため、当時のことがよく頭の中をよぎるという。
「天理高校のコーチに就任した頃も2年連続で甲子園に出場できなかったですし、僕はそういう巡り合わせに遭う運命なのかなと(苦笑)。ただ、大阪学院大の現状のレベルから、周りの大学をどう追い越していけるかを考えていくと、天理大時代のことは役立っているんです」
その一つが、気持ちと行動一つで環境を変えられるという考え方だ。「試合は相手がいることなので、いつ勝てるのか分からないですが、勝てるチームになるには、環境がまとまらないとなれないと思っているんです。うちは練習時間が短いので、その中で効率良く練習していく。全体練習でもミスを許さない雰囲気の中で、ミスが出てもそれを補えるチーム力をつけていく。そういう環境に学生たちが浸透していけば、おのずと強いチームになっていけると思います」
全国大会に出て「恥ずかしくないチーム」をめざし
春のリーグ戦後、11試合分のスコアをすべて分析し、敗因を探った。失点したのは27イニング。そのうち19イニングで四球とエラーが絡んでいた。
「エラーと四球を減らすだけで失点は減らせる。じゃあ、減らすにはどうすればいいのか。練習の環境を変えていけば、そこはクリアできる。そういう部分に目を向けて練習をしていこうと言いました」
中村がまず着目したのが〝まとまり〟だった。監督就任以降もそれまで通りに統制を重んじる中、どうしても気になることがあった。
「練習で着用するチームのTシャツが、うちは水色、白、紺と3色あるんですけれど、練習のたびに各学年が着ていた色がバラバラだったんです。まるで合同チームみたいで……。大阪学院大はチームカラーが紺。それをベースにウェアを着た方がいいと思っています。僕は統一感を気にするんですよ。色がバラバラだとちょっと手を抜いているような雰囲気にも見えてしまって……」
選手たちには「君たちが会社の採用担当だったら、こんな統一感のない、やる気も見えない練習をしている学生を採用したいと思う? 今、それに近いよ」と伝えた。すると翌日からは、同じ色のTシャツを着て練習するようになった。「アップの雰囲気も良くなったんです」と早速手応えを感じた。
手が届くところから改革を進め、ミーティングを重ねることで、それまでやる気を表に出さなかった選手たちも、少しずつ同じ方向を向くようになった。
「以前は練習を無断で休んだり、遅刻したりする選手が多かったんです。でも、社会に出れば、それはあるまじき行為。今は、ちゃんとやろうとする学生が普通になって、やらない学生が浮いて見えるくらいになりました。そういう子たちを切り離すのは簡単だけれど、『みんなでしっかり良い形を作れるようにしよう』という話もしました」
根底には、大阪学院大が全国大会に進んだときに「恥ずかしくない野球部にしたい」という思いがある。「礼儀、行動から、プレー、実力も含めて。『個々の責任のもとで、大学生らしくもっともっと考えて行動しないといけないね』と。そういう話をすればするほど、チーム内の雰囲気が変わっていくのを感じました」
平日の全体練習が朝7時からになる理由
天理大学と天理高校では、部員全員が寮生活を送っていた。全員が生活をともにしていれば、たとえば練習の開始時間を決めただけで、練習前のグラウンド整備の開始時間も足並みをそろえやすい。ただ、大阪学院大は野球部の寮がなく、通学生がほとんどで、一般の寮や下宿生活をしているのは3、4割。授業との兼ね合いや付属の大阪学院大高校が練習でグラウンドを使う影響もあり、平日の全体練習は朝7時から行っている。そもそも全員一斉に早朝からグラウンド整備をするのが難しい。
「朝7時から練習するとなると、グラウンドには6時45分ごろには到着しなくてはなりません。遠方から来る学生もいますから、全員で一緒に、とはいかないんです。その後9時には授業が始まるので、抜けてしまう学生が出てきます」
授業の空きコマ時間に、自主練習をする学生もいて「どうしてもバラバラになりやすいんです」。天理時代とは異なり、ここでは様々な制限の中で野球を続けることが求められる。「目標を達成しようと思うのなら、それぞれの意識が高くないと難しいんですよね」。中村監督は、選手の意識向上が何より大事だと感じている。
⚾岩手さんへ
荒川商・羽田工は全く知りませんが。。。。。伊都はやはり、伊都高校~近畿大学で投手として活躍されその後、農業しながら監督一筋43年センバツ3度出場し、3人の娘さん全員同校野球部マネージャーだった窪田 博監督が思い出されます!!
なぜかしら試合中いつもバッティンググローブとリストバンドを外さず、観戦するたびにカラーが違ってました。
たまにベンチ奥から怒号を浴びせるとすかさずネット裏最後列に控えている常連のおいやんから「お~~~い弟子が吠えたぞ―――!!」と。
鉄仮面のようにいつも仏頂面で白い歯を見たことがないですが、1度だけ・・・94年秋奈良・鴻ノ池球場の近畿大会で敷地が狭すぎるので、ベンチ裏を出て観客の前でインタビューや写真撮影してましたが、写真撮影の折に誰かが「おーい。オッサンちょっとは笑えや!!」と言われて苦笑されたときくらいかな?
WBS和歌山放送の高校野球解説でおなじみの福田浩二さんも同じ学歴のようです。
近江はセンバツのエース・西山がヒジ痛でベンチ外だし、多賀監督が熱中症の疑い???で苦しいですね。
⚾SHIONOMISAKIさんへ
茨城~福島遠征お疲れさまでした。
茨城はともかく、福島は関西と比べてかなり涼しく避暑ができたのでは?と察します。
僕は本日4時起床4時50分出発で僕だけの聖地・紀三井寺球場へこの夏初参戦。心配された雨も11:45~12:15頃にパラついた程度で傘の出番はなしと。
しかし、早朝4時の時点で新聞取りに家から出るとスチームサウナに入ったような蒸し暑さで、、、紀三井寺駅から球場まで約3km歩いて前列2列目の真ん中座席確保してホッとしたのか?意識を失いかけましたね・・・・・。
幸いアルプススタンド通路下・トイレ横に昨年までなかったスポットクーラーで涼んで息を吹き返し3校連合・2校連合のアルプスでアクエリアスのペットボトル計2本いただきなんとか第3試合だけスコア付けできました。
雨予報で11時から断続的に降るはずが。。。奈良・滋賀は影響あったらしいですが、傘の出番なしと。
審判も人の子なんでさすがに連合チームや少人数チームには優しいですね。自分らも1イニングごとに給水しているし。
春の近畿大会で球審が天理の捕手に「おい、聞いとるんか~~~」とシコる場面も耳にしましたが、手元のスコアブック見ていたので何に対してブチキレていたのかは不明です。
給水タイムは兵庫で数年前から3・7回終了後に2分程度とってますね。もうちょっと時間欲しいところですが!
クーリングタイム10分間はなぜかしらやたらに長く感じます。。。
伊勢に行った折には2回経験して、昼ご飯のことを考えたら第2試合で5回終了8-0で踏みとどまり「10分間のクーリングタイムを行います」とうぐいす嬢がアナウンスしたのを心の中で「もういいよ!!」と毒づいてしまいました(笑)
紀三井寺でも今年は曇天でも律儀にやってますね。トレイへの往復は3~4分あればできるので、そこから先がヒマですね。。。スコア付けていない時は意味もなく外野芝生席をブラブラしてました。
兵庫高野連も最終試合の5回終了後には無料開放してますね。たしか大阪も同じだったはず。
「3回裏、〇〇高校の得点は3点です。」というのは鳥取か島根でも得点時のみアナウンスあったかなと記憶してます。