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⚾今日の和歌山大会一次予選試合結果(6日目 代表決定戦 紀三井寺球場)
和 智 弁10x-0粉 河・田 辺7-2和歌山商
智弁和歌山・田辺は二次予選進出決定!!
⚾今日の兵庫大会試合結果(3日目 1・2回戦)
明石トーカロ球場・・・ 社 4-3須磨翔風・須磨学園2-1滝 川 二
ウインク球場・・・・・星 陵3-1赤 穂・明 石 商1-0小 野 工
G7スタジアム神戸・・市 尼 崎5-1飾 磨・武庫総合10xー3龍 野(7回)
ReFillスタジアム・・・彩星工科2-1姫 路 工・高 砂2x-1須 磨 東(10回タイブレーク)
ベイコム球場・・・・・県 伊 丹3-1高 砂 南・洲 本5-1篠 山 産
⚾今日の岡山大会試合結果(初日 1回戦)
倉敷MS・・・就 実7-2勝 山・岡山朝日8-6方谷学舎(10回タイブレーク)
エイコン・・・高 梁3-1岡 山 工・作陽学園7x-0美 作(7回)
⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(最終日 代表決定戦 紀三井寺球場)
09:00~ 那 賀 - 熊 野
☆ 11:30~ 和歌 山東-高 野 山
⚾明日の兵庫大会組み合わせ(4日目 2回戦)
明石トーカロ球場
☆ 10:00~ 三田 松聖-東洋大姫路
13:00~ 神戸 弘陵- 御 影
ウインク球場
10:00~ 尼 崎 工- 小 野
13:00~ 西宮苦楽園-龍 野 北
高砂球場
10:00~ 報徳 学園-相 生 産
☆ 13:00~ 加古 川西-神戸学院付
☝甲子園 喜怒哀楽 「九学」を全国区にした名将 坂井宏安の「楽」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568833
甲子園 喜怒哀楽 県岐阜商ベスト4に貢献 横山温大の「楽」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568821
☝甲子園 喜怒哀楽 高校3年夏の甲子園で65奪三振 辻内崇伸の「楽」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568803
📝先輩の“かわいがり”に「そんなら、一生懸命投げへんけど」反骨エース・牛島和彦が大阪の名門校に進んだワケは「V9巨人の大物に直々に誘われて」
https://news.yahoo.co.jp/articles/84638c1c2682d0ceabc3f49767f44dd64048da5d
1979年、甲子園春夏連覇を果たす箕島と名勝負を演じることになる浪商のエースが、牛島和彦だった。箕島との激突に至るまでの快進撃とは?
プロ野球で名を残す選手のなかには、高校時代からさまざまな伝説を持つ者が多い。高校野球の名門として知られた浪商(現・大体大浪商/大阪)のエース・牛島和彦もそのひとりだ。
上下関係が厳しい野球強豪校にあって、厳しい指導を受けたあと「そんなことするんなら、あんたらがおるうちは一生懸命に投げんからな」と先輩に向かってタンカを切ったというエピソードがある。牛島のヤンチャさを表すものだ。巧みな投球術と度胸を武器にプロ野球で通算53勝、126セーブを挙げた牛島にその問いを投げかけると、笑いながらこう言った。
「さすがに入学してすぐは言えませんでしたよ。3年生が抜けてから、ひとつ上の先輩に『一生懸命投げんけど、ええんかなあ……』とそっぽ向いてボソッとつぶやいただけ」
そのつぶやきで待遇改善がなされたかどうかは不明だが、主戦を任された牛島は自らの投球によって、1978(昭和53)年の2年生の春、3年生の春・夏と在学中に3度の甲子園出場を果たした。
牛島が浪商に進学することになったわけ
浪商野球部は1924(大正13)年、浪華商業学校野球部として創部された。1937(昭和12)年春のセンバツ(第14回全国選抜中等学校野球大会)で初優勝を飾り、1946年夏、1955年春、1961年夏に日本一にのぼりつめた。OBには、張本勲(東映フライヤーズなど)、尾崎行雄(東映フライヤーズ)、巨人のV9時代を支えた高田繁などが名を連ねている。
「僕は奈良県に近い大阪府で育ちました。中学時代は準硬式野球をしていて、浪商に誘われていたんですけど、その頃の浪商は弱くて『甲子園に行かれへんから嫌です』と断っていました。自分では天理(奈良)に入るつもりでした。強豪と言われるところに行けばしんどいのはわかっている。『それなら、甲子園に行けるところに』と考えました」
ところが、意外なところから横やりが入った。
「5歳上のいとこが(奈良の)郡山高校で野球をしていた関係で、そこの監督とも知り合いだったんですけど、『奈良には来るなよ』と言われていました。僕がいるとその高校が甲子園に行けなくなるから困ると(笑)」
まさかの“超大物”に勧誘されて
仕方なく、大阪の高校への進学を考えている時に、浪商の関係者から連絡がきた。
「ずっと『どうしても来てほしい』と誘われていて、『一度食事をしながら話をしよう』ということになりました。レストランに行ったら、巨人の高田さんが同席されて、『浪商に来てくれ』と言われたので『はい』と答えました」
高田は1961年夏の優勝メンバーのひとりだ。
「うちの父親が福岡県の出身で、もともとは西鉄ライオンズのファンでした。その次に好きだったのが巨人。そこのレギュラー選手の高田さんに直々に誘われて浪商への進学が決まりました」
しかし、その頃、名門は低迷期を迎えていた。
「僕が入学する頃、学校名が変わるとか、移転するとかいろいろな話があって、『もう一回、浪商の名前を世に知らしめよう』という機運があったようです。浪商の附属である大体大附属中学出身の香川伸行がキャッチャーで、山本昭良がショート。ピッチャーの僕を入れて、3年後に強いチームをつくろうという計画がありました」
期待された牛島と香川、山本の3人は高校入学前から頭角を現した。
「3月半ばくらいから練習参加が認められて、他校との練習試合でも投げました。レフトのフェンスまで93メートルほどあって、その向こうに4階建ての校舎があったんですけど、香川の打球はその上を越えていきましたからね。『こいつにどうやったら勝てるんやろう……』と思いました」
スーパースターだった“ドカベン”香川
香川は身長170センチで、体重は100キロほど。水島新司の野球漫画『ドカベン』の主人公・山田太郎に体格が似ていたために、“ドカベン”の愛称で野球ファンから人気を集めた。
「香川は中学生の時からスーパースターでした。体格の割に足も速かったし、肩もよかったですよ。入学してすぐの春の大阪府大会で強豪の北陽高校と対戦して、僕が2失点の完投、香川も山本もホームランを打って勝ちました」
当時の高校野球には厳しい上下関係があった。もちろん、名門の中の名門である浪商も例外ではなかった。
「でも、香川は附属中学出身やから、先輩からかわいがられていました。中学時代の野球の実績もすごくて、もし香川におかしなことをしたらその先輩が怒られるような存在。でも、僕はよそものだし、別の意味での“かわいがり”がありましたよ(笑)」
前述したエピソードは牛島の気の強さを表すものだが、それは生き残るための術でもあった。
「自分の力をつけないとそういうものから解放されない状況でした」
大阪の王者・PL学園
エース・牛島、キャッチャー・香川を擁する浪商は1977年秋の大阪府大会、近畿大会を勝ち上がり、1978年春のセンバツ出場を果たした。しかし、1回戦で高松商業(香川)と対戦して、0対3で敗れた。
浪商と同じく近畿代表として甲子園に出場したのが箕島(和歌山)だった。2年生エースの石井毅が好投を続け、黒沢尻工(岩手)を1対0、小倉(福岡)を4対1で下し順調に勝ち上がった。続くPL学園戦で石井が完封勝利(2対0)、福井商業(福井)に3対9で敗れたものの、ベスト4進出を果たした。
その当時、大阪で最強と言われたのがPL学園だった。1978年春のセンバツではベスト8進出、夏の甲子園では決勝で高知商業(高知)に逆転サヨナラ勝ちして全国制覇を果たした。エースは西田真次(のち真二に改名/広島東洋カープ)、キャッチャーは木戸克彦(阪神タイガース)だった。
「PL学園の同学年には、小早川毅彦(広島東洋カープなど)、山中潔(広島東洋カープなど)らがいました。とにかくPL学園が強くて、同じ大阪の彼らに勝たないと甲子園には行けない。だから、同じ近畿ではありましたけど、箕島を意識することはなかったですね」
1978年、夏の大阪大会で敗れた浪商は秋の大阪大会を勝ち上がり、近畿大会に駒を進めた。準々決勝で東洋大姫路(兵庫)を下してセンバツ出場権を手繰り寄せ、続く箕島戦は11対4で圧勝、決勝で尼崎北(兵庫)を倒して優勝を飾った。
これなら全国でも通用するんじゃないか
「あの大会、香川が骨折していて、代打でしか出場できなかったんです。『香川不在で勝てるのか』といろいろな人に言われたんですけど、逆にそれでみんながまとまりました。近畿大会で優勝できたことで、『香川がいなくても勝てた。香川が戻ってきたらものすごく強くなるぞ』と思えました」
牛島は4試合すべてで完投。香川に代わって四番を任された。
「打率5割くらい打ちまくったんですけど、五番の井戸義隆という選手が7割以上打ったせいで僕はあまり目立ちませんでした。近畿大会で、東洋大姫路にもPL学園にも、箕島にも勝ったから、全国でも通用するんじゃないかと思いました」
高校野球ファンに名門復活の予感を抱かせる浪商の快進撃だった。
〈つづく〉
📝「敬遠しろ」指示に「黙って見とけ!」伝説の箕島戦でセンバツ史上唯一の大記録を食らった“あのエース”は「えっ、僕だけなの? これから自慢しよう(笑)」
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc2fb78e14b3c7d597e33383591ba0707f3a3f3f?page=1
3度も日本一になった浪商(大阪)だが、1969(昭和44)年春のセンバツでベスト4入りしたあと、甲子園の勝利から遠ざかっていた。牛島和彦が2年生で出場した1978年春のセンバツも、初戦で敗れていた。
「だから、(1979年のセンバツでは)僕たちはまず1勝しようというのが目標でした。1回戦で愛知(愛知)に6対1で勝ったけど、試合後、どうやって整列していいのかわからなかったんです(笑)。
2回戦で高知商業に3対2で勝ちました。自分の犠牲フライで点を取って、自分でも乗っていけた。逆転のピンチで味方のファインプレーが出てなんとか勝てたという試合でした」(牛島)
疲れで直球がへたって、フォークでも投げてるのか、と
準々決勝の川之江(愛媛)戦は降雨のなかで行われ、3対3のまま延長戦へ。浪商が13回にサヨナラ勝ちをおさめた。
「本当に、やっと勝てたという試合で、僕は200球以上を投げました。翌日の東洋大姫路との準決勝は疲労が溜まっていて、全然ダメでした。体がまったく言うことを聞いてくれないけど、控えのピッチャーに任せることはできません。僕がひとりで、最後まで投げるつもりでした。ストレートの最速は120キロの後半。キャッチャーの手前で落ちるので、『フォークボールでも投げてるのか』と思われたくらいでした」
現在は準々決勝の翌日と準決勝の翌日に休養日が設けられているが、20世紀の高校野球ではそんな日程は考えられなかった。エースが連投するのは当たり前。しかし、いくら鍛えていても、本来の力を発揮することはできなかった。
「今みたいに休養日があって、1日でも日程が空いていたら、少しは回復したかもしれません。3連投ではどうしようもない。でも僕の場合は、連投したことで、『どうすれば疲れないで投げることができるか』を覚えられた気がします。本当にしんどかったから、生き残るために、それを学びました。最後はもう、ヘロヘロで投げてましたけど(笑)。高校野球では7イニング制導入が議論されています。選手の体を考えればいいことに違いないけど、9イニングを戦ってこそ野球だと思います」
東洋大姫路を5対3で破って決勝に進出した浪商は箕島と激突することになった。牛島にとっては4連投目になる。前年秋の近畿大会では浪商が8回コールド勝ちをおさめたが、両校ともセンバツ出場を確実にしたあとの試合であったため、箕島のエース・石井毅は先発登板を回避している。
「敬遠しろ」「黙って見とけ!」
決勝までの4試合、40イニングをひとりで投げ切った牛島。準決勝でPL学園相手に延長10回にサヨナラ勝ちした箕島の石井にも疲れはあったものの、牛島の比ではなかった。
疲れの見える牛島に箕島打線が襲いかかり、5回終了時点で4対1とリードを奪っていた。しかし、そこから反撃した浪商が、7回表に6対5と試合をひっくり返した。
しかし7回裏、同点ホームランを放ったのが箕島の四番打者・北野敏史だった。1回にライト前ヒット、3回に三塁打、7回にホームランを放った北野は、二塁打を放てばサイクルヒット達成ということになる。8回裏、ツーアウト二塁。得点は6対7で浪商がリードを許していた。
「ベンチから伝令の選手が走ってきて『敬遠しろ』と言われました。でも僕は、サイクルヒットがかかっているのに、逃げたと思われたくなかった。『投げてんのは俺やろ。黙って見とけ』と伝令の選手に言いました。僕の言葉を伝令の選手がそのまま監督に伝えたみたいで(笑)」
絶対的な権限を持つ監督の意向に背いた牛島には、現実的な判断があった。
「とにかく、一球でもムダな球は投げたくなかったというのが本音でした」
高校野球で申告敬遠(申告故意四球)が導入されたのは2020(令和2)年だ。申告するだけでバッターは一塁に進むが、それまでは4球投げなければならなかった。
「疲れてはいるけど、テンションは上がったままですから、思わずカーッとなってそう言ってしまいました」
センバツ史上唯一のサイクルヒットに
北野に投じた2球目はセンター後方のフライになった。ジャンプしたセンターのグラブは届かず……北野は一塁、二塁を回っていく。中継プレーを経て三塁でタッチアウト。記録はツーベースとなり、センバツ史上初のサイクルヒット達成となった。それ以降、この大記録を打ち立てた者はひとりもいない。
「あれが三塁でセーフになっていたら三塁打で、サイクルヒットにはならなかった。だから、不思議な気持ちでしたね。落ち込むということはありませんでした。決勝でサイクルヒットを打たれたのは僕だけでしょう? えっ、センバツでは1回しかないんですか。ということは、センバツの100年の歴史の中で、サイクルヒットを打たれたのは僕だけ? 僕は100年にひとりのピッチャーということですね(笑)。これから自慢しよう」
決勝で敗れたものの、箕島はお互いを認め合うライバルだった。
「箕島とは何度も対戦して、お互い、どんなチームなのかがよくわかっていました。尾藤公監督は厳しくて、徹底して勝つための野球をやってきました。足を使ったり、プッシュバントをしてきたり、ヒットエンドランを絡めたり。少しでも弱みを見せれば攻め込まれてしまう。うちのチームもそうでしたから、負けはしましたけど、『いい決勝戦やったな』と心の底から思えます」
決勝まで行ってホッとした
優勝には届かなかったものの、牛島には達成感があった。
「センバツの決勝は疲労困憊で、優勝はできへんかったけど、長く低迷していた浪商を決勝まで勝ち上がらせたことでホッとした部分はありました。ずっと『3年の時には全国優勝を! 』と言われてきて、そこに近づけたから。試合後、敬遠の指示をスルーしたことを広瀬吉治監督に謝りました。『お前たちの力でここまで勝ってきたんだから、夏に頑張れ』と言われました。あの時、伝令に来た選手が少しでも表現を変えてくれたらよかったんですけど(笑)」
夏の甲子園がかかる大阪府大会まで100日ほど。エースの体に異変が生じていたことに本人は気づいていなかった。
〈つづく〉
☝八丈島で1人静養中で選手10人の八丈が逆転コールド勝ち 台風で23日次戦まで宿泊延長
https://news.yahoo.co.jp/articles/273d417dd02098f5e0b1a20d67b4099f8a083e7f
◆秋季高校野球東京都大会1次予選 ▽1回戦 八丈11―4六郷工科(19日・日本ウェルネス秋ケ瀬グラウンド)
都立校の八丈が秋3年ぶりの白星を挙げた。2点を追う8回に3連続押し出し四死球で逆転し、なお1死満塁から、1番・杉浦光(1年)が走者一掃の中越え三塁打。4番・西山光次朗(1年)も1イニング2本の左中間二塁打を放つなど、この回4安打7四死球で9得点し、コールド勝ちを決めた。
エース右腕の大沢和馬(2年)がインフルエンザのため、八丈島に残って静養中。ベンチ入り選手10人で挑み、守っても背番号6の右腕・勝田哲平(1年)が完投した。笹本義範監督(52)は「1点ずつ返していこうと。みんなが後ろにつないで、やってくれた。勝田も粘って、よく投げてくれた。1勝できたのは、この子たちの成果。これで、かなり成長すると思う」と目を細めた。
チームは18日に航空機で羽田に到着。初戦突破の後、台風25号の接近による雨天予想のため20日の代表決定戦は中止が決定。23日に延期されたため、ナインは都内の別の宿泊施設に移って備える。次に対戦する世田谷学園は、堀越OBで阪神・野村克則2軍バッテリーコーチと同期だった指揮官にとって、3年夏の西東京大会準決勝で敗れた相手だ。「めったに強豪とやることができない。がんばって9回まで食らいつきたい。彼ら(選手たち)には肌で感じてもらいたい」。5泊6日に延びた遠征で全力を尽くす。
⚾SHIONOMISAKIさんへ
まず最初に『近鉄週末フリーパス』情報ありがとうございます!!全然知らなかったです。。。。。
昨年5月に5000円だったか購入して有意義に活用しましたが、11月からは6000円に値上げしてスマホで扱うとなると、、、、、もう利用しないと思います↓↓
さて、今日から三重宿泊観戦ですか!なんとか台風の影響もほぼほぼ受けることなく帰って来れそうで何よりです。NHKデータ放送によると、僕が観戦した明石は最高気温32、3度。津は31、0度ということで、、、7割がたは曇空でしたが晴れたらめちゃくちゃ熱いし雲が広がっても蒸し暑いのでしんどかったですね。海の近くにあるのに風があまりなく旗が垂れ下がってましたし。
今日の兵庫大会もあわや延長タイブレークか???という接戦に持ち込み2試合とも1点差ゲームでしたが、試合終了15時35分と粘りましたね。兵庫は京都の次に淡白かつハイペースで試合がサクサク進むイメージですが。
津も調べたら理想通り??第1試合よりも第2試合の方が長かったようで17時14分まで粘ったんですね。ただ、伊勢では津西13-7明野が3時間08分の死闘だったようで、、、3回終了9-0からの明野の猛追だったようですが。夏にこの対戦を四日市で観戦して明野が津西に15-8 8回コールド・2時間52分の死闘を観戦しましたが、やはりノーガードの打ち合いですね!!
今日の空模様だったらあるいは試合終盤またナイター点灯だったかも!!
ただ、伊勢はバスの本数が少ないし、宇治山田駅まで徒歩30分程度かかるので、、、、、あんまり粘られても帰りの足に苦慮するので・・・・・。
まだ天気予断を許さないですが、春は松阪・夏は二部制の四日市でナイター観戦したので秋は津を熱望しております。台風一過で晴れてくれたらエエけど、23日準決勝。。。
P・S 津市営球場はコンクリートジャングルのイメージが強いですね。松阪や四日市は外野芝生席ありますが、津と伊勢は外野もコンクリートの石段でゴツゴツしてますから・・・。
さらにスタンド一周グルリ見渡してもビル群が目立ちますね!僕が初来場した2004年夏はまだネット裏の席もコンクリートむき出しで手書きのスコアボードでしたが、三重スリーアローズや幻の2021三重国体の兼ね合いで何度かリニューアルされて少しずつ改善されましたが・・・・・。
あのネット裏のスタンドだけ、なぜかしら壁が随所に行く手を阻み中段だと1塁側から3塁側まで直進できないのが・・・・・。誰が設計したのか知りませんが迷路でも作りたかったのかな???
ああいう構造のスタンドは日本全国探しても見当たらない気がしますね!
津新町駅から徒歩20分弱だし、近くに津城跡公園などもありアクセスは良いのですが・・・・・。屋根も未だにないし、夏は熱くてもう通えないと断念しております。今年の夏はレンタサイクル借りて四日市の二部制に挑みましたが、40度近い熱さで第2試合開始が16時にずれ込み18時52分終了と這う這うの体で帰ってきたので、、、夜ご飯はファミリーマートの冷やしラーメンを近鉄電車の車内で頬張っておったし、、、幸い車両に3人程度しかおらんかったので。
来夏は屋根のある伊勢がベストかな?!長い昼休み内宮参拝してまた戻って来れたら・・・バスの時間調整が難しいですが考えておきます!
和 智 弁10x-0粉 河・田 辺7-2和歌山商
智弁和歌山・田辺は二次予選進出決定!!
⚾今日の兵庫大会試合結果(3日目 1・2回戦)
明石トーカロ球場・・・ 社 4-3須磨翔風・須磨学園2-1滝 川 二
ウインク球場・・・・・星 陵3-1赤 穂・明 石 商1-0小 野 工
G7スタジアム神戸・・市 尼 崎5-1飾 磨・武庫総合10xー3龍 野(7回)
ReFillスタジアム・・・彩星工科2-1姫 路 工・高 砂2x-1須 磨 東(10回タイブレーク)
ベイコム球場・・・・・県 伊 丹3-1高 砂 南・洲 本5-1篠 山 産
⚾今日の岡山大会試合結果(初日 1回戦)
倉敷MS・・・就 実7-2勝 山・岡山朝日8-6方谷学舎(10回タイブレーク)
エイコン・・・高 梁3-1岡 山 工・作陽学園7x-0美 作(7回)
⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(最終日 代表決定戦 紀三井寺球場)
09:00~ 那 賀 - 熊 野
☆ 11:30~ 和歌 山東-高 野 山
⚾明日の兵庫大会組み合わせ(4日目 2回戦)
明石トーカロ球場
☆ 10:00~ 三田 松聖-東洋大姫路
13:00~ 神戸 弘陵- 御 影
ウインク球場
10:00~ 尼 崎 工- 小 野
13:00~ 西宮苦楽園-龍 野 北
高砂球場
10:00~ 報徳 学園-相 生 産
☆ 13:00~ 加古 川西-神戸学院付
☝甲子園 喜怒哀楽 「九学」を全国区にした名将 坂井宏安の「楽」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568833
甲子園 喜怒哀楽 県岐阜商ベスト4に貢献 横山温大の「楽」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568821
☝甲子園 喜怒哀楽 高校3年夏の甲子園で65奪三振 辻内崇伸の「楽」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568803
📝先輩の“かわいがり”に「そんなら、一生懸命投げへんけど」反骨エース・牛島和彦が大阪の名門校に進んだワケは「V9巨人の大物に直々に誘われて」
https://news.yahoo.co.jp/articles/84638c1c2682d0ceabc3f49767f44dd64048da5d
1979年、甲子園春夏連覇を果たす箕島と名勝負を演じることになる浪商のエースが、牛島和彦だった。箕島との激突に至るまでの快進撃とは?
プロ野球で名を残す選手のなかには、高校時代からさまざまな伝説を持つ者が多い。高校野球の名門として知られた浪商(現・大体大浪商/大阪)のエース・牛島和彦もそのひとりだ。
上下関係が厳しい野球強豪校にあって、厳しい指導を受けたあと「そんなことするんなら、あんたらがおるうちは一生懸命に投げんからな」と先輩に向かってタンカを切ったというエピソードがある。牛島のヤンチャさを表すものだ。巧みな投球術と度胸を武器にプロ野球で通算53勝、126セーブを挙げた牛島にその問いを投げかけると、笑いながらこう言った。
「さすがに入学してすぐは言えませんでしたよ。3年生が抜けてから、ひとつ上の先輩に『一生懸命投げんけど、ええんかなあ……』とそっぽ向いてボソッとつぶやいただけ」
そのつぶやきで待遇改善がなされたかどうかは不明だが、主戦を任された牛島は自らの投球によって、1978(昭和53)年の2年生の春、3年生の春・夏と在学中に3度の甲子園出場を果たした。
牛島が浪商に進学することになったわけ
浪商野球部は1924(大正13)年、浪華商業学校野球部として創部された。1937(昭和12)年春のセンバツ(第14回全国選抜中等学校野球大会)で初優勝を飾り、1946年夏、1955年春、1961年夏に日本一にのぼりつめた。OBには、張本勲(東映フライヤーズなど)、尾崎行雄(東映フライヤーズ)、巨人のV9時代を支えた高田繁などが名を連ねている。
「僕は奈良県に近い大阪府で育ちました。中学時代は準硬式野球をしていて、浪商に誘われていたんですけど、その頃の浪商は弱くて『甲子園に行かれへんから嫌です』と断っていました。自分では天理(奈良)に入るつもりでした。強豪と言われるところに行けばしんどいのはわかっている。『それなら、甲子園に行けるところに』と考えました」
ところが、意外なところから横やりが入った。
「5歳上のいとこが(奈良の)郡山高校で野球をしていた関係で、そこの監督とも知り合いだったんですけど、『奈良には来るなよ』と言われていました。僕がいるとその高校が甲子園に行けなくなるから困ると(笑)」
まさかの“超大物”に勧誘されて
仕方なく、大阪の高校への進学を考えている時に、浪商の関係者から連絡がきた。
「ずっと『どうしても来てほしい』と誘われていて、『一度食事をしながら話をしよう』ということになりました。レストランに行ったら、巨人の高田さんが同席されて、『浪商に来てくれ』と言われたので『はい』と答えました」
高田は1961年夏の優勝メンバーのひとりだ。
「うちの父親が福岡県の出身で、もともとは西鉄ライオンズのファンでした。その次に好きだったのが巨人。そこのレギュラー選手の高田さんに直々に誘われて浪商への進学が決まりました」
しかし、その頃、名門は低迷期を迎えていた。
「僕が入学する頃、学校名が変わるとか、移転するとかいろいろな話があって、『もう一回、浪商の名前を世に知らしめよう』という機運があったようです。浪商の附属である大体大附属中学出身の香川伸行がキャッチャーで、山本昭良がショート。ピッチャーの僕を入れて、3年後に強いチームをつくろうという計画がありました」
期待された牛島と香川、山本の3人は高校入学前から頭角を現した。
「3月半ばくらいから練習参加が認められて、他校との練習試合でも投げました。レフトのフェンスまで93メートルほどあって、その向こうに4階建ての校舎があったんですけど、香川の打球はその上を越えていきましたからね。『こいつにどうやったら勝てるんやろう……』と思いました」
スーパースターだった“ドカベン”香川
香川は身長170センチで、体重は100キロほど。水島新司の野球漫画『ドカベン』の主人公・山田太郎に体格が似ていたために、“ドカベン”の愛称で野球ファンから人気を集めた。
「香川は中学生の時からスーパースターでした。体格の割に足も速かったし、肩もよかったですよ。入学してすぐの春の大阪府大会で強豪の北陽高校と対戦して、僕が2失点の完投、香川も山本もホームランを打って勝ちました」
当時の高校野球には厳しい上下関係があった。もちろん、名門の中の名門である浪商も例外ではなかった。
「でも、香川は附属中学出身やから、先輩からかわいがられていました。中学時代の野球の実績もすごくて、もし香川におかしなことをしたらその先輩が怒られるような存在。でも、僕はよそものだし、別の意味での“かわいがり”がありましたよ(笑)」
前述したエピソードは牛島の気の強さを表すものだが、それは生き残るための術でもあった。
「自分の力をつけないとそういうものから解放されない状況でした」
大阪の王者・PL学園
エース・牛島、キャッチャー・香川を擁する浪商は1977年秋の大阪府大会、近畿大会を勝ち上がり、1978年春のセンバツ出場を果たした。しかし、1回戦で高松商業(香川)と対戦して、0対3で敗れた。
浪商と同じく近畿代表として甲子園に出場したのが箕島(和歌山)だった。2年生エースの石井毅が好投を続け、黒沢尻工(岩手)を1対0、小倉(福岡)を4対1で下し順調に勝ち上がった。続くPL学園戦で石井が完封勝利(2対0)、福井商業(福井)に3対9で敗れたものの、ベスト4進出を果たした。
その当時、大阪で最強と言われたのがPL学園だった。1978年春のセンバツではベスト8進出、夏の甲子園では決勝で高知商業(高知)に逆転サヨナラ勝ちして全国制覇を果たした。エースは西田真次(のち真二に改名/広島東洋カープ)、キャッチャーは木戸克彦(阪神タイガース)だった。
「PL学園の同学年には、小早川毅彦(広島東洋カープなど)、山中潔(広島東洋カープなど)らがいました。とにかくPL学園が強くて、同じ大阪の彼らに勝たないと甲子園には行けない。だから、同じ近畿ではありましたけど、箕島を意識することはなかったですね」
1978年、夏の大阪大会で敗れた浪商は秋の大阪大会を勝ち上がり、近畿大会に駒を進めた。準々決勝で東洋大姫路(兵庫)を下してセンバツ出場権を手繰り寄せ、続く箕島戦は11対4で圧勝、決勝で尼崎北(兵庫)を倒して優勝を飾った。
これなら全国でも通用するんじゃないか
「あの大会、香川が骨折していて、代打でしか出場できなかったんです。『香川不在で勝てるのか』といろいろな人に言われたんですけど、逆にそれでみんながまとまりました。近畿大会で優勝できたことで、『香川がいなくても勝てた。香川が戻ってきたらものすごく強くなるぞ』と思えました」
牛島は4試合すべてで完投。香川に代わって四番を任された。
「打率5割くらい打ちまくったんですけど、五番の井戸義隆という選手が7割以上打ったせいで僕はあまり目立ちませんでした。近畿大会で、東洋大姫路にもPL学園にも、箕島にも勝ったから、全国でも通用するんじゃないかと思いました」
高校野球ファンに名門復活の予感を抱かせる浪商の快進撃だった。
〈つづく〉
📝「敬遠しろ」指示に「黙って見とけ!」伝説の箕島戦でセンバツ史上唯一の大記録を食らった“あのエース”は「えっ、僕だけなの? これから自慢しよう(笑)」
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc2fb78e14b3c7d597e33383591ba0707f3a3f3f?page=1
3度も日本一になった浪商(大阪)だが、1969(昭和44)年春のセンバツでベスト4入りしたあと、甲子園の勝利から遠ざかっていた。牛島和彦が2年生で出場した1978年春のセンバツも、初戦で敗れていた。
「だから、(1979年のセンバツでは)僕たちはまず1勝しようというのが目標でした。1回戦で愛知(愛知)に6対1で勝ったけど、試合後、どうやって整列していいのかわからなかったんです(笑)。
2回戦で高知商業に3対2で勝ちました。自分の犠牲フライで点を取って、自分でも乗っていけた。逆転のピンチで味方のファインプレーが出てなんとか勝てたという試合でした」(牛島)
疲れで直球がへたって、フォークでも投げてるのか、と
準々決勝の川之江(愛媛)戦は降雨のなかで行われ、3対3のまま延長戦へ。浪商が13回にサヨナラ勝ちをおさめた。
「本当に、やっと勝てたという試合で、僕は200球以上を投げました。翌日の東洋大姫路との準決勝は疲労が溜まっていて、全然ダメでした。体がまったく言うことを聞いてくれないけど、控えのピッチャーに任せることはできません。僕がひとりで、最後まで投げるつもりでした。ストレートの最速は120キロの後半。キャッチャーの手前で落ちるので、『フォークボールでも投げてるのか』と思われたくらいでした」
現在は準々決勝の翌日と準決勝の翌日に休養日が設けられているが、20世紀の高校野球ではそんな日程は考えられなかった。エースが連投するのは当たり前。しかし、いくら鍛えていても、本来の力を発揮することはできなかった。
「今みたいに休養日があって、1日でも日程が空いていたら、少しは回復したかもしれません。3連投ではどうしようもない。でも僕の場合は、連投したことで、『どうすれば疲れないで投げることができるか』を覚えられた気がします。本当にしんどかったから、生き残るために、それを学びました。最後はもう、ヘロヘロで投げてましたけど(笑)。高校野球では7イニング制導入が議論されています。選手の体を考えればいいことに違いないけど、9イニングを戦ってこそ野球だと思います」
東洋大姫路を5対3で破って決勝に進出した浪商は箕島と激突することになった。牛島にとっては4連投目になる。前年秋の近畿大会では浪商が8回コールド勝ちをおさめたが、両校ともセンバツ出場を確実にしたあとの試合であったため、箕島のエース・石井毅は先発登板を回避している。
「敬遠しろ」「黙って見とけ!」
決勝までの4試合、40イニングをひとりで投げ切った牛島。準決勝でPL学園相手に延長10回にサヨナラ勝ちした箕島の石井にも疲れはあったものの、牛島の比ではなかった。
疲れの見える牛島に箕島打線が襲いかかり、5回終了時点で4対1とリードを奪っていた。しかし、そこから反撃した浪商が、7回表に6対5と試合をひっくり返した。
しかし7回裏、同点ホームランを放ったのが箕島の四番打者・北野敏史だった。1回にライト前ヒット、3回に三塁打、7回にホームランを放った北野は、二塁打を放てばサイクルヒット達成ということになる。8回裏、ツーアウト二塁。得点は6対7で浪商がリードを許していた。
「ベンチから伝令の選手が走ってきて『敬遠しろ』と言われました。でも僕は、サイクルヒットがかかっているのに、逃げたと思われたくなかった。『投げてんのは俺やろ。黙って見とけ』と伝令の選手に言いました。僕の言葉を伝令の選手がそのまま監督に伝えたみたいで(笑)」
絶対的な権限を持つ監督の意向に背いた牛島には、現実的な判断があった。
「とにかく、一球でもムダな球は投げたくなかったというのが本音でした」
高校野球で申告敬遠(申告故意四球)が導入されたのは2020(令和2)年だ。申告するだけでバッターは一塁に進むが、それまでは4球投げなければならなかった。
「疲れてはいるけど、テンションは上がったままですから、思わずカーッとなってそう言ってしまいました」
センバツ史上唯一のサイクルヒットに
北野に投じた2球目はセンター後方のフライになった。ジャンプしたセンターのグラブは届かず……北野は一塁、二塁を回っていく。中継プレーを経て三塁でタッチアウト。記録はツーベースとなり、センバツ史上初のサイクルヒット達成となった。それ以降、この大記録を打ち立てた者はひとりもいない。
「あれが三塁でセーフになっていたら三塁打で、サイクルヒットにはならなかった。だから、不思議な気持ちでしたね。落ち込むということはありませんでした。決勝でサイクルヒットを打たれたのは僕だけでしょう? えっ、センバツでは1回しかないんですか。ということは、センバツの100年の歴史の中で、サイクルヒットを打たれたのは僕だけ? 僕は100年にひとりのピッチャーということですね(笑)。これから自慢しよう」
決勝で敗れたものの、箕島はお互いを認め合うライバルだった。
「箕島とは何度も対戦して、お互い、どんなチームなのかがよくわかっていました。尾藤公監督は厳しくて、徹底して勝つための野球をやってきました。足を使ったり、プッシュバントをしてきたり、ヒットエンドランを絡めたり。少しでも弱みを見せれば攻め込まれてしまう。うちのチームもそうでしたから、負けはしましたけど、『いい決勝戦やったな』と心の底から思えます」
決勝まで行ってホッとした
優勝には届かなかったものの、牛島には達成感があった。
「センバツの決勝は疲労困憊で、優勝はできへんかったけど、長く低迷していた浪商を決勝まで勝ち上がらせたことでホッとした部分はありました。ずっと『3年の時には全国優勝を! 』と言われてきて、そこに近づけたから。試合後、敬遠の指示をスルーしたことを広瀬吉治監督に謝りました。『お前たちの力でここまで勝ってきたんだから、夏に頑張れ』と言われました。あの時、伝令に来た選手が少しでも表現を変えてくれたらよかったんですけど(笑)」
夏の甲子園がかかる大阪府大会まで100日ほど。エースの体に異変が生じていたことに本人は気づいていなかった。
〈つづく〉
☝八丈島で1人静養中で選手10人の八丈が逆転コールド勝ち 台風で23日次戦まで宿泊延長
https://news.yahoo.co.jp/articles/273d417dd02098f5e0b1a20d67b4099f8a083e7f
◆秋季高校野球東京都大会1次予選 ▽1回戦 八丈11―4六郷工科(19日・日本ウェルネス秋ケ瀬グラウンド)
都立校の八丈が秋3年ぶりの白星を挙げた。2点を追う8回に3連続押し出し四死球で逆転し、なお1死満塁から、1番・杉浦光(1年)が走者一掃の中越え三塁打。4番・西山光次朗(1年)も1イニング2本の左中間二塁打を放つなど、この回4安打7四死球で9得点し、コールド勝ちを決めた。
エース右腕の大沢和馬(2年)がインフルエンザのため、八丈島に残って静養中。ベンチ入り選手10人で挑み、守っても背番号6の右腕・勝田哲平(1年)が完投した。笹本義範監督(52)は「1点ずつ返していこうと。みんなが後ろにつないで、やってくれた。勝田も粘って、よく投げてくれた。1勝できたのは、この子たちの成果。これで、かなり成長すると思う」と目を細めた。
チームは18日に航空機で羽田に到着。初戦突破の後、台風25号の接近による雨天予想のため20日の代表決定戦は中止が決定。23日に延期されたため、ナインは都内の別の宿泊施設に移って備える。次に対戦する世田谷学園は、堀越OBで阪神・野村克則2軍バッテリーコーチと同期だった指揮官にとって、3年夏の西東京大会準決勝で敗れた相手だ。「めったに強豪とやることができない。がんばって9回まで食らいつきたい。彼ら(選手たち)には肌で感じてもらいたい」。5泊6日に延びた遠征で全力を尽くす。
⚾SHIONOMISAKIさんへ
まず最初に『近鉄週末フリーパス』情報ありがとうございます!!全然知らなかったです。。。。。
昨年5月に5000円だったか購入して有意義に活用しましたが、11月からは6000円に値上げしてスマホで扱うとなると、、、、、もう利用しないと思います↓↓
さて、今日から三重宿泊観戦ですか!なんとか台風の影響もほぼほぼ受けることなく帰って来れそうで何よりです。NHKデータ放送によると、僕が観戦した明石は最高気温32、3度。津は31、0度ということで、、、7割がたは曇空でしたが晴れたらめちゃくちゃ熱いし雲が広がっても蒸し暑いのでしんどかったですね。海の近くにあるのに風があまりなく旗が垂れ下がってましたし。
今日の兵庫大会もあわや延長タイブレークか???という接戦に持ち込み2試合とも1点差ゲームでしたが、試合終了15時35分と粘りましたね。兵庫は京都の次に淡白かつハイペースで試合がサクサク進むイメージですが。
津も調べたら理想通り??第1試合よりも第2試合の方が長かったようで17時14分まで粘ったんですね。ただ、伊勢では津西13-7明野が3時間08分の死闘だったようで、、、3回終了9-0からの明野の猛追だったようですが。夏にこの対戦を四日市で観戦して明野が津西に15-8 8回コールド・2時間52分の死闘を観戦しましたが、やはりノーガードの打ち合いですね!!
今日の空模様だったらあるいは試合終盤またナイター点灯だったかも!!
ただ、伊勢はバスの本数が少ないし、宇治山田駅まで徒歩30分程度かかるので、、、、、あんまり粘られても帰りの足に苦慮するので・・・・・。
まだ天気予断を許さないですが、春は松阪・夏は二部制の四日市でナイター観戦したので秋は津を熱望しております。台風一過で晴れてくれたらエエけど、23日準決勝。。。
P・S 津市営球場はコンクリートジャングルのイメージが強いですね。松阪や四日市は外野芝生席ありますが、津と伊勢は外野もコンクリートの石段でゴツゴツしてますから・・・。
さらにスタンド一周グルリ見渡してもビル群が目立ちますね!僕が初来場した2004年夏はまだネット裏の席もコンクリートむき出しで手書きのスコアボードでしたが、三重スリーアローズや幻の2021三重国体の兼ね合いで何度かリニューアルされて少しずつ改善されましたが・・・・・。
あのネット裏のスタンドだけ、なぜかしら壁が随所に行く手を阻み中段だと1塁側から3塁側まで直進できないのが・・・・・。誰が設計したのか知りませんが迷路でも作りたかったのかな???
ああいう構造のスタンドは日本全国探しても見当たらない気がしますね!
津新町駅から徒歩20分弱だし、近くに津城跡公園などもありアクセスは良いのですが・・・・・。屋根も未だにないし、夏は熱くてもう通えないと断念しております。今年の夏はレンタサイクル借りて四日市の二部制に挑みましたが、40度近い熱さで第2試合開始が16時にずれ込み18時52分終了と這う這うの体で帰ってきたので、、、夜ご飯はファミリーマートの冷やしラーメンを近鉄電車の車内で頬張っておったし、、、幸い車両に3人程度しかおらんかったので。
来夏は屋根のある伊勢がベストかな?!長い昼休み内宮参拝してまた戻って来れたら・・・バスの時間調整が難しいですが考えておきます!