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⚾今日の和歌山大会一次予選試合結果(3日目 1回戦 紀三井寺球場)
紀 北 工3-1田 辺 工・那  賀8xー7南  部

☝PL学園高OB田中一徳氏、山口鴻城高監督に就任 1998年メンバー初の高校監督に
https://news.yahoo.co.jp/articles/03b2b128356ffe08a983a0ce469f5023396b6314

PL学園高(大阪)出身でプロ野球横浜(現DeNA)の元外野手、田中一徳氏(44)が山口鴻城高の野球部監督に就任したことが9日、分かった。昨年4月から同部部長を務めており、秋季山口大会(12日開幕)が公式戦初采配となる。

田中氏は、高校2年時の1998年夏の甲子園準々決勝の横浜高(神奈川)戦に「1番・左翼」で出場。延長十七回の末に敗れたが、松坂大輔投手から4安打を放った。2000年ドラフト1位で横浜に入団。1年目から1軍デビューを飾り、通算341試合に出場した。06年の退団後は、日本学生野球協会から学生野球資格の回復を認定され、拓大紅陵高(千葉)、日本経大、鹿児島第一高でコーチを歴任してきた。

山口鴻城高は夏の甲子園に3度出場した古豪で、田中氏がPL学園高時代に指導を受けた清水孝悦氏が総監督を務めており、昨夏はベスト8、昨秋は3位で中国大会に出場。今春はベスト4と徐々に力をつけている。98年の甲子園メンバーでは平石洋介氏がプロ野球の元楽天監督、大西宏明氏が独立リーグ・関西地域プロ野球リーグの堺で監督、松丸文政氏が近大監督を務めているが、初の高校野球監督となる。

田中氏はサンケイスポーツの取材に「やる以上は甲子園で勝てるチームを目指す。来年は甲子園に連れて行きたい」と意気込みを語った。
秋季山口大会の初戦は19日で、美祢青嶺-西京の勝者と対戦。前監督の田村智氏は部長に就任する。

📝“甲子園優勝候補だった”山梨学院の誤算「主力4人が夏に復帰したが…」吉田洸二監督が明かす「落とし穴があった」絶対王者はなぜ地方大会で敗れたか?
https://news.yahoo.co.jp/articles/b711662ce7ad7b76d363de54b1856f91e1d65121

今夏、甲子園優勝候補にも挙げられながら山梨大会で敗れた山梨学院。なぜ県で敗れたのか。吉田洸二監督に訊く、王者の異変。【全4回の1回目】

「甲子園優勝狙えるんじゃないかと」

――昨秋の関東大会で優勝、春は甲子園で8強。夏はまさかの山梨大会敗退となりましたが、甲子園の優勝候補とも目されていたチームに手応えはあったのではないでしょうか。

吉田洸二監督(以下、吉田) 予想以上に伸びたチームだった、というのが正直な思いですね。その大きな要因となったのは、菰田(陽生)・檜垣(瑠輝斗)・木田(倫大朗)という3年生のピッチャー陣が急成長を遂げたことです。もともと、“谷間の世代”とも呼ばれ、私自身もそこまで大きな期待をかけてはいなかった。でも、彼ら3人が見事な成長を遂げてくれたことで、優勝を狙えるんじゃないかという思いに変わった。野球はやっぱり投手力ですからね。

――吉田監督としても、甲子園優勝を狙う夏だった。

吉田 もちろん、狙ってました。でも今だから話せるのですが台所事情がとてつもなく苦しかったんです。

――それは、センバツ初戦で左手首を骨折した菰田選手の長期離脱が大きかったということですか。

吉田 たしかに菰田の骨折は痛手でした。けっこうな大ケガでしたからね。ただ、投手力の心配よりも、点が入らないと思いました。菰田がいるから小技を使える選手が活きる。彼らがいて菰田も活かされる。そんな打線でした。実際に、センバツで次に勝った試合(大垣日大戦)は3-1。その次の試合(専大松戸戦)も1-2で負けてるんでね。菰田の不在がまさに結果として表れている。でもチームとして、「おやおや?」と一抹の不安を感じたのは、センバツの前でした。

誤算…故障の連鎖があった

――というと? 

吉田 実は、左腕の檜垣の状態がよくなかったんです。公にはコンディション不良としましたが、それは対戦相手に「投げるかもしれない」と思わせたかっただけで、実際のところ間に合っていなかった。檜垣は気の毒で、センバツ前の疲労骨折から、復帰に向けて頑張りすぎちゃって、キズが広がったんですよ。復帰が夏まで長引いてしまった。檜垣の不在、菰田のアクシデントがあったなか、センバツは木田と2年生の渡部(瑛太)の2人の左腕が頑張ってくれたことが収穫でした。とくに渡部は大会中に急成長し、その後の関東大会もすごくいい投球をしました。ただ、その渡部も夏の山梨大会を前に足を肉離れで離脱。よくなるがゆえの肉離れといいますか、出力が上がりすぎたんですよね。

7月に4人復帰…「落とし穴があった」

――春季大会の後、「最後のひとり」木田投手も欠場しています。

吉田 木田も関東大会の前に疲労骨折していたんです。もともと彼は喘息持ちで、走り込みをそこまでやらせていなかった。アップも別でやっていたくらいの時もありました。ただ、喘息がだいぶよくなり、本人もメキメキ自信をつけて、頑張っていた矢先の疲労骨折でした。木田も離脱。渡部も離脱。世間には言わなかったけど、対戦した高校は投げてこないからみんなわかっていたと思います。

――春先に投手を“4枚”も欠いていたということですか。

吉田 しかも、4人とも7月に戻ってくるという状況。ぶっつけ本番です。さらに、菰田とクリーンアップを組む2年生の杉村(空飛)と1年生の倉田(雄星)までもがケガで実戦を離れていた。こんなことは監督人生で初めてでした。ここまで選手のケガで苦労したことはなかったものですから。

――ただ、夏の山梨大会ではいずれもメンバー入りを果たしています。

吉田 まさにそこに“落とし穴”がありました。

「練習は好調。しかし…」

――落とし穴? 

吉田 夏に向けて練習してきた選手たちには一定の疲労感がありますよね。そこから疲労感をなくして、夏の山梨大会に入っていく。一方で、7月に復帰した主力メンバーは、状態も気持ちも上向き。クリーンアップの3人にフリーバッティングさせたらすごいんですよ。投手陣もなんとか間に合った。周りからすれば山梨学院は結局、盤石じゃないかと思っていたはずです。

――吉田監督もそれを見て、いけると思った。

吉田 そう。私もやってくれると信じていたし、選手たちもいけると信じていました。ところが、大会に入ると全然違った。1回戦、2回戦、先発した檜垣もリリーフした木田も球がきてなかった。菰田もホームランを打ってるんですけど、コンタクト力がかなり落ちていると感じました。

「勉強になった」チームの異変

――つまり、異変があったと。

吉田 そうです。準々決勝は駿台甲府を相手に、今夏の軸になる渡部を先発させて7-0で勝ちました。結果だけ見ると、力のある相手を一蹴したように見える。けど、よくよく考えてみると、杉村・菰田・倉田のクリーンアップが打ててないんですよ。下位打線がつながって、なんとか点数が入っているだけ。ケガ人は戻ってはきたけど、戻ってくることと実戦で活躍することがイコールではないということを身をもって経験しました。これが今年の夏に私がした一番の勉強。ケガ人が出たから、と言い訳したいわけではなく、これまでその経験が私にはなかったんです。

――実戦感覚が欠けていた、と。彼らが復調するまで、既存のメンバーで挑むという選択肢もあった? 

吉田 ピッチャー全員がリハビリ明けだったわけですから。打線にしても、杉村・菰田・倉田をクリーンアップではなく、下位打線に置いても良かったかもしれない。でもね、誰を使うとか使わないとかって、練習や今までの実績が基準になるものなんですよ。菰田が復帰したのに、7番や8番に置けるかというと、それは難しかった。“練習”では好調でしたからね。

                〈つづく/第2回へ〉

📝王者・山梨学院まさかの敗退ウラ側「甲子園4強がまやかしに…」甲子園優勝監督が語る敗因…敗れた相手校監督に電話、ガラリ変えた“チームの体制”
https://news.yahoo.co.jp/articles/34813032a0537be331fe80a4183c0dd1dcc49499

疑問視された投手起用ウラ側

――山梨大会の準決勝・帝京三戦は、長期離脱明けの菰田陽生投手でも檜垣瑠輝斗投手でもなく、先発に木田倫大朗投手を起用しました。

吉田洸二監督(以下、吉田) 檜垣を投げさせることは、実はもう頭になかったんです。1、2回戦は投げさせたんですけど、まだ本調子とは程遠いことがわかった。この起用を疑問視する声もありましたが、私は一番安定感のある木田がなんとか3回まで粘って、あとは今夏の主軸として期待していた2年生・渡部に託そうと。そういうプランでした。

――3回表に4失点。逆転を許しました。

吉田 1イニングに4失点とか、県内の公式戦で過去10年くらい遡ってもないんじゃないかな。そこが勝負の分かれ目でした。でも、帝京三の野球はすごく良かった。

――どのあたりにそれを感じました? 

吉田 うちのバッターの苦手なところを徹底してついてきましたね。

敗れた監督に電話「そんなことしたことはない」

――研究されていた、と。たしかにこの日の山梨学院は4安打止まりですね。

吉田 翌日、帝京三の監督(大牧大輔氏)に電話したんです。今までそんなことしたことはないですよ。でも自分の中で「やられた」という思いがあったので、なぜ負けたかということを深く理解したかった。聞くと、とにかく1年間、私に「お前強くなったな」と言ってもらいたくてやった、と。そもそも、向こうは勝てるなんて思ってなかったそうなんですよ。認めてもらいたい一心だった。そんな純粋な思いが、生徒さんにいい形で乗り移ったのかなと。

――帝京三はすべてをかけて挑んできた。

吉田 うん。逆にこちらは、そこまで研究できていなかった。帝京三への準備は他のチームよりも少なかったというのはあったと思います。電話の時、木田を先発させたことに驚いたと言われました。というのは、1年前の練習試合でまったく木田を打てなかったそうなんです。向こうは打ち取られてるから覚えてますよね。でも私は忘れていてね。同じ山梨で、いいなと思っている監督さんだったんで、敵対する気持ちがあまりなかったんです。ただシンプルに檜垣の調子が上がってなかったから木田にしたということだったんですけど。それに木田のような変則投手は、何がなんでもくらいつこうとするバッターからしたら、意外と打ちやすかったのかもしれないですね。

記者の質問「奢りはなかったか?」

――ひねくれた言い方になるかもしれませんが、チームに“驕り”はなかったのでしょうか。

吉田 いや、驕りはないです。でも、チームの内情を誰よりも知っている私からすると、決して番狂わせではなかった。そんな敗戦でした。あと、もう一つ言うと、前日に大阪桐蔭が敗れたというニュースが飛びこんできて、あれで選手たちが硬くなった部分はあるかなと。地方大会って、どこかで番狂わせがあると、連鎖反応するもんなんですね。

――試合後に吉田監督は「申し訳なかった」と報道陣の前で言葉にしました。その真意は? 

吉田 選手たちは甲子園で上位を狙えるという思いで私についてきてくれたし、3年生の保護者の方々のまとまりも素晴らしい世代でした。試合に出た選手だけでなく、控えメンバー全員が号泣している姿を見て、チームが一つになって出場した大会だったと感じました。信じて、任せてもらってきた中で、いくらアクシデントがあったにせよ、「西宮で終わろう」ということを掲げてやってきたんで、それができなかったから素直に申し訳ございませんという言葉が出ました。その思いは今でも変わりません。

――ミーティングでは頭を下げたとか。

吉田 下げました。本心だったので。頭を下げるというのは、そんなたいそうなことじゃないのかもしれないですね。本気で思っていれば。

ガラリ変えた…チームの作り方

――この敗戦は吉田監督にとっても大きなものだった。

吉田 チーム作りを底上げしないといけないと学びました。ケガ人が出ても代わりの選手が頑張る。ケガ人が復帰しても、頑張った選手たちを軸に地方大会を戦って、ケガ明けの選手は代打か打順を下げてやるというぐらいのチーム作りを今後はしていこうと思います。今まではレギュラーを固定して特化していくのが山梨学院。9人をガチって決めて。そんなイメージがあるでしょう?  新チームからガラリと変わりました。

――それは吉田監督の発案ですか。

吉田 大会後にスタッフのグループLINEに投げかけました。すぐに部長からも返事があって、システム的なところで限界があるんじゃないかという意見でした。

「メンバー絞って特化…をやめた」

――新チームでは、実際どのように変革があったのですか? 

吉田 昨夏の甲子園4強がちょっとまやかしになっていた部分もある。甲子園で上位にいくようなタレントがいる学校に勝つためには、ある程度メンバーを絞って特化しないといけないと思って練習してきた。5回連続で関東からセンバツに出ることってすごい記録ですよ。特化しないとここまでの成績を出せなかったとも思う。けれども、それだと最後の地力がつかない。それを学びました。

 これまでは明確な役割分担があったのですが、今はAチームを見ていたメインのコーチがBチームをみています。Aチームを私ともう一人のコーチで見る。Aチームで動きが悪かったり、サボってるなと感じた選手がいたら問答無用でBチームに送り、Bチームで調子のいい選手をAチームに上げる。二軍には厳しいコーチが待ってるというのは、まさにプロ野球の原理ですよね。

 入ってきた生徒に平等に機会を与え、その中から成長した選手を並べて力で勝負する。練習の指針も「ウサギとカメ」で言えば、私たちはずっとウサギでやってきた。この秋にすぐ成果が出るとは思ってません。でも、ジリジリ進んで、最後はカメがいくような、そういうチームに、と思っています。こちらがケツを叩くのではなく、勝手に選手が頑張るシステム。だから今はすごく楽しいです。今までは菰田の練習を見るのが楽しかったですけどね(笑)。

               〈つづく/第3回へ〉

⚾岩手さんへ
浦和学院は父子で監督・部長をされ数年後に息子に禅譲と。なんだか神港学園や関西学院を見ているようですが、なかなかうまくいかないようで・・・・・。
まだ、浦和学院は息子さんが部長から監督になってすぐにセンバツ4強入りされたので結果を残したと思いますが、いかんせん激戦区・埼玉ならびに関東大会を勝ち抜かなければ甲子園に出れないので・・・・・。

花咲徳栄は赤よりも熱い「水色の炎」のアンダーシャツを着用しているし、🎵サスケなどハイカラなブラスバンドの応援もあり、最近はやらないけれどアルプスに『花』の人文字を作ったりと一目置いております。

和智弁に関してはここでも書いておる通り、古参の和智弁ファンはナカタニ野球を快く思っていないことは紛れもない事実ですよね・・・・・。本当に高校時代はイイ奴だったんですが。。。。。
そのままプロ野球でコーチか球団職員している方が理にかなっているような気もしますが。
高嶋先生が3か月謹慎処分を喰らった時には80歳近い鈴木投手コーチが監督をされており、三宅部長が采配振ってましたね。本来ならば20数年間コンビを組んでいた林 守が監督引き継いでも不思議ではなかったのですが。。。。。高嶋先生がそれをヨシとしなかったんでしょうね!仮に実現していたらホンマに箕島と同等以上の長期低迷時代に陥っていたかもしれないですね↓↓

ただ、林 守にしても奈良・智弁学園で約2年半監督して夏は2年連続甲子園出場してともに2勝挙げたし、5年の予定が半分に打ち切られて和歌山に帰ってきてギクシャクした模様でいつの間にかクニの京都に戻って文教の監督させてもらっているので、、、、、ホンマかどうかは知りませんが・・・某サイトにわかさスタジアム京都で試合中ブチ切れてベンチ内で水をぶちまけたとか書いてましたね。

僕は奈良智弁時代に橿原で何度か采配観ましたが、紀三井寺の時みたいに常に怒声を張り上げて高嶋先生以上に怖いイメージも消え、諭すような口調で指導していたのが印象的でしたが。。。
文教の試合昨夏に初観戦した折はまだ冷静でしたが、昨秋の3位決定戦では終始ブチキレてましたね!

ナカタニはあまり試合中円陣を組まないし、塩部長に任せてサングラスかけてイキっているだけかもしれませんが、、、つい最近今の奥さんとは初婚ではない(お互い再婚同士)と知り思いっきり意表を突かれましたね。

しかし、野球スタイルを考えたらナカタニの2つ後輩で大分に行ってしまった川崎あたりが和智弁の監督していたらベストだったかもしれません。喜多は部長時代に何度も見ましたが、本当におとなしかったので・・・。
2026/09/10(木) 22時38分35秒 No.2611 編集 削除