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宏鈴法師(管理人) MAIL URL

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⚾今日の熱闘甲子園試合結果(決勝戦)
最終日決勝戦 智弁和歌山(和歌山)-高崎健康福祉大高崎(群馬) 10:02~12:06
          一二三四五六七八九十計HE
      健大高崎000010020 382
      和 智 弁02000002X 491

智弁和歌山は5年ぶり4度目の優勝🏆

⚾今日の和歌山大会試合結果(3日目 2・3回戦)
マツゲン有田球場・・・・県和歌山7xー6串本古座・近大新宮6-1耐  久
サンナンタンランド球場・熊  野8-2南  部・市和歌山5-2高 野 山

⚾明日の和歌山大会組み合わせ(4日目 2・3回戦)
紀三井寺球場
    10:00~  神 島 -紀 北 工
    12:30~ 和歌 山工- 粉 河

サンナンタンランド球場
  ☆ 10:00~  田 辺 - 海 南
 ☆☆ 12:30~  日 高 - 星 林

📝健大高崎のペースだった決勝、ポイントは八回裏の攻撃 高嶋仁の目
https://news.yahoo.co.jp/articles/82b2da79f149f80864a83d0e312efedffc76450f

(22日、全国高校野球選手権大会決勝 智弁和歌山4―3健大高崎)

どっちに転ぶかわからない決勝でした。両チームとも立派な戦いでした。智弁和歌山打線は序盤からバットが振れていましたが、試合自体はどちらかといえば、接戦を勝ち抜いてきた健大高崎のペースだったと思います。

智弁和歌山は逆転された直後、八回裏の攻撃がポイントでした。山田凜虎選手が死球で出て、楠本龍生選手が低めの球をうまくバットに当てました。これで無死一、二塁にできたことが大きかったです。犠打で走者を進めて、1死二、三塁。ここは私が監督でもスクイズでした。負けている方は、追いつかないといけない。スクイズで同点にして、次の打者で勝負、です。同点にすると、打者も気が楽になりますから。

この夏の智弁和歌山は、和歌山大会から苦しい試合が続きました。甲子園に来てからはそのぶん、のびのびやれていたと思います。特に、初戦の社とのしんどい試合を乗り切ってからは、投打ともに状態が上がってきました。中谷仁監督になってから、夏の甲子園は2度目の優勝です。継投で、うまく勝てていると思います。彼は捕手出身なので、うまく投手を切り替えることができるのだと思います。

大会全体を振り返ると、バントと送球のミスが目立ちました。キャッチボールとバントは高校野球の基本です。打つ、打たないは相手投手との相性もありますからね。
低反発バットになって、バットの芯でとらえる技術がより重要になってきました。投手の球種も増えています。多彩な球種を打とうと思うと、ひっぱり回していたら打てません。やはり、中堅から逆方向をねらうしかない。すると、必然的に本塁打は減ります。バントやヒットエンドランが、より大事になってきます。

🎤智弁和歌山前監督の高嶋仁氏「どっちにころぶかわからない試合でした。両チームとも立派な戦い」
https://news.yahoo.co.jp/articles/56f4460f79b29705c109277c13206d09bcea08a6

智弁和歌山(和歌山)は22日、第108回全国高校野球選手権決勝(甲子園)で健大高崎(群馬)と対戦。終盤8回の逆転劇で5年ぶり4度目となる夏制覇を成し遂げた。夏4度目はPL学園(大阪)に並ぶ歴代5位タイ。春夏通算5度目は、東海大相模(神奈川)、東邦(愛知)に並び7位タイとなった。

前監督の高嶋仁氏(80)は決勝を振り返って「どっちにころぶかわからない試合でした。両チームとも立派な戦いでした。どちらかといえば、接戦を勝ち抜いてきた健大高崎のペースだったと思います。智弁和歌山は八回、大事なところで出た走者を楠本選手がうまくつなぎました。無死一、二塁にできたことが勝因だったと思います」とコメント。

今夏の智弁和歌山の試合を振り返って「和歌山大会から苦しい試合が続きました。甲子園に来てからはその分、伸び伸びやれていたと思います。特に、初戦の社とのしんどい試合を乗り切ってからは、投打ともに状態が上がってきました」と評した。

中谷仁監督に交代してから2度目の夏制覇となり「うまいこといっていると思います。特に投手は継投で勝てています。彼は捕手出身ですから、うまく投手を切り替えることができるのだと思います」と称えた。

✌智弁和歌山・川原一将、一度スクイズ失敗したカーブを膝ついて転がし同点…激闘の中で培った粘り強さで頂点へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/014abf20bdcfd08f2d98c5c85a9960f42f40c020?page=1

智弁和歌山は1点を追う八回、川原のスクイズなどで2得点して逆転。救援の久葉が九回を抑えて逃げ切った。健大高崎は八回に石田雄の2ランで一時は逆転したが、リードを守り切れなかった。

「失敗してもいいから自信を持っていけ、もう一度いくぞ」
 
八回に逆転され、相手が思い描いていたような展開でも、智弁和歌山の中谷監督は「勝機がある」と考えていた。「後攻だから、早く追い付けば」――。紙一重の戦いをくぐり抜けた経験も、1点をもぎ取る執念もチームにはあった。その裏、先頭の4番山田が死球で出塁。楠本は低めの球をすくい上げる巧打でつないだ。代打の主将・松本は初球で犠打を決め、一死二、三塁となった。

7番川原に初球、指揮官はスクイズのサインを出した。しかし、カーブでタイミングを外され、ファウル。打球が相手捕手に当たり、治療のため試合が中断している間、中谷監督は川原に声をかけた。「失敗してもいいから、自信を持っていけ。もう一度いくぞ」

どのタイミングで「もう一度」を出すか。2球目、指揮官は相手バッテリーが警戒を緩めたと感じ取った。3球目、川原は「またカーブ。何が何でも決めるつもりだった」。膝をつきながらうまく球を転がし、同点。そして次打者への暴投で決勝点を手にした。

準々決勝で18安打を放ち、準決勝では横浜(神奈川)のエース織田を攻略したが、和歌山大会でコールド勝ちは1試合しかない。甲子園の初戦は適時打が出ず、3回戦は延長戦にもつれ込む激戦だった。

ナインの多くは、5年前の全国制覇を見て「強打の智弁和歌山」に憧れ、入部した。川原は言う。「スター選手もいないし、打線も力強くない。それでも僕らなりの戦いでここまで来られた」。激闘の中で培った粘り強さで、頂点にたどり着いた。

☝智弁和歌山の元主将が投稿した“退部者がほぼいない理由”に反響「共感します」
https://news.yahoo.co.jp/articles/adf1fe5616adcdba34f14aff55ef7e2c255d73d0

夏の甲子園大会は、智弁和歌山(和歌山)が健大高崎(群馬)との熱戦を制し、歴代6位タイとなる4回目の優勝を飾った。
100人規模の部員数を抱える甲子園常連校が多い中、智弁和歌山は毎年40人前後。全国屈指の練習量をこなすが、ほとんどの部員が3年間完走する。

智弁和歌山で2004年度の主将を務めた森本紘平さんがX(旧ツイッター)に投稿した「智弁和歌山野球部 退部者がほぼいない理由」で、実体験をもとに解説している。
2年春のセンバツでベスト8、同夏の甲子園出場を経験した森本氏は、退部者がほぼ出ない理由に以下を挙げた。

「部内での甲子園の会話の解像度が高いため、夢に手が届く感覚を持てる」
「部員が少なく、全員が同じように練習できるため、疎外感がない」
「理不尽な上下関係がなく、野球だけが厳しい状態であるため余計な心労がない」
「大半の雑用を監督がやるため、頑張らないわけにはいかない」「3年生は全員メンバー入りできるため希望がある」
「常軌を逸する厳しい練習は、すぐにすべらない話になり、笑いに変換できる」
「野球の技術だけではなく、心の強さも見て選手をとっている」

森本氏は「あくまで個人の感想」と断っているが、この投稿に対し、Xでは

「理不尽な上下関係がないのはすごい」
「監督が自ら行動で見せるのは素晴らしい」
「非常に共感します」
「寮母さん親のように親身に接してくれる」
「少数精鋭!」
「モチベ上がりそう」

と共感の声が寄せられた。

🎤智弁和歌山・中谷監督「相手ベンチずっと見て…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e02cf2ed8466770135a789d07928809e74d74fae

試合後の智弁和歌山・中谷仁監督の主な談話は以下の通り。

◇「後悔ばかりですけど…」

<八回に川原一将が同点のスクイズ>
2球目を打ったときに、「あ、マークしてないな」と。ああいう時はベンチからサインが出ることも多いので、(相手の)ベンチの動きをずっと見てたんですけど、スクイズはマークされてない気がしました。やっぱり強打のイメージがあるので。勝負をかけました。
後攻だったので、追いつきさえすれば勝機はあると想像していたので、とにかく追いつきたかった。去年の代から小技をやってきたことが生きました。

<八回に逆転本塁打を打たれた後の声かけは>
「想定内、想定内。こういう試合をいくつも乗り越えてきたぞ」と。伝令では同点オッケーと言ってたんですけど、想定より1個上でした。健大高崎の石田(雄星)くんは本当に素晴らしい選手で存在感がありました。ホームランはバッテリーのミスかもしれないけど、みんなでカバーし合えました。

<継投のタイミングは>
六、七回を和気(匠太)、八、九回を久葉(亮太)でいこうと思っていましたけど、和気の抑え方が素晴らしかったので(八回も)代えられませんでした。結果論では後悔ばかりですけど、選手がカバーしてくれました。

<山田凜虎捕手の成長は>
和歌山大会から2ランクくらい成長してくれた。やっぱり甲子園はすごいところやなと思います。

<優勝のターニングポイントは>
和歌山大会3回戦の田辺戦と準々決勝の市立和歌山戦は本当に苦しくて、不安と向き合いながらの試合でした。爆発力があるチームですけど出ばなをくじかれて、いつ爆発するんだろうという気配を持ちながらも、苦しい状態で勝ち進めた。守備で我慢してゲームを落としませんでした。

甲子園でも社(兵庫)や敦賀気比(福井)にいいピッチングをされて爆発できませんでしたけど、(敦賀気比戦の)タイブレークで爆発して点が入って、僕の中で「これ次くるな」という予感がありました。横浜(神奈川)もその勢いのまま入って完璧なゲームができたので、「今日は絶対打てない」と(笑い)。

このチームは大きな山を越えるとホッとしてしまうところがある。なのでこういうゲームは想定内でした。いい波がハマってくれたという感じですね。

<5年前の優勝との違いは>
あの時の子たちにもこういう大観衆でやらせてあげたかった。(コロナ禍で)無観客だったので、喜びは変わらないけど、彼らも大観衆の中で同じ思いをさせてやりたかったという感覚が出てきました。

☟決勝は8回にドラマ…閉幕後に高野連が7回制議論に言及「暑さは地方大会の方が過酷で…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/08ff281a3e1a194494cc076b2516208cc666851a

大会閉幕後、大会本部が大会を総括。終盤戦の逆転劇があったことに触れて、7回制導入に関する質問が出た。この質問に対して日本高野連の井本亘事務局長は「全国大会の結果をご覧になった方がどう思われるかというのはあるかと思いますが、地方大会の方が(暑さ対策が)過酷ではある。今回の結果、今後も議論を重ねていった上で、どうしていくかはこれからになります。次に向かって何かを考えていかないといけないと思います」と言及した。

☟決勝は8回にドラマ…閉幕後に高野連が7回制議論に言及「暑さは地方大会の方が過酷で…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/08ff281a3e1a194494cc076b2516208cc666851a

大会閉幕後、大会本部が大会を総括。終盤戦の逆転劇があったことに触れて、7回制導入に関する質問が出た。この質問に対して日本高野連の井本亘事務局長は「全国大会の結果をご覧になった方がどう思われるかというのはあるかと思いますが、地方大会の方が(暑さ対策が)過酷ではある。今回の結果、今後も議論を重ねていった上で、どうしていくかはこれからになります。次に向かって何かを考えていかないといけないと思います」と言及した。

✌甲子園ベンチ「不思議な感覚」 三重・奥谷さん、スコア記録などでチーム貢献
https://news.yahoo.co.jp/articles/c064e42387eff5424fbf9105f9c495b10ed4dcd7

このメンバーとは最後「この時間楽しみたい」

マネジャーにとっても夢の舞台だった──。ベスト8という成績で全国高校野球選手権を終えた、三重県代表の三重高校野球部(沖田展男監督)。ベンチにはナインとともに喜び、涙を流したマネジャーの姿があった。2回戦と準々決勝でベンチ入りし、スコアラーを務めた3年の奥谷莉帆さん(津市)だ。「甲子園で過ごした時間はかけがえのない、一生忘れられない日々になりました」と話す奥谷さんが、〝夢の舞台〟を振り返った。

小学校時代にソフトボールを、中学校時代には軟式野球に打ち込み、外野手としてプレーした。選手生活を終えた後、「今度は支える側に」と考え、新たに「マネジャーとして甲子園でスコアを書きたい」という夢を描き、甲子園出場経験豊富な三重高に入学した。

入学直後、すぐに入部。「選手が一番野球をやりやすい環境をつくる」ことを第一に、飲み物の準備や寮生活を送る選手の背番号の縫い付けなど、気付いたことは何でもやった。目立つ仕事でなくても、選手たちの戦いを陰から支える役割に「責任と誇り」を持って取り組んだ。
選手経験を生かし、1年時から練習試合でスコアを記録。2年時の秋季からは公式戦でもスコアラーを務めた。スコアは試合後にチームで共有し、ミーティングで活用した。結果をただ記録するだけではなく、選手のプレーを把握して伝えるなど、チームの強化にもつなげた。

今夏の県大会決勝戦後、沖田監督から「甲子園初戦の記録員は奥谷」と告げられた。初戦となった2回戦の松商学園(長野)戦では、甲子園のグラウンド内にいることが「不思議な感覚だった」。それでも「このメンバーでの野球が最後になるかもしれない。この時間を楽しもう」と気持ちを引き締め、いつも通りスコアを記録した。
 
チームは準々決勝まで進み8強入り。奥谷さんは2回戦に続き、準々決勝でもベンチ入りした。
甲子園で特に心に残っているのは、2、3回戦の勝利後、選手たちのユニホームを手洗いする時間だった。「選手がつかんだ勝利の証に触れているんだと感じた」と、一人ひとりのプレーを思い出した。勝利の裏側にある選手の努力に触れ〝一緒に〟汗を流した。その時間は、何物にも代え難い思い出になったという。
 
「支える側」という形で大きな夢をかなえた奥谷さん。卒業後は看護師を目指して大学へ進学する。

📝元ホークス川越透さん監督に 県立氷上高野球部「応援してもらえるチームに」 実習助手で授業にも携わる
https://news.yahoo.co.jp/articles/718033a32445634ee749ded50f3b759f261c0116?page=1

元プロ野球・福岡ダイエーホークスの捕手、川越透さん(59)が兵庫県丹波市の氷上高校野球部の監督に就任し、今夏から指揮を執っている。3年生が引退した同部は、1、2年生合わせて14人と少人数。自身の豊富な知識と経験を伝えつつ、川越監督は「この子たちは真っ白なキャンバス」と表現し、型にはめずに個性を伸ばすアドバイスを送り、それぞれの成長を促している。実習助手の肩書で授業の準備を手伝い、生徒と共に学校生活を送っており、「この子たちが氷上高校野球部の新しい歴史をつくる。今まで以上に地域から応援してもらえるようなチームになっていければ」と期待を寄せている。

神戸市出身で、兵庫商業高校(現・神港橘高校)の卒業生。高校通算25本塁打を誇る。同校卒業後、大阪ガスや軟式野球チームを経て、1987年、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の入団テストに合格。王貞治監督らのもとで現役時代を過ごし、2001年の35歳まで選手を続けた。引退後はホークスの2軍バッテリーコーチ、大阪経済大学のコーチ、女子プロ野球チーム「兵庫スイングスマイリーズ」の監督を務めた。

丹波市との縁はなく、「豊岡市に遊びに行く時に通ったくらい。氷上高校は女子バレー部の印象が強い」と話す。今春、指導者の人材を探していた旧知の原智徳部長(49)からメールがあり、「相談に乗ってほしいというつもりだったみたいだけれど、僕は『(氷上高校に)来てほしい』という意味だと受け取った」と笑う。

当時、京都市内の一般企業に勤めていたが、原点と振り返る高校野球に携わりたい思いは強く、とんとん拍子で4月から実習助手としての採用が決まった。主に介護福祉を学ぶ授業の準備に関わり、「自分も授業を受けているよう」とほほ笑む。

同部の練習を見て、部員の素直さに感心している。「レベルは低くない」と言うように、7月の夏の甲子園県予選では、同部は初戦敗退したものの0―1の惜敗を演じた。

1点を奪う野球を標榜する。80―90年代に黄金期を迎えた西武ライオンズの野球を例に挙げ、「ノーヒットでも1点を奪う野球ができた。何より選手が勝負どころを知っていた。この感性を生徒に植え付けたい。これはプロ選手だからできることではなく、高校生にだってできるはず。状況を理解することが大事」と語る。

副主将を務める中島鉄宰さん(1年)は「無料で教えてもらえるなんてもったいない」と笑い、同じく副主将の前田英汰さん(同)は「細かく教えていただけるし、いろんな選手に声をかけてくれる」と話す。

川越監督は「目標はあくまで甲子園出場。目標が低いと、成長が止まってしまう」と語る。「まずは県内公立高校に追いつきたい。社、明石商業、市立尼崎に肩を並べられたら、私学と戦えるチームになる」と闘志を燃やしている。

「王監督から勝利への執着学んだ」

練習試合で選手に指示を出す川越監督=兵庫県丹波市柏原町東奥で

元福岡ダイエーホークスの捕手だった川越透監督に、選手時代を振り返ってもらった。社会人野球チームの大阪ガスを退職後、南海ホークスの入団テストを受けた。120人が受け、運よく私だけ受かった。内定をもらった後、球団事務所に行って、その場で契約書にサインした。ドラフト外入団だ。だから、私がその年の入団第1号。翌年、ホークスは福岡に移転した。

ホークスは1995年シーズンから王貞治監督が就任したもののチームは弱く、ファンに生卵を投げつけられる事件があった。日生球場での試合後、ファンが暴動を起こし、バスは殴られる、機動隊は来るという、ひどい状態だった。最終戦は発煙筒も投げられた。でも、ファンが怒るのは一生懸命、応援してくれているからだ。

ホークスにはトレードで、西武ライオンズから秋山幸二選手、工藤公康投手がやって来た。二人の背中を見て練習をやった。秋山さんはキャンプ中、練習場から帰らない。そうなると若手は帰れない。そうやって練習を重ね、強くなっていった。
工藤さんは当初、自分よりも早く練習を終える若手を見て、「こいつらは俺を抜く気はないのか」とつぶやいていた。そこからチームが変わった。

王監督は紳士だが、ユニホームを着ている時は闘将だ。ある時、チームに負けが込み、ミーティングがあった。王監督は最初、冷静に話し始めたが、急に顔つきが変わり、「俺は勝ちたいんだ。君たちはプロだろう。こんな試合をして恥ずかしくないのか」とすごんだ。勝たなければ意味がない。勝つことの執着を教えてもらった。
一番印象に残っている対戦は、オリックスブルーウェーブのイチロー選手との対戦だ。なぜならマウンドの工藤さんに頭をはたかれたからだ(笑)。

当時、工藤さんはイチロー選手には分が悪く、どう攻めるか判断を迫られた。自分はイチロー選手とはファーム(2軍)で何度も対戦していたから、追い込んでから内角のスライダーを決め球にし、空振りを取る作戦にした。
思い通りに追い込み、内角のスライダーのサインを出したものの、無意識のうちに外角にミットを構えてしまった。幸い三振に打ち取れたが、工藤さんにマウンドに呼ばれ、「お前、逆だろう」と頭をはたかれた(笑)。

1999年の日本シリーズに出場させてもらったことも強烈に覚えている。あの雰囲気は言葉では言い表せられない。自分に視線が集中した。テスト入団で入った自分が、日本シリーズの打席に立てていることが不思議だった。本当に恵まれていると思った。

👣健大高崎の小原快晴 9回代打で登場も好機広げられず最後の打者に「ふがいないです」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9fcb8d94af397e065975867978fa49f2d7e8e677

健大高崎の9回最後の打者となった小原快晴捕手(3年)は代打で出ての空振り三振に「しっかりつないでこいと言われていました。ふがいないですね」と肩を落とした。

1点を追う9回2死一塁の場面で代打として送り出された。最後は変化球にバットが当たらず。大岩がスタメンマスクを被っているため、チームではブルペンで投手の球を受ける役割を担っており「裏方として投手に自信をつけさせて肩をつくって送り出すのが自分の役割。最後まで全うできた」とうなずいた。

試合ではバッテリーミスで失点し、逆転を許した。サイン違いのボールを大岩が後逸する投手の暴投で決勝点が入った形となったが、普段のバッテリーミーティングでも中心的な役割をこなしていたライバルについて「最後、大岩がとれなくて逆転されましたけど、大岩がやってしまったなら仕方ないと割り切っています」とねぎらった。

代打で立った甲子園決勝の舞台については「あの場面で1本打てなかったのが自分の弱さ。これ以上の場面は今後ないと思いますが、今日のこの経験をいかしてこれからも生活していきたい」と決意を込めた。
2026/08/22(土) 22時28分56秒 No.2581 編集 削除