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宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

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📣6月17日(水)日鉄鋼板SGLスタジアム尼崎開催 独立リーグ連合チーム交流試合のお知らせ
https://tbirds.jp/topics/2026/866/

日時:2026年6月17日(水)17時試合開始

カード:独立リーグ連合チーム vs 阪神タイガース(ファーム)

※以下 4球団連合チーム 監督:岡﨑太一
①石川ミリオンスターズ ②富山GRN サンダーバーズ
③高知ファイティングドッグス ④徳島インディゴソックス

会場:日鉄鋼板SGLスタジアム尼崎(兵庫県尼崎市杭瀬南新町3丁目3)

備考:同試合は甲子園球場で当日券を発売する予定で、ファンの方々がお楽しみいただける交流イベント(抽選)実施も予定しております。詳細は後日決定次第お知らせいたします。

📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
やっぱり7回制に異議あり!(下) 安全確保?そもそも野球は本質的にリスクと隣り合わせの競技です
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/384699

前回に続き、7回制導入の反対理由についてお話しします。7回制は本当に選手のためになるのでしょうか。高校野球の主役はプレーする選手たちです。彼らはうまくなりたい、もっと試合に出たいと願い、毎日懸命に汗を流しています。ところが、7回制になれば練習試合まで出場機会が減り、プレー時間も大幅に短縮されます。

一般的に「指導者の負担を軽減する」「選手の健康を守る」という大義名分があるようですが、私は自分の働き方改革より選手の成長を優先したい。
これが勉強であれば、昼夜を問わずに机に向かっても、制限をかけられることはまずないでしょう。進学校の中には7限授業を常態化させ、土曜日も授業を行うところも見受けられます。それでも「やりすぎだ」という非難の声が上がることはまれ。勉強を野球に置き換えたとして、どこが問題なのか。自己修練、研鑽という点は同じ。しかも教育界では「一芸に秀でた人材を育てる」という考え方が主流になっています。選手が一芸を磨くために野球に精いっぱい打ち込んで、指導者は挑戦を支える環境を整える。両者が好きで取り組み、きちんと各学校の運営方針に基づいて活動しているわけです。「選手を守るため」と言われても、現場にいる身としては、納得できないところはあります。

何かが起きてからでは遅いという考え方もあるでしょう。しかし、野球という競技に100%の安全はありません。鉄球並みの硬さの球を120キロ超でやりとりし、金属製のバットを全力で振り、硬球が飛び交う中で全力疾走、勢いそのままに頭からスライディング……。低反発バットや球数制限が導入されたものの、プレー中は常にリスクと隣り合わせ。そのために私たちは、練習の中で注意力を磨いているわけです。

本質的なリスクに比べれば、7回制にしたところで、安全度はそれほど変わらないはずです。幸いにも7回制導入は確定したわけじゃない。我が専大松戸はセンバツ大会に臨みます。大会期間中、7回制導入の是非についてマイクを向けられる機会があるなら、現場に身を置く者として、率直な意見をお伝えしたいと考えています。

🎤【馬淵史郎 我が道11】明徳で「今を頑張る」と決めた
https://news.yahoo.co.jp/articles/f30c6ec5bf72049c9c1b8c589ff32e141879e8f8

1986年(昭61)に社会人の阿部企業の監督として都市対抗に初出場、日本選手権準優勝の結果を出し、在任中に急逝された恩師の田内逸明さんへ義理を果たした思いもあった。いろいろあった会社ともひと区切りをつける意味で監督を退任した。やるべきことはやり切った思いがあったから、監督という立場に未練はなかったし、野球に関わるつもりもなかった。松山に帰って、仕事をしっかり頑張ろうと就職した。田内さんの教え子が佐川急便の四国ブロック社長をしていた関係で、社長秘書として勤務した。

休みはパチンコや麻雀の日々。これも楽しかったなあ。給料も45万円くらいあった。独身サラリーマンには十分な額だった。もちろん、忙しい時期には配達も手伝った。
この時期に明徳義塾から声がかかった。「コーチをやってくれんか」という要請だった。当時の監督は竹内茂夫さん。南宇和や松山聖陵で監督をされて、田内さんとも深いつながりがあった。最初は仕事を始めたばかりだったし、お断りしたんだが、何度も何度も電話がかかってくる。阿部企業でのチームづくりのときに、明徳義塾から選手を採用した縁もあったから、学校長も「来んかい」と連絡を入れてきた。

「じゃあ一度ノックでもしに行きましょうか」と高知に向かったのが、87年5月のことやった。明徳義塾のグラウンドは高知の横浪半島の山の中。初めて来た人は何にもないから、びっくりする。周りにはコンビニもない。それでも練習場もなかった阿部企業を経験しているから、専用球場があるだけで、野球をするには素晴らしい環境だと感じた。

5月の土曜日に行って、練習を手伝って、「今晩は一杯やって、泊まっていかんか」と誘われて、高知名物の皿鉢料理をごちそうになった。次の日曜日も練習に参加したら、「このまま、ここに住まんか。部屋はあるし、テレビも冷蔵庫も家財道具一式用意してある。残ってくれんか」と説得された。結果的に、ここから40年近い明徳義塾での人生になっていく。

拓大を卒業してから、いろんな会社にお世話になった。私は基本的には「人生ってのはケセラセラ」という考え方。結局はなるようにしかならない。先を深く考えずに、フラフラと過ごすというイメージを持たれるかもしれない。でも同時に「今を頑張る」というのが自分のモットーだ。「今を頑張る」という点には妥協しない。

今を頑張ってこそ、その姿を周りが評価して、将来が切り開かれていく。自分に与えられた「今」が明徳義塾に関わることだと、この状況を受け止め、コーチとしてお世話になることを決めた。恩師につながる縁は切れないし、やっぱり野球が好きだったのだと思う。

🎤【馬淵史郎 我が道12】監督として初の甲子園 開会式に感激で涙が出た
https://news.yahoo.co.jp/articles/68d2536e5585a32f03d0b68009b7339a98a5814e

明徳義塾の野球部コーチとして、野球漬けの日々が始まった。朝4時半に起きて、6時半の寮の起床時間に立ち会い、朝礼をする。この日課は今も続いている。
コーチ1年目に明徳義塾で英語教師をしていた智子と結婚。高校に勤めているんだからと、自分も教員免許を取得した。夫婦で寮に住んで、長男・烈や子供たちも寮で生まれて育った。これもモットーの「今を頑張る」という流れがあっての人生だ。

まず目標を立てて、それに向かって進むという生き方もある。若い子には多いよな。でも将来を決めるのは「今」やと思う。だから選手たちにも言う。「今を頑張る。その積み重ねが将来を決める。今頑張れなかったら、レギュラーにも甲子園にも届かんぞ」と。周りは今を頑張るかどうかで、その人を判断する。社会に出ても、自分の将来を決めるのは周囲の人間の評価というものが大きい。スポーツでも勉強でも仕事でも、今を頑張ってこそ、将来につながる。楽をしたら何にもならん。子供たちにはそう教えている。

今を頑張れば、次につながると信じてノックバットを振った。毎日、毎日厳しい練習を選手とともに送った。竹内茂夫さんの後任として監督を要請されたのが1990年(平2)の8月。34歳のときだった。最初の秋の大会はすぐ負けて悔しくてね。スパルタ式に鍛えた。初めての夏の大会が91年。初戦の相手が伊野商やった。忘れもせん。9回2死無走者で2点差負け。そこから1番打者がソロ本塁打、2番がポテンヒット、3番が四球。4番の津川力(元ヤクルト、現NPB審判員)に「まあ一杯やれ」とスポーツドリンクを飲ませて打席に送ったら、逆転サヨナラ3ランを打ちよった。これが監督としての夏初勝利だった。準決勝ではコーチ時代に勝てなかった高知商にも勝って、甲子園出場。初めての開会式には感激した。涙が出たな。1回戦で津川がまた2本塁打して、市岐阜商に勝利。これが監督としての甲子園での1勝目だった。

そして翌92年が星稜戦での松井5敬遠。「あれで終わったと言われたくない」と決心したけど、なかなか思うようにはいかなかった。3年間、春も夏も甲子園には届かなかった。自分には能力がない、と辞表を出したこともあった。バッシングも続いたな。遠征のバスに石が投げ込まれたこともあった。

心が折れそうになったとき、四国の多くの監督さんの話が支えになった。憧れだった松山商の一色俊作さん、池田(徳島)の蔦文也さん…。練習試合をさせていただき、高校野球とは、という考え方を教えていただいた。阿部企業で全国で勝った経験もゼロにして、口癖だった「絶対」という言葉も捨てた。この3年間でいろんな話を聞けたことが自分の財産にもなり、明徳義塾が甲子園の常連になる土台になった。そう感じている。

✌ボールの面白さ、遊んで知ってね 星林高野球部と園児交流
https://news.yahoo.co.jp/articles/d00658a74c671ebb50eb342870ffee60123349e5

和歌山市鷺ノ森の鷺森幼稚園で11日、年長組の園児約60人が和歌山県立星林高校の硬式野球部員に教わりながらボール遊びをした。

野球に親しんでもらおうという県高校野球連盟の取り組みの一環。園児たちは2組に分かれ、軟らかいボールを投げて的に当てる「ストラックアウト」をしたり、ティーバッティングをしたりした。「キャッチボールが面白い」「ボールを遠くに打ったのが楽しかった」などと笑顔だった。

星林高校の辻知幸監督は「野球人口が減っている。ボール遊びを通じて、1人でも2人でも、野球をするきっかけになれば」と話した。

📝新基準バット導入から2年 大谷翔平や佐々木朗希を攻略した盛岡大附の指揮官が出した答え
https://news.yahoo.co.jp/articles/59683fc3376ee1ad16a922bbb765b89ab0447487?page=1

気温が氷点下に達しそうな真冬であっても、盛岡大附(岩手)はフリーバッティングを行なう。無論、オフシーズンの定番メニューであるフィジカル強化にも余念がない。それほど、冬場におけるこのチームの土台づくりは徹底されている。

【ホームランを生むための肉体づくり】

フリーバッティングが行なわれているケージの後方、グラウンドの位置でいうバックネットエリアに、ベンチプレスなどのウエイト器具が設えてある。ボールを打ち込む40〜50分の間、順番待ちする選手たちがウエイトトレーニングに励むためだ。

「筋トレの時間をつくることが難しいので効率がいいんです。バッティングをしている間に、ベンチプレスだけでも200回はできますから」

監督の関口清治が定めるメニューには、明確なノルマが存在する。ベンチプレスの重量であれば「身長--100+30キロ」。180センチなら110キロが最低ラインに設定されているのだという。関口が解説する。

「そのくらいじゃないと『ホームランはあり得ないよ』『レギュラーにはなれないよ』と、選手にハッパをかけているんです。線が細かったり、筋量が少なかったりする選手にいくら技術的な部分で頑張らせても、ホームランを打つとなると限界があると思います。そういう部分でも、冬の時期はとにかく振る力と筋力を付けさせます。変化球を打つ練習とかの技術的な要素を吸収させるのは、実戦が始まる春からでも遅くはないと思うので」

盛岡大附と言えば、2012年夏の岩手大会準決勝で、当時の高校生最速となる160キロをマークした花巻東の大谷翔平(現・ドジャース)から5点を奪うなど強打のイメージが強い。
このあたりから攻撃的なチームを構築していく盛岡大附は、17年に春夏連続で甲子園ベスト8に進出。18年秋には大船渡の剛腕、佐々木朗希(現・ドジャース)から大量7点を奪った。記憶に新しいのが21年の夏だ。スタメン9人の合計通算ホームラン数が280本と、桁外れのパワーヒッターが名を連ねていたことから「マッスル軍団」と話題にされた。

「盛岡大附=強打」定着していた看板。それが、揺らぎかけた時期があった。「飛ばない」とされる新基準バットが24年から導入されたためである。

【飛ばないバットが突きつけた現実】

バットの最大直径が67ミリから64ミリ、打球が当たる箇所の肉厚が約3ミリから約4ミリとなったことで、打球の初速は3.5%ほど、反発係数も5〜9%減少。最大飛距離も5メートルは短くなると試算されていた。この数ミリ、数メートルは、監督や選手にとっては死活問題となるほど大きな差なのだと、関口は現場の肌感覚を話していた。

「直径が3ミリ小さくなっただけでも、今までならキレのあるピッチャーのボールをファウルチップできていたのが空振りになる。打球も初動が鈍くなるので、内野の間を抜けていたゴロが捕られるようになるでしょうし、打球速度も遅くなるので大きなフライでも外野手に追いつかれるケースも多くなるんじゃないですかね。その分、内野安打やポテンヒットが増えるんだろうな、という印象です」

導入直後に製造された新基準バットのほとんどが、現場からすれば未知の領域だった。
「選手たちが鉄の棒を使ってるんじゃないかっていうくらい、振りづらそうに見えました」心境を吐露してから、"飛ばないバット"への適応への苦心をこのように語っていた。

「前までは多少、体勢を崩されたとしても、バットの反発力を生かしながら力ずくでスタンドまでもっていけていましたけど、これからはバットの芯に当てる技術や正確性が求められてきますよね」

そう述べたうえで関口は、新基準バットが導入されてから「しばらく、野球が変わるかもしれません」と予言していた。といっても、それは高校野球の現場を知る者ならば、誰でも想像がつくことでもあった。バントや走塁などの小技を駆使した、守備型の傾向が強まるということだ。関口の見解を思い出す。

「だから、機動力を多く使ってきたり、ピッチャーの特性を生かしたり。内野と外野のポジショニングを細かく指示するようなチームも増えてくるんじゃないかと」

実際に甲子園だけで言えば、早稲田実や横浜などが外野手のひとりを内野に移動させる「内野5人シフト」を敢行。25年のセンバツで初出場ながらベスト4と、旋風を巻き起こした浦和実のエース・石戸颯汰は、変則フォームでバッターの打ち気を逸らし、力のない打球の量産を実現させた。

【盛岡大附が掲げる強打の矜持】

このように"飛ばないバット"によって野球が変革を遂げるなか、盛岡大附も「右にならえ」だったのかと言えばそうではない。そう、彼らは強打にこだわるのだ。関口がつくり上げてきた矜持を打ち出していた。

「ウチには『打つ野球』を目指して入ってきてくれた子が多いので、バットが変わるから『機動力を前面に出していくぞ』と、監督の自分が言うわけにはいきませんよね。今は吸収力のある選手が多いんで、数年後には必ず対応してくれるはずなんです。だからこそ、うちは今のスタイルを貫くべきだし、本当の意味で打てるチームをつくることができれば一気に抜けていくような手応えもあります」

新基準バットが導入されてからの2年間、盛岡大附は順応に努めてきた。例年ならば、秋季大会が終わってからは木製や竹バットに切り替えていた。さらには「バットを振りきる動作を体にしみ込ませる」と、グリップが太く重量1300グラムもある丸太のようなバットを用いてのバッティング練習にも励んできた。それが、本格的に雪が積もる時期に入るまでは新基準バットでボールを打ち込むようになったのだという。

「重いバットとか、今まで使っていたものでも打っているんですけど、とにかく新しいバットに慣れさせることが一番かな、と」

バットに慣れさせ、そして使いこなす。そのために関口は、技術的アプローチもしっかりと施してきた。高校野球の指導者たちが「木製バットに近くなった」と口を揃えていたが、関口も同意見だった。だからこそ、ボールの中心よりやや下にバットを入れ、ヘッドを走らせるように振り切る。その再現性が求められるのではないかと、関口は分析していたのである。

「ボールの真芯を捉えてしまうと真っすぐ飛んでしまうので、打球が上がらないんですね。しっかりボールにスピンをかけて、バットを抜くように振らないとクリーンヒットやホームランは出にくくなるんじゃないかと」

昨年の夏。甲子園出場こそ逃したものの、決勝までの5試合のうち高田との準々決勝で9安打だった以外は全試合で2ケタ安打を記録したように、盛岡大附の強打は水を得てきている。雌伏の取り組みが間違いではなかったことを、少しずつ証明できているわけだ。

【マッスル軍団、再び】

不変の矜持から2年が経った。関口は「飛ばせる能力のある子はふつうにホームランが打てるようになりました」と手応えを口にしつつ、副次的な要因にも触れる。

「導入された直後というのは旧バットから切り替わったこともあったので、選手たちからすれば技術面より『飛ばない』っていう先入観というか、精神的にもちょっと重かったのかなと思っています。今の選手は高校に入ってから新基準のバットを使っているので、気持ちの部分での負担はないと思います。それと、各メーカーさんも頑張って改良してくれているおかげで、今ではだいぶバランスよくバットが振れるようになっていると思います。だから、今年の選抜ではけっこうホームランが出るんじゃないですかね」

春になれば、強打を志した新入生たちが盛岡大附のユニフォームに袖を通し、先輩たちとともにバットを振り、筋肉を隆起させる。関口が未来を描くように話す。

「シニアとかボーイズの中学硬式の団体は、今でも飛ぶバットを使っているんですけど、それを高校と同じ基準に変えてくれたら、もっと使いこなせるでしょうね。そういう選手が入ってきてくれれば、ウチも流れに乗れると思うんです。そういう意味では、今年はいいきっかけをつくる1年にしたいですね」

マッスル軍団、再び。新章は、すでに始まっている。

☟空気階段もぐら 高校野球のバイトで醜態さらす「全部テレビで流れた」高野連関係者が説教
https://news.yahoo.co.jp/articles/d4e687b99d4fa5d98e964dd3a07029f2236cfe2a

お笑いコンビ「空気階段」の鈴木もぐらが、11日更新のYouTubeチャンネル「鬼越トマホーク喧嘩チャンネル」に出演。過去のアルバイトで起きた出来事を語った。
もぐらは高校野球の神奈川県大会で、バッターボックス裏でスコアをつけるバイトをしたという。試合開始ギリギリに到着したところ「真ん中の席が1つだけ空いていた」ためそこに座ったそう。
その後、夏で暑かったため、アイスの差し入れがあり「普通にアイスもらって食うじゃないですか。腹が満たされた時、ウトウト寝ちゃったんですよ」と話した。

すると「いきなり隣の窓が、ものすごい音で開いて、高野連(日本高等学校野球連盟)のめっちゃムキムキのやつが『お前何寝てんだ! 起きろ! 視聴者からクレーム入ってんだよ! お前がアイス食って寝てるとこ、全部TVK(テレビ神奈川)で流れてんだよ!』」と叱られてしまったそう。

ここでもぐらは「何でその席が空いていたかって言ったら、TVKに抜かれるからなんですよ」と気が付いた。「俺はここめっちゃいい席だと思って、座っちゃった」と振り返った。
さらに、後に録画された放送を見ると「俺が思いっきり怒られてるところ、全部放送されていた」「2ちゃんねるの実況版みたいなやつでは、オレンジのポロシャツ着ていたから『オレンジ、寝やがった』『オレンジ、バカ起きろ』」と〝オレンジ〟呼びで、辛辣なコメントがついたという。

「怒られた瞬間には「『オレンジ怒られた』『ウケる』ってバーって」コメントがついていたという。もちろんこのバイトは1回きりだった。

☝市和歌山・丹羽涼介「美容師も…」 巨人4人態勢視察のプロ注目右腕が究極二択で進路熟考
https://news.yahoo.co.jp/articles/534c57967e9be88a72c1f4de53437cac0065a07d

◇練習試合 市和歌山3―1中京大中京(2026年3月12日 市和歌山)

市和歌山は12日、今春選抜大会に出場する中京大中京(愛知)との練習試合に臨み、3―1で制した。今秋ドラフト候補に挙がる最速150キロ右腕の丹羽涼介(3年)は、先発して3回を被安打1、無失点に抑えた。

主力を並べた昨秋東海王者に対し、許した安打は初回先頭の中前打のみ。3回2死無走者から3者連続四球を与えるも、最速144キロを計測した直球や得意球のフォークで押し込んで得点を与えなかった。

「無失点に抑えられたことはよかった。ただ、ギアを上げた時にバランスへの意識が薄れてしまったことは反省です」

練習試合ながらNPB5球団のスカウトが集まった。4人態勢を敷いた巨人の榑松伸介スカウトディレクターは「縦に落ちる変化球が素晴らしい。腕の振りがよく、躍動感がある」と評価した。
昨春選抜で横浜(神奈川)を6回2/3、1失点に抑えるなど、世代屈指の本格派投手として高い注目を集める。ただし、本人は高校卒業後の進路について「プロを目指すか、野球をきっぱりと辞めて美容師になるか。その2つで迷っています」と明かした。

中学の頃からヒップホップが好きで、プロ野球選手と同じように美容師になることも大切な夢の一つだった。今秋にプロ志望届を提出するか、高校卒業後に専門学校に進むかは熟考中。「美容師にも興味があり、ずっとやりたいと思っていた。だけど、今しか目指せないプロ野球選手という目標もある。夏の結果がどうなるかもありますし、両方ともしっかりと考えながら、より興味を持った方に進みたい」と思い描いた。
2026/03/12(木) 22時17分25秒 No.2331 編集 削除