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📣秋季近畿大会出場をかけた“3位校出場決定戦”を10月10日に初開催 京都&和歌山、滋賀&奈良の3位が隔年ごとに出場可能な方式を変更
https://news.yahoo.co.jp/articles/f7245b5f2f844dbb99a7b19f19364052fb61bd3e

秋季近畿大会をかけて、滋賀、京都、奈良、和歌山の府県3位校同士による“出場決定戦”が初開催されることが19日、分かった。今年は10月10日に行われ、2校が出場権を手にする。

参加校が多い大阪と兵庫を除く滋賀と京都、奈良、和歌山の3位校は、隔年ごとに秋季近畿大会に出場可能だった。よって、2024年は京都と和歌山、25年は滋賀と奈良の上位3校が近畿切符をつかめる方式だった。

隔年ごとであれば、3位校が出場できる年とできない年があり、翌年のセンバツ出場校を決めるための重要な参考資料となる秋季近畿大会出場の機会を広げるためにシステムを変更。日本高野連に承認された。

☟学校が声明発表へ 酒田南高校・野球部暴力動画が再拡散「事実ではない」全裸引き回し被害の生徒退学などの情報は否定
https://news.yahoo.co.jp/articles/45e85842098909a04f0e718018dd6eb14db9fb95

甲子園の常連校として有名な山形県酒田市の酒田南高校野球部の寮で起きた暴力行為の動画が、再び拡散している問題で、学校側は「事実ではない情報が広がっている」として、近く公式に声明を発表する方針を固めました。

これはTUYの取材に対し学校側が明らかにしたものです。この問題は、野球部の寮内で全裸の部員の首にリードをつけて引き回す様子と思われるものや、執拗に蹴る様子などが映った動画が、今月18日ごろからXなどのSNS上で再拡散されているものです。この動画自体は、昨年10月に暴力行為が問題とされネット上で拡散し学校側が削除を進めていたものですが、学校側は今回の再拡散を受けてすでに警察に相談しているといいます。

また、ネット上では動画に映る「被害生徒が退学処分になった」などという情報が流れていますが、学校側は取材に対し「事実ではない」と否定しました。また個人のことは個別に答えていないとしつつも、「事実とは違う情報がある」として、こうした誤解を解くため、きょうかあす中にもホームページ上で声明を発表することを明らかにしました。

酒田南高校では2018年に野球部内で暴力事案があり、再発防止のために「無記名アンケート」を実施していましたが、昨年の事態を防ぐことはできませんでした。
内部の意識改革などを進める中での再拡散。学校側は「県外の高校野球部のわいせつ動画拡散問題などを受け、再び拡散されてしまったのでは」と話しています。

☟「まさか三高で起こるとは」日大三高野球部の不祥事 高校野球関係者の衝撃 再発防止にできることとは
https://news.yahoo.co.jp/articles/a4082e6baad9459c65528e1b4cdc0990500b5b1f

高校野球界に与えた衝撃は、とても大きいものがありました。名門・日大三高の不祥事です。男子部員2人が、女子生徒にわいせつな動画を送らせて拡散などをしたことから、児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で書類送検された件は、スポーツ界や教育界に大きな衝撃を与えました。

甲子園に春夏通じ計40度出場した強豪であり、夏は2001年と2011年、春は1971年に優勝。昨夏も準優勝と、日大三高は高校野球界においては輝かしい実績を誇る、一大ブランドだったからです。高校野球の取材歴が長いスポーツライターは、一報を受けた驚きをこのように語りました。

「日大三高は単なる『野球が強い』学校ではなかったからです。猛練習はもちろんですが、それ以上に心の教育、人づくりに重点が置かれ、他の強豪校にあるような度を越した上下関係もなく、選手個々は人としてどう生きるかを学び、卒業していきます。その証拠に、日大三高野球部からは東京六大学に進学する選手も多く、行った先で主力になった例も多い。それだけに、今回の件は『まさか三高で起こるとは』と、衝撃とともに受け止められているのです」

メディア関係者の中でも「日大三高出身の選手は人間性が素晴らしい」と、その育成力には定評があっただけに、落胆の声が相次いでいるのが実情です。2月12日から、部では活動が休止され、再開については未定となっています。

「今後については予断を許しませんが、被害者がつらい思いをしている現実がある。松本洋平文部科学大臣が閣議後の会見で『断じて許されない』と表明したことからも、何らかの処分が科されることになるでしょう」
「今の時代、どの学校で起きても不思議ではない事件とも言えます。再発防止に向け、競技団体からは、被害者に一生の傷を負わせてしまうこと、自分だけでなく、周囲に対しても取り返しのつかない事態を招いてしまうことなど、注意喚起が必要かと思われます」(前述のライター)

二度と同じようなことが起こらないよう、再発防止への取り組みが注目されます。

📝決勝再試合…動かぬ右腕、ご飯も食べられず “元祖アイドル”を襲った極限の疲労
https://news.yahoo.co.jp/articles/2061f93d30b241190e7503d8099ddcc9ad51455c?page=1

元近鉄・太田氏が明かす“伝説の決勝”のエピソード
 
1969年8月18日、夏の甲子園決勝、松山商(北四国)対三沢(北奥羽)は延長18回0-0の引き分け再試合になった。甘いマスクで人気急増中だった三沢の快速球右腕・太田幸司投手(元近鉄、巨人、阪神)は、この262球の熱投で、さらに注目を集め「コーちゃんフィーバー」が過熱。8月19日の“2試合目”は、2-4で敗れたものの、122球完投と腕を振り続けた姿もまた“悲劇のヒーロー”としてクローズアップされた。そんな“伝説の決勝”を太田氏が回顧した。

延長10回3-2でサヨナラ勝ちした1回戦の大分商(中九州)戦が行われたのが8月12日。そこから14日の2回戦・明星(大阪)戦、16日の準々決勝・平安(京滋)戦、17日の準決勝・玉島商(東中国)戦を経て、18日の決勝・松山商戦のマウンドに太田氏は上がった。1回戦から1週間も経っていないなか、これが5試合目。すべて完投しており、準々決勝からは3連投目という状況だった。

疲れがあって当然だが、太田氏は「絶対口には出さなかったけど、僕自身の中では、俺が投げないとこのチームは勝てない、頑張らないといけない、チームを引っ張るんだっていう気持ちで常に投げていました」と、それが当たり前と思っていたそうだ。「決勝前のミーティングは松山商のピッチャーの井上(明)の球種とかの説明くらいで細かいことは何も。『決勝まで来たからな。わかっているな。高校最後の試合、思い切り行こうぜ』みたいな感じでした」と振り返る。

「まぁ、今みたいにデータがどうとか、そんな時代じゃないし、田舎のチームですから。長嶋(茂雄)さんじゃないけど、出たとこ勝負の、その時のあれですもんね。(田辺)監督もよく言っていましたよ。『細かいことを言ってもお前らはできない。とりあえず、気後れだけはするな』ってね」。3連投もなんのその。気合は十分。太田氏はいつも通りに投げた。不思議なことに球数が増えていくほど調子が上がったという。松山商・井上投手との投げ合いが続いた。

延長15回、三沢に1死満塁のサヨナラのチャンスがあった。打者は9番・立花五雄外野手。カウント3ボール1ストライクからの5球目はボール気味だったが、判定はストライク。「(松山商捕手の)大森(光生)が捕った時、ミットが土についていた。ベンチにいたので横から見て、よくわかったんですよ、軌道が。井上ももう手からボールが離れないような、置きにいって球が山なり。だから一瞬、低い、ボールだと思ってベンチでヨッシャーってお尻を上げかけたらストライクって……」。

 続く16回も1死満塁をつくったが、スクイズを外されて得点できなかった。「あれもね、スクイズを外されて(捕手が)サードに投げました。タイミングはアウト。でもボールがポーンって出ていたんですよ。セーフなんですよ。あの頃は抗議もしたらいけないとか、そんな時代だからね。だから“2イニング続けて疑惑のジャッジだ”って、勝手にそんなことを言っていたけどね。まぁあれは俺らに悪い方へ出たけど、どこも同じ条件。そういうのがあるのも野球の面白さでもあったんだけどね」と、太田氏は懐かしそうに笑いながら話した。

そんな中「“ピッチングとはこれだな”っていうのを感じた試合でもあった」とも明かす。「前半の9回とかはまだ体力があるから、力任せで行っていたんだけど15回を過ぎてきたら、ましてやチャンスで点が入らなかったらマウンドに行くのももう……。アンダーシャツも18回も投げるほど持ってきていないから、替えがなくなってベチャベチャ。おしっこを漏らしたみたいに下までベチャベチャでね。ああ、しんどいなぁって感じで、よいしょって投げるんだけど、球だけはブワーンっていったんですよ」。

それは初めての経験だった。「無駄な力が入っていない。バランスでパーンと出るというね。でも、プロに入ってからも、ああいうピッチングは1回もなかったね(笑)。どのスポーツもそうで、力を抜いてビューンって行くっていう理屈はわかっているんだけど、できなかったんだよね。だから、あの時は、それがたまたま偶然、そういう試合展開になって自分ができたという体験。もう二度とできなかったですねぇ……」。

262球を投げて、延長18回0-0引き分けとなり、決着は翌8月19日の再試合に持ち越された。今度は4連投目だ。「朝、はっきり言って起きるのももう大変で……。顔を洗うのも(腕が)上がらなかったんですよ。御飯も(飯碗を持ち上げられず)顔を持っていって食べていたし……。球場に行くまでは“今日、投げられるのかな”ってそればっかり。試合でどうするかとか、そういう頭は全くなかった」。そんな状態だった。

再試合の決勝で敗戦も…気力の122球完投 

「それまで全試合ひとりで投げてきて、この決勝の再試合で、じゃあ2年生のピッチャーを、というわけにはいかない。自分が投げなきゃいけないというのはわかっているんだけど、この体でどうしようっていう。で、グラウンドに行きました。ちょっといろいろ動いて少しは……。でも試合前のピッチングはもう全然。やばいな、これ。どうやって粘ろうかって思った。高校3年間の中で一番カーブを使ったのはあの再試合。とにかくごまかさなければいけないと思いましたね」

初回、松山商の3番打者・樋野和寿内野手に2ランを浴びた。「それも追い込んで高めに投げたのを軽々と持っていかれた。“ウワー、これは球が行っていないな。いつもと同じ配球ではいけないな”と。とにかく低め、低めに丁寧にいかなきゃってね。その裏、ウチも1点を返した。(松山商の)井上の球も来ていなくて、ああ、俺と一緒だなと思ったら向こうは左ピッチャーの中村(哲)に代わった。いかん、ウチは左を苦手にしているから打てんわって。あの時、中村の球がえらく速く見えたもんなぁ」。

試合は2-4で敗れて準優勝に終わったが、太田氏は9回を投げ切った。まさに気力の122球だった。「せっかく昨日、あれだけの試合をやったのだからボロボロな試合にだけはしたくなかった。もう勝ち負けとかより、最後までマウンドに立ち続けて何とか試合を作るんだって思いで投げた記憶がありますね」と話す。その上で「今の若い子が嫌がる根性ですよ。昔は普段の練習からそういう鍛え方。それがいい、悪いじゃなくてね。やっぱり精神的には昔の人が強いと思いますよ」とも付け加えた。

敗戦後、太田氏は泣かなかった。「みんなは泣いていたけど、僕は涙が一滴もでなかったですよ。やり尽くした。負けたけども全く悔しさもなかった。悔しさのない負けはあの試合だけかな。それぐらい爽やかな1敗でしたね」。語り継がれる伝説の決勝戦。女性ファン大熱狂の「コーちゃんフィーバー」もすさまじかったが、投げ切ったスタミナもすさまじかった。
2026/02/19(木) 22時24分09秒 No.2304 編集 削除