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📝『チーム宏鈴』結成22年4ヶ月
1月の1ヶ月間・・・のべ604人の方々から閲覧履歴があり1101アクセスしていただき感謝申し上げます。
例年通り現時点で予定している年間スケジュールを公開します。

昨年は宿泊観戦4度で春に三重&岡山 夏は福井 そして秋は鳥取に出かけました。

今年は当初、徳島・福井を春に 夏は岐阜 そして秋は鳥取(米子ー米子ー鳥取)の宿泊観戦を企画しつつも、鳴門オロナミンC球場の改装工事はまだ1年くらいかかるらしいので断念。
なんと春季中国大会が島根・浜山で開催と知り、5月30日・31日に春季北信越大会が福井であると想定していたが、島根優先で福井は4月25日・26日の県大会に前倒し。
こうなると年に2度も2泊3日の山陰行きは身体的・経済的な負担が絶大なんで秋はおとなしく阪急電車一本で行けるわかさS京都で過ごそうと。結局秋はなく夏春3度の宿泊観戦濃厚。

福井はサンダーバードが敦賀止まりとなり、福井駅に直通2時間で行けないのでやはりワンクッション置くべく敦賀に初日・2日目にセーレンドリームSこと福井県営が妥当かなと。
当日移動や帰りの足を考えると9時から3試合日は最後まで観れない可能性もあるので10時から2試合日を選択したい。

15時前後に終わってくれたら、敦賀だとバスの時刻が上手くはまれば気比神宮参拝もできるし、アカンかったら昨夏よろしく気比の松原まで足を伸ばして散策してバスの時間調整して敦賀駅に向かうと。
福井駅近くに駅リンくんはありますが、18時までの貸し出しなんで3試合日で長引けば苦しくなる・・・17時10分には自転車乗って5kmほど離れている駅リンくんに向かわないと非常に厳しくなる、、、
早く終われば「ふち中央公園」でくつろいで、大回りになるがベル前経由でバスの進路と同じようなコースでサイクリングを楽しめるので。

帰りは鈍行で敦賀。そして新快速に乗れたらいいが、オール鈍行で京都まで行く可能性が高いので、福井新聞読むか寝ているか・・・・・。

島根ですが、4年前に史上初の前泊で浜山に通った経験を活かして今年最大のイベントを楽しみたいと。
まず初日に岡山から「特急やくも」に乗車し米子で途中下車。4時間弱レンタサイクル借りて、 喫茶・洋燈(らんぷ)のモーニング~どら焼きドラマチックパーク米子場外一周~米子城跡散策~中華料理・大連でみそちゃんぽん食べて米子を離れ鈍行で松江へ。
松江の街を少し散策して、ここで近所の銭湯で湯治して久しぶりに「ばたでん」こと一畑電車に乗って出雲入り。

出雲駅前に聳え立つ「ツインリーブスホテル出雲」は大浴場はないが、駅まで1分弱だし7時30分の出雲大社行きバスに乗りたいのでここが最善かと。かなり前に太川&蛭子のバス旅コンビがここに宿泊していたし、朝ごはんのバイキングにも興味があったので。

2日目はおそらく1回戦8時30分から4試合。前回は19時過ぎのゲームセットで最終バスが行ってしまい、夜道を恐々歩いて、浜山公園北口へ向かいましたが歩くと微妙に遠かったし夜の島根は慣れていないので・・・・・。
ヤドは前回気に入った、グリーンホテルモーリス出雲。ドーミーインほどではないが、結構値が張るヤドだが無料レンタサイクルはあるし、金平糖などお菓子は食べ放題だったので、袋詰めして球場でボリボリ食べていたがその再現狙いと。

最終日は11時から2試合を想定して、前回は雨予報で試合開始1時間前倒しとされできなかった「出雲大社朝参り」を初敢行したいと。16時過ぎに終了してくれたら道中、喫茶店に寄ってくつろいで18時32分発の「特急やくも」で島根脱出して3時間02分夜景を楽しみ岡山で新幹線に乗り換えて帰ろうと。

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夏は岐阜で長良川~大野町レインボーの弾丸ツアーで熱さが非常に気になりますし、それ以上に岐阜の夏は8時45分から2試合という謎ルールが昨夏発動されたので、朝は相当早くなりますね↓↓
初日は新幹線で一度名古屋に出て岐阜入り。バス移動で長良川球場に行き2試合観戦。昼ご飯が遅くなりますが、陽が長すぎるのでノンビリ昼ご飯食べて、金神社など参拝して観光を夕方楽しめるかと。
2日目は大野町役場行きの始発バスが7時00分発なんで、、、、、いつも通りヤドの朝ご飯を楽しむ余裕もなく素泊まりで前夜コンビニで仕入れた朝ごはんを詰め込んで朝早くヤド出て8時45分にレインボーに着けるといいのですが、、、、、
大野町役場付近には喫茶店や飲食店が多数あるので、2時間に1度しかないバスの時間を調整してやり過ごしたいですが、岐阜の熱さは尋常ではないので帰りの岐阜ー米原ー京都ラインの在来線では泥のように眠っているだろうなあ・・・・。

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独立リーグは3年前に2度淡路島遠征に行き、明石でレンタサイクル借りて佐野行き&あわ神あわ姫バスの無料デーで北淡路一周しましたが、、、、、
2年前・生島監督の飲酒運転が発覚しチームが空中分解してしまったので淡路島にはしばらく縁がないかも↓↓
昨年は運よく僕だけの聖地・紀三井寺球場で2代目カンドクの試合が組まれていたので12時からのデーゲーム・17時からの薄暮ナイターを観戦でき、2代目滋賀球団のおかげで守山&彦根も足を運びました。

今年の独立リーグ観戦はチャンスがあれば、紀三井寺そして滋賀球団(皇子山・守山・彦根・甲賀・今津のどこか)を模索していけたらと。
3月17日紀三井寺球場で11時からオープン戦が組まれているので、天気が良ければJR和歌山駅前で喫茶店モーニングを楽しんだ後にレンタサイクル借りて僕だけの聖地巡礼で2026初の野球観戦~和歌山ラーメン~紀三井寺参拝~日前宮参拝~自転車返却を企画。

センバツは、入場料の大幅値上げの影響もあり2日間は屋根のある3塁特別で。あとは外野席から観戦できたらと。全部合わせて4~5回くらい足を運べたらと。
願わくば 花咲徳栄・三重・東洋大姫路・崇徳・高知農あたりを観戦したいですね。

センバツ終了直後に開幕する中国大学野球で9月からリニューアル工事を経て改装オープンする倉敷マスカットスタジアム4月4日・5日(6日予備日)に使用するようなのでそれを最優先に。春季大会は組み合わせ見ながら、ここも例年どおり兵庫中心で合間を縫って和歌山・奈良・三重(津か四日市)そして昨年4月からゴブサタの舞洲に1度ずつ行けたらと。

そして春季福井大会4月25日敦賀・26日福井へ行き昨夏に続き福井宿泊観戦。
近畿大会はおそらく5月23日から京都開催なんで、準決・決勝は中国大会観戦のため欠席と・・・・・。
春のフィナーレは浜山で2年前の秋以来の島根宿泊。
あの時は、初日・2日目と天候に恵まれ松江では羽根を伸ばせましたが、最終日の浜山では昼過ぎから悪天候予報の為に試合開始1時間繰り上げられ出雲大社の朝参りは断念。。。
それでも14時頃にナイター点灯で良い思い出はできましたが、今度こそ、レンタサイクルで出雲大社朝参りしてから準決勝2試合観戦できたらと。

夏は98年より京セラドームの開会式を22年連続皆勤で見学してましたが、6年前に途切れてしまいここ5年は開会式と開幕試合だけで1000円は高すぎるとの思いもあり、母校が出ないかよほどの好カードでもない限り行かない。

願わくば昨夏万博で初戦突破して大商学園の校歌を歌いえたのでその再現と32年ぶり夏の4回戦進出に期待!!

さらに真夏の宿泊観戦は長良川~大野町レインボーの岐阜県弾丸ツアー。
前回の長良川は試合終了1時間後くらいに雨が降り、帰りはずぶ濡れで帰宅・・・。4年前の夏は開幕戦「3回裏途中継続試合」など結構雨に泣かされ続けているイメージが強い↓↓
大野町レインボーは8年ぶり4度目となるが、初来場の国体観戦時は台風接近で1試合中止となったし、前回は40度に迫る勢いの猛暑でズボンが茶色に変色するくらい汗かいて倒れそうだった。。。

そして奈良&和歌山合わせて3回程度は顔を出せればありがたいです。

三重は2部制(①9:00~②15:30~)なんで・・・四日市が改装されて屋根付きになれば行きたいですが、、、日曜を避けてレンタサイクルで近鉄四日市から球場入りして中休みに四日市ポートタワー行けたらいいけど熱さが・・・・・。
あとは夏の岡山、マスカットで7/23か25あたりにに顔を出したい。

8月は甲子園で5年連続観戦を考えているが、チケット争奪戦は春に比べてヒートアップは必至だし、真夏の甲子園直射日光の当たる時間帯がある1・3塁内野席でスコアつけて熱中症で病院行きもあり得るので昨年は5日(2部制の夕方外野席2日+山陰勢登場の午前の部外野席)頑張ったが、今年は3塁側内野席2回&夕方の部外野席2回の計4回観戦が妥当だろうか。。。
そのぶん、入場無料の軟式野球の全国大会か秋の京滋大学野球でノンビリ過ごせたらよろしいかなと。

なんと・・・バンテリンドームナゴヤで中日の2軍戦が8/5・8/25~27に9時40分開門・10時20分開始が組まれているので、甲子園の日程を見ながらナゴヤ観光を兼ねて1日出かけて初ナゴヤドームを楽しめたらと。

秋は例年通り兵庫中心の観戦ですが、和歌山の新人戦や一次予選の準々決勝で1日4試合日があれば照準を合わせたいし、スキあらば大学野球観戦も検討したい。
今秋は近畿大会皆勤できる見込みなんで思いっきり西京極で羽根を伸ばせたらと。
あとはもう、、、長期改装工事でずいぶんゴブサタしている四日市市営霞ヶ浦球場に年内1度顔を出したいと。近鉄四日市駅前の駐輪場でレンタサイクル借りたいので土曜日になるはず(日曜日は10時~17時までしか借りれないので!)

それから、今年で8年連続となる山陰遠征ですが、、、まさかの“中国大会春秋連続山陰祭り”となってしまったので、秋の鳥取(米子-米子ー鳥取)を捨てて2度目のリニューアルした浜山に行こうと。
来春、米子オンリーで春季中国大会があると信じて・・・。

11月は近畿大会終了後もマスターズ甲子園・秋季軟式近畿大会に明石トーカロでの兵庫県知事杯そして第4回愛知県・三重県ピックアップチーム交流試合が愛知開催ゆえに敬遠して、21日の徳島香川交流試合inむつみスタジアム。晴天が保証されるならば数日前に高速バス往復チケットを入手して2年ぶり2度目のむつみにレンタサイクル借りて行きたい!

そういうわけで、去年は 三重2泊・岡山・福井・鳥取2泊と4回宿泊でしたが、今年は福井・島根2泊・岐阜を楽しみたいと。

最後に忘れてはいけない紀州レンジャーズの試合観戦・・・といいたいところだが、関西独立リーグの名称が復活しても紀州Rの活動は未定だ、、、、、6年前は原池に2度ナイター観戦し、甲賀市民・三国と初来場を果たし、彦根・守山にも久しぶりに足を運び、5年前は丹南に初来場・4年前は彦根初のナイター観戦したが、3年前日本海オセアンリーグの福井&滋賀が活動休止したので、淡路島に2度行くだけで彦根・丹南・三国そして行きたかった美浜は縁がなくなった。。。2年前運よく紀三井寺でデーゲーム・ナイターともに各1度観戦できたことが幸せだった!
そして昨年は滋賀球団が復活し、守山&彦根に行けたし、紀三井寺での2代目カンドクの試合も大幅増加したのでデーゲーム&ナイター観戦を楽しめました。

大学野球もすでに近畿5連盟&中国の大学野球を観戦できたので、今年は4月頭のマスカットを軸に1~2回程度に抑える予定。

簡単ですが、年間スケジュールを発表させていただきました。また皆さんが熱くなれる観戦記を春以降1つでも多く書けたらと思います。

今日もこれからもずっと・・・💙しつこく💚しぶとく💜泥臭く💛 『チーム宏鈴』は「誰からも愛される」というよりも「誰かに慕われる」掲示板目指して、アットホームな雰囲気でやっていきたいのでお願いします。

📝マウンドで“謝罪”「ごめん、ストライク入らんわ」 喜べぬ2安打完封…伝説へ苦難の連続
https://news.yahoo.co.jp/articles/24acaa7ef0cd60db43a31c708896866e5f49d31b

三沢高の太田幸司氏はエースとして甲子園へ導いた

苦難の道のりだった。元近鉄右腕の太田幸司氏(元近鉄、巨人、阪神)は青森県立三沢高の2年生エースとして1968年夏に初めて甲子園を経験した。2回戦で海星(長崎)に1-3で敗れたものの、全国レベルにも通用したことで自信を得て、翌1969年春の選抜出場をかけた2年秋の戦いに臨んだ。それには東北大会優勝が絶対条件。厳しい戦いを乗り越えて、決勝は八重樫幸雄捕手(元ヤクルト)が4番の仙台商を4-0で下して何とかクリアした。

2回戦敗退ながら、1968年夏の甲子園で十分に戦えたことは大きな前進だった。「僕ら2年生が7人いるチームで経験できたわけですからね。そりゃあ、3年生になったらって思いましたよ」。地元に帰って新チームを結成。次なる目標の翌1969年春の選抜切符獲得へ向けて始動した。ただし、第50回の記念大会で1県1校が甲子園に出場できた夏と違って、出場へのハードルは高かった。「あの頃のセンバツは東北大会に優勝しないと行けなかったですからね」。

1969年春の選抜に出場できたのは26校。東北地区は青森、岩手、秋田、山形、宮城、福島の6県の優勝チームなどが戦う秋の東北大会を制した1校だけという狭き門だった。まずは秋の青森大会。準決勝で青森一に1-0で辛勝など、際どい試合もあったものの、優勝して東北大会に進出した。「まぁまぁ、それは、当然ね。とにかく東北大会をどうするか、だったんで……」と太田氏は話したが、実際、そこでの準決勝、決勝は厳しい戦いだった。

準決勝の日大山形戦は延長15回の激闘の末の勝利。「この辺ぐらいから延長癖がついてね……」と太田氏は笑う。のちの1969年夏の甲子園決勝で松山商との延長18回0-0再試合の伝説の激闘を繰り広げたが、そもそも延長戦になるケースが多かったそうだ。そして「あの時の東北大会の決勝は八重樫がいた仙台商。あれもヒヤヒヤものだったんですよ」と続けた。スコアは4-0で太田氏は2安打完封だったが「フォアボールを10個くらい出したんです」と制球に苦しんだという。

「試合中に、もうストライクが全く入らなくなった時もあったんですよ。それでピンチになって、マウンドにみんなが集まるでしょ。その時に『ごめん、ストライクが入らんわ』って言った覚えがあります。その後、何とかストライクが入るようになったから抑えられたただけで、2安打完封ってかっこいいけど、そんな状態で、だったんですよ」

その試合、太田氏は4番打者として3打数1安打2打点の成績も残したが「とにかくピッチングに四苦八苦で、試合経過も4番を打っていたこともよく覚えていない」と話す。東北大会を優勝して選抜切符をつかんだ三沢高だが、太田氏にとって夏から続く快進撃というよりも、苦しみ抜いて得た2度目の聖地への道のりだったようだ。

選抜大会で延長15回敗戦も…「全て最後の夏につながっていった」
 
11月には明治維新百年記念明治神宮野球大会が開催され、全国10地区の代表校と沖縄代表校の計11チームで争った高校の部に、三沢高は東北代表として出場した。結果は準決勝敗退。初戦の2回戦は三重(中部代表)を5-0で破ったが、準決勝で小倉(九州代表)に1-4で敗れた。太田氏は「これも、なかなかドラマチックでしたよ」と言う。

「初戦の三重は2安打完封かなぁ。その三重が次の年の選抜で優勝するんですよ。だから三重が優勝した時、“俺はあそこを秋に完封したんだ。だから……”っていうワケの分からない三段論法を言ったりしてねぇ(笑)。次の小倉戦は(主砲の)楠城(徹捕手、元太平洋・クラウン・西武)にバカバカ打たれて負けたけど、選抜の1回戦の相手がまた小倉だったんですよねぇ。その時は勝ったけど、楠城には、また打たれたと思いますよ」。

夏春2期連続の甲子園出場となった1969年春の選抜は1回戦で小倉に4-1で前年秋の神宮大会の雪辱を果たした。しかし、2回戦は浪商に延長15回2-4で負けた。太田氏は「あれも延長でしたもんねぇ」と言いつつ「あの頃は天下の浪商ですからね。大阪代表の浪商を相手に15回まで互角に渡り合ったんで、これまた負けたけど何か自信というか……」。

2度の甲子園経験で、太田氏ら三沢ナインは着実に力をつけていった。そして、ここからまたさらに……。「2年の夏も3年の選抜も2回戦で負けて帰ってきたけど、それが全て最後の夏につながっていったんですよ」。その戦いはクライマックスに突入していった。

🎤大社高校野球部の石飛文太監督が講演 全国ベスト8 島根の名将 岩手県盛岡市
https://news.yahoo.co.jp/articles/0f2ac266cf21069212ebbc2c81209d947d4c89f6

2024年の夏の甲子園でベスト8入りを果たした島根県の公立高校大社高校の石飛文太監督が2月16日、岩手県盛岡市内で講演しました。
講演では「選手が目標にたどり着くための方法を一緒に考える」という指導者としての信念を語りました。

大社高校野球部の石飛文太監督は16日、県高野連が開いた監督会議に招かれ講演しました。
石飛監督が率いる大社高校は2024年の夏の甲子園に32年ぶりに出場し、公立校ながら全国の強豪校を破りベスト8まで勝ち進みました。
講演では「夢は無限大」をテーマに、石飛監督が自らの指導について振り返りました。

大社高校 石飛文太監督「現在地(今の自分)を知ることというのが、多分生徒はできない。ここが目標で現在地がここだったら、これだけの努力で良いという考え。でも本当はここかもしれない」

石飛監督はそれぞれの思いや考えを尊重した上で「選手が目標にたどり着くための方法を、一緒に考える」という指導者としての信念について語りました。

会議に出席した盛岡四高 佐々木偉彦監督「(石飛監督は生徒との)関わり方が上手。人柄と熱いものを感じたので、これを元にまた私も頑張りたい」

講演を聞いた県内の指導者たちは、選手との関わり方を改めて考えるとともに、多くの刺激を受けた様子でした。

📣<春風に乗って>’26センバツ 三重 先輩からのエール 57年前優勝時の主将・中田和男さん
https://news.yahoo.co.jp/articles/9f2fe0eae56204a701e37e66038dcb09e59941a2

◇技術磨き、最後は気持ち

57年前、県勢初の選抜高校野球大会(センバツ)優勝を果たした三重。「優勝旗は重かった」と語るのは当時の主将、中田和男さん(74)だ。後に監督を務め、現在もなお孫のような後輩の指導に当たる。野球部の「歴史」を作った先輩は後輩に何を託すのか。

1969年3月27日のセンバツ開会式。中田さんは「雲の上を歩いているよう。夢みたいだった」と話す。初戦の向陽(和歌山)との試合で初めて打席に立った時は「足はガクガク。県大会とは比べものにならなかった」という。

中田さんは名張市出身。その頃は、夏の甲子園が1県1代表になる前で、岐阜県と三重県で代表1校を決める三岐大会があった。そんな時代に三重が甲子園に出たのを見て「県内からでも甲子園に行けるのか」と思い、家族の反対を押し切って進学した。

もちろん優勝までの道のりは平たんではなかった。中田さんが入部したのは61年の創部から間もない時期だ。もともと沼地だった場所にグラウンドを造成したばかり。水はけをよくするため、部員がスコップで深さ1メートルもの溝を掘った。一からのスタートだった。グラウンドが砂利だらけなので、とにかく走った。もともと打撃力のある選手たちが足腰を鍛え上げたことで、強打のチームができあがった。

満員の甲子園球場で4月6日にあった堀越(東京)との決勝。それまで3試合で1点しか取られていない相手エース左腕に対して初回、徹底した初球狙いに足を絡めていきなり4点を先制。中田さんも八回、ダメ押しのスクイズを決め、12―0の横綱相撲で全国を制した。

しかし、一番驚いたのは優勝した後だった。翌7日、優勝旗を掲げて近鉄松阪駅に降り立つと、駅前を人が覆い尽くしていた。「これほどまで多くの人が応援してくれていたのか」と実感した忘れられない瞬間だった。

その後、中田さんは中京大に進学し、75年に監督に就任。春3回、夏4回、甲子園に導いた。「監督として見る甲子園は全然違う。甲子園がきっかけで化ける選手を何人も見てきた。最後は能力よりいかに勝ちたいかという気持ちだ」と話す。

2014年春に指導の表舞台から引退。「今は雑用係」(中田さん)だと笑う。とはいえ、打撃などの指導を週に5回。選手育成、野球への情熱は衰えていない。

後輩に伝えているのは「甲子園にいかなきゃ損やぞ」ということ。「今年のチームはうまく回転している。際立った特徴はないが、よいところで点を取る全員野球のチーム」と評価する。後輩がどう応えるか、活躍に期待が高まる。
2026/02/16(月) 22時33分40秒 No.2301 編集 削除