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お知らせ

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📝鳥取県高等学校野球連盟行事予定
https://tottori-hbf.jp/index.html

どうやら春・秋の県大会は どらドラ米子市民球場・倉吉市営球場
    夏の県大会は   ヤマタスポーツパーク球場
    秋の中国大会は  どらドラ米子市民球場・ヤマタスポーツパーク球場

で開催とのことです。

📝今年の高校野球選手権島根大会、県立浜山をメインに7月11日開幕
https://news.yahoo.co.jp/articles/2b719ece9282bb258881d23eccf15124835274a0

島根県高校野球連盟の2026年度行事計画が12日、決まった。夏の甲子園出場をかけた第108回全国高校野球選手権島根大会は7月11日開幕、同26日決勝の予定。改修工事が終わる県立浜山公園野球場がメイン球場となる。

この日、県高野連の責任教師(部長)会が出雲市内で開かれ、26年度行事計画案が了承された。選手権島根大会は、組み合わせ抽選会が6月12日に大田市民会館で開かれる。開会式と開幕試合はサブ球場の松江市営野球場であり、準々決勝以降はメインの県立浜山で実施される。

責任教師会では、県内の高校野球の発展に尽くしたとして、飯南などで監督、浜田などで部長、県高野連で役員を通算20年務めている岡藤大輔さんが表彰された。
春季中国大会が5月30日~6月2日に県立浜山で予定され、新装なった県立浜山の最初の大会になることや、26年度から導入される指名打者制の注意点についても説明があった。
ほかの主な大会日程は次の通り。

県春季大会=4月17日~5月2日、松江市営など
山陰大会=6月6、7日、ヤマタスポーツパーク野球場(鳥取市)
県秋季大会=9月11~27日、県立浜山など
秋季中国大会=10月23日~11月1日、鳥取県

☟日大三高野球部、活動休止に 動画拡散容疑で書類送検
https://news.yahoo.co.jp/articles/1b8d3441b529c85254556ec78bfc72ebe7f29e32

女子生徒にわいせつな動画を送らせ拡散したなどとして、男子部員2人が児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で書類送検された日大三高(東京都町田市)の硬式野球部が、活動を休止していることが13日、同校への取材で分かった。休止は12日からで期間は未定。再開については今後検討するとしている。日大三高は昨夏の高校野球甲子園大会の準優勝校。

松本洋平文部科学相は13日の閣議後会見で「性犯罪は被害者の心身に長期にわたり有害な影響を及ぼす極めて悪質な行為で、断じて許されない」と述べた。

💢日大三野球部員書類送検「個人のモラルの欠如と言わざるを得ない」高野連関係者ため息
https://news.yahoo.co.jp/articles/91f5205a77c348f38c2dd984fba87e44d6de0fc4

「報道が事実であるとすれば、個人のモラルの欠如と言わざるを得ないです」。12日、日大三の部員2人が児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造や提供)容疑で書類送検されたことを受け、高野連関係者の1人がため息を吐いた。

知り合いの女子生徒にわいせつ動画を送らせ、複数人の部員の間で動画が広まった疑いが持たれている。撮影した性的な動画を共有すること自体が常識を大きく逸脱した行為だが、今回動画を拡散する上で使われたのがSNSだった点も見逃すことはできない。「多くの学校現場ではSNSとの向き合い方について生徒たちに指導していますし、時には警察署員の力も借りて研修を行う学校もあります」と手厚く対応に当たっているが、高校球界におけるSNS上のトラブルは後を絶たない。

昨夏、甲子園大会に出場した広陵(広島)は、過去の暴力事案を巡ってSNS上で真偽不明の情報が拡散し、大会途中に出場を辞退。騒動に絡み寮に「爆破予告」が届く事態に発展した。あれから半年足らずで、再びSNSを介した不祥事で甲子園常連校に激震が走った。

防ぐ手だてはあるのか。高野連関係者は「SNS以前に、社会の1人の構成員としての役割は何なのか。どうしてルールを守らないといけないのか。高校生たちに伝わるか伝わらないかではなく、伝えるのが『教育』の役割。それが教員の果たすこと」と言い聞かせるように訴えた。

🎤日大三野球部員が書類送検 小倉全由前監督「前任者として責任痛感」 わいせつ動画送らせ拡散
https://news.yahoo.co.jp/articles/68d1c26dac40016c5d83c381ac0bb352f54a912b

昨夏の甲子園大会で準優勝した日大三(東京)の硬式野球部員2人(17歳と16歳)が女子生徒にわいせつ動画を送らせ拡散したなどとして、警視庁が児童買春・ポルノ禁止法違反(製造や提供)の疑いで書類送検したことが12日、分かった。捜査関係者によると、動画は部員二十数人が受け取り、拡散には十数人が関わったとみられる。

送検容疑は17歳の部員が昨年3~6月ごろ、知人の当時15歳の女子生徒に、わいせつな画像や動画を3回にわたりSNSで送らせ児童ポルノを製造し、動画1点を16歳の部員に提供した疑い。受け取った16歳の部員は同5~10月ごろ、他の複数の部員に動画を送信して提供した疑い。昨年10月に女子生徒の家族から「娘の動画が拡散しているようで心配だ」と警視庁に相談があり発覚した。

東京都高野連によると、昨年11月上旬に日大三から相談を受け、すぐに日本高野連に報告した。現在は学校側に求めた報告書を待っている段階。今後は日本高野連の審議委員会を経て、仮に対外試合禁止や指導者の謹慎といった処分が必要と判断された場合、日本学生野球協会の審査室に上申することになる。

この日午前10時ごろには同校正門付近にテレビカメラを含めメディアが集まり、驚いた表情を浮かべる登校中の生徒もいた。校舎に隣接する野球場に部員の姿はなく、学校側は野球部の今後の活動について「検討する」と話すにとどめた。春夏計40度の甲子園出場を誇る名門が不祥事に揺れる事態となり、前監督の小倉全由氏(68)は「前任者としても責任を痛感しております。今は警察の方々、学校も調査中で詳細がまだわかりませんが、ご心配をおかけすることになりました保護者の皆さま、そして日大三高の全ての生徒たちのことが、本当に気がかりです」と声を落とした。

📝「当たってでも出ろ」→逃げた先に“恐怖” ドブ川で水分補給…「ムチャクチャ」な高校野球
https://news.yahoo.co.jp/articles/07fdecc17a3217a471ab237d8b42a7f3b0927a18?page=1

元近鉄・太田氏が忘れぬ猛練習「心で見て捕れ」 

元近鉄の太田幸司氏(野球評論家)は青森・三沢高時代に、伝説の1969年夏・甲子園決勝延長18回0-0引き分け再試合をはじめ、不動のエースとして活躍した右腕でもあるが、その根底には“根性野球”もあった。それは三沢OBで明治大卒のコーチによって叩き込まれたもの。夜のノックでは「心で見て捕れ!」、試合では腹にタオルを入れて「当たってでも出ろ」……。「漫画の世界みたいだったけど、チームは強くなりました」と話した。

太田氏は高校1年夏の大会後、新チームになってから主戦投手になった。当初は2年生にエースがいたが、最初の練習試合で先発機会を与えられ結果を出し続けて、背番号11ながらエースのポジションをつかんだ。「野球部の田辺監督は市役所に勤めていた方で、普段は仕事が忙しくて、(1968年の2年夏に)甲子園に出るまでは、大会のちょっと前までしか来ないという感じだったんですけどね」というが、その田辺監督の「太田、投げてみろ」がすべてのきっかけになった。

しかし、チームが甲子園に出るほど強くなっていったのは「コーチの存在があった」と太田氏は振り返る。「堤喜一郎さん。三沢OBで明治大学に行って星野仙一さんとは同級生でメチャクチャ仲が良くてね。僕が1年秋くらいからかなぁ、その堤さんが、誰かに頼まれたわけではなく、押し掛けコーチみたいな感じで来られるようになったんですよ。監督はあまり来なかったし、ある意味、チームの基盤を作ったのは堤さんと言っていいと思います」。

現役時代は燃える男、監督時代は闘将と呼ばれた星野氏の同級生コーチに叩き込まれたのが“根性野球”だ。「明治式の練習だったんでしょうね。例えば暗くなって横の体育館の明かりだけの中、ボールに石灰をつけてノックを打つんですよ。カーンと打ったら一瞬パッと白く見えるけど、転がったらもう見えない。それでも『そんなもの、集中していたらわかる、見える、心で見ろ』って、もう漫画みたいな感じでしたけどね」と当時の様子を説明した。

「試合になったら腹にタオルを入れて『当たってでも出ろ』って。それで逃げたら怒られたりとかね。今、振り返ったら、ムチャクチャだったなぁって思うけど、堤さんが来られたのは大きかったですよ。それまでは自分たちだけでメニューを作ってやったこともありましたからね。技術がうまくなったかどうかはわかりませんけど『同じ高校生とやるのにビビったらいかん、強い名前に負けるなぁ!』とか言ってくれたりね」

水分補給のために草むらに隠した瓶「いろいろやりました」
 
現在では考えられないことも、当時はいくつもあった。「練習試合が1日2試合あったら、2試合とも投げたりもした。昔は大会の準決勝、決勝をダブルヘッダーでやることもあったので、それを考えてね。実際、大会では2試合とも完投していましたよ。まぁ肩は強かったですね。2試合目の方が調子よかったとか、そんなんでしたしね」。1969年夏、松山商との伝説の延長18回0-0引き分け再試合の熱投も、そんな積み重ねがあったからできたのかもしれない。

「練習中に水も飲んだらいけない時代。よくグラウンド裏の細いドブ川のようなところで、水をこっそり飲んだりした。瓶とか缶に水を入れて裏の草むらに隠しておいて、ファウルになったらバーッと走っていって球を拾うふりして飲んだりとかね。いろいろやりましたけど、まぁ、それで結果も出ましたしね」。事の善し悪しはともかく、そんな“苦行”も乗り越えて、太田氏もナインも成長していったという。

太田氏が高校2年になった1968年4月から青森県立大三沢高は、校名を青森県立三沢高に改称した。そして、その年の夏に甲子園出場を果たす。「ちょうど三沢になったタイミングで、うまいこと行けましたよね」。根性野球も身につけた三沢ナインはここから1968年夏、1969年春、夏と3期連続で聖地に進む。伝説の決勝戦となる最後の夏に向けて、“闘い”のドラマが繰り広げられていった。

🔥<一球一瞬・センバツ近江>第1部 強さに迫る/上 新監督、情を捨て決意
https://news.yahoo.co.jp/articles/67c15c32776aff51c1e27f20221eaecb3ef5e91e

春夏通じて2024年センバツ以来の甲子園出場を決めた近江は25年春に大きな転機があった。チームを全国的な強豪に育てた多賀章仁前監督(66)が勇退。多賀さんの教え子でコーチだった小森博之監督(42)が後を継いだ。だが、その船出は順風満帆ではなかった。「一球一瞬」のスローガンを掲げ、再び聖地にたどり着いた経緯をたどる。

1957年創部の近江が初めて甲子園に出場したのは81年夏。89年からチームを率いたのが多賀さんで、甲子園には春7回、夏16回出場し、2001年夏と22年春にはいずれも県勢初となる準優勝を果たした。

快進撃で「ミラクル近江」と言われた01年夏の準優勝時に捕手で主将だったのが小森監督。佛教大在学中からコーチとして長年、チームを支えてきた。
そして監督交代の時を迎える。近江野球の神髄を知る小森監督だったが、それでも手探りのスタートだった。特に「メンバー決め」はコーチ時代とは比べものにならない責任の度合いから強い重圧を感じた。

小森監督を悩ませたのがコーチ時代の視点だった。多賀監督の下で「小森コーチ」の役割はレギュラークラス以外の選手の指導だった。その中で、ベンチ入り選手に劣らない魅力を持っていたり、ベンチ入りした選手以上に懸命に練習に取り組んだりする選手がいることを感じてきた。

その感覚を選手選択に持ち込むのか、自身でもはっきりと線引きしないままチームを率いていた。そんな中、昨夏の県大会準決勝を迎える。6―4でリードして迎えた九回に4点を奪われ痛恨の逆転負けを喫した。この瞬間、「自分がやってきたことは間違っていたんだな」と認識した。

それから2日後の7月26日に新チームが始動した。小森監督は選手たちへの向き合い方を変えた。「勝てるチームにしないといけない」。今まで持っていたかもしれない情のようなものを捨て、一からチームを立て直す決意だった。

📣年203日予約が入る町営野球場、命名権者を募集 青森県外ケ浜町
https://news.yahoo.co.jp/articles/533afe611e758ccda7e119b8e3b860eeb31dc3bf

青森県外ケ浜町は、町営「蟹田一本松地区公園野球場」の愛称の命名権者を募集している。町によると、町営施設の命名権事業は初めて。命名権料は野球場の維持管理や運営に使われるという。

この野球場は町役場の隣の運動公園内に立地。両翼90メートル、センター120メートルの広さで、内野は土、外野は芝のグラウンドだ。スタンドは芝生席のみだが、バックネット裏の本部席や一、三塁側のベンチは完備。「過疎地の球場では珍しいナイター照明」(町企画政策課)も6基を備える。

1985年に完成。少年野球や草野球チームの地区・県大会や練習などに使われてきた。今年度も4~10月のシーズン中(214日)に203日の予約が入った人気施設だ。ただ、地元の体育協会などに加盟するチームは無料で使えるため、年間約140万円の維持管理費を使用料で賄えず、赤字施設となっていた。

命名権者の募集要項では「新たな財源を確保することで、施設の持続可能な維持管理、運営を図る」と説明している。
応募資格は県内外の企業や団体など。4月1日から3~5年契約で、命名権料は年額30万円以上(税抜き)を希望している。
命名権者は、自らの企業名や商品名を含めた愛称を球場に名付けて、球場内外の看板表示を改めたり、看板を新設したりすることが出来る。

応募は2月27日まで。応募者ゼロの場合は1カ月ずつ延長する。庁内の審査委員会を経て年度内に契約する見通しだ。
募集要項は町ホームページで。申し込みや問い合わせは町企画政策課(0174・31・1214)へ。

🎤「野球は9回やった方が楽しい」 高校野球7回制導入の是非 熊本工で甲子園決勝 九回裏に同点本塁打 澤村幸明さんに聞く
https://news.yahoo.co.jp/articles/7d16115e1e50e6b3f8bf8af976d91f86f8756ea1?page=1

高校野球で7イニング(回)制の導入が議論されている。「奇跡のバックホーム」で知られる1996年の全国選手権決勝の熊本工-松山商(愛媛)戦、九回裏2死から起死回生の同点本塁打を打った熊本工の1年生で、現在は社会人の日本通運で監督を務める澤村幸明さん(45)は「野球は9回やった方が楽しい」と反対の立場を取る。

プレー機会減 競技力や人気の低下 懸念

細身の体から打ち放たれたライナー性の打球。同点のホームを踏み、両手でガッツポーズしながらベンチに向かう姿は、夏の名場面としてファンの脳裏に刻まれている。当時の面影を残す柔らかい笑顔で、澤村さんは7回制の導入に疑問を呈した。

「選手は打席に多く立ちたいし、たくさんボールに触りたい。試合時間短縮による熱中症対策が主な目的と言われているが、やっている選手たちに『暑いから試合を短めたい』という感覚はないはずだ。指導者としても、頑張っている子を試合で試せる機会が減ってしまうのではないか」

             ■    ■

あの夏。熊本工はトーナメントを駆け上がった。前年秋の熊本県大会で初戦敗退したチームの「無欲」の快進撃だった。迎えた決勝。2-3の九回。2者連続で三振に倒れ、6番の澤村さんに打席が回る。初球のストレートだった。

「とにかく三振したくなかったので、早いカウントからストライクを振ると決めていた。一塁を蹴り、『入った』と思った瞬間から記憶がない。興奮しすぎて」

記憶が戻るのは生還した直後のベンチ。松山商が三塁の踏み忘れをアピールした。「俺、踏んだよな」。興奮が一気に冷めた。

「後で知ったが、松山商は僕が三塁を踏んだのを見ていたのに、アピールした。流れを少しでも食い止めるために。確かに、あれで球場が少し静まった。相手は試合巧者だった」

熊本工は延長十回1死満塁、右翼への飛球でサヨナラ勝ちと思われたが、〝奇跡〟のような返球で阻まれた。現実を受け入れられないまま、十一回の左翼の守備についた澤村さん。先頭打者の飛球を後逸し(記録は二塁打)、松山商の決勝点につながった。

             ■    ■

16歳の球児は甲子園で明と暗を味わった。やがて30年がたつが、今はあの試合を「財産」と言い切る。

「負けて『もう一度』と奮い立って、大学と社会人で現役を続けた。今は監督として選手たちに、父として息子たちに、教訓を伝えられる。結果を恐れず勇気を持ってバットを振れ。そして、何が起きても気持ちを切り替えろ、と」

もし高校野球が7回制だったら、澤村さんの同点本塁打も、奇跡のバックホームも生まれなかった。

「7回制でも接戦になる試合はあるだろう。ただ、チームや選手の底力が問われる八、九回はよく点数が入る。私が九回に打ったのも、4打席目で投手の球に慣れていたから。(7回制は)私としては反対。野球は9回やった方が楽しいし、甲子園の魔物が登場する可能性も高くなる」

7回制による競技力や高校野球人気の低下も懸念する。暑さ対策が必要な点には理解を示し、投球間の時間制限「ピッチクロック」の検討などを提案した。

「まだやれるべきことはある。7回制は、競技の根幹の部分で野球が変わってしまうと感じる。高野連だけで話し合うよりは、社会人やプロなど球界全体で議論を進めていくべきだ」
2026/02/13(金) 22時13分33秒 No.2297 編集 削除