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📝昨夏の甲子園出場校が「まさかの閉校」に…東大阪大柏原監督が語る理事長からの“意外な言葉”「数年前から噂が…このままでは終われないですよ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/516abbcaa81ec755c6f29b21e84ae4a1b0cac319
昨夏、激戦区大阪代表として甲子園に出場した東大阪大柏原高校の野球部。ところがその歓喜からわずか数カ月後、突然「閉校」のニュースが報じられたのだ。果たしてその一報を殊勲の野球部監督はどんな風に受け止めていたのか。本人の胸の内を聞いた。
2025年7月27日。大阪大会決勝で延長10回タイブレークの末、大阪桐蔭を6-5で破った試合後、優勝インタビューに応じた東大阪大柏原の土井健大監督の声が南港球場に響いた。
「やったぞー!」
高揚し、思わず発した指揮官の大声が、スタンドの歓声と熱気に包まれる。
「相手がいるのにあんなに感情を爆発させて……とも言われましたけれど、そりゃ爆発させたくもなりますよ。それくらい、ずっと(大阪桐蔭に)勝てていなかったですから。もちろん、相手ありきの試合ですけれど、ああなったのはもう、色んな思いがありましたからね」
抑えきれなかった思いを感情の勢いのまま吐き出した当時のことを土井監督は回顧する。
昨夏の甲子園出場校が…2029年春の閉校が決定
だが、その歓喜の時からわずか数カ月後の12月中旬に、衝撃のニュースが高校野球界に走った。東大阪大柏原高が27年度から生徒募集を停止し、29年春には閉校するというのだ。
その後、柏原高校で功績がある野球部とバドミントン部が兄弟校の東大阪大敬愛高に移行することが決まっていることが報道されたが、土井監督は今回の事態をどのように受け止めたのだろうか。
土井監督によると、昨秋の府大会が終わった10月上旬、村上靖平理事長から夏の甲子園への感謝の意を伝えられたのち、募集停止の話を直接聞いたという。
「2、3年くらい前から『(東大阪大)柏原がなくなるんじゃないか』という噂が校内には流れていたんです。経営改革による人員削減とかそういう動きもあったみたいなんですけれど、柏原高校の上層部の方がどんどん(系列校の)敬愛高校に移っていたので」
身の回りに起こっていた変化を感じつつ、いざ現実を告げられると当初は「閉校」という言葉にピンと来なかったという。
「“閉校”と“廃校”の違いが分からなかった、というのもあったんですけれどね。最初に柏原高校が閉校すると言われた時、僕の感覚では(柏原の組織の一部が)敬愛高校にくっついていくのかなと思ったんです」
突然の閉校決定…理事長からかけられた「意外な言葉」
ただ、話を聞いていくとどうやら自身の認識違いであることが分かった。村上理事長からは閉校することを告げられた後、こう問いかけられたという。
「理事長先生から『土井君は(閉校について)どう思っている? 』って僕にお伺いを立てていただいたんです」
そんな理事長からの問いかけに対して、土井の口を衝いたのは意外な言葉だった。
<次回へつづく>
📝悲願の甲子園出場→4カ月後にまさかの「閉校報道」…東大阪大柏原監督が振り返る“狂騒曲の全内幕”「自分は暗くなることはなかったです」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2f9a3183a0b66a21841cc115ede36f6a2f16e593
「学校がなくなったとしても僕の意見を聞こうとしてくれていて、何かを期待してもらっているのかなと思って。でも、その時に僕は理事長に『逆にどう思ってはるんですか? 』って聞き返しました。なぜ僕にそんな風に聞いてくれたのかなって」
2027年度から生徒募集の停止が決まった東大阪大柏原高校。昨夏の甲子園にも出場した野球部監督の土井健大は、理事長からの「どう思っている?」という直球な疑問にそんな風に答えたという。
「『(系列校の東大阪大)敬愛高校には野球部がないので、野球部を創部して僕がそこで監督になって、土井君が支えていって欲しい』と言われました。そういうお考えであれば、自分は『その期待に添えるように頑張りたい』と言いました。学校が潰れるからあと3年で辞めてくれと言われたら、『じゃあ来年はこうします、ああします』という流れになっていたかもしれません。でも、学校は潰れても(柏原の野球部を引き継ぐ形で)敬愛高校で野球部を1から作り直して欲しいという話だったので、『任せてください』とは言いました」
ただ、12月にニュースが流れた頃は、やはり閉校というネガティブな印象が強かった。だが、その一報が流れて数日後に筆者は土井監督と電話で話す機会があったが、電話での土井監督の声色は最後まで明るく、ネガティブな印象は感じなかった。
閉校の報にも…「暗くなることはなかったです」
「閉校と言われても自分は暗くなることはなかったです。自分を呼んでいただいた恩が柏原にありましたし、(敬愛での)話をいただいて、是非やらせて欲しいと思いましたから。まぁ、これから(移行に向けて)やっていくことは色々とありますが」
東大阪大敬愛高校は柏原高校のある柏原市から北に数キロの東大阪市にある。柏原高校のグラウンドは校内にあるが、敬愛高校には学校のキャパシティーの問題で野球部のグラウンドを校内に確保するのは難しく、練習環境をどれだけ整備できるかが現時点で未定だという。野球部が所属するスポーツコースのカリキュラムをどうしていくかなども含め、受け入れ体勢についてはこれからすり合わせていくことになる。
2018年から東大阪大柏原の指揮を執る土井監督は、履正社時代に右の強打者としてドラフト候補に挙げられ、1年上にいたT―岡田こと岡田貴弘(元オリックス)の愛称だった「浪速のゴジラ」にちなんで「浪速のミニラ」とも呼ばれていた。
強打者でありながら穏やかで物静かな岡田貴弘とは対照的に、ざっくばらんでガハハと豪快に笑う土井は、岡田と異なるキャラクターであることが良い意味で強いインパクトを残していた。
4番、主将としてチームの中心に立ち、ハキハキとものを言える竹を割ったような性格で、後輩に対しても面倒見の良いキャプテンというイメージが土井は強かった。その後、秋のドラフト会議(当時は高校生ドラフト会議)では5巡目でオリックスから指名を受けてプロの世界に進むことになるが、当時は将来的に指導者になるというイメージは全くつかなかった。そのことについて尋ねると、土井はこう返してきた。
「自分が(現役選手として)野球が終わったら、野球をどこかで教えたいなというのは高校の時からずっとあったんです。高校では(当時の岡田龍生監督から)人間的なことを教わりましたけれど、野球に関しては自分で考えながら練習をやっていることもありました。それからプロに入って、高校ではなかなかできない練習法が色々あって、すごく関心が高かったんです。それに僕がプロにいた頃に野球塾みたいな組織をプロOBで立ち上げた方が増えたので、自分もいずれはそうやって野球を教えたいなとは思っていました」
4年間のプロ生活で「学んだこと」
プロではオリックス、巨人と計4年間プレーしたが、目立った成績は残せなかった。それでも練習に対する意欲は強い方だった。
「練習メニューをこなしながらこういう練習はこんなことに役立つとか考えながらやってきたんですけれど、誰かから学んだり教わったりすることがあまりなかったんです。先輩にどんな感覚でやっているのかなどを尋ねて自分の感覚と照らし合わせて、じゃあこんな練習はこういう時にやればいいとか考える癖はプロで自然とつきました」
11年まで現役を続け、12年から巨人でブルペン捕手を務めていたが13年に巨人を退団。14年はミキハウスREDSで現役復帰し、15年からは社会人軟式野球の強豪・大阪シティ信用金庫でプレーした。14年末より学生野球資格回復に向けた講習を受講し15年1月に日本学生野球協会から資格回復の認定を受けていた。
17年のシーズンまで現役を続け、大阪シティ信用金庫を退職。子供への指導を夢見ていたとはいえ引退を控えた頃は今後の具体的な話はなく、生活に不安を覚え結婚したばかりの妻に相談すると、その妻に言われた言葉も土井の背中を押した。
「『あんたは今まで野球しかやってきていないし子供も好きやし、生徒を集めて野球を教えてあげるのはいいんちゃう』って言われて。じゃあどうしようかと思っていた時に東大阪大柏原でのコーチの話が来たんですね」
大阪府のライバル・大阪桐蔭への想いは?
17年12月に東大阪大柏原のコーチに就任し、翌年の10月から監督となった。履正社で大阪を戦ってきた土井としてみれば、慣れ親しんだ地に戻ってきたという形になる。
「自分が育ってきた環境に立って(自身の高校時代のように)人として大事なことを教えるのも大事。その上で自分がプロでも学んできた野球を、子供にまた違う角度から教えられるのはすごく楽しいですね」
その中で同じ大阪のライバルでもある大阪桐蔭の存在はやはり特別だ。現役時代も何度も対戦した大阪桐蔭。監督になってからは、当時から変わらない西谷浩一監督の一挙一動に目を凝らし続けてきた。
「選手の時は西谷(浩一)監督のことも“選手”として見ていた感覚がありました。僕の頃は1年下に中田翔(元日本ハム、中日)がいて、その下に浅村栄斗(楽天)がいて、まぁ強かったですよ。その中に西谷監督がベンチにいる、という感じで見ていました」
だが、指導者になってからは「西谷さんがいるから選手もこんな風に動いていたのか」と監督目線でライバルを見るようになったという。
「選手だった時は良い選手がいるから(大阪桐蔭は)勝っていると思っていましたけれど、監督になってからは西谷監督のもとでプレーする選手たちの成長度合いがすごく分かるんです。選手の時って、3年間という期間だけ、しかも大会で自分たちが勝ち上がった時しか大阪桐蔭を見ることがないじゃないですか。でも監督になって今までの8年間を見ても、大会だったらここで当たる可能性があるからどんな対策をしてくるか、ピッチャーはどうなるかもそうですし、西谷さんのベンチでの立ち振る舞いも含めて色々な部分は目で追ってしまいますね」
昨夏の府大会決勝で対戦した際も土井監督はサングラス越しに西谷監督の動きをずっと見つめていた。ただ、昨夏はこれまでとは少し違っていたという。
「なんかこう、初回から西谷監督はベンチでソワソワしている感じがしました。落ち着いていないというか。秋や春も含めて僕は何度も大阪桐蔭と対戦していますけれど、ちょっと今までとは違うなというのはありましたね」
その土井監督の印象通り、東大阪大柏原が2回に2点を先制し、6回にさらに2点を奪うなど大阪桐蔭からすれば思うようにいかない試合運びが続いた。
「あの試合では西谷さんはいつも通りジェスチャーはしているけれど、ベンチのバットケースの隣から前に行ったり後ろに行ったりして顔は笑っていなかったですし、いつも通りではないことだけは分かりました」
捕手が安定している大阪桐蔭は「太刀打ちできない」
実は昨夏、大阪桐蔭は下級生時からマスクを被っていた正捕手の増田湧太がスタメン出場できていなかった。それが土井監督には多少の引っ掛かりがあったという。
「(22年の)松尾(汐恩・DeNA)君の時がそうだったように、大阪桐蔭はキャッチャーが安定している時は太刀打ちできないくらい強いんです。でも増田君を欠いていたことで、決して付け入るスキがないことはないなとは思っていました」
とはいえ「正直、勝てるとは思っていなかったです」と笑う。
「もちろん負けに行ったわけではないですよ。大阪桐蔭に勝ちたいとはずっと思っていました。それがまさかあの夏に勝てるなんて、というのはありました」
夏の甲子園では初戦(2回戦)で尽誠学園に0-3で敗れ、指導者として甲子園初勝利とはならなかった。それでも東大阪大柏原の夏の甲子園出場は大阪府の高校野球に風穴を開けた。近年、大阪桐蔭や履正社の覇権が続いている中で、府内の中堅私学の監督から「僕らも希望が持てた」という連絡が何人からも来たという。
昨夏の東大阪大柏原の躍進が今後の大阪の高校野球を面白くするという見立てがあっただけに、東大阪大柏原としての挑戦があと3年で一区切りとなるのは寂しさもある。それでも土井監督の言葉には澱みは全くなかった。
「今年の春に入学してくる1年生も含めて、楽しみはあるんです。再来年は110回大会ですし(南大阪代表として)本気で甲子園を狙っています」
あと3年しかない、という切羽詰まった感情は全くない。むしろ、3年後のその先を見据えた土井監督は、今後の野望についても触れた。
「土井健大だからやれる野球」がしたい
「監督像を崩すという訳ではないんですけれど、この先のチーム作りは土井健大っぽくしたいというのはあります。高校野球によくある監督ではなく、土井健大だからやれる、みたいな野球。オリジナルというか、誰の真似もしていない野球がしたいですね。あとは(恩師の)岡田(龍生)先生の歳までに甲子園での勝利数を越えたいです。今、高校野球がどんどん変わっていっていて、タイブレークやDH制が定着していく中でこれからは7回制になるとか、色んな変化もあると思います。試合内容も変わるかもしれないですけれど、名を残せる監督というか『土井はこういう展開だとこんな風にやっていたよな』って言ってもらえるような監督になりたいです。だからこのままで(監督は)終われないですよ。指導者として何が1番とか正しいのかは分からないですけれど、良い意味で野球界にプラスに働くような運動をいつかはやっていきたいです。そのためには実績はちゃんと作っていかないといけないですね。それが野球への恩返しかなと」
そう言って土井監督は豪快にガハハと笑った。
☝野球部コーチの暴言動画が拡散「殺すぞ、あほ、ぼけ」学校が説明会で陳謝 無断外出の部員への言動、保護者からは「コーチ辞めさせないで」の声もhttps://news.yahoo.co.jp/articles/d5b5b018ecffb87f773ce170d6489dd97bc0255e
高校野球の強豪・高知高校野球部の男性コーチが、規則を破った部員に対して「殺すぞ」「あほ」「ぼけ」などと怒鳴る動画がSNSで拡散し問題となったことを受け、学校は11日に保護者説明会を開き、校長が陳謝しました。
高知高校によりますと、野球部の寮監兼コーチを務めていた30代の男性が、寮の規則を破った部員に対し威圧的に叱責する動画がSNS上で拡散しているのを、1月6日の朝に教員が確認したということです。
学校が寮監に聞き取りを行ったところ、点呼の後、午後9時半以降に寮を抜け出してコンビニに行った部員3人に対し、「殺すぞ」「あほ」「ぼけ」などと怒鳴ったことを認めたということです。動画は2024年10月13日に撮影されたものでした。これを受け学校は11日、野球部1・2年生の保護者を対象に説明会を行いました。
参加した保護者によりますと、説明会では「寮監を辞めさせないでほしい」という声が上がり、これは保護者の総意だったということです。そして、こうした声を聞いた濵口佳久監督が涙を流す場面もあったということです。また参加した保護者からは、「ルールを破ったら怒られて当然」「寮監の言い方が悪かった」といった声が聞かれたということです。
さらに説明会には、怒鳴られた生徒の保護者も参加していて「うちの子が悪い」などと話し、「寮監を辞めさせないでほしい」という保護者の総意は、その保護者も賛成したうえでの意見だったということです。ただ、説明会の後に取材に応じた田村誠校長は、「指導者として適切ではない発言で指導してしまった」などと陳謝しました。
◆田村誠 校長「子どもたちを預かる立場として、指導者として適切ではない発言で指導してしまったことについては、学校として生徒・保護者・関係の皆さまに大変心配・迷惑をおかけしたことで、お詫びを申し上げたいと考えています」
寮監兼コーチの男性は、寮に住み込みで生徒の面倒を見ていたということですが、7日からは寮とは別の場所で「自宅待機」しているということです。聞き取りに対し「使ってはならない言葉を使って申し訳ない」と反省しているほか、精神的に参っているということです。
男性は1人で生徒たちの面倒を見ていたということで、田村校長は「数十人の生徒が暮らしている寮を1人で管理させていたことは、見直すべき点だ」として、今後の改善していくとしています。
今回の件について、学校は高知県高野連に報告しているということです。また学校は、9日に調査委員会を立ち上げ調査にあたっていて、高知県高野連は学校に対し、調査結果を再度報告するよう求めています。高知高校野球部は1926年1月創部の強豪校で、甲子園には春21回、夏13回出場し、1964年夏と1975年春に優勝しています。
⚾岩手さんへ
雪かきお疲れさまでした。こっちはまだ今シーズン雪降っていないはずだし、昔は年に数回雪積もったり路面凍結はよくあったけど、温暖化の影響か?ただ寒いだけの日が続きますね。
僕は行かなかったですが、11日日曜日は寒さに加えて猛烈な風が吹いていたので神戸ユニバーは相当冷え込んだかなと・・・。
さて、5回終了の整備はだいたい5分間なんでクーリングタイムは10分から8分に短縮されたので、実質は3分程度しか変わりないはずですね。
そこまで試合時間が大きく変わるとも思えないし、、、3・7回の給水タイムこそ5分程度やってくれたら良いのですが、兵庫だったら2分あるかないかくらいですね・・・・・。
ただ、軟式野球の選手権大会は甲子園と違って3・7回も給水タイムしてましたね!
タイムにしても攻撃・守備共に3回までで30秒以内と制限つけられ、捕手がマウンドに行けるのも1イニング1回だけとなってしまい非常に窮屈な印象は受けますね。
あえて間を取るために痛くもない足が攣ったフリして時間稼ぎするのも1つの手だし、昨夏にしても極端に試合時間短くなったか?といえばそうではなく逆に長かった気が!!
2部制にしてしまいお客さん完全入れ替えなんで、一度強制退場させてからスタンドを清掃して第3試合開始1時間前に開門するためには1時間45分のインターバルは最低でも欲しいという思惑があると思いますが、第2試合の選手たちはそんなに時計をチラチラ見ないだろうし、ヤキモキするのは遠路はるばる来たアルプスの応援団や学校関係者くらいでしょうか???
7回制だったら今の投球制限の規定にひっかかる投手はほとんどいなくなるだろうから完投が増えていくと思います。その後、大学や社会人などで野球を続けるとなると8回以降の投球がしんどくなるのでは?と思いますね。
浜松南リトルシニア・・・は全く知らなかったですが、あのハイボール部長のお父さんが総監督をされているとかで!しかも父子そろって元プロ野球選手というのも凄いなあと!!
しかし静岡版のスポーツ紙というのは凄いですね。東京・大阪・名古屋・福岡あたりだったらさもありなんですが。
P・S 先ほど調べたら、昨年12月に明徳義塾野球部50周年記念行事として馬淵監督の古希祝いも兼ねたようですね。
僕は全然知らなかったのですが、週間ベースボールでも特集されていたようです。2002年の明徳はものすごく強かったですね。センバツの準々決勝で福井商に1回8失点して8-10で負けたのも不思議なくらいでした。
最近は年々小型化してスモールベースボールに徹し続け、勝てそうで勝てないロースコアの接戦を落とし続けているきらいもありますが。
https://news.yahoo.co.jp/articles/516abbcaa81ec755c6f29b21e84ae4a1b0cac319
昨夏、激戦区大阪代表として甲子園に出場した東大阪大柏原高校の野球部。ところがその歓喜からわずか数カ月後、突然「閉校」のニュースが報じられたのだ。果たしてその一報を殊勲の野球部監督はどんな風に受け止めていたのか。本人の胸の内を聞いた。
2025年7月27日。大阪大会決勝で延長10回タイブレークの末、大阪桐蔭を6-5で破った試合後、優勝インタビューに応じた東大阪大柏原の土井健大監督の声が南港球場に響いた。
「やったぞー!」
高揚し、思わず発した指揮官の大声が、スタンドの歓声と熱気に包まれる。
「相手がいるのにあんなに感情を爆発させて……とも言われましたけれど、そりゃ爆発させたくもなりますよ。それくらい、ずっと(大阪桐蔭に)勝てていなかったですから。もちろん、相手ありきの試合ですけれど、ああなったのはもう、色んな思いがありましたからね」
抑えきれなかった思いを感情の勢いのまま吐き出した当時のことを土井監督は回顧する。
昨夏の甲子園出場校が…2029年春の閉校が決定
だが、その歓喜の時からわずか数カ月後の12月中旬に、衝撃のニュースが高校野球界に走った。東大阪大柏原高が27年度から生徒募集を停止し、29年春には閉校するというのだ。
その後、柏原高校で功績がある野球部とバドミントン部が兄弟校の東大阪大敬愛高に移行することが決まっていることが報道されたが、土井監督は今回の事態をどのように受け止めたのだろうか。
土井監督によると、昨秋の府大会が終わった10月上旬、村上靖平理事長から夏の甲子園への感謝の意を伝えられたのち、募集停止の話を直接聞いたという。
「2、3年くらい前から『(東大阪大)柏原がなくなるんじゃないか』という噂が校内には流れていたんです。経営改革による人員削減とかそういう動きもあったみたいなんですけれど、柏原高校の上層部の方がどんどん(系列校の)敬愛高校に移っていたので」
身の回りに起こっていた変化を感じつつ、いざ現実を告げられると当初は「閉校」という言葉にピンと来なかったという。
「“閉校”と“廃校”の違いが分からなかった、というのもあったんですけれどね。最初に柏原高校が閉校すると言われた時、僕の感覚では(柏原の組織の一部が)敬愛高校にくっついていくのかなと思ったんです」
突然の閉校決定…理事長からかけられた「意外な言葉」
ただ、話を聞いていくとどうやら自身の認識違いであることが分かった。村上理事長からは閉校することを告げられた後、こう問いかけられたという。
「理事長先生から『土井君は(閉校について)どう思っている? 』って僕にお伺いを立てていただいたんです」
そんな理事長からの問いかけに対して、土井の口を衝いたのは意外な言葉だった。
<次回へつづく>
📝悲願の甲子園出場→4カ月後にまさかの「閉校報道」…東大阪大柏原監督が振り返る“狂騒曲の全内幕”「自分は暗くなることはなかったです」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2f9a3183a0b66a21841cc115ede36f6a2f16e593
「学校がなくなったとしても僕の意見を聞こうとしてくれていて、何かを期待してもらっているのかなと思って。でも、その時に僕は理事長に『逆にどう思ってはるんですか? 』って聞き返しました。なぜ僕にそんな風に聞いてくれたのかなって」
2027年度から生徒募集の停止が決まった東大阪大柏原高校。昨夏の甲子園にも出場した野球部監督の土井健大は、理事長からの「どう思っている?」という直球な疑問にそんな風に答えたという。
「『(系列校の東大阪大)敬愛高校には野球部がないので、野球部を創部して僕がそこで監督になって、土井君が支えていって欲しい』と言われました。そういうお考えであれば、自分は『その期待に添えるように頑張りたい』と言いました。学校が潰れるからあと3年で辞めてくれと言われたら、『じゃあ来年はこうします、ああします』という流れになっていたかもしれません。でも、学校は潰れても(柏原の野球部を引き継ぐ形で)敬愛高校で野球部を1から作り直して欲しいという話だったので、『任せてください』とは言いました」
ただ、12月にニュースが流れた頃は、やはり閉校というネガティブな印象が強かった。だが、その一報が流れて数日後に筆者は土井監督と電話で話す機会があったが、電話での土井監督の声色は最後まで明るく、ネガティブな印象は感じなかった。
閉校の報にも…「暗くなることはなかったです」
「閉校と言われても自分は暗くなることはなかったです。自分を呼んでいただいた恩が柏原にありましたし、(敬愛での)話をいただいて、是非やらせて欲しいと思いましたから。まぁ、これから(移行に向けて)やっていくことは色々とありますが」
東大阪大敬愛高校は柏原高校のある柏原市から北に数キロの東大阪市にある。柏原高校のグラウンドは校内にあるが、敬愛高校には学校のキャパシティーの問題で野球部のグラウンドを校内に確保するのは難しく、練習環境をどれだけ整備できるかが現時点で未定だという。野球部が所属するスポーツコースのカリキュラムをどうしていくかなども含め、受け入れ体勢についてはこれからすり合わせていくことになる。
2018年から東大阪大柏原の指揮を執る土井監督は、履正社時代に右の強打者としてドラフト候補に挙げられ、1年上にいたT―岡田こと岡田貴弘(元オリックス)の愛称だった「浪速のゴジラ」にちなんで「浪速のミニラ」とも呼ばれていた。
強打者でありながら穏やかで物静かな岡田貴弘とは対照的に、ざっくばらんでガハハと豪快に笑う土井は、岡田と異なるキャラクターであることが良い意味で強いインパクトを残していた。
4番、主将としてチームの中心に立ち、ハキハキとものを言える竹を割ったような性格で、後輩に対しても面倒見の良いキャプテンというイメージが土井は強かった。その後、秋のドラフト会議(当時は高校生ドラフト会議)では5巡目でオリックスから指名を受けてプロの世界に進むことになるが、当時は将来的に指導者になるというイメージは全くつかなかった。そのことについて尋ねると、土井はこう返してきた。
「自分が(現役選手として)野球が終わったら、野球をどこかで教えたいなというのは高校の時からずっとあったんです。高校では(当時の岡田龍生監督から)人間的なことを教わりましたけれど、野球に関しては自分で考えながら練習をやっていることもありました。それからプロに入って、高校ではなかなかできない練習法が色々あって、すごく関心が高かったんです。それに僕がプロにいた頃に野球塾みたいな組織をプロOBで立ち上げた方が増えたので、自分もいずれはそうやって野球を教えたいなとは思っていました」
4年間のプロ生活で「学んだこと」
プロではオリックス、巨人と計4年間プレーしたが、目立った成績は残せなかった。それでも練習に対する意欲は強い方だった。
「練習メニューをこなしながらこういう練習はこんなことに役立つとか考えながらやってきたんですけれど、誰かから学んだり教わったりすることがあまりなかったんです。先輩にどんな感覚でやっているのかなどを尋ねて自分の感覚と照らし合わせて、じゃあこんな練習はこういう時にやればいいとか考える癖はプロで自然とつきました」
11年まで現役を続け、12年から巨人でブルペン捕手を務めていたが13年に巨人を退団。14年はミキハウスREDSで現役復帰し、15年からは社会人軟式野球の強豪・大阪シティ信用金庫でプレーした。14年末より学生野球資格回復に向けた講習を受講し15年1月に日本学生野球協会から資格回復の認定を受けていた。
17年のシーズンまで現役を続け、大阪シティ信用金庫を退職。子供への指導を夢見ていたとはいえ引退を控えた頃は今後の具体的な話はなく、生活に不安を覚え結婚したばかりの妻に相談すると、その妻に言われた言葉も土井の背中を押した。
「『あんたは今まで野球しかやってきていないし子供も好きやし、生徒を集めて野球を教えてあげるのはいいんちゃう』って言われて。じゃあどうしようかと思っていた時に東大阪大柏原でのコーチの話が来たんですね」
大阪府のライバル・大阪桐蔭への想いは?
17年12月に東大阪大柏原のコーチに就任し、翌年の10月から監督となった。履正社で大阪を戦ってきた土井としてみれば、慣れ親しんだ地に戻ってきたという形になる。
「自分が育ってきた環境に立って(自身の高校時代のように)人として大事なことを教えるのも大事。その上で自分がプロでも学んできた野球を、子供にまた違う角度から教えられるのはすごく楽しいですね」
その中で同じ大阪のライバルでもある大阪桐蔭の存在はやはり特別だ。現役時代も何度も対戦した大阪桐蔭。監督になってからは、当時から変わらない西谷浩一監督の一挙一動に目を凝らし続けてきた。
「選手の時は西谷(浩一)監督のことも“選手”として見ていた感覚がありました。僕の頃は1年下に中田翔(元日本ハム、中日)がいて、その下に浅村栄斗(楽天)がいて、まぁ強かったですよ。その中に西谷監督がベンチにいる、という感じで見ていました」
だが、指導者になってからは「西谷さんがいるから選手もこんな風に動いていたのか」と監督目線でライバルを見るようになったという。
「選手だった時は良い選手がいるから(大阪桐蔭は)勝っていると思っていましたけれど、監督になってからは西谷監督のもとでプレーする選手たちの成長度合いがすごく分かるんです。選手の時って、3年間という期間だけ、しかも大会で自分たちが勝ち上がった時しか大阪桐蔭を見ることがないじゃないですか。でも監督になって今までの8年間を見ても、大会だったらここで当たる可能性があるからどんな対策をしてくるか、ピッチャーはどうなるかもそうですし、西谷さんのベンチでの立ち振る舞いも含めて色々な部分は目で追ってしまいますね」
昨夏の府大会決勝で対戦した際も土井監督はサングラス越しに西谷監督の動きをずっと見つめていた。ただ、昨夏はこれまでとは少し違っていたという。
「なんかこう、初回から西谷監督はベンチでソワソワしている感じがしました。落ち着いていないというか。秋や春も含めて僕は何度も大阪桐蔭と対戦していますけれど、ちょっと今までとは違うなというのはありましたね」
その土井監督の印象通り、東大阪大柏原が2回に2点を先制し、6回にさらに2点を奪うなど大阪桐蔭からすれば思うようにいかない試合運びが続いた。
「あの試合では西谷さんはいつも通りジェスチャーはしているけれど、ベンチのバットケースの隣から前に行ったり後ろに行ったりして顔は笑っていなかったですし、いつも通りではないことだけは分かりました」
捕手が安定している大阪桐蔭は「太刀打ちできない」
実は昨夏、大阪桐蔭は下級生時からマスクを被っていた正捕手の増田湧太がスタメン出場できていなかった。それが土井監督には多少の引っ掛かりがあったという。
「(22年の)松尾(汐恩・DeNA)君の時がそうだったように、大阪桐蔭はキャッチャーが安定している時は太刀打ちできないくらい強いんです。でも増田君を欠いていたことで、決して付け入るスキがないことはないなとは思っていました」
とはいえ「正直、勝てるとは思っていなかったです」と笑う。
「もちろん負けに行ったわけではないですよ。大阪桐蔭に勝ちたいとはずっと思っていました。それがまさかあの夏に勝てるなんて、というのはありました」
夏の甲子園では初戦(2回戦)で尽誠学園に0-3で敗れ、指導者として甲子園初勝利とはならなかった。それでも東大阪大柏原の夏の甲子園出場は大阪府の高校野球に風穴を開けた。近年、大阪桐蔭や履正社の覇権が続いている中で、府内の中堅私学の監督から「僕らも希望が持てた」という連絡が何人からも来たという。
昨夏の東大阪大柏原の躍進が今後の大阪の高校野球を面白くするという見立てがあっただけに、東大阪大柏原としての挑戦があと3年で一区切りとなるのは寂しさもある。それでも土井監督の言葉には澱みは全くなかった。
「今年の春に入学してくる1年生も含めて、楽しみはあるんです。再来年は110回大会ですし(南大阪代表として)本気で甲子園を狙っています」
あと3年しかない、という切羽詰まった感情は全くない。むしろ、3年後のその先を見据えた土井監督は、今後の野望についても触れた。
「土井健大だからやれる野球」がしたい
「監督像を崩すという訳ではないんですけれど、この先のチーム作りは土井健大っぽくしたいというのはあります。高校野球によくある監督ではなく、土井健大だからやれる、みたいな野球。オリジナルというか、誰の真似もしていない野球がしたいですね。あとは(恩師の)岡田(龍生)先生の歳までに甲子園での勝利数を越えたいです。今、高校野球がどんどん変わっていっていて、タイブレークやDH制が定着していく中でこれからは7回制になるとか、色んな変化もあると思います。試合内容も変わるかもしれないですけれど、名を残せる監督というか『土井はこういう展開だとこんな風にやっていたよな』って言ってもらえるような監督になりたいです。だからこのままで(監督は)終われないですよ。指導者として何が1番とか正しいのかは分からないですけれど、良い意味で野球界にプラスに働くような運動をいつかはやっていきたいです。そのためには実績はちゃんと作っていかないといけないですね。それが野球への恩返しかなと」
そう言って土井監督は豪快にガハハと笑った。
☝野球部コーチの暴言動画が拡散「殺すぞ、あほ、ぼけ」学校が説明会で陳謝 無断外出の部員への言動、保護者からは「コーチ辞めさせないで」の声もhttps://news.yahoo.co.jp/articles/d5b5b018ecffb87f773ce170d6489dd97bc0255e
高校野球の強豪・高知高校野球部の男性コーチが、規則を破った部員に対して「殺すぞ」「あほ」「ぼけ」などと怒鳴る動画がSNSで拡散し問題となったことを受け、学校は11日に保護者説明会を開き、校長が陳謝しました。
高知高校によりますと、野球部の寮監兼コーチを務めていた30代の男性が、寮の規則を破った部員に対し威圧的に叱責する動画がSNS上で拡散しているのを、1月6日の朝に教員が確認したということです。
学校が寮監に聞き取りを行ったところ、点呼の後、午後9時半以降に寮を抜け出してコンビニに行った部員3人に対し、「殺すぞ」「あほ」「ぼけ」などと怒鳴ったことを認めたということです。動画は2024年10月13日に撮影されたものでした。これを受け学校は11日、野球部1・2年生の保護者を対象に説明会を行いました。
参加した保護者によりますと、説明会では「寮監を辞めさせないでほしい」という声が上がり、これは保護者の総意だったということです。そして、こうした声を聞いた濵口佳久監督が涙を流す場面もあったということです。また参加した保護者からは、「ルールを破ったら怒られて当然」「寮監の言い方が悪かった」といった声が聞かれたということです。
さらに説明会には、怒鳴られた生徒の保護者も参加していて「うちの子が悪い」などと話し、「寮監を辞めさせないでほしい」という保護者の総意は、その保護者も賛成したうえでの意見だったということです。ただ、説明会の後に取材に応じた田村誠校長は、「指導者として適切ではない発言で指導してしまった」などと陳謝しました。
◆田村誠 校長「子どもたちを預かる立場として、指導者として適切ではない発言で指導してしまったことについては、学校として生徒・保護者・関係の皆さまに大変心配・迷惑をおかけしたことで、お詫びを申し上げたいと考えています」
寮監兼コーチの男性は、寮に住み込みで生徒の面倒を見ていたということですが、7日からは寮とは別の場所で「自宅待機」しているということです。聞き取りに対し「使ってはならない言葉を使って申し訳ない」と反省しているほか、精神的に参っているということです。
男性は1人で生徒たちの面倒を見ていたということで、田村校長は「数十人の生徒が暮らしている寮を1人で管理させていたことは、見直すべき点だ」として、今後の改善していくとしています。
今回の件について、学校は高知県高野連に報告しているということです。また学校は、9日に調査委員会を立ち上げ調査にあたっていて、高知県高野連は学校に対し、調査結果を再度報告するよう求めています。高知高校野球部は1926年1月創部の強豪校で、甲子園には春21回、夏13回出場し、1964年夏と1975年春に優勝しています。
⚾岩手さんへ
雪かきお疲れさまでした。こっちはまだ今シーズン雪降っていないはずだし、昔は年に数回雪積もったり路面凍結はよくあったけど、温暖化の影響か?ただ寒いだけの日が続きますね。
僕は行かなかったですが、11日日曜日は寒さに加えて猛烈な風が吹いていたので神戸ユニバーは相当冷え込んだかなと・・・。
さて、5回終了の整備はだいたい5分間なんでクーリングタイムは10分から8分に短縮されたので、実質は3分程度しか変わりないはずですね。
そこまで試合時間が大きく変わるとも思えないし、、、3・7回の給水タイムこそ5分程度やってくれたら良いのですが、兵庫だったら2分あるかないかくらいですね・・・・・。
ただ、軟式野球の選手権大会は甲子園と違って3・7回も給水タイムしてましたね!
タイムにしても攻撃・守備共に3回までで30秒以内と制限つけられ、捕手がマウンドに行けるのも1イニング1回だけとなってしまい非常に窮屈な印象は受けますね。
あえて間を取るために痛くもない足が攣ったフリして時間稼ぎするのも1つの手だし、昨夏にしても極端に試合時間短くなったか?といえばそうではなく逆に長かった気が!!
2部制にしてしまいお客さん完全入れ替えなんで、一度強制退場させてからスタンドを清掃して第3試合開始1時間前に開門するためには1時間45分のインターバルは最低でも欲しいという思惑があると思いますが、第2試合の選手たちはそんなに時計をチラチラ見ないだろうし、ヤキモキするのは遠路はるばる来たアルプスの応援団や学校関係者くらいでしょうか???
7回制だったら今の投球制限の規定にひっかかる投手はほとんどいなくなるだろうから完投が増えていくと思います。その後、大学や社会人などで野球を続けるとなると8回以降の投球がしんどくなるのでは?と思いますね。
浜松南リトルシニア・・・は全く知らなかったですが、あのハイボール部長のお父さんが総監督をされているとかで!しかも父子そろって元プロ野球選手というのも凄いなあと!!
しかし静岡版のスポーツ紙というのは凄いですね。東京・大阪・名古屋・福岡あたりだったらさもありなんですが。
P・S 先ほど調べたら、昨年12月に明徳義塾野球部50周年記念行事として馬淵監督の古希祝いも兼ねたようですね。
僕は全然知らなかったのですが、週間ベースボールでも特集されていたようです。2002年の明徳はものすごく強かったですね。センバツの準々決勝で福井商に1回8失点して8-10で負けたのも不思議なくらいでした。
最近は年々小型化してスモールベースボールに徹し続け、勝てそうで勝てないロースコアの接戦を落とし続けているきらいもありますが。