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宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

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⚾今日の近畿大会試合結果(6日目 準決勝 さとやくスタジアム)
6日目第1試合 滋賀学園(滋賀③)-智弁学園(奈良①) 10:00~12:33
         一二三四五六七八九十計HE
     智弁学園002010130 793
     滋賀学園000300000 3121

6日目第2試合 大阪桐蔭(大阪①)-神戸国際大付(兵庫①) 13:19~15:39
         一二三四五六七八九十計HE
     大阪桐蔭000001000 181
     神国大付20100004X 782

⚾明日の近畿大会組み合わせ(最終日 決勝戦 さとやくスタジアム)
    12:00~ 智弁 学園(奈良①)ー神戸国際付(兵庫①)

✌逆転され、なおも無死満塁 智弁学園・水口投手が完璧火消しで決勝へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/596b16fb40ffba10043ba491bfc1991b8444f3e9

(2日、秋季近畿地区高校野球大会準決勝 智弁学園7―3滋賀学園)

2点を先取するも、四回に連打を浴びて逆転を許し、なおも無死満塁。智弁学園の2番手・水口亮明投手(2年)がマウンドに立ったのは、そんな場面だった。
意識したのは気負わず、笑うこと。伸びのある直球で押し切り、味方の好守備もあって3者連続のフライに打ち取った。

それでも「欲を出さない。一回ずつ抑える」と冷静さを心がける。八回途中まで得点を与えず、打っては七回に勝ち越しの適時打を放った。
公式戦の登板は、4失点した秋の県大会準々決勝以来。準決勝からマウンドに立ち続けたエースの杉本真滉投手(2年)は「ライバル」と表現する。

「今日まで必死にやってきた。(来春に向けて)監督が背番号1をどちらにつけるか悩むほど成長したい」。投手陣で誰よりも朝早くグラウンドに姿を現し、練習に励む背番号10が誓った。

☟大阪桐蔭2年ぶりの決勝逃す 監督「勉強になった」秋季高校野球近畿
https://news.yahoo.co.jp/articles/a9060d69e87dff49ffe0b86ce7bfbb34134ee890

高校野球の秋季近畿大会は2日、奈良県橿原市のさとやくスタジアムで準決勝があり、大阪桐蔭(大阪1位)は神戸国際大付(兵庫1位)に1―7で敗れ、大会史上初の3連覇を果たした2023年以来となる2年ぶりの決勝進出はならなかった。大阪桐蔭の西谷浩一監督の試合後の主なコメントは次の通り。

◇大阪桐蔭・西谷浩一監督

先に(点を)取られた展開でひっくり返す、食らいついていく勉強ができる試合だった。なんとか2点(を先行されて)、次の1点を取りたかった。
野球は当たり前だが、しっかり守って取れる時に取らないと(いけない)。そういう勉強になった試合だった。最後は守りのミスも出た。課題がたくさん出た。

<大会の収穫は>

(1年の)川本(晴大投手)が(しっかり)投げられるようになったり、(新しい)力も出てきた。まだまだ新チームでやらないといけないことだらけ。まずは個の力をつけて、チームの力をつけていきたい。

👣下関国際「いつも甲子園の目前で…」 主将のエース奮闘、あと一歩
https://news.yahoo.co.jp/articles/c8394c08805efa21dc20f241b674f8214cb378cc

(1日、第145回秋季中国地区高校野球大会準決勝 高川学園2―1下関国際)

下関国際のエースで主将が涙を流した。宮本匠投手(2年)は「いつも甲子園の目前で負けてきたので……」。勝てば、来春の選抜大会出場をほぼ確実にできる一戦だった。

下関国際は2022年の全国選手権大会で準優勝した後、甲子園から遠ざかっている。昨夏の山口大会は決勝、今夏は準決勝で敗れた。宮本投手は「自分がチームを変えよう」と、主将に立候補した。
新チームの大黒柱として奮闘し、秋季県大会の優勝に貢献した。この日も、走者を背負った場面で何度もピンチを乗り切った。「丁寧に低めに投げた」という。自責点0(2失点)で完投し、打っては2安打。だが、味方の4失策が響いた。

「本来、うちは守り勝つ野球が持ち味。冬に、もっと徹底して鍛えたい」。目を真っ赤にしながらそう言った。

👣決勝逃した倉敷商エース角田陸投手、悔しさ胸に「自分に厳しく」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ae060026e6aceed97d94b8f2e2e83c2c2684da93

(1日、第145回秋季中国地区高校野球大会準決勝 崇徳10―0倉敷商 8回コールド) 

2点を追う八回無死二、三塁。倉敷商のエースで先発の角田陸投手(2年)は、崇徳の4番打者への初球、バランスを崩した。倒れ込むような投球となり、ボールは大きく逸れた。三塁走者の生還を許し3点目。その後は連続四球に長打を打たれ、1死も取れずに降板した。「抑えてやろう、と力が入りすぎて足がひっかかってしまった。あせりもあった」

今大会は初戦を8回1失点、準々決勝は11奪三振して完投するなど、チェンジアップを決め球にエースとして勝利の立役者になっていた。しかしこの試合は一回の立ち上がりから低めの変化球を崇徳打線に見極められ、2四球のあとに打たれ2失点。八回は継投した2番手も粘れず追加点を奪われた。チームは1点も取れずに8回コールド負けを喫した。

梶山和洋監督は「唯一の収穫は(来春の選抜大会がかかった)この舞台で、このままでは勝てないとみせつけられたこと。自分たちと向き合うきっかけになったと思う」。
角田投手は「試合はピッチャーで決まると思っているから、チームに申し訳ない気持ちです。(次の大会に向けて)誰よりも自分に厳しくやっていきたい」と目を赤くしながら決意を語った

☝崇徳のエース、苦い夏を乗り越え33年ぶりV 秋季高校野球中国大会
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d3737ecaadac804672950a939b25d4d196bff2f

◇高校野球秋季中国大会決勝(2日、山口・ユーピーアールスタジアム)

◇○崇徳(広島2位)5―0高川学園(山口4位)●
◇崇徳は33年ぶり3回目の優勝

5―0で迎えた九回2死走者なし。崇徳の2年生左腕・徳丸凜空はマウンド後方で大きく息を吐き、靴ひもを結び直した。「もう大丈夫」。打者を一ゴロに仕留め、ゲームセット。夏の苦い記憶を乗り越えた瞬間だった。

130キロ台後半の伸びのある直球を制球良く投じるサウスポー。スライダーやフォークも切れる。前チームでもエースナンバーを背負っていたが、今夏の広島大会決勝では広陵に敗れた。九回2死まで1点をリードしていたが踏ん張れず、延長の末に敗れた。

「自分のことでいっぱいいっぱいだった」と反省した。同学年の正捕手・新村瑠聖のミットと打者しか視界に入らず、気負いがあった。だから、秋はいつでも気持ちに余裕を持つことを心がけた。
マウンドから球場をぐるりと見て、バックネット裏の観客や相手側の応援席にも目をやった。「いろんなところが広く見えた」と心を落ち着かせた。

この試合は「瑠聖の配球通りに打たせれば野手がアウトにしてくれる」と肩の力を抜いた。二回1死一、三塁のピンチを併殺でしのぐと、その後はすいすいとアウトを重ねた。125球で3安打完封。中国大会全4試合を1人で投げきり、計33イニングでわずか1失点と成長を示した。

崇徳は1976年の選抜大会で初出場優勝を果たしたが、93年春を最後に甲子園から遠ざかる。くしくも今年は学校創立150年の節目の年。たくましさを増したエースとともに、「伝統校復活」を強く印象付けた。

📝【愛媛の高校野球を愛す】失意の敗戦…新田が向かった先は?
https://news.yahoo.co.jp/articles/43209d329c4d618a93df9e96e46cd572a6cfc3f2

県内無敗、第1シードで迎えた今年夏は準々決勝敗退、主力の多くが残りセンバツ出場も期待された秋の四国大会は初戦敗退。

「自分たちに何が足りないのか?」

新田の岡田監督は敗戦翌日から練習を休みにし、自分自身を含めた指導者、そして選手一人一人が考える時間を作りました。
なかなか答えが出ないまま1週間…。チームは大胆な行動に出ます。

監督が運転するマイクロバスに2年生が乗り込み、電車を乗り継ぎ向かった先は奈良県。そこは、激戦が続く「近畿大会」の会場でした。

大阪桐蔭、天理、滋賀学園、近江など全国に名だたる強豪の甲子園をかけたぶつかり合い。
たくましい体躯、145キロを超えるストレート、それを初回から力強く打ち返すバッティング。
練習試合で県外の強豪との対戦はあるものの「甲子園がかかった本気のぶつかり合い」は練習試合のそれとは大きく違っていました。

「この中に入ったらウチのチームは誰一人としてレギュラーになれない」岡田監督が感じた思いは選手たちも同じでした。

監督が「たたきのめされました」と語る光景...迷いの中で決行した「衝撃の弾丸観戦」。
果たして、再開となった練習。これから始まる長い冬。この日の経験をチームはどう生かしていくのか?

「甲子園に行く。そして甲子園で勝つ」

苦しみながら、迷いながら、もがきながら…愛媛野球の闘いは続きます。

☝聖隷クリストファーのエース高部陸は左肩回復 東海大会準決勝の違和感から復活へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/3eb5433cef48bb37492a4e852c18a4d1c3ac3e47

◆親善試合  日本航空石川11―2聖隷クリストファー (7回コールド、1日・湖西球場)

聖隷クリストファーが1日、湖西球場で行われた「湖西ベースボールフェスタ」に今夏の甲子園出場校として招待された。今年のセンバツ出場校である日本航空石川と対戦。2―11で7回コールド負けした。

エースの高部陸(2年)は6回2死満塁で登板。左飛に打ち取り、ピンチをしのいだ。大量失点した10月25日の東海大会準決勝・三重戦では左肩に違和感を訴えていたが、現在は順調に回復。この日は打者1人だけの登板も、今後は大事を取りながら段階的に状態を上げていく予定だ。課題のスタミナ不足解消を目指しながら、「仲間に自分が教えられることは伝えて、チームを引っ張っていきたい」と前を向いた。

📝「貴重な機会で成長したい」 高校野球の北海道選抜が12月に台湾へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/edb3ee696ec7c50e9211b5947cdc46a8d31dd5be

12月に台湾へ遠征する高校野球の北海道選抜チームが1日、札幌市のホテルで結団式に臨んだ。小野悠真主将(北海)は「海外のチームと対戦する貴重な機会を自分たちの成長につなげたい」と抱負を語った。

道選抜チームが出場するのは、「日台高校野球国際親善試合」の第1回大会。台湾高校野球のレベルアップを目的に、台湾側から招待を受けた。
2年に1度開催する予定で、全国10地区のうち2地区のチームが順番に出場。今年は北海道と九州地区の選抜チームが派遣されることになった。

道選抜チームは10月の秋季大会で優勝した北照のエース・島田爽介投手ら道内の11校から選ばれた1・2年生の計20人。監督は森本琢朗・札幌日大監督が務める。
チームは12月21日から福岡で合宿した後、23日に台湾入り。台湾北部・新北市の球場で、台湾版の甲子園大会「黒豹旗選手権」の優勝・準優勝チームや九州選抜チームと計3試合を戦い、28日に帰国する予定だ。

団長を務める矢橋佳之・道高野連会長は「相手への尊敬の念を忘れず、日本の高校野球は素晴らしいなと思ってもらえるような交流ができれば」と話した。

🎤「逆転のPL」バッテリー木戸克彦氏&西田真二氏が母校でトークイベント、活動停止にも触れる
https://news.yahoo.co.jp/articles/70f0c9b9c0201b7f6f882fadd8b25965c6adaa7e

阪神球団本部プロスカウト部長で、タイガースWomen監督・木戸克彦氏(64)、今年まで社会人のセガサミー監督を務めた元広島・西田真二氏(65)が2日、出身校にあたる大阪・富田林市のPL学園で、トークイベントに参加した。春夏合わせて7回(春3、夏4)の甲子園Vを達成した名門。この日は同学園の創立70周年を節目とする数々の催しが行われ、その一環として、全国に名を知らしめた「逆転のPL」の立役者で、バッテリーを組んだ2人が登場した。

特に、1978年(昭53)の夏の甲子園大会で、山本泰監督(旧姓・鶴岡)が率いたPL学園は、準決勝で中京(愛知、現中京大中京)、決勝で高知商(高知)を破って、同高に初優勝をもたらした。いずれも逆転勝ちのミラクルだった。
当時の主将だった木戸氏は「最初は慣れない寮生活で、1年生、2年生のうちはしんどかったし、苦労もありましたが、自分のためと思って必死でした。周りの方に野球環境を整えてもらったので感謝しています」と振り返った。

約20年ぶりの母校訪問で、エースで4番だった西田氏は「わたしも二刀流だったんです。完投が当たり前の時代で、木戸のミットめがけて投げていました。最後まであきらめてはいけないこと、耐えることを学びました」と感慨深げだった。

当時の全国制覇について、木戸氏は「勝ったことだけは覚えていますが、優勝旗をもって場内一周したことなど、ほとんど覚えていないんです。それぐらいヘトヘトでした」と回想すると、西田氏は「木戸とバッテリーで優勝したのがすべてです」と話した。

PL学園は16年限りで活動停止。西田氏は「ぼくたちの後は桑田、清原、また立浪らが伝統を引き継いでくれました。でも野球部が復活しないのはさみしい」ともらした。最後は木戸氏が「素晴らしい高校時代、大事な青春時代、それは胸を張って言えます」と締めくくった。

🔥広島の名門で過激な練習「命を落とす寸前」 日本刀の上に立ち…上半身裸、忘れぬ鍛錬
https://news.yahoo.co.jp/articles/6bc2585bc9c08ff53eb6be4da0fccac4f9130377?page=1

達川光男氏は広島商で現代では驚きの練習に臨んでいた

過程にはいろんなことが……。元広島正捕手の達川光男氏は1973年の広島県立広島商3年時に春の選抜準優勝、夏の甲子園優勝の輝かしい実績を持つ。それは数々の修行を乗り越えてのことでもあった。2本並べた日本刀の刃の上に立つ真剣刃渡り、寒い冬場の上半身裸練習、ろうそくの火が消えるまで続ける素振り……。それらを経験したことによって、心が鍛えられ、集中力が高まり、どんな大舞台でも常に落ち着いて行動できるようになったという。

広島商時代を振り返りながら達川氏は「私もいろんな修行をしましたよ」と語った。「広商野球部は精神野球に徹すべし」「日日一挙一動を精神修養の場と心得 自らを律すべし」「特にグランドは精神野球修練の道場にして命懸けの真剣勝負の錬成の気持ちを持って臨むべし」「全神経を傾注する一の練習は並の十の練習に勝ることを知るべし」などの野球部員心得を覚えることから高校生活は始まったが、数々の修行もすべてその一環だった。

有名なのが、2本並べた日本刀の刃の上に立つ真剣刃渡りだ。これについて達川氏はこう話す。「あれはね、本当に真剣の刃の上に乗るんですよ。渡るんじゃなくて乗るんです。怪我しないように乗る集中力っていうけど、プラス、技もいる。1人で乗ったら切れるよ。こっちとあっち(の両側)に同じくらいの背の人がいて、その肩を借りて、そこへ3秒から5秒くらい立つわけ。肩を持つ力がグッと。それが大事なんだよ。それがコツなんですよ」。

もちろん、臨むには気持ちを落ち着かせなければいけない。それが心を鍛えることになるのだが「ギリギリのところで、命を落とさないところでやるのが修行。真剣刃渡りも命を落としたら駄目なわけですから。命を落とす寸前の、もうあの究極のところまでやるのが修行。それ以上やると無謀。それは修行じゃないんですよ」と達川氏は説明する。何事にも意味がある。それをしっかり理解した上で取り組んでいたわけだ。

さらにこう続けた。「冬の寒い日に(春の)選抜の練習。“選抜では雪が降ったり、こんなもんじゃないよ”と上半身裸でね。真っ裸になるわけにはいかないから、ユニホームの下だけは着ているけど、ストッキングは脱ぐわけ。裸足ですよ。寒いですよ。それでノックを受けたりする。素手でゴロ捕球もしたけど、手の平で捕る感覚を養うためで、それで骨折するようなことはない。これもね、骨折するようなことをしたら駄目なの。怪我をするような行は行じゃないわけですから」。

1973年の広島商3年時に甲子園大会で春準優勝&夏優勝
 
名将・迫田穆成監督の下で達川氏は修行を重ねたが、その上で「私らの最後の行は、感謝という行なんですよ」と口にした。「何でも常に誰を見ても感謝できるように、ということで、お皿の上に1本のろうそくを立てる。部屋を真っ暗にして、ろうそくに火を灯す。それが消えるまでピッチャーはシャドーピッチング、バッターは素振り。迫田さん曰く。『ろうそくは身を減らして人を照らす』。ろうそくは自分を犠牲にして、最後に自分の役目を終えるという……」。

人のために自分を捧げるとの意味も込められた修行で、その根底にあるのが感謝だ。ろうそくの火は1時間ほどで消えるが、シャドーピッチングも素振りも集中力を高めて行い続ける。「私たちは腹式呼吸をずっとやっていたので、その呼吸法でね。ピッチャーはノーアウト満塁スリーボールから相手を打ち取る、もうボールを投げたら終わりだという状況(想定)でろうそくに向かってシャドーピッチング。バッターはツーアウト、ツーナッシングから相手と勝負できるぐらいにね」。

達川氏は1973年の広島商3年時に、甲子園大会で春準優勝、夏優勝を経験する。それは広島商ナイン全員が大舞台にも臆することなく、戦えたからでもあるが、これもまた限界ギリギリのところで繰り広げられた数々の修行の成果であったのは間違いない。「今やったらコンプライアンスにひっかかって、とかもあるのかもしれないけど、私たちはすべて修行だと思ってやっていた。迫田さんには感謝ですよ」としみじみと話した。
2025/11/02(日) 22時57分13秒 No.2104 編集 削除