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宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

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⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(3日目 1回戦)
上富田球場
 ☆☆ 09:00~ 和歌 山東- 熊 野
    11:30~  神 島 - 橋 本
    14:00~  向 陽 -和歌山高専

マツゲン有田球場
    09:00~ 初芝 橋本-南部 龍神
    11:30~ 和歌 山商-新宮/新翔
  ☆ 14:00~ 紀 央 館-笠田/農芸

⚾明日の兵庫大会組み合わせ(初日 1回戦)
明石トーカロ球場
 ☆☆ 09:00~ 須磨 翔風-神戸 弘陵
    11:30~  育 英 -姫 路 西
    14:00~ 北 須 磨- 市 川

ウインク球場
    09:00~ 須磨 学園- 甲 南
    11:30~ 飾 磨 工-姫路南網干
  ☆ 14:00~ 仁川 学院- 赤 穂

ベイコム球場
    10:00~ 兵 庫 工-市 西 宮
  ☆ 13:00~ 明石 清水-三田 学園

G7スタジアム
    10:00~ 県 尼 崎-神戸学院付
  ☆ 13:00~  香 寺 -豊岡 総合

ReFillスタジアム
    10:00~ 武庫荘総合-県 芦 屋
  ☆ 13:00~ 市 尼 崎-西 脇 工

豊岡こうのとりスタジアム
    11:00~ 三田 西陵-六甲アイランド
  ☆ 14:00~ 小 野 工- 相 生

💢高校球界で本格導入に進む7イニング制の是非 指導者たちが漏らした“本音”「ちょっと理解に苦しみます」【現場発】
https://news.yahoo.co.jp/articles/d34a33f965a73e061a4b495cf6105ec859025187?page=1

なぜ7イニング制の導入は進められているのか

タイブレーク制、球数制限、新基準となった低反発の金属バット、夏の甲子園大会の二部制導入……多くの改革が行われている近年の高校野球において、今現在、大きな話題となっているのが、7イニング制についての検討だ。日本高野連は今年1月に「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」を発足。6月30日にはその狙いやメリット、デメリットについてまとめた資料を発表し、アンケート調査も実施(アンケートの収集は7月11日で終了)。すでに10月に行われる国民スポーツ大会が7イニング制で行われることが決定し、12月までには本格的な導入に向けた方針をまとめるとされている。

筆者も現場で取材する際に指導者と7イニング制について話題となる機会が非常に多い。しかし、これまで多くの指導者、あるいは関係者と話す中で、「ぜひ7イニング制にするべき」という意見を聞いたことはない。ある指導者からは「理由もなく9イニングが絶対に良いという意見には賛成できない」という声も聞かれたが、7イニング制に肯定的な意見は少ないというのが大まかな印象である。
その理由として多く聞かれるのが、導入の狙いがよく分からないというものだった。日本高野連がアンケート募集の際に発表した声明によると、7イニング制を検討する背景として、主に以下のような理由が挙げられている(一部抜粋)。

・成長期である部員が、安全に安心して野球に取り組むための対策を講じていく必要がある。
・社会全体で夏季の熱中症リスクが叫ばれる中、夏季に大会を開催することが高校野球関係者以外(社会)からどのように映るのかを認識、自覚する必要がある。
・普段の練習や公式戦開催に伴い、選手・部員・応援生徒・指導者・審判員・観客などの方々に重大事故が発生してから、あるいは国や自治体からの指示を受けてから議論をスタートするのではなく、高校野球関係者が自主自律の姿勢で議論していかなければならない。
・7イニング制を考察するうえでは、熱中症対策は重要なテーマだが、数ある課題の一つである。一方で、熱中症対策は差し迫った喫緊の課題である。

つまりは、夏季に大会を実施する上での熱中症対策が必要であり、選手や関係者の安全面を考慮して検討するということである。加えて各校の野球部員数の減少が顕著にあり、チームによる部員数の差が大きく、連合チームが増えていることもグラフをつけて紹介している。

「暑さ対策なら、そもそも暑い時期を避けて大会を行うというのが一番でしょう。でも…」
 
しかし、一連の課題解消に7イニング制は本当に有用なのだろうか。熱中症対策が喫緊の課題なのであれば、大会を行う時期をずらすという議論はなぜ行われないのだろうか。甲子園出場経験もある指導者もこの点について以下のように話している。

「暑さ対策というのであればそもそも暑い時期を避けて大会を行うというのが一番でしょう。でも、『そうしよう』という声は聞いたことがありません。もちろん夏休みでないと長期の大会は難しいということや、会場の問題もあるかもしれませんが、上手く分散して行うなども検討すべきではないかと思います。

そういったことと並列して、一つの方法として7イニング制も検討するというのであれば理解できますが、いきなり7イニング制だけが先に議論されるというのはちょっと理解に苦しみます。また球数制限の時にも一応加盟校にアンケートはありましたが、それがどのように議論されたかなどのフィードバックはありませんでした。誰がどんな思惑で進めようとしているかは分かりませんが、目的と議論がかみ合っていないように感じます」

冒頭で触れた数々の改革についても、その効果によってどの程度選手への負担が減ったのかという検証結果は公開されていない。にもかかわらず、一方的に9イニングを7イニングにすると言っても、「理解できない」というのは妥当な意見だろう。ただ一方で、現場から声を上げづらいという側面もあるようだ。別の指導者はこう話す。

「何か新しいことを進めようとした時に反対意見を出すと考えが古い、頭が固いと非難されやすい風潮があるように思います。やっぱり9イニングでずっとやってきたところから、2イニング減るというのは多くの人が違和感を持っていると思うのですが、表立って反対とは言いづらい雰囲気がありますね。

絶対9イニングが良いという理由づけも難しいのですが……。ただやっぱり100年以上この形でやってきたわけですし、イニングや人数は野球のベースとなる部分ですので、個人的には7イニングが良いとは思えません。慣れてしまえば違和感はなくなるのかもしれませんが」

暑さ対策以外の目的としては運営側の働き方改革という部分もあるとのことだが、この点に関しては運営にもかかわっている指導者の中で、ぜひそうすべきという声は聞かれなかった。
改めてまとめると、これまでの改革も7イニング制についても、「夏に甲子園球場で全国高校野球選手権を行う」ということを守るために行っている改革という印象は否めない。ただ、そう言い切らないところに現場の関係者たちも気持ちの悪さのようなものを感じているのではないだろうか。

高校野球は100年以上の伝統があり、今年の夏の甲子園大会の開会式でも高野連の寶馨会長が「日本の野球の基盤」と話していた。だが、それだけ影響力が大きいものだからこそ、多くの関係者が納得する形であらゆる議論が進められていくことを望みたい。

📝高校野球“消えた名門公立校”沖縄水産のナゾを追う「飲酒、喫煙は当たり前」超ヤンキー高校がなぜ甲子園の常連に?「賛否両論の名将」栽弘義の正体
https://number.bunshun.jp/articles/-/866778?page=1

かつて高校野球界で輝きを放った名門・沖縄水産が苦しんでいる。1998年の夏を最後に27年間、甲子園出場なし。春・夏合わせて甲子園出場12回、準優勝2回を誇る強豪は、なぜ弱体化してしまったのか。「飲酒、喫煙は当たり前のヤンキー高校」――黎明期から全盛期にかけての知られざる実態と、名将・栽弘義の謎を沖縄現地で追った。

全国レベルの強豪校がなぜ…勝てなくなった沖縄水産
 
あの簡潔なロゴが甲子園のグラウンドを駆け回っていたのが、やけに懐かしく感じる。白地に漢字二文字の「沖水」――このユニフォームが沖縄県内の野球少年たちにとって眩しく見えたのは、四半世紀前までだろうか。

沖縄県立沖縄水産高等学校は、春3回、夏9回の甲子園出場歴を誇る強豪校だった。1984年から88年までは5年連続で夏の甲子園に出場し、90年夏、91年夏は2年連続で準優勝。上原晃(元中日)、平良幸一(元西武)、大野倫(元巨人)、新垣渚(元ソフトバンク)など幾多のプロ野球選手を輩出し「沖縄高校野球界に沖水あり」と謳われてきたが、98年夏の甲子園に出場して以降、27年もの間、聖地から遠ざかっている。
夏の県大会にかぎれば2010年に準決勝で糸満に0対9で敗れて以来、15年もベスト8に残れずにいる。かつて沖縄県の王者として君臨し、全国レベルの強豪校として名を轟かせていた沖縄水産が、どうしてここまで弱体化してしまったのか。

「自らの手でグラウンドを作った男」栽弘義とは何者か
 
沖縄水産を全国有数の強豪校にしたのは、紛れもなく名将・栽弘義の手腕である。高校野球ファンの多くが、沖縄水産=栽監督と認識していると言っても過言ではないだろう。同校の基盤を作り上げ、常勝軍団にしてきた功績は今も燦然と輝く。前任地の豊見城高校では6季連続を含む7度甲子園に出場し、4度のベスト8(75年春、76年夏、77年夏、78年夏)入り。県内で名将の地位を築き上げた栽が、沖縄水産に転任したのは80年の春だった。栽が沖縄水産に移った理由は二つあった。

一つ目は、自由に使用できる広大な敷地を保有していること。二つ目は水産高校のため、全県一区ということで学区制に縛られず全島から生徒を集められること。つまり私学のように自由に選手を獲得できるのだ。公立高校にとって最大懸案事項の二点が解消されることで、栽は沖縄水産で頂点を狙えると確信した。まずは広大な敷地を整備するところから始まった。土木関係の知り合いに声をかけ、ブルドーザーを借りて自ら運転してグラウンド用の土を耕した。土を運ぶためのトラックが何台も往来する。細かな部分はシャベルと鍬を持って自ら地面を掘り返した。沖縄水産へ赴任してからの2年近くは、汗と泥まみれになってグラウンド作りに没頭した。

「飲酒、喫煙は当たり前」誰もが恐れたヤンキー校の実態
 
今から40年以上前、沖縄水産は誰もが震え上がる「ヤンキー高校」としての悪名が轟いていた。共学だが生徒のほとんどが男子。その多くが各中学校で番を張っていた輩で占められ、パンチパーマにヒゲを生やし、カチャカチャと音が鳴るようなエナメル靴で闊歩する。飲酒、喫煙は当たり前。卒業式には校門前に黒塗りのベンツが並び、ドラフト会議のように卒業生が乗せられ、任侠界へとデビューしていく……。そんな都市伝説が流布されるほど、ワルの巣窟とされていた。

この時代を知るOBに話を聞くと、80年代に大ヒットした『ビー・バップ・ハイスクール』の映画を地でいった感じだと例える。中間徹(仲村トオル)と加藤浩志(清水宏次朗)が、中山美穂演じるヒロイン・泉今日子をめぐってケンカと恋に青春をかける不良映画の金字塔だ。しかし残念ながら、沖縄水産には中山美穂のようなマドンナはいなかった。中学生が沖縄水産を受験するために下見に行くと言えば、「中学生があのあたりに行けば恐喝されるか、殴られるかのどっちかだぞ!」と親戚連中から必死の形相で止められる。
校門から校舎までの間にタバコの吸い殻が落ちているのは日常茶飯事で、沖縄水産の不良生徒が国際通りを歩けばみんなが避けて通る。通学に使われるバスは、満員状態でも沖縄水産の指定席である後部座席だけはいつも空いていた。当時、知念高校に通っており、現在は糸満高校の野球部部長を務める新垣隆夫はこう証言する。

「沖水行きのバスとは反対方向でよかったぁと胸をなで下ろしましたね。もし一緒のバスだったらどうなっていたことか(笑)」

OBの証言「栽先生が沖縄野球の基礎を作った」
 
栽はグラウンド作りに励みながら、せっせと各中学校を回った。いい選手がいると聞けば、北は名護から南は糸満まで、どこへでも出向いた。そしてあるひとりのピッチャーと出会う。那覇市立松島中学の比嘉良智。身長は180cm超。がっちりした体格から繰り出されるボールは速くて重い。のちの沖縄県初のドラフト1位指名を受けた投手だ。比嘉は内地の強豪名門校の誘いを断って、もっとも熱心に誘ってくれた栽の沖縄水産へと進学する。結局、一度も甲子園の土を踏めなかった比嘉だが、沖縄水産を常勝にするための基礎作りに青春をかけた。興南の仲田幸司(元阪神)との投げ合いは、70年間の沖縄高校野球史の中でも類を見ない熱戦だった。比嘉はこう話している。

「なぜ(2010年に)興南が春夏連覇できたのか。栽先生が沖縄野球の基礎を作ってくれたからです。栽先生が小禄、豊見城でやってきた指導が底辺に広がった。大学、社会人というルートを作ってくれて、上のレベルでやった教え子たちがいま少年野球を教えている。高校野球の一番の役目は、夢を叶えてあげること。その夢を手助けするのが指導者。栽先生はきちんと全うしました」

比嘉が卒業した84年の夏、沖縄水産は初の甲子園出場を決めた。比嘉のような突出した選手はいなかったが、チームワークで県大会を勝ち進み、見事に甲子園の切符を手にした。栽は、この世代の選手たちに口酸っぱくこう言った。

「個人プレーの延長がチームプレーになるんだ。仲良しプレーをするな。ボールは一個しかない。エラーしたらドンマイと言って負けていいのか。確実にさばく。どんなプレーでも責任を持って確実にさばいていけば、チームワークは後からついてくる。チームワークは育てるものではない」

栽の教えを受けたキャプテンの宮平博が、技術は足りないが精神力の強いヤンチャな選手たちをまとめて勝利に導いた。ただ栽はこの年の甲子園で指揮を執っていない。新聞広告に出たとしてアマ規定に抵触し、83年秋から1年間の謹慎処分を受け、甲子園にはコーチだった神山昴が代理監督として出場している。そして、この翌年の85年に“沖縄の星”上原晃が入学し、沖縄水産の黄金期が形成されていく。

                     <続く>
2025/09/12(金) 21時29分41秒 No.2011 編集 削除