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⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(1回戦)
2日目第1試合 滋賀短大付(滋賀)-敦賀気比(福井) 9:02~11:15
一二三四五六七八九十計HE
滋賀短付000000000 036
敦賀気比21012450X 15150
2日目第2試合 市和歌山(和歌山)-横浜(神奈川) 11:50~14:02
一二三四五六七八九十計HE
横 浜120100000 471
市和歌山000110000 252
2日目第3試合 沖縄尚学(沖縄)-青森山田(青森) 14:36~16:55
一二三四五六七八九十計HE
青森山田000000300 350
沖縄尚学00105000X 690
⚾明日のセンバツ甲子園組み合わせ(3日目 1回戦)
☆ 09:00~ 大垣 日大(岐 阜)-西日本短付(福 岡)
☆☆ 11:30~ 山梨 学院(山 梨)- 天 理 (奈 良)
☆ 14:00~ 壱 岐 (長 崎)-東洋大姫路(兵 庫)
📝消極的だった市和歌山、「負けて元々」の思い切りあれば 高嶋仁の目
https://news.yahoo.co.jp/articles/f06e5703525ef2d1fc429632ff4499485bd00061
■智弁和歌山前監督 高嶋仁の目
(19日、第97回選抜高校野球大会1回戦 横浜4―2市和歌山)
市高(市和歌山)の四回、五回の反撃は見事でした。四回の4番川辺謙信選手の左翼線安打、五回の辻丸佑樹選手の適時打など、早いカウントから振っていったことが得点につながりました。横浜のエース奥村頼人投手が出てくる前に、もう1点取っていれば、試合は分からなかった。
それだけに、前半の消極性が残念でした。市高の良さがなかったように思います。「負けて元々」と思いきっていってほしかった。特に好投手が相手の時は追い込まれたら厳しい。どんどん振っていかないと。
あとは悔いが残るとしたら八回です。1死一塁からフリーで打たせて二ゴロ併殺打。ヒットエンドランやセーフティーバントなど動いてもよかった。最悪二塁に走者を進めておけば、次は4番川辺選手でしたから。
市高は伝統的に投手を中心とした守りのチームです。今回の甲子園でも投手と守りは通用する、打撃が課題だとわかったと思います。この経験を夏に生かしてほしいですね。
横浜は自分のペースで野球をやれていた印象です。ディレード・スチールなどの走塁、継投のタイミング、随所に抜け目がなかったですね。
☝織田翔希に負けん!市和歌山「隠れ150キロ」2年生鮮烈デビュー「思ったより通用」
https://news.yahoo.co.jp/articles/86bc50cccd9d60ed5347caf1c41bed7e632ce8e8
善戦およばず敗れた市和歌山に、新スター誕生の予感があふれた。丹羽涼介投手(2年)が横浜打線を封じ込めた。
救援した3回1死満塁のピンチを、見逃し三振と、遊ゴロで鮮やかに切り抜けた。均整のとれた体格から繰り出す快速球に、スライダー、フォークも切れ味鋭かった。初めての甲子園で、自己最速を4キロ更新する147キロを計測した。
4回に1点を奪われたが、5回以降は1安打無失点とエンジン全開。8回には阿部葉太内野手、奥村頼人投手(ともに3年)と看板打者2人から変化球を落として空振り三振を奪い、自信を深めた。
「強い相手なので、厳しいところに攻めないと打たれると思っていました。気持ちは熱かったけど、頭は冷静でした。意外に通用するな、と思いました」
対戦が決まる前から、同じ2年生右腕の横浜・織田翔希を強烈に意識していた。「負けていられないと思っていました」。だがベンチから、じかに見た織田は想像以上だった。「145キロくらいと思っていたら150を超えてきた。速くてびっくりしました。(スイッチが)入りましたね」。相手も152キロで自己最速をマーク。打っては織田から右安打。逆に織田からは2三振を奪った。ライバル心をむき出しにした。
1年夏からベンチ入り。昨春のセンバツに出場した田辺戦に先発し、敗れた経験が、成長を後押しした。「あのころの自分はメンタルもコントロールも未熟だった。平均球速も遅かった」。そこを克服しての、大きな成長だった。先日の自校での練習試合では150キロも計測。公式戦での大台超えも時間の問題だ。
期待に応える鮮烈な甲子園デビューに、半田真一監督(44)は「一気にいかれてもおかしくない場面だったと思うけど、勇気を持って(攻撃を)切ってくれた。100点じゃないですか」と、ほめたたえた。
昨秋の近畿大会で2連続完封を演じたエース土井源二郎(3年)が、大会前に右肩痛を発症。痛みをこらえて先発したが、初回から打ち込まれた。厳しい展開を好試合に転じさせた丹羽の存在感が光った。
💢「7回制」だけは絶対にやめてほしい。高校野球が「最初で最後の9回制」になる選手が大半なのに【持丸修一 76歳名将の高校野球論】#59
https://news.yahoo.co.jp/articles/39b41988d7561791c06dc546d27ba90f3d187861
先日、耳を疑うようなニュースが飛び込んできました。日本高野連が今秋の滋賀国民スポーツ大会の高校野球で、7回制を導入することを決めたのです。ここ数年で球数制限やタイブレーク制、クーリングタイムなど、さまざまな新ルールが導入されてきました。本件は、高野連にとって「まずはお試し」という感覚なのかもしれません。しかし、近年中に公式戦へ導入することが既定路線になっているようにも思えて、とてつもない不安と危機感を抱いています。
私は7回制だけは絶対にやめてほしいと思う。
野球が最も面白くなるのは七回、八回、九回です。リードを守り切れるか、逆転できるか。初回から積み上げてきた作戦や分析が試合終盤に生きてくる。体力が尽きかける中、意地と意地をぶつけあって勝敗を争う。これこそが、野球の、高校野球の醍醐味ではありませんか。
指導者や選手たちの間でも、7回制を歓迎する声はほとんど聞かれません。実際、日刊スポーツの報道によると今春センバツ出場校の全主将32人に行ったアンケートで「賛成」はゼロだったそうです。当然の結果のように思えてなりません。
たしかに、近年の気温上昇により、夏場の選手の体調管理はますます難しくなっています。炎天下でのプレーを懸念する声が強まっていることも理解できる。しかし、もっと高校球児の声を聞いてみて、それからの改革ではダメなのでしょうか。
そもそも、7回制では2回しか打席に立てない選手も出てきます。当然、代打を送る機会も減る。投手も野手も、グラウンドに立つ機会が大幅に制限されるのです。一方で高野連はなるべく多くの選手を起用することを我々指導者に推奨しているのだから、どうしたらいいのでしょうかね。
また、野球少年たちが9回制を経験できるのは高校野球からです。データによると、2023年の高校3年の野球部員は4万706人ですが、翌24年の大学1年の野球部員はわずか7663人。つまり、高校野球が「最初で最後の9回制」になるケースが大半なのです。
ここで7回制が導入されれば、多くの選手が「本来の野球」を経験しないまま競技を終えてしまう。高校野球は単なる競技ではなく、野球少年たちにとっての夢の舞台です。それを、野球の本質とは異なる形に変えてしまうことが選手、野球文化の発展のためになるのか、より深く考えるべきだと思います。
特に投手の負担を考慮するなら、まずはDH制の導入から検討するのはどうか。私は「甲子園球場」に特別な思い入れがありますが、ドーム球場での開催も選択肢として受け入れられる。
高野連には、現場の声もどんどん取り入れながら慎重に議論を重ねてもらい、高校野球の未来にとって最良となる方策を模索していただきたい。
📝大阪勢「98年ぶりセンバツ出場ナシ」はなぜ起きたのか…「ゼロになってしまったことは申し訳ない」激戦区の名門校たちが敗れた“納得のワケ”
https://news.yahoo.co.jp/articles/85440bfc8af5414d120448e51c3526db63a40c69
実に98年ぶりの珍事――3月18日に開幕したセンバツ高校野球の舞台に、大阪府からの代表校の姿がなかったのだ。過去にはPL学園や大阪桐蔭など、甲子園で春夏連覇も達成し、一時代を築いた名門校も多かった。そんな“高校野球最激戦区”にいま、何が起こっているのだろうか。
会見場での結びの言葉で、何か胸にズシっと錘を乗せられたように感じた。
「大阪(から出場する学校)がゼロになってしまったことは大変申し訳ないという気持ちがあります」
1月24日のセンバツ出場校発表の日、代表校の選考に漏れた大阪学院大高の辻盛英一監督が会見で発した言葉だ。
大阪3位の大阪学院大高は近畿大会でベスト8
昨秋の府大会では3位で近畿大会に出場し、京都3位の北稜に1-0と辛勝ながらも初戦を突破。だが、準々決勝では優勝した東洋大姫路に0-4で敗れた。
東洋大姫路のエース・阪下漣から放った安打は6本。9回には一死、一・二塁と見せ場を作り最後まで攻め立てたが、完封負け。阪下に90球で完封を献上してしまった。
「あの試合で1点でも取っていたら(選考は)変わっていたかも知れないですけど……。大阪3位で、2試合で1得点。近畿大会ではベスト8で終わったので、こういう結果もあるとは思っていました。正直“選ばれたらラッキー”という思いはありました」(辻盛監督)
大阪の1位校として出場した履正社、2位の大阪桐蔭も初戦で敗れた。そんな状況もあって、昨秋の近畿大会が終わった時点で囁かれていたのが「来春のセンバツは98年ぶりに大阪勢の出場なしなのか?」ということだった。
過去には近畿大会「初戦敗退」での選出も?
今から22年前、03年のセンバツでは近畿大会の初戦で大阪勢全3校が敗れるも、1位校だった近大付が選考された過去がある。かように何とか繋いできた連続出場の球歴が、この春で途切れることになった。入道美之大阪府高野連理事長は今回の事態をこう受け止めている。
「結果として近畿大会でこういう形で負けたので、こちらがどうこう言うことはないんですけど……試合でもひとつやり方を変えていれば結果が変わった試合もあったかもしれません。でも、秋の時点では力がなかったからと言うしかないです」
「大阪の高校野球のレベルが下がったのではないか?」という声もちらほら聞いた。ただ、筆者は昨秋の大阪大会は5回戦から取材を続けたが、一見してそこまで大きくレベルが変わったとは感じなかった。
では「大阪勢98年ぶりのセンバツ出場ナシ」には一体、どんな理由があったのだろうか?
<次回へつづく>
💢「マスコミに頭にきてるんです」“変わるセンバツ”で明徳義塾・馬淵史郎監督の変わらない発言力…試合後の怒りのワケは?「牽制なんかしてない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2c3f7c1334475ebaab1ae811ce80fa07b0bd1d77
今年のセンバツはメンツが様変わりした。
98年ぶりに代表を逃した大阪勢。伝統に区切りを迎えたなか、スポーツに特化して創立された沖縄のエナジックスポーツが、創部3年目で初の甲子園切符を掴んだ。
一方で、もちろん常連も顔を揃える。そのひとつが高知の明徳義塾だ。センバツこそ4年ぶりだが、チームを率いる馬淵史郎は春夏合わせて39回目の甲子園となる。これは歴代の監督として最多なのだそうだ。2002年の夏に初の日本一を成し遂げ、監督として通算55勝とキャリアも申し分ない。
なにせ馬淵は策士である。1992年夏に星稜・松井秀喜を5打席連続で敬遠したことで猛烈な非難を浴びたが、それは「そのあとのバッターがスライダーを打てないことがわかっていた」という明確な根拠があってこその作戦だった。
センバツでも健在だった「馬淵節」
世間はそんな抜け目ない名将の野球を注視し、発言の数々に耳を立てる。今年のセンバツでも馬淵節は健在だった。
初戦の相手が昨年優勝の健大高崎に決まると、「うちは負けて元々」と泰然自若としていたという。さらに、最速158キロとも言われる「大会ナンバーワン」ピッチャーの石垣元気が、大会直前に左脇腹を痛めたことを知ると「全然ダメらしいね」と情勢を口にし、開会式のリハーサル前の監督対談では、相手監督の青柳博文に「投げさせないほうがいいんじゃないか」と進言したそうだ。
これらの文脈から紐解けば、馬淵の試合はすでに始まっており、心理戦に持ち込もうとしているのかとも考察できた。
馬淵は試合を目前に控えての囲み取材で、それを匂わすようなことを言っていた。
「連覇狙ってるでしょ。4:6であっちのほうが優勢だけど、うちとしてはやりやすい。心理戦だったり、走塁とかを駆使して勝つこともある。どうなるかわからないですよ」
周りには「石垣に投げてほしい」と受け取られるような含みを抱かせていた馬淵だったが、「100%下重君だと思っていました」と確信があったという。実際に健大高崎の先発は、背番号10の下重賢慎だった。
「1回戦屈指の好カード」と評された試合は、馬淵が「2-0とか1-0の試合をいつも想定している」と睨んでいた通り、1-1のロースコアのままノーアウト一、二塁から始まる延長タイブレークまでもつれ込んだ。緊迫した展開はしかし、1死二、三塁からタイムリーヒットとワイルドピッチで2点を勝ち越され、明徳義塾は1-3で敗れた。
「勝ち進むにはミスしたらダメですよね」
負けてなお潔かった馬淵の表情が強張ったのは、この試合で登板することがなかった石垣への質問を投げかけた時だった。
「勝手に書いてるマスコミに頭きてる」
――組み合わせが決まってから石垣君の名前を出して牽制していたことで、この試合にどんな影響がありましたか?
「牽制なんかしてないよ。勝手に書いてるマスコミに頭きてる」
馬淵が目を見開いて、自らの想いを放つ。「昔から知ってる仲の青柳君やから『無理せんほうがええぞ』と言ったんです。夏もあるし、石垣君本人もプロに行きたいって言っているなら、と正直に言うただけです。脇腹の怪我は本当にきついんですよ。僕なら絶対に投げさせません、ブルペンにも行かせません。ですから、投げさせなくて正解でしたよ」
これまでの一連の発言は、相手エースの将来を案じてのことだったと真意を明かした馬淵が、それこそ報道陣を牽制するようにもう一度、感情をぶつけた。
「だからね、マスコミに頭にきてるんです」
他の報道でも「切り取り」と度々、世間から批判を受けるように、取材対象者に齟齬を指摘されれば襟を正さなければならない。
ただ現金ではあるが、このように誤解を恐れずに自身の考えを言ってのけ、かといって周囲を遠ざけることのない馬淵だからこそ人が集まる。その言動に関心を持つのである。
今や馬淵は、高校野球界における“ご意見番”と称していい存在だ。
昨春から飛ばないバットが導入され、「これから絶対に野球が面白くなる」と豪語していた。議論される高校野球の7イニング制導入の可能性についても、「DH制のほうが先だと思います」と持論をしっかりと述べている。
変わる高校野球…でも「変わらない」馬淵
火種を作るまいと、遠慮しながら当り障りのないコメントを残す指導者や識者が多いなか、馬淵はいつだって己の信念を貫く。その姿は報道陣に限らず、同じ意見を持つ者たちにとっては胸のすく想いなのだ。
だから、試合後には勝とうが負けようが大勢の記者が馬淵を囲む。今日はどんな話が聞けるのだろうか?
我々は、甲子園に最も出ている監督の「発言力」に、夢中なのである。
📝ココリコ・遠藤らの恩師、藤井学園寒川・香川監督が退任 後任は高知中央・太田監督に
https://news.yahoo.co.jp/articles/11aa4c43c027859ee3369b2864d6607e804a8a58
藤井学園寒川・香川智彦監督(67)が3月限りで退任することが18日、分かった。丸亀商(現丸亀城西)、専大を経て、1981年に藤井学園寒川で監督人生をスタート。当時の教え子に西村龍次(元ヤクルトなど)、ココリコ・遠藤章造らがいる。
阿部企業、丸亀城西などで監督を歴任。2005年の創部から率いた英明では10、11年夏など計4度甲子園出場を果たした。20年から再び初任校で指揮を執り、23年には育成功労賞を受賞。20日開幕の春季香川大会が公式戦最後の采配となる。
後任は高知中央・太田弘昭監督(52)が就任。同校に進学予定だった一部の中3生も進路変更を希望。今春の藤井学園寒川は例年の倍近い新入部員を加え、15年夏以来の甲子園を目指す。高知中央の後任監督は山野司氏(56)が就く予定。
📝敦賀気比・東監督への素朴な疑問「退任表明をしながら撤回したのは、待遇が変わったから?」
https://news.yahoo.co.jp/articles/45389291b7ef57e1895fb44283a8fba430f5931a
東哲平監督(敦賀気比/44歳)
19日、第1試合で滋賀短大付(滋賀)と対戦するのが敦賀気比(福井)だ。チームを率いる東哲平監督は2011年に就任。15年春にセンバツ初優勝、21年春から5季連続で甲子園出場の実績もある。しかし、23年夏の県大会準々決勝で敗れた直後、退任表明。学校側の慰留もあり、続投となったが、何があったのか。
─退任表明の前までは春夏5季連続で甲子園出場。なぜ、一回、甲子園に行けなかっただけで……と思っている高校野球ファンは少なくない。
「あの代の子たちは夏の甲子園優勝を狙っていたチームだったんですが、部員に新型コロナの感染者が大量に出てしまった。その時に僕ら指導者の対応が悪かったこともあり、ベストの状態で県大会に臨ませてやれなかったんです。そうした反省に加えて、もともと僕は監督になってからは『10年で一区切りをつけよう』と思っていた。その2つが重なって、退任の申し出となりました」
──当時は監督就任13年目。県大会の結果に限らず、どこかで区切りをつけようという気持ちはあったと。
「それはありましたよ」
──突然の退任表明に部員や学校サイドも驚いたのでは。
「そうなんですかね? そこはよくわからないです」
──部員から慰留の声などは。
「そこもわからないですね。少なくとも、僕は全然、聞いてないです」
──学校からは、どのような形で慰留されましたか?
「どんなというか……とにかく『続けてほしい』とは何度も言われました。でも、僕も辞めるつもりでしたから」
──学校側とはどんな話を?
「例えば、これからの野球部のこと。『次の監督になる人が、やりやすい形でお願いします』などと話しました。引き継ぎの下準備? それはしていません。後任が誰かは僕ではなく、学校が決めることですから」
──それでも最終的には退任を撤回。決め手となったのは?
「まあ……僕もいろいろな人に相談をしましたし、学校とも話し合いを重ねました。その上で野球部の今後についても意見を交わし、自分の中で納得したので『もう一回、監督をやってもいいかな』と思えたので」
──退任表明から続投まで約2週間。その間に、他校から勧誘の声などはあったのですか?
「ないことはなかった、ですね。でも、他の学校で指導をしようという気持ちはさらさらありませんでしたから。その時は『10年一区切り』ということを考えていましたからね」
──退任表明の前と後で、指導法で変えた部分などはありますか?
「それはありません。とにかく今は、甲子園に出て全国制覇を狙えるチームをつくることだけしか考えていないので」
──ちなみに、続投した後に待遇が変わったりしたのですか?
「待遇?」
──例えば給料とか……。
「変わってないです。そういう話は一切、学校とはしていないので」
⚾岩手さんへ
昨日はまだ3塁内野席にいたので延長戦の突然の雨にも上段へ緊急避難して凌ぎました・・・。帰りが暴風で危険だし、1時間強あれば帰宅できるので阪神高速のガード下で待機してました。
明徳ブラスバンド部員などが記念撮影してサッサとバスは帰りましたが、健大高崎は19時前まで粘ってましたね・・・・。
しかし、アルプスや外野席で観戦の方々はずぶ濡れだったと思います。今日は外野観戦でしたが、7時前に雪がチラついたし、レフトスタンドから見える六甲山は雪化粧が!!
なんとか雨は大丈夫と思いきや16時30分過ぎに小雨が来ましたね・・・・・。
体感としては昨日よりも今日の方が相当寒かったですね!!
とりあえず火事は終息に向かっているようで何よりです。
今日は近畿2校出ましたが、、、ダメでしたね。
横浜の昨秋の公式戦の戦績観ていたら5点以内の差には収まると読んでました。
0-4と差が開き、あるいは第1試合同様ワンサイドも覚悟しましたが、2年生丹羽投手が好リリーフで昨春の田辺2-4星稜と同じスコアに収まりました。
地元のWBS和歌山放送では、MBS製作で実況生中継してました!アナウンサー歴40年の平井 理弘アナが解説の関西学院・広岡監督のお父さん(前監督)と初コンビでした。
夏の紀三井寺ではよく噛んでますが、今日はいつになく流暢な語り口で甲子園を満喫されてました(笑)これで平井アナウンスセミナー受講者も大幅増かも!?
なんとか和智弁が初戦突破して2年連続和歌山県勢アベック初戦敗退だけは避けたいです!!
P・S 今日はスコアボードに五十子くん(いがっこ・敦賀気比)そして懐かしい名前の沖縄尚学・阿波根(アハゴン)くんの名前が刻まれました。
アハゴンくんは2002年中部商が開幕試合で帝京に負けた時に熱闘甲子園で取り上げられていたので・・・。
2日目第1試合 滋賀短大付(滋賀)-敦賀気比(福井) 9:02~11:15
一二三四五六七八九十計HE
滋賀短付000000000 036
敦賀気比21012450X 15150
2日目第2試合 市和歌山(和歌山)-横浜(神奈川) 11:50~14:02
一二三四五六七八九十計HE
横 浜120100000 471
市和歌山000110000 252
2日目第3試合 沖縄尚学(沖縄)-青森山田(青森) 14:36~16:55
一二三四五六七八九十計HE
青森山田000000300 350
沖縄尚学00105000X 690
⚾明日のセンバツ甲子園組み合わせ(3日目 1回戦)
☆ 09:00~ 大垣 日大(岐 阜)-西日本短付(福 岡)
☆☆ 11:30~ 山梨 学院(山 梨)- 天 理 (奈 良)
☆ 14:00~ 壱 岐 (長 崎)-東洋大姫路(兵 庫)
📝消極的だった市和歌山、「負けて元々」の思い切りあれば 高嶋仁の目
https://news.yahoo.co.jp/articles/f06e5703525ef2d1fc429632ff4499485bd00061
■智弁和歌山前監督 高嶋仁の目
(19日、第97回選抜高校野球大会1回戦 横浜4―2市和歌山)
市高(市和歌山)の四回、五回の反撃は見事でした。四回の4番川辺謙信選手の左翼線安打、五回の辻丸佑樹選手の適時打など、早いカウントから振っていったことが得点につながりました。横浜のエース奥村頼人投手が出てくる前に、もう1点取っていれば、試合は分からなかった。
それだけに、前半の消極性が残念でした。市高の良さがなかったように思います。「負けて元々」と思いきっていってほしかった。特に好投手が相手の時は追い込まれたら厳しい。どんどん振っていかないと。
あとは悔いが残るとしたら八回です。1死一塁からフリーで打たせて二ゴロ併殺打。ヒットエンドランやセーフティーバントなど動いてもよかった。最悪二塁に走者を進めておけば、次は4番川辺選手でしたから。
市高は伝統的に投手を中心とした守りのチームです。今回の甲子園でも投手と守りは通用する、打撃が課題だとわかったと思います。この経験を夏に生かしてほしいですね。
横浜は自分のペースで野球をやれていた印象です。ディレード・スチールなどの走塁、継投のタイミング、随所に抜け目がなかったですね。
☝織田翔希に負けん!市和歌山「隠れ150キロ」2年生鮮烈デビュー「思ったより通用」
https://news.yahoo.co.jp/articles/86bc50cccd9d60ed5347caf1c41bed7e632ce8e8
善戦およばず敗れた市和歌山に、新スター誕生の予感があふれた。丹羽涼介投手(2年)が横浜打線を封じ込めた。
救援した3回1死満塁のピンチを、見逃し三振と、遊ゴロで鮮やかに切り抜けた。均整のとれた体格から繰り出す快速球に、スライダー、フォークも切れ味鋭かった。初めての甲子園で、自己最速を4キロ更新する147キロを計測した。
4回に1点を奪われたが、5回以降は1安打無失点とエンジン全開。8回には阿部葉太内野手、奥村頼人投手(ともに3年)と看板打者2人から変化球を落として空振り三振を奪い、自信を深めた。
「強い相手なので、厳しいところに攻めないと打たれると思っていました。気持ちは熱かったけど、頭は冷静でした。意外に通用するな、と思いました」
対戦が決まる前から、同じ2年生右腕の横浜・織田翔希を強烈に意識していた。「負けていられないと思っていました」。だがベンチから、じかに見た織田は想像以上だった。「145キロくらいと思っていたら150を超えてきた。速くてびっくりしました。(スイッチが)入りましたね」。相手も152キロで自己最速をマーク。打っては織田から右安打。逆に織田からは2三振を奪った。ライバル心をむき出しにした。
1年夏からベンチ入り。昨春のセンバツに出場した田辺戦に先発し、敗れた経験が、成長を後押しした。「あのころの自分はメンタルもコントロールも未熟だった。平均球速も遅かった」。そこを克服しての、大きな成長だった。先日の自校での練習試合では150キロも計測。公式戦での大台超えも時間の問題だ。
期待に応える鮮烈な甲子園デビューに、半田真一監督(44)は「一気にいかれてもおかしくない場面だったと思うけど、勇気を持って(攻撃を)切ってくれた。100点じゃないですか」と、ほめたたえた。
昨秋の近畿大会で2連続完封を演じたエース土井源二郎(3年)が、大会前に右肩痛を発症。痛みをこらえて先発したが、初回から打ち込まれた。厳しい展開を好試合に転じさせた丹羽の存在感が光った。
💢「7回制」だけは絶対にやめてほしい。高校野球が「最初で最後の9回制」になる選手が大半なのに【持丸修一 76歳名将の高校野球論】#59
https://news.yahoo.co.jp/articles/39b41988d7561791c06dc546d27ba90f3d187861
先日、耳を疑うようなニュースが飛び込んできました。日本高野連が今秋の滋賀国民スポーツ大会の高校野球で、7回制を導入することを決めたのです。ここ数年で球数制限やタイブレーク制、クーリングタイムなど、さまざまな新ルールが導入されてきました。本件は、高野連にとって「まずはお試し」という感覚なのかもしれません。しかし、近年中に公式戦へ導入することが既定路線になっているようにも思えて、とてつもない不安と危機感を抱いています。
私は7回制だけは絶対にやめてほしいと思う。
野球が最も面白くなるのは七回、八回、九回です。リードを守り切れるか、逆転できるか。初回から積み上げてきた作戦や分析が試合終盤に生きてくる。体力が尽きかける中、意地と意地をぶつけあって勝敗を争う。これこそが、野球の、高校野球の醍醐味ではありませんか。
指導者や選手たちの間でも、7回制を歓迎する声はほとんど聞かれません。実際、日刊スポーツの報道によると今春センバツ出場校の全主将32人に行ったアンケートで「賛成」はゼロだったそうです。当然の結果のように思えてなりません。
たしかに、近年の気温上昇により、夏場の選手の体調管理はますます難しくなっています。炎天下でのプレーを懸念する声が強まっていることも理解できる。しかし、もっと高校球児の声を聞いてみて、それからの改革ではダメなのでしょうか。
そもそも、7回制では2回しか打席に立てない選手も出てきます。当然、代打を送る機会も減る。投手も野手も、グラウンドに立つ機会が大幅に制限されるのです。一方で高野連はなるべく多くの選手を起用することを我々指導者に推奨しているのだから、どうしたらいいのでしょうかね。
また、野球少年たちが9回制を経験できるのは高校野球からです。データによると、2023年の高校3年の野球部員は4万706人ですが、翌24年の大学1年の野球部員はわずか7663人。つまり、高校野球が「最初で最後の9回制」になるケースが大半なのです。
ここで7回制が導入されれば、多くの選手が「本来の野球」を経験しないまま競技を終えてしまう。高校野球は単なる競技ではなく、野球少年たちにとっての夢の舞台です。それを、野球の本質とは異なる形に変えてしまうことが選手、野球文化の発展のためになるのか、より深く考えるべきだと思います。
特に投手の負担を考慮するなら、まずはDH制の導入から検討するのはどうか。私は「甲子園球場」に特別な思い入れがありますが、ドーム球場での開催も選択肢として受け入れられる。
高野連には、現場の声もどんどん取り入れながら慎重に議論を重ねてもらい、高校野球の未来にとって最良となる方策を模索していただきたい。
📝大阪勢「98年ぶりセンバツ出場ナシ」はなぜ起きたのか…「ゼロになってしまったことは申し訳ない」激戦区の名門校たちが敗れた“納得のワケ”
https://news.yahoo.co.jp/articles/85440bfc8af5414d120448e51c3526db63a40c69
実に98年ぶりの珍事――3月18日に開幕したセンバツ高校野球の舞台に、大阪府からの代表校の姿がなかったのだ。過去にはPL学園や大阪桐蔭など、甲子園で春夏連覇も達成し、一時代を築いた名門校も多かった。そんな“高校野球最激戦区”にいま、何が起こっているのだろうか。
会見場での結びの言葉で、何か胸にズシっと錘を乗せられたように感じた。
「大阪(から出場する学校)がゼロになってしまったことは大変申し訳ないという気持ちがあります」
1月24日のセンバツ出場校発表の日、代表校の選考に漏れた大阪学院大高の辻盛英一監督が会見で発した言葉だ。
大阪3位の大阪学院大高は近畿大会でベスト8
昨秋の府大会では3位で近畿大会に出場し、京都3位の北稜に1-0と辛勝ながらも初戦を突破。だが、準々決勝では優勝した東洋大姫路に0-4で敗れた。
東洋大姫路のエース・阪下漣から放った安打は6本。9回には一死、一・二塁と見せ場を作り最後まで攻め立てたが、完封負け。阪下に90球で完封を献上してしまった。
「あの試合で1点でも取っていたら(選考は)変わっていたかも知れないですけど……。大阪3位で、2試合で1得点。近畿大会ではベスト8で終わったので、こういう結果もあるとは思っていました。正直“選ばれたらラッキー”という思いはありました」(辻盛監督)
大阪の1位校として出場した履正社、2位の大阪桐蔭も初戦で敗れた。そんな状況もあって、昨秋の近畿大会が終わった時点で囁かれていたのが「来春のセンバツは98年ぶりに大阪勢の出場なしなのか?」ということだった。
過去には近畿大会「初戦敗退」での選出も?
今から22年前、03年のセンバツでは近畿大会の初戦で大阪勢全3校が敗れるも、1位校だった近大付が選考された過去がある。かように何とか繋いできた連続出場の球歴が、この春で途切れることになった。入道美之大阪府高野連理事長は今回の事態をこう受け止めている。
「結果として近畿大会でこういう形で負けたので、こちらがどうこう言うことはないんですけど……試合でもひとつやり方を変えていれば結果が変わった試合もあったかもしれません。でも、秋の時点では力がなかったからと言うしかないです」
「大阪の高校野球のレベルが下がったのではないか?」という声もちらほら聞いた。ただ、筆者は昨秋の大阪大会は5回戦から取材を続けたが、一見してそこまで大きくレベルが変わったとは感じなかった。
では「大阪勢98年ぶりのセンバツ出場ナシ」には一体、どんな理由があったのだろうか?
<次回へつづく>
💢「マスコミに頭にきてるんです」“変わるセンバツ”で明徳義塾・馬淵史郎監督の変わらない発言力…試合後の怒りのワケは?「牽制なんかしてない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2c3f7c1334475ebaab1ae811ce80fa07b0bd1d77
今年のセンバツはメンツが様変わりした。
98年ぶりに代表を逃した大阪勢。伝統に区切りを迎えたなか、スポーツに特化して創立された沖縄のエナジックスポーツが、創部3年目で初の甲子園切符を掴んだ。
一方で、もちろん常連も顔を揃える。そのひとつが高知の明徳義塾だ。センバツこそ4年ぶりだが、チームを率いる馬淵史郎は春夏合わせて39回目の甲子園となる。これは歴代の監督として最多なのだそうだ。2002年の夏に初の日本一を成し遂げ、監督として通算55勝とキャリアも申し分ない。
なにせ馬淵は策士である。1992年夏に星稜・松井秀喜を5打席連続で敬遠したことで猛烈な非難を浴びたが、それは「そのあとのバッターがスライダーを打てないことがわかっていた」という明確な根拠があってこその作戦だった。
センバツでも健在だった「馬淵節」
世間はそんな抜け目ない名将の野球を注視し、発言の数々に耳を立てる。今年のセンバツでも馬淵節は健在だった。
初戦の相手が昨年優勝の健大高崎に決まると、「うちは負けて元々」と泰然自若としていたという。さらに、最速158キロとも言われる「大会ナンバーワン」ピッチャーの石垣元気が、大会直前に左脇腹を痛めたことを知ると「全然ダメらしいね」と情勢を口にし、開会式のリハーサル前の監督対談では、相手監督の青柳博文に「投げさせないほうがいいんじゃないか」と進言したそうだ。
これらの文脈から紐解けば、馬淵の試合はすでに始まっており、心理戦に持ち込もうとしているのかとも考察できた。
馬淵は試合を目前に控えての囲み取材で、それを匂わすようなことを言っていた。
「連覇狙ってるでしょ。4:6であっちのほうが優勢だけど、うちとしてはやりやすい。心理戦だったり、走塁とかを駆使して勝つこともある。どうなるかわからないですよ」
周りには「石垣に投げてほしい」と受け取られるような含みを抱かせていた馬淵だったが、「100%下重君だと思っていました」と確信があったという。実際に健大高崎の先発は、背番号10の下重賢慎だった。
「1回戦屈指の好カード」と評された試合は、馬淵が「2-0とか1-0の試合をいつも想定している」と睨んでいた通り、1-1のロースコアのままノーアウト一、二塁から始まる延長タイブレークまでもつれ込んだ。緊迫した展開はしかし、1死二、三塁からタイムリーヒットとワイルドピッチで2点を勝ち越され、明徳義塾は1-3で敗れた。
「勝ち進むにはミスしたらダメですよね」
負けてなお潔かった馬淵の表情が強張ったのは、この試合で登板することがなかった石垣への質問を投げかけた時だった。
「勝手に書いてるマスコミに頭きてる」
――組み合わせが決まってから石垣君の名前を出して牽制していたことで、この試合にどんな影響がありましたか?
「牽制なんかしてないよ。勝手に書いてるマスコミに頭きてる」
馬淵が目を見開いて、自らの想いを放つ。「昔から知ってる仲の青柳君やから『無理せんほうがええぞ』と言ったんです。夏もあるし、石垣君本人もプロに行きたいって言っているなら、と正直に言うただけです。脇腹の怪我は本当にきついんですよ。僕なら絶対に投げさせません、ブルペンにも行かせません。ですから、投げさせなくて正解でしたよ」
これまでの一連の発言は、相手エースの将来を案じてのことだったと真意を明かした馬淵が、それこそ報道陣を牽制するようにもう一度、感情をぶつけた。
「だからね、マスコミに頭にきてるんです」
他の報道でも「切り取り」と度々、世間から批判を受けるように、取材対象者に齟齬を指摘されれば襟を正さなければならない。
ただ現金ではあるが、このように誤解を恐れずに自身の考えを言ってのけ、かといって周囲を遠ざけることのない馬淵だからこそ人が集まる。その言動に関心を持つのである。
今や馬淵は、高校野球界における“ご意見番”と称していい存在だ。
昨春から飛ばないバットが導入され、「これから絶対に野球が面白くなる」と豪語していた。議論される高校野球の7イニング制導入の可能性についても、「DH制のほうが先だと思います」と持論をしっかりと述べている。
変わる高校野球…でも「変わらない」馬淵
火種を作るまいと、遠慮しながら当り障りのないコメントを残す指導者や識者が多いなか、馬淵はいつだって己の信念を貫く。その姿は報道陣に限らず、同じ意見を持つ者たちにとっては胸のすく想いなのだ。
だから、試合後には勝とうが負けようが大勢の記者が馬淵を囲む。今日はどんな話が聞けるのだろうか?
我々は、甲子園に最も出ている監督の「発言力」に、夢中なのである。
📝ココリコ・遠藤らの恩師、藤井学園寒川・香川監督が退任 後任は高知中央・太田監督に
https://news.yahoo.co.jp/articles/11aa4c43c027859ee3369b2864d6607e804a8a58
藤井学園寒川・香川智彦監督(67)が3月限りで退任することが18日、分かった。丸亀商(現丸亀城西)、専大を経て、1981年に藤井学園寒川で監督人生をスタート。当時の教え子に西村龍次(元ヤクルトなど)、ココリコ・遠藤章造らがいる。
阿部企業、丸亀城西などで監督を歴任。2005年の創部から率いた英明では10、11年夏など計4度甲子園出場を果たした。20年から再び初任校で指揮を執り、23年には育成功労賞を受賞。20日開幕の春季香川大会が公式戦最後の采配となる。
後任は高知中央・太田弘昭監督(52)が就任。同校に進学予定だった一部の中3生も進路変更を希望。今春の藤井学園寒川は例年の倍近い新入部員を加え、15年夏以来の甲子園を目指す。高知中央の後任監督は山野司氏(56)が就く予定。
📝敦賀気比・東監督への素朴な疑問「退任表明をしながら撤回したのは、待遇が変わったから?」
https://news.yahoo.co.jp/articles/45389291b7ef57e1895fb44283a8fba430f5931a
東哲平監督(敦賀気比/44歳)
19日、第1試合で滋賀短大付(滋賀)と対戦するのが敦賀気比(福井)だ。チームを率いる東哲平監督は2011年に就任。15年春にセンバツ初優勝、21年春から5季連続で甲子園出場の実績もある。しかし、23年夏の県大会準々決勝で敗れた直後、退任表明。学校側の慰留もあり、続投となったが、何があったのか。
─退任表明の前までは春夏5季連続で甲子園出場。なぜ、一回、甲子園に行けなかっただけで……と思っている高校野球ファンは少なくない。
「あの代の子たちは夏の甲子園優勝を狙っていたチームだったんですが、部員に新型コロナの感染者が大量に出てしまった。その時に僕ら指導者の対応が悪かったこともあり、ベストの状態で県大会に臨ませてやれなかったんです。そうした反省に加えて、もともと僕は監督になってからは『10年で一区切りをつけよう』と思っていた。その2つが重なって、退任の申し出となりました」
──当時は監督就任13年目。県大会の結果に限らず、どこかで区切りをつけようという気持ちはあったと。
「それはありましたよ」
──突然の退任表明に部員や学校サイドも驚いたのでは。
「そうなんですかね? そこはよくわからないです」
──部員から慰留の声などは。
「そこもわからないですね。少なくとも、僕は全然、聞いてないです」
──学校からは、どのような形で慰留されましたか?
「どんなというか……とにかく『続けてほしい』とは何度も言われました。でも、僕も辞めるつもりでしたから」
──学校側とはどんな話を?
「例えば、これからの野球部のこと。『次の監督になる人が、やりやすい形でお願いします』などと話しました。引き継ぎの下準備? それはしていません。後任が誰かは僕ではなく、学校が決めることですから」
──それでも最終的には退任を撤回。決め手となったのは?
「まあ……僕もいろいろな人に相談をしましたし、学校とも話し合いを重ねました。その上で野球部の今後についても意見を交わし、自分の中で納得したので『もう一回、監督をやってもいいかな』と思えたので」
──退任表明から続投まで約2週間。その間に、他校から勧誘の声などはあったのですか?
「ないことはなかった、ですね。でも、他の学校で指導をしようという気持ちはさらさらありませんでしたから。その時は『10年一区切り』ということを考えていましたからね」
──退任表明の前と後で、指導法で変えた部分などはありますか?
「それはありません。とにかく今は、甲子園に出て全国制覇を狙えるチームをつくることだけしか考えていないので」
──ちなみに、続投した後に待遇が変わったりしたのですか?
「待遇?」
──例えば給料とか……。
「変わってないです。そういう話は一切、学校とはしていないので」
⚾岩手さんへ
昨日はまだ3塁内野席にいたので延長戦の突然の雨にも上段へ緊急避難して凌ぎました・・・。帰りが暴風で危険だし、1時間強あれば帰宅できるので阪神高速のガード下で待機してました。
明徳ブラスバンド部員などが記念撮影してサッサとバスは帰りましたが、健大高崎は19時前まで粘ってましたね・・・・。
しかし、アルプスや外野席で観戦の方々はずぶ濡れだったと思います。今日は外野観戦でしたが、7時前に雪がチラついたし、レフトスタンドから見える六甲山は雪化粧が!!
なんとか雨は大丈夫と思いきや16時30分過ぎに小雨が来ましたね・・・・・。
体感としては昨日よりも今日の方が相当寒かったですね!!
とりあえず火事は終息に向かっているようで何よりです。
今日は近畿2校出ましたが、、、ダメでしたね。
横浜の昨秋の公式戦の戦績観ていたら5点以内の差には収まると読んでました。
0-4と差が開き、あるいは第1試合同様ワンサイドも覚悟しましたが、2年生丹羽投手が好リリーフで昨春の田辺2-4星稜と同じスコアに収まりました。
地元のWBS和歌山放送では、MBS製作で実況生中継してました!アナウンサー歴40年の平井 理弘アナが解説の関西学院・広岡監督のお父さん(前監督)と初コンビでした。
夏の紀三井寺ではよく噛んでますが、今日はいつになく流暢な語り口で甲子園を満喫されてました(笑)これで平井アナウンスセミナー受講者も大幅増かも!?
なんとか和智弁が初戦突破して2年連続和歌山県勢アベック初戦敗退だけは避けたいです!!
P・S 今日はスコアボードに五十子くん(いがっこ・敦賀気比)そして懐かしい名前の沖縄尚学・阿波根(アハゴン)くんの名前が刻まれました。
アハゴンくんは2002年中部商が開幕試合で帝京に負けた時に熱闘甲子園で取り上げられていたので・・・。