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📝2025年京滋大学野球春季リーグ日程表
https://x.com/kbl_1part/status/1900519960495149207/photo/1
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しかし、開幕戦が守山市民とは・・・。わかさS京都か皇子山と思っていたので、、、
地味にあやべ&甲賀市民そして近江八幡でも試合組んでますね!!
特に2部では4/12・13と10時から3試合で第3試合は16時開始予定とナイター覚悟のようだし!!
ただ、近江八幡は駅から相当離れているし、レンタサイクルはあるけど行かないだろうなあきっと。いつか滋賀新球団が試合すればその時がチャンスかな!?
☝初出場の滋賀短大付、保木監督がノック3連続空振り 新ユニホーム披露…甲子園練習
https://news.yahoo.co.jp/articles/c421d108952abd1f43341a4272cc4f7667fe21b2
第97回センバツ高校野球大会に向けた甲子園練習が14日に行われた。春夏通じて初出場の滋賀短大付は、昨日、届いたばかりだという新ユニホームで登場。「『どこ?』ってなるので、分かりやすくしました」(保木淳監督)と、これまで左胸にあった縦書きの「滋短附」を、横書きの「滋賀短大附」に変更した。
30分間の練習は、1か月以上前から予定を練り、実戦形式の練習を中心に行った。初の聖地でも選手は「思ったより普通にやっていた」が、指揮官はノックで3連続空振り。「僕も普通のつもりだったんですけど、そうではなかったのはあそこで気付きました」と、苦笑いで振り返った。
滋賀短大付は、昨秋の滋賀県大会で準優勝し、近畿大会初戦では大阪王者の履正社を撃破。近畿8強で甲子園切符をつかんだ。それでもナインは、日頃から「自分たちは強くない」と言い合いながら大会に向け練習。初出場初勝利を目指し、初戦、昨秋神宮大会4強の敦賀気比(福井)に挑む。
✌甲子園練習で元高野連審判・滋賀短大付監督が球審役に「シンプルに審判したかった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/cbfaec88ef6f54155ee3c80eae76d23a443315a7
甲子園初出場の滋賀短大付に14日、甲子園練習では異例の球審役が登場した。実戦形式の練習で、大窪玲輝捕手(3年)の真後ろで、同じ白のユニホームに同じ紫色のアンダーシャツ姿で防具も装着。その正体は、保木淳監督(39)だった。龍谷大在学時の約20年前に、地元滋賀県の高野連審判を務めた。甲子園出場決定直後には、聖地での練習での指導を、球審の視点から行うことを想定したという。「投手がどういうボールを投げるか、キャッチャーからの景色、見えるものがあるので見たかった。あと、シンプルに審判したかった(笑い)」と明かした。
昼過ぎから始まり、走者を置いた実戦形式の練習を行った。「子供たちには『午後からで、内野が多分荒れているし、ノックをやっても試合の土の状態ではないから、それなら甲子園で守る景色、走る景色、打つ景色など景色に集中して練習しよう』というテーマで臨んだ」と振り返った。
この日は、校名が縦書きから横書きになった新ユニホームをお披露目。「『滋賀短大付属』でわかりやすいようにしました」。昨秋までは「滋短附」と縦書きだったが、「シタンフでは、どこ?ってなるので、わかりやすいように」と説明した。
☝東海大札幌が甲子園練習で新ユニホーム披露「ラベンダーブルーに」遠藤愛義監督
https://news.yahoo.co.jp/articles/a39f5082e25733467475bb9bf2dc9c3deca262ef
第97回選抜高校野球大会に10年ぶりに出場する東海大札幌(北海道)が14日、甲子園練習に臨んだ。ベースランニングからスタートし、ボール回し、シートノック、シート打撃を行った。新調したユニホームをお披露目。青味が増したデザインで、新戦闘服を着た遠藤愛義監督(40)は「ちょっと紫調にした。学校にラベンダー畑があるので、“ラベンダーブルー”に」と説明した。
昨夏就任した指揮官は、コーチを務めていた母校の東海大相模(神奈川)が優勝した21年センバツ以来の聖地。この日の練習も「相模と一緒。まずグラウンドの中を全力で走ること」と、日本一を知るチームのルーティンを参考に実践した。ナインの様子を「すごい一生懸命やっていた。やっぱり緊張していて、いつも通りではなかった。本番も同じようになる。今日感じられて良かった」と見守った。
初戦は出場校最後の登場で、23日に日本航空石川と対戦する。マウンドの感覚を確かめたエース矢吹太寛投手(3年)は「実際立ってみて、自分はいつも通りできた。投げやすかったし、バックスクリーンまで広く感じた。もっと成長して初戦を迎えたい」と口にした。
🎤<甲子園優勝監督に聞く>5打席敬遠「今はやらない」 明徳義塾の馬淵史郎監督
https://news.yahoo.co.jp/articles/536aecc5aefa1585a12202827f10aaddc74eb8c5
第97回選抜高校野球大会に4年ぶり21回目の出場を決めた明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督(69)は、今大会で監督として歴代単独最多39回目の甲子園出場となる。2002年夏の全国制覇を含めて歴代4位の春夏通算55勝を挙げ、23年に高校日本代表監督としてU18ワールドカップで「世界一」となった勝負師は、現代の高校野球にどう向き合っているのか。
◇時代の流れに合わせて指導法も変化
――1990年8月に明徳義塾の監督に就任してから、途中で退任していた1年間(05年8月~06年8月)を除いてチームをずっと率いてきました。高校生をどう指導してきましたか。
◆時代の流れというか、子供の考え方が私たちの世代とは全然違います。40代、50代の親とも全然違う。彼らは裕福に育っている。
私は中学2年まで愛媛県八幡浜市の沖合にある大島で育ったが、当時は水道が通っていなくて井戸水を使い、小学生の高学年でバナナを初めて食べて感動した。家には防空頭巾があり、戦争の色が残っていた。高校で親にグラブを買ってもらい、スパイクを含めて破れたら縫って3年間使った。物がないから大切に使ったし、だから愛着が生まれたし、愛着があるから継ぎはぎをしても使った。
今は半年か1年でグラブを買い替える選手もいます。経済的に恵まれているから、根本的な考え方が違う。そこは今というより、監督就任当初からそうだった。子供たちには「物を大事にしろ」「用具を大切にしろ」と言い続けています。
――35年近い監督生活で、時代に合わせて指導を変えましたか。
◆昔のやり方が全ていいとは思わないし、変えるべきところは変えないとそっぽを向かれる。私も当初はスパルタで、練習量を重視して質を考えなかったが、今は「俺についてこい」ではついてこない。60歳を過ぎてから時代に合った指導をしないといけないと心掛けてきました。高校野球も変化の連続。例えば、延長戦は元々は無制限だったが、延長十八回制になり、延長十五回制になり、タイブレーク導入。それに合わせて練習方法を変えないといけない。
――教え方で具体的に変えた部分は。
◆情報があふれているから、今の子は頭でっかち。パワーもないのに、ユーチューブなど動画で見た大谷翔平選手(米大リーグ・ドジャース)の打撃をまねする。「体力があるならまねてもいいが、ないならやめろ。打てないから」と注意しています。私はピカソをよく例に出して「ピカソの絵は独特だが、20歳の頃の絵は写真みたいだ。高校生の今は人間としても野球選手としても基礎を学ぶ時期だ」と説明しています。昔は説明せずに「体で覚えろ」と練習させたが、今は理屈を説明して頭で分からせてから体で覚えさせます。
野球はある日突然上手になる。それがいつ来るか、本人も指導者も分からない。だけど、一生懸命やらないと「ある日」は来ない。昔に比べて今の子は辛抱できない。「『棚からぼた餅』というが、落ちてきたぼた餅を食べられるのは棚の一番近くにいた人。遠くにいてはだめ」と説いています。
◇「さわやかなら長髪でもいい」
――SNSなどを活用していますか。
◆4、5年ほど前から全校生徒にiPadが学校から貸与されたので、対戦相手の映像は全体ミーティングで1回見るが、後は選手個人でiPadで検索して研究してほしいとやらせています。彼らもそのような形で取り扱えないと、世の中に取り残されてしまう。
――近年は甲子園で選手の髪形が長髪のチームが散見されますが、明徳義塾は丸刈りのままですね。
◆私は髪形にこだわりません。さわやかであれば長髪でもいい。ただし、夏は暑いから長髪だと邪魔では。うちは全寮制だし、風呂も丸刈りなら短時間で済む。うちは髪形に決まりはないし、私は何も言わないが、部員たちが伝統的に丸刈りにしています。
――92年夏の甲子園の2回戦で星稜(石川)と対戦した際、相手の4番・松井秀喜選手(米大リーグ・ヤンキースGM付特別アドバイザー)を5打席連続敬遠し、「勝利至上主義」などの批判が起きて騒動になりました。今後、もし松井選手クラスの強打者と対戦したら、また全打席敬遠をしますか。
◆今はやらない。投手がいるから。今大会は池崎安侍朗(2年)という左腕エースがいる。(過去に明徳義塾のエースだった)松下建太(元西武)、岸潤一郎(西武)らがいたら敬遠しなかった。当時はエースの岡村憲二(明治安田監督)が肘痛で投げられず、2番手投手では松井選手を抑えられないと判断しました。ただ、間違ったことをしたとは思っていない。全打席敬遠は当初考えなかったが、ルールブックに試合の目的は「勝つことが目的」と書いており、勝てるチャンスがあったからやったのです。
◇「野球学校はだめ」
――一方、高校野球で残すべきものは何だと思いますか。
◆精神的な部分は残したい。なぜ高校野球がここまで発展したのか。それは教育の一環としてやってきたからだと思う。教育現場でいかにいいチームを作るか。私も社会科の教員免許を取ったが、監督は学校の教職員として子供たちが普段の学校生活をどのように送っているのか把握して部活動の指導をする。監督が学校現場を全く知らないで勝っても、それに何の価値があるのかと思っている。
野球学校ではだめ。明徳義塾は特待生を集めて朝から晩まで練習していると思われているかもしれないが、実際は校内テストで赤点を取ると練習に出られないので、勉強もちゃんとやっています。
――監督として甲子園出場回数は今大会で39回目(春17回、夏22回)となり、38回で並んでいた高嶋仁・智弁和歌山前監督(78)を上回って歴代単独最多になります。
◆「一回でも甲子園に行けたら」と思って監督を引き受けたが、出るたびに「もう一回」という気になった。初めて出た時はすごく緊張して「(試合前の)ノックで空振りするのでは」と思ったが、その時以外は甲子園でも国際大会でもプレッシャーを感じたことがない。ワクワクする。甲子園は何遍出てもいいし、最高の場所だ。
調べたら、今大会1回戦が甲子園93試合目(20年の甲子園交流試合を含む)。93試合もやれるなんて、(監督経験者の)みんなに怒られる(笑い)。ちなみに高嶋さんは103試合。これはちょっと抜けないかな。
☟センバツ 健大高崎の最速158キロ右腕・石垣が「左の脇腹を故障」青柳監督明かす 本人は「間に合うと思う」「黙らせる投球を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec57eabd3223e2493b4aae0974452b1ee19ca69f
健大高崎の最速158キロ右腕・石垣元気投手がセンバツの甲子園練習に参加。青柳監督は「左の脇腹を故障してるので様子を見ながらですね」と状態を語った。
練習後の取材で「昨日の試合で負傷しました」と明かした指揮官。13日に行われた京都国際との練習試合で緊急降板していたことを明かした。投げている途中に痛みを覚えたといい、その後、病院で診察を受け「筋肉の損傷ですね」と診断されたことを明言。ただ「(医師から)特にいけないとかそういうのはないので、本人の痛み次第で行かせるつもりです」とも語った。
練習では軽くボールを投げるシーンもあったが、ノックでは補助役にまわった。ダッシュもできない状態とみられる中、マウンドではかるくシャドーピッチングで感触を確かめる程度にとどめた。
本人は「少しの張りなんで試合までは間に合うと思うので。腰回りの張りが少しあるので」と語った。その上で「いけそうだなと感じました」と明かし、「エースとしてどんな場面でマウンドに上がっても無失点でいきたい。言い方悪いですけど、黙らせるくらいのピッチングをしたい」と力を込めた。チームは開幕日に明徳義塾と対戦する。
⚾岩手さんへ
いつも投稿ありがとうございます!!teacup.掲示板時代はそうそうたるメンバーに来ていただいてずいぶん盛り上がっておりましたが、wox掲示板に引っ越さざるを得なくなりホソボソとやっておるので、基本線として高校野球の話51%以上・よもやま話49%以下の配分を守っていただけたら本当にありがたいところです。
せやけど、なぜかしら・・・teacup.掲示板時代の観戦記やよもやま話が消えるのが惜しいので、形ばかり作ったアメブロ(ブログ)にコピーして誰でも読めるようにしておきましたが、全く宣伝も何もしていないのにどこをどう探して来られたのか?現時点でフォロワー421人と信じられない数字が並んでいるので驚いております!!
欲を言えばそのうちの5%くらいの方々がこっちに顔を出してくれたらありがたいですが、そうなると返事書くので精いっぱいで観戦記まで手が回らなくなるので・・・・・。
昔は他の掲示板に直接出向いて宣伝したり、トップページを印刷して球場で『閲覧だけでもしていただければ・・・』とスカウトしてましたが、そういう機会もあまりないので。。。
チャンスがあれば今春どうかな?と思いつつ、、、
さて、有識者はやはり手堅いですよね。僕はギャンブルは一切しないので推測ですが、競馬や競輪・競艇などスポーツ紙の予想でも本命重視で手堅く当てに行く人たちが多いのではと。
かつて佐賀商・佐賀北が夏全国制覇しましたが、大会前に優勝予想に挙げた人はいなかっただろうし、初戦敗退(しかも完敗)だと体裁悪いので冒険はできないんでしょうね!!
和智弁に関しては・・・高嶋先生がまだ監督だったら優勝候補の一角に上げられていたと思います!!
やはり、ナカタニに代わって評判悪いし(コーチ時代は兄貴分的な役割で慕われていたようですが)3大会連続格下に初戦敗退で失墜しましたね。
千葉黎明にも負けたら、、、高嶋先生復帰で良いのではないかと。
昔と違って思いっきりチームカラーが変わっているし、関東の選手を積極的に獲りだし、地元のクラブチームからも相当嫌われているようで、和智弁ルートから市和歌山へ鞍替えして逸材を送っているとか!?
あとは県外生はアパートに下宿して、海南駅前の「みきのや」で毎晩ご飯食べていたのが、中谷夫妻が経営する智翔館だったか?寮に住まわせ、酵素風呂に管理栄養士の中谷夫人が作る豪華な食事で栄養を取りすぎていると。
昔は根性野球で1、5流の選手を叩き上げて失点数の多さが目立ちつつもそれ以上に得点して力でねじ伏せてましたが、今は総合力で地味に勝ち上がる感じですね。
昔のような1イニング大量得点で大逆転勝ちという派手さはないし、バント多用で面白くないのが率直なところ。
でもなんだかんだ言っても2つ勝って東洋の胸を借りて夏に備えたいところですね。6年前は市和歌山&和智弁コンビでともにセンバツ8強入りしましたから!
まだ、市和歌山の方が甲子園直近5大会連続初戦突破で安定感ありますね。
公立高校でバッテリーが2人ともドラフト1位指名というのはかなり稀かと!
それから、震災についてですが・・・やはり阪神と東北の違いは原発事故に津波の有無が大きいですね。
こっちも30年前はずいぶん難儀しましたが、家に住み続けれたし、比較的早く電気・水道が復旧したので。
東北は遠すぎてなんですが、津波の映像はどうしても目を逸らしてしまいますね。
あるいは南海トラフ地震で和歌山など壊滅的状態に陥るかもしれません。考えたくはないですが、、、紀三井寺などかなり海に近いので万が一、被災したら正気ではいられないでしょうね。。。
天災で亡くなられた人たちは本当に災難で残念ですが、残された人たちも、もっと辛いですね・・・・・。
山林火災も辛いですね。仮設住宅が用意されるかもしれませんが、いつか退去しなければならないし誰が生活の面倒を見てくれるのか???となれば、、、、、
たまたま30年前は運よく生き残りましたが、そこで犠牲になった約6400人の方々は新聞記事など読むと立派な人生を送られたようで、三宮近くの公園で墓碑銘が永久保存されてますね。
なんだか自分が生きていて申し訳ない気も少ししますね。
あと、あの当時20歳で入社3年目の会社員だったので犠牲になっていたら新聞にどう書かれていたかも気になります。
いずれにせよ、天寿を全うして悔いのない日々を送ることが肝要かと。
縁あって、先代から掲示板を受け継ぎ21年ほど活動して、この掲示板読んで誰かが明日への活力を見出してくれたら、僕も先代も本当に嬉しく思えますね!
P・S 健大高崎の石垣投手が故障したとか?!
昨夏の佐藤投手といい、黙っていれば分からないのにバカ正直にカミングアウトするなあと・・・・・。
落合監督は中日時代にはケガなどは一切公表しなかったらしいですが、それでいいと思いますが。
しかし、わき腹といえば・・・あの和智弁史上最高投手で中谷とバッテリー組んでいた、淡路島の寿司職人・高塚投手と同じですね。
高塚は2年時にセンバツ4連投して、直後の海外遠征でも投げてわき腹など痛めてかばい続けて故障個所が3~4か所まで増えてほとんど登板不可で3年夏に初戦で先発するも2回5失点でそれ以降は決勝まで代打でしか出れなかった。。。
近鉄7位だったか?高卒でプロ入りするも打者転向して大成できなかったのが残念でした・・・。
この寒い時期に無理して明徳戦投げさせたら、夏はもちろんその後の野球人生を左右しかねないし、下重投手など他にも好投手がいるので、「相手チームとの相性や状態がいい投手優先でエース温存した」などごまかせなかったのかなと思いますね。
そこがコスい関西人と実直な関東人の違いなのかな???
https://x.com/kbl_1part/status/1900519960495149207/photo/1
https://x.com/kbl_1part/status/1900519960495149207/photo/2
しかし、開幕戦が守山市民とは・・・。わかさS京都か皇子山と思っていたので、、、
地味にあやべ&甲賀市民そして近江八幡でも試合組んでますね!!
特に2部では4/12・13と10時から3試合で第3試合は16時開始予定とナイター覚悟のようだし!!
ただ、近江八幡は駅から相当離れているし、レンタサイクルはあるけど行かないだろうなあきっと。いつか滋賀新球団が試合すればその時がチャンスかな!?
☝初出場の滋賀短大付、保木監督がノック3連続空振り 新ユニホーム披露…甲子園練習
https://news.yahoo.co.jp/articles/c421d108952abd1f43341a4272cc4f7667fe21b2
第97回センバツ高校野球大会に向けた甲子園練習が14日に行われた。春夏通じて初出場の滋賀短大付は、昨日、届いたばかりだという新ユニホームで登場。「『どこ?』ってなるので、分かりやすくしました」(保木淳監督)と、これまで左胸にあった縦書きの「滋短附」を、横書きの「滋賀短大附」に変更した。
30分間の練習は、1か月以上前から予定を練り、実戦形式の練習を中心に行った。初の聖地でも選手は「思ったより普通にやっていた」が、指揮官はノックで3連続空振り。「僕も普通のつもりだったんですけど、そうではなかったのはあそこで気付きました」と、苦笑いで振り返った。
滋賀短大付は、昨秋の滋賀県大会で準優勝し、近畿大会初戦では大阪王者の履正社を撃破。近畿8強で甲子園切符をつかんだ。それでもナインは、日頃から「自分たちは強くない」と言い合いながら大会に向け練習。初出場初勝利を目指し、初戦、昨秋神宮大会4強の敦賀気比(福井)に挑む。
✌甲子園練習で元高野連審判・滋賀短大付監督が球審役に「シンプルに審判したかった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/cbfaec88ef6f54155ee3c80eae76d23a443315a7
甲子園初出場の滋賀短大付に14日、甲子園練習では異例の球審役が登場した。実戦形式の練習で、大窪玲輝捕手(3年)の真後ろで、同じ白のユニホームに同じ紫色のアンダーシャツ姿で防具も装着。その正体は、保木淳監督(39)だった。龍谷大在学時の約20年前に、地元滋賀県の高野連審判を務めた。甲子園出場決定直後には、聖地での練習での指導を、球審の視点から行うことを想定したという。「投手がどういうボールを投げるか、キャッチャーからの景色、見えるものがあるので見たかった。あと、シンプルに審判したかった(笑い)」と明かした。
昼過ぎから始まり、走者を置いた実戦形式の練習を行った。「子供たちには『午後からで、内野が多分荒れているし、ノックをやっても試合の土の状態ではないから、それなら甲子園で守る景色、走る景色、打つ景色など景色に集中して練習しよう』というテーマで臨んだ」と振り返った。
この日は、校名が縦書きから横書きになった新ユニホームをお披露目。「『滋賀短大付属』でわかりやすいようにしました」。昨秋までは「滋短附」と縦書きだったが、「シタンフでは、どこ?ってなるので、わかりやすいように」と説明した。
☝東海大札幌が甲子園練習で新ユニホーム披露「ラベンダーブルーに」遠藤愛義監督
https://news.yahoo.co.jp/articles/a39f5082e25733467475bb9bf2dc9c3deca262ef
第97回選抜高校野球大会に10年ぶりに出場する東海大札幌(北海道)が14日、甲子園練習に臨んだ。ベースランニングからスタートし、ボール回し、シートノック、シート打撃を行った。新調したユニホームをお披露目。青味が増したデザインで、新戦闘服を着た遠藤愛義監督(40)は「ちょっと紫調にした。学校にラベンダー畑があるので、“ラベンダーブルー”に」と説明した。
昨夏就任した指揮官は、コーチを務めていた母校の東海大相模(神奈川)が優勝した21年センバツ以来の聖地。この日の練習も「相模と一緒。まずグラウンドの中を全力で走ること」と、日本一を知るチームのルーティンを参考に実践した。ナインの様子を「すごい一生懸命やっていた。やっぱり緊張していて、いつも通りではなかった。本番も同じようになる。今日感じられて良かった」と見守った。
初戦は出場校最後の登場で、23日に日本航空石川と対戦する。マウンドの感覚を確かめたエース矢吹太寛投手(3年)は「実際立ってみて、自分はいつも通りできた。投げやすかったし、バックスクリーンまで広く感じた。もっと成長して初戦を迎えたい」と口にした。
🎤<甲子園優勝監督に聞く>5打席敬遠「今はやらない」 明徳義塾の馬淵史郎監督
https://news.yahoo.co.jp/articles/536aecc5aefa1585a12202827f10aaddc74eb8c5
第97回選抜高校野球大会に4年ぶり21回目の出場を決めた明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督(69)は、今大会で監督として歴代単独最多39回目の甲子園出場となる。2002年夏の全国制覇を含めて歴代4位の春夏通算55勝を挙げ、23年に高校日本代表監督としてU18ワールドカップで「世界一」となった勝負師は、現代の高校野球にどう向き合っているのか。
◇時代の流れに合わせて指導法も変化
――1990年8月に明徳義塾の監督に就任してから、途中で退任していた1年間(05年8月~06年8月)を除いてチームをずっと率いてきました。高校生をどう指導してきましたか。
◆時代の流れというか、子供の考え方が私たちの世代とは全然違います。40代、50代の親とも全然違う。彼らは裕福に育っている。
私は中学2年まで愛媛県八幡浜市の沖合にある大島で育ったが、当時は水道が通っていなくて井戸水を使い、小学生の高学年でバナナを初めて食べて感動した。家には防空頭巾があり、戦争の色が残っていた。高校で親にグラブを買ってもらい、スパイクを含めて破れたら縫って3年間使った。物がないから大切に使ったし、だから愛着が生まれたし、愛着があるから継ぎはぎをしても使った。
今は半年か1年でグラブを買い替える選手もいます。経済的に恵まれているから、根本的な考え方が違う。そこは今というより、監督就任当初からそうだった。子供たちには「物を大事にしろ」「用具を大切にしろ」と言い続けています。
――35年近い監督生活で、時代に合わせて指導を変えましたか。
◆昔のやり方が全ていいとは思わないし、変えるべきところは変えないとそっぽを向かれる。私も当初はスパルタで、練習量を重視して質を考えなかったが、今は「俺についてこい」ではついてこない。60歳を過ぎてから時代に合った指導をしないといけないと心掛けてきました。高校野球も変化の連続。例えば、延長戦は元々は無制限だったが、延長十八回制になり、延長十五回制になり、タイブレーク導入。それに合わせて練習方法を変えないといけない。
――教え方で具体的に変えた部分は。
◆情報があふれているから、今の子は頭でっかち。パワーもないのに、ユーチューブなど動画で見た大谷翔平選手(米大リーグ・ドジャース)の打撃をまねする。「体力があるならまねてもいいが、ないならやめろ。打てないから」と注意しています。私はピカソをよく例に出して「ピカソの絵は独特だが、20歳の頃の絵は写真みたいだ。高校生の今は人間としても野球選手としても基礎を学ぶ時期だ」と説明しています。昔は説明せずに「体で覚えろ」と練習させたが、今は理屈を説明して頭で分からせてから体で覚えさせます。
野球はある日突然上手になる。それがいつ来るか、本人も指導者も分からない。だけど、一生懸命やらないと「ある日」は来ない。昔に比べて今の子は辛抱できない。「『棚からぼた餅』というが、落ちてきたぼた餅を食べられるのは棚の一番近くにいた人。遠くにいてはだめ」と説いています。
◇「さわやかなら長髪でもいい」
――SNSなどを活用していますか。
◆4、5年ほど前から全校生徒にiPadが学校から貸与されたので、対戦相手の映像は全体ミーティングで1回見るが、後は選手個人でiPadで検索して研究してほしいとやらせています。彼らもそのような形で取り扱えないと、世の中に取り残されてしまう。
――近年は甲子園で選手の髪形が長髪のチームが散見されますが、明徳義塾は丸刈りのままですね。
◆私は髪形にこだわりません。さわやかであれば長髪でもいい。ただし、夏は暑いから長髪だと邪魔では。うちは全寮制だし、風呂も丸刈りなら短時間で済む。うちは髪形に決まりはないし、私は何も言わないが、部員たちが伝統的に丸刈りにしています。
――92年夏の甲子園の2回戦で星稜(石川)と対戦した際、相手の4番・松井秀喜選手(米大リーグ・ヤンキースGM付特別アドバイザー)を5打席連続敬遠し、「勝利至上主義」などの批判が起きて騒動になりました。今後、もし松井選手クラスの強打者と対戦したら、また全打席敬遠をしますか。
◆今はやらない。投手がいるから。今大会は池崎安侍朗(2年)という左腕エースがいる。(過去に明徳義塾のエースだった)松下建太(元西武)、岸潤一郎(西武)らがいたら敬遠しなかった。当時はエースの岡村憲二(明治安田監督)が肘痛で投げられず、2番手投手では松井選手を抑えられないと判断しました。ただ、間違ったことをしたとは思っていない。全打席敬遠は当初考えなかったが、ルールブックに試合の目的は「勝つことが目的」と書いており、勝てるチャンスがあったからやったのです。
◇「野球学校はだめ」
――一方、高校野球で残すべきものは何だと思いますか。
◆精神的な部分は残したい。なぜ高校野球がここまで発展したのか。それは教育の一環としてやってきたからだと思う。教育現場でいかにいいチームを作るか。私も社会科の教員免許を取ったが、監督は学校の教職員として子供たちが普段の学校生活をどのように送っているのか把握して部活動の指導をする。監督が学校現場を全く知らないで勝っても、それに何の価値があるのかと思っている。
野球学校ではだめ。明徳義塾は特待生を集めて朝から晩まで練習していると思われているかもしれないが、実際は校内テストで赤点を取ると練習に出られないので、勉強もちゃんとやっています。
――監督として甲子園出場回数は今大会で39回目(春17回、夏22回)となり、38回で並んでいた高嶋仁・智弁和歌山前監督(78)を上回って歴代単独最多になります。
◆「一回でも甲子園に行けたら」と思って監督を引き受けたが、出るたびに「もう一回」という気になった。初めて出た時はすごく緊張して「(試合前の)ノックで空振りするのでは」と思ったが、その時以外は甲子園でも国際大会でもプレッシャーを感じたことがない。ワクワクする。甲子園は何遍出てもいいし、最高の場所だ。
調べたら、今大会1回戦が甲子園93試合目(20年の甲子園交流試合を含む)。93試合もやれるなんて、(監督経験者の)みんなに怒られる(笑い)。ちなみに高嶋さんは103試合。これはちょっと抜けないかな。
☟センバツ 健大高崎の最速158キロ右腕・石垣が「左の脇腹を故障」青柳監督明かす 本人は「間に合うと思う」「黙らせる投球を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec57eabd3223e2493b4aae0974452b1ee19ca69f
健大高崎の最速158キロ右腕・石垣元気投手がセンバツの甲子園練習に参加。青柳監督は「左の脇腹を故障してるので様子を見ながらですね」と状態を語った。
練習後の取材で「昨日の試合で負傷しました」と明かした指揮官。13日に行われた京都国際との練習試合で緊急降板していたことを明かした。投げている途中に痛みを覚えたといい、その後、病院で診察を受け「筋肉の損傷ですね」と診断されたことを明言。ただ「(医師から)特にいけないとかそういうのはないので、本人の痛み次第で行かせるつもりです」とも語った。
練習では軽くボールを投げるシーンもあったが、ノックでは補助役にまわった。ダッシュもできない状態とみられる中、マウンドではかるくシャドーピッチングで感触を確かめる程度にとどめた。
本人は「少しの張りなんで試合までは間に合うと思うので。腰回りの張りが少しあるので」と語った。その上で「いけそうだなと感じました」と明かし、「エースとしてどんな場面でマウンドに上がっても無失点でいきたい。言い方悪いですけど、黙らせるくらいのピッチングをしたい」と力を込めた。チームは開幕日に明徳義塾と対戦する。
⚾岩手さんへ
いつも投稿ありがとうございます!!teacup.掲示板時代はそうそうたるメンバーに来ていただいてずいぶん盛り上がっておりましたが、wox掲示板に引っ越さざるを得なくなりホソボソとやっておるので、基本線として高校野球の話51%以上・よもやま話49%以下の配分を守っていただけたら本当にありがたいところです。
せやけど、なぜかしら・・・teacup.掲示板時代の観戦記やよもやま話が消えるのが惜しいので、形ばかり作ったアメブロ(ブログ)にコピーして誰でも読めるようにしておきましたが、全く宣伝も何もしていないのにどこをどう探して来られたのか?現時点でフォロワー421人と信じられない数字が並んでいるので驚いております!!
欲を言えばそのうちの5%くらいの方々がこっちに顔を出してくれたらありがたいですが、そうなると返事書くので精いっぱいで観戦記まで手が回らなくなるので・・・・・。
昔は他の掲示板に直接出向いて宣伝したり、トップページを印刷して球場で『閲覧だけでもしていただければ・・・』とスカウトしてましたが、そういう機会もあまりないので。。。
チャンスがあれば今春どうかな?と思いつつ、、、
さて、有識者はやはり手堅いですよね。僕はギャンブルは一切しないので推測ですが、競馬や競輪・競艇などスポーツ紙の予想でも本命重視で手堅く当てに行く人たちが多いのではと。
かつて佐賀商・佐賀北が夏全国制覇しましたが、大会前に優勝予想に挙げた人はいなかっただろうし、初戦敗退(しかも完敗)だと体裁悪いので冒険はできないんでしょうね!!
和智弁に関しては・・・高嶋先生がまだ監督だったら優勝候補の一角に上げられていたと思います!!
やはり、ナカタニに代わって評判悪いし(コーチ時代は兄貴分的な役割で慕われていたようですが)3大会連続格下に初戦敗退で失墜しましたね。
千葉黎明にも負けたら、、、高嶋先生復帰で良いのではないかと。
昔と違って思いっきりチームカラーが変わっているし、関東の選手を積極的に獲りだし、地元のクラブチームからも相当嫌われているようで、和智弁ルートから市和歌山へ鞍替えして逸材を送っているとか!?
あとは県外生はアパートに下宿して、海南駅前の「みきのや」で毎晩ご飯食べていたのが、中谷夫妻が経営する智翔館だったか?寮に住まわせ、酵素風呂に管理栄養士の中谷夫人が作る豪華な食事で栄養を取りすぎていると。
昔は根性野球で1、5流の選手を叩き上げて失点数の多さが目立ちつつもそれ以上に得点して力でねじ伏せてましたが、今は総合力で地味に勝ち上がる感じですね。
昔のような1イニング大量得点で大逆転勝ちという派手さはないし、バント多用で面白くないのが率直なところ。
でもなんだかんだ言っても2つ勝って東洋の胸を借りて夏に備えたいところですね。6年前は市和歌山&和智弁コンビでともにセンバツ8強入りしましたから!
まだ、市和歌山の方が甲子園直近5大会連続初戦突破で安定感ありますね。
公立高校でバッテリーが2人ともドラフト1位指名というのはかなり稀かと!
それから、震災についてですが・・・やはり阪神と東北の違いは原発事故に津波の有無が大きいですね。
こっちも30年前はずいぶん難儀しましたが、家に住み続けれたし、比較的早く電気・水道が復旧したので。
東北は遠すぎてなんですが、津波の映像はどうしても目を逸らしてしまいますね。
あるいは南海トラフ地震で和歌山など壊滅的状態に陥るかもしれません。考えたくはないですが、、、紀三井寺などかなり海に近いので万が一、被災したら正気ではいられないでしょうね。。。
天災で亡くなられた人たちは本当に災難で残念ですが、残された人たちも、もっと辛いですね・・・・・。
山林火災も辛いですね。仮設住宅が用意されるかもしれませんが、いつか退去しなければならないし誰が生活の面倒を見てくれるのか???となれば、、、、、
たまたま30年前は運よく生き残りましたが、そこで犠牲になった約6400人の方々は新聞記事など読むと立派な人生を送られたようで、三宮近くの公園で墓碑銘が永久保存されてますね。
なんだか自分が生きていて申し訳ない気も少ししますね。
あと、あの当時20歳で入社3年目の会社員だったので犠牲になっていたら新聞にどう書かれていたかも気になります。
いずれにせよ、天寿を全うして悔いのない日々を送ることが肝要かと。
縁あって、先代から掲示板を受け継ぎ21年ほど活動して、この掲示板読んで誰かが明日への活力を見出してくれたら、僕も先代も本当に嬉しく思えますね!
P・S 健大高崎の石垣投手が故障したとか?!
昨夏の佐藤投手といい、黙っていれば分からないのにバカ正直にカミングアウトするなあと・・・・・。
落合監督は中日時代にはケガなどは一切公表しなかったらしいですが、それでいいと思いますが。
しかし、わき腹といえば・・・あの和智弁史上最高投手で中谷とバッテリー組んでいた、淡路島の寿司職人・高塚投手と同じですね。
高塚は2年時にセンバツ4連投して、直後の海外遠征でも投げてわき腹など痛めてかばい続けて故障個所が3~4か所まで増えてほとんど登板不可で3年夏に初戦で先発するも2回5失点でそれ以降は決勝まで代打でしか出れなかった。。。
近鉄7位だったか?高卒でプロ入りするも打者転向して大成できなかったのが残念でした・・・。
この寒い時期に無理して明徳戦投げさせたら、夏はもちろんその後の野球人生を左右しかねないし、下重投手など他にも好投手がいるので、「相手チームとの相性や状態がいい投手優先でエース温存した」などごまかせなかったのかなと思いますね。
そこがコスい関西人と実直な関東人の違いなのかな???