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📝夏の島根大会は7月10日開幕 メインは松江市営
https://news.yahoo.co.jp/articles/1370542862706d0f26b93eedf5d4dee17e0ac406

島根県高校野球連盟の2025年度行事計画が12日、明らかになった。夏の甲子園出場をかけた第107回全国高校野球選手権島根大会は7月10日開幕、同24日決勝の予定。県立浜山公園野球場が改修工事のため、松江市営野球場と江津市民球場が会場となる。

組み合わせ抽選会は6月13日、大田市民会館で予定されている。松江市営がメイン球場となり、10日の開会式と開幕試合が行われる。準々決勝以降は松江市営のみで開かれる。
このほかの主な大会日程は次の通り。

県春季大会=4月18日~5月3日、松江市営など4球場
山陰大会=6月7、8日、松江市営
県秋季大会=9月12~28日、松江市営など4球場
秋季中国大会=10月24日~11月2日、山口県

県高野連は12日、県内の高校野球の発展に尽くしたとして、監督歴20年の岡本曜さん(情報科学)と、部長・監督歴20年の国分健さん(三刀屋)を表彰した。

☝<返り咲け!センバツ広商>「共感」育む教え今も 元監督・迫田さんの心継ぐ
https://news.yahoo.co.jp/articles/df654fc300de24b0c0a562f3aa4a3a593f180217

今春のセンバツに出場する広島商は春夏通算7回の全国制覇の経験がある名門。その中で主将と監督として夏の甲子園を制したのが、2023年12月に膵臓がんで亡くなった迫田穆成さん(享年84)だ。迫田さんが大切にしていたのは「相手を思いやる心」。その教えは、現役選手たちに今も引き継がれている。

迫田さんは広島市出身。広島商では外野手として1956、57年夏の甲子園に出場し、57年には主将として優勝した。その後、67年に母校の監督に就任した。

語り草になっているのは監督時代の73年春のセンバツ準決勝。作新学院(栃木)の江川卓投手(元巨人)攻略のため生み出した作戦だ。江川投手は高校時代の公式戦で完全試合2回を含む無安打無得点試合を9回達成。この大会では4試合で60奪三振という大会通算最多記録をマークし、「怪物」と称された。

戦力差があり真っ向勝負では勝てないと感じていた迫田さんは、「スクイズ失敗作戦」を生み出した。わざとバントで三振し飛び出した三塁走者は頃合いを見計らって本塁近くでスライディングしタッチアウト。その瞬間、三塁走者の背後に迫っていた二塁走者が虚を突いて生還する技を考案した。

そんな創意工夫を凝らした迫田さんだが、プレー面で事細かに指導をすることは少なかったという。一方で「対戦相手のことを考えなさい」と強調していた。迫田さんから指導を受けた、広島商OBの能美正孝さん(62)は「打点を挙げたり、勝ったりしても相手がつらい思いになるから喜んではいけない。ガッツポーズをする時間があれば、次の塁に進むことを考えないといけないと教えられた」と話す。

迫田さんの野球に対する姿勢は今の選手たにも引き継がれている。1年生ながら新チームで4番を任されている名越貴徳選手は、昨秋の中国地区大会決勝で先制の本塁打を放った際、喜びを一切見せずにダイヤモンドを一周した。試合後に「相手へのリスペクトの気持ちを忘れないため」と話していた。センバツ出場が決まった際も、選手たちは喜んだ表情をほとんど見せず、大会本番に向けて前を向いていた。

迫田さんの教えは荒谷忠勝監督も参考にしている。迫田さんは「力がないなら、頭を使え」という言葉を残している。73年春の江川投手攻略はその代表例。荒谷監督もその教えを引き継ぎ試行錯誤を重ねている。荒谷監督は「今のチームは体の大きさの違いなどもあり全国レベルでは通用しない部分がある。それぞれの選手の特性を生かす創意工夫をしてセンバツを戦い抜きたい」と意気込んだ。

🔥<光る春・’25センバツ東洋大姫路>古豪から強豪へ 支える OB会長 梅谷真吾さん(53) 伝統を次の世代へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/71a47d5f69dfd60d104dc1e681ac005fbbaff6dc

「試合のたびに成長したチーム。伝統ある『東洋大姫路』をここまで復活させてくれて感謝の気持ちしかない」。生命保険会社営業所長として多忙な日々を送りながら、ほぼ全ての試合を球場で見つめてきた。

【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち

 輝かしい伝統の礎を築いたのは初代監督の父馨さん(2006年死去)。監督として甲子園に夏5回、春3回導いた名将だ。「家ではよく怒られましたが、野球の話はほとんどしませんでした」と苦笑いして振り返るが、自然と小学校から野球を始め、東洋大姫路の野球部へ。間もなく馨さんは監督を退任したが、総監督として指導を継続。親子鷹(だか)で打ち込んだ。

 大学に進んで野球から離れたが、馨さんが亡くなった後、OB会に関わるように。23年、OBの岡田龍生監督(63)から強く請われて会長に。「現場(チーム)とのコミュニケーションを大切にしたい」との思いから、月1回、OB会幹部が集まり、岡田監督と打ち合わせをしている。

 昨秋の明治神宮大会終了後、岡田監督から1個のボールを手渡された。初戦の聖光学院(東北)戦のウイニングボール。試合があった11月20日は監督の恩師でもある父の命日だった。岡田監督は試合後のインタビューで「今日は何とか勝ちたかった」と語った。

受け取ったボールはずしりと重い。「甲子園では東洋らしい試合運びを見せて、次の世代につなげてほしい」と後輩にエールを送る。
2025/02/13(木) 22時11分29秒 No.1592 編集 削除