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📝「甲子園あの熱血監督はなぜ退任したのか?」センバツ21世紀枠選出から“たった半年”で…別海高その後「監督の厳しさ…受け止め方が違ったのかも」
https://news.yahoo.co.jp/articles/60a0694ee24de9508bc865f7648096af783f8356

間もなく北海道にも大寒波が訪れようとしていた2月3日、知床半島と根室半島の中間に位置する尾岱沼(おだいとう)の空は澄み渡り、港からは北方領土が望めた。11時を過ぎた頃、早朝から漁に出ていた漁船が続々と帰港し、名産である特大のホタテを水揚げしてゆく。

主将は「ホタテ漁師」を目指す
 
そのうちの一艘に、道立別海高校の3年生である中道航太郎が乗っていた。彼はホタテ漁師である父・大輔の船に1週間限定の見習い漁師として乗船していたのだ。今年5月からは函館近くの北海道立漁業研修所で漁師になるための勉強をし、小型船舶免許や潜水士免許など漁師として必要な資格を取得したあと、正式に漁師として生きていくことになる。

「今日が研修1日目なんですが、(漁業協同組合のルールで)家族が同じ船に乗ることが許されるのは、この見習い期間だけなんです。今日は網の投げ入れや、その網の引き上げ、ホタテの選定などを手伝いました。これまで水揚げを手伝ったことはあっても、船に乗ったことはなかった。野球で鍛えられて、体力には自信があるんですけど、シンプルに疲れました(笑)」

昨年のセンバツに、別海は16人の選手(3年生9人、2年生7人)と3人のマネージャーだけで出場した。捕手の中道は一昨年秋の全道大会2回戦で逆転サヨナラ2ランを放ってセンバツ切符をたぐり寄せた立役者であり、まさに扇の要の選手だった。監督の島影も「中道が入学してからの2年半、私は中道を褒めたことがありません。あれだけ私に怒られても、へこたれずにチームをまとめてくれた。甲子園に出場できたのも中道のおかげだと思っています」と話すほどだ。

「1年が経った今でも、甲子園に立ったあの日の感動は頭から離れないです。第1試合でとても寒く、観客の数は少なかったのかもしれないですけど、あれほどの観客の前でプレーした経験もなかった。人生が大きく変わったなと思います」

監督退任に主将の本音
 
中道が野球部を引退したあと、監督の島影隆啓は退任した。そのことを中道はどう受け止めているのだろうか。

「家族の時間がないぐらいに、自分たちに時間を注いでくれていました。本当に忙しかったと思いますし、僕らがまだ授業を受けていた時間に、グラウンドの除雪作業をやってくださっていたのも監督だった。大変だったと思います。監督の家族を大切にする気持ちもわかりますから、(退任も)仕方ないとは思うんですけど、島影監督がいない野球部は、ちょっと……やっぱり島影監督あっての別海野球部だと思います」

主将である中道が、監督と学校が衝突する場面に触れることもあったのかもしれない。

「就任した頃(2018年)はうまくいかないこともあったと聞いていますが、最近はうまく監督と学校がつながりつつあったとは思うんですよね」

「でも監督の厳しさがあったから…」
 
挨拶ができない選手や、練習に集中していない選手を叱責する。それはどこの強豪校にも当たり前に見られる光景だが、それが雪深い地方の公立校だと、行きすぎた指導と受け取られることもある。

「でも監督の厳しさがあったからこそ、強くなることができた。きっと、野球部にいる間は監督の指導に反対する人がいたとしても、野球部が終わると感謝すると思うんです。僕らは島影監督だったからこそ、センバツにも出場できたと思います」

センバツが決まった頃から中道は、「将来は父の後を継いで漁師になりたい」と話していた。本格的に野球をやるのは高校まで——そう決めていた。

だが、将来的には今年から北海道フロンティアリーグ(独立リーグ)に参戦する「別海パイロットスピリッツ」でプレーすることも視野に入れている。球団としても、地元出身の中道の加入は願ってもないだろう。だが、プロ志望届を提出していなかった中道との交渉は卒業後となる。

「町民のみなさんから『挑戦して欲しい』という声をいただいていて、自分としても恩返しの意味も含めてやりたい気持ちはあるんです。ただ、野球を続けるにしても、漁師としてしっかり修業をしながら、というのが条件になる。卒業後、球団と話しあう機会を作りたいと思っていて、うまく両立ができるようなら、考えようと思っています。今は漁師になることが最優先です」

別海高ナインの“進路”
 
聖地の土を踏んだ別海高校のナインで、3月1日に卒業する3年生は9人だ。強豪校や常連校のように、大学や社会人で硬式野球を続ける選手は少なく、セカンドを守っていた千田涼太と遊撃手の影山航大のふたりだけが星槎道都大で野球を続ける。エースの堺暖貴は北海学園大に進学するが、熱心な勧誘を受けた硬式野球部には入らないことを決断した。

「甲子園のマウンドに立つことができて、これからの人生であれほど緊張する場面はないと思うんです。それを経験できただけでも人生において大きな出来事でした。高校野球をやっていた頃から、野球は高校で区切りをつけようと思っていました。大学で中学か高校の社会科の教職免許をとりたくて、野球部に入るとそれも難しくなるのかな、と。もともと勉強が好きでしたし、勉強を教えるのも好きだった。将来は世の中の多様性をしっかり伝えられる先生になって、野球部を教える機会があれば挑戦してみたい」

エースが語った“監督の厳しさ”
 
堺にも島影の退任について訊ねた。「自分たち3年生の代と、今頑張っている2年生の代とでは、ちょっと雰囲気に差があるのかなと思う。監督の厳しさに対する受け止め方が、僕らと下級生では違うのかもしれない」

別海の歓喜からわずか1年——。甲子園に導いた島影は監督を退任し、23年秋の北海道大会でベスト4に進出したバッテリーはいったん、野球とは距離を置くことになる。

甲子園に出場したとしても、わずか1年でその快挙は夢物語となり、聖地は再び遥か彼方へ遠のいていく。これが地方の公立校が直面する現実なのだ。

📝「奇跡の12人」から始まったKBCの10年 「午後2時から野球を始められます」を武器に沖縄の強豪校へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/29bf8ea7bdd6aeb1d80fdb83f5e55b6c3fb91c56

群雄割拠〜沖縄高校野球の現在地(4)KBCの10年(前編)

KBC、日本ウェルネス沖縄、エナジックスポーツ、そして興南──。2024年夏の高校野球沖縄大会でベスト4が決まると、KBCの神山剛史監督は危惧を抱いた。

「よく周りから『勉強してないんじゃないか?』『学校にも行ってないんじゃないか?』と言われるんです。『そんなことはありません』と、もう10年くらい言っているんですけど......。ウェルネスもエナジックも準決勝に行ったので、今回もそう言われるのではないかと思いました」

昨年夏、沖縄の高校野球に吹いた新風は全国的にも関心を呼んだ。結局、古豪・興南が甲子園出場を決めたが、同年秋の九州大会で創部3年目のエナジックスポーツが準優勝を果たし、センバツ初出場を決めた。

「すごいな」とKBCの神山監督はそう感じつつ、「次こそは」と決意を新たにした。
「エナジックさんが先に甲子園に行きましたね。でもKBCは、一歩一歩っていう感じで進んでいます」

【選手集めにもひと苦労した過去】

沖縄で高校野球に力を入れる新鋭私学が台頭するなか、その先駆けとなったのがKBCだ。10年前の2015年、KBC高等学院(※当時の名称はKBC学園未来高校。2024年に校名変更して現在の名前に)にスポーツコースを設け、野球部を設立した人物こそ神山監督だった。

「KBCは知ってるけど、デザインの学校でしょ?」

当時、学校の職員になったばかりの神山が選手の勧誘に奔走すると、そっけない対応を繰り返された。
学校法人KBC学園は1983年、那覇市に国際ビジネス専門学校を開校して以来、35年の間に7つの専門学校を創設。そのひとつのインターナショナルデザインアカデミーが、2007年に高校を新設する。2012年に愛媛県の未来高校と提携し、未来高等学校沖縄学習センターが開校された。

一方、糸満高校で野球部主将を務め、九州産業大学で学生コーチを務めながら教員免許を取得した神山だが、福岡の一般企業で3年間勤務した。いずれ高校野球の指導者になりたかったが、大学まで野球しかやっておらず、視野を広げたかったからだ。

経営関係の仕事をしたあと、いよいよ夢に踏み出すべく沖縄県で高校の教員試験を受けたが、高い倍率に跳ね返される。それでも学校関係の仕事に就きたいと考え、KBCの商業科教員に応募した。

「KBCにも高校ができたので、野球部を始められるのではと思ったんです。プレゼンをさせてもらい、野球部を立ち上げましょうとアピールしました」

当時、KBCに在籍する高校生は40〜50人。通信制と全日制の混在する学校だった。
1年後の2015年に野球部を発足させる際、通信制と全日制のどちらがいいか。通信制なら月1回登校すれば、高卒の資格を得られる。2012年に長野県の地球環境高校が通信制では初のセンバツ出場を果たして話題になったが、月1回のスクーリングでは少ない。それより全日制の総合学科にスポーツコースを立ち上げたほうが、KBCの特色を生かせるのではと神山は考えた。

「KBCはもともと専門学校なので、資格取得のノウハウは大量にあったんです。野球は午後からしっかりできるようにしつつ、県立高校にはできない、私立の特色をミックスすれば面白いのではと総合学科で立ち上げました」

【午後2時から野球に励める強み】

プレゼンの結果、学校からスポーツコースと野球部創設の了承が得られた。次は生徒集めだ。当然、うまく行くはずがない。

「ん? どこにあるの?」中学校を回っても足蹴にされた。耳を傾けてくれる人に、自分たちの強みを訴えるしかなかった。

「午後2時から野球をできます。私立は文部科学省から認められ、体育の授業を野球に置き換えるなど、特色あるカリキュラムをつくれるんです」

神山自身は高校時代、野球に多くの時間を費やせるライバル校をうらやましく思っていた。2時から部活に励めることは、野球少年たちへのアピールポイントになるはずだ。

「学校に行かないんでしょ? 通信制でしょ?」

保護者は子どもの将来を心配したが、神山はKBCの実情と強みを丁寧に説明した。

「ウチには通信の学科もあります。でも野球部は総合学科で、朝からちゃんと勉強します。資格も取れますし、大学進学の出口指導もしっかり行ないます。かつ、野球の時間を県立高校より2時間ほど早くスタートできます」

1年間かけて沖縄県内を回り、2015年の野球部発足時には12人がやって来ることになった。神山は「奇跡の12人」と、今でも感謝している。

「理由として一番多かったのは、『先輩がいないので、夏の大会から試合に出られる。自分たちで何もかもつくっていけるのがいい』ということでした。逆に、それが不安で来なかった子もいます」

選手勧誘と同時に進めたのが、野球部の体制づくりだ。指導者がいなければ、グラウンドもない。誰も知らない新設校に選手を集めるには、実績のある指導者を据える必要がある。そう考えてリストアップしたが、人脈はなかった。

さらに、私立の総合学科スポーツコースで野球部がうまくいった前例はなく、学校経営陣からは「予算をそこまでつけられるかわからない」と制限を設けられた。

そんな折に適任者として浮かんだのが、実の父で、神山も糸満高校時代に監督として野球のノウハウを教えてもらった神山昂だった。那覇商業などで甲子園に通算3度出場した実績もあり、ちょうど宮古高校で再雇用を終えて沖縄本島に戻ってくるタイミングだった。

初代監督に父が就き、神山自身は部長に就任して2015年、KBC学園未来の野球部は発足する。2年間は練習場所を求めて転々とする日々だったが、神山と父が糸満出身だった縁もあり、同市の南浜公園多目的広場にある野球場を定期的に使えることになった。学校が資金を出して整備し、市民とうまく使い分ける条件でまとまった。

創部当初から掲げたのは甲子園出場。壮大な目標を目指して立ち上がったKBC野球部は2期生を迎えた2016年秋、1年生大会優勝という快挙を飾る。その中心が、2018年ドラフト5位でオリックスに入団した内野手の宜保翔だった。

           つづく>>

📝沖縄高校野球の2強を追う創部10年目のKBCはプロも輩出1学年の部員数約20人にこだわる理由は?https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2025/02/08/10kbc20/?cx_refAction=distMediaRecs&utm_campaign=%2Fclm%2Fbaseball%2Fhs_other%2F2025%2F02%2F08%2F12kbc10%2F&utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&cx_refMedia=yahoo

興南と並び"沖縄二強"のひとつに称されている沖縄尚学と、創立1年目で謎に包まれた部分が多いKBC。どちらに進学するかとなれば、おそらく前者に進む中学生が多いだろう。ただし、それが"正解"につながるとは限らない。

「オリックスに行った宜保(翔)くんは、ウチに来てほしかったけど、KBCに行ってよかったと思います」
そう語るのは、沖縄尚学の比嘉公也監督だ。

【出場機会が多いという強み】

「できたばかりの野球部で、自分を見失わずにやるべきことをやる。おそらく高校での3年間でそれを身につけたから、プロに行っていると思います」

将来、飛躍することを見据えた場合、自分はどんな環境に身を置くべきか。簡単に出る答えではないからこそ、熟慮が必要になる。

中学時代から野球選手として有望視され、生徒会長も務める宜保は学業も優秀だったという。ではなぜ、進学先としてKBCを選んだのだろうか。声をかけた現KBC監督の神山剛史氏が明かす。

「宜保は(沖縄尚学に進んだ)中学校の先輩から、『頑張ったらベンチに入れるよ』と言われ、『だったらKBCに行って、自分の力で倒せばいい』とウチに来たんです。そういうことに価値を見出してくれて、最終的にプロ(オリックス)にまで行くことができました」

甲子園を狙える強豪校に進むのがエリートコースのひとつではあるが、出場機会を多く得られる新設校で経験を積むというのも魅力的だ。そう考えて宜保と同じタイミングでKBCに入学したのが、現在、沖縄電力で捕手としてプレーする石原結光だった。

「一期生が1年生ながらけっこういい結果を残していましたし、チームが新しいので多少不安はありましたが、試合に出やすいし、チャンスもある。午前に授業を受けて、午後から野球というのも、KBCに行きたいと思った理由のひとつでした」

石原は宜保と一緒に入学した2016年秋に1年生大会で優勝すると、3年時には春季大会で興南を破って初優勝。九州大会でもベスト4まで勝ち上がった。

「メンバーもけっこう集まって、いい思いができました。伝統があまりないので、縛られることもなく、自分がしたいことというか......のびのびできました(笑)」

【野球をやりながら資格も取得】
 
現在、創部から10年目。約200人の全校生徒のうち60人が野球部員だ。寮はなく、沖縄県内の中学生にしか声はかけていないが、昨夏ベスト4に進出したこともあって県外から「来たい」と興味を示す中学生も増えているという。

石原が言うようにKBCの大きな魅力は、野球に多くの時間を費やせることだろう。那覇市にある学校で午前中に授業を受け、糸満市の南浜公園多目的広場にある球場にバスで30分弱かけて移動し、14時から19時まで全体練習を行なうのが基本的な流れだ。

糸満市近郊の部員はそのまま帰宅できるので、居残り練習をする者もいる。那覇市近郊の部員は全体練習後にバスで戻り、学校の施設でトレーニングをして帰ることも可能だ。

新型コロナウイルスの猛威が世界を包んだ2020年、神山監督は父の昂(現・総監督)からチームを引き継いだ。その際に部の方針として再確認したことがある。

「卒業後は結局、野球をしていない人生のほうが長くなります。だったら好きな野球もしっかりできるけど、勉強や資格もしっかり取ろう。授業態度が悪かったら試合も出られないし、練習もできない。当たり前のことをしっかりやろう、というところからスタートしました」

KBCにやって来る多くの部員は、決して勉強が得意ではない。それでも高校に野球部を設ける以上、学業に励むのは不可欠だ。では、何を学ぶべきか。

「普通の勉強だけなら、どこの学校に行っても一緒です。国語、数学、理科、社会も学ぶけど、KBCに来たらこれができるよっていうので資格を取れるコースを設けています」

パソコン検定や表計算(Excel)、文書作成(Word)を授業で学び、希望者は英検や漢検、日商簿記を取得する。先述した沖縄電力の石山はKBCでパソコン検定3級を取得し、現在の職場で生きているという。

商業科の教員でもある神山監督は、"文武両道"の定義から見つめ直した。そうして4、5年前に立ち上げたのが、公務員特進クラスだ。

「上場企業が少ないからか、沖縄では公務員になりたい子が多くいます。そこでKBCの文武両道として、公務員になる勉強をして1次試験を受かるレベルまで行こうというクラスを立ち上げました」

野球部は全員スポーツコースに所属し、そのなかに公務員特進クラスがある。朝9時にショートホームルームが始まる前、希望者は8時すぎから早朝講座で勉強する。1年生の野球部員20人のうち、9人が受講している。

「野球の時間を減らすことも考えましたが、最近は高校の部活動でやめる子も多くなっているので、集大成の高校野球をお腹いっぱいさせたいと考えました。部活はみんな、2時からできるカリキュラムをそのままにしています。そこは県立高校と異なるように、マーケティングで経営面の差別化を図りたい」

【1学年約20人の部員数にこだわる理由】
 
学校は生徒数を増やしたいと望むが、神山監督は1学年約20人という部員数にとどめている。全体練習を全員で行ない、練習試合で等しくチャンスを与えるためだ。

「よく『挑戦して、失敗しなさい』って言うんです。失敗することで、自分のなかに基準が生まれるので」

たとえば土曜の練習試合でうまくいかなかった場合、「次にチャンスをもらえたら、どういう行動をすればいいのか考えて報告しなさい」と伝える。改善が見られた場合に限り、翌日もチャンスを与える。現在は2学年で45人という部員数なので、そうした起用も可能になる。神山監督が続ける。

「あとから聞いたら、『部員数が限られてチャンスをもらえるので、KBCを選んだ』という子もいました。最初はうまくいかなくても、もう一度チャンスをあげた時にうまくできたら、その子は次からちゃんとやるようになる。失敗をどう生かすかは、大人になっても必要なことだと思います」

少子化が進むなか、高校生の獲得競争は激しさを増すばかりだ。どうすれば入学先に選ばれ、卒業までに必要な学びの機会を提供できるか。神山監督は大卒後に経営関係で働いた経験も踏まえ、マーケティングの観点から工夫を凝らしている。

「座って授業を受けているだけで、『本当に頭に入っているのかな?』と思うこともあります。はたして、ウチの生徒たちのためにこれまでの常識でいいのか。大人も一回疑問を持たないといけないと思い、『実学もやろう』と職員会で話しているところです。もちろん『高校生だから勉強しないといけない』という意見が大半だと思うし、否定はしません。同時に、もっといろんな体験をできるようにしても面白いと思います」

母体が専門学校ならではのカラーを生かし、かつ部活動に多くの時間を割けるような環境を整え、KBCには毎年約20人の野球部員が入学している。2022年のドラフト会議では外野手の大城元が巨人に育成7位で指名され、2人目のプロ野球選手が誕生した。

2020年夏、コロナ禍の独自大会で決勝に駒を進めた。甲子園のかかる舞台ではなかったが、確実に一歩ずつ進んでいる確信が、神山監督にはある。
そうして昨夏、KBCは3度目の沖縄ベスト4に進出。だが、沖縄に"新風"を吹かせている感覚はないという。

「ベスト4の顔ぶれを見たら新しい学校が入っているけど、それでも夏の甲子園に行っているのは興南、沖縄尚学です。今の立場で言うと、まだ変化は起こせていない。跳ね返されている感じがします」

興南や沖縄尚学には、長い時間をかけて積み重ねてきた伝統がある。対して、KBCはまだ10年にすぎない。ベスト4には届くようになったが、その一歩を越えるために必要なものを神山監督は模索中だ。

「その一歩が次の夏になるために今、練習しています」

全国で台頭する多くの新鋭校にとって、難しいのが"あと一歩"だ。KBCが目指す場所に届いた時、ようやく世間の偏見は薄まり、新しい常識を広げられるかもしれない。

⚾岩手さんへ
またしても夏の甲子園入場料値上げには驚きました!!
よほど人気をなくしたいのか?ワケが分からないです。

昨夏2部制にしてその3日間特に夕方の部の観客動員が激減した反省を活かせず6日間に広げるとは、、、、、
初日なんて北北海道VS青森など近畿と縁もゆかりもない地域同士の対戦だと、出場校の親御さんたちが開会式のみ見学して終了即退場でスタンドがガラガラのナイターの恐れが!

第4試合18時45分開始だとだいたい21時前後の終了が見込まれるし、1日通しで見たい観客は7時開門から14時間ほど逗留していちばん熱い時間帯どこでヒマを潰すか?大きな課題ですね。

僕は昨夏の初日、、、開幕試合終わり電車で今津へ行き昼ご飯食べて歩いて甲子園に戻りましたが、朝と昼1日2回も今津~甲子園を歩くというハメに・・・・・。
第3試合終了21時36分で帰宅は23時頃としんどかった!
今年は2部制の日はもう夕方の部のみ外野で見ます。ライトスタンドだと日陰になるので涼しくなるし、レフトスタンドでも16時過ぎると直射日光浴びてもそこまで疲れないので。

そして4日目の午前2試合のみの日もカードによってはセンバツ以上の空席になるかも!?

しかし、7イニング制導入したところで延長続出したら結局9イニングあるいはそれ以上消化せなアカンから30分短縮なんて絵に描いた餅になるのではと。
大学・社会人に進んで9イニングできるだけの体力も備わっていないので競技のレベルが将来的に落ちますよ!!

マスカットは来年どう変わるか期待してます。浜山・鳴門オロナミンC・四日市霞ヶ浦あたりも楽しみだし、改装された豊中ローズも来月顔を出すので楽しみにしてます!
2025/02/08(土) 22時07分24秒 No.1581 編集 削除