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⚾今日のSAGA2024国スポ試合結果(最終日 決勝戦 さがみどりの森球場)
明徳義塾3-1小松大谷
明徳義塾は10年ぶり2度目の優勝🏆

📝京都国際高校・小牧監督が振り返る夏(前編)
https://sports.yahoo.co.jp/official/detail/2024100900008-spnaviow

第106回全国高校野球選手権大会は京都国際が初優勝を果たして幕を閉じた。

史上初のタイブレーク決着となった決勝戦では、京都国際の個性が光り2-1で制した。中崎瑠生、西村一毅の二人のサウスポーを中心にした硬いディフェンスと勝負どころの集中打は甲子園開催100年に相応しい新チャンピオンの誕生だった。

ほんの数年前までは「甲子園は目標ではかった」と指揮官の小牧憲継監督が語るほど選手の育成に特化したチームを作っていた。そんなチームがどのようにして日本一に辿り着けたのだろうか。甲子園の戦いぶりと、この十数年で積み上げてきた京都国際の歩みを追った。

「やっぱりこの逞しさがこの学年の強さやったんやろなって感動しましたね」

優勝報告の行事と遅れた新チームの指導に追われる多忙な日々が続く小牧監督は優勝後の3年生の姿勢を見て、この夏の成果を改めて感じた。

「大会が終わってから始業式の関係もあって3年生は1週間ほど帰省させていたんです。それで、始業式前の前日に戻ってきたら、もう、練習をしていました。22時半が点呼なんですけど、22時くらいまで打ち込んでいましたね」

京都国際の強さを一言で言うと「自発的練習量」だ。
指導者陣が止めないといけないくらい練習に向かうストイックさがこのチームの強さだ。決勝戦後の宿舎でも、帰省直後でも、3年生がいまだに練習量を落とさないと言うのはただ驚きしかない。

「少しでも長く野球をやりたい。甲子園で優勝するという目標よりもそっちの方が強かったですね。本当にメンバー外もみんなが良く練習しました。だから、甲子園で勝っていい想いをさせてやりたいという気持ちは強かったです」 

印象に残っているシーンがある。決勝戦の延長10回裏、2−1と1点リードして2アウト。マウンドの西村が最後の打者を三振に斬って取り選手たちがマウンドに歓喜の輪を作った。

甲子園では見慣れたシーンだが、その刹那、京都国際のボールボーイを担当している3年生の選手たちが人目も憚らず大泣きしていたのだ。夏の甲子園は21年連続で観戦しているが、決勝戦後にこんなシーンを見たのは初めてだ。

「ボールボーイをやっていた選手の中学校の指導者から『人のために涙を流せる。うちの子があんなに育ってると思わなかった』といってもらったんです。勝っておめでとうと言われるよりもそう言っていただけてすごく嬉しかったです。
本当に最後は一つになったというか、目に見えないプラスアルファの力が働いたような優勝だった気がしますね」

この夏の京都国際の戦いぶりはまさに一致団結していた。まずは決勝戦を振り返ってみる。 

史上初のタイブレーク決着となったこの試合は、京都国際が先攻めだった。延長10回表、無死1、2塁から始まるこの場面。打順は9番からだったが、小牧監督はここで大きな決断をする。
9イニングを無失点に抑えていたエースの中崎に替えて西村を代打に送ったのだ。西村はマウンドに行く予定の選手だが、この采配には裏があった。

「タイブレークの場面でバントを考えますけど、相手がシフトを敷いてくることを考えるとそれだけではいけない。ああいう場面でサインを無視して打ってライナーゲッツーになる。人間は失敗したことから考えると思うんですけど、西村はそういう失敗することを恐れない子だったんで、技術面とメンタルの両方を考えて西村に行かせました。裏のマウンドで投げる予定でしたけど、体を動かしといた方がいいのかなというのもありました」 

ここで西村は一仕事をする。無死1、2塁から西村がバントの構えをすると、高い守備力で勝ち上がってきた関東一は激しいバントシフトを仕掛けてきたのだ。いわゆるブルドック・ピックオフプレーだ。
しかし、2ボール1ストライクになった後4球目、西村はヒッティングに切り替えた。サインではない。

「シフトを引いてきたら打ってもいい」という許可が降りていた中で、西村が自分で判断してヒッティングにしたのだ。これが左翼前に転がって満塁。続く1番の金本祐伍が押し出し四球、2番の三谷誠弥も右翼犠飛を打ち上げて2得点。これで試合は決まったのだった。

自主判断による一打からの勝利が京都国際らしい。小牧監督は新チーム結成の頃は細かい指示を送るが、あまりとやかく言わない指導方針という。

「指導者が答えを言わないようにはしています。正しい方向に導いてあげないといけないんですけど、自分たちで考えておかしな方に進み出した時に、こういう考え方もあるんじゃないかとかいうことを話します。まずはやらしてみるってことですね。

野球って最終的には自分たちの感覚が大切になるんで、自分たちでわからないと監督やコーチに言われたことをその場で返事しても中身が全く伴ってない選手になってしまう。
新チーム当初は口うるさく言い続けますけど、ある程度のレベルまで来ると、選手たちに任せることが多いです」

最後の場面もバッテリーの思考が光った。タイブレークで始まり、西村の失策から1点を返された。なおも逆転のピンチとなったが、最後は西村のスライダーが空を斬ってピンチを脱した。このシーンで驚きだったのは最後の決め球がチェンジアップではなくスライダーだったことだ。

西村はもともとチェンジアップを武器とする投手だった。決勝戦までの23イニングを無失点。圧巻の魔球だった。
だがこの日、チェンジアップのキレが今ひとつだったため、伝家の宝刀を封印して攻め方を変えていたのである。

「ブルペンの時からチェンジアップはよくなかったみたいです。控え捕手から正捕手の奥井にもそのことは伝えられていて、奥井自身もこれまでにリードでいろんな経験をしていたので、最後はスライダーを選んだのだと思います」

京都国際は個性を重視してきたチームだった。これまでもチーム力のことを言わないわけではなかったが、個の力がチームを強くする。

そうした中で京都の上位校に進出できるようになり、3年前は春夏甲子園に初出場。夏はベスト4に進出。その姿を見て入学してきたのが今年の3年生たちだった。

「野球がしっかりできる子だなと言うのが最初の印象でした。でも、その反面、3年間の伸び率ではちょっと難しいちゃうかな。と。試合に出るのは早いけど、スケールの大きい選手たちに抜かされていくんやろうなと思っていました」

それが如実に現れたのが今年春のセンバツだった。1回戦で青森山田とぶつかり1点差の惜敗。個と個のぶつかり合いで敗れ「チーム力で勝つ」というワードがチームの中に大きな課題としてこの時に生まれた。

「選手たちにはプライドがあるんで、能力で負けたからといってゲームに負けていいのか。能力で及ばなくても最終的には勝ちたいと選手たちが話すようになりました。能力の差を何で埋めていくのかって考えたときにチームプレーに徹すること。0安打でもどうやって点を取るのか。ゲームで勝つことにこだわるようになりました」

試合で勝つための練習がメーンになった。決勝戦でのブルドック対策も「京都大会では龍谷大平安がやってくるから」とすでに対策済みだった。つまり、西村の強攻策は勝つための準備として備えていたものだった。
センバツの初戦敗退からの逆襲を目指し、春の京都大会を制して、そのまま近畿大会を初制覇。これが大きかった。

「力を合わせたら野球というゲームは勝てるんだと自信になりました。近畿大会で優勝した以上は、全国でやっぱり上を目指さないといけない。そこからは漠然と頑張っているだけだったのが、何が何でも日本一を本気で目指そうという雰囲気になりました」

甲子園では1回戦の札幌日大戦を皮切りに投打が噛み合った。先発は決勝戦まで、中崎と西村が交互に担当。2回戦、3回戦、準々決勝は完封。打線も長打は出ないものの、低く強い打球を意識して4試合連続二桁安打をマークして、3年前と同じ準決勝進出を決めたのだ。そして相手は青森山田だった。

試合は初回に2点を先制される苦しい展開。相手先発がエースの関浩一郎ではなかったこともあって、やや拍子抜けしたチームは精彩を欠いていた。ところが、5回を終えてクーリングタイムに入ると、青森山田は関が投球練習。「よっしゃ行くぞ」と気合いを入れ直し、6回に逆転。そのまま試合を制したのだった。

チーム力を結集して頂点まで上り詰めた。レギュラーとベンチ外が分け隔てなく練習をする空気があり、それがチームの力になった。小牧監督は優勝の意味をこう実感する。

「優勝することでしか見えない景色というのは感じました。甲子園に出発する前と甲子園に戻ってきてからの選手の表情も違いますし大人になったなと感じます。やっぱり技術の枝葉っていうのは人間力という土台があってのものだと思います。ここから選手たちにどういう化学反応が起きるのか。引退した3年生は今もガンガン練習をやっていますので、次のステージに行くまでにどういう成長の仕方をしてくれるのかはすごく楽しみです」

監督から言われるでもなく、尻を叩かれるわけでもなく自ら動いて勝利に向かう。韓国系民族学校の系譜がある学校はその話題も注目されたが、また新たな歴史を刻んだ栄ある優勝だった。

📝 京都国際高校・小牧監督が振り返る夏(後編)
https://sports.yahoo.co.jp/official/detail/2024100900009-spnaviow

練習量多寡は今のアマチュア野球界で度々議論される。
長時間練習は本当に身になるのかどうか。拘束する時間も含めて、今の野球界で見直されている感がある。
しかし、この夏、京都勢68年ぶりの夏の甲子園制覇を果たした京都国際はそうした議論とは無縁の学校だ。

「こっちとしては100%のパフォーマンスが出せる状態で大会に挑みたかったんですけど、少しの時間でも練習したいというのが選手たちにはあるみたいで。甲子園期間中だと9時から15時までを練習時間にしていましたけど、結局、19・20時になると選手は出てきて練習をし始めていました」

京都国際の指揮官・小牧憲継はそう語る。甲子園期間中も選手たちに聞いてみたところ、気がつけば練習場に体が向いているのだという。監督や指導者は命令をしていないというのにだ。

世の中には不思議な空間がある。その場に行けば自然とそういう行動に出るというよう場所だ。例えば、神社仏閣に行くと、ポイ捨てされたゴミを見ることはないだろう。それは掃除が行き届いているのではなく、その場の空気が人の行為・行動を整えてしまうのだ。京都国際のグラウンドにもそういった空気がある。その場に行けば練習をしようという気になるのである。

とはいえ、小牧監督が就任した当初から、今のような空気があったわけではない。韓国系民族学校のルーツを持ち、今や日本人の生徒が70%以上を占める学校は京都府内において、それほど知名度があったわけではなく、入学してくる部員のレベルも高くなかった。

かといって、選手を勧誘しても有望選手が来てくれるようなチームではない。そんな事情から小牧監督が目指したのは選手一人一人を育てるという指導方針だった。

小牧監督はいう。「学校のいろんなバックボーンがあってなかなか選手が来てくれなかったので、どうやったら認めてもらえるかなって考えた時に、今いる選手たちを1人でも多く上の世界に送り込めたら、周りの中学校のチームの方たちも認めてもらえるんじゃないかなと。それが始まりだった」 

もともとは甲子園を目指すため、その成果を上げることの一つとしての育成だったが、時が経つにつれて、そんな思いは消えていったという。そして、ある選手の入学から一気にチームは変わった。その選手とは曽根海成選手(広島)だ。 

内野手としてユーティリーティ性のある曽根は京都国際を卒業後に育成枠でソフトバンクに入団。支配下指名を勝ち取り、2017年にジュニアオールスターのMVPを獲得したほどだ。今は広島に移籍して11年目のシーズンを迎えている。

「曽根はスカウティングをして獲った選手なのですが、曽根を見ていた時に、ある学校の指導者から『曽根を欲しがっているようじゃ甲子園は無理』と言われたんですよね。
でも、当時のうちのチームからして、キャッチボールができるだけで十分な選手だった。だから来てもらいたかったんですけど、実際、曽根は本当によく練習をする選手でした。どんなきつい練習にもついてきたし、それがプロに行っても可愛がられているのかなと思う」

あんな選手でもプロに行けるのか。なかでも、ジュニアオールスターでMVPを取ったことのインパクトは大きく、そこから選手の流入において変化が生まれたのだった。

甲子園を目指す学校としてではなくプロに行けるかもしれない。今や11人のプロ野球選手を輩出しているが、小牧監督の中では指導方針の腹は決まった。
甲子園を目指すために、評判を良くすることが狙いだった選手育成が、いつからか「選手育成が第一」となっていたのだ。

小牧監督はいう。「現実問題、グラウンドが狭くチーム練習もできないのでどうしたらいいんやろうっていうのがあったので、そこで僕自身が吹っ切りました。逆に甲子園を目指さない。個の能力だけを徹底的に磨いていい大学に獲ってもらう、社会人、プロに行けるそういう集団であってもいいんじゃないかなと。甲子園出場のことは僕自身忘れていました。

もちろん、ゲームになったら勝ちたいですし、ピッチャー対バッターの対戦では、それぞれが打ちたいし、抑えたいというのが野球選手の本能やと思うんですけど、甲子園に行くっていうよりかは、甲子園の地区大会が選手の品評会な。スカウトに見てもらう場所であるという感覚はありました」。

もっとも、選手育成に振り切れた理由には環境面もある。
練習グラウンドの校庭は左翼と中堅70メートルしかなく右翼は65メートルと歪な形をしていて試合ができる環境ではない。加えて、2021年に甲子園初出場を果たすまで、校庭は砂利でできており、全国の高校野球部に当たり前のようにある内野の黒土は存在していなかった。

しかし、この環境の不備が逆に育成に役立った。全体練習はできることに限りがあり、個人練習に時間が割かれた。加えて、砂利で練習することが内野手の技術向上に役立った。

小牧監督は自嘲気味にいう。「(砂利は)どう跳ねるかわからないんですよね。普通のバウンドが1球も来ないんで、だから脱力していかにどう跳ねるかわからないバウンドに反応していくかが求められました。グローブを下から上に動かして捕るとか。特別なことをするというより、練習していく中で無意識に体が覚えていくという練習をしていました」

まるで中南米のアカデミーのような話だ。グラウンドがボコボコなところでやるから上手くなる。実は小牧監督は、それをよく理解していたのだ。

「キューバやドミニカ共和国のショートってかっこいいじゃないですか。子どもらはすぐに言い訳してイレギュラーするみたいな顔をするんですけど、ドミニカの野球場は瓦や砂利、石ころの上で野球やっていて、ここはまだ土っぽいやろと、納得させていました。当時はまだ参考文献とかもないですし、ドミニカの野球を真似るといっても、見よう見まねですけど、トレーニングなどは参考にしていました」

そうして選手が育ち、評判が評判を呼び選手が集まり出した。そして、2021年には春夏甲子園。夏はベスト4にまで上り詰める快挙を果たす。その活躍を見て入学してきたのが今年の3年生で、キャプテンで遊撃手の藤本は福岡からやってきた選手だ。

ある程度こなれた選手で、スケールはそれほど高くなかったが、それが上手く作用し、これまでとの方針とはまるで異なり「甲子園で勝つこと」を目指して結果を逃したのが今年のチームだった。

何もないところから選手育成を目指し、それが結果として繋がった。もともと、上の世界で活躍する選手の育成を目指してきたチームだったから、練習を自ら進んでやる空気はこの頃から生まれはじめた。年度によって違いはあるにせよ、個別で練習に取り組む空気感はそうして醸成され、今の形になったということである。京都の新鋭校の初載冠はそうして実現したのだった。

「そういう文化・風土だけは後輩に失ってもらいたくないですね。日本一という大きな財産を3年生が残してくれましたけど、それ以上に京都国際は練習してなんぼやっていう。そこを追求する姿勢だけは後輩に代々受け継がれていってほしいと思います」

ただ、一つ悩みがある。小牧監督は今でも育成を第一にして個人の成長を第一に考えているが、甲子園の活躍であの舞台を活躍することを目指す選手が増えてきたのだという。
甲子園で勝つことの意義は感じているが一方で、勝利に固執することで、選手のスケールを小さくしてしまう可能性も小牧監督自身が危惧するところでもあるのだ。

「僕は個々の能力を見出して、1人でも多く上の世界で活躍できる選手を育てたい。このスタンスだけはやっぱり曲げたくない。選手たちが勝つことを求めたいって言ってきたときに、どうしていくべきか。

今回、勝たせてもらって人間としても大きく育ったのを見ると、(勝つことは)すごい経験だなと思います。そのさじ加減、塩梅が難しいです。新チームについては今の3年生より各ポジションにスケールの大きい選手がいるんです。この子たちが1年後に今の3年生と同じ気持ちでやってくれたら絶対上回ると思います。

この子たちがどういう成長を見せてくれるのか、今回はチーム力で本当に高校野球のお手本のような野球でした。今度は逆にプロ予備軍みたいなチームを作り上げてみたいなっていう僕の欲通しい野望もあります」。

勝利と育成の狭間で揺れることは高校野球の強豪が通るべき道なのかもしれない。
一つの優勝がさらなる期待を呼び、勝つためのチーム作りを余儀なくされる。

育成集団・京都国際が甲子園で結果を残して、これからどの道に進んでいくのか。個人的にはこれからが楽しみなチームである。

☝明徳義塾が国民スポーツ大会V 西武・岸潤一郎を擁した2014年以来2度目の優勝
https://news.yahoo.co.jp/articles/d76578faf23326320f7216758a7e2cef509c0eba

◆国民スポーツ大会 高校野球硬式 ▽決勝 明徳義塾3―1小松大谷(9日・佐賀県立森林公園野球場)

決勝が行われ、夏の甲子園16強の明徳義塾(高知)が、同じく16強の小松大谷(石川)を破り、10年ぶり2度目の優勝を果たした。

2回に1点ずつを奪い合い、その後、両校無得点のまま迎えた1―1の7回、明徳義塾が2死満塁を作り4番・長谷川烈央右翼手(3年)が押し出し四球。続く5番の高橋龍成三塁手の左前適時打で、3―1とした。投げては背番号1の内山瑠唯(3年)が、地元・佐賀で3安打1失点完投した。

夏の甲子園は3回戦で関東第一(東京)に敗れ16強も、3年生にとって最後の公式戦で、初戦に大社(島根)、準決勝で夏王者の京都国際を撃破。現西武の岸潤一郎外野手を擁した2014年大会以来の優勝で締めくくった。

📝エスコン開催の収益還元へ 11月に北海道・東北地区の交流試合実施決定 来年はドーム開催も検討
https://news.yahoo.co.jp/articles/8045f12f63ab4035852b234adf78db7503268e29

北海道高野連は9日、11月3、4日に福島県のヨークいわきスタジアムで「第1回北海道・東北地区高校野球交流試合」を開催すると発表した。

本州の学校と比べて他都府県との交流が少ないことから、道内トップ層の強化を目的に3年ほど前から計画が練られてきた。初回となる今年度は、秋季北海道大会の準優勝校と優勝校に準決勝で敗れた2校、東北からは開催地の福島県から1校、秋季東北大会出場校から1校の計4校で全4試合を実施し、未就学児から小学生低学年対象の普及、振興活動も行う。

北海道代表2校の遠征費約500万円は、全額北海道高野連が負担する。昨年から夏は一部の試合がエスコンフィールド、秋は北海道大会の全試合が札幌ドーム(現・大和ハウスプレミストドーム)で開催されるようになり、昨年度の収入は予算の倍に当たる約8740万円を計上。第一弾として春に実施した全加盟校への新基準バットなどの野球用具配布に続き、第二弾として交流試合を開催する。

来年度以降も実施する方針で、横山専務理事は「来年は北海道での開催も考えていて、札幌ドームで実施する可能性もある。子供たちが頑張ってお客さんが球場に来てくれたので、(収益を)還元していきたい」と話した。
2024/10/09(水) 22時20分24秒 No.1389 編集 削除