EDIT FORM

以下のフォームから編集を行ってください
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾明日の和歌山大会新人戦組み合わせ(7日目 準決勝 田辺SP球場)
  ☆ 10:00~ 和歌 山東-紀 央 館
  ☆ 13:00~ 初芝 橋本-智弁和歌山

⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(初日 1回戦 上富田球場)
    09:00~  向 陽 -田 辺 工
    11:30~ 有貴南連合- 神 島
☆☆☆ 14:00~  耐 久 -市和 歌山

⚾明日の兵庫大会組み合わせ(初日 1回戦)
明石トーカロ球場
    09:00~ 東 播 磨-川西 緑台
    11:30~ 尼 崎 工-  社
  ☆ 14:00~ 三田 学園- 琴 丘

ウインク球場
  ☆ 10:00~ 姫 路 工-三田 松聖
    13:00~ 三田 西陵- 高 砂

G7スタジアム
 ☆☆ 10:00~ 明 石 商- 飾 磨
    13:00~ 県 伊 丹- 市 川

ベイコム球場
    10:00~ 飾 磨 工- 鳴 尾
    13:00~ 尼崎 双星- 柏 原

淡路佐野球場
☆☆☆ 10:00~ 彩星 工科-須磨 翔風
    13:00~  育 英 -加古 川西

高砂球場
    10:00~ 高 砂 南- 赤 穂
    13:00~ 尼崎 小田-西 宮 東

💢高校野球 菰野の前監督に謹慎7カ月の処分 至近距離でのノック、約2時間ランニング、練習試合で相手のコールドスプレー拒否「そんなんいらん」
https://news.yahoo.co.jp/articles/70d31f49013bad00f05bf45edebce33ad46fdb8a

日本学生野球協会の診察室会議が6日、都内で開かれ、今夏の甲子園に出場した菰野の前監督に不適切指導と体罰と暴言、報告義務違反で7カ月の謹慎処分を科した。

今年6月8日の練習試合終了、野球部保護者から部長に前監督の部員への指導について文書で指摘。同16日に保護者と学校関係者で話し合い、出席した保護者に対して前監督は指摘を認めて謝罪していた。

その後、部員にアンケートを実施し複数部員から被害の申告があったという。校長が部員に聞き取りした内容では、昨年9月に約2時間のランニングを続けさせた事案や、3~4メートルの至近距離で1球、強いノックを打ち、部員の腕に当たったこともあったという。さらに他県で練習試合が行われた際、投手強襲の打球が右手に当たり、相手チームがコールドスプレーを持ってきて手当をしようとしたところ「そんなんいらん、早く投げろ」と発言。最終的に9回完投も「ふざけるな、なにしとるんやバカヤロウ」などの暴言があったという。

前監督の謹慎は6月17日~来年1月16日まで。すでに同校によって解任されている。今夏の甲子園は別の監督が指揮を取り、初戦の南陽工戦に勝利。2回戦では西日本短大付に敗れた。

💢高校野球 盛岡誠桜の校長に異例の無期謹慎処分 不祥事に対し高野連の調査要請を拒否 進言の野球部指導者を脅す
https://news.yahoo.co.jp/articles/78914cf13eebeae417af9bb2b03e4a56091e3c59

日本学生野球協会の審査室会議が6日、都内で開かれ、盛岡誠桜の校長が日本学生野球憲章違反で9月7日から無期謹慎の処分が下された。

同校長は県高野連などの複数回の調査要請を拒否し、野球部の指導者が調査・報告を進言するも頑なに拒否し、雇用の問題を匂わせ脅かすような発言もあったという。現在は教頭が代行して最高責任者を務めている。

「学生野球憲章には校長は指導者であり最高責任者。そのため事件があった場合は、校長が調査して県高野連に報告する義務がある」とし、「高野連の亀井へ任意。加盟するならば憲章を守る義務がある」と違反についての説明がなされた。

同校の硬式野球部を巡っては、複数の元部員による引退後の飲酒・喫煙、部員に対する監督の暴言やハラスメントが疑われ、日本高野連が複数回にわたり調査を要請。だが、不祥事の疑いに関する調査報告要請に応じなかったとして、日本学生野球協会が校長を謹慎処分にし、それに対して校長が処分の撤回を求めて会見するなど、騒動となっていた。

6月の会議では前副部長(今年2月盛岡誠桜を退職)が暴言や口止め、深夜の正座強要など、不適切行為や虚偽報告があったとして、除名の次に重い無期謹慎に。63歳の監督も「ぶっ殺すぞ」と腹部を叩くなど、暴力や暴言があったとして無期謹慎の次に重い2年間の謹慎処分が下されていた。

💢盛岡誠桜の校長が日本学生野球憲章違反で無期謹慎に 日本学生野球協会が高校7件を処分
https://news.yahoo.co.jp/articles/7abb997d98859030d0d62cb135ec505220b80268

日本学生野球協会は6日、都内で審査室会議を開き、高校7件の処分を決めた。

盛岡誠桜(岩手)の校長は「日本学生野球憲章上の指導者である校長の、日本学生野球憲章違反」として9月7日付で無期謹慎処分となる。

複数回の調査報告義務違反などがあった。尾上良宏理事は「憲章の根幹にかかわるところの認識があるにもかかわらず、そこへの拒絶が続いていました。拒絶への理由にも理解しがたいものがあった」とし、この日の処分内容についても「いろいろな議論がありました」とも明かした。

同校は昨年8月末に3年生部員(当時)の飲酒行為や野球部指導者による部員、一般生徒への暴言などが判明した。同校長(野球部長を兼任)は審査室から調査や報告を求められていたものの対応がなく、今年4月10日から1カ月半の謹慎となっていたが、さらにその後の報告提出もなく、5月25日から9月6日までの謹慎となっていた。

同校は5月10日に会見を開き、審査室の処分に対する不服申し立てをしたものの、学生野球協会への書面提出がなく、新たな証拠もないため、同協会は不服申し立てを棄却していた。この間、雇用上で脅迫ともとれる発言もあったと審査室は認識している。

同案件をめぐっては前副部長(退職済み)が「部内暴力や暴言、虚偽報告」などですでに無期謹慎処分になっており、監督も「部内での暴力、暴言、虚偽報告」で26年9月6日までの2年間の謹慎処分が下されている。同連盟では一般的に有期の謹慎処分は最長2年とみなしている。その他6件は以下の通り。

新潟工の監督は「入試制度にかかわる守秘義務違反」で8月5日から6カ月間の謹慎。

武生商工(福井)のコーチは「不適切発言と不適切指導(部内)」で5月23日から6カ月間の謹慎。

菰野(三重)の前監督は「不適切指導と体罰と暴言(部内)と報告義務違反」で6月17日から7カ月間の謹慎。

昴学園(三重)の監督は「体罰と不適切指導と暴言(部内)と報告義務違反」で7月24日から4カ月間の謹慎。

東大阪大柏原(大阪)の野球部長は「報告遅れと虚偽報告」で8月21日から3カ月間の謹慎。

立正大淞南(島根)のコーチは「体罰(部内)」で8月4日から1カ月間の謹慎。

📝センバツ初V・夏2回戦惜敗の健大高崎、23年前はボール1ダースとバット1本の同好会…空き地で草取りから
https://news.yahoo.co.jp/articles/5c8828d0ad5fb2dd8d45967cb50860317df7ee6b

史上8校目の春夏連覇をかけて甲子園に出場し、2回戦で惜敗した健大高崎高野球部の夏が終わった。チームは創部以来初めて、秋から夏の群馬県大会で3連覇を成し遂げ、春の選抜大会では県勢初優勝の快挙も果たした。全国有数の強豪に成長したが、生まれたのはわずか23年前。きっかけは、一人の1年生の働きかけだった。

小さな空き地で

2回戦で智弁学園に敗れ、アルプス席に向かってあいさつする健大高崎の選手たち(14日、甲子園で)=大金史典撮影

初代主将で現在は同部OB会長の倉持雄太さん(38)は共学化1年目の2001年に入学した。当然野球部はなく、「高校でもやりたい」と40人しかいない同級生の男子全員に声をかけた。半分が賛同して5月に同好会ができたが、学校がくれたのは野球ボール1ダースとバット1本、使われていない小さな空き地だけだった。

放課後に雑草を抜き、小石を拾った。塁を置いてダイヤモンドを作ってみたが入りきらず、二塁は少しマウンドに近づけた。

放課後は毎日キャッチボールやノック練習をしたが、経験者は4人だけ。同好会では大会にも出られず、仲間だけで和気あいあいと取り組んだ。ミスをしても誰も文句は言わなかった。

初の県大会は0―12
 
転機は1年後の4月。野球部に昇格し、現れたのが青柳博文監督だった。始業式後、教室で監督は言った。「甲子園を目指して厳しくやっていく」「まずは頭を丸めてこい」。

「遊びのつもりだった」と、監督の話の途中で部員の3分の1が教室を出て行ったが、残った部員は翌日、教室の床に新聞紙を敷いてバリカンで髪を刈った。

その日から練習は大きく変わった。青柳監督からは「一歩が遅い」と怒号が飛び、練習をボイコットする部員もいた。初出場した夏の県大会は初戦で0―12の七回コールド負け。ユニホームと校名入りのバッグが恥ずかしくなり、隠すようにバッグを自転車のカゴに載せた。

それでも、倉持さんたち1期生9人は最後まで続けた。3年の夏の県大会が終わると、青柳監督は泣きながら言った。「お前たちが作ってくれたからこの野球部がある。これから俺が強くしていくから、応援してくれ」

「OBと全員で取った勝利」
 
それから21年。チームは箱山遥人主将の「勝ちにこだわり泥くさく」という方針の下、選抜大会で優勝し、「弱い」と言われ続けた夏の県大会も9年ぶりに制した。夏の甲子園は2回戦敗退となったが、倉持さんは「重圧の中、春夏連続で甲子園に出たことに尊敬と感謝の気持ちでいっぱい。OBとして誇らしかった」とたたえた。

試合後、箱山主将は「野球部がなければこの仲間と出会っていなかった。(夏の県大会優勝は)OBの方々と全員で取った勝利。甲子園の舞台を全員で見ることができて良かった」と目を赤くした。そして、「健大高崎を夏の甲子園に行ける学校にできた。それを崩さずにいってほしい」と、倉持さんたちのように、後輩の活躍を願った。
2024/09/06(金) 21時27分41秒 No.1357 編集 削除