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⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(最終日 決勝戦)
☆☆ 10:00~ 関 東 一-京都 国際
📝関東第一VS京都国際の決勝は低反発バットの時代を象徴する対戦…前智弁和歌山監督の高嶋仁氏が占う
https://news.yahoo.co.jp/articles/b34b77ee8b0d8e420cf8e8e71f3d0435d3644113
第106回全国高校野球選手権大会の決勝は23日午前10時に試合開始。決勝史上初となる東京勢と京都勢による“新旧都対決”となる。甲子園で歴代2位の通算68勝を誇る前智弁和歌山監督の高嶋仁氏(78)が決勝を占った。
投手が良く、似たチームの対戦になりました。京都国際が、やや有利でしょうか。打線はしぶとく、単打できっちり得点を挙げます。左投手でも右投手でも、攻略法を練習してきているように映ります。
今大会で犠打は京都国際が5試合で17、関東第一は4試合で12。甲子園では「一つでも先の塁に」というのが鉄則です。失策は、ともに各試合1以下です。今春から低反発バットが導入され、芯で捉える技術は上がるでしょうが、派手な打撃戦はもう見られないでしょう。守備が堅く、バントをしっかり決める。両校は、新基準バットの時代に必要な細かい野球ができています。
京都国際の西村君は度胸がいい。思い切って、右打者の内角を突ける。だから、外角のチェンジアップが生きる。左投手は左であるだけで「球種が1つ増える」と言われるほど、対応が難しい。
関東第一の坂井君も、今大会は無失点と好調です。エースを試合途中から投入することで、チームにリズムを生んでいます。捕手の熊谷君は捕ってからすぐ投手に返球して、打者に考える余地を与えていません。
両監督は継投が早い。四球と失策を含めて、投手交代のタイミングが勝敗を分けるでしょう。
☟PL学園の現在 硬式野球部に続き軟式も今夏に休部、高校の入学者はわずか9人 教団名物「花火大会」もなくなり「機関紙」も休刊へ もはや「風前の灯火」
https://news.yahoo.co.jp/articles/82fa8d1be4b30fc004d33bfcbdca724059e86c83?page=1
「PL」が壊滅状態だ。学校法人であるPL学園では2016年に活動を休止した硬式野球部に続き、軟式野球部も3人の3年生部員(1人の女子部員を含む)しかおらず、連合チームで出場した今年の夏をもって休部になることが決まった。だが、PLをめぐって「なくなったもの」は野球部だけにとどまらないという──。
PL学園の硬式野球部は、学園母体である宗教法人パーフェクトリバティー教団(PL教団)の2代教祖だった御木徳近氏の肝いりで強化が始まり、「学力は東大、野球は甲子園」というキャッチフレーズを校内に掲げて、全国にある教会のネットワークを駆使して情報を集めて声をかけていった。
その結果、PLで野球をやりたいという有望な球児が、わざわざPL教に入信してまで(PL学園に入学するためには両親も含めて入信する必要がある)、全国から大阪府富田林市に集まり、同校は春夏あわせて7度の全国制覇を誇る超名門に。KKコンビ(桑田真澄、清原和博)をはじめ、同校を卒業後、プロ野球選手となったOBは82人にのぼる。
しかし、教団の広告塔を担っていた硬式野球部は、2000年代以降に起きた相次ぐ不祥事の影響もあって、2016年には活動を休止し、翌年には高野連から脱退した。
その一方、硬式とまったく同じユニフォームを身に纏って戦う軟式野球部には、1学年20人という硬式に入れなかった生徒や、PL学園中学から軟式野球をやっていた信者の2世などの受け皿として存在した。軟式野球部もこれまで11度にわたって夏の大阪大会を制し、2001年には全国制覇も遂げている。
もともと信者ではなかった生徒が中心となる硬式とは違い、軟式には信仰心のあつい生徒が集まっていた。それゆえ、教団および学園内では重宝され、教団の機関紙である「芸生新聞」では2016年夏、テレビや新聞が大きく報じた硬式野球部のラストゲームを中面で小さく扱い、軟式野球部が夏の大会の開会式に参加したことを一面で大きく紹介していた。
だが、今夏をもって、その軟式野球部までなくなってしまうというのだ。今年度の高校の入学者がわずか9人という状況では、活動休止も仕方ないのかもしれない。
PLランド、PL短大、そしてPL花火大会も「消滅」
PL教団の最盛期は、KKコンビが入学した1983年だろう。信者数は公称で261万人に上っていた。しかし、同年に御木徳近氏が死去すると、求心力を失った教団の信者数は減少の一途をたどり、2代の遺物がことごとく消滅していく。
たとえば、聖地内にあった遊園地の「PLランド」だ。1957年に開業した遊園地も、1989年には閉鎖に。また1974年に開校したPL短大は2000年に廃校となった。
また大阪における夏の風物詩で、かつては12万発も打ち上げたPL花火大会(正式名称を教祖祭PL花火芸術という)もコロナ禍前の2019年を最後に開催されていない。
近鉄喜志駅と富田林駅にまたがる広大な聖地にかつては1万本の桜が植えられており、春には聖地を桃色に染めていた。しかし、その桜の木も伐採が進んだ。その理由は信者に知らされていない。さらに、聖地内の池や谷が残土で埋められていることにも信者は心を痛めている。信者が心のより所にする聖地が、産業廃棄物という不浄なもので埋められていくのだ。支持を得られるはずがない。2代教祖の時代から信仰する信者が話す。
「教団の運営が行き詰まっているからこそ、聖地を産業廃棄物で埋めて運営費に充てていると思われます。花火大会の中止も、表向きはコロナ禍が理由でしたが、もはや花火大会を開催する余裕すらなく、花火大会を中止にする口実としてコロナ禍は渡りに舟だったでしょう」
教団では2020年12月に3代教祖であった御木貴日止氏が63歳の若さで死去し、以降は教祖不在という、リーダー不在の状況が続いている。PL教における信仰の対象は宇宙全体を指す「大現霊(みおやおおかみ、だいげんれい)」という神だが、その代理として現世にいるはずの教祖なくして、宗教団体としての存在意義などあるのだろうか。2代教祖の娘にあたる人物が、教団内の実権を握る3代教祖夫人・美智代氏の退陣を迫るような動きもあるとはいえ、お家騒動が続く状況に信者の心は完全に離れている。
“機関紙”の発行も停止!?
そして、教団の機関紙である「芸生新聞」も年内をもって休刊になるということが新日本宗教団体連合で噂になっているという。教団としての活動を信者に報告する機関紙を止めるということは、もはや宗教団体としての活動を続けるつもりもないということではないか。そこで、芸生新聞を発行する芸術生活社に連絡を入れた。
「まだ正式に決まったことではないので、返事はしかねなるんですが……そういうことも検討しているというような感じでございます。(休刊の時期は)来年度以降だと思います」
担当者によると、芸生新聞は昭和37年の創刊で、現在の公称部数は10万部だという。しかし、10年ほど前に筆者が芸生新聞に携わっていた人物を取材した時でさえ、既に発行部数は7万部程度だったと証言していたことから、教会の統廃合などが進んだ現在はもっと少ないと予想される。休刊も、やはり美智代未亡人の意向なのだろうか。
「お答えしかねます。われわれは粛々と発行を続けていくだけであります」
教祖は不在。機関紙は休刊。国民に愛された野球部も花火大会ももう存在しない。PLの灯が間もなく消えようとしている。
📝93年ぶり8強入り、大社の躍進生んだ石飛文太監督とは? 以前は管理野球、今は選手と一緒に泥まみれ
https://news.yahoo.co.jp/articles/2d80b8a88907f05c0c3dacc9c51446906c062966
第106回全国高校野球選手権大会で、報徳学園(兵庫)など有力校を破って93年ぶりとなる8強入りを果たした大社。躍進の背景には、選手たちと共に汗を流して練習し、対話を深めた石飛文太監督(42)の指導があった。
2020年8月に監督就任。当時は試合でのサインや練習メニューを細かく指示する「管理野球」だった。だが、21年春は県大会の地区予選で初戦敗退。22年の夏も県大会初戦で敗れ、「監督として勝利のために何ができるのか」と苦悩した。
そんな中、立ち返ったのは選手との信頼関係を育む環境づくり。打撃練習では自ら外野に立って「いい打球だ!」と球を受けた。昭和の日に始めたことにちなむ、雨の日に行われる「昭和デー」と呼ばれる守備練習では、選手と共にノックを受けて泥にまみれた。
選手との信頼関係がはっきり表れたのは、3回戦の早実(西東京)戦。延長にもつれ込んだ十一回、石飛監督は「ここで決められるやつは手を挙げろ」とベンチに問いかけた。挙手した2年の安松大希選手を代打に起用。島根大会を含めて一度も出場がなかったが、三塁線への完璧なバントを決め、チームのサヨナラ勝ちを呼び込んだ。
自ら掲げた8強以上という目標を成し遂げた大社ナイン。石飛監督は「目標達成には何が足りなくて何が必要か、選手たちに常に問い続けてきたことが結果につながった」と振り返った。
☝甲子園の宿舎舞台裏映像が「めちゃくちゃ感動」と話題 敗退の大社を東海大相模が出迎え「褒め合える関係最高」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9f83f045475acf931b4458b869f59aab64121ac4
ABCテレビ『熱闘甲子園』の公式TikTokアカウントが22日までに更新され、準々決勝で敗退した大社(島根)と東海大相模(神奈川)の舞台裏映像が公開された。
ともに準々決勝で敗退した。93年ぶりベスト8入りの大社は今大会でアルプススタンドの“爆音”声援が話題になっていたが、神村学園に敗戦。一方のプロ多数輩出の東海大相模は強豪校として期待されていたが、関東一(東東京)に敗れ準々決勝で姿を消すことになった。
敗戦した大社が宿舎に向かうと出迎えていたのは東海大相模のメンバーたち。同じ宿舎で過ごしていたといい、帰ってきた大社にハイタッチ。「ナイス」などとエールを送っていた。
2校はその後、部員同士で写真撮影。同じ宿舎同士で絆が芽生えていた。「こうやってお互い褒め合える関係最高だな~」「めちゃくちゃ感動します」「友情はぐくんどる」「高校生っていいな」「良い交流。涙が出ます」などのコメントが寄せられている。
📝甲子園で安打を放った4選手が教える「低反発バット対策」…スカウトは《選手を評価しづらい》と嘆き
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/359327
「バットの形そのものが変わるわけじゃない」
今春から導入された低反発バットが甲子園で“猛威”を振るっている。
大会12日目の19日、関東第一(東東京)の高橋(3年)が打ったソロが、今大会7号。金属バット導入以降、過去最少だった1974年の11本をさらに下回る“勢い”である。
19日時点で、夏に優勝経験のある強豪校は全滅。彼らの強力打線が「飛ばないバット」で封じられている面もあるだろう。
健大高崎(群馬)の青柳監督は「今のバットはパワーも必要。パワーがないと振り回される」と言えば、早実(西東京)の和泉監督はむしろ「本来、打撃は選手自身の体に合わせたものでなければいけない。今回は自身の打撃を見つめ直す良い機会」と語るなど、指導者によっても考え方がさまざまな低反発バット。実際、このバットを使う甲子園でヒットを打った選手たちはどんな対策を取ってきたのか。
掛川西(静岡)の佐藤駿斗(2年)が言う。「長打が出にくいけど、芯に当たれば飛ぶ。僕は長打を打つタイプじゃないし、もともと低い打球を打つようにやってきました。最初は従来の金属バットよりも細くて違和感があったけど、バットの形そのものが変わるわけじゃないんで」
同じく掛川西の鈴木脩平(2年)は「うちは日本で一番早く、低反発バットを導入したらしいですよ」と、こう続ける。
「打球が飛ばないから低い打球を打つのがカギ。長打は狙わず、低く低くと意識しています。去年の秋季大会の最初の頃は全然打てなかったけど、冬に振り込んで、春あたりから慣れてきました」
93年ぶりにベスト8に進出した大社(島根)の下条心之介(3年)は監督やコーチから「長打は狙わなくていい」と指導されていたという。
「打撃練習の時から『フライは上げるな』と言われていました。秋季大会ではなかなか強い打球が打てませんでしたが、冬に1日1000本のティー打撃をして、振る力が強くなりました」
頭を抱えるプロのスカウト
捕手目線で語るのは、鶴岡東(山形)の億田知輝(3年)だ。
「とにかく強いゴロを打ちやすそうなコース、主に外角低めには構えないようにしていました。高めはつり球と割り切っていましたね。中途半端なコースだと、低反発バットでも飛ばされるので」
創成館(長崎)の中村部長は「うちは元々大きいのを打てる選手がいないので、チームとしての対策はそれほどしてません。ただ、バントやエンドランなどを重視してきた」と話す。
とにかく「低く強いゴロを打つ」というのが、多くの選手の共通認識。高校野球の打撃が大きく変わろうとする中、頭を抱えているのがプロのスカウトたちだ。セのあるスカウトは「選手の評価を判断しづらい」と、こう続ける。
「低いゴロの打球ばかりだと、選手のパワーを測りにくい。低反発バットだから多少は差し引いて見ても、『本来はどれだけ飛ばせるのか』という部分は試合だけじゃ分析できない。それこそ、普段の練習からチェックしないと正当な評価を下せません。投手にしても長打を打たれずに抑えれば評価は上がるが、それが純粋な実力なのか、低反発バットの恩恵が大きいのか、判断するのは非常に難しい。しかも、一発ドカンと食らえば、我々としても評価を下げざるを得ない。いずれにせよ、投打ともに試合以上に練習でのチェックが重視されるでしょう」
低反発バットが高校野球の分水嶺であることは間違いなさそうだ。
☆☆ 10:00~ 関 東 一-京都 国際
📝関東第一VS京都国際の決勝は低反発バットの時代を象徴する対戦…前智弁和歌山監督の高嶋仁氏が占う
https://news.yahoo.co.jp/articles/b34b77ee8b0d8e420cf8e8e71f3d0435d3644113
第106回全国高校野球選手権大会の決勝は23日午前10時に試合開始。決勝史上初となる東京勢と京都勢による“新旧都対決”となる。甲子園で歴代2位の通算68勝を誇る前智弁和歌山監督の高嶋仁氏(78)が決勝を占った。
投手が良く、似たチームの対戦になりました。京都国際が、やや有利でしょうか。打線はしぶとく、単打できっちり得点を挙げます。左投手でも右投手でも、攻略法を練習してきているように映ります。
今大会で犠打は京都国際が5試合で17、関東第一は4試合で12。甲子園では「一つでも先の塁に」というのが鉄則です。失策は、ともに各試合1以下です。今春から低反発バットが導入され、芯で捉える技術は上がるでしょうが、派手な打撃戦はもう見られないでしょう。守備が堅く、バントをしっかり決める。両校は、新基準バットの時代に必要な細かい野球ができています。
京都国際の西村君は度胸がいい。思い切って、右打者の内角を突ける。だから、外角のチェンジアップが生きる。左投手は左であるだけで「球種が1つ増える」と言われるほど、対応が難しい。
関東第一の坂井君も、今大会は無失点と好調です。エースを試合途中から投入することで、チームにリズムを生んでいます。捕手の熊谷君は捕ってからすぐ投手に返球して、打者に考える余地を与えていません。
両監督は継投が早い。四球と失策を含めて、投手交代のタイミングが勝敗を分けるでしょう。
☟PL学園の現在 硬式野球部に続き軟式も今夏に休部、高校の入学者はわずか9人 教団名物「花火大会」もなくなり「機関紙」も休刊へ もはや「風前の灯火」
https://news.yahoo.co.jp/articles/82fa8d1be4b30fc004d33bfcbdca724059e86c83?page=1
「PL」が壊滅状態だ。学校法人であるPL学園では2016年に活動を休止した硬式野球部に続き、軟式野球部も3人の3年生部員(1人の女子部員を含む)しかおらず、連合チームで出場した今年の夏をもって休部になることが決まった。だが、PLをめぐって「なくなったもの」は野球部だけにとどまらないという──。
PL学園の硬式野球部は、学園母体である宗教法人パーフェクトリバティー教団(PL教団)の2代教祖だった御木徳近氏の肝いりで強化が始まり、「学力は東大、野球は甲子園」というキャッチフレーズを校内に掲げて、全国にある教会のネットワークを駆使して情報を集めて声をかけていった。
その結果、PLで野球をやりたいという有望な球児が、わざわざPL教に入信してまで(PL学園に入学するためには両親も含めて入信する必要がある)、全国から大阪府富田林市に集まり、同校は春夏あわせて7度の全国制覇を誇る超名門に。KKコンビ(桑田真澄、清原和博)をはじめ、同校を卒業後、プロ野球選手となったOBは82人にのぼる。
しかし、教団の広告塔を担っていた硬式野球部は、2000年代以降に起きた相次ぐ不祥事の影響もあって、2016年には活動を休止し、翌年には高野連から脱退した。
その一方、硬式とまったく同じユニフォームを身に纏って戦う軟式野球部には、1学年20人という硬式に入れなかった生徒や、PL学園中学から軟式野球をやっていた信者の2世などの受け皿として存在した。軟式野球部もこれまで11度にわたって夏の大阪大会を制し、2001年には全国制覇も遂げている。
もともと信者ではなかった生徒が中心となる硬式とは違い、軟式には信仰心のあつい生徒が集まっていた。それゆえ、教団および学園内では重宝され、教団の機関紙である「芸生新聞」では2016年夏、テレビや新聞が大きく報じた硬式野球部のラストゲームを中面で小さく扱い、軟式野球部が夏の大会の開会式に参加したことを一面で大きく紹介していた。
だが、今夏をもって、その軟式野球部までなくなってしまうというのだ。今年度の高校の入学者がわずか9人という状況では、活動休止も仕方ないのかもしれない。
PLランド、PL短大、そしてPL花火大会も「消滅」
PL教団の最盛期は、KKコンビが入学した1983年だろう。信者数は公称で261万人に上っていた。しかし、同年に御木徳近氏が死去すると、求心力を失った教団の信者数は減少の一途をたどり、2代の遺物がことごとく消滅していく。
たとえば、聖地内にあった遊園地の「PLランド」だ。1957年に開業した遊園地も、1989年には閉鎖に。また1974年に開校したPL短大は2000年に廃校となった。
また大阪における夏の風物詩で、かつては12万発も打ち上げたPL花火大会(正式名称を教祖祭PL花火芸術という)もコロナ禍前の2019年を最後に開催されていない。
近鉄喜志駅と富田林駅にまたがる広大な聖地にかつては1万本の桜が植えられており、春には聖地を桃色に染めていた。しかし、その桜の木も伐採が進んだ。その理由は信者に知らされていない。さらに、聖地内の池や谷が残土で埋められていることにも信者は心を痛めている。信者が心のより所にする聖地が、産業廃棄物という不浄なもので埋められていくのだ。支持を得られるはずがない。2代教祖の時代から信仰する信者が話す。
「教団の運営が行き詰まっているからこそ、聖地を産業廃棄物で埋めて運営費に充てていると思われます。花火大会の中止も、表向きはコロナ禍が理由でしたが、もはや花火大会を開催する余裕すらなく、花火大会を中止にする口実としてコロナ禍は渡りに舟だったでしょう」
教団では2020年12月に3代教祖であった御木貴日止氏が63歳の若さで死去し、以降は教祖不在という、リーダー不在の状況が続いている。PL教における信仰の対象は宇宙全体を指す「大現霊(みおやおおかみ、だいげんれい)」という神だが、その代理として現世にいるはずの教祖なくして、宗教団体としての存在意義などあるのだろうか。2代教祖の娘にあたる人物が、教団内の実権を握る3代教祖夫人・美智代氏の退陣を迫るような動きもあるとはいえ、お家騒動が続く状況に信者の心は完全に離れている。
“機関紙”の発行も停止!?
そして、教団の機関紙である「芸生新聞」も年内をもって休刊になるということが新日本宗教団体連合で噂になっているという。教団としての活動を信者に報告する機関紙を止めるということは、もはや宗教団体としての活動を続けるつもりもないということではないか。そこで、芸生新聞を発行する芸術生活社に連絡を入れた。
「まだ正式に決まったことではないので、返事はしかねなるんですが……そういうことも検討しているというような感じでございます。(休刊の時期は)来年度以降だと思います」
担当者によると、芸生新聞は昭和37年の創刊で、現在の公称部数は10万部だという。しかし、10年ほど前に筆者が芸生新聞に携わっていた人物を取材した時でさえ、既に発行部数は7万部程度だったと証言していたことから、教会の統廃合などが進んだ現在はもっと少ないと予想される。休刊も、やはり美智代未亡人の意向なのだろうか。
「お答えしかねます。われわれは粛々と発行を続けていくだけであります」
教祖は不在。機関紙は休刊。国民に愛された野球部も花火大会ももう存在しない。PLの灯が間もなく消えようとしている。
📝93年ぶり8強入り、大社の躍進生んだ石飛文太監督とは? 以前は管理野球、今は選手と一緒に泥まみれ
https://news.yahoo.co.jp/articles/2d80b8a88907f05c0c3dacc9c51446906c062966
第106回全国高校野球選手権大会で、報徳学園(兵庫)など有力校を破って93年ぶりとなる8強入りを果たした大社。躍進の背景には、選手たちと共に汗を流して練習し、対話を深めた石飛文太監督(42)の指導があった。
2020年8月に監督就任。当時は試合でのサインや練習メニューを細かく指示する「管理野球」だった。だが、21年春は県大会の地区予選で初戦敗退。22年の夏も県大会初戦で敗れ、「監督として勝利のために何ができるのか」と苦悩した。
そんな中、立ち返ったのは選手との信頼関係を育む環境づくり。打撃練習では自ら外野に立って「いい打球だ!」と球を受けた。昭和の日に始めたことにちなむ、雨の日に行われる「昭和デー」と呼ばれる守備練習では、選手と共にノックを受けて泥にまみれた。
選手との信頼関係がはっきり表れたのは、3回戦の早実(西東京)戦。延長にもつれ込んだ十一回、石飛監督は「ここで決められるやつは手を挙げろ」とベンチに問いかけた。挙手した2年の安松大希選手を代打に起用。島根大会を含めて一度も出場がなかったが、三塁線への完璧なバントを決め、チームのサヨナラ勝ちを呼び込んだ。
自ら掲げた8強以上という目標を成し遂げた大社ナイン。石飛監督は「目標達成には何が足りなくて何が必要か、選手たちに常に問い続けてきたことが結果につながった」と振り返った。
☝甲子園の宿舎舞台裏映像が「めちゃくちゃ感動」と話題 敗退の大社を東海大相模が出迎え「褒め合える関係最高」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9f83f045475acf931b4458b869f59aab64121ac4
ABCテレビ『熱闘甲子園』の公式TikTokアカウントが22日までに更新され、準々決勝で敗退した大社(島根)と東海大相模(神奈川)の舞台裏映像が公開された。
ともに準々決勝で敗退した。93年ぶりベスト8入りの大社は今大会でアルプススタンドの“爆音”声援が話題になっていたが、神村学園に敗戦。一方のプロ多数輩出の東海大相模は強豪校として期待されていたが、関東一(東東京)に敗れ準々決勝で姿を消すことになった。
敗戦した大社が宿舎に向かうと出迎えていたのは東海大相模のメンバーたち。同じ宿舎で過ごしていたといい、帰ってきた大社にハイタッチ。「ナイス」などとエールを送っていた。
2校はその後、部員同士で写真撮影。同じ宿舎同士で絆が芽生えていた。「こうやってお互い褒め合える関係最高だな~」「めちゃくちゃ感動します」「友情はぐくんどる」「高校生っていいな」「良い交流。涙が出ます」などのコメントが寄せられている。
📝甲子園で安打を放った4選手が教える「低反発バット対策」…スカウトは《選手を評価しづらい》と嘆き
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/359327
「バットの形そのものが変わるわけじゃない」
今春から導入された低反発バットが甲子園で“猛威”を振るっている。
大会12日目の19日、関東第一(東東京)の高橋(3年)が打ったソロが、今大会7号。金属バット導入以降、過去最少だった1974年の11本をさらに下回る“勢い”である。
19日時点で、夏に優勝経験のある強豪校は全滅。彼らの強力打線が「飛ばないバット」で封じられている面もあるだろう。
健大高崎(群馬)の青柳監督は「今のバットはパワーも必要。パワーがないと振り回される」と言えば、早実(西東京)の和泉監督はむしろ「本来、打撃は選手自身の体に合わせたものでなければいけない。今回は自身の打撃を見つめ直す良い機会」と語るなど、指導者によっても考え方がさまざまな低反発バット。実際、このバットを使う甲子園でヒットを打った選手たちはどんな対策を取ってきたのか。
掛川西(静岡)の佐藤駿斗(2年)が言う。「長打が出にくいけど、芯に当たれば飛ぶ。僕は長打を打つタイプじゃないし、もともと低い打球を打つようにやってきました。最初は従来の金属バットよりも細くて違和感があったけど、バットの形そのものが変わるわけじゃないんで」
同じく掛川西の鈴木脩平(2年)は「うちは日本で一番早く、低反発バットを導入したらしいですよ」と、こう続ける。
「打球が飛ばないから低い打球を打つのがカギ。長打は狙わず、低く低くと意識しています。去年の秋季大会の最初の頃は全然打てなかったけど、冬に振り込んで、春あたりから慣れてきました」
93年ぶりにベスト8に進出した大社(島根)の下条心之介(3年)は監督やコーチから「長打は狙わなくていい」と指導されていたという。
「打撃練習の時から『フライは上げるな』と言われていました。秋季大会ではなかなか強い打球が打てませんでしたが、冬に1日1000本のティー打撃をして、振る力が強くなりました」
頭を抱えるプロのスカウト
捕手目線で語るのは、鶴岡東(山形)の億田知輝(3年)だ。
「とにかく強いゴロを打ちやすそうなコース、主に外角低めには構えないようにしていました。高めはつり球と割り切っていましたね。中途半端なコースだと、低反発バットでも飛ばされるので」
創成館(長崎)の中村部長は「うちは元々大きいのを打てる選手がいないので、チームとしての対策はそれほどしてません。ただ、バントやエンドランなどを重視してきた」と話す。
とにかく「低く強いゴロを打つ」というのが、多くの選手の共通認識。高校野球の打撃が大きく変わろうとする中、頭を抱えているのがプロのスカウトたちだ。セのあるスカウトは「選手の評価を判断しづらい」と、こう続ける。
「低いゴロの打球ばかりだと、選手のパワーを測りにくい。低反発バットだから多少は差し引いて見ても、『本来はどれだけ飛ばせるのか』という部分は試合だけじゃ分析できない。それこそ、普段の練習からチェックしないと正当な評価を下せません。投手にしても長打を打たれずに抑えれば評価は上がるが、それが純粋な実力なのか、低反発バットの恩恵が大きいのか、判断するのは非常に難しい。しかも、一発ドカンと食らえば、我々としても評価を下げざるを得ない。いずれにせよ、投打ともに試合以上に練習でのチェックが重視されるでしょう」
低反発バットが高校野球の分水嶺であることは間違いなさそうだ。