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⚾今日の熱闘甲子園試合結果(準決勝)
13日目第1試合 神村学園(鹿児島)-関東一(東東京) 8:01~9:57
一二三四五六七八九十計HE
神村学園000100000 182
関 東 一00000020X 230
13日目第2試合 京都国際(京都)-青森山田(青森) 10:30~12:14
一二三四五六七八九十計HE
京都国際000003000 361
青森山田200000000 250
⚾今日の和歌山大会新人戦試合結果(3日目 1回戦 紀三井寺球場)
田 辺7-0熊 野(7回)・和 智 弁9xー2粉 河(7回)
📝低反発バット導入を象徴する今大会、決勝は先取点がカギ 高嶋仁の目
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec6cbfc0a69bbf43b1ed72c08083a9a7b43f7857(21日、第106回全国高校野球選手権大会準決勝 神村学園1ー2関東第一、京都国際3ー2青森山田)
準決勝まで本塁打は7本ですか。低反発になる前の基準のバットだったら、スタンドに入っただろうという打球は何本も見ました。どこの監督さんに聞いても「打ち上げると打球が失速する」と言います。本塁打になった打球も、フライではなくライナー性が多かったと思います。
対策としては、バットを内側から出し、芯で球をつかまえる。そして低く強い打球を打つ。単打でつなぐ京都国際の打撃のように。
僕が監督をしていたころ、練習では竹製のバットを使っていました。金属製を使うのは試合だけ。竹バットは芯で打たないと飛ばないし、手が痛いんです。正しい技術が身につきます。
バントや走塁、堅い守り。高校野球も昔の木製バット時代のような「スモールベースボール」に戻るかもしれません。僕が監督時代に言っていた「点を取られても本塁打で取り返せ」という野球では勝てなくなるでしょうね。
これまでも選手たちは、金属製バットの重量制限が変わるなど打撃性能を抑制するルール変更に対応してきました。智弁和歌山でも筋力トレーニングや徹底した振り込みで克服しました。2、3年たてば各校とも低反発バットに対応するでしょう。それでも、一大会40発、50発ということはないと思います。選手の将来を考えても、大学や社会人、国際大会で木製を使うわけですから、いい方向に向かっていると思います。
低反発バット導入を象徴するように、関東第一、京都国際とともに投手力のいいチームが勝ち上がりました。
関東第一は接戦に強い。熊谷俊乃介捕手が要です。球を受けたらすぐに投手に返し、打者に考える間を与えない。守備にも好リズムを呼んでいます。
京都国際は中崎琉生、西村一毅の両左腕。特に2年生の西村投手が好調です。2、3点の接戦が予想されるだけに、どちらが先取点を取るか。継投などベンチの采配にも注目です。
📝国民スポーツ大会の出場8校に大社や小松大谷が選出 東海大相模は8強も補欠校
https://news.yahoo.co.jp/articles/80a6f028be10c046337e96109f381a29b2bfa000
日本高野連は21日、10月6日から9日まで開催される第78回国民スポーツ大会(旧国体)高校野球硬式の部の出場校8校と補欠2校を発表した。
出場校には決勝進出を決めた関東第一(東東京)や京都国際、ベスト4の青森山田や神村学園(鹿児島)も名前を連ねた。
さらにはエース・馬庭(3年)を擁し93年ぶりのベスト8進出を決めた大社(島根)や、大阪桐蔭など強豪校を次々と撃破した小松大谷(石川)も選出された。
一方でベスト8ながら東海大相模(神奈川)、智弁学園(奈良)は補欠校に。同じくベスト8の滋賀学園は選ばれなかった。
【出場校】
青森山田(青森)
関東第一(東東京)
小松大谷(石川)
京都国際(京都)
大社(島根)
明徳義塾(高知)
神村学園(鹿児島)
有田工(佐賀・開催地)
【補欠校】
東海大相模(神奈川)
智弁学園(奈良)
👣逆転で惜敗の青森山田 元監督の渋谷良弥さん「胸を張って」 全国高校野球選手権準決勝
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e30a2d8beaf51e72870c80c5baa1e078b5d7491
第106回全国高校野球選手権大会第13日の21日、青森県代表の青森山田は、京都国際(京都)に2-3で逆転負けを喫し、春夏通じて初の決勝進出はならなかった。それでも、スタンドの大応援団からは健闘をねぎらう盛大な拍手が送られた。
三塁側アルプス席には、監督として青森山田と日大山形を率い、甲子園に春夏計22度の出場を果たした渋谷良弥さん(77)の姿があった。青森山田が今春の選抜大会に出場した時も、この夏の甲子園も、グラウンドに近いベンチに座り、選手たちの戦いぶりを見守ってきた。
渋谷さんは主に投手陣にアドバイスしている。この日の試合に向けても、1、2点の争いになるとみて「先発の下山には五回まで1点はやっていい。2点は取られるな」と言って送り出したという。
青森山田が2点先制でスタートしたこともあり、5回を零封した下山に「100点満点」と笑顔。しかし、六回から交代した関が打たれ逆転。九回には無死で走者を出し反撃のチャンスを得たが、併殺などで3人に打ち取られゲームセット。
渋谷さんは「悔しい。でもよくやった。胸を張って帰ってきていい」と選手らの奮闘をたたえ、目頭を押さえた。
☟甲子園へ強行軍の応援団に「2024年問題」、バス代高騰で「赤字になっても生徒に応援の機会を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b76c4389fbbab07c4783af20a3098a760672f955
直行できず乗り継ぎ必要にも
高校野球の夏の甲子園で、アルプス席の応援団が「2024年問題」に直面している。バス運転手の休憩のために乗り換えが生じたり、移動費がかさんだり。学校関係者は「安全のためにはやむを得ない」と理解を示しながらも、費用捻出に苦慮している。
4月からバスなどの運転手の時間外労働に対する規制が強化され、ドライバーの休息期間を延ばすなどの対応が必要となった。
21日に初の決勝進出を決めた関東一(東東京)の応援団は、3回戦まで0泊3日の強行軍で東京~甲子園を往復した。準々決勝以降は京都市などに宿泊、23日の決勝戦まで滞在する。準々決勝から応援する2年の大槻玲陽さん(17)は「僕たちの声が選手の後押しになればうれしい」と話した。
16日の明徳義塾(高知)との3回戦は、約700人がバスで駆けつけた。前日午後8時過ぎにバス18台で東京を出発、翌日午前5時頃に京都市周辺で別会社のバス18台に乗り換えて甲子園へ。試合を終え、バスを乗り継いで東京に着いたのは17日午前6時頃だった。
今年3月の選抜出場時は、バスは甲子園に直行した。応援団の旅程を組む三原直也教頭は「旅行会社から、2024年問題で乗り換えが必要になったと言われた」と変更の経緯を説明する。1台2人体制の運転手36人は京都市周辺にとどまり、応援団が戻るまで休憩した。
乗り換え用のバスを新たに手配した結果、東京~甲子園間の1台のグループあたりの費用は選抜時に比べ約20万円増え、1回につき約100万円になった。
生徒の負担は3回戦までは1人あたり5000円だったが、宿泊代も必要となる準々決勝以降は3万円に増額。OBらからの寄付のほか、約500万円を目標にクラウドファンディングも実施しているが、決勝進出で滞在が延びても負担額は変えないため、学校の持ち出しは増えていく形だ。
三原教頭は「甲子園は応援する側も勇気をもらう。赤字になっても、多くの生徒に応援の機会を与えたい」と話している。
💢京都国際校歌の「トンへ」表記めぐり韓国教授がNHKに抗議文「明らかに誤り」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0e0ea313921078fa06a23911790c432318755d33
第106回全国高校野球選手権大会で決勝進出を果たした京都国際の快挙を韓国メディアが大きく報じている。
同校は在日朝鮮人学校として設立された経緯から韓国でも「甲子園史上初の決勝進出快挙」(ハンギョレ)、「韓国語校歌が鳴り響く! 韓国系学校が優勝挑戦」(スターニュース)、「甲子園初決勝の奇跡」(ZUM)などと盛り上がりを見せている。
しかし、そんな中でNHKで流される同校校歌の歌詞の一部を誠信女子大学のソ・ギョンドク教授が問題視した。韓国メディア「マネートゥデイ」によると「NHKは日本語字幕で固有名詞である『東海』を『東の海』に変えて放送し『韓国の学園』という歌詞も『韓日の学園』で元の意味とは違って放送した」とし、同教授が「NHKに抗議メールを送り『東海』を『東の海』と表記したのは明らかな誤りだ」と指摘したことを伝えた。
校歌の冒頭で流れる「東海」(トンヘ)は日本名の日本海を指し、日韓両国で「呼称問題」が発生しているワード。
NHKでは3年前の同校のセンバツ出場時から勝利後に流れる歌詞に「日本語訳は学校から提出されたものです」との注釈付きで「東海」を「東の海」と〝修正〟して流し、今大会も初戦から物議を醸していた。
💢強豪・京都外大西高の野球部でいじめ 「死ね」「野球やめろ」暴言も、「重大事態」も調査せず
https://news.yahoo.co.jp/articles/730f1f6e4375cdddf73b5bacb23f2f00c2443bf5
強豪として知られる京都外大西高の野球部で昨年、1年生だった男子部員が上級生部員らによるいじめで長期の不登校を経て退学していたことが関係者への取材で分かった。いじめが要因と疑われる長期欠席は、いじめ防止対策推進法が定める「重大事態」に当たるが、同高は当初はいじめ行為と認めず、法が義務付ける速やかな調査や京都府知事への報告を怠っていた。
被害生徒の保護者や代理人によると、生徒は2023年4~5月にかけて、指導係だった当時の2年生部員と1年生部員の複数人から、部室で体育座りをさせられた上で、「調子に乗るな」「死ね」「野球やめろ」などと暴言を受けたほか、罰則的な意味合いで体幹トレーニングを複数回強要されたという。
📝「試合前に100mダッシュ100本、スクワット1000回!」智弁和歌山・高嶋仁監督が課した“猛練習”の内幕…「やりすぎや、明日、体が動かへんわ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/06ca4cba8e485d530ccb372f7a14cf080321ab6e
甲子園で積み上げた勝利数は歴代2位の68勝。たった30人の集団は、なぜ聖地で勝てたのか。優勝を果たした智辯和歌山の3人の教え子たちが語るのは、“地獄の6月”と呼ばれる特訓の日々だった。
1996年の夏の甲子園は松山商と熊本工の決勝戦だった。すでに初戦で敗れ、新チームをスタートさせていた智辯和歌山の1、2年生は三塁側ベンチのすぐ上のスタンドからこの伝説のゲームを観戦した。
高嶋仁監督が20人に語りかける。「来年はここで決勝戦をやるから、ちゃんと雰囲気を味わっておけよ」
1年生の鵜瀬亮一(現・新潟医療福祉大監督)は松山商の右翼手の“奇跡のバックホーム”を目撃して、思わず立ちあがったという。まだ智辯和歌山が夏の栄冠を一度も手にしていない頃の話だ。
「高嶋先生の中で来年は全国制覇を狙えるという手応えがあって、自らバスを運転して連れてきたのだと思う」
それから学校に帰って練習した。
試合前に100mダッシュ100本、スクワット1000回
常勝高嶋野球の土台は猛練習にあり、と表面的に理解はしていたが、夏の甲子園を制した'97年と'00年の選手たちに取材を重ねると、その過酷さに驚かされた。
'97年の優勝メンバー、2年生でレフトを守った鵜瀬が振り返る。「普段の練習は14時に始まって21時まで。ノック、バッティングが2時間ずつ、とにかく時間が長かった。下宿に帰って洗濯して風呂に入るんですが、湯につかりながら眠っていました。干し忘れたユニフォームは翌日、教室に干すんです」
春の近畿大会では試合前にもかかわらず、球場周辺で走り込んだ。
「100mダッシュ100本、スクワット1000回。天理の選手に『これから試合やぞ、何やってんねん』と言われました」
決勝で、その年のセンバツ王者の天理に勝つのだった。
「やりすぎや、明日、体が動かへんわ」
夏の和歌山大会準決勝の夜も21時までバッティング練習をしたという。
「フライアウトばかりで内容が悪かった。さすがに喜多さんが怒ってました。『やりすぎや、明日、体が動かへんわ』って(笑)」
初めて進出した夏の甲子園決勝、その年の最注目左腕・平安の川口知哉を撃破。当時のチーム最高打率4割6厘を記録した。主将で捕手の中谷仁(現・智辯和歌山監督)、3番を打った喜多隆志(現・興国監督)が中心選手だった。
来年はここで決勝戦をやるから――鵜瀬は決勝の開始前、水が撒かれる内野グラウンドを眺めながら1年前の高嶋の言葉を思い出したという。
練習の山場は6月だ。'00年、2年生ながら3番を打った武内晋一(現・ヤクルト編成部)は「お金を積まれてもあの1カ月には二度と戻りたくない」という。
「1年の入部早々に、先輩たちから『6月はやばいから覚悟しておけ』と脅かされるんです。6月1日、練習直前の授業中は緊張と恐怖で変な汗が止まりませんでした」
グラウンドに行ってみると、高嶋の表情がこれまでと明らかに違っていた。
「人が変わったようにスイッチが入っている。ブスッとして怒ってるんですよ」
ノックが壮絶だった。ボールをはじくと高嶋に数m前まで呼びつけられる。
「俺のノックを捕る気、あるのか」
至近距離から飛んでくる硬球を腕で遮る。そして守備位置に戻される。エラーしてまた、呼びつけられる。その繰り返し。腕がパンパンに腫れあがることもあった。
昔ながらの“暑さ対策”とは?
週末の練習試合は決まって遠征に出た。四国に行く際は深夜2時半に集合したという。早朝のフェリーで和歌山港を出港した。
遠征先でも必ず2時間、走り込んでから試合に臨んだ。疲れて集中力の落ちた中でも勝利の糸口を探らなければならない。
「『負けたら帰って100mダッシュ100本やで』と。嘘かと思ったらほんとにやりました」と鵜瀬が笑う。
湿気の多い時期にグラウンドコートを着込んで走る。昔ながらの“暑さ対策”だ。猛練習が続く中、今にも倒れそうな選手には鵜瀬が「戻ってこい!」と呼びかけた。
高嶋には狙いがあった。
👣元横浜監督の渡辺元智氏がテレビ・ラジオ解説引退を表明「本当に甲子園で育ててもらいました」
https://news.yahoo.co.jp/articles/369f8bd4c393fbc8092cb1ab66a9db853b7a00c3
横浜(神奈川)の監督として、春夏通算5度の甲子園優勝を果たした渡辺元智氏(79)が21日、今夏限りで高校野球のテレビ・ラジオ解説を引退すると表明した。
「BS朝日4K」でこの日の第2試合、京都国際対青森山田を解説。試合が終了すると、実況を務めた山下剛アナウンサーから「渡辺さんにはたくさんお話をいただきました。私たちの放送を1980年代から共にしていただきました。この試合をもって、私たちの中継、この舞台から退かれるというご決断を発表させていただきます」と明かされた。
渡辺氏は「本当にね、本当に甲子園で育ててもらいましたし、いろいろ学ばせてもらいました。多くの高校球児に支えられてここまで来ましてね。そしてまた、放送席でいろいろな野球が見えます。他のチームの選手までもね。その動向を見てますと、私にとってここは素晴らしい教科書の場所かな」と慣れ親しんだ聖地への思いを語った。
続けて、「いずれにしましても、多くの人脈を得まして。監督さん、アナウンサーの方。スタッフの方々。この人的財産が作れたことが、私にとっては大きな大きな財産となりますし。これが100年の節目のですね、甲子園球場記念の時に去ることができてね、本当に望外な喜びだという風に思います。まさにこの甲子園は聖地であり。私を育ててくれた場所でもあります。長い間ありがとうございました」と締めくくった。
☟夏の甲子園、継投の難しさを痛感した「宮崎商対中京大中京戦」 宮崎商の“抑え投手”は足が2度も攣って登板できず
https://news.yahoo.co.jp/articles/936cf2a8e059f845fb292929d772be25cf4fa61a?page=1
連日、熱戦が続く夏の甲子園。8月10日に行われた大会4日目の試合は、投手継投が勝敗を分けたシーンが目立った。高校野球では、2020年に投手の登板過多を防ぐため、「1週間で500球」の球数制限が導入された。地方大会を勝ち上がるチームの大半が複数の投手を起用している。いかに継投を上手くできるか、夏の甲子園で勝利する大きなカギとなっている。
地方大会での「勝利の方程式」
まずは、見事に継投が成功したケースから。第3試合の聖カタリナ(愛媛)対岡山学芸館(岡山)は、両先発の有馬恵叶と沖田幸大(いずれも3年)が好投して、ロースコアの緊迫した展開となった。
均衡が破れたのは、5回。岡山学芸館は、ヒットとエラー、四球でワンアウト満塁のチャンスを作る。ここで2番の高安凰真(2年)がセンターへ犠牲フライを放ち、貴重な先制点をもぎ取った。
沖田は、8回まで被安打4、7奪三振の好投で、聖カタリナ打線を封じ込めた。球数は98球と多くなかったものの、岡山学芸館の佐藤貴広監督は、沖田に代えて、9回のマウンドに背番号11の丹羽知則(3年)を送り込んだ。
丹羽は、先頭打者を内野安打で出塁させたが、これを一塁への牽制で刺す。さらに、後続を三振とセカンドゴロに打ち取って、1対0で逃げ切った。
岡山学芸館は、岡山大会の決勝、関西戦でも沖田が8回を3点に抑えた。9回を丹羽が締めて、4対3で勝利している。佐藤監督は、聖カタリナ戦後に「(継投については)迷いはなかった」と話している。地方大会での「勝利の方程式」が、甲子園の大舞台で見事にはまった。
継投の難しさ
一方、第1試合の宮崎商(宮崎)対中京大中京(中京)は、互いに継投が上手くいかず、終盤まで試合がもつれた。
中京大中京が4回に2点を先制するも、6回に宮崎商の反撃を許す。中京大中京のエース、中井遥次郎(3年)は、ヒットと四球からワンアウト二・三塁のピンチを招き、犠牲フライで1点を失った。
ベンチ前では、田中太久哉(2年)が、いつでも登板できるように準備していたように見えたが、中井は続投。7番の小倉侑大(3年)にタイムリースリーベースを打たれ、2対2の同点とされる。中井はここで降板。マウンドにあがった田中が、次の打者に四球を与えるも、9番の吉田健晟(3年)をセンターフライに打ち取り、逆転を許さなかった。
しかし、7回。宮崎商が1点を取って勝ち越しに成功。中京大中京はその裏に2点を奪い、逆転に成功して4対3で振り切った。
試合後、6回の継投について、中京大中京の高橋源一郎監督に聞くと、以下のような答えが返ってきた。
「いつもは、早め早めの継投を心がけているのですが、愛知大会の初戦、誉高校戦。7回、2点リードしたワンアウト一・二塁の場面で、キャッチャーが“バツ”というサインを出したので、(中井を)交代させました。そうしたら、同点に追いつかれて、中井がかなり不服そうな顔をして、キャッチャーの杉浦(正悦)にも怒りをぶつけていた。試合後、中井を呼んで、『それなら次からは自分でしっかり抑えてくれよ』という話をしました。うちのエースですし、今日も相手の先発投手がまだ投げていましたから、しっかり粘ってほしいという気持ちがありました。同点までは中井で行こうと、決めて任せました」
実は、高橋監督には、2017年の夏の甲子園でも、継投失敗の“苦い思い出”がある。初戦の広陵戦、2対0でリードしながら、エースの磯村峻平(現・トヨタ自動車)を5回で降板させた。だが、続く投手が次々と打たれて10点を失い、10対6で完敗した。高橋の脳裏には“7年前の悪夢”がよぎったようだ。
「7年前と(2対0でリードするという)同じような展開でしたね。あの試合では、継投した時に、広陵さんのベンチで中井(哲之)監督が笑みを浮かべたんです。中井監督にとってはありがたかったと思いますが、そう思わせてしまう継投をした私の失敗ですよね。その経験もあったので、早く(継投に)動くべきなのか、そうではないのか。(広陵戦の)負けから学んで、凄く考えるようになりました。今日は(継投した後の7回に)逆転されましたけど、その後も、キャプテンの杉浦を中心に粘り強く戦ってくれて、再び逆転できた。選手がたくましく戦ってくれたと思います」
足を攣って続投が困難に
一方、宮崎商も宮崎大会を継投で勝ち上がってきたチームだった。県大会は、小野壮真(3年)が3試合、上山順平(3年)が2試合で先発。どちらか先発していない投手が中継ぎに回り、最後は、ショートを守る中村奈一輝(3年)がマウンドに上がり、試合を締める―これが宮崎商の勝ちパターンだ。
この日も、前述したように宮崎商は7回に1点を勝ち越した。勝ちパターンに持ち込める展開に見えたが、ここで思わぬアクシデントがチームを襲う。
7回裏の守備でのこと。中村が後方の打球を追いかけた際に脚が攣ってしまったのだ。一度、中村はベンチに戻り治療を受けて試合に復帰したが、ピッチングができるような状態ではなかったという。
「選手たちは、本当に粘り強くプレーしてくれました。終盤まで、うちの展開だったので、もう少し自分が選手たちを上手く導いてあげれば、逃げ切れたのかなと思うので、(個人的に)悔いは残ります。(継投については)最後は中村というのがうちの形で、今日も8回、9回を中村でいこうと考えていました。地方大会5試合は全て中村が最後で投げていて、今日のように投げられなかったことはなかったです。ただ、(足が)2度攣ってしまったので、本人からも無理ですということでした」(宮崎商の橋口光朗監督))
今大会も、連日猛暑の中で試合が行われており、中盤以降になると脚が攣る選手が目立っている。特に、中村は動きの多いショートで守備機会が多かったため、体に大きな負担がかかっていたようだ。
継投が遅れて同点に追いつかれた中京大中京と、試合を締めるはずだった中村が足の痙攣に泣かされた宮崎商。夏の甲子園での“継投の難しさ”を痛感させられた一戦だった。
13日目第1試合 神村学園(鹿児島)-関東一(東東京) 8:01~9:57
一二三四五六七八九十計HE
神村学園000100000 182
関 東 一00000020X 230
13日目第2試合 京都国際(京都)-青森山田(青森) 10:30~12:14
一二三四五六七八九十計HE
京都国際000003000 361
青森山田200000000 250
⚾今日の和歌山大会新人戦試合結果(3日目 1回戦 紀三井寺球場)
田 辺7-0熊 野(7回)・和 智 弁9xー2粉 河(7回)
📝低反発バット導入を象徴する今大会、決勝は先取点がカギ 高嶋仁の目
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec6cbfc0a69bbf43b1ed72c08083a9a7b43f7857(21日、第106回全国高校野球選手権大会準決勝 神村学園1ー2関東第一、京都国際3ー2青森山田)
準決勝まで本塁打は7本ですか。低反発になる前の基準のバットだったら、スタンドに入っただろうという打球は何本も見ました。どこの監督さんに聞いても「打ち上げると打球が失速する」と言います。本塁打になった打球も、フライではなくライナー性が多かったと思います。
対策としては、バットを内側から出し、芯で球をつかまえる。そして低く強い打球を打つ。単打でつなぐ京都国際の打撃のように。
僕が監督をしていたころ、練習では竹製のバットを使っていました。金属製を使うのは試合だけ。竹バットは芯で打たないと飛ばないし、手が痛いんです。正しい技術が身につきます。
バントや走塁、堅い守り。高校野球も昔の木製バット時代のような「スモールベースボール」に戻るかもしれません。僕が監督時代に言っていた「点を取られても本塁打で取り返せ」という野球では勝てなくなるでしょうね。
これまでも選手たちは、金属製バットの重量制限が変わるなど打撃性能を抑制するルール変更に対応してきました。智弁和歌山でも筋力トレーニングや徹底した振り込みで克服しました。2、3年たてば各校とも低反発バットに対応するでしょう。それでも、一大会40発、50発ということはないと思います。選手の将来を考えても、大学や社会人、国際大会で木製を使うわけですから、いい方向に向かっていると思います。
低反発バット導入を象徴するように、関東第一、京都国際とともに投手力のいいチームが勝ち上がりました。
関東第一は接戦に強い。熊谷俊乃介捕手が要です。球を受けたらすぐに投手に返し、打者に考える間を与えない。守備にも好リズムを呼んでいます。
京都国際は中崎琉生、西村一毅の両左腕。特に2年生の西村投手が好調です。2、3点の接戦が予想されるだけに、どちらが先取点を取るか。継投などベンチの采配にも注目です。
📝国民スポーツ大会の出場8校に大社や小松大谷が選出 東海大相模は8強も補欠校
https://news.yahoo.co.jp/articles/80a6f028be10c046337e96109f381a29b2bfa000
日本高野連は21日、10月6日から9日まで開催される第78回国民スポーツ大会(旧国体)高校野球硬式の部の出場校8校と補欠2校を発表した。
出場校には決勝進出を決めた関東第一(東東京)や京都国際、ベスト4の青森山田や神村学園(鹿児島)も名前を連ねた。
さらにはエース・馬庭(3年)を擁し93年ぶりのベスト8進出を決めた大社(島根)や、大阪桐蔭など強豪校を次々と撃破した小松大谷(石川)も選出された。
一方でベスト8ながら東海大相模(神奈川)、智弁学園(奈良)は補欠校に。同じくベスト8の滋賀学園は選ばれなかった。
【出場校】
青森山田(青森)
関東第一(東東京)
小松大谷(石川)
京都国際(京都)
大社(島根)
明徳義塾(高知)
神村学園(鹿児島)
有田工(佐賀・開催地)
【補欠校】
東海大相模(神奈川)
智弁学園(奈良)
👣逆転で惜敗の青森山田 元監督の渋谷良弥さん「胸を張って」 全国高校野球選手権準決勝
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e30a2d8beaf51e72870c80c5baa1e078b5d7491
第106回全国高校野球選手権大会第13日の21日、青森県代表の青森山田は、京都国際(京都)に2-3で逆転負けを喫し、春夏通じて初の決勝進出はならなかった。それでも、スタンドの大応援団からは健闘をねぎらう盛大な拍手が送られた。
三塁側アルプス席には、監督として青森山田と日大山形を率い、甲子園に春夏計22度の出場を果たした渋谷良弥さん(77)の姿があった。青森山田が今春の選抜大会に出場した時も、この夏の甲子園も、グラウンドに近いベンチに座り、選手たちの戦いぶりを見守ってきた。
渋谷さんは主に投手陣にアドバイスしている。この日の試合に向けても、1、2点の争いになるとみて「先発の下山には五回まで1点はやっていい。2点は取られるな」と言って送り出したという。
青森山田が2点先制でスタートしたこともあり、5回を零封した下山に「100点満点」と笑顔。しかし、六回から交代した関が打たれ逆転。九回には無死で走者を出し反撃のチャンスを得たが、併殺などで3人に打ち取られゲームセット。
渋谷さんは「悔しい。でもよくやった。胸を張って帰ってきていい」と選手らの奮闘をたたえ、目頭を押さえた。
☟甲子園へ強行軍の応援団に「2024年問題」、バス代高騰で「赤字になっても生徒に応援の機会を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b76c4389fbbab07c4783af20a3098a760672f955
直行できず乗り継ぎ必要にも
高校野球の夏の甲子園で、アルプス席の応援団が「2024年問題」に直面している。バス運転手の休憩のために乗り換えが生じたり、移動費がかさんだり。学校関係者は「安全のためにはやむを得ない」と理解を示しながらも、費用捻出に苦慮している。
4月からバスなどの運転手の時間外労働に対する規制が強化され、ドライバーの休息期間を延ばすなどの対応が必要となった。
21日に初の決勝進出を決めた関東一(東東京)の応援団は、3回戦まで0泊3日の強行軍で東京~甲子園を往復した。準々決勝以降は京都市などに宿泊、23日の決勝戦まで滞在する。準々決勝から応援する2年の大槻玲陽さん(17)は「僕たちの声が選手の後押しになればうれしい」と話した。
16日の明徳義塾(高知)との3回戦は、約700人がバスで駆けつけた。前日午後8時過ぎにバス18台で東京を出発、翌日午前5時頃に京都市周辺で別会社のバス18台に乗り換えて甲子園へ。試合を終え、バスを乗り継いで東京に着いたのは17日午前6時頃だった。
今年3月の選抜出場時は、バスは甲子園に直行した。応援団の旅程を組む三原直也教頭は「旅行会社から、2024年問題で乗り換えが必要になったと言われた」と変更の経緯を説明する。1台2人体制の運転手36人は京都市周辺にとどまり、応援団が戻るまで休憩した。
乗り換え用のバスを新たに手配した結果、東京~甲子園間の1台のグループあたりの費用は選抜時に比べ約20万円増え、1回につき約100万円になった。
生徒の負担は3回戦までは1人あたり5000円だったが、宿泊代も必要となる準々決勝以降は3万円に増額。OBらからの寄付のほか、約500万円を目標にクラウドファンディングも実施しているが、決勝進出で滞在が延びても負担額は変えないため、学校の持ち出しは増えていく形だ。
三原教頭は「甲子園は応援する側も勇気をもらう。赤字になっても、多くの生徒に応援の機会を与えたい」と話している。
💢京都国際校歌の「トンへ」表記めぐり韓国教授がNHKに抗議文「明らかに誤り」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0e0ea313921078fa06a23911790c432318755d33
第106回全国高校野球選手権大会で決勝進出を果たした京都国際の快挙を韓国メディアが大きく報じている。
同校は在日朝鮮人学校として設立された経緯から韓国でも「甲子園史上初の決勝進出快挙」(ハンギョレ)、「韓国語校歌が鳴り響く! 韓国系学校が優勝挑戦」(スターニュース)、「甲子園初決勝の奇跡」(ZUM)などと盛り上がりを見せている。
しかし、そんな中でNHKで流される同校校歌の歌詞の一部を誠信女子大学のソ・ギョンドク教授が問題視した。韓国メディア「マネートゥデイ」によると「NHKは日本語字幕で固有名詞である『東海』を『東の海』に変えて放送し『韓国の学園』という歌詞も『韓日の学園』で元の意味とは違って放送した」とし、同教授が「NHKに抗議メールを送り『東海』を『東の海』と表記したのは明らかな誤りだ」と指摘したことを伝えた。
校歌の冒頭で流れる「東海」(トンヘ)は日本名の日本海を指し、日韓両国で「呼称問題」が発生しているワード。
NHKでは3年前の同校のセンバツ出場時から勝利後に流れる歌詞に「日本語訳は学校から提出されたものです」との注釈付きで「東海」を「東の海」と〝修正〟して流し、今大会も初戦から物議を醸していた。
💢強豪・京都外大西高の野球部でいじめ 「死ね」「野球やめろ」暴言も、「重大事態」も調査せず
https://news.yahoo.co.jp/articles/730f1f6e4375cdddf73b5bacb23f2f00c2443bf5
強豪として知られる京都外大西高の野球部で昨年、1年生だった男子部員が上級生部員らによるいじめで長期の不登校を経て退学していたことが関係者への取材で分かった。いじめが要因と疑われる長期欠席は、いじめ防止対策推進法が定める「重大事態」に当たるが、同高は当初はいじめ行為と認めず、法が義務付ける速やかな調査や京都府知事への報告を怠っていた。
被害生徒の保護者や代理人によると、生徒は2023年4~5月にかけて、指導係だった当時の2年生部員と1年生部員の複数人から、部室で体育座りをさせられた上で、「調子に乗るな」「死ね」「野球やめろ」などと暴言を受けたほか、罰則的な意味合いで体幹トレーニングを複数回強要されたという。
📝「試合前に100mダッシュ100本、スクワット1000回!」智弁和歌山・高嶋仁監督が課した“猛練習”の内幕…「やりすぎや、明日、体が動かへんわ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/06ca4cba8e485d530ccb372f7a14cf080321ab6e
甲子園で積み上げた勝利数は歴代2位の68勝。たった30人の集団は、なぜ聖地で勝てたのか。優勝を果たした智辯和歌山の3人の教え子たちが語るのは、“地獄の6月”と呼ばれる特訓の日々だった。
1996年の夏の甲子園は松山商と熊本工の決勝戦だった。すでに初戦で敗れ、新チームをスタートさせていた智辯和歌山の1、2年生は三塁側ベンチのすぐ上のスタンドからこの伝説のゲームを観戦した。
高嶋仁監督が20人に語りかける。「来年はここで決勝戦をやるから、ちゃんと雰囲気を味わっておけよ」
1年生の鵜瀬亮一(現・新潟医療福祉大監督)は松山商の右翼手の“奇跡のバックホーム”を目撃して、思わず立ちあがったという。まだ智辯和歌山が夏の栄冠を一度も手にしていない頃の話だ。
「高嶋先生の中で来年は全国制覇を狙えるという手応えがあって、自らバスを運転して連れてきたのだと思う」
それから学校に帰って練習した。
試合前に100mダッシュ100本、スクワット1000回
常勝高嶋野球の土台は猛練習にあり、と表面的に理解はしていたが、夏の甲子園を制した'97年と'00年の選手たちに取材を重ねると、その過酷さに驚かされた。
'97年の優勝メンバー、2年生でレフトを守った鵜瀬が振り返る。「普段の練習は14時に始まって21時まで。ノック、バッティングが2時間ずつ、とにかく時間が長かった。下宿に帰って洗濯して風呂に入るんですが、湯につかりながら眠っていました。干し忘れたユニフォームは翌日、教室に干すんです」
春の近畿大会では試合前にもかかわらず、球場周辺で走り込んだ。
「100mダッシュ100本、スクワット1000回。天理の選手に『これから試合やぞ、何やってんねん』と言われました」
決勝で、その年のセンバツ王者の天理に勝つのだった。
「やりすぎや、明日、体が動かへんわ」
夏の和歌山大会準決勝の夜も21時までバッティング練習をしたという。
「フライアウトばかりで内容が悪かった。さすがに喜多さんが怒ってました。『やりすぎや、明日、体が動かへんわ』って(笑)」
初めて進出した夏の甲子園決勝、その年の最注目左腕・平安の川口知哉を撃破。当時のチーム最高打率4割6厘を記録した。主将で捕手の中谷仁(現・智辯和歌山監督)、3番を打った喜多隆志(現・興国監督)が中心選手だった。
来年はここで決勝戦をやるから――鵜瀬は決勝の開始前、水が撒かれる内野グラウンドを眺めながら1年前の高嶋の言葉を思い出したという。
練習の山場は6月だ。'00年、2年生ながら3番を打った武内晋一(現・ヤクルト編成部)は「お金を積まれてもあの1カ月には二度と戻りたくない」という。
「1年の入部早々に、先輩たちから『6月はやばいから覚悟しておけ』と脅かされるんです。6月1日、練習直前の授業中は緊張と恐怖で変な汗が止まりませんでした」
グラウンドに行ってみると、高嶋の表情がこれまでと明らかに違っていた。
「人が変わったようにスイッチが入っている。ブスッとして怒ってるんですよ」
ノックが壮絶だった。ボールをはじくと高嶋に数m前まで呼びつけられる。
「俺のノックを捕る気、あるのか」
至近距離から飛んでくる硬球を腕で遮る。そして守備位置に戻される。エラーしてまた、呼びつけられる。その繰り返し。腕がパンパンに腫れあがることもあった。
昔ながらの“暑さ対策”とは?
週末の練習試合は決まって遠征に出た。四国に行く際は深夜2時半に集合したという。早朝のフェリーで和歌山港を出港した。
遠征先でも必ず2時間、走り込んでから試合に臨んだ。疲れて集中力の落ちた中でも勝利の糸口を探らなければならない。
「『負けたら帰って100mダッシュ100本やで』と。嘘かと思ったらほんとにやりました」と鵜瀬が笑う。
湿気の多い時期にグラウンドコートを着込んで走る。昔ながらの“暑さ対策”だ。猛練習が続く中、今にも倒れそうな選手には鵜瀬が「戻ってこい!」と呼びかけた。
高嶋には狙いがあった。
👣元横浜監督の渡辺元智氏がテレビ・ラジオ解説引退を表明「本当に甲子園で育ててもらいました」
https://news.yahoo.co.jp/articles/369f8bd4c393fbc8092cb1ab66a9db853b7a00c3
横浜(神奈川)の監督として、春夏通算5度の甲子園優勝を果たした渡辺元智氏(79)が21日、今夏限りで高校野球のテレビ・ラジオ解説を引退すると表明した。
「BS朝日4K」でこの日の第2試合、京都国際対青森山田を解説。試合が終了すると、実況を務めた山下剛アナウンサーから「渡辺さんにはたくさんお話をいただきました。私たちの放送を1980年代から共にしていただきました。この試合をもって、私たちの中継、この舞台から退かれるというご決断を発表させていただきます」と明かされた。
渡辺氏は「本当にね、本当に甲子園で育ててもらいましたし、いろいろ学ばせてもらいました。多くの高校球児に支えられてここまで来ましてね。そしてまた、放送席でいろいろな野球が見えます。他のチームの選手までもね。その動向を見てますと、私にとってここは素晴らしい教科書の場所かな」と慣れ親しんだ聖地への思いを語った。
続けて、「いずれにしましても、多くの人脈を得まして。監督さん、アナウンサーの方。スタッフの方々。この人的財産が作れたことが、私にとっては大きな大きな財産となりますし。これが100年の節目のですね、甲子園球場記念の時に去ることができてね、本当に望外な喜びだという風に思います。まさにこの甲子園は聖地であり。私を育ててくれた場所でもあります。長い間ありがとうございました」と締めくくった。
☟夏の甲子園、継投の難しさを痛感した「宮崎商対中京大中京戦」 宮崎商の“抑え投手”は足が2度も攣って登板できず
https://news.yahoo.co.jp/articles/936cf2a8e059f845fb292929d772be25cf4fa61a?page=1
連日、熱戦が続く夏の甲子園。8月10日に行われた大会4日目の試合は、投手継投が勝敗を分けたシーンが目立った。高校野球では、2020年に投手の登板過多を防ぐため、「1週間で500球」の球数制限が導入された。地方大会を勝ち上がるチームの大半が複数の投手を起用している。いかに継投を上手くできるか、夏の甲子園で勝利する大きなカギとなっている。
地方大会での「勝利の方程式」
まずは、見事に継投が成功したケースから。第3試合の聖カタリナ(愛媛)対岡山学芸館(岡山)は、両先発の有馬恵叶と沖田幸大(いずれも3年)が好投して、ロースコアの緊迫した展開となった。
均衡が破れたのは、5回。岡山学芸館は、ヒットとエラー、四球でワンアウト満塁のチャンスを作る。ここで2番の高安凰真(2年)がセンターへ犠牲フライを放ち、貴重な先制点をもぎ取った。
沖田は、8回まで被安打4、7奪三振の好投で、聖カタリナ打線を封じ込めた。球数は98球と多くなかったものの、岡山学芸館の佐藤貴広監督は、沖田に代えて、9回のマウンドに背番号11の丹羽知則(3年)を送り込んだ。
丹羽は、先頭打者を内野安打で出塁させたが、これを一塁への牽制で刺す。さらに、後続を三振とセカンドゴロに打ち取って、1対0で逃げ切った。
岡山学芸館は、岡山大会の決勝、関西戦でも沖田が8回を3点に抑えた。9回を丹羽が締めて、4対3で勝利している。佐藤監督は、聖カタリナ戦後に「(継投については)迷いはなかった」と話している。地方大会での「勝利の方程式」が、甲子園の大舞台で見事にはまった。
継投の難しさ
一方、第1試合の宮崎商(宮崎)対中京大中京(中京)は、互いに継投が上手くいかず、終盤まで試合がもつれた。
中京大中京が4回に2点を先制するも、6回に宮崎商の反撃を許す。中京大中京のエース、中井遥次郎(3年)は、ヒットと四球からワンアウト二・三塁のピンチを招き、犠牲フライで1点を失った。
ベンチ前では、田中太久哉(2年)が、いつでも登板できるように準備していたように見えたが、中井は続投。7番の小倉侑大(3年)にタイムリースリーベースを打たれ、2対2の同点とされる。中井はここで降板。マウンドにあがった田中が、次の打者に四球を与えるも、9番の吉田健晟(3年)をセンターフライに打ち取り、逆転を許さなかった。
しかし、7回。宮崎商が1点を取って勝ち越しに成功。中京大中京はその裏に2点を奪い、逆転に成功して4対3で振り切った。
試合後、6回の継投について、中京大中京の高橋源一郎監督に聞くと、以下のような答えが返ってきた。
「いつもは、早め早めの継投を心がけているのですが、愛知大会の初戦、誉高校戦。7回、2点リードしたワンアウト一・二塁の場面で、キャッチャーが“バツ”というサインを出したので、(中井を)交代させました。そうしたら、同点に追いつかれて、中井がかなり不服そうな顔をして、キャッチャーの杉浦(正悦)にも怒りをぶつけていた。試合後、中井を呼んで、『それなら次からは自分でしっかり抑えてくれよ』という話をしました。うちのエースですし、今日も相手の先発投手がまだ投げていましたから、しっかり粘ってほしいという気持ちがありました。同点までは中井で行こうと、決めて任せました」
実は、高橋監督には、2017年の夏の甲子園でも、継投失敗の“苦い思い出”がある。初戦の広陵戦、2対0でリードしながら、エースの磯村峻平(現・トヨタ自動車)を5回で降板させた。だが、続く投手が次々と打たれて10点を失い、10対6で完敗した。高橋の脳裏には“7年前の悪夢”がよぎったようだ。
「7年前と(2対0でリードするという)同じような展開でしたね。あの試合では、継投した時に、広陵さんのベンチで中井(哲之)監督が笑みを浮かべたんです。中井監督にとってはありがたかったと思いますが、そう思わせてしまう継投をした私の失敗ですよね。その経験もあったので、早く(継投に)動くべきなのか、そうではないのか。(広陵戦の)負けから学んで、凄く考えるようになりました。今日は(継投した後の7回に)逆転されましたけど、その後も、キャプテンの杉浦を中心に粘り強く戦ってくれて、再び逆転できた。選手がたくましく戦ってくれたと思います」
足を攣って続投が困難に
一方、宮崎商も宮崎大会を継投で勝ち上がってきたチームだった。県大会は、小野壮真(3年)が3試合、上山順平(3年)が2試合で先発。どちらか先発していない投手が中継ぎに回り、最後は、ショートを守る中村奈一輝(3年)がマウンドに上がり、試合を締める―これが宮崎商の勝ちパターンだ。
この日も、前述したように宮崎商は7回に1点を勝ち越した。勝ちパターンに持ち込める展開に見えたが、ここで思わぬアクシデントがチームを襲う。
7回裏の守備でのこと。中村が後方の打球を追いかけた際に脚が攣ってしまったのだ。一度、中村はベンチに戻り治療を受けて試合に復帰したが、ピッチングができるような状態ではなかったという。
「選手たちは、本当に粘り強くプレーしてくれました。終盤まで、うちの展開だったので、もう少し自分が選手たちを上手く導いてあげれば、逃げ切れたのかなと思うので、(個人的に)悔いは残ります。(継投については)最後は中村というのがうちの形で、今日も8回、9回を中村でいこうと考えていました。地方大会5試合は全て中村が最後で投げていて、今日のように投げられなかったことはなかったです。ただ、(足が)2度攣ってしまったので、本人からも無理ですということでした」(宮崎商の橋口光朗監督))
今大会も、連日猛暑の中で試合が行われており、中盤以降になると脚が攣る選手が目立っている。特に、中村は動きの多いショートで守備機会が多かったため、体に大きな負担がかかっていたようだ。
継投が遅れて同点に追いつかれた中京大中京と、試合を締めるはずだった中村が足の痙攣に泣かされた宮崎商。夏の甲子園での“継投の難しさ”を痛感させられた一戦だった。