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⚾今日の和歌山大会試合結果(決勝戦)
最終日決勝戦 近大新宮-智弁和歌山 9:59~12:08
一二三四五六七八九十計HE
和 智 弁000001120 4101
近大新宮000000002 281
智弁和歌山は2年ぶり27度目の優勝🏆
⚾今日の岡山大会試合結果(倉敷MS)
最終日決勝戦 岡山学芸館-関西 10:03~12:42
一二三四五六七八九十計HE
学 芸 館020002000 4
関 西100002000 3
岡山学芸館は5年ぶり3度目の優勝🏆
⚾今日の三重大会試合結果(四日市市営霞ヶ浦球場)
最終日決勝戦 菰野-鈴鹿 10:00~12:03
一二三四五六七八九十計HE
鈴 鹿000000000 073
菰 野10001000X 250
菰野は16年ぶり3度目の優勝🏆
🎁テレビ和歌山 「めざせ甲子園 高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya106_localbroadcast_movie_wakayama_2024_14.html
7月27日大会15日目和歌山大会準決勝
田 辺 0−7 智辯和歌山(7回コールド)
和歌山東 0−3 近大 新宮
✌智弁和歌山V、昨夏初戦敗退の悔しさ糧に中谷改革「この日勝つためにやってきた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8941434200cad7ecadf57bbefbc7be84c8bb8897
<高校野球和歌山大会:智弁和歌山4-2近大新宮>◇29日◇決勝◇和歌山市紀三井寺
智弁和歌山が近大新宮を4-2で破り、2年ぶり27度目の優勝をつかんだ。昨夏の和歌山大会初戦敗退からリスタートした中谷仁監督(45)率いるチームが悔しさをバネに、投打で強力なチームを作り上げた。投手陣は全5試合自責0で防御率0・00の無双状態。打線は準決勝まで全4試合コールド勝ちの破壊力だ。夏の甲子園に帰還し、3年ぶりの日本一を狙う。
悔し涙は381日の時を経て、うれし涙に変わった。9回に近大新宮の猛攻をしのいだ智弁和歌山ナインは、喜びを爆発させてマウンドに駆け出した。中谷監督は「よおやった!」と涙を流す主将の辻旭陽外野手(3年)らをたたえ、自身も感極まった。
「去年の初戦敗退から、このチームは長い長い1年を、この日勝つために選手たちとやってきました。本当にうれしく思います」
昨年の7月15日、高野山に2-4で22年ぶりの初戦敗退を喫し、6連覇を逃した。甲子園で戦うはずが突然生まれた日程の空白期間。中谷監督と塩健一郎部長(29)が交代でマイクロバスのハンドルを握った。片道6時間かけ、同校では8月異例の関東遠征を敢行。3泊4日で掛川西、横浜、東海大菅生、桐生第一の強豪校と練習試合を重ね、課題をあぶり出した。
公式戦を含め、新チームがこなした実戦は120試合以上にも及ぶ。「自分の役割に徹してくれる選手が増えた。『こういう場面は俺だろ』ってすぐ準備してくれて、結果を出してくれる」。この日は打撃が魅力の松本虎太郎内野手(1年)を二塁で起用し、6回に1点を先制すると守備力の高い井口恒星内野手(3年)を投入。0-0の4回に辻が出塁すると、快足堅守の高桑京士郎外野手(3年)を代走で送り、守備固めも兼ねたその高桑が7回に2点目のタイムリー。個々が持ち場で力を発揮できる新体制を作った。和歌山大会初の初戦から4試合連続コールド勝ちの猛攻は、中谷改革のたまものだった。
投手陣にも高いレベルでの競争を促し、強力な4本柱を形成した。この日は最速143キロの渡辺颯人投手(2年)が9回途中2失点で快投。144キロの松倉汐音投手(3年)、149キロの中西琉輝矢投手(3年)、147キロの宮口龍斗投手(2年)も盤石で、今夏5試合35イニングで自責0、防御率0・00と他校を圧倒した。投打に破壊力を増した智弁和歌山が、甲子園に帰ってくる。
👣近大新宮、”一回り継投”で智弁和歌山に対抗も悲願の甲子園届かず 産屋敷監督「子どもたちは一生懸命やってくれました」
https://news.yahoo.co.jp/articles/12c2820f4c41c19153e250eb41fb805a90f5adf2
◇29日 第106回全国高校野球選手権和歌山大会決勝 近大新宮2―4智弁和歌山(紀三井寺)
創部20年で初めて決勝に進出した近大新宮は打者9人ずつの”一回り継投”で智弁和歌山に対抗したが、悲願の甲子園を逃した。
先発はエースナンバーの響与一投手(3年)だった。産屋敷秀信監督は「今まであまり投げていなかったんですが、最初に試合をつくってもらってと思っていました。期待通りの投球をしてくれました」と振り返る。
1回と2回に走者を出しながらも、無失点に封じた。3回は先頭の9番打者を一邪飛に打ち取ると、交代。2番手で背番号「14」の田中楓投手(3年)が5回2死一、二塁まで登板。1番打者に回ると、背番号「11」の小田島一晃投手(3年)が救援して、このピンチを切り抜けた。
先取点を奪われたのは6回だった。小田島が適時打を浴びて、続投した7回は先頭から2死を取ったところで降板。背番号「10」の西田悠朔投手(3年)にスイッチしたが、1点を追加された。西田だけが8回終了まで打者11人に投げて2点を加えられた。9回は背番号「19」の西島大波(だいご)投手(1年)が1イニングを1安打無失点に抑えた。
産屋敷監督は「投手は頑張って踏ん張っていたんですが、強力打線にチャンスで打たれてしまいましたね。子どもたちは一生懸命やってくれました」とたたえた。先発を任された響は「1巡で代わるぞと言われていました。やってやるぞと思ってマウンドに上がりました。打たれるのは覚悟していたので相手に流れをやらず、という投球を心掛けていました」。納得のいく投球ができたのかの問い掛けに、「はい」と答えた。
☝スタメン全員2年生の菰野が16年ぶり3度目甲子園 大会直前に前監督が解任、動揺を乗り越え聖地へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/31a328fc60dff584654965c11639d812f64d7218
◇29日 第106回全国高校野球選手権三重大会決勝 菰野2―0鈴鹿(四日市市営霞ケ浦第一)
菰野が鈴鹿に完封勝利し、16年ぶり3度目の甲子園出場を決めた。
若い力で16年ぶりに扉をこじ開けた。2点リードの9回1死一、二塁。菰野のエース・栄田が、最後のピンチを遊撃への併殺打に打ち取った。完封で甲子園出場を決め、三塁ベンチから次々に飛び出すナイン。見守る森田亮太監督(38)の目からは涙があふれた。
「彼らの苦労を見てきたので。乗り越えた瞬間を見ていたら感極まりました」
菰野は2008年の優勝以降、2度の準優勝、5度の4強、3度の8強と甲子園の切符が届きそうで届かない年月が続いた。今春は2年生主体のメンバーで三重県大会を準優勝し、東海大会に出場。享栄(愛知)県岐阜商と強豪校を倒して準優勝し、夏に向けて大きな自信をつけた。
しかし、大会直前に監督が交代。部員に対する体罰や不適切発言の疑いがあるとして前監督が解任されて、6月中旬から部長を務めていた森田監督が指揮を執っている。「主役は子どもたち。グラウンドでいつも通りにプレーできるようにすることが私の役目」と森田監督。選手らも「自分たちのやることは一緒」と不安や動揺を乗り越えて大会に臨んだ。
準々決勝の近大高専戦を除く4試合のスタメンが全員2年生という布陣。「負けるときは若さが出るときかなと思ったが、ミスをしても下を向かなかった」。失点すれば打ち返し、ピンチは冷静に切り抜けた。
栄田は全試合に登板して3完投。大一番の決勝でも再三ピンチを招いたが、「最後はおまえが決めろ」という仲間の声に支えられてマウンドを守り切った。試合に出る準備をしながら、レギュラーの2年生を支える主将・山口ら控えの3年生も一丸で戦った。「甲子園はみんな初めての経験。まずは1勝したい」と山口。若さあふれるチームが、聖地に新たな風を吹かせる。
📝元祖アイドルは「甲子園で始まり、終わった」 聖地とともに歩んだ太田幸司さんの天国と地獄
https://news.yahoo.co.jp/articles/e24df57edfc55607c1d6f8381e4b3e37efc91a45?page=1
8月1日に開場100年を迎える甲子園球場(兵庫県西宮市)。青森・三沢高時代に甲子園の「元祖アイドル」として知られる太田幸司さん(72)の歩みは1969年夏、第51回全国高校野球選手権の決勝戦で繰り広げた松山商(愛媛)との激闘から始まった。その後、プロ野球近鉄に入団。15年にわたる現役生活の最後は、甲子園を本拠地とする阪神でユニホームを脱いだ。人生の節目には、いつも甲子園があった。
■56年前の感動、今も…
太田さんが初めて甲子園の土を踏んだのは、三沢高2年だった68年夏。目の前にそびえ立つ甲子園を覆うツタを見ただけで歴史を感じ、圧倒された。「甲子園に来たというだけで満足だった」。球場に足を踏み入れると感動は増した。
「想像以上に大きかった。アルプス席は高くそそり立っている。芝の生えた球場で野球をするのも初めて。それに、内野の黒土をスパイクで踏んだときの、あのサックサク感。足が速くなるような気がしたよ」。その衝撃は今でもよく覚えている。
東北から出てきた素朴で端正な顔立ちの少年は翌年の夏、この場所で死闘を繰り広げる。今も語り継がれている松山商との決勝戦だ。
息詰まる投手戦で延長十八回、4時間16分に及んだ一戦は0-0のまま決着がつかず、史上初の決勝再試合に持ち込まれた。翌日の再試合は、一回に先制2ランで主導権を握った松山商が4―2で勝利。一方、太田さんは1試合目に262球、再試合も122球を1人で投げ切ったのだった。
優勝校のセレモニーが終わると、太田さんの足は自然とマウンドへ向かった。「なんで行ったのかなあ。だれに頼まれたわけでもないんだけどね」。自らの汗が染み込んだマウンドで集めた砂は応援してくれた地元の人たちに分け、最後に少しだけ残った砂は自宅にあったワンカップ瓶に納めた。砂を持ち帰ったのは、3度の甲子園経験でこのときが初めて。その砂は今も自宅の片隅で静かに眠っている。「100年以上の歴史がある高校野球でマウンドの土を持って帰ったのは、もしかして俺だけと違うかな?」といたずらっぽく笑った。
■「コーちゃんブーム」の陰で…
甲子園の元祖アイドルとして「コーちゃんブーム」を巻き起こした夏の大会は、太田さんの運命を大きく変えることになった。「甲子園に出てなかったら別の人生になってたかもしれないね」。小学生時代に夢見ただけのプロ野球選手。高校3年夏の大会終了後、指名のあいさつは11球団に上り、秋のドラフト会議では近鉄に1位指名された。
甲子園での活躍に導かれるようにしてプロ野球選手になった。青年が描いた青写真は、3年間は2軍でしっかり鍛えることだったが、なかなか活躍できない中でも、マスコミは「プリンス」「殿下」と呼び、人気は高まる一方。苦悩の日々だった。
プロ初勝利はプロ初登板となった1年目の70年4月19日のロッテ戦。八回から救援登板し、九回に同点にされたが、その裏、代打の選手のサヨナラ本塁打で初勝利が転がり込んだ。1年目はこの1勝のみ。2年目は未勝利。「技術的にも、精神的にも、バラバラだった」。それでも、1年目から3年連続でオールスターのファン投票1位。「地獄だった」。2年目シーズンが終わると、野球をやめたいと思うまでになった。
周囲に相談する中で「ダメなものをずっと続けてもダメやで。何か新しいことを見つけなきゃ」と言われたことで、一からの出直しを決意。自身の体の動き方に合った投球フォームを模索。もともと持ち球は直球とカーブだけだったが、腕を少し下げてスリークオーター気味にし、スライダーとシュートにも挑戦。スライダーの達人といわれた近鉄の先輩、清俊彦さんにも聞くなどして、活路を見いだそうとした。
プロ3年目の球宴は直前に2年ぶりのプロ2勝目を挙げていた。甲子園が舞台の第3戦で初の先発を任された。三回に1点を失い、なおも得点圏に走者を背負い、打席には王貞治さん。「打たれて当たり前という気持ちだった」。王さんをスライダーで遊飛に仕留めると、続く長嶋茂雄さんはシュートで詰まらせて二ゴロ併殺。「大きな自信になった。甲子園は俺を見捨てなかったのかな」
このときの投球が、再び人生の岐路となり、翌73年は6勝を挙げ、球宴に初めて監督推薦で出場。74年は10勝、75年は12勝をマークし、主力投手となった。
その後、巨人を経て、現役最後の1年は阪神で過ごした。プロ入りの際、村山実さんのいる阪神が第1希望だった。移籍話を聞かされた際、「甲子園で育った男。甲子園で始まり、最後は甲子園でもうひと頑張りして終わるのもいいか」と思ったという。
阪神時代の公式戦登板はなかったが、「2軍戦では甲子園登板もあったから、最後は阪神のユニホームを着て、野球ができてよかった。最初の夢がかなったからね」。そして、最後にこう振り返った。「甲子園がなかったら、今の自分の人生はない、といってもいいぐらいだね」と。
👣甲子園が遠い…聖隷クリストファーまたも“あと1歩”「出してあげたかった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/5c113d557413cc92fbbdb70f1581f821fc914714
◇第106回全国高校野球選手権 静岡決勝 聖隷クリストファー2―7掛川西(2024年7月29日 草薙)
甲子園はこんなにも遠いのか…。聖隷クリストファーがノーシードから初の決勝まで進んだが、掛川西の前に敗れた。
3回に一度は追いついたが、4回に満塁から走者一掃の二塁打を許した。打線は2桁10安打と健闘したが届かなかった。
聖隷クリストファーはコロナ禍で開催された2020年夏には県の独自大会で優勝したが、その年の甲子園大会は中止となった。前年秋の東海大会で準優勝と堂々とした成績を収めた2022年のセンバツ出場校の選考では、2枠ある東海地区で選出されずに大きな反響を呼んた。
今回も初の決勝進出だったが、目前で逃した。試合終了後のあいさつまでは気丈に振る舞ったナインだったが、あいさつを終えるとその場に崩れ落ち、涙を見せた。
ネットでは「聖隷クリストファー悲願ならず」「聖隷クリストファー、あまりにも遠い甲子園」「今年もあと一歩及ばず…けどノーシードからの快進撃は凄かった」「出してあげたかった」と同情の声があがった。
📝なぜ? 批判続出した愛知大会決勝14時開始のワケ…県高野連「すべて熱中症対策」
https://news.yahoo.co.jp/articles/5ae851c5917bca7c2f4d978f21f4a9c213966168
◇第106回全国高校野球選手権 中京大中京7-3東邦(2024年7月28日 岡崎レッドダイヤモンドスタジアム)
全国最多173チームが参加した愛知大会は中京大中京が7年ぶり、29度目の夏切符をつかみ、幕を閉じた。
愛知大会決勝は中京大中京と東邦の名門対決ということもあり、注目を集めたが、何よりも話題となったのが試合開始時間だった。
28日は全国10都府県で決勝が行われ、大阪や兵庫、西東京などほとんどの地域で午前10時プレーボールだったにもかかわらず、愛知の決勝は午後2時だった。
インターネット上では「なんで愛知だけ決勝が1番暑そうな14時からなのか」「愛知大会決勝、この酷暑に14時開始とか、どういう事情なんだろ。皆さん、体調崩されませんように」「こんな暑いのになんで愛知だけ14時スタートなんだよ選手かわいそうやろ」と批判めいた声が多く見られた。
確かに球場のある岡崎市のこの日の最高気温は午後1時に計測した38度。熱中症を心配する声が出るのもうなずける。
そこで愛知県高野連の鶴田賀宣理事長に午後2時開催の理由を尋ねた。
愛知県高野連では、7月上旬~8月上旬の1カ月間の暑さ指数を中京大スポーツ科学部の松本孝朗教授に岡崎レッドダイヤモンドスタジアム、小牧市民球場、パロマ瑞穂野球場の3球場で測定してもらっているという。
その結果、「必ずしも危険な数値が午後ではなかった」と鶴田理事長は言う。実際にデータを見ると、決勝が行われた岡崎レッドダイヤモンドスタジアムは午前の方が危険な数値が多かった。
また、WBGTを測定する前に他府県同様、午前10時プレーボールで決勝を開催した年もあったという。ただ、試合終盤を迎える12時台、13時台にスタンドで観戦する生徒が多数、熱中症の症状を訴えたそうだ。
そういった過去の経緯やWBGTの測定結果を踏まえ、「選手にもお客様にも危険と判断しました」と午後2時開催に至ったという。
午前10時開催の場合、渋滞などを考慮し「選手たちが午前5時頃に起きるケースもある。準決勝までの疲れもたまっている。朝、ゆっくり寝て食事もゆっくりして球場に来てもらえる」と決勝を戦う選手たちにとって午後2時開催のメリットもあると説明。午後2時開催にすることで、閉会式は午後5時頃のやや涼しくなる時間に行うこともできる。
もちろん疑問も残る。選手ファーストで午後2時開催にすると、応援団や保護者ら観客は最も暑い12時、午後1時台に球場に集まることになる。
そこで、愛知県高野連では数年前から内野席の前売り券をインターネットで販売開始。今年も約4000枚がネット上では2日前の時点で完売。もちろん当日券を求める列はできたそうだが、大きな混乱はなかったという。
さらに、今年は試合開始5時間以上も前の午前8時30分に球場を開門。「再入場可能なので、スタンドに荷物を置いて食事に出かけたり、車の中で涼を取ってもらえた」と鶴田理事長。観客にもできるだけ負担の少ない方法を選択した。
実際にこの日、熱中症の症状で医務室に運ばれたのは2人だけで、救急搬送された人はいなかった。
午後2時プレーボールについて、鶴田理事長は「すべて熱中症対策」とし、来年以降も同様の予定とした。
日本高野連は今夏の第106回全国高校野球選手権大会から一部日程で試合開始時間を午前と夕方に分ける「2部制」を導入する。対象日は1日の試合数が3試合の第1日から第3日までで、熱中症対策の一環として大会史上初めて実施される。
猛暑日が続出し、異常な暑さが続く近年の夏。もちろん、愛知県高野連の「午後2時プレーボール」が必ずしも正解ではなく、その地域、その球場の特性なども考慮して試合開始時間を決める必要性があると言える。
☟甲子園「マル得」情報
早実「満員スタンド」味方に期待できる“甲子園8強以上”…打力は昨夏Vの慶応以上
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/358259
「いろんなものを背負いながら大阪に行って、もっともっと強いチームになってもらえるんじゃないかなと期待している」 早実・和泉実監督(62)は試合後、目に涙を浮かべながらこう言った。
昨28日の西東京大会決勝で、早実が昨夏王者の日大三と対戦。9-9の九回無死満塁から内園光太(3年)が左前へサヨナラ打を放ち、2015年以来30度目の夏出場を決めた。
初戦の3回戦から6、8、6、14、14、10得点。準々決勝の国学院久我山戦は最大9点差を追い付かれるも14-13で振り切った。1試合平均9.7点の猛打で西東京を勝ち上がった。早実野球部OBがこう言う。
「早実で最も大事にしているのは『自主性』です。U15の日本代表や全国トップクラスの野球の実績を持つ中学生が『G選』という推薦入試で入ってくるので、投手も打者も基本的にはいじらないという原則があります。和泉監督も打者は指導しているし、伝統的にバットをよく振るので打者は伸びる。ただ、投手に関しては昔から専門的な人が教えていない。ハンカチ王子の斎藤佑樹も勝手に伸びたというのが野球部の認識ですから」
この日の神宮の観衆は約2万人。昨夏はスタンドの声援を味方にした慶応が甲子園を制した。「投手力は昨年の慶応、打力は今年の早実の方が上。スタンドの後押しは早慶互角でしょう。8強以上が期待できる」とは前出のOBだ。
最終日決勝戦 近大新宮-智弁和歌山 9:59~12:08
一二三四五六七八九十計HE
和 智 弁000001120 4101
近大新宮000000002 281
智弁和歌山は2年ぶり27度目の優勝🏆
⚾今日の岡山大会試合結果(倉敷MS)
最終日決勝戦 岡山学芸館-関西 10:03~12:42
一二三四五六七八九十計HE
学 芸 館020002000 4
関 西100002000 3
岡山学芸館は5年ぶり3度目の優勝🏆
⚾今日の三重大会試合結果(四日市市営霞ヶ浦球場)
最終日決勝戦 菰野-鈴鹿 10:00~12:03
一二三四五六七八九十計HE
鈴 鹿000000000 073
菰 野10001000X 250
菰野は16年ぶり3度目の優勝🏆
🎁テレビ和歌山 「めざせ甲子園 高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya106_localbroadcast_movie_wakayama_2024_14.html
7月27日大会15日目和歌山大会準決勝
田 辺 0−7 智辯和歌山(7回コールド)
和歌山東 0−3 近大 新宮
✌智弁和歌山V、昨夏初戦敗退の悔しさ糧に中谷改革「この日勝つためにやってきた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8941434200cad7ecadf57bbefbc7be84c8bb8897
<高校野球和歌山大会:智弁和歌山4-2近大新宮>◇29日◇決勝◇和歌山市紀三井寺
智弁和歌山が近大新宮を4-2で破り、2年ぶり27度目の優勝をつかんだ。昨夏の和歌山大会初戦敗退からリスタートした中谷仁監督(45)率いるチームが悔しさをバネに、投打で強力なチームを作り上げた。投手陣は全5試合自責0で防御率0・00の無双状態。打線は準決勝まで全4試合コールド勝ちの破壊力だ。夏の甲子園に帰還し、3年ぶりの日本一を狙う。
悔し涙は381日の時を経て、うれし涙に変わった。9回に近大新宮の猛攻をしのいだ智弁和歌山ナインは、喜びを爆発させてマウンドに駆け出した。中谷監督は「よおやった!」と涙を流す主将の辻旭陽外野手(3年)らをたたえ、自身も感極まった。
「去年の初戦敗退から、このチームは長い長い1年を、この日勝つために選手たちとやってきました。本当にうれしく思います」
昨年の7月15日、高野山に2-4で22年ぶりの初戦敗退を喫し、6連覇を逃した。甲子園で戦うはずが突然生まれた日程の空白期間。中谷監督と塩健一郎部長(29)が交代でマイクロバスのハンドルを握った。片道6時間かけ、同校では8月異例の関東遠征を敢行。3泊4日で掛川西、横浜、東海大菅生、桐生第一の強豪校と練習試合を重ね、課題をあぶり出した。
公式戦を含め、新チームがこなした実戦は120試合以上にも及ぶ。「自分の役割に徹してくれる選手が増えた。『こういう場面は俺だろ』ってすぐ準備してくれて、結果を出してくれる」。この日は打撃が魅力の松本虎太郎内野手(1年)を二塁で起用し、6回に1点を先制すると守備力の高い井口恒星内野手(3年)を投入。0-0の4回に辻が出塁すると、快足堅守の高桑京士郎外野手(3年)を代走で送り、守備固めも兼ねたその高桑が7回に2点目のタイムリー。個々が持ち場で力を発揮できる新体制を作った。和歌山大会初の初戦から4試合連続コールド勝ちの猛攻は、中谷改革のたまものだった。
投手陣にも高いレベルでの競争を促し、強力な4本柱を形成した。この日は最速143キロの渡辺颯人投手(2年)が9回途中2失点で快投。144キロの松倉汐音投手(3年)、149キロの中西琉輝矢投手(3年)、147キロの宮口龍斗投手(2年)も盤石で、今夏5試合35イニングで自責0、防御率0・00と他校を圧倒した。投打に破壊力を増した智弁和歌山が、甲子園に帰ってくる。
👣近大新宮、”一回り継投”で智弁和歌山に対抗も悲願の甲子園届かず 産屋敷監督「子どもたちは一生懸命やってくれました」
https://news.yahoo.co.jp/articles/12c2820f4c41c19153e250eb41fb805a90f5adf2
◇29日 第106回全国高校野球選手権和歌山大会決勝 近大新宮2―4智弁和歌山(紀三井寺)
創部20年で初めて決勝に進出した近大新宮は打者9人ずつの”一回り継投”で智弁和歌山に対抗したが、悲願の甲子園を逃した。
先発はエースナンバーの響与一投手(3年)だった。産屋敷秀信監督は「今まであまり投げていなかったんですが、最初に試合をつくってもらってと思っていました。期待通りの投球をしてくれました」と振り返る。
1回と2回に走者を出しながらも、無失点に封じた。3回は先頭の9番打者を一邪飛に打ち取ると、交代。2番手で背番号「14」の田中楓投手(3年)が5回2死一、二塁まで登板。1番打者に回ると、背番号「11」の小田島一晃投手(3年)が救援して、このピンチを切り抜けた。
先取点を奪われたのは6回だった。小田島が適時打を浴びて、続投した7回は先頭から2死を取ったところで降板。背番号「10」の西田悠朔投手(3年)にスイッチしたが、1点を追加された。西田だけが8回終了まで打者11人に投げて2点を加えられた。9回は背番号「19」の西島大波(だいご)投手(1年)が1イニングを1安打無失点に抑えた。
産屋敷監督は「投手は頑張って踏ん張っていたんですが、強力打線にチャンスで打たれてしまいましたね。子どもたちは一生懸命やってくれました」とたたえた。先発を任された響は「1巡で代わるぞと言われていました。やってやるぞと思ってマウンドに上がりました。打たれるのは覚悟していたので相手に流れをやらず、という投球を心掛けていました」。納得のいく投球ができたのかの問い掛けに、「はい」と答えた。
☝スタメン全員2年生の菰野が16年ぶり3度目甲子園 大会直前に前監督が解任、動揺を乗り越え聖地へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/31a328fc60dff584654965c11639d812f64d7218
◇29日 第106回全国高校野球選手権三重大会決勝 菰野2―0鈴鹿(四日市市営霞ケ浦第一)
菰野が鈴鹿に完封勝利し、16年ぶり3度目の甲子園出場を決めた。
若い力で16年ぶりに扉をこじ開けた。2点リードの9回1死一、二塁。菰野のエース・栄田が、最後のピンチを遊撃への併殺打に打ち取った。完封で甲子園出場を決め、三塁ベンチから次々に飛び出すナイン。見守る森田亮太監督(38)の目からは涙があふれた。
「彼らの苦労を見てきたので。乗り越えた瞬間を見ていたら感極まりました」
菰野は2008年の優勝以降、2度の準優勝、5度の4強、3度の8強と甲子園の切符が届きそうで届かない年月が続いた。今春は2年生主体のメンバーで三重県大会を準優勝し、東海大会に出場。享栄(愛知)県岐阜商と強豪校を倒して準優勝し、夏に向けて大きな自信をつけた。
しかし、大会直前に監督が交代。部員に対する体罰や不適切発言の疑いがあるとして前監督が解任されて、6月中旬から部長を務めていた森田監督が指揮を執っている。「主役は子どもたち。グラウンドでいつも通りにプレーできるようにすることが私の役目」と森田監督。選手らも「自分たちのやることは一緒」と不安や動揺を乗り越えて大会に臨んだ。
準々決勝の近大高専戦を除く4試合のスタメンが全員2年生という布陣。「負けるときは若さが出るときかなと思ったが、ミスをしても下を向かなかった」。失点すれば打ち返し、ピンチは冷静に切り抜けた。
栄田は全試合に登板して3完投。大一番の決勝でも再三ピンチを招いたが、「最後はおまえが決めろ」という仲間の声に支えられてマウンドを守り切った。試合に出る準備をしながら、レギュラーの2年生を支える主将・山口ら控えの3年生も一丸で戦った。「甲子園はみんな初めての経験。まずは1勝したい」と山口。若さあふれるチームが、聖地に新たな風を吹かせる。
📝元祖アイドルは「甲子園で始まり、終わった」 聖地とともに歩んだ太田幸司さんの天国と地獄
https://news.yahoo.co.jp/articles/e24df57edfc55607c1d6f8381e4b3e37efc91a45?page=1
8月1日に開場100年を迎える甲子園球場(兵庫県西宮市)。青森・三沢高時代に甲子園の「元祖アイドル」として知られる太田幸司さん(72)の歩みは1969年夏、第51回全国高校野球選手権の決勝戦で繰り広げた松山商(愛媛)との激闘から始まった。その後、プロ野球近鉄に入団。15年にわたる現役生活の最後は、甲子園を本拠地とする阪神でユニホームを脱いだ。人生の節目には、いつも甲子園があった。
■56年前の感動、今も…
太田さんが初めて甲子園の土を踏んだのは、三沢高2年だった68年夏。目の前にそびえ立つ甲子園を覆うツタを見ただけで歴史を感じ、圧倒された。「甲子園に来たというだけで満足だった」。球場に足を踏み入れると感動は増した。
「想像以上に大きかった。アルプス席は高くそそり立っている。芝の生えた球場で野球をするのも初めて。それに、内野の黒土をスパイクで踏んだときの、あのサックサク感。足が速くなるような気がしたよ」。その衝撃は今でもよく覚えている。
東北から出てきた素朴で端正な顔立ちの少年は翌年の夏、この場所で死闘を繰り広げる。今も語り継がれている松山商との決勝戦だ。
息詰まる投手戦で延長十八回、4時間16分に及んだ一戦は0-0のまま決着がつかず、史上初の決勝再試合に持ち込まれた。翌日の再試合は、一回に先制2ランで主導権を握った松山商が4―2で勝利。一方、太田さんは1試合目に262球、再試合も122球を1人で投げ切ったのだった。
優勝校のセレモニーが終わると、太田さんの足は自然とマウンドへ向かった。「なんで行ったのかなあ。だれに頼まれたわけでもないんだけどね」。自らの汗が染み込んだマウンドで集めた砂は応援してくれた地元の人たちに分け、最後に少しだけ残った砂は自宅にあったワンカップ瓶に納めた。砂を持ち帰ったのは、3度の甲子園経験でこのときが初めて。その砂は今も自宅の片隅で静かに眠っている。「100年以上の歴史がある高校野球でマウンドの土を持って帰ったのは、もしかして俺だけと違うかな?」といたずらっぽく笑った。
■「コーちゃんブーム」の陰で…
甲子園の元祖アイドルとして「コーちゃんブーム」を巻き起こした夏の大会は、太田さんの運命を大きく変えることになった。「甲子園に出てなかったら別の人生になってたかもしれないね」。小学生時代に夢見ただけのプロ野球選手。高校3年夏の大会終了後、指名のあいさつは11球団に上り、秋のドラフト会議では近鉄に1位指名された。
甲子園での活躍に導かれるようにしてプロ野球選手になった。青年が描いた青写真は、3年間は2軍でしっかり鍛えることだったが、なかなか活躍できない中でも、マスコミは「プリンス」「殿下」と呼び、人気は高まる一方。苦悩の日々だった。
プロ初勝利はプロ初登板となった1年目の70年4月19日のロッテ戦。八回から救援登板し、九回に同点にされたが、その裏、代打の選手のサヨナラ本塁打で初勝利が転がり込んだ。1年目はこの1勝のみ。2年目は未勝利。「技術的にも、精神的にも、バラバラだった」。それでも、1年目から3年連続でオールスターのファン投票1位。「地獄だった」。2年目シーズンが終わると、野球をやめたいと思うまでになった。
周囲に相談する中で「ダメなものをずっと続けてもダメやで。何か新しいことを見つけなきゃ」と言われたことで、一からの出直しを決意。自身の体の動き方に合った投球フォームを模索。もともと持ち球は直球とカーブだけだったが、腕を少し下げてスリークオーター気味にし、スライダーとシュートにも挑戦。スライダーの達人といわれた近鉄の先輩、清俊彦さんにも聞くなどして、活路を見いだそうとした。
プロ3年目の球宴は直前に2年ぶりのプロ2勝目を挙げていた。甲子園が舞台の第3戦で初の先発を任された。三回に1点を失い、なおも得点圏に走者を背負い、打席には王貞治さん。「打たれて当たり前という気持ちだった」。王さんをスライダーで遊飛に仕留めると、続く長嶋茂雄さんはシュートで詰まらせて二ゴロ併殺。「大きな自信になった。甲子園は俺を見捨てなかったのかな」
このときの投球が、再び人生の岐路となり、翌73年は6勝を挙げ、球宴に初めて監督推薦で出場。74年は10勝、75年は12勝をマークし、主力投手となった。
その後、巨人を経て、現役最後の1年は阪神で過ごした。プロ入りの際、村山実さんのいる阪神が第1希望だった。移籍話を聞かされた際、「甲子園で育った男。甲子園で始まり、最後は甲子園でもうひと頑張りして終わるのもいいか」と思ったという。
阪神時代の公式戦登板はなかったが、「2軍戦では甲子園登板もあったから、最後は阪神のユニホームを着て、野球ができてよかった。最初の夢がかなったからね」。そして、最後にこう振り返った。「甲子園がなかったら、今の自分の人生はない、といってもいいぐらいだね」と。
👣甲子園が遠い…聖隷クリストファーまたも“あと1歩”「出してあげたかった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/5c113d557413cc92fbbdb70f1581f821fc914714
◇第106回全国高校野球選手権 静岡決勝 聖隷クリストファー2―7掛川西(2024年7月29日 草薙)
甲子園はこんなにも遠いのか…。聖隷クリストファーがノーシードから初の決勝まで進んだが、掛川西の前に敗れた。
3回に一度は追いついたが、4回に満塁から走者一掃の二塁打を許した。打線は2桁10安打と健闘したが届かなかった。
聖隷クリストファーはコロナ禍で開催された2020年夏には県の独自大会で優勝したが、その年の甲子園大会は中止となった。前年秋の東海大会で準優勝と堂々とした成績を収めた2022年のセンバツ出場校の選考では、2枠ある東海地区で選出されずに大きな反響を呼んた。
今回も初の決勝進出だったが、目前で逃した。試合終了後のあいさつまでは気丈に振る舞ったナインだったが、あいさつを終えるとその場に崩れ落ち、涙を見せた。
ネットでは「聖隷クリストファー悲願ならず」「聖隷クリストファー、あまりにも遠い甲子園」「今年もあと一歩及ばず…けどノーシードからの快進撃は凄かった」「出してあげたかった」と同情の声があがった。
📝なぜ? 批判続出した愛知大会決勝14時開始のワケ…県高野連「すべて熱中症対策」
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◇第106回全国高校野球選手権 中京大中京7-3東邦(2024年7月28日 岡崎レッドダイヤモンドスタジアム)
全国最多173チームが参加した愛知大会は中京大中京が7年ぶり、29度目の夏切符をつかみ、幕を閉じた。
愛知大会決勝は中京大中京と東邦の名門対決ということもあり、注目を集めたが、何よりも話題となったのが試合開始時間だった。
28日は全国10都府県で決勝が行われ、大阪や兵庫、西東京などほとんどの地域で午前10時プレーボールだったにもかかわらず、愛知の決勝は午後2時だった。
インターネット上では「なんで愛知だけ決勝が1番暑そうな14時からなのか」「愛知大会決勝、この酷暑に14時開始とか、どういう事情なんだろ。皆さん、体調崩されませんように」「こんな暑いのになんで愛知だけ14時スタートなんだよ選手かわいそうやろ」と批判めいた声が多く見られた。
確かに球場のある岡崎市のこの日の最高気温は午後1時に計測した38度。熱中症を心配する声が出るのもうなずける。
そこで愛知県高野連の鶴田賀宣理事長に午後2時開催の理由を尋ねた。
愛知県高野連では、7月上旬~8月上旬の1カ月間の暑さ指数を中京大スポーツ科学部の松本孝朗教授に岡崎レッドダイヤモンドスタジアム、小牧市民球場、パロマ瑞穂野球場の3球場で測定してもらっているという。
その結果、「必ずしも危険な数値が午後ではなかった」と鶴田理事長は言う。実際にデータを見ると、決勝が行われた岡崎レッドダイヤモンドスタジアムは午前の方が危険な数値が多かった。
また、WBGTを測定する前に他府県同様、午前10時プレーボールで決勝を開催した年もあったという。ただ、試合終盤を迎える12時台、13時台にスタンドで観戦する生徒が多数、熱中症の症状を訴えたそうだ。
そういった過去の経緯やWBGTの測定結果を踏まえ、「選手にもお客様にも危険と判断しました」と午後2時開催に至ったという。
午前10時開催の場合、渋滞などを考慮し「選手たちが午前5時頃に起きるケースもある。準決勝までの疲れもたまっている。朝、ゆっくり寝て食事もゆっくりして球場に来てもらえる」と決勝を戦う選手たちにとって午後2時開催のメリットもあると説明。午後2時開催にすることで、閉会式は午後5時頃のやや涼しくなる時間に行うこともできる。
もちろん疑問も残る。選手ファーストで午後2時開催にすると、応援団や保護者ら観客は最も暑い12時、午後1時台に球場に集まることになる。
そこで、愛知県高野連では数年前から内野席の前売り券をインターネットで販売開始。今年も約4000枚がネット上では2日前の時点で完売。もちろん当日券を求める列はできたそうだが、大きな混乱はなかったという。
さらに、今年は試合開始5時間以上も前の午前8時30分に球場を開門。「再入場可能なので、スタンドに荷物を置いて食事に出かけたり、車の中で涼を取ってもらえた」と鶴田理事長。観客にもできるだけ負担の少ない方法を選択した。
実際にこの日、熱中症の症状で医務室に運ばれたのは2人だけで、救急搬送された人はいなかった。
午後2時プレーボールについて、鶴田理事長は「すべて熱中症対策」とし、来年以降も同様の予定とした。
日本高野連は今夏の第106回全国高校野球選手権大会から一部日程で試合開始時間を午前と夕方に分ける「2部制」を導入する。対象日は1日の試合数が3試合の第1日から第3日までで、熱中症対策の一環として大会史上初めて実施される。
猛暑日が続出し、異常な暑さが続く近年の夏。もちろん、愛知県高野連の「午後2時プレーボール」が必ずしも正解ではなく、その地域、その球場の特性なども考慮して試合開始時間を決める必要性があると言える。
☟甲子園「マル得」情報
早実「満員スタンド」味方に期待できる“甲子園8強以上”…打力は昨夏Vの慶応以上
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/358259
「いろんなものを背負いながら大阪に行って、もっともっと強いチームになってもらえるんじゃないかなと期待している」 早実・和泉実監督(62)は試合後、目に涙を浮かべながらこう言った。
昨28日の西東京大会決勝で、早実が昨夏王者の日大三と対戦。9-9の九回無死満塁から内園光太(3年)が左前へサヨナラ打を放ち、2015年以来30度目の夏出場を決めた。
初戦の3回戦から6、8、6、14、14、10得点。準々決勝の国学院久我山戦は最大9点差を追い付かれるも14-13で振り切った。1試合平均9.7点の猛打で西東京を勝ち上がった。早実野球部OBがこう言う。
「早実で最も大事にしているのは『自主性』です。U15の日本代表や全国トップクラスの野球の実績を持つ中学生が『G選』という推薦入試で入ってくるので、投手も打者も基本的にはいじらないという原則があります。和泉監督も打者は指導しているし、伝統的にバットをよく振るので打者は伸びる。ただ、投手に関しては昔から専門的な人が教えていない。ハンカチ王子の斎藤佑樹も勝手に伸びたというのが野球部の認識ですから」
この日の神宮の観衆は約2万人。昨夏はスタンドの声援を味方にした慶応が甲子園を制した。「投手力は昨年の慶応、打力は今年の早実の方が上。スタンドの後押しは早慶互角でしょう。8強以上が期待できる」とは前出のOBだ。