EDIT FORM
📝いざ実戦投入してビックリ、一度も遠征に連れていかなかった1年生内野手をメンバー登録した【持丸修一 76歳名将の高校野球論】
https://news.yahoo.co.jp/articles/e1b9f18a8c0cea4c437ba1340efc0862dc8f4e52
今週末に専大松戸は夏の千葉大会の初戦を戦います。
春季関東大会以降は県外の強豪校と練習試合を重ねてチームの強化に邁進。試合で勝っている、負けている、何点差か……といった実際の試合展開は度外視して、「もし相手投手からまったく打てていない状況だとしたら」「この回でどうしても1点が必要だとしたら」など、本番で起こりうるさまざまな状況を想定して、みっちり鍛えたつもりです。
6月下旬はこれでもかというくらい厳しく選手に接して追い込みをかけましたが、今は「ほとんど何も言わない指導」に切り替えました。
私は本番のベンチでは必要最低限の指示しか出しません。実際にプレーする選手たちは相当緊張しているだろうから、言いすぎると逆効果だからです。つまり、選手たちが状況に応じて自分の頭で考えてプレーすることが重要になってくる。今のうちからこれに慣れさせておくために、あえて静観のスタイルを取っているのです。
先日、選手登録を済ませました。前回のコラムで、「遠征不参加の選手は学校のグラウンドで練習をさせているが、彼らにもチャンスは十分ある」と書きました。今回のベンチ入りメンバーにもひとり、一度も遠征に参加していない選手がいます。1年の内野手です。
コーチから「面白い選手だからまずBチームの練習試合で使ってみて下さい」と連絡がありました。じっくりチェックしたことはなかったけど、そういえばキャッチボールでひときわ目を引いたなと。奇麗な回転かつ矢のように真っすぐな軌道で、受け手が捕球しやすい球を投げていました。
いざ実戦投入してみたら、ビックリでした。この前まで中学生だったのに、レギュラー陣と遜色のない動きで二塁、三塁、遊撃をこなす俊敏性、なかなかの打撃を備えていたのです。彼ならチームに不足している部分を埋めてくれるだろうと、メンバーに加えました。たぶん本人が一番驚いているかもしれません。
キャッチボールの球が素晴らしかったのなら、ゆくゆくは投手として育てるか? いや……。「捕球しやすい球」ということは、打者にとっては「打ちやすい球」になってしまいますからね(笑)。
📝「高校野球発祥の地」に行ってみた そこにあったのは…大阪府豊中市でカメラマン〝夢の跡〟探る
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad2471e0ef5ecf05d4050cc348e3b60318c07da0
高校野球の聖地といえば今年8月に開場100周年を迎える甲子園球場だが、発祥の地となると、大阪府豊中市にかつて存在した豊中グラウンドである。夏の甲子園の前身となる全国中等学校優勝大会の第1回(1915年)と第2回(16年)が開催された場所なのだ。
同グラウンドは既に取り壊され、跡地は住宅街に変わった。その一角に「高校野球発祥の地記念公園(445平方メートル)」が整備されている。
阪急電車豊中駅から歩いて10分ほど。駅構内に「西へ徒歩400メートル」と書いた案内図があり、分かりやすかった。
最初に目が止まったのは、紋付きはかま姿の男性が投球するレリーフ。第1回大会での始球式をモチーフにしている。男性は当時の朝日新聞社長の村山龍平氏。「球史ここに始まる」の文字も刻まれている。
他にも設置物が並ぶ。東側エリアの壁には、夏の甲子園の歴代優勝校と準優勝校の校名を紹介。西側エリアでは、入り口に豊中グラウンドにあった門柱を再現し、壁の一部には当時の赤れんがを使っていた。第1回大会の開催要項や出場校を記した銅製プレート、グラウンドの平面図を複写した陶板などもある。
高校野球発祥の地記念公園は当初、高校野球の歴史を顕彰しようと88年、豊中市と日本高等学校野球連盟などが「高校野球メモリアルパーク」として建設。2017年にリニューアルされ現在の姿になった。
同市都市活力部スポーツ振興課の山村憲二課長は「夏の甲子園の礎となった大会がここから始まりました。当時の歴史を伝えるこの場所を、全国の高校野球ファンの皆さんに訪れていただきたいですね」と話している。
◆豊中グラウンド 箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が沿線の集客のため1913年に開設。豊中市によると「赤れんがの外壁で囲まれ、野球やサッカー、ラグビー、陸上競技などに使える日本を代表する多目的グラウンドだった」。22年、同グラウンドの1.7倍の広さを持つ宝塚運動場の建設に伴い閉鎖。跡地は住宅街となった。今も近くの民家の塀にグラウンドの外壁の一部といわれる赤れんがが残る。
👣都青鳥 歴史的15アウト!初の特別支援単独出場 0―66もナインに大きな拍手
https://news.yahoo.co.jp/articles/775d18b2fca32d5cf43b8a4ac22a49c15e35c97c
◇第106回全国高校野球選手権西東京大会2回戦 都青鳥特別支援0―66東村山西(2024年7月7日 スリーボンド八王子)
0―66。どんなに点差が開いても、諦めるような選手は一人もいなかった。3時間10分。コールドとなった5回を戦い抜き、高校野球史に新たな一ページを刻んだ。都青鳥特別支援の久保田浩司監督は「点差がついても諦めず、声を出し続けた選手の姿がうれしい」と感慨に浸った。
昨夏、連合チームとして初出場。今夏は部員が12人で単独でグラウンドに立った。特別支援学校の単独出場は高校野球史上初めて。初回、1番の岩本大志(1年)がいきなり右前にはじき返した。記念すべき初安打。これがチーム唯一の安打だった。「うれしかったです。初めてのヒットでガッツポーズが自然と出た」。岩本はチームでは数少ない中学での野球経験者。久保田監督も「一番打てる子」と太鼓判を押し、スタンドで観戦した母・明子さんは「まさか打てるとは思ってもいなかったのでびっくりしました」と喜んだ。
友情応援も後押しした。三塁側スタンドには八王子実践の野球部総勢53人が声援を送り続けた。恩田宣男助監督は久保田監督の日体大野球部の1年後輩に当たる。「(単独で)出場するという第一歩に微力ながら協力したかった」と語り、岩本も「八王子実践のみんなに感謝しかないです」と言った。
久保田監督は言う。「これを機に、他の特別支援学校が公式戦に出場するための歴史的に大きな一歩」。都青鳥特別支援の奮闘に試合が進むにつれ、アウトを取るたびに大きな拍手が起きた。観客の心を震わせたからだ。
▽特別支援学校と高校野球 高野連に加盟して全国で初めて夏の地方大会に参加したのは16年鹿児島大会の鹿児島特別支援学校。鹿児島修学館、加世田常潤、鹿児島第一との連合チームで出場した。22年夏は愛知大会に豊川特別支援学校の生徒が連合チームに加わり出場。都青鳥特別支援学校は昨夏に西東京大会に初参加。松蔭大松蔭、都深沢との連合チームとして出場した。
≪最多得点記録は122点≫夏の地方大会では1998年(平10)の青森大会で東奥義塾が122―0で深浦を下した試合が最多得点試合となっている。22年には千葉大会で千葉学芸が82―0でわせがくを下した。千葉学芸は3時間13分の試合で51安打を放ち、1イニング33得点など8つの千葉大会新記録をつくった。また同年には三重大会で津西が60―0で徳風に勝利している。
👣粘投も「悔い残った」 岩美の平田投手、来年への課題見つけた夏
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASS781S7XS78PUUB004M.html
(8日、第106回全国高校野球選手権鳥取大会1回戦 米子西3―0岩美)
試合終了後、背番号1のエースは球場の外で座り込み、背中を丸めてじっと考え込むように地面を見つめていた。
岩美の平田槙太郎投手(2年)は身長183センチ、体重102キロ。チームの中でもひときわ目立つ堂々とした体格で、マウンドに立った。
三田寛監督も「投手は平田が軸」と信頼を寄せる。速球には自信があるが、変化球と制球力は自分でも課題だと思っている。
1回、2者連続四球などで満塁となるも、フライを打たせてしのいだ。2回も先頭打者を四球で出すが、最後は粘りの投球で三振に仕留める。
しかし、3回も先頭打者を歩かせ、二塁打などでついに2点を失った。4~6回も再三走者を背負うが、打たせてとるピッチングで懸命にしのぎ、味方の反撃を待った。7回、二塁打とスクイズでさらに1点を失い、その裏に代打を送られ交代した。
悔いの残る試合だったが、来年に向け課題は見つかった。「バッターに対して、まっすぐだけじゃなくまずはコントロール。先頭打者を出さないこと」。そして、表情を引き締めてこう言った。「来年は絶対、自分たちが優勝します」
👣「一生懸命やったことを誇りに」 倉吉農のラストミーティング
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASS782W96S78PUUB00FM.html
(8日、第106回全国高校野球選手権鳥取大会1回戦 倉吉農0―10倉吉西)
大丸翔汰監督(倉吉農) 大きな差を分けたところは、細かいところだと思う。挟殺一つとっても、外野からの送球一つとってもそう。それと、日常生活のところも大事だと思うんです。日々のあいさつとか言動とか行動、それらが最終的には出てきてしまう。慌てたときに何もしない人なのか、どうにか人とかかわりながらやっていこうとする人なのか、自分に対してイライラする人なのか、色んな人がいるんだけども、人として成長しないとこの部分はどうしようもない。
どんどん追い込まれていく中で、あの場面でも人間性が出る。周りに声が掛けられるのか、自分の殻にこもるのか。同じ方向に向かっていくように進んでいかないとどんどん苦しくなる。日常生活のところから改善出来るようにやっていきましょう。
一生懸命やったことを誇りに思って下さい。
⚾SHIONOMISAKIさんへ
週末は香川~園部と大移動されたようですね!お疲れ様でした。
深夜の大移動とはいえ、熱帯夜でしんどかったと思います。基本的に道路は空いていると思いますが、中には調子乗りまくって思いっきり信号無視して走行する輩もいるので、、、、、
さて三重ですが関西からだと一番遠いのが四日市で・・・しかもリニューアルして外野拡張され広くなったのはいいが、外野芝生席はずいぶん窮屈な急角度で足を踏ん張らないとズルズル下まで落ちかねないし、ネット裏中央に屋根の着いた小屋のようなものを作ってしまい観客席の視界を大きく遮って見づらいし、屋根がないので東海大会レベルで泊まりでないと行きづらいですね・・・・・。
津は近鉄特急で津まで行き、すぐに津新町駅に引き返し走って行けば何とか間に合うかな???といった具合ですが、足が攣りかねないし、簡易なイスが最近ネット裏にできましたが、基本的に石段の上に座って観戦するようなスタイルだし、屋根がないので夏の観戦はオススメできないですね・・・・・。過去3回ほど夏の大会観ましたが。
松阪は4月に母を連れて斎宮に行った折に、松阪で降りて駅前の居酒屋で昼ご飯食べたこともあり帰りのバスの時間の都合もあるので今回は見送り。。。
屋根もありアルプス・外野は芝生席で4大球場でいちばんお気に入りですが、、、、、
伊勢は昨春試合が長すぎて18時00分の快速急行で帰りたい願望もあり、河崎の街をあっという間に通り過ぎ宇治山田駅へ到達したリベンジを1年後に果たすつもりが母の要望で遠すぎるためカットして斎宮最優先にした経緯があったので、ここを逃すと早くても来年4月まで待たなければならないので屋根のある伊勢を選択と。
あの日は伊勢の最高気温が37、4度だったらしいですが・・・午前中は適度に曇っていたし前列の陽向にいてもまだ大丈夫だったので『野口みずき金メダルロード』を完歩して荷物まとめて屋根下の上段席へと・・・・・。
屋根下よりもむしろ階段を下りた通路の方がものすごく涼しかったですね!!クーリングタイム10分間で退出してあずまやで座ったり時間つぶしてましたがやたら長く感じますね・・・。直後に足を攣る選手が続出したので、やはり緊張感が一度切れるのかも?!
福井も屋根はあるけど案外小さいので陰のスペースが・・・。風がきつかったら雨が吹き込んでくるし、、、それで昨秋のフェニックスは難儀しました(笑)
案外日本海側は冬、雪積もるけれど夏は関西よりも熱いですから・・・・・。昨夏の米子も37度で予定外のかき氷食べてなんとか凌いで、浜山も風のきつさと屋根に救われて出雲大社までレンタサイクルで片道10km漕げたし・・・・・。
極めつけは松江で32度程度の気温ながらも湿度が尋常じゃないくらい高く無風だったので屋根下にいてもミストサウナに入っているような体感でしたね・・・・・。
来年の夏は敦賀~福井と宿泊観戦を予定しているので、熱さとの戦いが待ってますね!
あちらも9時から2試合が基本線になってしまい、移動がしんどいですが・・・・・。
すでに8時前から伊勢は30度到達していたし、1時間15分早めたところで焼け石に水のように感じました。。。
選手は夜明け前から起床して学校集合せなアカンだろうし、応援団も大変です。
桑名北は部員17人とブラスバンドにチアガールの大応援団が遠路はるばる来てましたが、いったい何時集合だったのか???
食事面の調整も難しかったですね。夏場の食欲減退も考慮して4時過ぎに朝食食べて、8時頃に近鉄特急でパンを補食して13時30分試合終了から数分後にうどん屋直行を想定してましたが、、、、、
ラストオーダー14時30分が迫る中、焦りも出てきたし空腹感を感じなかったのでホッとしましたがダイムスタジアムには売店などないし、素直に10時から2試合だったら第1試合終了後に昼ご飯でしたが・・・・・。球場付近の定食屋が閉店して本日7月8かオープンのラーメン屋に変わってました。
⚾岩手さんへ
富山はずいぶんレベルが下がりましたね。。。私学の強豪が台頭できないのと、伝統校2トップが甲子園ではおとなしいし、北信越大会でも勝率が低い気がします。
北海道はクラークと北海で決まりかと思ってますがどこが出て来てもブラスバンドが上手いチームが多数あるので楽しみです。
早起きは夏に限ると僕は思ってます。センバツの頃は底冷えの寒さだし、秋も真っ暗なんで・・・冬はもう何時までも布団の中に潜っていたいので!
しかし、AM3時-4時の間に起床というのは頭が下がります!!まだまだ夜明け前で真っ暗だろうし、冬の東北は想像を絶する寒さだろうから・・・・・。散歩する気力もないですね!!
さて、昨年12月だったか?三重県高野連が熱さ対策で夏は1日2試合が原則で試合時間繰り上げと公表し、それをやられたら春・秋しか行けないかあ・・・とガッカリしてましたが、京セラドームの改悪などで伊勢に行けました。
組み合わせ見て7日は2試合連続コールド濃厚だろうなと悟り、6日も部員17人の桑名北に部員12人の紀南に一抹の不安を感じつつも、伊勢河崎の悔恨があるし、近畿で魅力的なカードも少なかったので こども始球式見逃し覚悟で行きました。
皇學館は太鼓1つの応援でしたがその他3校はブラスバンドが駆け付けてました。
桑名北が戦力的に怪しいと見てましたが、ほとんどの打者がメイデン以上にバントしまくり皇學館をかく乱し、一時2点リードながら皇學館もダブルスチールなどで追いつき3-3でクーリングタイム突入と。
6回表桑名北のエースがマウンドでアキレス腱を伸ばすしぐさを見せ明らかに異変を感じさせつつもブルペンで誰も準備せず続投を命じる長袖鬼監督にイラっときつつ、コールド回避のためには彼の踏ん張りが不可欠で・・・。
だましだまし投げ続けるも8回のピンチでピッチャー返しの打球をよけようとした際に足が限界を迎え担架で担がれようやく降板と・・・・・。
その前にエンタイトルツーベースを打った打者が2塁ベース手前でうずくまったり、3人交代するなどクーリングタイムを1試合3~4回経験した錯覚が・・・・・。
試合時間2時間43分は大満足ですが、あとの予定を考えると、、、第2試合は12時15分開始予定ですとアナウンスされ焦りの色が出ましたね。
案の定、部員12人の紀南は古豪・明野に対して1回裏4失点で捕れそうなレフトフライを落球するなどなんとか1時間20分くらいで終わってくれないかと・・・・・。
5回表終了0-7となり、その流れで3点くらい入るだろうと思いつつ、せっかく伊勢まで来たから7回までは観たい。でも昼ご飯が・・・・・と葛藤を感じつつ、5回裏1点どまりで10分間のクーリングタイムと言われて「もういいよ!!」と思ってしまいました。
夏の地方遠征で普段と全く違う観戦スタイルになってしまい、なんとか14時07分終了で7回コールド0-9で終わってくれたので校歌斉唱~アルプスへのあいさつで拍手を送りすぐさま退散しました・・・。
望み通り、うどん屋「つばめ屋」でつばめ3兄弟セットを完食し、「ぎゅーとら」で志摩名物“さわ餅”を購入し悲願の川の駅河崎をじっくり堪能しつつ、河崎蔵は熱すぎて3分ほどしかおれなかったですね・・・2階まで上がりましたが、真夏の土蔵は熱すぎます!!
ところで、今日の新聞を見ていたら66-0や49-0というスコアも目に入り「こんな試合にぶつからなくてよかった!!」と思いましたね。
三重大会でも毎年1つか2つは30-0くらいのスコアがありますから・・・・・。
しかし、春まで紀南と連合チームだった尾鷲があの尾崎監督率いるいなべ総合に8-5で勝つとは・・・・・。
白山も甲子園出場したし、県内で1・2を争う弱小チームだった昴学園も優勝候補に挙げられるし、かつては日生第二も春夏甲子園出場歴があるし、不思議な県ですね!
神村にコテンパンにやられると思われた津東も3-4と大健闘したようだし、1回戦から楽しませてくれてます。
和歌山は明後日開幕で11日から試合ですが、連日雨予報でいったいどれだけ延期されることやら・・・・・。14日観戦予定ですが、どこまでずらせばいいのか???宿泊観戦も20~21日が基本線ですが、21日~22日のヤドを仮抑えしているので直前まで見極め1つキャンセルします。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e1b9f18a8c0cea4c437ba1340efc0862dc8f4e52
今週末に専大松戸は夏の千葉大会の初戦を戦います。
春季関東大会以降は県外の強豪校と練習試合を重ねてチームの強化に邁進。試合で勝っている、負けている、何点差か……といった実際の試合展開は度外視して、「もし相手投手からまったく打てていない状況だとしたら」「この回でどうしても1点が必要だとしたら」など、本番で起こりうるさまざまな状況を想定して、みっちり鍛えたつもりです。
6月下旬はこれでもかというくらい厳しく選手に接して追い込みをかけましたが、今は「ほとんど何も言わない指導」に切り替えました。
私は本番のベンチでは必要最低限の指示しか出しません。実際にプレーする選手たちは相当緊張しているだろうから、言いすぎると逆効果だからです。つまり、選手たちが状況に応じて自分の頭で考えてプレーすることが重要になってくる。今のうちからこれに慣れさせておくために、あえて静観のスタイルを取っているのです。
先日、選手登録を済ませました。前回のコラムで、「遠征不参加の選手は学校のグラウンドで練習をさせているが、彼らにもチャンスは十分ある」と書きました。今回のベンチ入りメンバーにもひとり、一度も遠征に参加していない選手がいます。1年の内野手です。
コーチから「面白い選手だからまずBチームの練習試合で使ってみて下さい」と連絡がありました。じっくりチェックしたことはなかったけど、そういえばキャッチボールでひときわ目を引いたなと。奇麗な回転かつ矢のように真っすぐな軌道で、受け手が捕球しやすい球を投げていました。
いざ実戦投入してみたら、ビックリでした。この前まで中学生だったのに、レギュラー陣と遜色のない動きで二塁、三塁、遊撃をこなす俊敏性、なかなかの打撃を備えていたのです。彼ならチームに不足している部分を埋めてくれるだろうと、メンバーに加えました。たぶん本人が一番驚いているかもしれません。
キャッチボールの球が素晴らしかったのなら、ゆくゆくは投手として育てるか? いや……。「捕球しやすい球」ということは、打者にとっては「打ちやすい球」になってしまいますからね(笑)。
📝「高校野球発祥の地」に行ってみた そこにあったのは…大阪府豊中市でカメラマン〝夢の跡〟探る
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad2471e0ef5ecf05d4050cc348e3b60318c07da0
高校野球の聖地といえば今年8月に開場100周年を迎える甲子園球場だが、発祥の地となると、大阪府豊中市にかつて存在した豊中グラウンドである。夏の甲子園の前身となる全国中等学校優勝大会の第1回(1915年)と第2回(16年)が開催された場所なのだ。
同グラウンドは既に取り壊され、跡地は住宅街に変わった。その一角に「高校野球発祥の地記念公園(445平方メートル)」が整備されている。
阪急電車豊中駅から歩いて10分ほど。駅構内に「西へ徒歩400メートル」と書いた案内図があり、分かりやすかった。
最初に目が止まったのは、紋付きはかま姿の男性が投球するレリーフ。第1回大会での始球式をモチーフにしている。男性は当時の朝日新聞社長の村山龍平氏。「球史ここに始まる」の文字も刻まれている。
他にも設置物が並ぶ。東側エリアの壁には、夏の甲子園の歴代優勝校と準優勝校の校名を紹介。西側エリアでは、入り口に豊中グラウンドにあった門柱を再現し、壁の一部には当時の赤れんがを使っていた。第1回大会の開催要項や出場校を記した銅製プレート、グラウンドの平面図を複写した陶板などもある。
高校野球発祥の地記念公園は当初、高校野球の歴史を顕彰しようと88年、豊中市と日本高等学校野球連盟などが「高校野球メモリアルパーク」として建設。2017年にリニューアルされ現在の姿になった。
同市都市活力部スポーツ振興課の山村憲二課長は「夏の甲子園の礎となった大会がここから始まりました。当時の歴史を伝えるこの場所を、全国の高校野球ファンの皆さんに訪れていただきたいですね」と話している。
◆豊中グラウンド 箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が沿線の集客のため1913年に開設。豊中市によると「赤れんがの外壁で囲まれ、野球やサッカー、ラグビー、陸上競技などに使える日本を代表する多目的グラウンドだった」。22年、同グラウンドの1.7倍の広さを持つ宝塚運動場の建設に伴い閉鎖。跡地は住宅街となった。今も近くの民家の塀にグラウンドの外壁の一部といわれる赤れんがが残る。
👣都青鳥 歴史的15アウト!初の特別支援単独出場 0―66もナインに大きな拍手
https://news.yahoo.co.jp/articles/775d18b2fca32d5cf43b8a4ac22a49c15e35c97c
◇第106回全国高校野球選手権西東京大会2回戦 都青鳥特別支援0―66東村山西(2024年7月7日 スリーボンド八王子)
0―66。どんなに点差が開いても、諦めるような選手は一人もいなかった。3時間10分。コールドとなった5回を戦い抜き、高校野球史に新たな一ページを刻んだ。都青鳥特別支援の久保田浩司監督は「点差がついても諦めず、声を出し続けた選手の姿がうれしい」と感慨に浸った。
昨夏、連合チームとして初出場。今夏は部員が12人で単独でグラウンドに立った。特別支援学校の単独出場は高校野球史上初めて。初回、1番の岩本大志(1年)がいきなり右前にはじき返した。記念すべき初安打。これがチーム唯一の安打だった。「うれしかったです。初めてのヒットでガッツポーズが自然と出た」。岩本はチームでは数少ない中学での野球経験者。久保田監督も「一番打てる子」と太鼓判を押し、スタンドで観戦した母・明子さんは「まさか打てるとは思ってもいなかったのでびっくりしました」と喜んだ。
友情応援も後押しした。三塁側スタンドには八王子実践の野球部総勢53人が声援を送り続けた。恩田宣男助監督は久保田監督の日体大野球部の1年後輩に当たる。「(単独で)出場するという第一歩に微力ながら協力したかった」と語り、岩本も「八王子実践のみんなに感謝しかないです」と言った。
久保田監督は言う。「これを機に、他の特別支援学校が公式戦に出場するための歴史的に大きな一歩」。都青鳥特別支援の奮闘に試合が進むにつれ、アウトを取るたびに大きな拍手が起きた。観客の心を震わせたからだ。
▽特別支援学校と高校野球 高野連に加盟して全国で初めて夏の地方大会に参加したのは16年鹿児島大会の鹿児島特別支援学校。鹿児島修学館、加世田常潤、鹿児島第一との連合チームで出場した。22年夏は愛知大会に豊川特別支援学校の生徒が連合チームに加わり出場。都青鳥特別支援学校は昨夏に西東京大会に初参加。松蔭大松蔭、都深沢との連合チームとして出場した。
≪最多得点記録は122点≫夏の地方大会では1998年(平10)の青森大会で東奥義塾が122―0で深浦を下した試合が最多得点試合となっている。22年には千葉大会で千葉学芸が82―0でわせがくを下した。千葉学芸は3時間13分の試合で51安打を放ち、1イニング33得点など8つの千葉大会新記録をつくった。また同年には三重大会で津西が60―0で徳風に勝利している。
👣粘投も「悔い残った」 岩美の平田投手、来年への課題見つけた夏
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASS781S7XS78PUUB004M.html
(8日、第106回全国高校野球選手権鳥取大会1回戦 米子西3―0岩美)
試合終了後、背番号1のエースは球場の外で座り込み、背中を丸めてじっと考え込むように地面を見つめていた。
岩美の平田槙太郎投手(2年)は身長183センチ、体重102キロ。チームの中でもひときわ目立つ堂々とした体格で、マウンドに立った。
三田寛監督も「投手は平田が軸」と信頼を寄せる。速球には自信があるが、変化球と制球力は自分でも課題だと思っている。
1回、2者連続四球などで満塁となるも、フライを打たせてしのいだ。2回も先頭打者を四球で出すが、最後は粘りの投球で三振に仕留める。
しかし、3回も先頭打者を歩かせ、二塁打などでついに2点を失った。4~6回も再三走者を背負うが、打たせてとるピッチングで懸命にしのぎ、味方の反撃を待った。7回、二塁打とスクイズでさらに1点を失い、その裏に代打を送られ交代した。
悔いの残る試合だったが、来年に向け課題は見つかった。「バッターに対して、まっすぐだけじゃなくまずはコントロール。先頭打者を出さないこと」。そして、表情を引き締めてこう言った。「来年は絶対、自分たちが優勝します」
👣「一生懸命やったことを誇りに」 倉吉農のラストミーティング
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASS782W96S78PUUB00FM.html
(8日、第106回全国高校野球選手権鳥取大会1回戦 倉吉農0―10倉吉西)
大丸翔汰監督(倉吉農) 大きな差を分けたところは、細かいところだと思う。挟殺一つとっても、外野からの送球一つとってもそう。それと、日常生活のところも大事だと思うんです。日々のあいさつとか言動とか行動、それらが最終的には出てきてしまう。慌てたときに何もしない人なのか、どうにか人とかかわりながらやっていこうとする人なのか、自分に対してイライラする人なのか、色んな人がいるんだけども、人として成長しないとこの部分はどうしようもない。
どんどん追い込まれていく中で、あの場面でも人間性が出る。周りに声が掛けられるのか、自分の殻にこもるのか。同じ方向に向かっていくように進んでいかないとどんどん苦しくなる。日常生活のところから改善出来るようにやっていきましょう。
一生懸命やったことを誇りに思って下さい。
⚾SHIONOMISAKIさんへ
週末は香川~園部と大移動されたようですね!お疲れ様でした。
深夜の大移動とはいえ、熱帯夜でしんどかったと思います。基本的に道路は空いていると思いますが、中には調子乗りまくって思いっきり信号無視して走行する輩もいるので、、、、、
さて三重ですが関西からだと一番遠いのが四日市で・・・しかもリニューアルして外野拡張され広くなったのはいいが、外野芝生席はずいぶん窮屈な急角度で足を踏ん張らないとズルズル下まで落ちかねないし、ネット裏中央に屋根の着いた小屋のようなものを作ってしまい観客席の視界を大きく遮って見づらいし、屋根がないので東海大会レベルで泊まりでないと行きづらいですね・・・・・。
津は近鉄特急で津まで行き、すぐに津新町駅に引き返し走って行けば何とか間に合うかな???といった具合ですが、足が攣りかねないし、簡易なイスが最近ネット裏にできましたが、基本的に石段の上に座って観戦するようなスタイルだし、屋根がないので夏の観戦はオススメできないですね・・・・・。過去3回ほど夏の大会観ましたが。
松阪は4月に母を連れて斎宮に行った折に、松阪で降りて駅前の居酒屋で昼ご飯食べたこともあり帰りのバスの時間の都合もあるので今回は見送り。。。
屋根もありアルプス・外野は芝生席で4大球場でいちばんお気に入りですが、、、、、
伊勢は昨春試合が長すぎて18時00分の快速急行で帰りたい願望もあり、河崎の街をあっという間に通り過ぎ宇治山田駅へ到達したリベンジを1年後に果たすつもりが母の要望で遠すぎるためカットして斎宮最優先にした経緯があったので、ここを逃すと早くても来年4月まで待たなければならないので屋根のある伊勢を選択と。
あの日は伊勢の最高気温が37、4度だったらしいですが・・・午前中は適度に曇っていたし前列の陽向にいてもまだ大丈夫だったので『野口みずき金メダルロード』を完歩して荷物まとめて屋根下の上段席へと・・・・・。
屋根下よりもむしろ階段を下りた通路の方がものすごく涼しかったですね!!クーリングタイム10分間で退出してあずまやで座ったり時間つぶしてましたがやたら長く感じますね・・・。直後に足を攣る選手が続出したので、やはり緊張感が一度切れるのかも?!
福井も屋根はあるけど案外小さいので陰のスペースが・・・。風がきつかったら雨が吹き込んでくるし、、、それで昨秋のフェニックスは難儀しました(笑)
案外日本海側は冬、雪積もるけれど夏は関西よりも熱いですから・・・・・。昨夏の米子も37度で予定外のかき氷食べてなんとか凌いで、浜山も風のきつさと屋根に救われて出雲大社までレンタサイクルで片道10km漕げたし・・・・・。
極めつけは松江で32度程度の気温ながらも湿度が尋常じゃないくらい高く無風だったので屋根下にいてもミストサウナに入っているような体感でしたね・・・・・。
来年の夏は敦賀~福井と宿泊観戦を予定しているので、熱さとの戦いが待ってますね!
あちらも9時から2試合が基本線になってしまい、移動がしんどいですが・・・・・。
すでに8時前から伊勢は30度到達していたし、1時間15分早めたところで焼け石に水のように感じました。。。
選手は夜明け前から起床して学校集合せなアカンだろうし、応援団も大変です。
桑名北は部員17人とブラスバンドにチアガールの大応援団が遠路はるばる来てましたが、いったい何時集合だったのか???
食事面の調整も難しかったですね。夏場の食欲減退も考慮して4時過ぎに朝食食べて、8時頃に近鉄特急でパンを補食して13時30分試合終了から数分後にうどん屋直行を想定してましたが、、、、、
ラストオーダー14時30分が迫る中、焦りも出てきたし空腹感を感じなかったのでホッとしましたがダイムスタジアムには売店などないし、素直に10時から2試合だったら第1試合終了後に昼ご飯でしたが・・・・・。球場付近の定食屋が閉店して本日7月8かオープンのラーメン屋に変わってました。
⚾岩手さんへ
富山はずいぶんレベルが下がりましたね。。。私学の強豪が台頭できないのと、伝統校2トップが甲子園ではおとなしいし、北信越大会でも勝率が低い気がします。
北海道はクラークと北海で決まりかと思ってますがどこが出て来てもブラスバンドが上手いチームが多数あるので楽しみです。
早起きは夏に限ると僕は思ってます。センバツの頃は底冷えの寒さだし、秋も真っ暗なんで・・・冬はもう何時までも布団の中に潜っていたいので!
しかし、AM3時-4時の間に起床というのは頭が下がります!!まだまだ夜明け前で真っ暗だろうし、冬の東北は想像を絶する寒さだろうから・・・・・。散歩する気力もないですね!!
さて、昨年12月だったか?三重県高野連が熱さ対策で夏は1日2試合が原則で試合時間繰り上げと公表し、それをやられたら春・秋しか行けないかあ・・・とガッカリしてましたが、京セラドームの改悪などで伊勢に行けました。
組み合わせ見て7日は2試合連続コールド濃厚だろうなと悟り、6日も部員17人の桑名北に部員12人の紀南に一抹の不安を感じつつも、伊勢河崎の悔恨があるし、近畿で魅力的なカードも少なかったので こども始球式見逃し覚悟で行きました。
皇學館は太鼓1つの応援でしたがその他3校はブラスバンドが駆け付けてました。
桑名北が戦力的に怪しいと見てましたが、ほとんどの打者がメイデン以上にバントしまくり皇學館をかく乱し、一時2点リードながら皇學館もダブルスチールなどで追いつき3-3でクーリングタイム突入と。
6回表桑名北のエースがマウンドでアキレス腱を伸ばすしぐさを見せ明らかに異変を感じさせつつもブルペンで誰も準備せず続投を命じる長袖鬼監督にイラっときつつ、コールド回避のためには彼の踏ん張りが不可欠で・・・。
だましだまし投げ続けるも8回のピンチでピッチャー返しの打球をよけようとした際に足が限界を迎え担架で担がれようやく降板と・・・・・。
その前にエンタイトルツーベースを打った打者が2塁ベース手前でうずくまったり、3人交代するなどクーリングタイムを1試合3~4回経験した錯覚が・・・・・。
試合時間2時間43分は大満足ですが、あとの予定を考えると、、、第2試合は12時15分開始予定ですとアナウンスされ焦りの色が出ましたね。
案の定、部員12人の紀南は古豪・明野に対して1回裏4失点で捕れそうなレフトフライを落球するなどなんとか1時間20分くらいで終わってくれないかと・・・・・。
5回表終了0-7となり、その流れで3点くらい入るだろうと思いつつ、せっかく伊勢まで来たから7回までは観たい。でも昼ご飯が・・・・・と葛藤を感じつつ、5回裏1点どまりで10分間のクーリングタイムと言われて「もういいよ!!」と思ってしまいました。
夏の地方遠征で普段と全く違う観戦スタイルになってしまい、なんとか14時07分終了で7回コールド0-9で終わってくれたので校歌斉唱~アルプスへのあいさつで拍手を送りすぐさま退散しました・・・。
望み通り、うどん屋「つばめ屋」でつばめ3兄弟セットを完食し、「ぎゅーとら」で志摩名物“さわ餅”を購入し悲願の川の駅河崎をじっくり堪能しつつ、河崎蔵は熱すぎて3分ほどしかおれなかったですね・・・2階まで上がりましたが、真夏の土蔵は熱すぎます!!
ところで、今日の新聞を見ていたら66-0や49-0というスコアも目に入り「こんな試合にぶつからなくてよかった!!」と思いましたね。
三重大会でも毎年1つか2つは30-0くらいのスコアがありますから・・・・・。
しかし、春まで紀南と連合チームだった尾鷲があの尾崎監督率いるいなべ総合に8-5で勝つとは・・・・・。
白山も甲子園出場したし、県内で1・2を争う弱小チームだった昴学園も優勝候補に挙げられるし、かつては日生第二も春夏甲子園出場歴があるし、不思議な県ですね!
神村にコテンパンにやられると思われた津東も3-4と大健闘したようだし、1回戦から楽しませてくれてます。
和歌山は明後日開幕で11日から試合ですが、連日雨予報でいったいどれだけ延期されることやら・・・・・。14日観戦予定ですが、どこまでずらせばいいのか???宿泊観戦も20~21日が基本線ですが、21日~22日のヤドを仮抑えしているので直前まで見極め1つキャンセルします。