EDIT FORM
📝第106回 全国高等学校野球選手権三重大会1回戦(7/7試合結果)
https://mie-kouyaren.com/wp-content/uploads/2024/07/966e7957a4a03c27da5034f206c9cb4c.pdf
やはり、この結果を見れば昨日ダイムスタジアム伊勢に通ったのは正解だったなと!!
2試合連続コールドゲームで12時30分試合終了だったらかなりつらいものがある・・・・・。
猛暑の中、時間を余らせたので伊勢河崎から返す刀で外宮参拝していたかも???
今日注目していた津市営球場では津東が昨秋3位の神村学園伊賀相手に3-4と大善戦して2時間30分の夏に悔いなし。
第2試合もコールド回避で試合終了14時07分と4球場で一番遅いゲームセットなんで、候補に入れたことに間違いなかったが、いかんせんアスファルトジャングルの街で屋根のない球場なんで逃げ場もないし津城跡公園のベンチでしばらく動けなかったかもしれない。
📝高校野球和歌山大会で高校総体出場の相撲・西出選手が始球式
https://news.yahoo.co.jp/articles/b35f86bcd36da4e5001f8f47a51df08f27bd917c
10日に開幕する第106回全国高校野球選手権和歌山大会で、全国高校総体の相撲個人戦に出場する西出大毅選手(17)=県立和歌山商業高=が、大会第3日の12日に行われる「アスリート始球式」に登板する。
西出選手は午前9時に予定されている初芝橋本―慶風の試合前にマウンドに立つ。野球部の同級生らとキャッチボールで練習しているといい、「みんなが驚くようないい球を投げたい」と意気込んでいる。
西出選手は昨年優勝し、2連覇を狙う。全国高校総体は27日に福岡県久留米市で総合開会式があり、相撲は大分県宇佐市で31日から3日間、競技がある。
📝ありえない…審判や監督が“暴行被害”も 夏の甲子園、地方大会で起きた“やりすぎ事件簿”
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e2b03d66ffe87faf635ac9e732782fe7e2e31b5
今年も夏の甲子園出場校を決める地方大会が幕を開けた。負ければあとがないトーナメントの一本勝負とあって、プレーする選手はもとより、応援する関係者も一生懸命。そんな熱い思いが高じるあまり、まさかの騒動に発展した事例も少なくない。
試合に敗れたチームの選手が、不利な判定をした審判を暴行するというビックリ仰天の事件が起きたのが、1951年の神奈川大会だ。
前年夏の甲子園に出場した神奈川商工は、同年も優勝候補。初戦の鎌倉戦では、エース・大沢昭(啓二)が被安打1の好投を見せ、14対0で6回コールド勝ちした。
だが、2回戦の逗子開成戦は、息詰まる投手戦となり、初回から両チームともにゼロ行進。延長13回、開成が3安打を集中して2点を勝ち越し、2対0で逃げ切ったが、商工は9回、11回に本塁を突いた走者がいずれもタッチアウトになるなど、サヨナラのチャンスを2度にわたって逃していた。
後の大沢親分も「九回は明らかにランナーの足が早く、サヨナラ勝ちと思った瞬間のアウトだった。ワシの外角ギリギリの球も何球か『ボール』の判定を受けていた。そんなことで、ワシはムシャクシャしていた」(自著「男くせえ話になるが やられたらやり返す反骨野球の心髄」 衆浩センター)と腹の虫が収まらず、チームメイトと2人で球審の菅大一氏をトイレに連れ込み、蹴り飛ばした。
同年7月22日付の神奈川新聞によれば、試合終了から30分経った午後4時40分ごろ、惜敗した商工の3年生、〇〇〇〇君(実名)ほか1名が大会本部で休んでいた菅氏に「不公平だ」と詰め寄り、興奮のあまり、「ぶっ殺す」と叫んで暴行に及んだという。「開成から幾らか貰ったんだろうと言われて、全く迷惑です」という菅氏のコメントも掲載されている。
この事件により、商工は1年間の対外試合禁止処分を受けたが、ここから話は意外な展開を見せる。事件後、自宅謹慎中の大沢を、当時立教大の野球部員だった菅氏が訪ねてきて、「君のような野球がうまくて元気のある選手が立教大学に必要なんだ」とスカウトされたのだ。
審判を殴ったことがきっかけで、名門大学に入学し、その後もプロで活躍、日本ハム監督時代にリーグ優勝と、野球人として大きく花開いたのは、いかにも大沢親分らしい破天荒な人生と言えるだろう。
三塁線の打球の判定をめぐり、騒動が勃発し、最後は遅延行為を理由に没収試合が宣告されたのが、1969年の長野大会だ。
春の北信越大会で4強入りするなど、優勝候補の筆頭の丸子実は、東信地区大会を順当に勝ち抜き、県大会に駒を進めてきた。
初戦の相手は長野・春の県大会で6対0と完勝しており、下馬評も「丸子実有利」だったが、春の雪辱に燃える長野もチーム一丸となってぶつかり、試合は4対4で延長戦へ。
そして11回表、長野は2死一、二塁のチャンスに宮沢強が三塁ベースギリギリにゴロを放ち、打球は左翼ファウルゾーンを転々とした。三塁塁審は「フェア」と判定し、勝ち越しの2点が入ったが、丸子実側は「ファウルではないか?」と猛抗議。上田市営球場は同校の地元でもあり、1万人以上の観客で埋まったスタンドから空き瓶や石がグラウンドに投げ込まれる大騒ぎに。23分後、ようやく試合再開となったが、丸子実は日没を前に再三の投手交代など、日没引き分け狙いとみられる遅延行為を繰り返したため、審判団は協議の末、19時45分、「丸子実は故意にゲームを引き延ばした」として没収試合を宣告。この結果、9対0で長野の勝ちとなった。
収まらないのは、1時間以上も待たされた末、負けを宣告された丸子実ファン。興奮のあまり、グラウンドに飛び降りる者や球場に引いてある電話線のコードが引きちぎられたり、三塁側の木造スタンドが放火されるなど、大混乱に陥った。警官隊130人が出動し、2人の逮捕者が出た。
その後も騒動は尾を引き、2日後の7月27日、丸子実の野球部後援会が「フェアな応援をすべきだった」と解散を発表。野球部も2年間の対外試合禁止の処分(11カ月後に解除)を受けた。
まさかの初戦敗退を喫した強豪校の監督が試合後に殴られる事件が起きたのが、1989年の福岡大会だ。前年夏の甲子園で準優勝した福岡第一は、同年も好投手・古里泰隆(元阪神)を擁し、有力候補に挙げられていた。
だが、シード校として臨んだ夏の大会初戦の三井戦、古里を温存し、控え投手を先発させたことが裏目に出て、2対3で敗れてしまう。
事件が起きたのは、敗れたナインが球場の外に出た直後だった。突然4、5人の男たちが近づき、そのうちの1人が「監督、お前が悪いんだ。どう責任を取る」と言って、拳で今任靖之監督の両頬を殴打した。選手たちが「監督の責任じゃない」と周りを取り囲んでガードすると、男たちも姿を消した。
県高野連の事情聴取に対し、当初学校側は「殴った人物が父兄か一般のファンなのか、まだ特定していない」と回答したが、その後、再調査の結果、「野球部員の父兄」という内容の報告書を提出している。
当時今任監督も「高校野球も教育のひとつ。結果だけで殴られてはたまらんですよ」と語っていたが、これも応援する側の“暴走”が招いた残念な事件と言えるだろう。
📝「外野4人」「2回で敬遠」神村学園高伊賀のプロ注目強打者を超警戒 高校通算24発、球場では2球団視察
https://news.yahoo.co.jp/articles/c047d9fda3957fcde07b53beb68caf12454b2950
◇第106回全国高校野球三重大会1回戦 神村学園高伊賀4―3津東(2024年7月7日 津市営球場)
神村学園高伊賀が津東を4―3で下して初戦を突破した。
高校通算24本塁打を誇るプロ注目の寺井広大(3年)は「3番・右翼」で先発。4打席で2打数無安打、2四球で初戦を終えた。
2―0の2回1死二、三塁では申告敬遠。5回先頭の打席では外野4人態勢を敷かれ、8回1死一塁では2ボールで投手が交代するなど徹底マークで警戒された。
球場にはNPB2球団のスカウトが視察。「今日の打撃は焦ったかなと思います。(外野4人態勢も)動揺せずにいつも通り打席に入りました。高卒でプロに行きたいと思います」と口にした。
☝尼崎双星、エースの緊急降板乗り越えて38度超えの試合を制す 高校野球・兵庫大会1回戦
https://news.yahoo.co.jp/articles/f3b78d5ade10be0e28726575c4f29dd99169c17e
◇全国高校野球選手権兵庫大会1回戦 尼崎双星4―3東播工(2024年7月7日 豊岡こうのとりスタジアム)
最高気温が38・2度を記録した豊岡の第2試合は壮絶な暑さとの闘いとなった。
尼崎双星が1点をリードして9回の守りにつくはずが、選手が出てこない。「千葉投手の治療中です。しばらくお待ちください」のアナウンスが響いた。
千葉は直前の打席で右飛を打った際、左太もも裏がけいれんした。治療を終えてマウンドに上がったが1球投げて断念。「右もも裏もつってしまって…」と準備する間もなかった2年生の本道桔平投手に後を任すしかなかった。
本道は「試合中に少しは投球練習していましたが、急に登板することになって。先輩と一日でも長く野球をしたいから頑張りました」と東播工からいきなり2三振を奪い、最後の打者を二ゴロに仕留める完全救援で1回戦勝利を呼び込んだ。
上田友幸監督は「本道があそこまで投げてくれるとは。選手は入れ込んでいたから何人かはあんな状態になるとは思っていた。暑さ対策と球場に慣れるため、1週間前に練習試合ができたことが良かった。準備があったので慌てることがなかった」と話す。8回裏の守備で両足がつった藤田純平遊撃手(2年)は「左翼までボールを追って、送球しようとした瞬間に両足がつった。背負われて退場する自分が不甲斐なくて…。でも、想像以上の暑さでした」と振り返る。
対戦相手と自分自身、そして灼熱の暑さに打ち勝っての勝利。十分に休養して2回戦の神戸学院大付戦に備える。
✌東大合格者数全国3位の灘が2年ぶり夏1勝 投打に活躍の小山喜弘、勉強は「手につかない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7054e0c1beefeb0109545b3c92ae677635c3b4a1
◆第106回全国高校野球選手権兵庫大会▽1回戦 灘9―2宝塚東(7日・ベイコム)
2024年度の東大合格者数が全国3位の灘が、2年ぶりの夏1勝を挙げた。東大志望の左腕・小山喜弘(3年)が5安打2失点、9奪三振で完投勝ちした。
最後の打者を空振り三振に仕留めると、小山は拳を握りしめた。「内容は悪かった。7回ぐらいに左足がつりかけてやばかった。何とか耐えて9回までいけた。今年、公式戦で勝てていなかったので素直にうれしい」と、火照った顔に笑みを浮かべた。
昨春は67年ぶりに春季県大会に出場したものの、昨夏は延長10回タイブレークで川西北陵に3―6で初戦敗退した。小山ら前チームのレギュラーが数人残り、「去年は僕が最初に打たれて負けてしまった。今年は絶対に先制点をあげないように」。120キロ台後半の直球とスライダーを駆使し、苦手の立ち上がりを3者連続空振り三振で滑り出した。宮崎秀明監督は「彼の力だったら、これぐらいは。よく集中力を持って投げてくれた」と、たたえた。
バットでも大活躍だった。単打、二塁打、三塁打の3安打で3得点。部員は16人で3年生は3人だけ。それでも、12安打で4回以外は毎回得点を奪い、コールド勝ち目前という大勝だった。「普段、こんなに(長打を)打つことはない。夏大で、いい力が出たのかな」と笑った。
同じく東大志望の内藤正純中堅手(2年)は、3安打3打点で1番打者としての役割を果たした。約2時間半かけて東広島市から新幹線で通学しており、定期代は月に約12万円のもよう。「(灘に)通う価値はある」。午前6時に起床し、6時15分に自宅を出る。内藤を含めた2人だけが丸刈りで臨んでいる。
筑波大大学院時代は、社会人クラブチームの「全三郷硬式野球部」でプレーした宮崎監督は「今年のチームは力があったんですけど、勝てていなかったので、何とか1つ勝たせてあげたかった。うれしいです」と拍手を送った。
昨年度の3年生は11人中、医学部を含めて京大に4人、東大に3人が現役合格した。小山は40人の文系で10~15番台の成績だという。志望校については「東大…。いや~」と照れた。灘中の軟式部で野球を始め「名残惜しくなってきた」と、大学進学後も野球を続けることを検討している。
12日の2回戦は甲南と対戦する。毎年、定期戦を行う間柄で、6月は相手が出場機会に恵まれない3年生が中心とはいえ、9―0で大勝。小山が完封した。甲南には広島・新井監督の次男・颯真投手(3年)が在籍している。「この組み合わせを見た時に、甲南さんがいたので、シード(校)を破って次に行きたい」と小山。期末試験が4日に始まり、12日まであるが「今回の期末は捨ててます! 手につかない。ドキドキしているので」と笑った。「できるだけ長く3年生が卒業する日を延ばしたい」と指揮官。灘は、15年ぶりの夏2勝しか見えていない。
💢火災報知機が突如鳴り響き球場内騒然…東東京大会の試合が約5分間中断
https://news.yahoo.co.jp/articles/47985a7374866772b7e230dd9f8f83133a9020fa
◆第106回全国高校野球選手権 東東京大会▽1回戦 雪谷15ー5東京農産=5回コールド=(7日・大田スタジアム)
大田スタジアムでの試合中に突如火災報知機の音が鳴り響き、試合が一時中断するハプニングがあった。
6回裏、雪谷の攻撃中のことだった。球場内に緊急事態を知らせる火災報知機の「ジリリリリ」という音が鳴り響いた。球場内は騒然。グラウンドにいた選手たちも心配そうに辺りを見回す。ベンチ裏では原因を探ろうと球場スタッフが慌ただしく駆け回った。安全の確認が取れるまで試合の中断が決定。選手たちは一度ベンチに引き揚げた。
結果、原因はスタンドで観戦していた観客が誤って緊急を知らせるボタンを押してしまったことだったと判明。原因解明後も音は鳴り続いたままだったが、無事が確認されたため、試合は約5分の中断ののちに再開された。
📝甲子園優勝の名門…なぜ勝てなくなった? 現地で見た“まさかのコールド負け”松山商業「愛媛では強いが…」「エースが“1日2試合”登板」揺れる今
https://news.yahoo.co.jp/articles/b4f580044b817e74b6749db3e4584e915badae83?page=1
大正、昭和、平成で全国優勝を飾った高校野球の名門、松山商業(愛媛)が近年、甲子園から遠ざかっている。最後の出場は2001年夏、23年前まで遡らなければならない。
かつて高校野球の強豪といえば、カリスマ監督の指導力と猛練習によって勝ち上がっていったものだ。松山商業も例外ではなかった。
奇跡のバックホームも…“終わらなかった”猛練習
1969年夏の決勝戦では、三沢(青森)との延長再試合の激戦を制し、1996年夏の決勝では熊本工業(熊本)を“奇跡のバックホーム”で下し、日本一になっている。四半世紀以上経った今でも語り継がれる名勝負をモノにすることができたのは、現代では許されないような猛練習があったからだ。
「相手に1点を取らせない野球」で勝ち上がった松山商業のベースにあるのは投手を中心とした守りの野球。1996年夏の甲子園を制した澤田勝彦元監督はこう振り返る。
「松山商業は伝統的に守備力で勝ち上がっていきました。徹底して守備を鍛え、1点を守る野球です。だから当然、守備練習に割く時間が多かったですね。とにかくノックを打ちました。本数も時間も決まっていません。まあ言うたら、エンドレスですね」
10分なら10分、100本なら100本と決まっていれば選手は精神的に楽だ。しかし、いつ終わるかわからない守備練習によってメンタルが鍛えられる。誰かひとりが気の抜けたプレーをすれば、時間は伸びる。途中で給水タイムが設けられるはずもない。いつ終わるかわからないノックの嵐が守備力を向上させた。澤田が続ける。
「練習の最後にシートノックをやって、全員がノーエラーで締めるというのが恒例でした。ライトからの送球がキャッチャーのミットにおさまったら練習が終わりという場面で、失敗を繰り返したのがあの矢野ですよ」
熊本工業との決勝戦で世紀の大返球、“奇跡のバックホーム”を見せた矢野勝嗣だった。彼の豪快な悪送球が、疲労困憊の選手たちを何度も絶望させた。
「矢野が失敗して、またイチからやり直しということがよくありました。監督としては、エラーで練習を終わるわけにはいかんからね。
ずいぶんあとになって聞いたことやけど、練習終わりに『お願いだから、野球部をやめてくれ』と同期に土下座されたことがあるらしい。『お前がやめてくれたら練習が早く終わるから』と。真顔でお願いされた時にはグサッときたと矢野が言うとったね」
なぜ低迷? 「ライバル私立校」「時代の変化」
こんな猛練習を積み重ねたおかげで、松山商業は全国の頂点に立った。「古臭い」と言われても、勝利を積み重ねているうちはそれが「正解」だ。しかし、近年は苦しい状況が続く。
要因のひとつはライバルの台頭。もうひとつは高校野球の変化によって。
松山商業の牙城を崩そうと目論んでいたのが宇和島東の上甲正典監督だった。1988年春のセンバツで初優勝を飾ったあと、1990年代には8度の甲子園出場を果たしている。
2002年、上甲は創部したばかりの済美の監督に就任。それ以降、愛媛県内の勢力図が大きく変わった。2004年春のセンバツで優勝、夏の甲子園では準優勝。2013年春のセンバツでも決勝まで勝ち上がった。上甲はスピードボールを投げられる投手を育て、長打力のある強打者を集めた。「力の野球」で愛媛のライバルを、日本中の強豪校を蹴散らしていった。澤田は言う。
「1969年の日本一の時のインパクトがありすぎて、松山商業=鉄壁の守りというイメージが強かった。ずっと、守り、守り、守りでやってきました。しかし、それだけでは勝てない。ほかの県でもそうでしょう? 強豪私立がどんどん力を伸ばし、それまで伝統的に強かった公立の商業高校がなかなか勝てなくなりました」
「四国四商」と称された四国の商業高校(高松商業、徳島商業、高知商業、松山商業)も甲子園から遠ざかった。しかしその後、他の3校は無事に帰還を果たしているのに、松山商業だけ聖地に戻れない。
守備のミス、コールド負け…現地の光景
7月13日に開幕する愛媛大会では第1シード権を得た。140キロ台半ばのストレートを投げ込むエース・林颯太の評価も高く、優勝候補の大本命と目されている。
6月最後の土曜日、毎年恒例の明徳義塾(高知)との練習試合が行われた。松山市の中心地にある学校の正門前に、伝統のユニフォームを着た選手が数人立っていた。練習試合の観戦に訪れるファンを迎えるためだ。
三塁側のベンチ横には明徳義塾の保護者が30人ほど。ネット裏には松山商業を応援する50代~70代のファンが30人ほど集まっている。
もし甲子園常連校である明徳義塾と互角に戦うことができれば甲子園が見えてくる。そんなファンの希望がしぼむのにあまり時間はかからなかった。
愛媛ナンバー1投手のストレートは明徳打線に軽々と打ち返され、守備のミスが続いて大量失点、大差をつけられてコールド……。
わずかな休憩を挟んで行われた2試合目、マウンドに上がったのは第1試合に先発したエース・林だった。しかし、再び明徳打線につかまり、またも大差で敗れた。
「林は2試合目のほうが、力が抜けてよかったね。この時期、相手にケガをさせられんと思うからインコースには投げにくいもんよ。そこをちゃんと攻めれば、カットボールが生きてくる」と明徳義塾の馬淵史郎監督は2020年から指揮を執る大野康哉監督に言葉をかけた。
昔であれば、「しっかりせんか!」「こんなんじゃ夏は勝てんぞ」という罵声が飛んだことだろう。しかし、熱心なファンも明徳義塾との実力差を認識しているのか、2連敗を嘆く声はもはや聞こえなかった。
現チームの実態…「エースがいい」「秋と春は優勝」
この試合をネット裏で観戦していた澤田は言う。
「いいピッチャーからはなかなか点を取れるものじゃない。そこでどうするかと考えるのが松山商業の野球です。時代とともに変化したことはたくさんあるけど、1点差で勝ち切る野球において大切なことは変わっていない。投手力を含めた守備の徹底です」
2000年代に入ってから、金属バットの威力を最大限に生かしたパワー野球が主流になった。打力がないチームは全国では勝てないというのは現在の常識だ。しかし、今春から金属バットの規定が変わり、打球は以前よりも飛ばなくなった。松山商業には有利になるかもしれない。
「バント、走塁、守備のひとつひとつのプレーが勝負に直結することになるでしょう。ミスをしたほうが負ける。相手のスキを突くチームが試合を優位に進めることができる。そうなると、当然、指導の仕方も変わるでしょう。昔はノックを打ちまくったもんですが、そのやり方はもう通用せんよね」
復活の兆しは見える。
母校の今治西を11度も甲子園に導いた大野監督が指揮を任されるようになったのが4年前。2023年春に県大会準優勝。その秋と2024年春は続けて優勝を飾っている。だが夏の大会では3回戦敗退、初戦負けが続き、甲子園に届かない。
ベンチ外選手も直立姿勢で観戦
黙々とトンボを使ってグラウンドをならす選手たちの動きは機敏で、ひとりひとりの「こんにちは」という声は大きく、清々しい。60名の部員は全員丸刈りだ。
2試合続けてマウンドに上がるエース。
試合後、「気をつけ」の姿勢で監督の言葉を聞く選手たち。
直立の姿勢で試合を見守るベンチ外のメンバー。
彼らの姿から「伝統」が感じられ、「昭和」にタイムリープしたような気にもなる。しかし、ベンチ裏からは「ベンチ外の選手が立って見とったって意味がない。室内練習場で練習するなり、ほかのチームと練習試合をするなりしたらええのに」という声も聞こえてきた。
「伝統」と「変化」でもがく今
高校野球と同様、選手たちの気質もこの20年で変わった。指導する側にも変化が求められている。成功経験があるがゆえに、松山商業は伝統を捨てることができず、甲子園から遠ざかってしまった。
エンドレスの猛練習はもう過去のことだ。厳しかった上下関係も消えた。残すべき伝統はそのままに、今の選手の気質に合った野球部へと変わろうとしているが、新しい姿はまだ見えない。「伝統」に代わるものは何なのか――もがき苦しみながらそれを探し当てた時に甲子園にたどりつけるのかもしれない。
5度も夏の甲子園を制した名門、松山商業がいまチームとして掲げる目標は「甲子園で1勝」だ。
https://mie-kouyaren.com/wp-content/uploads/2024/07/966e7957a4a03c27da5034f206c9cb4c.pdf
やはり、この結果を見れば昨日ダイムスタジアム伊勢に通ったのは正解だったなと!!
2試合連続コールドゲームで12時30分試合終了だったらかなりつらいものがある・・・・・。
猛暑の中、時間を余らせたので伊勢河崎から返す刀で外宮参拝していたかも???
今日注目していた津市営球場では津東が昨秋3位の神村学園伊賀相手に3-4と大善戦して2時間30分の夏に悔いなし。
第2試合もコールド回避で試合終了14時07分と4球場で一番遅いゲームセットなんで、候補に入れたことに間違いなかったが、いかんせんアスファルトジャングルの街で屋根のない球場なんで逃げ場もないし津城跡公園のベンチでしばらく動けなかったかもしれない。
📝高校野球和歌山大会で高校総体出場の相撲・西出選手が始球式
https://news.yahoo.co.jp/articles/b35f86bcd36da4e5001f8f47a51df08f27bd917c
10日に開幕する第106回全国高校野球選手権和歌山大会で、全国高校総体の相撲個人戦に出場する西出大毅選手(17)=県立和歌山商業高=が、大会第3日の12日に行われる「アスリート始球式」に登板する。
西出選手は午前9時に予定されている初芝橋本―慶風の試合前にマウンドに立つ。野球部の同級生らとキャッチボールで練習しているといい、「みんなが驚くようないい球を投げたい」と意気込んでいる。
西出選手は昨年優勝し、2連覇を狙う。全国高校総体は27日に福岡県久留米市で総合開会式があり、相撲は大分県宇佐市で31日から3日間、競技がある。
📝ありえない…審判や監督が“暴行被害”も 夏の甲子園、地方大会で起きた“やりすぎ事件簿”
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e2b03d66ffe87faf635ac9e732782fe7e2e31b5
今年も夏の甲子園出場校を決める地方大会が幕を開けた。負ければあとがないトーナメントの一本勝負とあって、プレーする選手はもとより、応援する関係者も一生懸命。そんな熱い思いが高じるあまり、まさかの騒動に発展した事例も少なくない。
試合に敗れたチームの選手が、不利な判定をした審判を暴行するというビックリ仰天の事件が起きたのが、1951年の神奈川大会だ。
前年夏の甲子園に出場した神奈川商工は、同年も優勝候補。初戦の鎌倉戦では、エース・大沢昭(啓二)が被安打1の好投を見せ、14対0で6回コールド勝ちした。
だが、2回戦の逗子開成戦は、息詰まる投手戦となり、初回から両チームともにゼロ行進。延長13回、開成が3安打を集中して2点を勝ち越し、2対0で逃げ切ったが、商工は9回、11回に本塁を突いた走者がいずれもタッチアウトになるなど、サヨナラのチャンスを2度にわたって逃していた。
後の大沢親分も「九回は明らかにランナーの足が早く、サヨナラ勝ちと思った瞬間のアウトだった。ワシの外角ギリギリの球も何球か『ボール』の判定を受けていた。そんなことで、ワシはムシャクシャしていた」(自著「男くせえ話になるが やられたらやり返す反骨野球の心髄」 衆浩センター)と腹の虫が収まらず、チームメイトと2人で球審の菅大一氏をトイレに連れ込み、蹴り飛ばした。
同年7月22日付の神奈川新聞によれば、試合終了から30分経った午後4時40分ごろ、惜敗した商工の3年生、〇〇〇〇君(実名)ほか1名が大会本部で休んでいた菅氏に「不公平だ」と詰め寄り、興奮のあまり、「ぶっ殺す」と叫んで暴行に及んだという。「開成から幾らか貰ったんだろうと言われて、全く迷惑です」という菅氏のコメントも掲載されている。
この事件により、商工は1年間の対外試合禁止処分を受けたが、ここから話は意外な展開を見せる。事件後、自宅謹慎中の大沢を、当時立教大の野球部員だった菅氏が訪ねてきて、「君のような野球がうまくて元気のある選手が立教大学に必要なんだ」とスカウトされたのだ。
審判を殴ったことがきっかけで、名門大学に入学し、その後もプロで活躍、日本ハム監督時代にリーグ優勝と、野球人として大きく花開いたのは、いかにも大沢親分らしい破天荒な人生と言えるだろう。
三塁線の打球の判定をめぐり、騒動が勃発し、最後は遅延行為を理由に没収試合が宣告されたのが、1969年の長野大会だ。
春の北信越大会で4強入りするなど、優勝候補の筆頭の丸子実は、東信地区大会を順当に勝ち抜き、県大会に駒を進めてきた。
初戦の相手は長野・春の県大会で6対0と完勝しており、下馬評も「丸子実有利」だったが、春の雪辱に燃える長野もチーム一丸となってぶつかり、試合は4対4で延長戦へ。
そして11回表、長野は2死一、二塁のチャンスに宮沢強が三塁ベースギリギリにゴロを放ち、打球は左翼ファウルゾーンを転々とした。三塁塁審は「フェア」と判定し、勝ち越しの2点が入ったが、丸子実側は「ファウルではないか?」と猛抗議。上田市営球場は同校の地元でもあり、1万人以上の観客で埋まったスタンドから空き瓶や石がグラウンドに投げ込まれる大騒ぎに。23分後、ようやく試合再開となったが、丸子実は日没を前に再三の投手交代など、日没引き分け狙いとみられる遅延行為を繰り返したため、審判団は協議の末、19時45分、「丸子実は故意にゲームを引き延ばした」として没収試合を宣告。この結果、9対0で長野の勝ちとなった。
収まらないのは、1時間以上も待たされた末、負けを宣告された丸子実ファン。興奮のあまり、グラウンドに飛び降りる者や球場に引いてある電話線のコードが引きちぎられたり、三塁側の木造スタンドが放火されるなど、大混乱に陥った。警官隊130人が出動し、2人の逮捕者が出た。
その後も騒動は尾を引き、2日後の7月27日、丸子実の野球部後援会が「フェアな応援をすべきだった」と解散を発表。野球部も2年間の対外試合禁止の処分(11カ月後に解除)を受けた。
まさかの初戦敗退を喫した強豪校の監督が試合後に殴られる事件が起きたのが、1989年の福岡大会だ。前年夏の甲子園で準優勝した福岡第一は、同年も好投手・古里泰隆(元阪神)を擁し、有力候補に挙げられていた。
だが、シード校として臨んだ夏の大会初戦の三井戦、古里を温存し、控え投手を先発させたことが裏目に出て、2対3で敗れてしまう。
事件が起きたのは、敗れたナインが球場の外に出た直後だった。突然4、5人の男たちが近づき、そのうちの1人が「監督、お前が悪いんだ。どう責任を取る」と言って、拳で今任靖之監督の両頬を殴打した。選手たちが「監督の責任じゃない」と周りを取り囲んでガードすると、男たちも姿を消した。
県高野連の事情聴取に対し、当初学校側は「殴った人物が父兄か一般のファンなのか、まだ特定していない」と回答したが、その後、再調査の結果、「野球部員の父兄」という内容の報告書を提出している。
当時今任監督も「高校野球も教育のひとつ。結果だけで殴られてはたまらんですよ」と語っていたが、これも応援する側の“暴走”が招いた残念な事件と言えるだろう。
📝「外野4人」「2回で敬遠」神村学園高伊賀のプロ注目強打者を超警戒 高校通算24発、球場では2球団視察
https://news.yahoo.co.jp/articles/c047d9fda3957fcde07b53beb68caf12454b2950
◇第106回全国高校野球三重大会1回戦 神村学園高伊賀4―3津東(2024年7月7日 津市営球場)
神村学園高伊賀が津東を4―3で下して初戦を突破した。
高校通算24本塁打を誇るプロ注目の寺井広大(3年)は「3番・右翼」で先発。4打席で2打数無安打、2四球で初戦を終えた。
2―0の2回1死二、三塁では申告敬遠。5回先頭の打席では外野4人態勢を敷かれ、8回1死一塁では2ボールで投手が交代するなど徹底マークで警戒された。
球場にはNPB2球団のスカウトが視察。「今日の打撃は焦ったかなと思います。(外野4人態勢も)動揺せずにいつも通り打席に入りました。高卒でプロに行きたいと思います」と口にした。
☝尼崎双星、エースの緊急降板乗り越えて38度超えの試合を制す 高校野球・兵庫大会1回戦
https://news.yahoo.co.jp/articles/f3b78d5ade10be0e28726575c4f29dd99169c17e
◇全国高校野球選手権兵庫大会1回戦 尼崎双星4―3東播工(2024年7月7日 豊岡こうのとりスタジアム)
最高気温が38・2度を記録した豊岡の第2試合は壮絶な暑さとの闘いとなった。
尼崎双星が1点をリードして9回の守りにつくはずが、選手が出てこない。「千葉投手の治療中です。しばらくお待ちください」のアナウンスが響いた。
千葉は直前の打席で右飛を打った際、左太もも裏がけいれんした。治療を終えてマウンドに上がったが1球投げて断念。「右もも裏もつってしまって…」と準備する間もなかった2年生の本道桔平投手に後を任すしかなかった。
本道は「試合中に少しは投球練習していましたが、急に登板することになって。先輩と一日でも長く野球をしたいから頑張りました」と東播工からいきなり2三振を奪い、最後の打者を二ゴロに仕留める完全救援で1回戦勝利を呼び込んだ。
上田友幸監督は「本道があそこまで投げてくれるとは。選手は入れ込んでいたから何人かはあんな状態になるとは思っていた。暑さ対策と球場に慣れるため、1週間前に練習試合ができたことが良かった。準備があったので慌てることがなかった」と話す。8回裏の守備で両足がつった藤田純平遊撃手(2年)は「左翼までボールを追って、送球しようとした瞬間に両足がつった。背負われて退場する自分が不甲斐なくて…。でも、想像以上の暑さでした」と振り返る。
対戦相手と自分自身、そして灼熱の暑さに打ち勝っての勝利。十分に休養して2回戦の神戸学院大付戦に備える。
✌東大合格者数全国3位の灘が2年ぶり夏1勝 投打に活躍の小山喜弘、勉強は「手につかない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7054e0c1beefeb0109545b3c92ae677635c3b4a1
◆第106回全国高校野球選手権兵庫大会▽1回戦 灘9―2宝塚東(7日・ベイコム)
2024年度の東大合格者数が全国3位の灘が、2年ぶりの夏1勝を挙げた。東大志望の左腕・小山喜弘(3年)が5安打2失点、9奪三振で完投勝ちした。
最後の打者を空振り三振に仕留めると、小山は拳を握りしめた。「内容は悪かった。7回ぐらいに左足がつりかけてやばかった。何とか耐えて9回までいけた。今年、公式戦で勝てていなかったので素直にうれしい」と、火照った顔に笑みを浮かべた。
昨春は67年ぶりに春季県大会に出場したものの、昨夏は延長10回タイブレークで川西北陵に3―6で初戦敗退した。小山ら前チームのレギュラーが数人残り、「去年は僕が最初に打たれて負けてしまった。今年は絶対に先制点をあげないように」。120キロ台後半の直球とスライダーを駆使し、苦手の立ち上がりを3者連続空振り三振で滑り出した。宮崎秀明監督は「彼の力だったら、これぐらいは。よく集中力を持って投げてくれた」と、たたえた。
バットでも大活躍だった。単打、二塁打、三塁打の3安打で3得点。部員は16人で3年生は3人だけ。それでも、12安打で4回以外は毎回得点を奪い、コールド勝ち目前という大勝だった。「普段、こんなに(長打を)打つことはない。夏大で、いい力が出たのかな」と笑った。
同じく東大志望の内藤正純中堅手(2年)は、3安打3打点で1番打者としての役割を果たした。約2時間半かけて東広島市から新幹線で通学しており、定期代は月に約12万円のもよう。「(灘に)通う価値はある」。午前6時に起床し、6時15分に自宅を出る。内藤を含めた2人だけが丸刈りで臨んでいる。
筑波大大学院時代は、社会人クラブチームの「全三郷硬式野球部」でプレーした宮崎監督は「今年のチームは力があったんですけど、勝てていなかったので、何とか1つ勝たせてあげたかった。うれしいです」と拍手を送った。
昨年度の3年生は11人中、医学部を含めて京大に4人、東大に3人が現役合格した。小山は40人の文系で10~15番台の成績だという。志望校については「東大…。いや~」と照れた。灘中の軟式部で野球を始め「名残惜しくなってきた」と、大学進学後も野球を続けることを検討している。
12日の2回戦は甲南と対戦する。毎年、定期戦を行う間柄で、6月は相手が出場機会に恵まれない3年生が中心とはいえ、9―0で大勝。小山が完封した。甲南には広島・新井監督の次男・颯真投手(3年)が在籍している。「この組み合わせを見た時に、甲南さんがいたので、シード(校)を破って次に行きたい」と小山。期末試験が4日に始まり、12日まであるが「今回の期末は捨ててます! 手につかない。ドキドキしているので」と笑った。「できるだけ長く3年生が卒業する日を延ばしたい」と指揮官。灘は、15年ぶりの夏2勝しか見えていない。
💢火災報知機が突如鳴り響き球場内騒然…東東京大会の試合が約5分間中断
https://news.yahoo.co.jp/articles/47985a7374866772b7e230dd9f8f83133a9020fa
◆第106回全国高校野球選手権 東東京大会▽1回戦 雪谷15ー5東京農産=5回コールド=(7日・大田スタジアム)
大田スタジアムでの試合中に突如火災報知機の音が鳴り響き、試合が一時中断するハプニングがあった。
6回裏、雪谷の攻撃中のことだった。球場内に緊急事態を知らせる火災報知機の「ジリリリリ」という音が鳴り響いた。球場内は騒然。グラウンドにいた選手たちも心配そうに辺りを見回す。ベンチ裏では原因を探ろうと球場スタッフが慌ただしく駆け回った。安全の確認が取れるまで試合の中断が決定。選手たちは一度ベンチに引き揚げた。
結果、原因はスタンドで観戦していた観客が誤って緊急を知らせるボタンを押してしまったことだったと判明。原因解明後も音は鳴り続いたままだったが、無事が確認されたため、試合は約5分の中断ののちに再開された。
📝甲子園優勝の名門…なぜ勝てなくなった? 現地で見た“まさかのコールド負け”松山商業「愛媛では強いが…」「エースが“1日2試合”登板」揺れる今
https://news.yahoo.co.jp/articles/b4f580044b817e74b6749db3e4584e915badae83?page=1
大正、昭和、平成で全国優勝を飾った高校野球の名門、松山商業(愛媛)が近年、甲子園から遠ざかっている。最後の出場は2001年夏、23年前まで遡らなければならない。
かつて高校野球の強豪といえば、カリスマ監督の指導力と猛練習によって勝ち上がっていったものだ。松山商業も例外ではなかった。
奇跡のバックホームも…“終わらなかった”猛練習
1969年夏の決勝戦では、三沢(青森)との延長再試合の激戦を制し、1996年夏の決勝では熊本工業(熊本)を“奇跡のバックホーム”で下し、日本一になっている。四半世紀以上経った今でも語り継がれる名勝負をモノにすることができたのは、現代では許されないような猛練習があったからだ。
「相手に1点を取らせない野球」で勝ち上がった松山商業のベースにあるのは投手を中心とした守りの野球。1996年夏の甲子園を制した澤田勝彦元監督はこう振り返る。
「松山商業は伝統的に守備力で勝ち上がっていきました。徹底して守備を鍛え、1点を守る野球です。だから当然、守備練習に割く時間が多かったですね。とにかくノックを打ちました。本数も時間も決まっていません。まあ言うたら、エンドレスですね」
10分なら10分、100本なら100本と決まっていれば選手は精神的に楽だ。しかし、いつ終わるかわからない守備練習によってメンタルが鍛えられる。誰かひとりが気の抜けたプレーをすれば、時間は伸びる。途中で給水タイムが設けられるはずもない。いつ終わるかわからないノックの嵐が守備力を向上させた。澤田が続ける。
「練習の最後にシートノックをやって、全員がノーエラーで締めるというのが恒例でした。ライトからの送球がキャッチャーのミットにおさまったら練習が終わりという場面で、失敗を繰り返したのがあの矢野ですよ」
熊本工業との決勝戦で世紀の大返球、“奇跡のバックホーム”を見せた矢野勝嗣だった。彼の豪快な悪送球が、疲労困憊の選手たちを何度も絶望させた。
「矢野が失敗して、またイチからやり直しということがよくありました。監督としては、エラーで練習を終わるわけにはいかんからね。
ずいぶんあとになって聞いたことやけど、練習終わりに『お願いだから、野球部をやめてくれ』と同期に土下座されたことがあるらしい。『お前がやめてくれたら練習が早く終わるから』と。真顔でお願いされた時にはグサッときたと矢野が言うとったね」
なぜ低迷? 「ライバル私立校」「時代の変化」
こんな猛練習を積み重ねたおかげで、松山商業は全国の頂点に立った。「古臭い」と言われても、勝利を積み重ねているうちはそれが「正解」だ。しかし、近年は苦しい状況が続く。
要因のひとつはライバルの台頭。もうひとつは高校野球の変化によって。
松山商業の牙城を崩そうと目論んでいたのが宇和島東の上甲正典監督だった。1988年春のセンバツで初優勝を飾ったあと、1990年代には8度の甲子園出場を果たしている。
2002年、上甲は創部したばかりの済美の監督に就任。それ以降、愛媛県内の勢力図が大きく変わった。2004年春のセンバツで優勝、夏の甲子園では準優勝。2013年春のセンバツでも決勝まで勝ち上がった。上甲はスピードボールを投げられる投手を育て、長打力のある強打者を集めた。「力の野球」で愛媛のライバルを、日本中の強豪校を蹴散らしていった。澤田は言う。
「1969年の日本一の時のインパクトがありすぎて、松山商業=鉄壁の守りというイメージが強かった。ずっと、守り、守り、守りでやってきました。しかし、それだけでは勝てない。ほかの県でもそうでしょう? 強豪私立がどんどん力を伸ばし、それまで伝統的に強かった公立の商業高校がなかなか勝てなくなりました」
「四国四商」と称された四国の商業高校(高松商業、徳島商業、高知商業、松山商業)も甲子園から遠ざかった。しかしその後、他の3校は無事に帰還を果たしているのに、松山商業だけ聖地に戻れない。
守備のミス、コールド負け…現地の光景
7月13日に開幕する愛媛大会では第1シード権を得た。140キロ台半ばのストレートを投げ込むエース・林颯太の評価も高く、優勝候補の大本命と目されている。
6月最後の土曜日、毎年恒例の明徳義塾(高知)との練習試合が行われた。松山市の中心地にある学校の正門前に、伝統のユニフォームを着た選手が数人立っていた。練習試合の観戦に訪れるファンを迎えるためだ。
三塁側のベンチ横には明徳義塾の保護者が30人ほど。ネット裏には松山商業を応援する50代~70代のファンが30人ほど集まっている。
もし甲子園常連校である明徳義塾と互角に戦うことができれば甲子園が見えてくる。そんなファンの希望がしぼむのにあまり時間はかからなかった。
愛媛ナンバー1投手のストレートは明徳打線に軽々と打ち返され、守備のミスが続いて大量失点、大差をつけられてコールド……。
わずかな休憩を挟んで行われた2試合目、マウンドに上がったのは第1試合に先発したエース・林だった。しかし、再び明徳打線につかまり、またも大差で敗れた。
「林は2試合目のほうが、力が抜けてよかったね。この時期、相手にケガをさせられんと思うからインコースには投げにくいもんよ。そこをちゃんと攻めれば、カットボールが生きてくる」と明徳義塾の馬淵史郎監督は2020年から指揮を執る大野康哉監督に言葉をかけた。
昔であれば、「しっかりせんか!」「こんなんじゃ夏は勝てんぞ」という罵声が飛んだことだろう。しかし、熱心なファンも明徳義塾との実力差を認識しているのか、2連敗を嘆く声はもはや聞こえなかった。
現チームの実態…「エースがいい」「秋と春は優勝」
この試合をネット裏で観戦していた澤田は言う。
「いいピッチャーからはなかなか点を取れるものじゃない。そこでどうするかと考えるのが松山商業の野球です。時代とともに変化したことはたくさんあるけど、1点差で勝ち切る野球において大切なことは変わっていない。投手力を含めた守備の徹底です」
2000年代に入ってから、金属バットの威力を最大限に生かしたパワー野球が主流になった。打力がないチームは全国では勝てないというのは現在の常識だ。しかし、今春から金属バットの規定が変わり、打球は以前よりも飛ばなくなった。松山商業には有利になるかもしれない。
「バント、走塁、守備のひとつひとつのプレーが勝負に直結することになるでしょう。ミスをしたほうが負ける。相手のスキを突くチームが試合を優位に進めることができる。そうなると、当然、指導の仕方も変わるでしょう。昔はノックを打ちまくったもんですが、そのやり方はもう通用せんよね」
復活の兆しは見える。
母校の今治西を11度も甲子園に導いた大野監督が指揮を任されるようになったのが4年前。2023年春に県大会準優勝。その秋と2024年春は続けて優勝を飾っている。だが夏の大会では3回戦敗退、初戦負けが続き、甲子園に届かない。
ベンチ外選手も直立姿勢で観戦
黙々とトンボを使ってグラウンドをならす選手たちの動きは機敏で、ひとりひとりの「こんにちは」という声は大きく、清々しい。60名の部員は全員丸刈りだ。
2試合続けてマウンドに上がるエース。
試合後、「気をつけ」の姿勢で監督の言葉を聞く選手たち。
直立の姿勢で試合を見守るベンチ外のメンバー。
彼らの姿から「伝統」が感じられ、「昭和」にタイムリープしたような気にもなる。しかし、ベンチ裏からは「ベンチ外の選手が立って見とったって意味がない。室内練習場で練習するなり、ほかのチームと練習試合をするなりしたらええのに」という声も聞こえてきた。
「伝統」と「変化」でもがく今
高校野球と同様、選手たちの気質もこの20年で変わった。指導する側にも変化が求められている。成功経験があるがゆえに、松山商業は伝統を捨てることができず、甲子園から遠ざかってしまった。
エンドレスの猛練習はもう過去のことだ。厳しかった上下関係も消えた。残すべき伝統はそのままに、今の選手の気質に合った野球部へと変わろうとしているが、新しい姿はまだ見えない。「伝統」に代わるものは何なのか――もがき苦しみながらそれを探し当てた時に甲子園にたどりつけるのかもしれない。
5度も夏の甲子園を制した名門、松山商業がいまチームとして掲げる目標は「甲子園で1勝」だ。